あんな話 こんな話  103
 
小泉武夫著  サンケイ出版
『知恵の食事学』
より その16
 
第5章 食風習・味覚文化の知恵 の5
 
 
● ライスカレーと日本人
 
夏目漱石の『三四郎』に、一皿60戦で登場するハイカラな料理が、カレーライスであった。
日本には明治の初期に入って以来、急激に人気を得て、大正時代にはすでに大衆料理の常連メニューとして普及していた。
 
今日では全国民に広く親しまれ、庶民の代表的な味となっている。
最近の調査では、頻繁に作られる家庭料理の第1位であり、子供たちが最も好む学校給食の一つでもある。
 
ライスカレーが正しいとか、いやカレーライスのほうが正解だといった平和な論争に、大人たちまでもが大真面目に口角泡を飛ばしていると、ついつい自分もその論争に加わってしまいたくなるような身近な食べものだ。
 
カレーはインドを中心とした地域で最も広く普及し、中近東や東南アジア地帯でも昔から食されていたが、今日では世界各地で広く愛用されるに至った混合香辛料である。
カレーの名所は、南インドのタミル語やカナンダ後の「スパイスの効いたソース」を意味する「カリー」(curry)から来たものである。
 
この混合香辛料の材料には、辛味ではコショウ、チリ(唐辛子)、マスタード(からし)、生姜などが使われる。
また芳香成分としてはコエンドロ(こすい)、フェンネル(ういきょう)、クローブ(丁子)、シナモン(肉桂)、ナツメグ(にくずく)など、黄色を出す着色にはサフランやターメリック(うこん)が使われる。
 
このようにカレーは、さまざまな木、香草、実、根、茎、葉、樹液を100余種も配合した、実に複雑な香辛料なのである。
 
カレーはまた、食欲を増進させ、消化を助け、殺菌効果をもち、発汗作用を高めるなどの効果を持つから、インドのように熱くて湿気の多い地方には、実に自然の摂理にあった香辛料ということができる。
 
さて、カレーライスを日本人が大いに好んだのにはいくつかの理由がある。
粒食民族である日本人は、昔から主食の粒飯に、さまざまなものをかけて食べる習慣が多くある。
たとえばトロロ飯、卵かけご飯、納豆飯、各種丼物など。
この食態にカレーはピッタリあったこともその理由のひとつのようだ。
 
だがカレーを日本人のすみずみにまで普及させたのは、何といっても巧妙な知恵を持った当時の食の仕掛け人たちの功績である。
 
その知恵の第一。
カレーの最大特徴である辛さと匂いは、本場インドのものでは強烈過ぎて、とても日本人はついていけないと判断し、日本人向けのマイルドな風味を作り出すために香辛料の配分を工夫したことだ。
そして第二は、付け合せに福神漬けや、ラッキョウ漬けを選択したことである。
 
カレーの香味は、大変強く鼻や舌を刺激するが、ことに味の濃さと匂いにおいてはひけをとらない純日本風の漬け物を口直しとして添えておくと、異国情緒の強かったカレーの風味を身近なものに和らげさせてくれる。
 
そのうえ、カレーのなめらかさとは対照的に漬物の歯ごたえは快く、カレーをより日本的なものにしたのである。
さらに、そこに、隠し味として醤油や福神漬けの漬け汁などを使ったりするから、なおいっそう、日本の味のカレーができあがることになる。
 
第三は、カレーの具には日本の農産物の代表であるジャガイモ、人参などをふんだんに放り込んで、日本人向きにしたこと。
そして第四は、決定的とも言える知恵「カレールー」の発明である。
 
このカレールウは、カレー粉を主材とした日本独特の加工食品で、抜群の即席性を持った発明品である。
カレー粉に、小麦粉、食用油、食塩、化学調味料を配合し、これを一度混融し、このルウを型に充てんして冷却し固化させた食品である。
 
この型にしておけば、食べたいときに、いつでも具とともに煮込めばよいのであるから、忙しすぎる日本人にはまさにピッタリ似合うものとなった。
 
 
 
