あんな話 こんな話  100
 
小泉武夫著  サンケイ出版
『知恵の食事学』
より その13
 
第5章 食風習・味覚文化の知恵 の2
 
 
● 昔駅弁、今車弁
 
駅弁は手にした時の感覚がよい。
少し温かく、少々湿っぽい感触に経木(杉、ヒノキなどの材木を紙のように広く薄く削ったもので、昔は経文を写すのに用いた)の匂いは、紐を解く手を早めさせ、そして心を躍らせる。
 
その駅弁は、駅売り弁当の略で、明治18年(1885)7月15日に、日本鉄道会社の新鮮(上野〜宇都宮間)開通のとき、宇都宮の白木屋旅館が販売したのが始まりとされる。
 
そのときの駅弁は、ごま塩をまぶしたにぎり飯2個と、沢庵だけを竹の皮に包んで、5銭だったという。
ついで、3ヵ月後、信越線横川駅、翌年、同線の高崎駅で売られ始めた。
 
当時はいずれの駅弁ともにぎりめしと漬物という、実に質素なものであった。
経木を使った折り箱を用い、おかずも数種ついた今日の駅弁らしい駅弁が登場したのは、明治22年山陽鉄道会社の神戸〜姫路間で売られたものである。
それには、金団、鯛、蒲鉾、伊達巻、百合根、奈良漬が入っており、実に豪華なものであったという。
 
しかし、大半の駅弁はまだ梅干し、沢庵、切り昆布がついた程度のもので、そのスタイルが大正末期から昭和初期まで続いた。
当時の駅弁業者は、駅務員への食事の便宜供与といった強力に対して、その見返りに販売許可が与えられた場合が多く、それが世襲的に3代、4代と続いて今日に至っているケースも珍しくない。
 
今日、JRでは駅弁を「普通弁当」と「特殊弁当」とに分け、前者はもっとも一般的な幕の内弁当、後者は米飯に特別な材料をあしらえた弁当で、かにめし、釜めし、いかめし、鰻弁当、鮎ずしなどがこの類である。
 
これまでは普通弁当が圧倒的に多かったが、輸送力の大幅な発達や旅行者の激増、嗜好の多様化などに対応して、今日では逆に特殊弁当のほうが断然多い。
およそ1600といわれる駅弁の総点数のうち1100は特殊弁当で、そのうち「すしもの」は550にものぼる。
 
現在、全国にある約400の駅弁業者が、1日に売る駅弁の数は約25万食にも登っている。
日本人の食生活が外食型傾向になってきているとはいえ、駅弁の比重は無視できないほど大きいのである。
 
それにしても、今日の駅弁には、さまざまなアイデアをふんだんに盛り込んだものが実に多い。
これは、従来の経木箱がポリエチレンに変わったころから始まった現象で、弁当業者は容器のみならず、その内容物まで変えたのである。
 
地方色豊かな特殊弁当から、ハンバーグやシチュー主体の洋食弁当、ステーキ弁当やしゃぶしゃぶ弁当のような、高価で豪華なもの、ワインが1本つくものなど、変り種弁当の花盛りといったところ。
 
弁当だけが変わったのではない。
列車は停車時間が短くなり、独特の趣の合った売り声もめったに聞くことができなくなり、列車の窓も開かなくなった。
そして、いまや駅で売るはずの弁当は、その多くが社内に売りに来る時代となったのである。
 
過去の駅弁への憧れや郷愁が、なんとなく薄れてきたような気がしてならない今日このごろの旅である。
 
 
 
● イッキに飲んでどこへ行く
 
「イッキ!」などというなどというおかしな酒の飲み方がある。
はやし立てて、無理に酒をイッキに飲ませ、酔いつぶれるのをみて、仲間意識を感じたり、優越感を覚えたり・・・・・・。
この飲酒法、どこかに人間関係の貧困さや「いじめ」の根底のようなものが潜んでいるような気がしてならない。
 
この「イッキ飲み」、百害あって一利なしなのである。
酒はそもそもガブガブ飲むものではない。
適量を味わって飲むことにより、酔い心地を楽しみ、疲れをいやし、それに伴って起こる食欲の高進やストレスの解消を得るのである。
 
はめをはずした飲み方を続けると、精神的にも肉体的にも大きな負担がくるのは当たり前である。
 
また、一気飲みのように、自分の適正酒量もわからぬ若者達が、突如としてアルコールをガブ飲みしたら、急性アルコール中毒症や急性胃腸炎が起こる危険性は大変大きい。
現に一気飲みが流行してから、急性アルコール中毒患者を収容するための東京消防庁の救急車の出動は急増している。
 
