帯津良一・幕内秀夫 著   三笠書房
「なぜ「粗食」が体にいいのか」  より その3
 
 
● 「豊かな食生活)が
アトピー・花粉症・ガンをつくっていた
 
15年ほど前に、西丸震哉さんの『41歳寿命説』(情報センター出版局)という本がベストセラーになりました。
この本によると、昭和34年以降に生まれた人は、41歳までしか生きられないということになるそうです。本を売るために過激なタイトルをつけたと思いますが、売れたということは、それなりに理由があるのです。
 
「そういえば、知り合いの中に30代で心臓病で死んでしまった人がいる」とか、「20代で乳がんの手術をした人を知っている」とか、身近に西丸さんの主張を裏付けるような例がごろごろ転がっているんです。
「昔こんなにアトピーの子供がいただろうか」「昔、春先に花粉症で涙を流して、くしゃみしている人がこんなにいたんだろうか」と疑問を感じはじめたんです。
 
中でも一番わかりやすいのは、アトピーだと思います。
というのは、私たちが接するアトピーの患者さんというのは、9割9分が昭和40年代以降に生まれているんですよ。
昭和20年代や戦前生まれの人などの場合、友人や知人にアトピーで悩んでいる人など、滅多にいません。
成人のアトピーが増えたといっても、40代以上にはほとんどいないんです。
そこで、「どうもおかしいな」と皆が思うようになってきたんです。
 
私のような仕事をしている人間は、「おかしいな」という単なる疑問ではなくて、「おかしいんだ」とはっきり断言しているわけです。
 
でも、こう言い切っている人は西丸さんなども含めても、まだ少数派ですね。
これからもっと時間が過ぎていけば、おそらく気がつくでしょう。
「牛乳も肉も知らないで、しょっぱいものばかりおかずにして、ご飯ばかり食べていた、きんさん、ぎんさん世代の食生活には、意味があった」ということです。
 
そして昭和30年代に広まったいわゆる「豊かな食生活」で育った子供たちが元気になるかどうか、その結論もやがてはっきり出てくるでしょう。
もっとも、私の結論はもう出ています。
「人体実験の結果はもう出てきている」と。「もうわかっているんだ、これ以上危険な実験を続けることはない」という結論です。大げさな言い方をしているのは、私にとっては、それほど結果が明らかだからです。
 
アトピーは、むしろありがたい病気だと思います。
たしかに患者さんは大変な思いをしています。
若い女性の中には、本当に死ぬほどつらい思いをしている人がいます。
仕事ができなくなったとか、恋人と別れざるを得なくなったとか、学校の先生の場合では黒板の前に立てないとか、人生の進路を狂わされた人もいます。
 
でも、死ぬ病気ではありません。
死ぬほど苦しい病気ですが、本当に命を絶たれてしまう病気ではないんです。
 
ただ、もしアトピーのような異常が肝臓や胃袋に起こったら、恐ろしいことです。
そうなれば、事態の深刻さはアトピーどころではないはずです。
 
例えば、にきびなども、おばあちゃんになるとできないですよ。
老齢の人の場合、できものが出るときは、出てはいけないところにできるんです。
顔ににきびができたって、「思い、思われ」なんていっていれば済む話でしよう。
けれども、肝臓にできたら、そんなのんきなことは言っていられないですから。
まさに、アトピーというのは警告ですよ。このままではまずいんです。
 
「こんなに長生きにならなかったら、ガンは増えていなかった」という有名な言葉があります。確かにそう思います。
でも、アトピーのことを考えてみてください。肝臓や胃にアトピーのような異常が起こったら、と考えてみてください。この病気は子供ほど多いんです。長生きどころの話しではなくなります。これはやはりおかしいんです。
 
80歳、90歳になってどこか痛いというのだったら、「しょうがないかな、年齢も年齢だし」と納得もできます。
ところが、4歳、5歳の小児ガンなんて、何かがおかしいんです。
こういうおかしいことが、今そこかしこで起こっているんです。
 
 
● パン、砂糖、酒・・・ご飯を食べない人ほど
工場製品を口にする
 
現在の食生活について、気づいて欲しい大事な点は、肉や果物、野菜、海藻などの生のものを除けば、日常口にする食べもののほとんどすべてが、工場で作られるということです。
 
