■ 予防医学〜
病気にならないために〜  その3
武熊宣孝×山田英生 対談
 
■ 命がつながる場所、農業へ帰ろう
 
● 難問山積の日本農業
山田:
いのちを支える食、その食を生み出す日本の農業が今、ピンチに立たされています。担い手の約7割が65歳以上といわれ、耕作放棄地も埼玉県の面積に匹敵するまでに広がっています。
08年の食料自給率は先進国最低の41%。
これでは将来、日本が食料危機に見舞われても、食料確保は難しいのではないでしょうか。
 
竹熊:
酪農関係も厳しいですよ。
私が住む熊本県の旧泗水町(現菊池市)は、県内でもトップクラスの生乳生産量を誇る酪農の町なんですが、昨年だけでも7軒が廃業に追い込まれました。
聞けば、「後継ぎがおらんけん」と経営者は肩を落としていました。
どうやら、後継者となるべき子供たちが酪農に魅力を感じず、東京や大阪で就職したまま、熊本に帰って来ないんですね。
最近の消費者の牛乳離れに加え、飼料の高騰や低い乳価が経営を圧迫し、酪農の先行きに希望が持てないことが背景にあるようです。
 
山田:
確かに牛乳の消費量は減っていますし、輸入に頼る穀物飼料も再び高騰する恐れがあります。
乳価だって出荷するまでの手間ひまを考えれば、コンビニで売っている水のほうがよほど高いようにも思えます。
酪農を含め今の日本の農業には明るい兆しが見えてこない気がしますね。
 
● 影を落とす近代化
竹熊:
今日の農業の衰退ぶりを見ると、私には1960年代に始まった農業の近代化が影を落としているように思えてなりません。
生産性向上をめざして近代化した農家は、大型機械を導入し、農薬、化学肥料を大量に投入しました。
その結果、省力化などで生産性は伸びたものの、農薬による健康被害や水、土壌などへの深刻な環境汚染をもたらしました。
私の弟も農薬のホリドール中毒で倒れ、これをきっかけに私は医師を目指したのです。
確かに近代化によって農家は過酷な労働から解放されましたが、その結果、皮肉にも多くの離農者を生み、食料自給率も下降線をたどり、この50年間で日本の農と食の土台が崩れようとしています。
 
山田:
農村での病気も変わったでしょうね。
 
竹熊:
ずいぶん変わりました。
昔は寄生虫や貧血などが多かったのですが、今はガンや心臓病、糖尿病、痛風などが増えました。
やはり、食べ物が大きく変わったのが影響しているのでしょう。
かつて農家の人たちは、自分たちで作ったコメや旬の野菜、手作りのものを中心につつましく食べていましたが、今はスーパーで買った冷凍食品やレトルト食品など実に雑多な食べ物が食卓に並んでいます。
それと、農薬など化学物質の影響も見逃せませんね。
多くの農薬や合成洗剤などが川や海に流れ込み、土の中にも深く染み込んでいます。
その中で微生物や植物、魚介類は成長し、最後は食物連鎖で人体に取り込まれていく。
農作物だってそうですよ。
人間が口にするものに農薬をかけたら健康によいはずがありません。
農村でいろんな病気が増えているのも化学物質による汚染と、決して無縁ではないでしょうね。
 
● 自然から遠ざかる食べ物
山田:
近年、科学技術の進歩で農業の生産技術もめざましい発展を遂げています。
遺伝子組み換えの大豆からできた納豆や豆腐などが食卓に並んでいるかもしれません。
しかし、遺伝子組み換え食品が人体にどのような影響を及ぼすのか、その安全性はまだ実証されていない部分も多いようです。
結局、人類がこれから数世代にわたって食べ続けてみないとその安全性は確認できないでしょうし、周辺の生態系への影響だって解明されておりません。
最近、企業が相次いで参入している植物工場にしても、発光ダイオードなど人工的な光を使い、コンピュータ制御で日照時間から温度、湿度、水温まで管理しながら野菜を育てています。
土もつかわず、農薬もなし、おまけに天候に左右されず安定的に生産できるという理由で大変脚光を浴びていますが、果たしてどうでしょう。
どんなに科学が進歩し、文明が進んでも、やはり農業は、自然とは切っても切れない関係にあり、その恵みに頼らざるを得ません。
遺伝子組み換えや植物工場などの技術革新も、私には経済の視点を優先し過ぎているように思えてなりません。
人体に対して、何らかの悪影響があったとしても、その害が急性ではなく、慢性的なものであったならば、その因果関係は非常に立証が困難でしょう。
農業や食べ物がしだいに自然から遠ざかっていくようで、寂しい気がします。
 
