あんな話 こんな話  114
 
幕内秀夫著  PHP新書
『健康食』のうそ
より その8
 
第3章 「栄養バランス」のからくり
 
● 戦後の栄養「改悪」運動
 
「健康のために食事で気をつけていることは?」と問われたら、ほとんどの日本人が「栄養バランス」と答えるでしょう。
40代より下の世代の人たちなら、「ごはんは残してもいいから、肉と野菜をもっと食べなさい」といわれて育ってきたはずです。
 
今の日本人がこうした考えを持つようになった背景には、戦後行われた「栄養改善普及運動」があります。
この運動は、「食生活近代化論」という理屈を根拠として国が展開した一大キャンペーンです。
どういうことが行なわれたのか、お話しましょう。
 
まず、昭和25年(1950)に「たんぱく質をとりましょう運動」「ビタミンをとりましょう運動」なるものがはじまりました。
ちなみにこの年は、池田勇人大蔵大臣が「貧乏人は麦飯を食え」という主旨の発言をして大問題になった年です。
当時はまだ、白いご飯を腹いっぱい食べられる人は、ごく少数でした。
 
昭和31年(1965)には、「キッチンカー」が活動を始めました。
キッチンカーとは、大型バスを改造して調理ができるようにし、野外で「栄養改善」のための料理講習会ができるようにしたものです。
そこで調理されたのは、油と乳製品と小麦粉をたっぷり使う洋食と中華料理でした。
 
そして昭和33年(1958)、厚生省(当時)が「6つの基礎食品」を普及させる運動を開始しました。
1群はたんぱく質を多く含む食品〈魚、肉、卵など〉、
2群は無機質=カルシウムを多く含む食品(牛乳・乳製品・階層・小魚など)、
3群はカロチン(緑黄色やさい)、
4群はビタミンC(淡色野菜、果物)、
5群は糖質(穀類、胃も類、砂糖など)、
6群は脂肪(油脂類、脂肪の多い食品)
と、食品を6つに分けて、どの群からもまんべんなく、バランスよく食べることをすすめたのです。
 
「6つの基礎食品」が提唱されてから、ごはんはたんなる6つの食品の1つに格下げされ、「ご飯は残してもいいから、おかずを食べなさい」といわれるようになりました。
 
同じ年、慶應義塾大学医学部の林髞教授の『頭脳――才能を引き出す処方箋』(光文社)という本がベストセラーになりました。
そこに書かれていたのは次のようなことです。
 
「米を食べるとバカになる。頭をよくするにはパンが最良」
こんな信じられない説でした。
 
理屈はいろいろ書いてありますが、要は「ご飯を食べている日本人は体格も能力も欧米人より劣っている。子どもの成績をよくしたいなら、ご飯をやめなさい」と言うものです。
もちろんデタラメですが、著者の肩書きによって、50万部も売れたといいます。
この本がきっかけで「米食低能論」という言葉も流行しました。
 
呆れたことにこの本には、「味の素を舐めると頭がよくなる」とも書かれていました。
いまならほとんどの人が笑います。
けれども当時の日本人は、なんら疑問も持たずにこの本を受け入れました。
 
アメリカに追いつけ追い越せの精神がいかに強かったかが想像できます。
敗戦国のコンプレックスも、そこにはあったかもしれません。
 
このあたりから、米に対するいわれなき誤解がたくさん誕生し始めました。
「米を食べると短命になる」「米を食べると血圧が上がる」「米を食べると太る」・・・・・・。
 
この影響は今でも根強く残っています。
さすがにバカに成ると思っている人はいないでしょうが、「ご飯をたくさん食べるのはよくない」というイメージは、いまだに多くの人に植えつけられているはずです。
 
昭和36年(1961)には、「1日1回フライパン運動」が実施されました。
別名「油のオリンピック」。
つまり、「なんでもフライパンで油炒めにして食べましょう」という運動です。
 
「油をたくさんとるアメリカは豊かな国、油の摂取量が少ない日本は貧しい国」との考え方が根底にあるこの運動は、保健所などを通して推進されました。
その結果、日本人の食生活はどんどん油過剰になっていきました。
 
昭和38年(1963)には、「たんぱく質が足りないよ」と言うCMが大流行し、昭和39年に開催された東京オリンピックで、日本人の「たんぱく質信仰」は決定的になりました。
 
