あんな話 こんな話  106
 
小泉武夫著  サンケイ出版
『知恵の食事学』
より その19
 
第6章 食材利用は世界一  の4
 
 
● キノコ王国の伝統
 
日本は山紫水明の国であるから、山や川、海にはさまざまな美味なものが自然にわきでてくる。
秋の味覚の代表であるキノコも、わが国では実に古い時代から食べられてきた自然食品のひとつである。
 
日本は四季がはっきりしていて、規則正しく春夏秋冬が来るうえに、世界の平均雨量の約1.8倍も雨の多い多湿の気候であるから、この風土条件は、世界一のキノコ王国を誕生させた。
 
クヌギ、コナラ、エゴノキ、アカシア、アカマツ、カラマツ、ブナ、ミズナラ、シイ、カシなどの雑木林や松林が列島を縦断しており、キノコの生育しやすい豊かな土壌が日本を包み込んでいるのである。
 
そのため、日本に生育するキノコの種類は圧倒的に多く、実に4000種もあるといわれており、食用とされているものだけでも約180種ある。
 
『日本書紀』の仲哀天皇の条に栗茸狩りの記載があるから、すでに大昔からキノコ狩りは日本人の秋の楽しみの一つであったようだ。
松茸、椎茸、クリタケ、シメジ類、ハツタケ、マイタケ、ナラタケ、ナメコ、エノキタケなど、味や香りが大変上品なのも、日本のきのこの特徴である。
 
日本人のキノコ食には歴史と伝統があるから、その栽培や料理、加工などにも数々の知恵がある。
 
まず栽培方法。
世界に先駆けて慶安3年(1650)ごろには、すでに椎茸の榾木(ほたぎ)栽培が今の大分県、宮崎県、三重県、静岡県で行われている。
 
昭和10年(1935)ころからは、種菌を摂取しての椎茸の人工栽培も始まったが、このころから同時に椎茸以外のキノコについても人工栽培の研究が行われだし、その成果は今日、エノキタケ、ナメコ、ハツタケ、マイタケ、シメジなど20数種近いきのこが、オガクズや人工床で栽培されているのを見てもよくわかる。
 
多種類のキノコを、このような手法により多量に生産している技術力は、世界でもわが国が断然トップである。
 
日本人のキノコ保存法も優れている。
しいたけは天日で乾燥して栄養価値まで増加して保存し、クリタケやシメジは塩漬けにされて保存され、食べたいときに塩出しして使われる。
なめこは缶につめられて半永久的に保存でき、松茸や椎茸、シメジは佃煮にしても長く保存が効くから、即席の飯のおかずや酒の肴として、大いに重宝されている。
 
料理の仕方に至っては、もういかなる国にもその追随を許さない。
松茸は、その香味を決して逃すことのない調理法でことごとく賞味するし、飯とよくあうキノコは炊き込みご飯として味わい、吸い物に似合うものは上品な椀物として喜ばれ、脂に負けぬ味のものはてんぷらにもする。
 
このように日本人は昔から、キノコを生食、焼く、煮る、蒸す、炊く、揚げる、和える、茹でる、炒めるなど、あらゆる調理法によって、それぞれのキノコの持ち味を生かす料理の知恵を持っている。
 
キノコを3〜5年間保存する法
キノコをていねいに水で洗った後、茹でる。
茹で上がったらキノコと同量くらいの塩を用意して樽に漬け込む。
樽に蓋をして軽く重石を乗せ、そのまま保存しておく。
食べる時は十分に塩出しをし、大根おろしを上にかけて供したり、汁物に使う。
 
 
 
● 上手に鱈(たら)を食う話
 
真冬の津軽で、数年前に食べた「ジャッパ汁」という野性味あふれる大鍋料理には、度肝を抜かれたが、舌鼓も打ったものである。
たらの頭や骨、内臓、白子などを凍り豆腐、大根、ネギなどとともに煮込んだアラ汁なのだが、そのコクのある味と、体の底から温まる熱汁には感激したものだ。
 