● 味噌汁は幸せの匂い
 
ある朝の悲しき夢のさめぎはに
花に入り来こし味噌を煮る香よ  (啄木)
 
悲しい夢を見たそのさめぎわの消沈した心は、味噌汁の匂いでいくぶん助けられたのであろうか。
味噌汁の匂いほど家庭に平和を感じさせ、家中を落ち着かせ、そして安心させるものはまれである。
味噌の持つ独特の香りと鰹節のほのかな匂い。
 
そこに、ネギやシジミなどの実からでた匂いなどが相乗して、家の中に充満する。
この温かい食欲香こそ、日本人の家庭の原点的な匂いであり、日本食文化の中核的芳香である。
 
味噌汁が日本人の食卓に登場したのは、文献上では室町時代のことである。
しかし平安時代の『延喜式』の「汁物料」に「実醤(みしょう)」(醤(ひしほ)や?(くさ)のようなもので味噌の原形)が使われていたことが記述されているから、実際には、室町時代以前からのものであろう。
したがって、日本人の味噌汁食は1000年もの歴史を持っていると見てよい。
 
味噌の主成分はタンパク質、炭水化物、脂質で、これらの含有量は、米、麦、豆といった原料の違いや、甘口、辛口、白、淡、赤といった色調の違い、信州、仙台、西京といった地域性によって生じる味噌の種類によって生じる味噌の種類によりさまざまである。
例えば、たんぱく質の含有量は麦味噌で10%、豆みそで18%といった具合である。
 
日本人は昔から米やイモなどを主食としてきたデンプン主食型民族であったから、この味噌や味噌汁は貴重なタンパク質源として重宝であった。
なにせ、リジンやチロシンといった必須アミノ酸や、呈味(ていみ)性の強いグルタミン酸やアスパラギン酸のようなアミノ酸が極めて豊富である。
 
また、日本人の粗食生活は、とにかくビタミン供給の不足に結びついたが、味噌にはビタミンB群を中心とするビタミン類、そして、リンやカルシウム、カリウムといったミネラルなど、人間にとって必須の微量成分も多かったから、日本人を栄養的な面から大いに助けてきた。
 
脂質は大豆に由来する成分であるが、味噌には5〜7%と多く、中でも味噌汁は10%を超す。これらの脂質を構成する脂肪酸は、オレイン酸やリノール酸といった不飽和脂肪酸が多く、これらは最近、脱コレステロール作用があるとされて、注目されているものである。
 
また、リン脂質も比較的多いが、これは細胞の働きに活力を与える成分として注目されているものである。
そして最近では、タバコの吸い過ぎに味噌汁がよいとか、がんの抗体をつくるとか、このところ茶の間の話題になっている。
昔から日本人の食にかかわる知恵の発想は、味噌や味噌汁のこういった面にまでも発揮されている気がする。
 
味噌に種類が多いのと同じく、味噌汁にも実にさまざまなものがあって、大いに楽しめる。
筆者も味噌汁には常に憧れを抱いているものの一人であって、好みの味噌汁を味わうときには、本当に胸が高鳴り心が躍る。
軽く白菜かワカメだけの仕立てから、豚汁や鯉こくといった濃厚なものまで、味噌汁に入れる具を変えるだけで、星の数ほどの味噌汁が楽しめる。
 
それもそのはずで、日本には味噌汁に合う食材があまりにも豊富であって、海の魚、川の魚、貝類、海藻類、野菜類、鳥獣類、加工品類(豆腐や麩)など、ことごとくが汁の実にしておかしくない。
 
さて、味噌汁がうまいのは、「濁りの美(味)学」とでもいおうか、あの濁りが美味の原点の条件でもある。
その証拠に、味噌汁の上澄みは味気ないものだ。
そこで、食味にうるさい人でも、この濁り汁をすすれば、思わずうまさのあまりに微笑すら浮かべること間違いないという「粕汁」の作り方を述べておこう。
 
