あんな話 こんな話  113
 
幕内秀夫著  PHP新書
『健康食』のうそ
より その7
 
第2章 危ない「一品健康食ブーム」 の5
 
● 高価なサプリメントに効果はあるの?
 
?答え? どちらともいえない
サプリメントのなかには、「これさえ飲めば不足している栄養素がすべて補えます」と謳っているものがあります。
外食が多い人は惹かれるようですが、この謳い文句はまったくのデタラメです。
 
なぜなら人間が生きていくために必要な栄養素が何種類あるか、いまだに解明されていないからです。
どの栄養素がどれほど必要なのかとなると、サッパリわかりません。
 
ビタミン、カルシウム、鉄分といったおなじみの栄誉素さえ、一つひとつの必要量がどのくらいなのか判明していないのです。
 
それなのに、「不足している栄養素」がどうしてわかるのでしょう。
何を基準に「補える」というのでしょう。
種類も量もわからないのですから、補いようがありません。
 
こうしたデタラメ商品は論外としても、サプリメントを過度に服用しているせいで、何らかの服作用が出ている人がいないとも限りません。
また、飲んで見違えるほどの効果があったとしたら、それはもはや「栄養補助食品」とはいえません。
「薬」そのものです。
薬と毒は紙一重ですから、むしろ危険なこともあるかもしれません。
 
それにしても、これまでに流行したサプリメントは、いったいどのくらいあったのでしょうか。
クマザサ、ウコン、亜鉛、プロポリス、シルクアミノ酸、サメ軟膏エキス、ヒアルロンサン、グルコサミン・・・・・・数え上げたらきりがありません。
 
最近では、「飲むコラーゲン」と「ごまセサミン」がはやっているそうです。
コラーゲンはタンパク質の一種で、要はゼラチンのこと。
煮こごりのような、プルプルした食べ物に多く含まれています。
ですからコラーゲンを飲めば、お肌もプルプルになるというのは、たんなるイメージに過ぎません。
 
「ごまセサミン」は、乾物屋でごまを売っても儲からないけれど、ごまから抽出したセサミンを「健康」に結びつければ高く売れる、との発想から生まれたのではないかと推測します。
大手メーカーが有名人を使ってPRしているので、ブームはしばらく続くかもしれませんが、数年たてばだれも覚えていないでしょう。
 
ただし、まったく効き目がないわけではありません、
このような健康食品をとると、多少とも体の調子がよくなったり、お肌が若返ったりする人が必ずいるのです。
 
これを「プラセボ(偽薬)効果」といいます。
薬ではないものでも、薬だと信じて飲めば、気のもちようで、何らかの改善が見られることを指します。
 
その典型は「スッポンエキス」の類でしょう。
男性の下半身には気のもちようがはっきり出るので、プラセボ効果も大きいといわれます。
それも、奇妙なものほど効くようなのです。
 
徳川家康は「海狗腎」という名の、オットセイのペニスを乾燥させて粉にしたものを、さまざまな生薬と調合して服用していたそうです。
生涯に11男5女をもうけ、そのうち4人は60代になってからの子でした。
むろん、お相手は若い側室。
「海狗腎」のプラセボ効果とあいまって、元気になる度合いは2倍にも3倍にもなったはずである。
 
この手の薬は、値段がべらぼうに高いとか、極めて入手困難といった要素が加わるほど、消費者の気持ちが動いてプラセボ効果が高まることも多いようです。
1本1000円の精力剤では、あまり効き目は期待できないということでしょうか。
 
 
むかしの中国の物語には、不老長寿の秘薬を求めて3000里の旅をしたとか、断崖絶壁にぶら下がったり、海の底に潜ったりしてようやく手に入れたとか、王様から頂戴したという話があります。
裏庭で拾ったとか、近所のおばさんからもらったなんていう話ではありません。
「苦労に苦労を重ねて手に入れた」と言うプロセスが高まるほど、効き目があると思われていたのです。
 
こうした事情は、通販で扱われている食品やサプリメントもまったく同じようです。
『通販のしくみ』〈中村あつこ著/日本実業出版社〉という本によると、商品の生い立ちにかかわる「由来物語」が売れ行きを左右するとされます。
 
たとえば、「膝が痛くて正座できなくなった妻のために、グルコサミンのサプリメントを」開発しました」とか、「このきのこは、山に入って熊に襲われながらとってきたものです」といった物語をつけるほど、消費者の心を捉えて購買意欲をそそるのだそうです。
 
それくらい、人間というのは気持ちは占める部分が大きいのですね。
「一品健康法」を語るときの難しさも、そこにあります。
プラセボ効果、つまり気のもちようといった部分が必ず存在するからです。
 
私が尊敬するアリゾナ医科大学の教授アンドルー・ワイド教授は、『人はなぜ治るのか』(上野圭一教授/日本教文社)のなかで、こう述べています。
 
「明敏な学者は、医学の歴史が実はプラセボの歴史であることを見抜いている。私も同感だ」
 
私がこのことを強烈に実感したのは、「飲尿療法」を実践したときでした。
 
 
● 「飲尿療法」は本当に効いたのか?
 