魚扁に雪を書いて「鱈」。
文字通り雪の降る冬季が最も美味で、魚食民族日本人が大昔からことのほか好んできた魚のひとつである。
 
日本人にとって重要食用魚である鱈にはマダラ、スケトウタラ、コマイ、ソコダラ、キジタラ、ヒゲダラなどの種類があるが、主として食料用に大量消費されているのはマダラとスケトウダラである。
 
マダラは大きな頭と口を持った体長1メートルもある魚で、巨漢である。
水深150mから200mの岩礁や砂泥底に住み、普通はあまり活発な行動はしない。
東北以北の北洋、北の日本海、アラスカ、北アメリカに分布している北方の魚である。
 
繁殖期は12月末から2月ごろまでで、産卵のため浅海に群雄してくるころが猟期であり、味の旬でもある。
 
一方、マダラに比べて細身のスケトウは、水深200〜300mに生息しており、太平洋には少ないが、日本海では山口県以北、北洋、ベーリング海、北アメリカに多く分布している。
 
各国の200海里経済水域宣言以来、その漁獲量は年々減少し、双方の鱈とも以前に比べると非常に高価な魚となってしまった。
 
さて、日本人の鱈の食法にはまったく驚かされる。
身はもちろんだが、皮も内臓も卵も、ほとんどといってもよいほど食べてしまう。
肝臓は脂肪、タンパク質、ビタミン類に富み、白子には特殊なタンパク質や強壮源を多く含むことから精が出ると、肉以上に内臓を大切にする地方もある。
 
胃袋、頭、骨、皮はアラ汁に、卵は煮付けにと、日本人はこの魚の持つ調理上の特性をよく知り抜いていて、感心するほど多くの料理法で食べきってしまう。
鱈ちり、寄せ鍋、吸い物などに向くのは、豆腐と昆布に極めて味の調和が良いからで、特に昆布とたらの相性は格別で、そのすまし汁である「鱈昆布」は、食の極致といった感さえある。
 
また、白身で淡白なこの魚は、酒粕とは「阿吽の呼吸」といった感覚すら感じさせ、多くの食通にいわせれば、「鱈の粕漬けは、鯛の粕漬けに勝る」のだそうである。
身をほぐして「そぼろ」や「おぼろ」「でんぷ」も鱈食法の知られたる一面である。
 
マダラの卵巣は、生鮮のまま「本たらこ」として市販され、煮つけや佃煮にして重宝されるが、スケトウタラの卵巣は塩蔵され、赤く着色して「たらこ」、あるいは「もみじこ」として広く利用されている。
またこれに唐辛子を添加して「明太子」としての人気も高い。
 
日本人の鱈の食べ方には、まだほかにもいくつかの知恵を見ることができる。
開いてから塩をして干した「塩タラ」や、煮干しに舌「棒鱈」は保存食品として重宝される。
米のとぎ汁などにつけて軟らかく戻したものを、煮物の材料に用いたりするが、中でも京都の「イモ棒」はつとに有名である。
 
スケトウ鱈のすり身は、練り製品の最も重要な原料となって、全国的に広く使われている。
中でもかまぼこの原料となっていることは有名な話だ。
しかし、最近は北方海域での200海里漁業権問題の水揚げは大幅に下がり、鱈好きの日本人をガッカリさせている。
 
鱈うまき 季節の越の 海なれる  (花風)
 
 
 
● 海の畑で魚の栽培
 
それまで、外国の200カイリ水域内で自在に創業してきた日本の遠洋漁業は、沿岸各国の経済水域宣言によって、ついに1977年からその地域からの撤退を余儀なくされ、漁獲高の大幅な減少となった。
「この先一体どうなるのだろう」「魚はもう高くて食べられなくなるのではないか」などと、日本人のだれもが深刻に心配してもう10年になった。
 
