あんな話 こんな話  116
 
ドクター帯津良一の
『ときめき養生食』
海竜社刊
より その2
 
 
第2章 腹8分目の心理
 
 
● 好きなものを少し食べるのがよい
 
貝原益軒はこうもいっています。
「好きなものを少し食べよ」「宴会はいけない」と。
 
これは、宴会は、好むと好まざるとにかかわらず、いろいろなものが出てきて量も多いので、つつしめということです。
 
自分が好きなものを少し食べるには中華料理がおすすめ。
量も選べていいですね。
それに居酒屋がいい。
私は刺身とトンカツで一杯とか、そういうほうが好きですね。
 
「好きなもの」とは何でしょうか。
私はそれを「心ときめかす食べもの」だと思っています。
私にとって、心ときめかす食べものといえば、学生の頃に食べたメンチカツ定食です。
 
私が入学した頃の大学の食堂のメニューには、カレーライスとラーメンとメンチカツ定食しかありませんでした。
どれも実にうまかった。
その刷り込みでしょうか、今でも私はカレーライスとラーメンとメンチカツ定食が大好きなのです。
 
メンチカツは脂肪が多くあまりよくないのですが、食堂にメンチカツ定食という札が下がっていると、どうしても食べたくなってしまいます。
 
しかし、食べながら、「これは体に良くないものを食べちゃったな」と少し反省し、腹八分目、八分目と食べ過ぎないようにしています。
そして、自分の心がときめき、体が喜んでいるのだから、これでいいのだと思うのです。
 
心のときめきはアンリ・ベルクソンの言う「生命の躍動(エラン・ヴィタール)」です。
生命の躍動とは内なる生命場の小爆発です。
内なる生命場のエネルギーを日々コツコツと高めていくのが養生であるとすると、生命の躍動こそ養生の要諦であるというのが私の持論なのです。
 
『養生訓』には、「好き放題食べると消火器が悪くなって、諸々の病気もそこから発生して、ついには命を失う」とも記されていますが、まさにそのとおり、ゆめユメたべすぎるべからずです。
 
 
 
● 体に合った食べたいものを、楽しく、腹8分目
 
『養生訓』には、私が目指す食養生と重なる部分が沢山あります。
 
「脾胃のこのむと、きらふ物をしりて、好む物を食し、きらふ物を食すべからず。
脾胃の好む物は何ぞや。
あたゝたかなるもの、やはらかなる物、よく熟したる物、ねばりなき物、味淡くかろき物、にえばなの新たに熟したるもの、きよき物、新しき物、香よき物、性平和なる物、五味の編ならざるもの、是皆、脾胃の好む物なり。
これ、脾胃の養いとなる、くらふべし」
 
(胃腸の好むものと嫌いなものを知り、好むものを食べ、嫌いなものを食べないようにする。
胃腸の好むものとは何か。
温かなもの、やわらかなもの、よく熟したもの、ねばりのないもの、味の薄いもの、煮たてたばかりのもの、新たに熟したもの、きれいなもの、新鮮なもの、香りのよいもの、性質がおだやかなもの、五味のかたよらないもの、これらは皆、イチョウの好むものである。
これは、胃腸の養分となる。食べるとよい)
 
私は講演などで
「そのときに本気で食べたいと思うものが、そのときの体に最もあっているものである」と言う話をするときがあります。
食べたいと思うものはその時の体が要求しているものなので、そのとおりに食べることが、いちばんいいのです。
それが、益軒のいうところの「好むもの」です。
 
脾胃の脾は脾臓のことですが、当時は消化器官と思われていたので、胃腸のことと理解してよいと思います。
 
さらに、
「心から食べたいと思うものを食べなさい。
心から食べたいと思うものでなければ、栄養にならないし、かえって害になる。
手間をかけて作られたものでも、心にかなわないものは食べてはいけない」
といっています。
 
そして、さらに
「怒った後すぐに食事をしてはいけない。
食後に怒ってはいけない。
心配事をしながら食事をしてはいけない。
食後に心配事をしてはいけない」
と、楽しく食べることを進めています。
 
そんのとおりで、食事は楽しくおいしく、歓んで食べなければ、生命場は高まらないのです。
 
そして
「珍しくおいしい食べものでも、8、9分でやめるようにする。
お腹一杯食べると後で禍となる、少しの間欲を我慢すれば禍はない」
としています。
 
体にあった食べ物を、楽しく食べ、そして食べすぎない、腹八分目こそ、食養生の基本ということです。
 
 
 