過去20数年間で最大の話題になった「一品健康法」こそ飲尿療法だとおもいます。
 
平成2年(1990)、ある健康雑誌にこれが紹介されるや、たちまち大反響を巻き起こし、あれほどのブームになったことは、いかに多くの人達が検査と薬漬けの医療に疑問をもちはじめているかを期せずして証明することになりました。
 
飲尿療法について、私はかなり前から耳にしていましたが、そのときは、「また例によって話題性で売ろうとするものが出たな」くらいにしか考えていませんでした。
 
ところがその後、余命数ヶ月と宣告されたにもかかわらず、実際に生き生きとしている末期がんの患者さんと出会い、その方が飲尿療法を実践していることを知りました。
また、10数年も続いていた胃潰瘍の痛みが、尿を1回飲んだだけで治ってしまったと語る患者さんにも出会いました。
 
それでもまだ「本当かな?」と疑問をもっていました。
飲尿療法を紹介する本を何雑も読みましたが、いくら読んでも、なぜ排泄物がからだによいのかわかりません。
でも、尿を飲んで治ったといっている人達がいるのは事実。
しかも、誰かが儲けているわけでもありません。
 
「尿を飲むのは食事療法といえるのか?」との疑問もありましたが、とにかく経験してみようと考え、飲尿療法を実験してみました。
 
飲尿療法は、毎朝、尿をコップに1杯とって一気に飲み、すぐさま水を飲むというものです。
ただそれだけの、じつに簡単なことなのですが、前の晩は夢にうなされました。
そして当日の朝、自分の尿が入ったコップを手にして、じっと考え込んでしまいました。
 
こういうのを、清水の舞台から飛び降りる心境というのでしょうか。
意を決して飲んだ瞬間、嗚咽が起きて吐き出しそうになり、涙が止まらなくなりました。
 
「良薬は口に苦し」どころの話ではありません。
尿のにおいの強いこと、塩気の強いことに、驚愕してしまいました。
 
その日は電車に乗っていても、揺れるたびに嗚咽がこみ上げてきましたが、吐くまでにはいたりませんでした。
翌日も、その翌日も同じでした。
そんな日が続くうちに、両膝の裏側が湿疹だらけになっていることに気づきました。
 
結局、半年あまり実践しましたが、「朝が怖い」というのが偽らざる実感で、慣れることはありませんでした。
中止した理由は、ある人から「たしかに動物は自分のウンコは食べることはあるが、尿はコップが必要だから飲めない。動物がやっていないことは自然ではない」と言われたからです。
 
飲尿療法を実践してみても、結論らしきものは何も見出せんでした。
かゆくてしかたなかった湿疹が、尿を飲んだことによってできたのは明らかでしたが、それがよい意味での反応だったのか、悪いものを飲んだために出た反応だったのかも、およそわかりませんでした。
半年で結論を出そうとすることが無理だったのかもしれません。
 
ただ、飲尿療法を提唱している先生方が、お金儲けのためにやっているのではないことはわかりました。
自分の尿を呑むだけなのですから、お金を取ろうにも取れません。
多少なりとも儲けにつながっているように見えたのは、この療法にかかわっていた業者が、金(多分メッキ)のコップを売っていたことだけ。
そこらへんにあるプラスチックのコップでは、あんまりだと考えたのでしょう。
 
飲用療法は私にとって、かなりの精神的プレッシャーになりました。
それまでの人生のなかで、嘔吐が起きて涙が止まらないほどのショックを受けた経験などなかったからです。
 
尿を飲んで病気が治った人や、症状が和らいだという人がいるという事実は、こうした精神面での影響が非常に大きいのではないかと思います。
尿そのものに含まれている成分がどうであれ、自分の排泄物を飲んでまでして病気を治そうとする強い気持ち、勇気、信念、忍耐こそ、飲尿療法という極めて特殊な療法の意味があるのではないか、と私は考えています。
 