「粕汁」のつくり方
粕をひたひたの湯で戻してから味噌に加え、擂鉢ですり、昆布と鰹節でとったダシ汁に加える。
少しの塩をした鰤(ブリ)のアラとにんじんのブツ切り(色付け)を汁の実として入れ、弱火で20分ほど煮てできあがり。
 
 
 
● 食は心に始まる
 
筆者は数年前、足利時代に起こり、江戸末期に消えた「酒道(しゅどう)」の作法を伝える貴重な古文書「酌の大秘(しゃくのたいひ)」と出会う幸運に恵まれた。
 
酒道とは、酒を通して精神の統一や修養をしようというのが、その目的である。
多くの場合、酌の仕方や受け方、腫膳の配り方など酒席の礼儀を作法したものであったが、今はその名前はおろか文献すら残っていない。
 
この酒道の流れには公家流、武家流、商家流の3つの流れがあった。
公家流は「十種さけ(じゅっしゅざけ)」といって、教養を含んだ?酒会(ききざけかい)で、室町時代の「後鑑」や『親長卿記」にその詳細を見るが、優雅で高尚な遊びを伴ったものであった。
 
武家流は、どちらかというと、その主目的を酒席での礼儀や作法を通して精神の鍛錬におき、今日の茶道や華道に一脈相通じる面もあった。
 
一方、商家流は客の接待を目的として、酒席での行儀と礼儀を養うための作法をめざし、嫁入りを控えた女性には特に大切な修養のひとつとして身につけさせていたのは注目される。
 
『酌の大秘』という古文書の具体的記述内容は、酒席における酌の仕方や作法が図解まじりで記述されていたり、主人の接客法、座の位置、手記の選び方や持ち方、酌の仕方と受け方、酒席での姿勢や間のとり方、配膳の仕方、酒席進行の次第などが主体である。
 
酒を飲んで楽しむだけのものとせず、必ずそこに礼節を忘れてはならない極意を訓教している。
この酒道は足利時代に始まり、江戸末期には消えてしまった。
 
ところで、日本には、食の場に一定の作法を取り入れて食味を味わうと同時に、精神の修養や交際礼法を究める酒道が、他国にはまったく例を見ない文化の一つとして伝わっている。
 
その代表が茶道。
室町時代の村田珠光を祖とし、武野紹鴎を経て、千利休に至ってこれを大成した。
茶の湯によって精神を修養し、これを他人と行って礼法を究める道。
禅の精神を取り入れ、簡素静寂を本体とするわび茶である。
 
そして、その心は、客を招いて、茶を立てる前に、茶人自らが心を込めて料理を作り、客に出す懐石料理をも生んだ。
さらに供応形式料理の本膳、宴会料理の会席も一定の流儀や形式によって、配膳に心を配る。
 
これらの日本の伝統的な禅料理には、多くの面で心憎いばかりの気配りがある。
例えば盛り付け一つ見ても、食器は美しくそして使いやすいうえに、料理と調和の備えたもので統一したり、盛り付けの趣向は、器の中に自然を演出して、季節感を大切にする。
また、空間を重んずるため大きめの器を選んで、余白を残すように盛り付けるなど、一種哲学的とも言える要素をも込めた内容が随所に見られる。
 
このように酒も食事も茶も「心に始まり心に終わる」ことが何よりもうれしいことであるが、その雅趣も今では大いに薄らいでしまった気がする。
 
「心は体の主人である。この主人を静かに安らかにしておかねばならぬ。体は心の下僕でる。動かしては働かせねばならね。心が安らかで静かだと、体の主人たる天君はゆたかで、苦しみなく楽しむ」 (貝原益軒)
 
 
 
第6章 食材利用は世界一  の1
 
 
● ヌラヌラ、スベスベも味のうち
 
日本人の食べものや料理の中には、日常あまり小突かないが、よく観察してみると、面白い話題を含んだものが意外に多くある。ここで紹介する年始油性物質を持った食べものの話も、日本食ならではの格好の題材である。
 