● 必要なものは体が求める
 
最近は、テレビや新聞、インターネットなどで、これを食べると血圧を下げる効果がある、胃腸に働きをよくする・・・・・・と情報過多です。
しかし、これを食べれば絶対に効く、といったものはないと思ったほうがよいでしょう。
 
肉類は体に悪いから、肉に変わる蛋白源として、豆腐や納豆などで大豆製品を食べるとといということで、納豆や豆腐を食べる人が増えましたが、よいからといって度を過ごしてはいけません。
近頃は、大豆製品の食べ過ぎればよくないといわれています。
 
原因は、卵巣内の卵母細胞を取り囲んでいる、卵胞細胞のフィトエストロゲンの作用です。
あまりとりすぎるとエストロゲン(いわゆる女性ホルモン)の悪い影響が出てくるからです。
 
ですから、人のいうことに右往左往して、偏った食事をしてはいけないのです。
 
今、自分は何を食べたいか、人の声より、自分の体の声に耳を傾けてください。
 
中国医学では、その人の生命場のゆがみを表現したものが体質です。
つまり、生命場がどちらの方向に、どれだけの量ゆがんでいるかということが体質にほかなりません。
もし、生命場のゆがみがまったくなければ、それは「中庸」ということになり、その場合、体質というものは存在しないことになります。
 
生命場というものは、その時々で刻々と変化しています。
ですから当然、体質も変化し、昨日の体質と今日の体質は違います。
 
その時々の体質に合ったものを食べるということは、
その時の、自分の体質を知らなければなりません。
 
しかし、自分の体質を見極めるのはなかなか大変なことです。
 
そこで私は、からだの要求に注目しました。
体の要求というものは、その時の、その人の体質を正しい方向に導くために生まれてくるものだと思ったからです。
体質として現れた生命場のゆがみに対して、それを正そうと自然治癒力が働き、それが体の要求として現れてくるのです。
 
体の要求に素直に耳を傾け、そのとき本当に心の底から食べたいと思うものを食べることが生命場のゆがみを是正することになり、それがそのときの体質に合った食べものだということになります。
 
 
 
● 体のサインを読み取る
 
食養生から見た場合、何を食べなければいけないか、という問題は、単に消化や吸収のレベルで語るべきではなく、ビタミンがどうしたミネラルがどうしたという栄養の観点ばかりに注目してもいけません。
自分の生命場を整えることが、食べることの基本にして究極の目的だからです。
 
どんなによいといわれている食べものでも、そればかり食べ続けることは生命場にゆがみをもたらすことになりますから、体は拒否のサインを出すはずです。
「今日はこれを食べたい」というサインは体が生命場のゆがみをただそうとして出してくるサインですから、きちんと読み取って体が望むものを食べます。
 
たまたま午後の予定が開き、2時間の昼休みができたので、久しぶりにうなぎでも食べたいと思い、ちょっと足をのばしておいしい店に行きました。
 
うなぎは焼き上がるまで時間がかかるので、お銚子を1本だけつけてもらい、キモ焼きをつまみながら、チビチビやって“うな重”のでき上がるのを待ちました。
熱々のうな重はそれはおいしく、十分に満ち足りた気分になります。
 
その夕方、急に打ち合わせが入り、会食をすることになりました。
私のうなぎ好きを知っていた相手の人は好意で、うなぎでは一番という店に予約を入れてくれていました。
 
まさか自分は昼に食べましたともいえないので、うな重をご馳走になりましたが、体中にうなぎの油が回っているような感じで、もう3ヶ月ぐらいはうなぎはけっこうという気分でした。
 
ところが次の日、ある会議に出席したところ、出された弁当がなんと”うな重”だったのです。
さすがに悲鳴を上げそうになりましたが、しかたがないので無理やり口の中に押し込みました。
しかしいくら好物とはいえ、これだけ続くと体が受けつけなくなってきます。
とうとう半分ほど残してしまいました。
 
翌日は、野菜のにものに漬物といったさっぱりした食事にしてもらいました。
 
よほど変わった食事をしている人でないかぎり、人はそれぞれの生命場にあった食習慣を持っているものです。
ある程度、自分の体が要求するものを食べることが自然治癒力を高める食べ方です。
 