竹熊:
まさに「農学栄えて農業滅ぶ」という状況になりかねませんね。
2001年以降、日本でもBSE(牛海綿状脳症)問題が起きて、大変な騒ぎになったことがありました。
原因は、ウシに飼料として与えた肉骨粉が感染源という説が有力でしたが、この問題の根底には、いかに早く効率的にウシを太らせてもうけるか、という考え方があり、その点では、遺伝子を操作して害虫や除草剤に強い品種を開発することによって生産コストを下げる遺伝子組み換えの考え方と流れは似ています。
いかに効率的にもうけるかという思いが見え隠れしています。
 
山田:
これまで日本の農業は、「きつい」「汚い」「もうからない」など、イメージはあまりよくはありませんでしたが、最近は技術革新も進み、こうした負のイメージが変わりつつあります。
利益第一主義、効率ばかりを追求する都会の企業で働くよりは、自然の中で「いのち」に直結する食べ物をつくる喜びや生きがいに魅力を感じている人も多いはず。
農業をめざす若者も徐々に増えてくるのではないでしょうか。
 
竹熊:
不況で雇用の厳しい今が、チャンスかも知れませんね。
農業は土地と水と太陽さえあれば、食糧危機がきても自分と家族が食べていく分ぐらいは何とかなりますから。
 
● 直売所が農の危機救う
山田:
消費者のコメ離れや輸入農産物の急増など農家を取り巻く状況は、依然厳しいですが、その一方で道の駅や農産物直売所が全国的に活況を呈しています。
今、全国には約1万3千軒の農産物直売所があり、売上額は農業総産出額の約6%に当たる5000億円とも6000億円ともいわれています。
中国の冷凍ギョーザ事件などをきっかけに食の安心・安全に対する消費者の意識の高まりが背景にあるのでしょうか。
 
竹熊:
私の住む地域でも、今までゲートボールや温泉に行っていた70、80歳のじいちゃん、ばあちゃんたちまでが自分たちで作った野菜を道の駅や農産物直売所に持ち込むようになりました。
現金は入るし、孫にも小遣いをあげられる。
最近、体をくの字に曲げたばあちゃんが「先生、野菜づくりがこんなに楽しいとは思いませんでした」と、うれしそうに話しかけてくるんですよ。
 
山田:
直売所は「新鮮な農産物が安く買える」というイメージが強いですが、生産者にとっては、これまで畑に捨てられるか、自分の家でしか食べる方法のなかった虫食いや不揃いの野菜にまで値がつき、現金収入につながるようになりました。
消費者には、採れたてで鮮度抜群だし、安いうえに生産者の顔が見えて安心できる、という点が人気を呼んでいるようです。
それと、ドライブの帰りなどに立ち寄り、試食しながらその土地の特産物を見て歩く楽しさもありますよね。
しかも、地元にとっては地産地消や自給率の向上にもつながり、こんなにいいことはありません。
竹熊:
私もダイコンやニンジンなど100円均一の直売所を30年間も続けてきましたが、道の駅への出荷は、じいちゃん、ばあちゃんの生きがいにもなっているようですし、これからもどんどん野菜をつくってもらい、それを若い人が受け継いで行けるようなシステムができれば、農村も活性化すると思うのですが。
 
山田:
直売所の取り組みは、消費者にも「無農薬」とか「新鮮さ」とか、食べ物に対するこだわりの意識を芽生えさせたような気がしますね。
こうした空気を生産者側も敏感に感じ取って、付加価値の高い農産物を作って売れば、農家の収入増や地域の活性化にもつながるし、その結果、都会に出た若い人もふるさとに戻ってくるかもしれません。
直売所や道の駅の取り組みはこれからの農業を大きく変える可能性を秘めているのではないでしょうか。
最近、「未来の食卓」というフランスのドキュメンタリー映画を見ました。
昨今のヨーロッパでのオーガニックブームの発端となった映画だそうですが、これも生産者と消費者との対話というものが、一つのキーワードとなっていたように思いました。
養蜂家だった私が、通信販売を始めたのも、実は、食品の流通を、食品産業には任しておられないとの生産者としての危機感があったからです。
 
● 期待が大きい市民農園
竹熊:
確かに経済的にもうかる仕組みも大事ですが、それ以上にこれからは生産者が消費者に対し、農業を通じて「いのちのつながり」を教えていくことが、ますます重要になってくるでしょう。
その点、市民農園は、農業を理解してもらう場としても、農業と触れ合うきっかけとしても、格好の舞台ではないでしょうか。
ヨーロッパでは、この市民農園が文化としてしっかり社会に根づいています。
例えば、ドイツには「クラインガルテン」と呼ばれる小さな農園がたくさんあり、200年近い歴史があると聞いています。
私も農業の楽しさを多くの人に知ってもらいたくて市民農園を開設しています。
 