当時、テレビでオリンピックを観戦していた人達は、「ご飯と味噌汁を食べ、体の小さい日本人は、肉をたくさん食べる外国人にはかなわない」と思い込んだのです。
この年、ビタミン剤ブームも起こりました。
 
こうして国の目論見どおりにいったわけですが、「ごはんは残しても、おかずは食べろ」「たんぱく質が足りないよ」を柱としたこの運動は、日本人の欧米人〈正確にはアメリカ人〉の体質や内蔵機能の違いを無視したもので、実際には「栄養価以前普及運動」でした。
 
このような無茶な運動を国が推し進めた裏には、重大な理由がありました。
それは、戦後アメリカの小麦戦略です。
 
 
● 日本人の食生活を歪めたアメリカの小麦戦略
 
第二次世界大戦後、アメリカでは小麦が大豊作となり、就任したばかりのアイゼンハワー大統領は、国内では消費しきれないほどの余剰小麦の処理に困っていました。
そこへ、広まりつつあった日本の完全給食制度を知り、「パンを給食に」と小麦を売り込んだのです。
 
こうして昭和29年(1954)から31年(1956)にかけて、日米間で2度にわたって余剰農産物購入協定が調印され、日本はアメリカから小麦95万トン、大麦10万トンなどを買いつけました。
アメリカの農産物をドルでなく日本円で購入でき、しかも代金は後払いでよいとの好条件だったため、日本は喜んで受け入れたのです。
 
むろんアメリカの狙いは、敗戦国日本に「援助」という名のもとで小麦を買い取らせ、一刻も早く余剰を一掃することでした。
 
それに加えてもう一つ、巧みな計画が遂行されました。
余剰小麦を日本の学校給食へ無償贈与したのです。
学校給食で日本の子供たちにパンの味を覚えさせれば、大人になってからもその味を忘れず、長くアメリカ農産物の顧客になってくれるとソロバンを弾いていたのです。
 
学校給食がパン主体になったのは、アメリカの小麦戦略が成功したことの証です。
現に、昭和28年〈1953〉生まれの私が小学生のころ給食にごはんが出たことは1度たりともありませんでした。
 
それからというもの、日本では農林省(当時)がパン職人養成のための講習会などを開き、厚生省は米の栄養価を攻撃して、パンはすばらしいものだと奨励し、文部省(当時)は学校給食を通じてパンの普及に躍起となりました。
 
それが今になって、「米を食べろ」だの「子どもの肥満が増えた」だのといって騒いでいます。
日本とは、何と不思議な国なのでしょう。
 
じつは、キッチンカーの活動も、フライパン運動も、アメリカの小麦戦略に由来するものです。
パンやフライなどのカタカナ料理を広めるために全国を走り回っていたキッチンカーは、アメリカが供出した資金で作られていました。
 
その活動を後押ししていたのは、当然、日本の製粉業界、何も考えない栄養士は粉食奨励運動にこぞって参加し、キッチンカーがアメリカ出資のバスだとも知らずに乗り込んで、カタカナ料理がいかに優れているかを説明していました。
 
さらにNHKは一流シェフを料理番組に登場させてハンバーグの作り方を教えたり、民放では精油会社がスポンサーの料理番組でマリネやスパゲッティの作り方を教えたり・・・・・・。
まさに官・民・学が一体となり、怒涛の勢いで洋食化を推進したのです。
 
こうした動きの根底に流れていたのは、明治維新後に、アジア的なものから離れて欧米に近づこうとした「脱亞入欧」の思想と同じだと思います。
たしかに終戦後、医療の進歩など欧米化によるよい面も多々ありました。
そういったことは、すぐにみんなの目にとまります。
 
オリンピックであまり勝てなかったこともあり「食事も欧米型がよい」との考え方は、あっという間に国民の間に浸透してしまったのです。
「これでよいのか?」と疑問を呈する人も一部にはいましたが、「食のカタカナ化」という大きな流れのなかでは、時代遅れの異端者として無視されるだけでした。
 
アメリカの企みは、当のアメリカが考えていた以上の効果を挙げました。
日本にとっては害を増やしたというべきでしょう。
 
一国の食文化を根底から変えてしまうほど、この運動がうまくいったのは、アメリカが膨大な資金を投入したからです。
それで潤った政治家もずいぶんいたのではないかと、想像せずにいられません。
 
