あんな話 こんな話  118
 
ドクター帯津良一の
『ときめき養生食』
海竜社刊
より その4
 
第4章 昔も今も、酒は百薬の長
 
● ほろ酔いは心身がリラックスするよい飲み方
 
私は夏でも冬でも必ずビールを飲みます。
缶ビールなら2缶、ビンなら大瓶1本に限ります。
 
川越の病院で仕事をしている日には、たいていは病院の食堂で夕食となります。
料理課の主任の阿部さんが酒の肴を用意しておいてくれるのです。
 
夕方6時半になると、何があっても必ずビールを飲みます。
それが妨げられると、たとえば、6時半頃に急用ができたりすると喉の渇きと飲みたい気持ちを我慢しているものですから、機嫌が悪くなるのです。
ビールの後はダブルロックのウイスキー又は、焼酎を2杯飲むことに決めています。
今はほとんど飲みすぎるということはないですね。
 
この量では酔いませんが飲み相手が来てもうちょっと飲むと、ほろ酔いになります。
このほろ酔いというのが抑制が取れて、養生法としてはよいのです。
リラックスできるし、体が温まるとリンパ球が増えますから、酒は養生法なのです。
ただ飲みすぎたり、商売とか他の目的で飲むのはよくありません。
 
若くして他界された哲学者の池田昌子さんは私の尊敬する友人ですが、大分飲んだらしいですね。
彼女は「酒は飲むために飲むんだ」といっていますが、これは本当で、ほかの目的のために飲んではいけないというのは、確かにそのとおりだと私も思います。
酒はおいしいからのむので、憂さ晴らしで飲んではいけないのです。
 
私の場合は夕方の6時半に飲むと、昼間、ちょっと辛いことがあっても忘れてしまい、元気が出てきますね。
それがよいのだと思います。
食事もこの時間に合わせています。
飲みながらつまみを食べます。
順不同で好きなつまみを上げますと、夏でも湯豆腐が好きなので、毎日ではありませんがよく食べます。
 
湯豆腐には作り方があって、鍋の真ん中に大きな湯飲みのような器を入れ、その器の中に、刻んだねぎをたっぷり入れて、火にかけます。
豆腐が食べごろになると、中央の器のしょうゆも温まり、ねぎもしんなりしています。
そこへ豆腐を入れてしょうゆをつけ、豆腐の上にねぎをくっつけるようにして食べるのがおいしい。
 
また、ねぎをご飯の上にパサッとかけて食べるのもおいしいのです。
ねぎは少しばかりではダメ。
体が温まりますから、たくさん食べると体にいいのです。
 
 
 
● 私の好きな酒のつまみ、定番と時節もの
 
鍋にはずせないのが、池波正太郎さんの小説に登場する「梅安鍋」です。
これは必殺仕掛人、藤枝梅安が殺しの後先でよく食べているもので、あさりの剥き身と大根のせんぎりの鍋。
江戸前のあっさりしていて、まさにヘルシーな酒の肴です。
 
それに、鍋で忘れてならないのが「八光鍋」です。
これは、八光流柔術の初代宗家、奥山龍峰先生の考案による鍋です。
本部で師範許可式が開かれた後の祝宴はいつも「八光鍋」でした。
 
見た目はすき焼きに似ているのですが、たれが違うのです。
鷹の爪をひとつかみ、大鍋でぐらぐら煮出したあと、醤油を入れて隠し味に少量の味噌と砂糖を加えて、さらにゴマ油を少し入れて冷ました後、鷹の爪を笊で濾します。
強烈な辛さで、すき焼きのように甘くないから量が食べられる上に後味がよいのです。
 
具は牛肉に、焼き豆腐、糸こんにゃく、ねぎ、白菜。
これはすき焼きと変わりないですね。
季節季節の香味野菜、にら、せり、三つ葉、春菊と、山形産の板麩を入れます。
しかし、川越では山形の板麩は1年中手にはいるものではないので、いつも入れるわけではありませんが、八光流のご本家では必ず入ります。
鍋の最後にうどんを入れるのですが、これが又おいしい。
 
鮟鱇鍋も大好物ですが、食べ過ぎたときに通風になったので、今は控えています。
 
ほかには、ジャガイモの炒めもの。
厚めの短冊切りにしたじゃが芋をバターで炒め、薄い塩味にしてウスターソースをかけて食べます。
コンビーフとキャベツの炒めものは、固まりのコンビーフをゴロゴロ入れ、キャベツと炒め合わせます。
 