イッキ飲みのように、酒が酔うための道具的手段としての価値しかないものであるならば、人間はこれほどまでにすばらしい酒造りをしてきたはずはない。
 
原料を吟味し、神秘的な発酵を上手にあやつり、そっと静かに熟成させる。
そんな酒には、味や香りがあるばかりでなく、その一滴一滴につくった人の心も込められているのである。
 
それを味わい、楽しむゆとりこそ、複雑でめまぐるしく変わる今日の社会の中で、上手に、確実に生きる秘訣につながるものである。
 
一気飲みの象徴されているように、ここ数年の酒の味わい方には情緒にかけたものがずいぶん目立つようになった。
ウイスキーをコップにほんのわずか入れ、これに数倍の水を加えて飲む水割りでは、ウイスキーの風味などどこかにいってしまうのは当たり前。
 
水にもっとも相性の悪いブランデーさえも、水や湯を加えて飲めという。
これではたちまちのうちにその香味のバランスは崩れてしまうのは当たり前であって、本物を味わおうとする心さえも失わせてしまうことになる。
 
「でも、そんなに強い酒をストレートで飲んだら体に悪いのでは?」との心配もあろうが、酒はグイグイ飲むだけが能ではない。
本物のリアルさをチビリチビリ味わって、すぐに口を水で流してまた味わう。
それが情緒のある味わい方であって、胃が悪くなるほどガブガブ飲むのは間違いなのである。
第一、高価な酒を水に薄めてわざわざ酒質をだめにしながら飲むなどは、とてももったいない話であって、筆者にはその勇気がない。
 
街の自動販売機には、清涼飲料水と間違えるようなデザインの焼酎の炭酸割りがあり、また牛乳や大豆、ほうれん草、昆布などといったどうみても発酵するはずのない原料を使った焼酎の登場。
ワインの名産地と自らうたっている北の町に、実はぶどう畑がそう多く見当たらない事実等々。
 
これらはいずれを見ても、消費者不在で、メーカーの独り相撲。
「売れるのならどんな方法でも」と言う考え方こそ、酒文化崩壊の危険なのである。
「酒飲みの酒知らず、酒売りの酒知らず」であってはならないのである。
 
だが、酒のみならず、本物を味わう心が次第に日本人から離れつつあるような気がしてならない。
今こそ、本物の持つすばらしさにふれて、それを知る心を呼び戻し、ものの豊かさだけを追求して内容を問わぬ考え方を見直す時ではなかろうか。
 
 
 
● 東の粋(いき)と西の粋(すい)
 
鰻(うなぎ)料理ひとつ例にとって見ても、関東と関西には面白い違いがいくつかある。
 
使う鰻は関東は細め、関西は太めを選び、関東では背開き、関西では腹開きにし、竹串を打って白焼き(素焼き)にする。
関西では白焼きにタレをかけながら付け焼きとする長焼きものであるのに対し、それでは脂肪が強すぎるうえ、皮も硬いというので、蒸して脂(あぶら)を抜き、軟らかく仕上げてからタレで付け焼きするのが関東。
 
鰻めしでも、関東では蒲焼を飯の上にのせたものに対し、関西では「まむし」と称して、蒲焼を飯の表面と中とに二重に入れたり、小さく切って飯に混ぜたりする。
 
醤油でも東は濃口(こいくち)であるのに、京阪神を中心とする西では淡口(うすくち)である。
淡口の場合、大豆の蒸し方と小麦に炒り具合に加減が加わっているから、濃口に比べ、色と味が薄く、料理材料の持ち味や色合いと「ダシ汁」を生かせる関西人好みの醤油となっている。
 
味噌は関東が赤味噌系に対して、関西は白みそ系。
関東は三度の食事に味噌汁を常用するから、赤味噌のように毎日飲んでも飽きのこないものが好まれるのだろう。
また、白味噌は淡色でなめらかな味を好む関西人にピッタリ似合うというものである。
 
ほかに関西では、うどんが主で蕎麦は副。
関東ではその逆。
鮨(すし)では東は握った飯に山葵をつけ、これに魚介をのせた握り鮨だが、西では筥(はこ)鮨や巻き寿司が主体。
そして、その食べ方ひとつにも違いがあり、例えば関東人が巻き鮨に醤油をつけて食べるのをみて、関西人は不思議がる。
 
