あんな話 こんな話  105
 
小泉武夫著  サンケイ出版
『知恵の食事学』
より その18
 
第6章 食材利用は世界一  の3
 
 
● 鮮度を見抜く
 
さすがに世界一の魚食民族である。
漁獲高、消費量、食材とする魚介の種類、料理法や食し方の多彩など、いずれを見ても日本人は他国の民族を大きく引き離して、魚食民族の頂点に立っている。
 
魚に対してすべてがそうだから、食材とする魚の見分け方も、他の民族とは比較にならぬほど緻密で正確である。
食べごろを実によく心得ていて、旬を決めては、季節の美味な魚を食したり、魚の部分によって料理法を変え、実に上手に食べてしまう知恵と特技を持っている。
中でも、魚介の鮮度や脂ののり具合などを経験的に見分ける特技は天性の観がある。
 
早朝、午前4時過ぎの築地魚市場。
巨大なマグロは、尻尾を切り落とされてエラに差し込まれ、尾の部分は5センチほどが胴切りにされて開かれている。
小さなメモ用紙と懐中電灯を持った中卸商人たちが、100本近いマグロを1本ずつ丹念に見て歩く。
尾の肉質をしげしげと眺め、そこをひっかいては口に入れ、腹は懐中電灯で照らして脂ののり具合を確かめる。
 
セリの前のこの下見が、彼らにとっては正念場なのである。
全体にプリプリとした弾力があるか、尾の切り口の色が鮮明で光沢があるか、腹身には霜ふり状の脂がのっているかなどを経験と勘に頼って判断し、よいものだけを選び抜く。
仕事とはいえ、この下見の裏に秘めている奥義は、日本人だけの天性かもしれない。
 
マグロに限らず、肴の美味さは新鮮さにあるのだから、それを見抜くことが魚を扱う人たちの基本である。
 
魚の卵とて鮮度が必ずものをいう。
タラコを例にとっても、ピンからキリまで品があり、それぞれに味が異なるから、見分け次第で価値が変わってくる。
指で押すと程よい弾力があって、口の中でべとつかず、ねっとりとした甘味を持っている。
さらに、かじった時に、弾力感があり、形がよく、膜が薄い。
しかも、膜は傷ついたり破れたりしていないものと、そのポイントは細部にわたって決められている。
 
貝類の鮮度判断は面白い。
例えば、ホタテやハマグリの場合、殻付きで口の開いているものに、さっと指を差し込み、身に指が触れた瞬間、きゅっと力強く閉じ込むものを選ぶべきだとか、サザエは突起が多く、その突起の長いものは荒磯育ちで、肉が締まって美味だが、突起があまりないものは、ゴロンボといって味が落ちるから注意せよなどである。
 
生魚の鮮度を見分けるだけでは収まらず、加工した製品が美味か不味かさえも、察知してしまうのも日本人である。
 
例えば、アジの干物。
光沢がよく、弾力があって、腹部を中心としたところが脂で白っぽく輝いているものが美味であるとか、塩辛は、ネットリしていて水気が少なく、全体に光沢があって、匂いに浮き立つ生臭みがないものとか、カラスミはどうかとか、鰹節はこうだとか、およそ加工魚に関するすべてのものに、それに合った見分け方を持っているから感心させられる。
 
店頭に並んでいる魚が新鮮か古いかを、素人が判断する方法を次に紹介するが、このような条件を満たしている魚は新鮮で美味である。
 
@ 体の色が鮮やかで、光沢があるもの。
A 目が清く、済んでいるもの。
B エラを開けてみて、赤みが強いもの。
C 体を指先で押してみて、へこまず、かえってはね返ってくるもの。
D 腹ワタが露出していないもの。
E 頭を持って魚態を水平にした時、体が硬くて曲がりにくいもの。
F ウロコがはげ落ちていないもの。
G 不快な匂いがしないもの。
 
 
 
● 葷酒(くんしゅ)、口に入るのを大いに許す
 
禅寺の入り口に「不許薫酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)」と石に刻んだ戒(いまし)めをよくみる。
 