粘質性の食べもの、すなわち「ヌラヌラ」とか「スベスベ」とかで表現される食べものは、外国に比べて比較にならないほど日本には数多くあり、日本人はその味覚を好んで楽しむ民族なのである。
 
その代表格は何といっても納豆。
茹でた大豆に増殖した納豆菌は、大豆のタンパク質を分解して、うま味の主体であるアミノ酸にする一方で、多量の粘性物質を生産する。
この粘性物質は、アミノ酸の一種であるグルタミン酸がポリペプチドというアミノ酸の集合体と結合し、さらに、これに果糖の重合体が結合した複雑なもので、納豆には実に2%も含まれている。
なぜ納豆菌がこのような粘性物質を生成するかについてはまだよくわかっていない。
 
主食を米にしている粒食民族の日本人が、これにやはり粒状の納豆をかけ、このヌラヌラを利用して飯をかっ込むところに相互の合性があり、納豆のうま味がある。
 
なお、納豆に煮た大豆食品として、中国大陸や東南アジアにみられる「テンペ」がしばしば取り上げれれるが、これは大豆を原料に用いることだけが同じで、それを発酵する微生物はまったく異なる。
 
納豆は納豆菌という細菌であるが、テンペはクモノスカビである。
またテンペには粘性物質など全然ないし、日本本来の納豆とは別のものであるからまちがってはいけない。
 
畑で取れるサトイモは、煮付けられてもスベスベした口の感触は快く、山から取ってきたヤマイモやナガイモはおろしてとろろとし、麦飯やマグロの角切りにからませ、ヌルリと流し込む。
 
ワラビやヨシナは浸し物や漬物でもトロ味が楽しめ、ナメコはきめ細かい絹豆腐とともに味噌汁で、また卸大根に添えてもたいそうおつである。
池からのじゅんさいはお吸い物や酢の物に、そして海からの水雲(もずく)は三杯酢に、昆布からはこれの表面をごく薄く削って黒とろろ、中心部を同じく削って白とろろにすると、いずれもヌラヌラを伴った味覚が楽しめる。
 
このように、少しの例を示しただけでも、日本のヌラヌラ食は枚挙にいとまがないほど多い。
 
納豆やナガイモのトロロのように、炊いた飯にこれをかけて食べるのは、質素で早飯食いの日本人にはうってつけのものだが、この両者のヌラヌラの中には、デンプンの分解酵素やタンパク質分解酵素が豊富に含まれているから、主食の粒飯にかけて食べるとき、ヌラヌラのためよくかまずに飲み込んでしまってもそう心配はない。
 
これに対し、ナメコやじゅんさい、もずくなどは、淡白なな味となめらかな舌ざわりを珍重し、むしろゆっくりと、その味覚を味わって食べるものである。
同じヌルヌル食でも、日本人はこれを実に巧みに使い分けして食生活を充実させているのである。
 
じゅんさいは「沼縄(ぬなわ)」のことで、葉柄やその巻き方、根などが縄のようであり、沼にあって、ヌルヌルしているから「ヌルヌルした縄→ヌルナワ→ヌナワ」となった。
とろろは「とろみ」から来た語。ナメコは滑茸(なめたけ)とも書き、粘液でスベスベした「なめらかなキノコ」の語源からつけられたことを見ても、日本人は昔から、このヌラヌラを持った食べ物に、親しみをもって接してきたことがよくわかる。
 
昔からこのようなヌラヌラ、スベスベの食べものには、共通して強精の効ありといわれてきたが本当かどうか知りたくもある。
 
 
 
● 旬は美味しさの合言葉
 
魚貝、蔬菜、果物などが最も美味で、漁獲高、収穫量ともに盛りに当たる時期を旬という。
 
古くは朝廷で天皇が臣下から政務を聞き、天皇は臣下に酒を賜る儀式があって、これを旬宴と呼んでいた。
年に回行われ、4月1日の宴を「孟夏旬(もうかしゅん)」、10月1日を「孟冬旬(もうとうしゅん)」として、宴では時節の代表的な食べ物を出したことから、旬の言葉が生まれたという説がある。
 