山田:
ようやく日本でも広がりを見せてきたようですね。
全国では3000を超える市民農園があり、中には休憩施設や宿泊設備の整った滞在型の市民農園も増えてきました。
都会に住む人のように庭や畑がなくても手軽に借りられる農園があれば、自分の生きがいや健康づくりにも最適だし、都市と農村の交流や耕作放棄地の解消にもつながるでしょう。
子供たちだって体験学習などで野菜やコメを育てれば立派な食育にもなります。
その結果、農業への理解が深まれば、日本の農業や食も大きく変わる可能性が出てくるかもしれません。
 
■ 食生活の改善が、医療を救う第一歩
● 病気を診て病人を診ず
山田:
先日、菊池養生園で竹熊先生の養生説法を直接お聞きすることができました。
食と「いのち」とのつながりから、その食を生み出す農業、さらに医療のあり方まで幅広くお伺いし、改めて「いのち」の大切さについて学ぶことができました。
先生は、かつては熊本大学病院で血液学を専門にご研究され、その後農村医療に転じられましたが、その一方で、暴飲暴食という自らの体験から「食は病の根源」であることを悟られ、「医と食と農の連携」という極めてユニークな実践をされて来られました。
これからの医療は治療中心から予防へと軸足を移しつつありますが、先生の取り組みは、予防医学の視点から見ても大変貴重な試みだと思っています。
 
竹熊:
私も大学病院時代は、薬物治療、器械とデータを重視した現代医学一辺倒で、自分のテーマである血液の研究に没頭するあまり、病気ばかりをみて肝心の病人を診てこなかった点は否めません。
また、自ら不養生の極みで食いわずらいとなったのを機に、人間全体を見つめる「いのちの医療」の大切さに目ざめ、医から食への模索、そして農への志向となったのです。
山田:
今、日本の医療は、医師不足や救急体制の不備、医療費の増大など多くの問題点を抱え、地域医療は崩壊の危機に瀕しています。
特に医師不足は深刻で、病院の勤務医は大変な激務で満足に休む暇さえありません。
お産や救急の担当医は四六時中、呼び出され、医療ミスがあれば裁判に訴えられるリスクも抱えています。
中には手術のほかに雑用まで引き受け、夜もほとんど寝ないで、翌日手術に入る外科医もいると聞きました。
これでは外科医を敬遠する若者がいても不思議はありませんね。
 
● 医師不足補うNP制度
竹熊:
医師不足は、私の住む地域でも例外ではありません。
病院関係者や首長さんたちも私のところへよく来られ、「先生、誰かいい人がいたら紹介していただけませんか」と医師探しを頼まれることも結構ありますよ。
でも、医師不足といっても、何も今に始まったことではありません。
昔から医療は都市中心で、過疎地域では無医村のところも多かったし、山村では医師不足が常態化しているところもありました。
 
山田:
医師不足は、私たち医療を受ける側にも反省すべき点があると思いますね。
例えばちょっとしたことでもすぐ救急車を呼び、かかりつけ医でも十分対応できる軽微な症状でも大学病院や総合病院に駆け込む。
元々、大学病院の使命は、教育や研究にあり、総合病院は重篤な患者さんや急患を診るのが本来の役目ではないでしょうか。
何でもかんでもこうした大病院に頼るのはどうかと思いますね。
本来、軽い症状の処置や投薬などは、かかりつけの開業医、手術や大がかりな検査の場合は、大学病院や総合病院というように、ある程度、役割分担をしないと、病院の医師不足はなかなか解消しないし、勤務医の激務も改善しないと思います。
今、医師に代わって看護師が軽度な診療行為を行うナース・プラクティショナー(NP)の導入が注目されていますが、医師不足改善の切り札になるでしょうか。
 
竹熊:
やっと、日本でもいくつかの看護系大学などで養成講座が始まりましたが、多忙な医師の負担軽減にもなるし、看護師のやりがいにもつながるでしょう。
だから私は賛成ですね。
ただ、「医師でなければ医療行為はできない」という医師法の壁もあり、なんとかこれをクリアして実現にこぎつけてほしい、と思いますね。
私の娘は今、アメリカで看護の仕事をしていますが、娘に聞けばアメリカでは看護師などの専門職が医師の仕事の一部である診察、診療行為を行うのは、当たり前で、実際多くの看護師などがNPの資格を取り、医師の仕事を支え、患者さんにも大変喜ばれていると話していました。
 
山田:
看護師さんの仕事といえば、一般的に医師による診療の補助的な仕事のように思われがちですが、実際、患者さんとは常日頃から接触し、その辛い思いや、どのような処置を望んでいるかも医師以上に分かっている人も多いでしょう。
確かに法律上の壁はありますが、看護師さんが簡単な治療や診察を施したり、薬を処方できれば、医師の負担軽減だけでなく、より良いチーム医療を目指すうえでも大きな前進になるでしょう。
ぜひ、日本でもNPの制度を導入してほしいですね。
 
