あんな話 こんな話  122
 
ドクター帯津良一の
『ときめき養生食』
海竜社刊
より その8
 
第8章 食は薬に勝る、気は食に勝る
 
 
● 「気」はからだを無秩序化から救う働きをする
 
「気」は中国4000年の歴史がありますが、まだ正体をつかめていないのです。
中国でも日本でも欧米でも、研究している人は世界にたくさんいるのですが、本当のところはつかめていません。
 
しかし、「気」に付随した物理的な性質はキャッチできています。
光が手のひらから出るとか、温度が高まるとか、遠赤外線が出るということがわかってきましたが、では遠赤外線や光がイコール「気」かというと、そういうことではありません。
遠赤外線が「気」なら、「手かざし」をするより、遠赤外線の機械を購入して当てたほうがよいことになりますが、それでは何の効果もありません。
 
しかし、今は何もつかめていませんが、将来はつかまえられるだろうということを人々が確信するようになってきています。
 
私は「気」はエントロピーと関係があると思っています。
エントロピーとは、無秩序化の指標とみなされ、すべてのものごとは放っておくと不可逆的に、無秩序化の方向に進むというのが「エントロピー増大の法則」です。
この法則は、この世のすべての現象で考慮されなければならない基本法則とされています。
 
人間の場合も、この基本原則は当てはまります。
生きていくために、からだの中では、さまざまな反応が行われています。
その反応に必要なエネルギーは、太陽から植物の光合成を経て、体内に入ってきて、それぞれの反応にあったエネルギーに変換されます。
エネルギーの変換が起こるたびに、エントロピーが発生します。
エントロピーが蓄積されていくと、体内の秩序が乱れて、健康状態が悪くなっていきます。
 
それにもかかわらず、「私たちが日々健康に過ごすことができるのは、エントロピーが熱や物にくっつけられて、体外に排泄されているからであるからというのが、エルヴィン・シュレーディンガー(オーストラリアの理論物理学者、1887〜1961)の説です。
 
私自身は、「気」は「エントロピー増大の法則」と反対方向に物事を進める何か、例えば、粒子かエネルギーではないかと思っています。
素粒子が次々とわかってきたように、「気」も素粒子と同じレベルの彼方でわかるかもしれません。
それを期待しています。
 
 
● 「気」が体内を円滑にめぐっている状態が健康
 
「気」は中国医学の中心になっているのですが、生命の根源物質ということで、みな納得しているわけです。
その上で膨大なあの中国医学が構築されているわけですから、「気」の存在は否定できません。
 
体内と「気」はわれわれを取り巻く森羅万象の中から、あるいは、宇宙から入ってきて、からだの中を過不足なく、ある一定の量で円滑にめぐっている状態を「健康」といい、これに過不足が生じたり、流れに滞りができた状態を「病気」というのが、中国医学の考えです。
 
「気」は証明されていませんが、私は「生命エネルギー」だと考えています。
先に体の中の臓器と臓器の間にすき間がいっぱいあると述べましたが、このすき間が重要なのです。
すき間には人間の目では確認できない電磁場をはじめとする、さまざまな場があります。
中国医学でいう「気」がここに存在して、「気場」を作っていると考えます。
これら「場」をひとまとめして、私は「生命場」と呼んでいます。
「気」の存在が、ある程度理解できたら、「気」を取り入れ、使ったものを出し、体の中を円滑に回すことが大切です。
そういう方法論として出てきたのが、中国の「気功」であり、インドでは「ヨーガ」です。
 
「食」もやはり、大地の「気」を体内に入れて「気」をめぐらせていくわけですから、「食」だけ単独で考えるのではなく、ライフスタイルの中で行える他の養生法、例えば、気功やヨーガとの組み合わせを考えていくとよいと思います。
 
健康を維持していくには、生命場のポテンシャル(潜在力)を高めることが必要です。
それには、心が喜ばなくてはなりません。
食事はおいしいと思って食べ、毎日の生活を楽しく過ごすことです。
心と体が喜んでいることが「気」のめぐりをよくして、真の健康をもたらすのです。
 
よく家の中が明るいとか陰気だとかいいますが、これも「気」なのですね。
こうした、家庭という「生命場」のエネルギーを「気」として考えるとわかりやすくなると思います。
 
中国でよく聞く話ですが、毛沢東時代の総理、周恩来さんはこの「気」のレベルの非常に高い人で、彼がパーティー会場に遅れて入ってくると、姿をみないでも来たことがわかったというのです。
パーティー会場のエネルギーが高まるらしいのです。
 
 
● 体内に「気」を取り入れるのに
有効な気功と呼吸法
 
人間の体の秩序を調え、健康に導いてくれる「気」というものを体内に取り入れるためも一つの方法として、私は、毎朝7時30分から病院で気功をしています。
曜日によって違いますが、知能功、外丹功、私が考えた名前のないもの、それに、新呼吸法「時空」をしています。
 
気功と聞くと、非常に難しいもののように思われそうですが、誰にでも簡単にできるものなのです。
 
気功には3つの要素があります。
それは「姿勢、呼吸、心」です。
これらの3つを整えることをそれぞれ、「調身、調息、調心」といい、これが整えば正しい気功を会得することができるといわれています。
決して難しいことではなく、誰でも身につけることができます。
 
ただし、正しい呼吸(調息)をするためには、気を入れやすい正しい姿勢(調身)をし、心から雑念を払う(調心)が必要で、この3つは、それぞれ密接に関連しており、“三位一体”の関係といえます。
 