これらの内幕については『「アメリカの小麦戦略」と日本人の食性活』(鈴木猛夫著/藤原書店)や、『アメリカ小麦戦略』(高嶋光雪著/家の光協会)に詳しくかかれています。
また、20数年前のことになりますが、NHKの特集番組でも取り上げられました。
 
当時、キッチンカーの運行を指導していた厚生省の役人は、後年まで、その効果を自画自賛していたようです。
どう言っていたか、『アメリカの小麦戦略』から紹介しておきましょう。
 
「何もアメリカの片棒を担いだわけじゃない。私はむしろアメリカの金をせしめて、日本のために使ったんだから、うまいことやったもんだと思っているくらいだ」
「日本の食性活改善に果たした役割は測り知れんですよ」
 
 
● 懲りない役人がつくった
「1日30品目」と「食事バランスガイド」
 
「6つの基礎食品」の推進による一億総過食化、油ギドギドのキッチンカー活動とフライパン運動・・・・・・。
それまでの食習慣をばっさり切り捨てて、アメリカ型の食生活を普及させるという壮大な人体実験は、いまも続いています。
 
その間にも、国は旗振り役になった食生活の「改善運動」が次々と行われました。
たとえば、厚生労働省は少し前まで「1日30品目」を食べるように推奨していました。
試した方はおわかりでしょうが、たった一日でも30品目を食べるのは至難の業です。
毎日食べ続けるなど、できるはずがありません。
 
このバカげたキャンペーンにせいで、世のお母さん方は「たくさんの食品から、いろいろな栄養素をとらせなければいけない。野菜も、肉も、海藻も、チーズも、牛乳も・・・・・・」という強迫観念を植え付けられ、精神的に追いつめられていきました。
 
その結果、「自分にはとても無理」とあきらめ、「食事でとれない栄養素は、サプリメントに頼ろう」と考える人まで出てきてしまったのです。
「1日30品目」は、食生活をよくするどころか、以前より悪くなった人が続出する結果に終わりました。
 
あれほどまでに大々的に旗振りをしていた厚生労働省も、さすがに無理な指針だと気づいたのか、いつの間にか「1日30品目」の旗を静かに降ろしてしまいました。
 
ところが懲りもせずに、いまは農林水産省といっしょになって「食事バランスガイド」なるものを提唱しています。
でも、組んだ相手が悪かった。
 
農林水産省は、稲作農家、果樹農家、畜産農家、砂糖業界、精油業界など、さまざまな団体と関係があるうえ、小麦の輸入窓口も請け負っています。
それらの食品すべてガイドラインに入れないと「なんでウチだけ外したんだ!」と怒られてしまいます。
 
そのため、1日にとる食べ物の組み合わせと量のガイドラインといいながら、「1日30品目」以上に「あれも食べろ、これも食べろ」のてんこ盛りになってしまったのです。
はっきり言いますが、こんなものは一切無視してかまいません。
 
どうも日本の役人は、「6つの基礎食品」以来、「多くの食品から多種類の栄養素をとらなければならない」という呪縛から開放されていないようです。
 
日本人はむかしから、ごはんとみそ汁と少しのおかずで元気に生きてきました。
それを無視して国民を散々混乱させてきたのが、わが国の食生活改善運動なのです。
 
いまになってようやく、「日本の伝統的な食生活を見なおそう」といった意識が、徐々にではありますが出てくるようになりました。
でも、それは民間の話で、役人の意識はほとんど変わっていません。
これが「食」をめぐる日本の、この半世紀の流れです。
 
 
● 厚労省の「断乳指導」が嫁姑の不仲の原因に!?
 