そのほかに、ゆでたそら豆、枝豆は定番。
刺身は時期のものを一品。
もやしを炒めてウスターソースをかけて食べるのも好きです。
 
あとはメンチカツとシュウマイ。
私の好きなシュウマイは肉があまり入っていなくて、全部うどん粉みたいなのですが、これも売っている店がなくなりました。
でも、今でも一軒だけ売っている店があるので、そこで買ってきてもらって食べています。
メンチカツも私なりにこだわりの店があって、そこのが好きなのです。
 
それに、串に刺した昔のポテトフライが好きです。
外部の人とお付き合いにない日は、6時半頃から8時半ごろまで飲んで食事して、心豊かになって家に帰ります。
 
 
 
● 私の健康法は
「眼には青葉、朝の気功に夜の酒」
 
「酒は百薬の長、この上ない養生法」と考えている私は、毎日、酒を欠かしたことはありません。
 
だから、「あなたの健康法は?」と聞かれると「朝のに気功に夜の酒」と答えることにしています。
これをいうと皆さん、例外なく納得してくれます。
これ以上は何も問われません。
実に霊験あらたかな言葉なのです。
 
そして実に霊験あらたかなことがありました。
八戸に講演に行ったときに、着いたらすぐ造り酒屋に行ってご馳走になるからといわれたのです。
 
そこは造り酒屋なので、お店ではありませんから、奥さんの手料理で、初対面の造り酒屋の座敷でご馳走になったのですが、そこの人が、私が養生法として「朝の気功に夜の酒」と書いているのを本で読んだらしく、帯津先生とどうしても会いたいとおっしゃったらしいのです。
 
自分のところは酒屋ですからこれは気に入った、ぜひ連れてきてほしいと主催者に頼んだらしいのですが、そこの奥さんの手料理がまた豪勢で、海のもの、山のものがたくさん並べられていて、これは本当に楽しかった。
何が幸いするかわかりませんね。
 
今は、その上に「目には青葉」というのを入れるのです。
「目には青葉、朝の気功に、夜の酒」です。
「目には青葉」というのは、その時の旬のものを食べる。
旬のものを肴にして飲む・・・・・・ということです。
 
酒は飲みすぎてはいけません。
世阿弥(室町時代の能役者、能作者)がよいことをいっています。
「酒は微酔に飲み、花は半開を見る」と。
酒はほろ酔いがよいのです。
飲みすぎさえしなければ休肝日は必要ありません。
 
そして酒を飲んだらすぐに寝ます。
お酒を飲むと血管が拡張するので、血圧が下がります。
しかし、飲みすぎると血管が収縮してくるので、青白くなってきます。
収縮するので、血圧が上がるのです。
 
ですから血圧の高い人が酒を飲む時は、それこそ微酔に飲まなくてはいけません。
酒を楽しみ、その安らかな気持ちの、血管が広がった状態で寝てしまえばよいのです。
飲んで夜更かしなど絶対にすべきではありません。
 
 
 
● 酒の飲み方に品性が伴ったとき、養生になる
 
中国の長寿者も皆酒を楽しんでいます。
長寿は具体的に何歳ということはできませんが、唐の詩人の李白に代表されるように、皆酒を飲んでいます。
 
花間一壷酒 (花の中で一壷の酒をかかえ)
独酌無相観 (ひとり飲んでいて友もない)
挙杯邀明月 (杯をあげて名月をむかえ)
対影成三人 (自分の影を合わせるとやっと三人となった)
 
ではじまる「月下独酌」と言う連作の中に
 
賢聖既已飲 (賢も聖ももはや酒を飲んだのだ)
何必求神仙 (どうして神仙を求める必要があろう)
三盃通大道 (三盃飲めば天地をつらぬく大道に通じ)
一斗合自然 (一斗飲めば大自然と一体となる)
 
という句があります。
 
三盃飲めば、大道に通じ、一斗飲ば自然に合する。
まことに悠々としているではありませんか。
これこそ養生の目的です。
人々とは不老不死を神仙の求めようとしているがそんな必要はない、ただ盃を手にするだけでよいのだ、といっているのです。
 
まこと、酒は養生の道です。
 
酒におぼれて体調を崩したり、酒で人生を狂わせてしまう人もいますが、酒を愛し、酒を知って、酒の中に養生の道を見た人だけ養生なのです。
 
ここに養生道としての酒の妙があります。
どうすれば酒に中に養生の道を見ることができるのでしょうか。
 
「酒を飲むのは修行であり、酒場は品性を向上させるための道場であり、戦場だと思っていた。だから、僕は真剣に酒を飲んだ」
(諸君!この人生、たいへんなんだ」講談社)と作家の山口瞳さんは記しています。
 
私はこの一文が好きなのです。
この「道場であり、戦場である」という心意気で、酒は飲まなくてはいけません。
酒に品性が伴ったとき、酒が養生となるのです。
 
 
 