健康食品についても同じことが言えます。同じ健康食品ばかり食べることは、かえって生命場をゆがめ、自然治癒力を落とすことになります。
 
 
 
● 食後すぐ歩くのがよい
 
すべての動物は、年をとるほど免疫力は落ちてきますから、病気にかかる率は高くなります。
 
車が故障するのと同じで、人間も何かの病気にからるのはごく自然なことで、がんもそのうちに一つだと思えば、増えてきて当然です。
ところで、1章でアメリカ人のジョギングのことを記しましたが、いうまでもなく人間は動く動物です。
 
体をさびつかせないためには適度な運動が必要です。
適度な運動としては、歩くのがいちばん。自分で調節できるからです。
 
テニスや水泳もいい運動ですが調節がききにくい。
歩くのは自分のちょうどよいところでやめられ、今日多すぎたと思ったら明日少なくできるし、今日少なかったと思ったら、明日よけいに歩けばよい。
その辺融通がきくので歩くことは健康法として勝れた運動といえます。
 
人によりますが、毎日30分から1時間ぐらいがよいと思います。
 
亡くなられた柳原和子さん(ルポライター)は、自らがんと戦いながら、たくさんのがんに関する本を書かれましたが、がん患者さんの仲間を見て、一つ発見したと話してくれました。
 
がん患者で生き残っている人は、「歩く人」だと。
歩く人が生き残っているというのです。
なるほどと思いました。
 
糖尿病も同じです。
京都の高尾病院に、江部康二先生がいます。
彼は、自分も糖尿病なので、治療法や生活習慣など自らいろいろ体験し、改善していったのですが、結局は食後すぐ歩くのがよいという結論を得て、それを提唱しています。
 
「食休みしないで、すぐ歩く」、貝原益軒もすぐ歩けと記していますね。
 
私は特別に歩かないのですが、食べた後すぐに仕事に入ります。
これは運動といえば運動なのです。
食後じっとしていることはありません。
診察室でも移動が多い、これが馬鹿にならない運動量なのです。
 
また、半身だけ動かす、ゴルフやテニス、卓球などは、体にゆがみを作りやすいので、こういう運動をした後は、全身を動かす整理体操やストレッチをして調節するとよいと思います。
 
 
 
● 食後にお腹のマッサージをする
 
食事の後、いくら歩くのがよいかといっても、現代の生活では、すぐ歩けない状態がたくさんあります。
そういう時はお腹のマッサージをおすすめします。
 
亡くなられましたが、私の太極拳の師である楊名時先生は、胃や腸に、「さん」をつけて食後はいつも「胃さん、腸さん、ありがとう」といいながら、お腹をさすっておられました。
独特のマッサージですね。こ
 
れがただのマッサージと違うのは、手を下に下げる時には息を吐いて、上に上げる時には息を吸うのです。
こうして酸素の供給をする、呼吸法につながっているマッサージです。
吐いて吸って1回です。
 
帯津式養生塾でも生命場の秩序を整える呼吸法として、みぞおちとお腹をさする「三心併站功」という呼吸法を行っていますが、その最後の部分を食後に利用していただくとよいと思います。
 
このお腹さすりは、手から気が出るので、気のめぐりもよくなります。
食べたものが小腸から大腸にいくように、時計まわりで行います。
 
消化をよくする。ということよりは、からだの中に宇宙エネルギーを入れ、体の隅々まで気を行き渡らせるという意味があります。
気をめぐらしてこそ食は生きるのです。
 
上手におなかをさするコツとしては、おなかには丹田という命の泉がありますから、それを動かせばよいのです。
丹田はへその下の空間をいいます。
気がめぐると共に、手を上げるときに自然に腰も伸びます。
 
また、大腸がんでもあれば手のひらに異物が引っかかるので、これでがんを発見した人もいます。
 
私の呼吸法の先輩の清水洋三さんは、呼吸法の本部で研修をした後、私に何か腹部に変なものを感じるのだけれど、と診察を求めましたので、道場に寝かして触ってみたら、大腸がんであることがわかったのです。
すぐに検査をして手術をしました。
 
大腸に小さなポリープができやすい人も、この方法を行うと、消化管の気のめぐりがよくなるので、ポリープができにくくなるという可能性があります。
 
食べたものを生かす、その上に病気まで発見できるというのですから、一石二鳥の食後の手当てではありませんか。
 
 
 
 

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001