あんな話 こんな話  104
 
小泉武夫著  サンケイ出版
『知恵の食事学』
より その17
 
第6章 食材利用は世界一  の2
 
 
● 海洋王国の海藻文化
 
日本列島周辺の海は、海藻が育つのに最も適した地形と海流があるため、各種の海藻に富むことでは世界一である。
 
四方を海に囲まれた島国日本に、住居を構えた知恵者たちは、その海藻に目をつけぬはずはなく、海藻の用途が広いことを知ってからは、長い歴史の中で、薬用、肥料、租税、食用にとこれを飽くことなく利用し続けてきた。
 
万葉集に、海藻を焼いて塩を取る風景を歌ったものがいくつかあるように、人間が生きていくために不可欠の食料である塩の供給も、大昔は海藻であった。
ホンダワラやアジモなどの藻類を浜に積み、これにいく度も海水を注いで乾燥させ、それを焼いて塩灰をつくった。
 
その灰(ケルプ)の中には、塩のほかカリウム、ナトリウム、マグネシウム、ヨウ素などが豊富に存在しているから、農業(肥料)、工業(糊材)、医薬用(無機物)、食用としてさまざまな方面に利用されてきた。
 
しかし、その中心は何といっても食用である。
大宝元年(701)に制定された津令にさえ、紫菜(むらさきのり)、海松(みる)、滑海藻(あらめ)など、12種類が腑役令(税として納める物品)に記されていた。
また、東大寺正倉院文書(740年)にも若滑海藻(わかめ)、鹿角菜(つのまた)など多数の海藻が登場しており、さらに万葉仮名にも、海藻の表現が多いことからみて、当時はかなり食用として、重宝されていたようである。
 
日本の海でとれる海藻のうち、食用種は70を数える。
コンブ、ワカメ、アラメ、フノリ、トサカノリ、エゴノリ、モズク、アオサ、ミル、ホンダワラ、メカブ、ウミゾウメン、アマノリ、ヒトエグサ、マツモ、モジキ等々、そして、これら海藻を利用して酢の物、佃煮、汁物、ダシ、刺し身のつま、ふりかけ、乾のり、菓子、すし、寒天、トコロテンと、食され方も多彩である。
 
宮下明氏はその著『海藻』(法政大学出版部)の中で
「トコロテンのように、外国から伝来したと見られるものもあるが、日本の海藻の調理法は、そのほとんどが日本独自の工夫であり、神代に流れを発し、古代に発展し、中、近世に完成された。
色を楽しみ、買い食い、そしてあっさりした淡味を深く味わう、という日本料理の特長を生かすには、三拍子そろった海藻が非常に適している」
と述べている。
まさしく、海藻王国を象徴する説である。
 
他国に例を見ない海藻文化を築いた、日本人の知恵の一端を示す好例に、海藻の加工や保存方法がある。
 
例えば、寒天は、テングサ、フノリ、ツノマタなどを原料藻にして、これを洗浄、アク抜き後、煮熟してこし、一定の木枠に入れて放置して固化。
これを厳冬の夜、屋外に出して凍結し、日中は太陽の暖気を利用して融解、夜にはまた凍結することを繰り返すと、そのたびに水とともに不純物が除去される。
これを乾燥したものが寒天だが、長期にわたり保存でき、湯に溶かすだけで、さまざまな食べものに加工できるものを発明した知恵には、感心させられる。
 
また、ワカメの保存法のひとつに灰乾法があるが、これも理にかなったものである。
ワカメに木灰をまぶしてから乾燥し、一度灰と塩分を洗い去った後、再び乾燥してから木灰を加えて製品とするが、木灰のアルカリ性は、雑菌の侵入を阻止して保存性を高める。
 
そして、ワカメ特有の緑色(クロロフィル)を、木灰の成分はいっそう鮮やかな緑の色素であるクロロフィリンに変化させ、その美しさを食卓に映えさせてくれる。
このような知恵の積み重ねが、海藻文化を形成し、ひいては日本の食文化の発展につながったのである。
 
 
 
● 鉄砲も弾を抜いたら怖くない
 
フグを食べるのは日本人だけといっても間違いではないほど、この毒魚は日本人に人気がある。
しかし、そう簡単には食べられないところにまた、歯がゆさがあって、いっそうの願望が強くなる。
 
美しいバラの花にトゲがある如く、フグにも2つのトゲがある。
毒と値段。
毒はテトロドトキシンという猛毒で、マフグ一匹の肝臓と卵巣に含まれる毒の量は、ゆうに30人の命を奪ってまだ余りある。
値段も需要に漁獲が追いつかず、一般庶民の手が届かぬところまで高騰している。
 