● 酒を養生にする酒席のマナー
 
さて酒席での話題のことです。
酒は楽しく飲まなくてはいけません。
楽しさを盛り上げるのは相手と話題ですね。
これで酒は何倍にも、いや何十倍にも楽しくなります。
それで思い出すのが太極拳の楊名時先生とのお酒です。
 
話もゆったり、時もゆったり、周りの空気までゆったりとする・・・・・・そんな心ほぐれ、体ほぐれるすばらしい酒でした。
 
どんな親しい人、親しい先輩でも、感情的にぎくしゃくすることが時としてどこかにあるものです。
お酒はそういうことを忘れさせてくれる席でありたいですね。
楊先生とのお酒がまさにそれでした。
 
どういうことかといいますと、先生は人の悪口はいわない、政治の話はしない、仕事の話もしない、つまり、人間の感情をいらだてたり、脳を刺激したりする話はしないということ。
だから、何をしゃべっているのかといわれて、あとで思い出しても思い出せないくらいの話なのです。
でも、楽しい。
 
楊先生は、私の太極拳の師であり、先生が数回入院されたことがあって私が主治医という関係にもなっているのですが、まさに先生のお酒は往時の中国の大人という風格でしたね。
先生との酒の席は、仕事を含め、この世の一切の雑事、難事から解き放たれる時間でした。
私はお酒を政治や経済といった交流に利用してはいけないと考えています。
 
月2回、多いときには3回、先生のご自宅をお訪ねするのは、とりあえず往診が名目になっています。
ですから、手早く診察を済ませて、ビールで乾杯して、楊先生は日本酒を飲まれます。
私が中国酒を飲む。
「これが日中友好だ!」などと言って。
 
楊先生はいつも古里の山西省の汾酒という酒、60度くらいある強い透明な酒を用意してくれていました。
それを少量ずつゆっくり飲むのです。
もちろんストレートですが、時々氷水(チェイサー)の力も借ります。
 
楊先生のご自宅は道場をかねた造りですので天井が高く、四方の壁には、大きなな中国の書画が掛けてあり、いかにも中国風なのです。
この雰囲気の中で飲む汾酒です。
 
夕方5時半か6時ごろから始まり、8時30分には決まって終わります。
この2時間半か3時間ばかりは、まさに日常を超えた至福の時間でした。
 
 
 
● 旅先で味わう心ときめく土地の酒
 
旅に出たときは、その土地の酒を楽しみます。
これがまたよいのです。
遠方での講演が終わったら、少し早めに空港でも新幹線の駅でも、着くようにします。
40分は余裕があるようにして、空港のレストランで一人で酒を飲むのです。
これがなんともいえず楽しい。
旅先ではその土地の酒を飲みます。
 
先日私の同志が鹿児島の指宿の新しい病院の院長に赴任し、その開院に招かれて出かけました。
帰りは車で送ってもらうことになったのですが、指宿から鹿児島空港まできちんと計算して、ちょうど40分くらい余裕を持って空港に着きました。
 
そこで、レストランでかつおの刺身とトロ鉄火を注文して生ビールを飲んだのですが、メニューの焼酎の銘柄を見たら『森伊蔵』と書いてあったのです。『森伊蔵』はものすごくおいしい焼酎で、値段も高いし、そうそうお目にかかれない鹿児島の名酒です。
 
ドキドキしながら、「森遺贈を下さい」と注文したら、「それは限定品で今日の分は売り切れました」といわれてしまいました。
そこでメニューをもう一度見たら私の好きな『伊佐味』という焼酎があるではありませんか。
そこで『伊佐味』を飲んだのですが、なんとも幸せな時間でした。
 
旅情を感じながら、その土地のおいしいものを1品、2品味わうのですが、地方空港の少し寂しい感じが、又、そこはかとない旅の名残を胸に刻んでくれるのです。
 
中国にも心ときめく酒がありました。
ある親しい漢方の先生は私が上海に行くと必ず自宅に呼んでくれて一晩飲み明かしました。
料理はちっちゃなお勝手で、奥さんが鍋一つでちゃちゃっと作ってくれて、それをつまみに2人で強い酒を飲むのです。
 
そのとき先生は80代だったと思います。
通風持ちなのに飲むので、「先生通風は大丈夫なのですか」と聞いたら、「何をいってるんだ、あなたがきているから飲むんじゃないか」と怒るんです。
まさしく「友あり遠方より来る――」です。
そして、「あなたが帰ったら、明日は足を抱えて泣いているよと。
 
その先生が94歳でなくなられました。
当時、中国ではサーズ(SARS、重症急性呼吸器症候群)が流行し極めて危険な状態でしたので、周囲から中国に行くことを強く反対されました。
しかし、楽しく酒を飲み交わした友の葬式には、参列しなければならないという強い心で上海に行きました。
中国の葬式に行ったのは後にも先にもこの1回だけです。
 