これまで厚労省が国民に対して行ってきた栄養教育は、「バランスをとりましょう」という言葉しかない空虚なものでした。
「1日30品目」のように、批判や苦情が出ると、お題目をコロッと変えるのですから、最初から余計なお世話だったのです。
 
その典型が「断乳」です。
これは大人への食事指導よりも、よほど罪が深い。
健康食とは離れたテーマだと思われるかもしれませんが、食の問題は、じつは食べ物以前に母乳から考えるべきなので、簡単にふれておきましょう。
 
長い歴史のなかに、「断乳」という言葉はありませんでした。
一昔前までは、赤ちゃんが飲まなくなるまでおっぱいを飲ませるのが普通でした。
母乳をやめる時期は、赤ちゃん自身が決めていたのです。
 
それが大きく変わったのは、戦後、病院での出産が増えたためです。
病院で生まれた赤ちゃんは、新生児室に入れられ、粉ミルクを与えられました。
そのころから、母乳育児が減って人工栄養が普及し始め、「母子健康手帳」に「断乳」という文字が登場しました。
おっぱいは赤ちゃんがみずからやめるものではなく、母親がやめさせなければならないものになっったのです。
 
自治体の保健センターに行くと、強く「断乳」をすすめられ、1歳になっても飲ませていると、「虫歯ができる」「離乳食が食べられなくなる」「いつまでも飲ませていると甘えん坊になる」などと、お母さん方は脅かされました。
 
乳房にからしを塗ることをすすめられた人や、赤ちゃんに飲んでもらえないために乳房が張って痛くなり、母乳を止める薬を処方してもらった人さえいます。
 
当然、おっぱいを取り上げられた子どもは泣いて騒ぎます。
その泣き顔に負けて、再び母乳を与えたりすると、「断乳失敗」の烙印を押され、「お母さんがしっかりしなくてはだめよ!」と叱咤激励されることになります。
 
ただせさえ、初めての赤ちゃんを抱えて不安だらけのお母さんは、保健センターでは叱られ、自分の意志の弱さを攻める日々。
どれほどの苦悩だったろうかと想像します。
 
長いあいだ母子を苦しめてきた「断乳」の文字が母子手帳から消えたのは、平成14年(2002)4月のことでした。
 
現在は「卒乳」と言う言葉が使われるようになっています。
「卒乳」とは、赤ちゃんが自らおっぱいを必要としなくなることがくるので、それを待ちましょうとの考え方。
一昔前までは、だれもがやっていたことです。
 
「断乳」から「卒乳」へと指導が変更されたのは、無理に段乳すると母子の大切な絆を断ち切ることにもつながりかねないと、弊害が指摘されるようになってきたからです。
 
アメリカの小児学会は、すでに1997年の「母乳と母乳育児宣言」のなかで、母乳育児は少なくとも12ヶ月、それ以降は母子がのぞむ限り長く続けることがすすめられる」と述べていました。
そして、2002年の第55回世界保健総会で「乳幼児の栄養に関する世界的な運動戦略」が採択され、「6ヶ月の完全母乳の推進と、2年以上の母乳育児の継続」が奨励されたのです。
 
すると厚労省は、あわてて母子健康手帳から「断乳」の文字をなくしたのです。
外国のやることは何でも「右へならえ」するのでしょう。
ともかく、厚労賞の指導内容は大きく変わりました。
 
ところが、保健センターなどにそれが周知徹底されていないのが実情なのです。
また、これまでの手前、指導を変えられない保健師や栄養士もいるため、指導内容が人によって異なるという問題も起きています。
 
もう一つ問題は、現在、授乳中のお母さん方が、自分の母親や姑から「まだ母乳を飲ませているの?」「早く離乳食にしないと自立できない子どもになるわよ」などといわれてしまうケースがあることです。
そのせいで嫁姑の関係がギクシャクしてしまった家庭さえあります。
なぜなら、いまのおばさん世代には、「断乳」という誤った行政指導がお行われていた時代に子育てをした人達が多いからです。
 
もちろんおばあちゃん達に責任はありません。
むかしからのやり方で「卒乳」の時期を待つようにしていれば、こうした世代間ギャップは生まれなかったのですから。
 
男性にはわかりにくいことですが、こういうところでも、厚労省の「余計なおせっかい」の弊害が生じているのです。
 
子どもの食に関して、もう一つ。
最近は、『食育』といえば、なんでもまかり通るようなムードがあり、苦々しく思っています。
 
幼稚園や保育園の中には、「当園では食育に力を入れているので、おやつには手づくりのクッキーやケーキです」などとアピールしているところがありますが、手作りであろうが市販であろうが、砂糖と油脂がたっぷり入っていることには変わりはないでしょう。
それのどこが食育なのでしょうか?
 