竹熊:
同感ですね。看護師は医療のエキスパートですから。
これまでの医療は、あまりにも医師が独占しすぎたきらいがあります。
それが、結果的に医師の責任を重くし、激務につながったのではないでしょうか。
医師が医療を独占する時代は、もう終わったと思いますね。
 
● 変わる医療機関の対応
山田:
それにしても、最近感じるのは、患者に対する医師や医療スタッフの皆さんの対応がずいぶんと変わってきたことですね。
言葉使いや接し方など患者さんに気を配る医療機関が増えてきたような気がします。
以前でしたら、医師はあまり問診もせずに、患者をすぐ血圧測定や血液、尿などの検査に回し、薬を出して終わる-というのがパターンだったような気がします。
それが、このごろは、インフォームドコンセントの考え方が定着したせいか、薬にしても「なぜ、その薬を出したのか」をきちんと説明してくれるようになりました。
それまでは、いろいろ聞きたくても患者の立場からは聞きづらい雰囲気がありましたし、薬の説明はほとんど薬剤師さん任せといった感じでした。
その点、先生は問診もじっくりされると伺っていますが…。
 
竹熊:
患者さんの既往症から家族の病歴、食生活、生活全般まで時間をかけて詳しく聞くようにしています。
なぜかといえば、病気を診る前にまず病気の背景を知りたいからです。
医学生時代、頭のてっぺんから足のつま先まで、じっくり聞くよう教授から指導を受けましたし、また問診や触診などにたっぷり時間をかける東洋医学をかじった影響もあると思いますね。
いろいろ時間をかけて聞き出せば、病気の背景も把握できますし、患者さんだって安心します。
一般的に医師は、あまりにも忙しすぎるため患者さんとの対話も十分でなく、それが原因で信頼関係が薄れることだってあるんですよ。
「医は仁術」と言いますでしょう。
医師は単なる技術者とか処方箋の書き屋であってはなりません。
 
● 専門的すぎる現代医学
山田:
確かに問診や望診を通し、患者さんの顔色や表情、話の中に検査結果のデータだけでは読み取れない重大なヒントが隠されている可能性があるかもしれませんね。
ただ単に血液や尿検査などの結果だけで判断されるとしたら、ちょっと怖い気がします。
それと、もう一つ、最近の医学はどんどん専門的になりすぎて、病人をトータルで診られなくなってゆくような気がします。
現代医学は、自然科学の上に成り立っておりますが、この科学は漢字で書くと「科の学問」と書きます。
これは全体的、体系的につながったものを一つひとつ切り離して個々に分類した学問とも読めるのではないでしょうか。
人間の体にしても、例えば血流はそれだけで存在しているものではありません。
神経とか内分泌系とかが相互に連携しあって健康な体をつくっているわけです。
対症療法にあまりにも終始すると、症状だけを追いかけがちになってしまいます。
体全体がつながっているという視点をぜひ医師には忘れてほしくないですね。
 
竹熊:ご指摘のように、今の医師は、自分の専門だけを追いかけ、患者の身体全体を診ようとしない傾向が確かにあると思いますね。
自分の専門領域にはすごく詳しいが、それ以外の分野はそうでもない。
そのような医師は、結構多いですよ。
昔はインターン制度があって、ひと通りの診療科目をマスターしなければ、国家試験に通りませんでした。
私がインターン研修を行った東京・立川市の病院は指導が厳しくて、内科、外科、精神科など、ひと通り全科を実習し、宿直の晩にはお産の手伝いまでさせられたこともありました。
 
山田:
お産までですか…。
 
竹熊:
そうですよ。
その後、1965年から1年半、本土復帰前の沖縄県の中部病院に指導医として勤務しました。
私は内科担当で血液病を中心に診ていたんですが、この病院でも週1回、全科当直の勤務があり、交通事故から火傷、食中毒、心臓発作、脳卒中まで、時にはハブに咬まれた人までが飛び込んできて、病院内はまるで野戦病院のようでした。
お陰でここでも鍛えられ、その後、医師として仕事をしていくうえで大変役に立ちました。
 
山田:
こうした経験があったからこそ、人間全体を見つめる先生の今の「いのちの医療」があるのでしょうね。
 
● 健康リテラシーを磨く
竹熊:
最近の医師をみると、どちらかといえば病める人を診るのではなく、病巣のある臓器を診る技術者になってしまった感がありますね。
技術だけでは、病める人を癒すことはできません。
医師は、病気だけを診るのではなく人間を、そして社会を診る確かな目が求められていると思いますね。
 
山田:
本当にそう思います。
年々増える医療費の増大も、確かに高齢社会の進展が背景にあるのでしょうが、病気を未然に予防できれば医療費を抑えることだって可能となるでしょう。
こうした点からも今後、予防医学はますます重要になってくるのではないでしょうか。
病気にならない健康づくりを目指すためには、食生活を中心とした生活習慣の改善が当然、必要になってきます。
私たち一人ひとりが健康や食生活、運動などの知識を身につけ、健康リテラシーを高めて行くことが求められてくると思います。
 
