あんな話 こんな話  117
 
ドクター帯津良一の
『ときめき養生食』
海竜社刊
より その3
 
 
第2章 旬のもの、地場のものの
驚くべきパワー
 
 
● 食事は大地の気をいただくこと
 
「食」は大地の「気」をいただくことです。
大地が「気」を野菜や果物、木の実など農作物の形でもたらしてくれるので、農作物を食べることによって、私たちの体の中にある生命場のエネルギーである「気」が高まります。
それが「食」の考え方です。
 
そして、気をいちばん持っている食べものとしては、旬のもの、自分が生活している地場のものがよいということです。
ニョキニョキと地上に出てきたばかりのものが、「気」をふんだんに持っています。
そういう原則が古くからの食養生の中に生きているので、「身土不二」、つまり、生活している土地で取れたものがよいとされています。
 
食べたものは体の中に入ると、消火器を循環していきます。
体の中に円滑に「気」が流れていると、消火器の機能も発揮されるわけです。
 
季節の食べ物を、その季節に食べるということは、それに含まれる栄養素ということからも大いに意味があります。
旬とは、その食べものが持っている気やパワーが、もっとも充実した時期だからです。
ところが最近は、食べ物に旬がなくなってきました。
スーパーなどでは、一年中、同じような野菜や魚が並んでおり、冬でもきゅうりやトマトなど夏野菜が食べられる時代ですから、昔、味わったような旬の野菜ならではの香りや味わいが、感じられなくなってきたことは寂しいばかりです。
 
私の子どもの頃は冷暖房も冷蔵庫もありませんでした。
家の内と外を仕切っているのは障子と雨戸だけ。
その障子のところどころに穴が開いており、雨戸も隙間だらけ。
その雨戸に隙間から木漏れ日のように差し込む光で朝を感じたものです。
 
家の中に居ながらにして大自然と接していたのです。
こうした生活の中で、私たちは、大自然に生かされていることへの感謝の気持ちと謙虚さを、見につけていったような気がします。
 
暑い夏の日、帰宅すると、薄暗い勝手の土間に大きなバケツがおいてあり、中に張ってある冷たい井戸水にトマトや西瓜が浮いています。
冷蔵庫ほど冷えているはずはないのですが、冷たくておいしかったことは今でもよく覚えています。
そして、子供心に大自然の恵みに対する感謝の気持ちをごく自然に持ったものです。
 
その時は、私たちの体内の生命場は外界の自然の場と溶け合い、食べものも、その土地で、その季節に取れたものですから、まさに、大地の気と交流していたのです。
 
 
 
● 旬のものには気が多く、パワーがある
 
春は、寒い冬の間、じっと土の中で我慢していた植物たちが芽を出す季節ですから、ふきのとう、たけのこ、せり、うど、ふき、わらび、ぜんまいなど、あくの強いものが多く、火を通さないと食べられないものが多いのですが、春のキャベツ、新玉ねぎなど、春ならではの、ういういしい野菜もあります。
 
夏は暑く汗をかく季節ですから、西瓜やトマト、きゅうりなど水分の多い野菜やくだものを食べて体を涼しくしようとするのです。
スイカ、トマト、きゅうり、柿、バナナなどは中国医学では「涼性食物」で、熱を放出する作用があります。
そら豆、エダマメ、えんどう、新じゃがいも、いんげん、オクラ、なす、しそなどがおいしい時期です。
 
秋には、夏の暑さで疲れた体から疲労を取り去り、元気を与えるように、栄養価の高いものが採れるようになっています。
十五夜の名月は別名を「いも月」というようにいもを供えますが、そのいもは里いものことです。
米、麦、粟、さつまいも、かぼちゃ、ブロッコリー、カリフラワー、きのこ類など、栄養豊かなおいしいものが登場し、まさに食欲の秋です。
 
冬はねぎやかぼちゃ、にんじん、れんこんなど温性野菜が多くなり、白菜、春菊、ほうれん草、小松菜、水菜など、鍋物に欠かせない野菜が体を温めてくれます。
 
季節季節の旬の食材を食べるということは、健康を保つ上でも欠かせないことでした。
このことを実践していた昔の人々は、栄養の知識があったわけではありません。
しかし、その季節に採れるものを食べるという自然の摂理に従った生き方をすることが養生につながるということを、生きる上での知識として知っていました。
 
養生のためには、食べものの季節や旬を知り、それに従った食生活をすることが大切なことだといえます。
 
また、熱い地方では涼性の食べ物が多く採れ、寒い地方では温性の食べ物が多く採れます。「FOODは風土」という言葉もあるように、土地の風土と食べものは密接な関係をもっています。
ですから、住んでいるところとなるべく近い土地で採れたものを食べることが、体によいというわけです。
 
加工技術や流通が発達した現在では、旬のものだけ、その土地のものだけ食べるということが逆に難しいかもしれません。
しかし、できるだけ旬と地場のものにこだわることが、望ましい食生活といえます。
 
 
 
● 農業は大地の潜在能力を高める
 
場の考え方という視点で農業というものを捉えたとき、地球の場を高める方法の一つが農業だと思います。
農業というのは、農作物を土地から収奪してくるものという考え方がありましたが、そうではないと私は考えています。
 
荒地を耕し植物を植えて、緑一面の地球にしていくことが、地球の場を高めることになり、農作物を収穫することは二の次なのです。
 
それよりも、大地の場を整えて大地のポテンシャル(潜在能力)を高めることが、農業の大切な働きだと思います。
そして、大地の場を高めた結果として、農作物が生み出され、その作物を人が食べるわけです。
 