「食育、食育」と声高に叫ばれる一方で、「学齢期前の子どもに生肉を食べさせるのは危険」といった基本的な知識は教えられていません。
平成23年(2011)にユッケの食中毒事件が起きたとき、「生肉を子供に食べさせるのは危険だと知っていた」と答えた親は約3割しかいなかったとのアンケート調査の結果が、テレビニュースで報じられていました。
 
国が食に関する啓蒙運動をするのなら、空疎な栄養バランス論や食育論より、もっと地に足の着いたことをやってもらいたいものです。
 
 
● 和食ブームと減円運動の矛盾
 
高血圧を気にして、味噌汁を飲まないようにしている人や、寿司や刺身にも醤油をつけない人がいます。
おそらく保健所などの栄養指導で、「減塩、減塩」とうるさく指導されているのでしょう。
 
こうした指導が行われるようになったのは、昭和54年(1976)に厚生省が「食塩の摂取は1日10g以内にするのが望ましい」との基準を示してからのことですが、減塩運動の歴史はもっと古く、昭和30年代の半ばに始まりました。
「6つの基礎食品」の開始と、ほぼ時期を同じくしています。
 
当時、秋田県民の最大の死因は脳卒中でしたが、減塩運動によって高血圧が減り、その結果、脳卒中で亡くなる人が激減しました。
このことが、減塩が高血圧に有効であるとの裏づけになっています。
 
そのころ秋田県では、1日に30〜40gもの塩分をとっていました。
明らかにとりすぎだと思いますが、一概に悪い習慣だと決めつけることはできません。
 
なぜなら、秋田のような雪国では、冬のあいだ、ほとんど野菜が採れなかったからです。
そこで漬物という保存法でまかない、野菜不足にならないようにしてきました。
すばらしい知恵だと思います。
 
たしかに、1日に30〜40gだった塩分摂取量を減らした結果、高血圧や脳卒中が減った可能性は高いでしょう。
けれども平成12年(2008)の国民健康・栄養調査によると、現在の日本人は1日平均10.9gの食塩をとっているにすぎません。
 
それを10g以下に減らすことに、どれほどの意味があるのか、首を傾げざるを得ません。
むしろ、わずかな塩分を減らすために寿司や刺身にまで醤油をつけないというのでは、かえってストレスになってしまうでしょう。
 
高血圧は、年齢、ストレス、肥満、運動、飲酒、喫煙、排便、性生活、遺伝、人種など、さまざまな要因が重なって起こるものです。
塩分の摂取という、たった一つの要因で語れるものではありません。
 
それに、人間のからだは砂糖水ならいくら甘くても飲めますが、塩水は濃すぎたら絶対飲めないようにできています。
味噌汁やお吸い物は、自分の血液中の塩分濃度と同じくらいのものが、おいしく感じられるようになっているのです。
 
塩分の量は命にかかわるものなので、私たちのからだはそれくらいデリケートにできています。
そう簡単に塩分のとりすぎにはなりません。
 
塩を使った保存法は、湿度が高い日本の風土から生まれました。
ごはん、みそ汁、漬物という食生活のパターンが完成したのは、鎌倉時代だといわれています。
塩さえ減らせば健康になれるという指導は、伝統的な日本食を全否定するも同然なのです。
 
ところがいまや、減塩指導している保健所でも、「日本型食生活」などという言葉を使って「和食はいい」と言い出しました。
その一方で、「塩分の多い食品は控えましょう」と掲げつづけています。
 
 
● 「1品健康ブーム」が生まれる構図
 
こうした歴史のなかで、「食と健康」の間違った常識がつくられた結果、私たちは食生活に関して、「肉を食べれば強いからだになれる」「アメリカ型の食生活が理想だ」「一つひとつの食品の栄養素を考えて食事をすることが科学的で正しい」との錯覚を植えつけられてしまいました。
 
なかでも「栄養素」は、食生活を非常にわかりにくいものにし、「一品健康食」が次々と登場する元凶にもなっています。
栄養素至上主義の「一品健康ブーム」が次から次と生まれる構図は、次のようなものです。
 
まず、ある学者が一つの食品によって「やせた」「コレステロールが下がった」といったデータを発表する。
すると、その食品を扱う企業が、自分たちに都合のよいデータを大々的に広告する。
学者に本を書かせることもあるでしょう。
 
そして、ブームが起こる。
たくさんの人が実践すれば、必ず何人かは「やせた」「コレステロールが下がった」と同調します。
そのような体験をすると、ほかの人にも教えたくなるのが人情。
しかも、体験した人の言葉は強い。
 