この3要素のうち、特に調息にウエートをおいたものを呼吸法と呼んでいます。
私たちは普段、無意識に呼吸を繰り返していますが、呼吸という文字が示しているように、まず、ゆっくりと吐いて、それから吸います。
吐く方に重点を置くと、宇宙に存在する「気」を十分に取り入れることができるのです。
 
息は吐けば、自然に吸うことができます。
赤ちゃんは、「オギゃー」といって生まれてきますが、これは、息を吐くのですね。
そして、一生を終えるとき、「息を引き取りました」といいます。
これは吸って亡くなるということです。
 
気功におびただしい種類がありますが、効力の優劣はほとんどありませんから、自分にあった気功法を、毎日、1日30分でも生活の中に取り入れ、続けて行うことです。
放松功とか外丹功は年配の方でも入りやすいやさしい気功といえましょう。
気功の教室は、カルチャーセンターなど各地にありますので、いろいろな気功教室で体験されるとよいでしょう。
ただし、先生と生徒の間には、相性がありますから、信頼できる師に指導してもらうようにします。
 
 
● ゆったりと長い呼吸は生命場を高める
 
また大学病院に勤務していた頃、時間を見つけては図書室に入っていたものです。
私が所属していた東大付属病院分院は本部キャンパスにこらべて何から何まで、比較にならないくらい小さいので、書庫といっても、狭いものでしたが、それでも内外の文献が一冊になった医学中央雑誌はかなり古いものから揃っていました。
 
コピーの機械の時代のない時代でしたから、目的の論文を(カードで)検索しては自分で書庫に入って見つけて閲覧室に運び、必要な箇所を大学ノートに翻訳しながら書き写したものです。
コピーに比べれば想像を絶するほど能率の悪いものでしたが、頭にはよく入ったような気がします。
 
そのような論文の中に、犬を用いた実験で腹腔内をリズミカルに変動させることによって、腸管の血流量が増加することを示すものがありました。
これは呼吸というものが重要であることを示す、立派なエビデンス(科学的根拠)だと思ったのです。
 
また、呼吸する時、吐く息をゆっくり行うと副交感神経が優位になり、息を吸うときに交感神経が働くということは、かなり前からいわれています。
私自身の医療気功25年の経験からもこの説には確信が強まり、今ではこの論は十分のエビデンスを備えたものとして捉えています。
 
さらに大いなる追い風となったのが、副交感神経が優位になると、血液中のリンパ球が増えて免疫能が高まるという安保徹教授(新潟大学、免疫学)の研究です。
私の病院に通う患者さんの表情には、この追い風を得て確信が満ちています。
 
次に、私が重点を置いているのは、丹田呼吸法です。
丹田呼吸法は一呼一吸(吐いて吸う)、丹田を意識することで、生命のエネルギーを高める方法で、人間の霊性を高める方法です。
丹田呼吸法とは本来スピリチュアルなものです。
 
しかしなぜ、丹田が注目されるのでしょうか。
まだ、外科医として手術を手がけていたとき、直腸がんの手術をしました。
そのとき、小腸を脇によけてしまうと、そこには何もありませんでした。
まさに、空間です。
丹田とは何か? 正体は何か? と探究心に燃えている私は、この空間には何もないわけではない、ただ見えないだけで、そこには生命に直結する気のようなものが存在して「場」、すなわち「生命場」を形成していると確信したのです。
呼吸という動きによって「気」は「生命場」を高めるのです。
 
 
● 薬はみだりに飲まない、ふやさない
 
西洋医学の薬は科学合成物質が多いので、なるべく使わないですめばその方がよいですね。
薬をやめたら元気になったということが確かにあるのです。
できれば漢方薬、あるいはホメオパシーが体への抵抗を和らげると思います。
 
病院で呼吸器科、循環器科と、いろいろな科をまわると、ゆく先々で薬をもらうケースがありますが、高齢者は体力がないので、あまりいろいろな薬を、たくさん飲むのはよくありません。
ところが、薬が好きな人がいて、薬がいっぱいあると安心するお年寄りがいるのですね。
これはやめて、できるだけ自然な方法で治すようにします。
 
仕事に追われるサラリーマンが病院に駆け込んできて、「明日出張なので、今日中に治してくれ」と無理をいう場合も時々あります。
そこで仕方なく抗生物質を注射します。
すると確かに葛根湯などを飲んで寝るよりは早く治ります。
風邪はウイルスですから、本当は抗生物質を注射しても治らないのですが、プラシーボ(偽薬)効果があったり、多少の一般感染を抑える効果はあります。
それで早めに治るわけです。
 
私自身、これまで何回となく葛根湯を飲んだ場合と、解熱剤と抗生物質を飲んだ場合とを自分の体で比べてみたことがありました。
できれば葛根湯だけで治したいと思っているのですが、近日中に大事な手術を控えている時など、そのような悠長なことはいっていられません。
即効性のある解熱剤と抗生物質を飲むわけです。
 
その結果はこうでした。
解熱剤と抗生物質を飲んだ時には熱の冷め際が大変気持ちが悪く、葛根湯を飲んだときには気持ちよく熱が冷めてきます。
 
葛根湯は食べものと同じようなものですから、体内に入っても自然ですが、抗生物質は抗菌作用を持った物質ですから自然であるはずはありません。
それでこのような違いが出てくることになるわけです。
抗生物質の冷め際は、本当に不自然さや不快さを感じさせられます。
 
抗生物質は確かに、近代医学に大きな功績をもたらしました。
ペストや結核は、抗生物質がなければいったいどのくらい猛威をふるい、死亡者を増やしたかわかりません。
しかし、抗生物質を取り入れることによって、自然治癒力は確かに低下します。
みだりに使用しないことです。
 
 

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