■ 未来の生命を見つめ 自然との共生を目指す
● 定年記念に山を買おう
竹熊:
この前、山田さんの会社を初めてお訪ねした時、社屋の周りにカシやシイなど多種多様な樹木が植えてある光景を見てとても印象に残りました。
まるで森の中の研究所に来たような感じがして、なぜか心が洗われる気がしました。
 
山田:
社屋の周りには、昔から地域の野山に生えていた常緑広葉樹や蜜源の木など約60種類3万本が植えてあります。
地域の皆さんにご協力いただきながら植えて約10年になりますが、今ではいろんな野鳥が飛んでくるし、小動物や昆虫なども棲む生物多様性に富んだ森に成長しました。
タヌキも棲みついて、林の中にはけもの道までできていますよ。
昨年の秋も、実った栗を母が収穫し、会社の食堂で昼食に栗ご飯を皆で一緒にいただきました。
 
竹熊:
それにしても、ミツバチが飛び交う自然環境と密接なつながりのある養蜂場にふさわしい見事な森ですね。
実は私も定年退職の記念に3反(約30e)ほどの里山を買ったくらい木が好きなんです。
時々、孫たちとその山に行って、山の中を歩いたり、餅を焼いて食べたりしながら一緒に遊んでいますよ。
そうしているだけで地球の「命の鼓動」が聞こえてくるような気がします。
子どもたちにとって、里山はまさに教育の場なんですね。
だから、私は養生説法を聞きにくる人たちにも「定年を迎えたら、退職金でぜひ山を買ったらいい」と勧めています。
 
山田:
それは非常にいい考えですね。
私たちは養蜂に携わる中で、自然環境や生命の大切さをミツバチから学びました。
今、国内各地では森林が荒廃し、蜜源植物が減少しています。
私たちは、かつての豊かな自然環境を取り戻したいと様々な活動に取り組んでいまして、ミツバチと子どもたちが触れ合う体験学習「エコスクール」もその一つです。
当社に近い里山を会場に、これまで10年間にわたり続けてきました。
ミツバチの生態観察や採蜜などを通じ、子どもたちに「自然との共生」や「命の大切さ」を知ってもらうのが目的なんです。
 
● 温暖化対策は緊急課題
竹熊:
環境教育は、早ければ早いほど効果があると言われていますが、山田さんがそのことにいち早く気づかれ、子供たちに自然と触れ合う機会を与える活動に取り組んでこられたのは、非常にすばらしいことだと思いますね。
 
山田:
環境問題といえば、黄砂や酸性雨などは勝手に国境を越えてやってきて、隣接する国々や地球全体にも深刻な影響を及ぼしかねません。
環境問題は、今や自分の国だけで解決できる問題ではなく、各国が連携してできる平和な社会を実現しなければ解決できないグローバルな問題になっています。
特に地球温暖化への対策は、もう待ったなし。
国民一人ひとりが一刻も早く取り組まなければならない緊急課題といってもいいでしょう。
温暖化対策は、自分たちの身近なところから環境問題を考え、行動できるテーマ。
だから、子供たちには小学生の頃から環境問題に関心を持ってもらい、例えば節水や節電、ゴミの分別などの省エネ活動や木を植え、緑を増やすなどの緑化活動など、自分たちでできることから取り組んでほしいと思っています。
 
竹熊:
子供たちは、感受性が鋭く、物事の本質を見る目は澄んでいます。
水や空気、森林など貴重な自然環境や地球資源などについては、ぜひ子供のころから興味を持ち、問題意識を共有してほしいですね。
資源といえば、昔から学校や教科書で「日本は資源小国」と教えていますよね。
でも、私はちょっと違うのじゃないかと思うんです。
確かに、石油や鉄鉱石など地下資源に限れば、資源小国かもしれません。
しかし、次元を変えて環境という視点で考えれば、日本ほど豊かな資源を持っている国は、そんなにありませんよ。
 
山田:
そう言われれば、確かにそう言えますね。
 
● 日本は有数の資源大国
竹熊:
よく学校に頼まれて子供たちに話をする機会があるんですが、私はあえて「日本は資源大国である」と言っています。
国土の約7割は、森林に囲まれ、大きな酸素工場を持っている。
周囲を海に囲まれ、魚貝類や海草が豊富で、まさに日本列島は、食糧倉庫といってもいい。
その海がもたらす四季や雨、風などに加え、全国どこでもコメや野菜などがつくれる温暖な気候にも恵まれています。
火山国と言われるけれど、温泉や地熱など無限のエネルギーを持っています。
この資源を有効に利用すれば、未来への希望は見えてくると思うのですが…。
 