ある意味、どの方法を主張している人も、ウソを言っているわけではありません。
けれども、そこにビジネスがらみの「売らんかな」の情報も入ってくるため、ますます情報は混乱します。
また、その食品によって何も効果がなかった人がたくさんいても、それは無視されます。
 
こうして新しい「健康食」が出るたびにもてはやされるようになり、それまで注目されていら食品は、いとも簡単に忘れられてしまうのです。
 
たとえば、「煮干しにはカルシウムがたくさん含まれている」と山ほど食べていた人が、「煮干しのような干した魚には過酸化脂質が多い」と聞いたとたん、ぴたりとやめてしまう。
 
「βカロチンが豊富なニンジンは、がんの予防に効果的」といわれていたころは、ニンジンに含まれていた人が、「ニンジンに含まれるアスコルビナーゼという酵素は、ビタミンCを破壊するので食べ過ぎに注意」と報じられると、いっせいに見向きもしなくなる。
 
すでに述べたように、一つの食品の有効性や有害性を語ることはできません。
たとえばコーラが大好きな人に、「コーラは健康にいいと思いますか?」と訊けば、おそらく100%近くの人が「よくない」と答えるでしょう。
 
「でも、好きだから飲んでいる」と答える人がほとんどだと思います。
万人が健康によくないと思っていても、それを証明した人はいません。
だから、今でも売られているのです。
 
それくらい一つの食品の良し悪しを証明することは難しいのです。
それを無理やりに証明しようとしたのが、「あるある大辞典」のデータ捏造問題でした。
 
それは論外としても、根底にあるのは、一つの食品の有効性や有害性について論文を発表している学者が大勢いるということです。
 
それらの論文のほとんどは、マウスに、普通ではありえないほど大量に一つの食品を食べさせる実験です。
そのくらい極端なことをしないとデータは出ません。
その結果、「病気になった」「がんになった」、あるいは「がんに効果があった」と言う。
データを捏造しているわけではありませんが、私たちの耳にとどろくころには、「どのくらいの量をマウスに与えたのか」という部分は見えなくなってしまいます。
 
あとは、マスメディアがセンセーショナルにとりあげてくれるのを待つばかり。
「有名になりたい」「お金がほしい」「定年後の就職先を確保したい」と目論んでいる学者は、ひそかに期待しています。
テレビの健康情報番組は、それを利用しているだけの話です。
 
「○○という食品の△△という成分が健康によい」といっている学者には、最初からその食品に関連する業界からお金が流れている場合もあれば、「業界便り」のような情報誌にデータを発表したのをきっかけに、あとからお金がついてくる場合もあります。
 
また、業界や大手メーカーが主催する主催する講演会やシンポジウムに招かれ、「講演料」や「お車代」をもらうこともあります。
 
業界やメーカーが求めているのは、言うまでもなく、自分達に都合のよいように、そのものずばり一つの食品のよさだけを唱えてくれる学者です。
あるいは、なんの主張もポリシーもなく、その食品を使った料理を「おいしゅうございます」「これまでにない新しい味ですね」などと評してくれる人たちです。
 
逆に、彼らがいちばん嫌うのは、食と健康に関して提案する人。「ごはん食べてパンを減らそう」などという人間は、間違っても呼ばれることはありません。
費用対効果を考えればそれは当然のことです。
 
もしも私が米だけのことを語るなら、農水や農協にとって「便利な人」になるでしょうが、「パンや牛乳はいらない」と言うので「ろくでもない人」になってしまうわけです。
彼らにとって、トータルに食生活を語る人は邪魔なだけなのです。
 
 
● 戦後の栄養教育を総括しない学者たち
 
「一品食ブーム」の背景には、「売らんかな」の業界、節操のない学者たち、センセーショナルな話題の欲しいマスメディア、三者のもちつもたれつの関係があります。
その土壌を作ってきたのが農水省と厚労省なのです。
 
以前は、暇で無節操な栄養学者たちが、「科学的な分析に基づいて」という触れ込みで、食に関する情報を混乱させてきました。
今では、そこに農学者も加わっています。
 
青森の農学者は「毎日リンゴを食べる便秘が治る」といい、静岡の農学者は「お茶にはがん予防に効果が期待できる」といい、長野の農学者は「キノコはダイエットにいい」と言う。
こういう人達を、私は「地産地消学者」と呼んでいます。
 