 
 
● そば屋でいっぱい、が私に合っている
 
外科医として手術を多くこなしていた若い頃は、大手術のあとは仲間と一緒にバーに繰り出すということがよくありましたが、今はほとんどありません。
酒を味わうためには、そば屋さんがよい。
蕎麦屋さんで飲むときは何といっても日本酒です。
 
よくいくのが日暮里の谷中口の近くにあるKという店。
ここではビール1本にコップに口切一杯の日本酒2杯と決めています。
日本酒は『越州』。
この店には各地の名酒が目白押しですが、初めての時、何気なく『越州』を選んでみたらうまかったので、ずっとこれで通しています。
 
肴は季節にもよりますが、熱々で塩気が利いているそら豆と枝豆は最高。
やわらかい谷中しょうが、鱧板に卵焼き、種類が豊富で活きがよい刺身。
 
こうして飲みながら、仕上げはどのそばにしようか、とろろそばにするか、それとも深川そばにしようかと壁のメニューを見ながら思案します。
この思案も、また楽しい、至福の一こまです。
 
そして、いよいよ2杯目の『越州』が半分切る頃、決定的なときがやってきます。
ほぼ、とろろそばにしようと思って声をかけるのですが、私は、「カツ丼をください!」といっているのです。
 
頭で体によいとろろそばにしようと思っているのですが、食べたい気持ちは、カツ丼に向いている。
だから、「カツ丼!」といって驚いたあとは妙にほっとし、これでよかったのだと満足しています。
 
その後しばらく、また、やってしまったという思いです。
カツ丼が運ばれてきて、目の前に置かれた瞬間、この良心は雲散霧消し、心は一気にときめきの頂上へ駆け上がります。
色合いがよい。
そして、ぷーんと鼻にやさしいあの匂い、とじてある卵が丼の淵に引っかかっているのも、ものすごくよい。
味は少し醤油が辛めです。
 
このなんともいえない満足。
とろろそばではこうはいかない。
とろろそばには気品はあるが、このときめきとなるとカツ丼にはとても及ばないのです。
 
高級料亭などが好きな人はお金がかかるでしょうが、私は、そば屋さんですから、お金のかからない贅沢です。
 
 
 
● 酒は虚空と一体になるためのチューニング
 
生まれた故郷の虚空へ還るため、酒は微酔に飲む。
心地よい酒は、虚空と一緒になるチューニングに必要と思っています。
チューニングとは、楽器などを調律して調子を合わせるときに用いる言葉ですね。
 
私は、医療に携わる中で、なくなっていく患者さんと付き合いながら、死後の世界はある。
生命は死んで、肉体は滅んだあとも、虚空に向かって還っていく。
一つの大きな生命の循環を考えるようになりました。
 
人は、故郷から来て、故郷に帰るという考えです。
この旅は片道150億年と見ています。
それはビッグバンから150億年だからで、往復300億年の生命の旅です。
 
毎週金曜日の夕方、私の病院では、「院長講話」と言う時間があり、そこで話します。
このような時、虚空のこと、300億年の話をします。
聞いている患者さんたちが、大いなる循環に思いを馳せ、今日という1日も、この循環の中の1日であり、今日という日がなければ、循環が成り立たない、今日という1日を、精一杯生きようと話します。
すると、患者さんたちの顔に精気が蘇り、生命が溢れ出てくるのがわかります。
 
気功や太極拳によって息を吸ったり吐いたりしながら、私たちは虚空と交流しているのです。
食べものを通して大地の気を体内に取り入れるのも、虚空との交流です。
すべては死後に虚空と一体になるためのリハーサルと思えばよいのです。
 
このチューイングの仕方がわからないまま死後に旅たってしまうと、虚空にたどり着いたときに調子がピタッと合わない状態になります。
そのようなことのないように、私は夜、酒を飲むことで虚空と調子を合わせる練習をしているのです。
 
虚空といったいという気持ちで酒を飲めば、飲みすぎることはありません。
これぞ、養生と思っています。
白隠禅師は『夜船閑話』の中で非常によいことをいっています。
 
若いお坊さんたちが呼吸法を一生懸命やっていると、
「お前らそんなことをやって長生きしようとしても無理だぞ。ただ長生きしたって、そんなのは古狸が古巣で寝ているようなものだ。それよりは「虚空」と一体となって、生きながらに仏身になることだ」
というのです。
 
まことに「虚空」と一体となるということを白隠禅師は、
「虚空に先立って生ぜず、虚空に遅れて死せず」
という言葉を使っています。
 
虚空より先に生まれない。
虚空より遅れて死なない。
ということは、虚空と一体となるということです。
 
 
 
 

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001