山田
これまで、私たちは、豊かさや便利さと引き換えにあまりにも環境に負荷を与えすぎてきたように思います。
これからは環境を守るため、限りある資源は浪費せず、持続可能な形で利用していくよう、教育の場で教え、啓発していくべきではないでしょうか。
 
竹熊:
その通りです。
私は、現代社会はあまりにも科学を万能化する一方、人間を特殊化してしまっているように思えます。
人間は自然界の生物の一員でありながら、そのことを忘れ、人間中心に考えているところに誤りがある。
そんな思い上がりや驕りは捨てて、もう少し自然に対して謙虚であるべきではないでしょうか。
結局、人間がどんなに強がってみても自然との共存の中でしか生きる道はありません。
自然に対し、もう少し思いやりや畏敬の念を持ってほしいですね。
 
山田:
同感ですね。
 
● 自然界には7人の名医
竹熊:
自然界の生物は、次世代に生命を引き継ぐため、あらゆる努力をします。
それに比べ人間は、なまじ知恵があるために自然を変えてまで自らを生きやすくする。
こうした人間の身勝手な便利さの追求が自然を破壊してしまうのです。
私は「医学は農業に、農業は自然に学べ」と口癖のように言っていますが、なぜ自然に学ぶのがよいのか。
それを裏付ける一つのヒントとして、「自然界には7人の名医がいる」と言った人がいました。
私の知人の言葉なのですが、7人の名医とは何かといえば、
@日光 A空気 B水 C食 D運動 E休息 F精神―のことを言うんです。
 
山田:
なるほど。「7人の名医」とは、うまい表現ですね
 
竹熊:
この7人の名医は、人間が健全に生きていくうえで、どれも欠かせない条件といっても過言ではないでしょう。
ところが、現実はどうですか。
都会では「日光」の届かないコンクリートの穴倉で生活し、「空気」だって工場や車の排気ガスで汚れている。
動植物には欠かせない「水」にしても、人間や工場が集まれば汚染されてくるし、子供の健康によくない甘い水もあふれている。
「食」は、不自然な人工食のオンパレードだし、「運動」にしても最近は車に頼ってばかりで、足腰の弱い人間は増える一方です。
「休息」にしても、休むべき時に休まない昼夜行動性動物の人間のなんと多いことでしょう。
「精神」にいたっては、ストレス社会を反映してか心を病んでいる人が急増しています。
「病は気から」というように気持ちの持ち方しだいで、どんな病気にもなってしまう。
「自然の名医」は本来なら人間に無限の力を与えてくれるはずなのに、人間は自然の名医に逆らって勝手な行動ばかりしているから病気も一向に減りません。
自然の名医を大切にしてこそ、真の豊かさが得られると思うのですが…。
 
● 将来に不安抱える日本人
山田:
今、先進国の多くの人々も、人類社会の未来に対し、漠然とした不安を抱えているように思います。
地球温暖化や環境破壊、食糧危機などが私たちの身辺に差し迫っているからでしょうか。
しかし、人間のいのちにとって最も大切な食と、それを生み出す農が厳しい状況に置かれているにもかかわらず、日本人には食糧不足への自覚と危機感はまるで感じられません。
日本が海外から大量に輸入している穀物にしても、南米アマゾンなどでは大豆やトウモロコシを生産する代わりに、広大な熱帯林が毎日のように伐採されています。
「自分さえよければ」という日本人の思い上がりが、地球環境に大きな傷跡を残している現実を知ってほしいと思いますね。
 
竹熊:
戦後、ひたすら工業化を目指す一方で、農業を切り捨ててきたこれまでのつけが、一気に噴き出てきたように思えますね。
世の中、医者はいなくても人間は生きていけますが、命の糧である農業がなくなったら生きていけません。
その農業も、長年にわたる農薬や化学肥料の影響で土が死にかけています。
私は野菜づくりを楽しんでいますが、除草剤は一切使わず、雑草は手で抜いたり、鎌で取っています。
しかし、平気で除草剤を使っている農家も結構いますよ。
畑を草だらけにしておくと「ずぼら百姓」といわれるのが嫌なんでしょうね。
でも、除草剤を撒けば、土だけでなく虫などの生き物も死んでしまう。
土が生きていれば、食べ物は健康に育ち、健康な体をつくってくれます。
土の病を癒さずして食物や人間の病を癒すことはできませんね。
 
山田:
健康な体をつくるうえでも土作りが基本であることがよく分かりました。
農業というのは、自然のいろんな力を借りて成り立っているんですね。
2006年春、アメリカで突然、大量のミツバチが消え、その後ヨーロッパや日本にも広がった「ミツバチいないいない症候群(CCD)」がありました。
原因もいろいろと取沙汰されてきましたが、自然界の営みは、人知の及ばない世界。
環境や汚染に非常に敏感なミツバチがある日、大量に忽然と姿を消した現象は、身勝手な人間社会への警告といってもよいでしょう。
ミツバチが暮らしやすい自然環境、生態系を守ることは、持続可能な農業を維持していくうえでも不可欠だと思います。
 