アンドール・ワイル博士は、こうも言っています。
「不合理な理論に基づく治療法が往々にして効くことも何ら不思議ではない」
 
確か実、どんな「一品健康食」であれ、「やせました」「体調がよくなりました」と言う体験者の声は、全部が全部ウソとは言い切れません。
 
仮に「朝バナナ」を1万人が実践すれば、効果があったという人が必ず何十人かは出てきます。
便秘薬で便秘が治ったといっても誰も驚きませんが、「バナナで便秘が治るらしい」と耳にすれば、意外性に引かれて真似をする人が出てきます。
その方法が飲尿療法のように珍しいものであればあるほど、みんなが「エーッ!」とびっくりするので、スピーカー効果も重なり、真似をする人があとを絶たないのです。
 
けれども、実践者が多くなれば、たいしてよくならなかった人や、痛い目を見た人の数も増えてきます。
そんなうわさがどんどん耳に入ってくると、それまで効果があった人まで効かなくなってしまうこともあります。
 
まさにプラセボ効果です。
こうして、「あの健康法はいかがわしい」「インチキだ」と話題が負の方向に転換していき、たいていのブームは幕を閉じるのです。
 
あれほどブームになった飲尿療法も、最近ではほとんど話題になりませんが、いまも続けている人は少数ながら存在します。
私が勤めていた病院に入院している末期がんの患者さんのなかにも、飲尿療法を実践している方がいました。
 
どんな不合理な治療法でも、必ず治る人はいる。
どんなすばらしい治療法でも、全員が治るわけではない――健康にまつわる話は、これに尽きると思っています。
 
 
● 続々登場する新手の「健康珍商法」
 
新聞や雑誌には、新手の健康食や健康商法がさまざまに紹介されています。
たとえば、「カロリーゼロ」や「糖質ゼロ」を明記した「ゼロ食品」と呼ばれるもの。
ある調味料メーカーでは、従来からコレステロールが含まれていなかったドレッシングに、「コレステロールゼロ」の表示を目立つようにつけたところ、売り上げが10%増えたそうです。
 
笑ってしまったのは、某飲料メーカーがホームページ上で、ミネラルウォーターに「カフェインゼロ・カロリーゼロ・糖質ゼロ」と表示したという話です。
何の冗談なのでしょう?
そのうちに、「ノンアルコール・ニコチンゼロ」などと表示されたミネラルウォーターが登場するかもしれません。
いや、いまの日本なら、それを買う人がいてもおかしくありません。
 
大手計量器メーカーでは、食後に尿中の微量な糖分を計測し、食べすぎかどうかを判定する機器を試作したそうです。
メーカーいわく、「糖質をとりすぎた場合、尿中に排泄される糖分の値がわずかに変化する点に着眼した」とのこと。
 
試作機は日常的に持ち歩きのできる小型サイズで、食事の約2時間後にセンサー部分に尿をかけると、独自の数量指標に基づいて、5段階区分で「食べすぎ」かどうかを判定するそうです。
 
糖尿病の人には役立つかもしれませんが、いまの日本なら、健康維持のために購入する人もいるような気がしてきます。
もし、これがたくさん売れるようなら、ミネラルウォーターに「カフェインゼロ・カロリーゼロ」と表示されているのと同じくらいの違和感を私は覚えます。
 
もしかしたら、飲み会の途中でトイレに駆け込み、尿検査をする人が現れるかもしれません。
すごい時代になったものです。
 
大手通信会社では、料理を携帯電話のカメラで撮影するだけで、その料理のカロリーや、栄養バランスを考えたメニューかを判定する画像解析システムを開発したそうです。
 
ここでも「栄養バランス」。
私たちが生きていくうえで必要な栄養素の種類も量も、誰もわかっていないというのに、どうやって判定するつもりなのでしょうか?
写真を送るだけでいいというアイデアは面白いと思いますが、まったく意味がない。
むしろ、弊害のほうが大きいかもしれません。
 
もっとも、このシステムが実用化されても、利用するのはおもに健康食品業界だと思います。
健康食品メーカーに写真を送ると、「あなたの食生活は、鉄分とビタミンCが不足しています。弊社のこの健康食品をとることをおすすめします」といった返事がやってくる――このようなビジネスが、きわめてやりやすくなるはずです。
 
それにしても、よくもまあ、次々と出てくるものだと思います。
まさに、金銀財宝を求めて打ち出の小槌を振りまくっているように見えます。
「おいしい」よりも「健康」のほうが儲かる時代ですから、これもしかたのないことなのでしょうか?
 
 

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001