さらに最近は、膨張し続ける健康食品市場を無視できなくなった製薬会社や大手食品メーカーが、医学・薬学系の学者を通じて、食の情報を混乱させるようになってきました。
 
たとえば、ある製薬会社が出している小冊子には、市販の弁当の代表的なメニューとして、ミックスフライ弁当、牛焼肉弁当、幕の内弁当、中華弁当、鳥そぼろ弁当の写真を並べ、「コレステロールの多い順にならべてください」といったクイズがあります。
 
次のページには、それらの弁当のおかずのうち高カロリーのものを上げ、「これとこれは食べないようにしましょう」と説明があります。
要はおかずを捨てろというわけです。
だったら、最初からそのような弁当を買わなければいいだけの話。
 
最後のページを見ると、案の定、メタボや食後高脂血症への不安を煽る記事で、医学博士のコメントが添えられていました。
 
製薬会社までこうしたことをやりだしたのは、病気の人よりも、元気な中高年で肥満の人のほうが、はるかに多いからです。
その人達に病院から薬だ出されるようになれば、とてつもない金額になるでしょう。
 
いまの日本は、元気な中高年の人達を、健康食品、健康器具、検査、薬など、さまざまな業界が寄ってたかって、「病気」に仕立て上げようとしているように見えてしかたありません。
何しろ「宝の山」。
どの業界も黙って指をくわえているわけがありません。
 
そのうえ、国立がん研究センターのような医療機関でも、「わらびを食べるとがんになる」などと、食べ物だけの話をしている始末。
これでは情報が混乱して当然です。
 
遅きに失した感もありますが、ここで、戦後の栄養教育を総括すべきではないでしょうか。
 
戦後から今に至るまで、日本の栄養教育の大きな柱となってきたのは、欧米(アメリカ)崇拝主義と栄養素還元主義〈食生活や食品ではなく栄養素だけを重視する考え〉の2つです。
 
国は栄養改善普及運動や学校給食、保健所での指導などを通じて、アメリカ型の食事をすすめてきました。
栄養学者や栄養士の多くは、ほとんど何も考えずに国の政策に従い、栄養のことばかり取り上げてきました。
 
もちろん、自分のポリシーに基づいて立派な仕事をされている学者や栄養士の方もおられますが、残念ながらきわめて少数派です。
ほとんどの栄養士は、なぜ自分は日本食を全否定するような減塩運動に加担しているのか、ごはんを減らしておかずを食べろといってきたのか、まるで考えていません。
 
減塩運動や食のアメリカ化の背景に何があったのかも知らずに、「牛乳を飲め」「肉を食べろ」「塩を減らせ」といっています。
 
そういう人達に、「戦後の栄養改善普及運動はいったいなんだったのか」を、きちんと総括できるわけがありません。
むしろ、「食生活が豊かになって日本人は長生きできるようになった」などと、愚にもつかない言葉で総論的にごまかしているだけです。
 
栄養改善普及運動が始まったころに比べると、健康に占める食の割合は格段に大きくなっています。
そこのさまざまな「科学的分析」に基づく栄養素の「有効性」が登場し、関連業界が後押ししてきたことが、いかがわしい「健康情報」が氾濫するようになった原因です。
しかも、その情報がコロコロ変わるため、消費者の混乱ここに極まれり、となっているのです。
 
こうした状況から目をそむけ、いまだに「これを食べろ、あれを食べる」「これは危険だ」というのは、いくらなんでもおかしいとは思いませんか?
 
たしかに科学には、分析してその実態を明らかにする役割があります。
けれども、こと食に限っては、それを普遍的な知恵に還元し、食生活として語る必要があるはずなのです。
 
知恵と知恵を交流させて、一般の人に一つの指針を示すのが、われわれ栄養学に携わる者の責務の一つです。
戦後の栄養教育は、その部分がすっぽりと抜け落ちていました。
 
栄養学者も栄養士も、農学者も医学者も薬学者も、農水省も厚労省も文部省も、これまでだれも戦後の栄養教育の総括をせず、言いっぱなしにしてきたことこそが最大の問題です。
その罪は、きわめて重いと言わざるを得ません。

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001