これだけの猛毒をもった魚が、日本だけで食されるようになったのには、いくつかのわけがある。
その第一は、フグの調理は試験に合格して免許証の交付を受けた資格者でなければ許されないことで、そのため、フグを売り物にしている店で安心して食べることができる点にある。
 
日本人は昔から、魚の扱い方にかけては世界のどこの民族よりも抜きんでた手先の器用さを持っていて、卵巣や肝臓、腸などに猛毒があっても、調理人たちはそれを上手に取り出して無毒の魚に変えてしまう。
 
第二は包丁にある。
日本人は魚を生のまま刺身で食べる伝統が古くからあるから、そこにはさまざまな刺身包丁があって、毒のある臓器に傷つけず、そっと切り取る包丁、そしてフグの刺身を特徴づける薄造りの刺身包丁もある。
 
フグの肉は他の魚と違って、肉身が弾力性に富み、普通の平作りではゴムをかむような感じでとても食べられない。
そこで薄造りとなるが、それに適した刺身包丁は器用な手さばきとあいまって、切り身を薄紙のように仕立てることができる。
 
そして、第三が醤油と薬味の存在。
醤油なくして刺し身が食べられぬ道理で、フグもまた醤油以外の調味料にはまず合わない。
その醤油に橙や酢橘をしぼり落としてポン酢をつくり、そこにあさつきやもみじおろしといった、日本ならではの薬味を添えると、まさに殿様のフグに阿吽(あうん)の呼吸を持った御伴(おとも)の家臣といった感がある。
 
ところで、フグはなぜあのように美味なのであろうか。
それは、フグは他の魚よりうま味の前駆体となるタンパク質の含量が高いうえに、直接うま味や甘味の主体となる遊離アミノ酸が多いこと。
さらに、核酸系のうま味成分も多い反面、脂質をほとんど含んでいないから、噛んでいると上品なうま味が湧き出てくるのである。
 
そんなにうまいフグなら、毒は捨てても、ほかの部分はとことん食べぬ手はないと、日本人はさまざまな知恵を働かせて挑戦した。
 
白子に毒がないと知れば、これを酢の物で珍重し、表皮は外側を削り取って食べてしまい、皮下組織にも利用で切る部分があると知ると、その部分をそぎとり、これを熱湯でゆがくとコラーゲン質がゼラチン質に変化して、こたえられぬ珍味となるから、刺し身に脇添えさせる。
骨やアラにゼラチンが豊富であるとわかると、その鍋汁で雑炊を楽しむ。
 
調理の最初に切り落とした鰭(ひれ)は、強い炭火で焦し目にあぶり、これに熱燗の日本酒を注ぐと、特有のうま味がのって体もポカポカ温まる。
 
かくの如く、わが魚食民族は、他国の人が大いに恐れる毒魚をことごとくきれいに食べきってしまう。
 
 
 
● タコ食っても“イカもの”なんていわないで
 
タコを食べるのは、日本や韓国、イタリア、スペイン、南部フランスぐらいなもので、ほかのところではあまり食さない。
イタリア人たちが食べるといっても、海岸部で透きとおった小さなタコを、熱湯につけて茹でて食べるくらいであって、全国民的に食べるのは日本だけといってよい。
 
欧米ではタコをデビル・フィッシュ(悪魔の魚)と呼び、旧約聖書には、「水中にいるもののうち、ヒレとウロコのないものは、けがれたものだから食べてはならぬ」といった意味のことが書かれているから、彼らにとって、タコは悪しきものなのであろう。
だから、欧米人などは、日本人のタコ食いを見て大変驚く。
 
その日本人のタコ食いは大昔からのようで、大阪湾沿岸や兵庫県西部の遺跡からは、弥生時代のものと見られるタコ壺が出土し、「古事記」には「貝蛸王(かいだこおう)、『日本書紀』には「貝蛸皇女(かいだこのひみこ)」などの名が登場してくる。
 
一方、タコと同じ軟体動物のイカを食べるのも、日本やギリシア、スペインの一部だが、これまた国民あげて食べるのは、日本人だけといってよい。
刺し身、煮物、焼き物、スルメ、塩辛、沖漬けなど、臨機応変に調理しては、ことごとく食べきってしまう。
 