料理に使う魚とて、東は鮪(まぐろ)や鰹(かつお)に代表されるが、西は鰤(ぶり)、甘鯛、鱧(はも)などに根深い人気をもつ。
そして、もっともグロテスクな姿のナマコまで、好みに大きな差があり、関東は肉の柔らかな青ナマコに対し、関西は硬めの赤ナマコ。
肉も東は豚肉が多く、西は牛を好む。
和菓子や煎餅も東と西では味も形もその好みは大分異なる。
 
このように、身近な食べものの例をあげてみただけでも、関東と関西では明確で面白い違いがある。
この違いは、食べものや料理の材料のみならず、味付けの仕方、ダシのとり方、盛り方などにも細かな違いがかなりある。
驚いたことに、魚屋の店頭に並ぶ魚まで、東が多くが横向きに並べてあるのに対し、西では縦並べが目につく。
 
料理は、昔からその土地に育った材料で、その土地の人々の生活にあった味に調理され、それが長い間、かたくなに守られてきた。
その表れが、東や西、北や南の嗜好性の差なのである。
 
今日、東京の町を歩けば、関西割烹の看板が氾濫し、大阪にも江戸前の握り鮨屋や鰻屋、おでん屋がどこにでもある。
そういう店に行くと、そのほとんどが、やはり看板どおりの料理と味を出してくれるから、たいそううれしいものである。
 
プロの料理人としてのプライドがそうさせるのだろうが、彼らはそこには、東西料理の本質的な違いが、「東に粋(いき)」と「西の粋(すい)」であることを、知りつくしているためなのだと思えて仕方ない。
 
 
 
● 飯に匂いがなかったら・・・
 
早稲(わせ)の香や 分け入る右は 有(あり)()(うみ)    (芭蕉)
 
地方から早場米が積み出されるのは9月下旬で、10月にはそれが出回り、あの馥郁(ふくいく)たる匂いと、甘く新鮮な味に接することができる。
米を炊く時にでるその匂いと味は、実に不思議なもので、日本人を永遠に夢中にさせてしまう。
 
1日に3度も同じものを繰り返し食べ続けたら、たいていの食べものは飽きてしまって、もう翌日は食べたがらぬものだ。
しかし、日本人の主食である飯はまったくそうではなく、何年でも何十年でも、毎日毎日、一生涯かけて食べ続けても、嫌いになるものではない。
 
この秘密は、米が水を介して「煮られる」ことにある。
焼いた米を1日3度も口にしたら、3日で飽きること疑いないが、これが煮るとなると、米に水分を適度に含ませて、ちょうど良い弾力をつけながら、うま味や甘味を与える。
 
その上、何といっても、炊きあがる時の匂いは食欲をそそり立たせるのにあまりあるほどで、新米が好まれるのはこの弾力とうま味と、香りの3つの要素を要素を調和よく備え持つためである。
 
そもそも、高い火炎に耐えることのできなかった土器の時代には、米は今日のように煮て食べるという調理法ではなく、灰の中に埋めて焼いて食べるなど、原始的手法がとられていた。
 
その後、大陸から高熱に耐えることのできる土器の作り方や鉄などが導入されてからは、それまでの「焼く」ことでは得ることのできなかった米からの味と香りを、「炊く」ことによって、引き出すこととなり、日本人の米飯主食を確実に定着させることにつながった。
 
ところで、食べ物の匂いは調理の仕方で一変してしまう。
米はその最もよい例であって、焼いた米、煮た米、蒸した米のそれぞれの匂いは三者三様で、これが皆同じ米であるかと疑いたくなるほど大きな違いがある。
 
この匂いの差は、加熱温度と水の介在の仕方という、物理的条件によって生じるもので、煮た米は絶えず湯の中に入って、100℃で調理されるから、あの特有のうま味を伴った食欲香が生じるし、蒸した米は水蒸気が米にふれて、次第に内部に温度が伝わりながら、100℃をやや下回る温度で加熱されるから、新鮮で引き締まったような匂いとなる。
 
これが焼くとなると、数100℃の高温にさらされるから、水分は逆に失われて、米の炭水化物とタンパク質との加熱反応や炭化が起こり、いわゆる焦げの状態となって、香ばしい匂いになる。
 
しかし、焼いたときの米に香ばしい匂いがあっても、蒸した米に特有の快香があっても、硬くては毎日続ける食に不適であり、やはり、煮た時の匂いと味と軟らかさだけが、主食としての米の最良の調理法なのである。
 
ところで新米が出回り始めると、去年の米は古米となる。その新米をせっかく手にして炊いて食べてみたら、軟らかくなりすぎて、うまく炊けなかった経験の読者も多いだろう。
 
そこで、新米と古米を上手に炊き分ける秘訣を一つ。
新米と古米とでは、含まれている水分にかなりの差があり、古米は貯蔵して間に、乾燥して水分が少なくなっているのに、新米では水分が多く残っている。
米をおいしくたくには、水加減が最も重要なポイントとなるから、ここでの水の調節が大切なのである。
 