その農作物はポテンシャルが高いですから、食べた人の生命場を高めることにもなります。
この循環が農業と食の関係だと思います。
 
ところが私たちは、私たちの快適で便利な生活を手に入れるために、地球の環境をさまざまな形で破壊してきました。
大自然の場はすなわち地球の場です。
地球の場は私たち一人ひとりの生命場と直結しています。
 
地球の場のポテンシャルの低下は、すなわち私たち一人ひとりの生命の場のポテンシャルの低下です。
地球環境の破壊によって、快適で便利な生活を手に入れたと思ったのは、これもまた私たちの大いなる錯覚で、実は、自分の生命場をも破壊してしまったのです。
 
大地のポテンシャルをそのまま取り入れるということでいえば、当然、農薬はよくありません。
大地の純粋性に余計なものを付け加え、土地を汚すことになるわけですから、それだけポテンシャルは落ちてしまいます。
 
あるべき姿のものをそのままというのが、いちばん高いポテンシャルを持っているはずです。
 
食品添加物も、大地の持つポテンシャルという観点からは、含まれていないほうがよいということになります。
 
食べものというのは、いろいろな要素が複雑に絡み合っていて、これがよいとは一概にいえません。
 
やはり大地のポテンシャルが多く含まれてい手、それを食べることによって自分の生命場のポテンシャルを高めることができるものが、養生の上でもよい食べものということになります。
 
 
 
● 植物性のほうが動物性の食べものより
体によいは本当か?
 
ポテンシャルの高いものといえば、やはり植物性のものです。
大地の場をそのまま直接受け取っていますから、動物性のものよりよいに決まっています。
動物性のものは、植物性のものを食べて成長したわけですから、純粋さがなくなっています。
 
植物のよさについては、看護師長の実体験があります。
私の病院の師長が、メキシコにあるゲルソン研究所の病院に体験入院したことがあります。
 
昔、ゲルソン療法があまりに患者さんの間で人気があったものですから、本当に効果があるかどうか確かめるために、ゲルソン研究所へ看護師長に行ってもらいました。
看護市長はがんでもなんでもないのですが、1週間入院して帰ってきて、最初に言ったのは「人間はやっぱり植物を食べるようにできている」と言うことでした。
 
入院して、動物性のものを一切食べないで暮らしていたら、大便がものすごくよくなったというのです。
太さ、臭い、堅さ、どれをとってもほれぼれするような大便が出たそうです。
ところが、ゲルソン研究所を退院すると、いろいろなものを食べますから、途端に普通の便に戻ってしまったのです。
 
この例から見ても、また私の「場」の考え方からいっても、動物性の食品より植物性のもののほうが体に良い、ということになります。
 
植物性のものがよいというと、厳密な菜食主義に走る人がいますが、あまり食事が一方に偏りすぎると体のバランスを崩して、自然治癒力を低下させることになりますから、野菜中心の食事にする、と考える程度が、人間の体には良いと思います。
 
健康にこだわるあまり、ガチガチのルールで食生活を縛ってしまう人もいますが、「絶対こうしなければいけない」式の食事方法は、むしろ不自然であり、不健康だと思います。
 
退院後の食生活のことで、私のところに相談に見える患者さんがいます。
「自分は肉が好きなのだが、絶対食べてはいけないか」と、顔を曇らせて聞くのですが、そんな時は、「本当においしいと心の底から思って食べれば、それは体にとっても良いことだから、たまには肉も食べていいですよ」と答えると、そのとき、患者さんの顔は、とてもよい表情に変わります。
 
健康にとらわれすぎて、食事が一種の苦行のようなものになってしまうと、本来の健康的な食事からかけ離れたものになってしまいます、
養生のためには、もっとゆとりをもって、考えられるようになるとよいと思います。
 
 
 
● その土地のものをその土地の食べ方で
 
毎日の食事は、地場の食材がよいと同じように、料理にもそれがいえます。
 
料理研究科の飯田深雪先生は料理の研究に世界中を歩かれましたが、おいしい料理はその土地の気候風土に即して生まれるということに気づいたといわれます。
 
「インドではカレーが発達しましたが、あの暑い土地だからこそカレー料理が発達したので、同じものを日本人がそのまま食べてもよいというものではありません。
フランス料理も、フランスで食べるフランス料理は考えられないほどバターをいっぱい入れます。
フランスは乾燥しているから、バターを入れないと皮膚がカサカサになるからです。
しかし、日本で食べるときには同じものを作ってはいけません」
というのが、飯田みゆき先生の理論でした。
 
私もリヨンでフランス料理を食べましたが、和食に慣れた私には脂っこすぎておいしくなかったし、ドイツでもフランス料理を食べましたが、まったくダメでした。
ヨーロッパではヨーロッパの気候風土に合わせた料理を作っているということです。
 
知人は2週間ぐらいフランスに滞在していると、フランス料理がおいしく感じられるようになってきたといいますから、フランスに住んでいると、フランス料理がおいしいのです。
 
中国でも四川料理は辛いですね。
私の知人の上海の先生は転勤で四川に行って、いつの間にか辛いのに慣れて四川料理が好きになった。
ところが、上海に帰ってきたら四川料理は嫌いになってきたというのです。
いかに料理は土地柄に左右されるかということですね。
 
四川は中国でも西北の寒いところですから、辛いものが合うのです。
日本でも関西と関東では味が違いますしね。
 
味は風土に合わせて作られるのです。
その土地土地の伝統食の意味はそういうところにあると思います。
 
私たち日本人は、日本の土の上で生きて同じ場所を共有しているのですから、日本の土から生まれた旬のもの、地場のものが体に合うわけです。
 
現代は流通が発達しており、洋の東西はもちろん、極北からアフリカや南の島々のものまで何でも食べられる時代ですが、輸入食品は献立に色をつける程度にし、あまり食べないほうがよいでしょう。
 

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001