薫(くん)はネギ、ニンニク、ニラのような臭い匂いのある野菜のことで、このようなものは、不浄であり、また酒は浄念を乱すため、それらを口にしたものや、持ったものは、清浄なる寺門内に入ることを許さない、と戒めているものである。
 
だが日本人は、仏門外では薫物(くんもつ)を実によく食べるし、その特性を知り尽くしていて、上手な料理の方法を持っている。
 
その中で、最も多い消費量を持っているのがネギ(葱)類である。
ネギの原産地はシベリアとされるが、これを自国のものとして、毎日の料理に欠かすことのできぬ存在に育て上げてきたのは日本人である。
 
中国には、周代(紀元前2世紀ごろ)の『爾雅(じが)』にネギのことを「本白く末青し」と記載しているが、今日では、その消費量は日本の足元にも及ばない。
また、ヨーロッパでもサラダの香辛料として、少量栽培された程度である。
 
わが国では『日本書紀』に「秋葱(あき)」の記載があり、天皇即位の大嘗かい(だいじょうえ)には神饌(しんせん)のひとつとして供されている。
 
ネギを日本人が古くから大切に育ててきた理由のひとつには、知恵深い計算があった。
ネギの成分には、消化液の分泌を促進し、胃腸を整え、神経の衰弱や不眠に効き、寄生虫を去り、発汗効果があるから、風の妙薬になるなど、さまざまな薬効を体験的に知っていて、これを、薬食いにしてきたのである。
 
ネギ類(ユリ科の属する多年生草本)の仲間には、長ネギ、分葱(わけぎ)、浅葱(あさつき)、韮(ニラ)などがあるが、これらにはいずれも、共通した特有の匂いがある。
 
あの匂いの成分は、メチルアリルを主体とし、これにメチルスルフィッド、メチルメルカプタンなどが混在したものである。
 
日本人はこの匂いをも料理に上手に生かしきっている。
生のまま刻んで麺類や鍋物の薬味とすると、その匂いと辛味が実によく合う。
魚や肉の生臭みを消すのにもネギの匂いは大変よく効くから煮物の常顔とされる。
また純白と浅緑の色は、細かく切って、吸い物や、天盛り、つまなどにのせると、素朴な色調が実によく似合う。
 
ほかに酢味噌のぬた、肉との串焼き、汁の実、炒め物とその用途には枚挙にいとまがない。
 
長ねぎは関東では、下仁田葱、千住葱、深谷葱が、また京阪で九条葱が有名で、日常の鍋物や炒め物に最も多く使われている。
 
江戸時代の『料理物語』に、「ねぶか(ねぎのこと)汁、味噌を濃うしてダシ加え一塩の鯛を入れてよし、すましにも仕立て候」とあるのは、長ネギは、味噌によく調和するとともに、併用する他の食材(この場合は魚)の生臭みを消すのにもよく効くことを教えている。
 
分葱は、「根元が多くの株に分かれたネギ」と言う意味で、この名がついた。
長ネギほど強い香りはなく、落ち着いた匂いの上にやや甘味のある洒落た葱である。
香味のよさを身上とするから、茹でて食するときには、茹ですぎが禁物で、過ぎるとヘタヘタと流体状になって匂いも変わってしまう。
 
浅葱は糸葱ともいい、春の日当たりよい土手などにヒョロヒョロと伸びている。
ラッキョウを小さくしたような白い玉を茎根とし、生のまま味噌をつけて食べると、強い香味が口中に広がる。
 
韮は特有の匂いの中に、甘みを秘めたネギで、料理になってからの匂いは、誰も魅了せずにはおかない。
特に獣肉臭を消すのには、てき面の効果を発するので、レバーのようなものと炒められる。
 
このように日本人は、ネギ類の持つ味、色、香りを実によく知り尽くし、これを理にかなった方法で食べてしまう知恵を持っている。
 
根深堀 ひとすぢの香を 土中より  (麦青)
 
 
 