普通の炊飯では、米の約2割り増し程度の水を加えることになっているが、水分の多いとりたての新米では、同量か、1割り増し程度にし、また水分の少ない古米の場合には、少し増やして、2.5割増し程度にすると、ちょうど良い炊き加減となる。
上手に米を炊き上げると、飯の香りも一段と食卓を覆う。
 
 
 
● 女房と味噌は古い方が良いか
 
「秋茄子(あきなす)は嫁に食わすな」という、嫁さんにとっては、意地悪な諺がある。
鎌倉時代の『夫木集(ふぼくしゅう)』の「秋茄子はささの粕に漬けまぜて、嫁にはくれじ棚に置くとも」(秋の茄子は酒粕につけ、嫁に食べさせずに棚に置く)から出たものとされ、一般には「秋のナスビは味が良いので嫁になど食わせるな」という、嫁を憎む姑気質と解されている。
 
だが別の古文書には逆に、「秋茄子を多食すれば必ず腹痛下痢す。女人はよく子宮を傷む」とか、「茄子は胃腸を冷やし、秋に至りて毒最も甚だし」とあり、むしろ、嫁をいたわる老婆心とも解される。
また、ある解釈によると、秋のナスビは中の種が少なくなるから、これにあやかることを忌むのだとする説もある。
 
どれがいったい本当なのか迷ってしまうが、このような諺はその意図とするところがあやふやなほど平和なのだから、そっとしておくに限る。
 
だから、同じようなことわざに「秋鯖は嫁に食わすな」とか「夏蛸嫁に食わすな」があれば、「秋茄子嫁に食わせよ」や「鯒の頭は嫁に食わせよ」といった反対ことわざもあるというようなものなのである。
 
そもそもわが国には、食に関することわざは大変に多いが、そのほとんどの場合が食事学上から見て理に適ったものであったり、はたまた人生を生きていくための教訓となったりするものが多い。
物事を教えるのに「食」という極めて大切な人間の行為を介して行われている手法には興味がそそられる。
 
まず、料理の手法や手ほどきを教えることわざは日本各地に残っていて、200前後はあるとされる。
 
「いわしも七度洗えばタイの味」
「一尺のまきをくべるより一寸の蓋をしろ」
「下ごしらえも味のうち」
「調味料に入れ方はサシスセソの順」
「一号雑炊二合粥」
「包丁十年塩味十年」
「鳥は食うともドリ食うな」
「花見過ぎたらカキ食うな」
など枚挙にいとまがない。
 
養生を訓じたものも多く、
「サンマが出るとアンマが引っ込む」
「梅はその日の難のがれ」
「砂糖食いの早死」
「土用丑に鰻」
「腹八分に医者いらず」
「麦飯に食傷なし」
などがある。
 
また人生への教訓としたものも実に多い。
「明日食う塩辛に今日から水を飲む」(手回しが良すぎて、却って無意味のたとえ)
「腐っても鯛」(本来良いものは条件が悪くなっても何らかの値打ちがあるとたとえ)
「酒盛って尻切らるる」(酒をごちそうしたのだが、その酒で乱暴されることで、恩を仇で返されるのたとえ)
「酢が過ぎる」(程度を超えて事をしてしまうと後で面倒の意)
「鯛の尾より鰯の頭」(大きい団体の中で人の尻につき従うよりも、小さい団体でもよいから、その長になれとのたとえ)
 
さらに、
「味噌の味噌臭きは食べられず」(職業や境遇がはっきりわかるような人は、まだまだの人で奥ゆかしさが足りない)
「焼餅焼くとも手を焼くな」(焼餅を焼くのもよいがあまり焼きすぎるとかえって手を焼くことになる)
「脛(すね)に味噌をつける」(気の毒な様子)
「他人の飯を食え」(他人の家に寄宿して世間の経験を積め)
「情けの酒より酒屋の酒」(同情ばかりではしょうがないのであって、それに良いことが伴わなければありがたくないということ)
 
うまい話についつい乗って、大損した人への諺は
「口に甘きは腹に苦い」(うまいことをいう陰には、必ず裏に落とし穴があるから注意せよ)
 
さて次の諺、どちらをとるかは、読者の判断にゆだねよう。
「女房と畳と味噌は新しい方がよい」
「女房と味噌は古いほうがよい」

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001