よく、「中国人は四本足なら、机以外のものは何でも食べてしまう」と言うたとえ話がある。
 
実際、広東料理では蛇や猿、穿山甲(せんざんこう)、犬なども名物料理にしているほどである。
その広東料理の食材を調べてみたところ、150種の貝類、200種に及ぶ魚、15種の哺乳動物、80種の鳥類、25種の昆虫、100種を超える海藻類、多種の野菜や果物、穀類、豆類など実に1200余種に及ぶ材料があったという。
もしかしたら、わが日本人は、世界一なんでも食べる民族なのかもしれない。
 
その極めつけに、ナマコとホヤがある。
なまこは中国料理でも、乾燥したもの(イリコ)を使うことがあるが、ホヤと同様、生食するのは日本人だけだろう。
ナマコの肉は、コリコリとして歯応えがあるうえに、特有の匂いを持っているから、これを二杯酢か三杯酢で生食する。
 
珍食に貪欲な日本人は、得意の知恵を働かせ、そのナマコを肉身だけでは終わらせない。
腸(わた)をしごいて集めては、高級珍味の塩辛「このわた」を生み出し、さらに生殖巣を乾燥しては、よりいっそう珍味である「このこ」(「くちこ」ともいう)をつくりだす。
ホヤも、生食にして特有の風味を味わい、塩辛にも加工する。
 
一見、下手物風に見えるものまで好んで食べる日本人の食性の背景には、食糧不足から、必要に迫られて食した時代の履歴性もあるだろう。
 
しかし周囲を海に囲まれ、川の流れが美しく、四季が確実にまわってきて、口に合う食材が豊富にあること(例えば、日本近海で取れる食用エビだけで20種を超え、ウニの種類も18種ある)と、それらの食材を実に上手に食べる知恵と工夫を、日本人は伝統として持っていることなどを抜きにしては語れない。
 
蝗(いなご)などは佃煮が最も美味な食べ方だが、これは日本人にしかできない食法であり、同じくあのウツボや海ヘビ、ドジョウ、鉢の子、アンコウ、猛毒魚のフグまでも、上手に料理して食べきってしまうのには驚かされる。
 
 
 
● 卵三昧
 
今の日本人は、鶏卵をよく食べる。
一人当たりの年間消費量は、マヨネーズや製菓用などの業務用を含めると約16kgを超えるというから、アメリカや西ドイツと並んで、世界有数の鶏卵消費国なのである。
 
中世以前にあまり食べなかったのは、肉食同様の殺生感があったためだろう。
例えば、『日本霊異記(にほんりょういき)』(奈良時代)や『沙石集(しゃせきしゅう)』(平安時代)などには、卵を食べたため、恐ろしい報いを受けるといった話が記載されている。
 
日本ではじめて卵料理の本が出されたのは、江戸時代の寛永20年(1643)の『料理物語』で、そこには、実に手の込んだ料理法が記述されている。
 
「卵ふわふわ」という料理は、といた卵をダシ汁と煎酒(いりざけ)、たまりで調味して蒸したもの、「まきかまぼこ」は卵焼きに魚のすり身を塗って巻き、これを茹でたもの、「玉子はす」とは、今日の辛子蓮根のようなもので、といた卵黄を蓮根に流し込んで、蒸したものであった。
 
その後、天明五年(1785)には、卵料理の決定版ともいえる『卵百珍』が刊行されている。
 
ここには「牡丹(ぼたん)卵」(和紙に卵を割り、これを上手に包んで茹でると牡丹の花のようになる)、「利休卵(りきゅうたまど)」(白ごまと古酒を使った蒸し卵)などのほか、「沫雪卵(あわゆきたまご)」「更紗卵(さらさ卵)」など、誠に風流で手の込んだ卵料理が多数記述されている。
 
これらの卵料理には、卵の持つ食味や色などを、十分に生かすための知恵と工夫が随所に見られ、そこには、日本料理の真髄の一端すらもかいまみる思いがする。
 
しかし、いくら卵料理の本が出たといっても、卵は庶民にとっては高嶺の花で、一部の特権階級や裕福な商家などの食べものであったようだ。
庶民が食べられるようになったのは、明治時代に入ってからのことである。
 
昔の卵料理の知恵が、そのまま今日の食卓に伝わってきたものの代表に、茶碗蒸しと卵豆腐がある。
この両者は、卵の性質を実によく知り尽くした、気品のある料理である。
 
いずれも、卵のタンパク質を熱によって上手に固めたものだが、卵が水を包み込んで、全体を一様に軟らかく固める必要があり、そのうえ、口に入ると今度はなめらかに溶けるものをつくらなければならないから、やさしいようでコツがいる。
 