● 日本人と香辛料
 
「日本人の食事は常に清潔にして且つ美をつくせり」
これは室町時代末期に渡来したヨーロッパ人ジーン・クラッセ(イエズス会)が日本人の食生活をみて、その感想を書き残した一節(『日本の西教史』)1689年)である。
また、同じく、ルイス・フローエスも「食事は節制し、常食は米及び野菜にして、海辺に住む者は魚を食す。彼らは二本の小さき棒を使って食し、食物に手を触れることを不潔なりとす」と、本国に手紙を書いている。
 
日本は、世界の気象から見れば湿度がかなり高いところであり、冬季を除くと、年中の大半が、常に食中毒に注意を払わなければならない風土である。
そのうえ昔は、下水道や上水道があったわけでもなく、そのような環境に住む民族であったからこそ、自らの身を守るために、食の方法は清潔であったのだろう。
 
このような日本国の食事上にあって、この国特有の香辛料の存在は大きかった。
単に調味としての味付けや香り付けだけでなく、防腐の効果や殺菌剤としての効用を持った香辛料が、かなり多いからである。『和名抄』(わが国最古の分類体の漢和辞書。931〜938年)には「魚の生食には、香辛料の使用は必須である」との記述がある。
 
昔から日本人がし刺身を食べるのに、山葵や生姜、蓼(たで)、芥子菜(からしな)などをおろし、これを薬味としてつけて食べたり、酢でしめて食べたりしたのも、ひとつには殺菌・消毒の作用を期待しての衛生上の知恵であったようだ。
現にこれらの香辛料には、それぞれに殺菌効果を持った成分の存在が確認されている。
 
わが国原産の香辛料といえば、その代表が山葵である。
平安時代の『延喜式』には、若狭、越前、因幡、飛騨、丹後、但馬の諸国から山葵が貢納されたことが記されており、すでに9〜10世紀には、野生のものを採取してきて食していたし、16世紀には栽培も行われだした。
 
江戸時代の『草木六部耕種法』によると、一反当りの収益が稲一両二分に対し、山葵十五両とあり、当時から非常に高価なものであったようだ。
 
山葵の食され方だが、鎌倉時代の『厨事類記』には「汁の実」にするとあり、当時は煮たものも食していた。
だが大半は生食で、山葵をすりおろす「山葵おろし」はそれ以前からあったし、おろした山葵は酢にとかし、醤油と合わせて刺し身に使っていた。
 
おろすことにより特有の辛味が生じることを体験的に知っていたから、刺し身のほか、鮨、蕎麦、茶漬け、蒲鉾などの香辛料として不可欠なものとして珍重したのである。
 
辛味だけでなく、特有のツンとくるにおいと鮮やかな緑の色は、まさに日本料理と一体となった香辛料なのである。
生のまま生きた香辛料をすりおろして、その場で味わってしまうほど贅沢な味わい方をする民族は、世界の中でも日本人ぐらいなものである。
 
山葵とともに有名な日本原産の香辛料といえば山椒がある。
ピリリと辛くて美しいほどの芳香。
英名ではこれをジャパニーズ・ペッパー(ペッパーとはコショウのこと)と呼ぶほど準日本的香辛料で、すでに、縄文時代の出土器にこの種子がついていたことから、相当古い時代から香辛料として使っていたようだ。
 
奈良時代には、今日のように煮物や漬物に山椒の実を使って、香辛料としてのみならず、日持ちを長くさせるといった知恵まで発揮していた。
 
山椒は薬効成分としても名が高く「悪気を下し、宿食を治し、胸郭(きょうかく)をゆるめ、虫積(ちゅうせき)をおい、肺を温め、胃を健す」として薬食いされたが、同時に「解毒、殺菌、防腐に効あり」とする古文書も多い。
 
日本人は大昔から、目に見えない有害な微生物を、香辛料という華やかで価値のある嗜好物を使って退治する知恵を持っていたのである。
 
 
 