春夏秋冬と、四季が明確に分けられている日本では、一年中、動植物が交互に活動の場を持つから、旬のものは一年中にわたって分布する。
 
四季のはっきりした島国とはいえ、肥えた土とよい水の国とはいえ、はたまた暖流と寒流の交差する国とはいえ、日本ほど季節によってうまいものが移り変わる国はたいそう珍しい。
このことは、わが国の食の文化の特徴を語るのに、大切な事例のひとつともなっている。
 
旬という言葉の意味を、正確に言い表す英語やフランス語もないようで、その点、日本人は食べもののうまさや食べごろを季節ごとに分けて整理し、それを旬というただの一語でずばりと言い表す、知恵と粋さを持っている。
 
魚を例に取ると、一年中いつでも美味な魚もいくつかあるが、大半はその味が多かれ少なかれ、季節によって変化する。
 
その最もうまいときが旬となるが、旬の魚がうまいのは、産卵期前、体にタンパク質や脂肪などの栄養成分を豊富に蓄えた場合や、産卵期でなくとも、海流の関係で親潮(寒流)にのって、脂肪のついた魚が大量に下ってくる場合などが、旬のうまさにつながるのである。
 
また、川魚の鮎は、夏、水中の石に付着する珪藻(けいそう)が豊富に育ち、それを餌にしてどんどん成長し、西瓜のような爽涼な香気を帯び、姿態もいかにも均整のとれたときを旬とした。
また10月、産卵前の落ち鮎は脂肪がのって絶品だとしてこれまた旬に選ぶ。
 
いずれにせよ、魚介も蔬菜も最も多く収穫される時を旬とみれば、おおかた間違いない。
というのは、多くとれるから値が安く、新鮮なものを入手できるわけで、美味なのは当たり前なのである。
 
ところで江戸時代には「奢侈禁止令(しゃしきんしれい)」がたびたび出された。
この令は贅沢を戒めるためのもので、例えば食に関しての浪費をやめさせるものとしては、「何を何月何日以前には口にしてはならない」と、詳しくその食味期間を決め、大衆の食べものを旬に合わせ、守らせていた。
 
旬のものは大量に収穫されるから安価となり、そのうえ栄養価が高く、味もよいから贅沢な食生活を防ぐのに最良の方法とされていたのである。
旬をうまく使って贅沢を抑えるという、合理的な知恵であった。
 
しかし、禁止令が出れば出るほど、旬より早いものを食べるのが粋人だとして、それを「走り」とか「初物」と呼んで、もてはやしたりもした。
「初鰹」などはそのなごりであり、鰹がむっちりと、脂肪がのって美味なのは、それより1ヶ月ほどあとである。
 
旬そのものが、この数年の間に、日本の食卓から次第に消えつつある。
以前、キュウリやトマトなどは代表的な季節告知野菜であったから、初物はまず仏壇に供えて、祖先の霊に季節を知らせたものだった。
しかし、今ではそれらも全季節型野菜となってしまい、そこにはもう初物や旬としての喜びも薄れ、おまけに味も均一化されてしまった。
 
海や川では、養殖や栽培漁業の著しい進歩によって、マダイ、ハチメ、クルマエビ、鮎、ヤマメ、イワナなどが人口配合飼料によって育てられ、近頃のバイオテクノロジーの進歩は、大規模な植物工場の建設にまでつながった。
 
たしかに、この方法では値が安く、新鮮なはずである。
しかし、そこからは「旬」と言う、日本人が抱いてきた食への憧れが消えてしまった。
食を科学の力で変えてしまう人間のおごりが、もしかしたら「食」という行為に潜んでいるもっとも大切な何物かを、少しずつ忘れさせていくのかもしれない。
 
 

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001