■ 正しい食生活こそ薬に勝る予防医学
● 自分の健康は医師任せ
山田:
この1年間、竹熊先生との対談を通じ、多くのことを勉強させていただきました。
先生は若いころ、自らの暴飲暴食によって招いた糖尿病、肝臓病などの生活習慣病を食を断つことで克服され、「食こそ病の根源である」ことを悟られました。
この経験をもとに、医と食との深い関わりや、その食を生み出す農の重要性を認識され、医・食・農の一体化による地域医療に一貫して取り組んで来られました。
その食養生を中心とした医療活動は、まさに病気にならないための予防医学の実践であり、非常に貴重な試みだったと思っています。
 
竹熊:
医学の目的は、病気を治すことにあるのは言うまでもありませんが、医学の理想論からいえば、何といっても病気にならないのが一番です。
しかし、今は若い世代を中心に過食、偏食は言うに及ばず、深夜まで飲み食いし、乱れた食生活を繰り返しているため、体調の不良を訴える人が実に多いのが気がかりです。
今や1億2千万人の国民の多くが半病人といってもいいほどです。
そのくせ、ちょっとしたことでも病院に行き、自分の健康は、人任せ、医師任せと言わざるを得ません。
東洋医学では医食同源の考え方に基づき、食べ物で病気を予防し、治療にも役立てています。
これからは「命」を優先する予防医学が、ますます重要になっていくでしょう。
 
山田:
ご存知のように2008年の日本人の平均寿命は、女性が86.05歳で24年連続長寿世界一、男性も70.29歳で世界4位と、日本は世界一の長寿国です。
長生きすること自体は、誰しも共通の願いですから、大変喜ばしいことなのですが、ただ単に長生きすればよいというものでもありません。
長生きしても、寝たきりになったり、認知症になっては、QOL(生活の質)を維持するのが難しくなってしまいます。
たった一度の人生を有意義に過ごすためにも、介護などを必要とせず、健康で自立した生活が送れる健康長寿でありたいものです。
 
● 長寿の沖縄、食に秘訣
竹熊:
そう思いますね。
私は、1965年から1年半、長寿で知られる沖縄県の中部病院に指導医として勤務したことがありました。
周囲には80歳、90歳は当たり前、100歳を超えたおじい、おばあたちが結構いましたね。
その歳になっても現役で畑仕事をしながら、みんなで仲良く歌ったり、踊ったり、実に人生を楽しんでいました。
元気なお年寄りが普段、どのようなものを食べているか聞いてみたら、当時は、からいもを主食に野菜や海藻、豆腐、小魚などを常食にしていました。
野菜もニガウリ(ゴーヤ)や冬瓜、ヘチマなどを自分たちで作り、豚肉は茹でて脂肪分を抜き、コラーゲンたっぷりの手足も骨まで愛して食べていました。
沖縄のお年寄りたちの長寿は、食べ物に秘訣があったんです。
それも、昔から地域に伝わる伝統料理。
やはり、長寿と食生活は、切っても切れない関係にあることをこの時、実感しました。
 
山田:
健康長寿は、バランスの取れた食事、適度な運動、規則正しい生活など日ごろの生活習慣の積み重ねによって達成できるのですね。
 
竹熊:
生活習慣は大事ですよ、特に食生活は。
「食は命なり、薬なり」と言うでしょう。
人間の命は、食べ物によって生かされていると言ってもいいほどです。
病気にならない食べ物、病気を治す食べ物、長生きのための食べ物…。
食べ物そのものが、命なんです。
でも、時には薬にもなるけど、毒にもなる。
だから有害な食べ物には手を出さない。
どんなにおいしくても腹八分目、食べ過ぎない。
健全な食生活を営むことによって病気にならないように注意することはとても大切なことです。
私がこれまで続けてきた医と食と農の一体化による菊池養生園での取り組みは、まさに病気予防が目的の一つといってもいいと思いますね。
 
● 自然治癒力で病気改善
山田
近年、再生医療や遺伝子治療、臓器移植などに代表されるように、現代医学の進歩には、目を見張るものがあります。
また、画像診断や血液検査などによって病気の診断も、昔と比べ容易かつ正確となりました。
しかし、その進歩した先端技術をもってしても、人体の精巧なメカニズムのごく一部しか、まだ解明されていませんし、実際、新型インフルエンザ一つとっても満足に治せていないのが現代医学の限界ではないでしょうか。
私たちが病気やケガをした場合、医師や薬の力を借りなくても、しばらく安静にしていれば、快方に向かうことがよくありますよね。
なぜかといえば、元々、私たちの体には「生命力」とも言うべき、基礎体力や免疫力などの自然治癒力が備わっていて、病気になったら自分で治そうという力が自然と働くからなのでしょう。
 