10年一昔とはいえ、確かにこの間、魚食事情はすっかり変わった感がある。
全般的に魚の値段はかなり高くなり、美味なカニなどはなかなか手も出せず、ニシンやハタハタも大衆魚ではなくなり、蒲鉾の主原料であるスケトウダラの漁獲も大幅に減って、関連業者はため息の毎日である。
 
「これではいかん、何とかして魚を確保し、世界一の魚食民族の食卓を豊かにしたい」。
その当時、水産関係者や漁業関係者は直ちにその対策に乗り出し、日本の周辺の200カイリ内の資源を再開発ないしは増大させ、そこに魚を「栽培」できないものかと、さまざまな研究を開始したものである。
 
魚類は、一匹の親の生み出す稚魚の数は鰻で約3000万粒、ヒラメが40万粒、マダイ50万粒、クルマエビ40万粒、ブリ500万粒というように魚によって異なる。
そして産み落とされたそれらの卵や稚魚は、2週間以内に他の魚の餌となって95%以上は滅耗してしまう。
 
それではいっそのこと、外敵のいない好環境の下で、食性にあった餌を与えて育て続け、他の魚に食害されない程度の大きさになってから海に放流すれば、後は海の持っている自然の力で成長する。
これが栽培漁業。
 
一方、自然の海に放さずそのまま生簀(いけす)の内で育てるのは養殖である。
日本人はこの2つの方法を、水産王国の面子にかけて研究してきたおかげで、今日では世界一の「つくり育てる漁業王国」となった。
 
ところで、このように日本人が養殖や栽培漁業の技術にたけているのは、四方を海に囲まれ、恵まれた海洋国の中にあって、魚介類を人工的に育て上げる方法を伝統的に持っていたからである。
 
例えば、今から300年以上も前の延宝元年(1673)、小林五郎左衛門がすでに広島湾の海中に竹?(たけひび)(海中の干潟に立てた枝つきの竹)を立てて、そこにカキの稚貝を付着させ養殖を開始していること、また、同じ延宝年間、今の東京湾大森付近で、のりの養殖もすでに始まっていたこと,さらには、観賞用の鯉も,相当古い時代からすでに繁殖とすばらしい品種づくりのための選択に入っていたことなどが上げられる。
 
これら秘伝は、明治時代に入ると、一挙に開花して、鰻、鮎、鮭、ニジマスがまず人工孵化されて放流され、その後大正、昭和時代に入ってブリ(ハマチ)、クルマエビ、ホタテガイなどが養殖に成功し、今日では、鯛やヒラメ、鮑、トラフグなど、多くの魚介類が日本人の手によって栽培、飼育、放流、養殖されているのである。
 
この巧妙な育成漁業の感覚は、これまでの長い伝統と、それにはぐくまれた知識からの知恵に宿ると考えてよいだろう。
 
ここまで到達できた裏には、餌の問題、病気の対策、繁殖法の確立など、それこそ涙ぐましい努力があったに違いない。
しかし、やはりここ一番というときに発揮する日本人の優秀さは大したものである。
 
私たちの食卓にのぼるクルマエビを例にとって見よう。1970年460トンまで減った瀬戸内海の水揚げ高は、1970年以降、毎年2億匹前後の栽培種苗を放流した結果、5年後の1975年には1240トンにも達し、その後も好調で、放流による効果は顕著であるといえる。
 
こうしてマダイ、ヒラメなども同じく大きな効果をあげているが、おそらく今後、この栽培漁業は、研究次第では寒い北の海でもいっそう成功して、日本の食卓が自給自足の魚で賄(まかな)われるのも夢ではないようだ。
 
 
 
● 多彩な鋳物食文化
 
多年生の植物の根または根茎が、翌年の成育に備えてデンプンや他の多糖類などを貯蔵して肥大しているものをイモ(芋)という。
 
サツマイモやヤマイモのようなものは根が肥大したものであり、ジャガイモ、サトイモ、コンニャクイモなどは、根茎が肥大したものである。
 
イモは人間にとって、最も付き合いの歴史が長い植物であって、地球上のいかなる民族の祖先も、原子の時代からイモにはことのほか世話になってきた。
今日でもイモを口にしない民族など探し出すのに苦労する。
 