● 花の食材
 
日本は年間を通して花が絶えることはない。
花の生命が奔出する花らんまんの春、百花りょうらんの夏、千草の花競演の秋、満月荒涼の中に萌える冬の花。
 
山紫水明にして正確にめぐり来る四季を抱いたこのすばらしい国・日本には、驚くべき種類の花が咲きほこり、それを日本人は大切に愛し続けて育ててきた。
花を見て心を和め、その「心」から風雅の道として花を生ける芸術まで生んだ。
 
さて、その花を日本人は昔から食べて重宝する知恵を持っていた。
世界の民族の中で、花を食材のひとつとして実に上手に、そして理にかなった方法で食べてしまう民族は、おそらく日本人の右に出るものはないと思ってよい。
 
日本人の花食いは、大昔からのことである。
花を食べることが、健康によいということを体験的に知りだしたのは、相当古い時代からのことで、おそらく縄文以前からのことであろう。
 
野菊はもちろん、タンポポ、スミレ、ツバキやボタンの花まで食べた。
花粉や蕾にはさまざまな微量成分、とりわけリンや鉄、マグネシウム、カルシウム、カリウムのようなミネラル類や、ビタミンB群、ビタミンC、ビタミンKなどのビタミン類が豊富に含まれている。
 
このため花を食することは、当時の粗末な食生活の中にあって、貴重な活源のひとつともなっていたのだ。
 
そのような花の食を通して、日本人は食べられる花と毒の花、美味な花と不味な花、体のためによい花と食べ過ぎると体に良くない花などを、正確に区別して来た。
そして、その使い道にも、実に理にかなった多様性を持っている。
 
花を食うといえば、その代表が菊(これを茹でるときは、熱湯に入れないで、最初から水と一緒に鍋に入れて、火にかけ、ひとふきしたらザルにあげ、水に冷やしてしぼり、三杯酢につけると、色が冴えて歯ざわりもよく美味)。
 
菊は平安時代の『延喜式』の「典薬寮」の条の中にも記載があるように、薬餌として重宝され、重陽説(陰暦9月9日の菊の節句)には菊酒として延命の縁起酒にもなっている。
酢のもの、浸しもの、和えもの、添えもの、汁の実など多彩に賞味される。
 
日本の花料理は、菊以外にもたくさんある。
ナズナの花を茹でて胡麻和えにしたもの、京洛の代表漬け物のひとつといえば菜の花漬け。
梅干しとともに酒と醤油で煮つめた蕗のとうは、絶妙の苦味さと芳香を楽しませるばかりでなく、胃腸のも大変よい。
 
また八重桜の花の塩漬けは、サクラ湯やあんパンに使われ、花山椒や花柚子の小さくもかれんな花弁は吸口(すいくち)にうれしく、紫蘇の花、キュウリの花、小菊、蓼(たで)などは刺し身のつまに重宝される。
 
このような日本人の花食いの裏には、理にかなった知恵が随所に隠されている。
まず第一に薬効。
桃の花や蕾は利尿に、菊は心の安らぎに、辛夷(こぶし)は鼻の病や泌尿器系の病に、蕗のとうは健胃や鎮咳に、マタタビの蕾は疲労回復にと、大半の花はそれぞれに薬効を持つ。
 
そして第二は食味。
ツツジやサツキの花びらの酸味、蕗のとうや菜の花の苦味、花山椒の辛味、桜花や梅の蕾の渋味など、花には五味の一覚も宿る。
第三が匂いとしての脇役者。
菊、桜、柚子、紫蘇の花々などには、野趣あふれる自然の快香があって、実にうれしい。
 
そして第四は視覚への貢献。
純白なゆずの花は五弁の球形、山葵の花は表白色の十字花。
これらを吸い物に浮かせて吸口としたり、桜や桃の花を、酒や湯に浮かせて、その色ごと飲んだり、色とりどりの花弁の小さき花々を料理に添えたりするのを見たりするとき、思わず日本料理の粋の神髄をかいまみたような気がして心和む。
 
蝶も来て 酢を吸う菊の 酢合へかな  (芭蕉)
 

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001