竹熊
確かに、そう言えなくもありませんね。
よく、命を守っているのは、医学や医師、薬であるかのように言われていますが、それは幻想に過ぎません。
私は病気というものは、医者が治しているのではなくて、患者さんの自然治癒力によって治っているのではないかとさえ思っています。
例えば胃を手術した場合を考えてください。
医者がいくら胃を上手に切り、それをうまく縫合できたとしても、皮膚と皮膚が繋がってくれなければ病気は治ったとはいえません。
 
山田:
確かに、その通りだと思います。
それが自らがもっている自然治癒力ですね。
 
竹熊:
元々、私たちの体には繋がる働きが備わっているのです。
それなのに、「(医者が)治した」だの、「治してもらった」だのと騒いで、中には「あの先生のお陰。命の恩人」とまで言う人もいます。
「命を守る」とよく言いますが、誰が守るかといえば、結局は一人ひとりが自分の体を守り、病気やけがをしても患者さん自身の力で治っているといった方が適切かも知れませんね。
 
山田:
確かに病気になっても症状の重い人と軽い人、まったく病気にならない人もいますよね。
結局、その差は自然治癒力の差であって、この自然治癒力を高めるのが予防医学の役目といってもよいのではないでしょうか。
しかし、これほど、病気の予防が求められている時代なのに医療現場では相変わらず治療中心で、病気にならないための体をつくる予防医学は、まだ十分浸透していないような気がします。
 
竹熊:
ご指摘の通り、現代の医療は、診断と治療にウエイトが置かれているのが実情です。
医師の側にも養生で病気を予防するという考えや意識などが抜け落ちているといってもよいでしょう。
日本の医師は、病気を見つけることにかけては、熱心で得意ですが、予防に関心を寄せる医者はまだまだ少ないのが現実ですね。
 
● 病人を作らぬ医療
山田:
それと、私たち患者側にも病気を予防しようという意識が欠けている点も否めません。
結局、国民皆保険制度に甘えているのでしょうか。
万が一、病気や事故などにあっても保険証さえ見せれば、どこの医療機関でも気軽に診てもらえる、と短絡的に考えているように思えてなりません。
実際、我々日本人には、自分の健康は自分で守ろうという意識が希薄だと思います。
 
竹熊:
同感ですね。
前述したように、医学は、病気を治すことが本来の目的ではありますが、病人を作らぬ医療、予防のための医療も、医学の本質だと言えるでしょう。
 
山田:
私が不思議でならないのは、これほど医学がめざましい発達を遂げているのに病気は減るどころか逆に年々、増え続けていることです。
特にがん、心臓病、脳卒中は増え、日本人の死因の約6割を占めているといわれています。
この3つの病気だけでも予防できれば、日本人の寿命はもっと延びるのではないでしょうか。
 
竹熊:
延びるでしょうね。
 
山田:
その一方で、「文明病」という、時代に即した病気も増えてきました。
花粉症や化学物質過敏症などのアレルギー疾患がそのいい例ですが、元々、人間の免疫力が落ちているところに、食品添加物などの合成化学物質が日常生活の中に大量に入り込み、さらに環境汚染の拡大や生活環境の複雑さによるストレスが追い討ちをかけているような気がしてなりません。
 
竹熊:
生活が変われば病気の種類も変わってきます。
 
● 健康管理は自己責任
山田:
これからの医学は、これまでのように病気を力で抑えるのではなく、自らに備わった自然治癒力を高め、命を養っていく医学に変わっていく必要があるのではないでしょうか。
 
竹熊:
健康長寿は、バランスの取れた食事、適度な運動、規則正しい生活など日ごろの生活習慣の積み重ねによって達成できるのですね。
 
山田:
現代社会は、国民の健康を蝕む要因が増加し、健康不安を増幅させています。
また、高齢化社会の進展に伴って国民医療費は、年間35兆円を超え、しかも毎年1兆円ずつ増えているといわれています。
昔ならば、医師の指示に従って出された薬を言われた通り飲んでいれば、それでよかったかもしれませんが、今はそういう時代ではなく、「自分の健康は、自分で守る」という考え方が必要になってきました。
言い換えれば、「健康管理は自己責任」といってもよいでしょう。
国民一人ひとりが予防医学的な考え方に立って自分の健康は自分で守るくらいの覚悟が必要なのではないでしょうか。
 
竹熊:
同感ですね。
例えば肩こりがする、眠れない、疲れがとれない、といった症状は、病気の前兆ともいえるサインかも知れません。
こうした体の悲鳴を聞いたら、じっくり休養をとるとか、生活習慣を見直すことも必要です。
日ごろから自分の健康状態をチェックし、大事に至らないうちに病気の芽を摘み取るよう心がけてほしいものですね。

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001