日本では古くからサトイモが主であって、ほかにヤマイモ、トロロイモ、クワイなどが食べられてきた。
だから、日本には、古くからサトイモをめぐる民族風習(イモ正月や、さまざまな農耕儀礼でのサトイモの登場など)が、日本全国津々浦々に驚くほど多い。
 
一方サツマイモは日本では比較的新しい食材で、慶長2年(1597)、宮古島に入った後、17世紀に薩摩、長崎に伝わり、主として南九州で徐々に広まった。
江戸時代の享保20年(1735)、青木昆陽が江戸に導入したのは有名な話で、その後は関東や西日本に広がった。
 
ジャガイモの日本伝来は江戸初期とする説があり、ジャガトラ(現在のインドネシアのジャカルタ)からオランダ船によって伝えられたので、ジャガトライモがジャガイモになったという。
 
宝永3年(1706)に北海道の瀬棚で、また明和年間(1764〜1772)に甲斐(山梨県)での栽培の記録が残っている。
 
さて、サツマイモもジャガイモも、日本に入ってきて大いに発達した。
個体が大きいわりに多収穫であり、デンプンの含有量も多く、救荒用として適していたからである。
 
明治時代に入ると、日本人の得意の知恵はまず品種改良に注ぎ込まれた。
欧米品種を基にして、さまざまな方法によって改良し、日本の風土に適した品種を次々に作り上げていった。
今日わが国にあるイモ類の品種の多くは、この国で改良されて育った、日本の血の濃いものばかりである。
 
さて日本人は、イモを実にさまざまな加工法や調理法でものの見事に利用しきってしまう知恵を持っている。
おそらく、イモ食を通して、イモの扱い方の多様さといったら、世界の民族の中でも、日本人はその筆頭であるといってもよいだろう。
 
例えばイモの生食。
イモを生で食べる民族はまれといってよいが、日本ではヤマイモとトロロイモをおろして、これをご飯にかけたり、生のマグロをぶつ切りにしてこれに山かけしたりする。
 
また、皮をむいたサトイモ、ヤマイモをたんざくに刻み、三杯巣で生食するのも淡白で歯切れがよく、珍重される。
ましてや、蒟蒻のように、主成分のマンナンを弾力ある歯ざわりにしてから味わうなどは、日本人の独創である。
 
サトイモの含め煮、うま煮、イモ棒(サトイモと棒タラの合わせ煮)、昆布巻きなど、精進性を持たせたこれらの料理は、このイモの性状を実によくわきまえたうえでの料理法であって、日本のイモ料理の原点に位置する。
 
ヤマイモやトロロイモは古来「山薬」というほど薬食いとしても珍重してきた。
おろして生食のほか、煮たり蒸したりして、椀種や一品料理に使う以外に、乾燥して粉末とし、蕎麦のつなぎ、半片や菓子などの製造に使ったりする。
 
サツマイモに至っては実に多くの方法で調理してしまう。
焼き芋、西京焼き、金団、飴に、てんぷら、あめ煮、干しイモ、焼酎、酢などはそのほんの一例。
 
そしてジャガイモもそうである。
煮物として醤油によく合い、つぶしてのコロッケは、まことに日本的洋食となってしまう。
日本人のイモの食べ方は、まことにご立派だというほかはない。
 
最近、飽食の時代といわれる中にあって、イモの繊維は腸の働きをよくするとか、蒟蒻やトロロイモはダイエットによいとか見直されてきている。
 
どうやらいつの世でも日本人は、とことん栄養摂取に利用する知恵を持つだけでなく、必要とあれば、それらの食材を健康に結びつけるといった、まったく別の角度からの利用価値で摂取する知恵を持っているようだ。
 
おわり
 

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001