上手な固め方を科学的に見ると、卵の濃度がダシ汁に対して20〜25%(卵1個約50gに対しダシ汁150〜200ml)であって、蒸し器内部の温度が90℃のとき、椀の中の温度は約80℃となり、これが15〜20分間継続すれば、ちょうどよい固まり方をする。
 
卵が水を包み込んで、絹のごとき感覚の固まり方を引き出すには、ダシの量と温度加減がコツとなるわけである。
 
茶碗蒸しに至っては、去らに芸が細かい。
口に入れるとなめらかなほど優しい卵の感触に対して、ギンナン、鶏肉、クルマエビ、蒲鉾といった対照的な歯応えと、色彩豊かな具をわざわざ加える心にくさには、日本人があみだした日本料理の妙味が感じられる。
 
ほかに、厚焼きやだし巻き、魚のすり身を加えた伊達巻、さらに和菓子類にも卵は広く使われてきたが、卵大好きの日本人を象徴する例として、卵かけご飯、柳川鍋、卵丼、親子丼、カツ丼、卵でとじた蕎麦やうどん、かきたま、卵じめのように卵を気軽にかけてしまう食べ方が多いのに気づく。
こうすると、1個の卵が料理をいっそう粋にするから不思議である。
 
 
 
● 苦味もうま味のひとつです
 
日本人の味覚の基本は五味。すなわち「甘、辛、酸、苦、うま味」である。
その中の苦味は、待ちに待った春告げの味でもある。
 
蕗のとうや蕗、?の芽、独活、苦菜(にがな)、芹などは、苦味と芳香を合わせ持った春の山菜で、ほかに菜の花、土筆(つくし)、蕨(わらび)、薇(ぜんまい)、はこべ草、防風(ぼうふう)なども、快い苦味を供えていて舌を躍らせてくれる。
 
春以外の根菜でも、例えば、日本人の大好きな大根は、辛いだけでは味気ない。
そこに苦味があるから好まれるのだし、山葵もネギも同じこと。
また酸味の柚子や橙とてもそこに苦味を備えていなかったら、その持ち味は半減することになるのである。
 
これらの植物の苦味成分は、アルカロイドの一種ブルシンや、配糖体の一種ナリジン、ネオヘスペリジン、サポニンなどにもよるものだが、苦味は昔から食べて楽しむのみならず、薬用としての採られ方も多かった。
 
例えば、蕗の苦味について、江戸時代の『本草備要』には「五臓を益し、煩(はん)を除き、痰(たたん」端を消し、咳(せき)を治す」とある。
 
また、多くの食のことに関する古文書には、共通して「健胃、鎮咳、除痰、強壮」を苦味の薬効成分にあげており、千振(せんぶり)(千度振り出してもまだ苦いとの意味)などは、その代表とされている。
 
苦味の食べものを薬食いさせて、その効用を論じた江戸時代の古文書に『本草綱目啓蒙(ほんぞうこうもくけいもう)」がある。
例えば「木天蓼(マタタビ)」は苦い。その苦味は、健胃作用を持っているから、酒の肴に適している」とし、塩漬けにして酒席の箸休めに供したり、それを塩出しして、茶席の吸い物などに珍重されたりしている。
 
ちなみに、昔、旅人が険しい山間を通りかけたとき、空腹と疲労のため行き倒れ、手の届くところにあった木の実を食べたところ、まもなく生気を回復して再び旅を続けることができた(またたび)というのがその語源。
このまたたびに限らず、苦味を持った食材は、その持ち味を生かしたままの食べ方がほとんどである。
 
日本人の苦味の追求は、植物だけで終わらず、動物にも及んでいる。
鮎や焼きサンマの腸(わた)はもちろん、さざえや鮑(あわび)の腸に美味を求め、また健胃剤として、熊や鯉の胆のうは広く知られている。
肝(きも)と呼ばれるが、正しくは胆のうである。
 
日本人が毎日接している、なじみの苦味が緑茶である。
タンニンやカフェインが、その快い苦味を与えてくれる成分だが、うま味や甘味の成分であるテアニンや、渋みのカテキンなどとともに共存するから、いかにも日本人好みの嗜好物となって、この民族を代表する飲み物となっている。
 
心静かに人肌の湯で味と香りを飲む一煎、次にやや厚くして色を飲む二煎、三煎はさらに熱くして苦味を味わうお茶の醍醐味は、うれしい一服である。
 
たまには心を静めて、この茶の苦味を味わうのも、日本の男性と女性には必要というものである。
なぜかって、昔から「渋皮のむけたいい女」とか、「苦みばしったいい男」などというではありませんか。
 
失せてゆく 目刺の苦味 酒ふくむ  (虚子)

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001