先ほど、ご飯が減った分、増えた食品があると言いました。それは、パン、砂糖、油、アルコール、果物、牛乳や乳製品、そして肉や肉の加工品でしたね。
この中で、果物と肉を除けば、すべて工場で作られたものばかりなんです。
 
まず、パンがそうです。砂糖もそうです。砂糖そのものをなめているわけではありませんが、砂糖を大量に使ったお菓子を食べているわけです。
油も当然工場で作られますし、アルコールも工場で作られます。
 
牛乳も工場で作られるのは当たり前ですね。どこかの裏庭から牛のおっぱいを搾って、それを直接飲んでいるわけではありません。
牛乳も牛から搾ったナマ乳を原料にして工場で作るんです。
ハム・ソーセージも同様です。工場で作られるわけですから、当然、化学物質だって増えてくるということになります。
 
それから、精製食品が増えているんです。例えば、私の家では、パンはあまりよくないといいながらも、月に一度くらいはパンを焼きます。
そのときは、全粒粉という真っ白でない粉を使うんです。これは米で言えば玄米みたいなものです。茶色い麦のこと、天然酵母を使って焼くんです。そうすると、何時間かたって包丁で切ったらボロボロです。パンくずだらけになってしまいます。
ところが工場で精製された小麦粉で作った真っ白でふわふわしたパンは、1週間たって包丁で切っても、まだボロボロにならないんです。
 
昔のキムラヤのあんぱんなどは、いくら当時流行になったといっても、所詮買いに来るのは近所の人たちだけだったんです。
豆腐屋さんだってそうですね。昔は近所の人が、自前の容器を下げて豆腐を買いに行ったものですよ。
 
つまり、昔のように、パンや豆腐を近所の人だけが買っていた時代には、防腐剤なんか必要なかったんです。
ところが、九州で作ったものを北海道まで運んで売るような時代になると、そうはいかなくなります。運んでいるうちに腐ってしまうからです。
また、小麦粉も真っ白なものを使わないと、保存が難しくなってくるんです。全粒粉は虫がつきやすいんです。
 
このように、ご飯を食べないようになってから、工場製品が増えるようになってきたわけです。それが現代の食生活の一番の変化だと思います。
 
 
● 例えば「健康食品の7割」は
ただの下剤なのです
 
ここで現代の食生活の問題点をまとめて見ましょう。
現代の食生活の問題点は、「わらびをやめればガンにならない」とか、「塩分を減らせば体にいい」とか、「チョコレートを食べれば健康になる」とか、そういう個別的なことで解決できるような小さな問題ではなくて、食生活全体にかかわるものなのです。
 
あくまでも食生活全体を見直さなければ、根本的に解決できません。
それでは、問題点をまとめていきます。
 
一番目は食べすぎです。食べすぎだという意味は、摂取熱量に比べて消費熱量が少なくなったということです。つまり、食べている量は以前の生活と変わらないのに、昔ほど働かなくなった、体を使わなくなったということです。
 
昭和10年代の秋田や新潟などの米作時代の農家では、一人当たり一日にご飯を何倍くらい食べたと思いますか? 15杯から16杯という人もいました。
今より食べていたくらいです。だから、食べすぎというより、体を使わなくなったということです。
電気製品や自動車の普及、子供で言えば家庭内ゲーム機の普及によって、食べる熱量よりも消費熱量が減ったことが、まず、一番目です。
 
二番目は、食生活の欧米化です。パン、肉、食肉加工品、牛乳、乳製品、油脂類の急激な増加ですね。あまりにも増えすぎたことです。
 
三番目は、ビタミン、ミネラル類、微量栄養素が減りすぎたことです。その原因はいい加減な情報のせいで、栄養素を考えすぎている人が増えたことです。
 
わかりやすく言うと、野菜からビタミンCとベータカロチンがとれると考えている人が増えたということです。
でも、ビタミン・ミネラル類というのは、たくさんの種類があるわけで、野菜を食べたからすべてが取れるという単純な話しではないのです。
 
大まかに言えば、不足した理由は、精製食品の増加です。
米やむぎの精製度が上がると、微量栄養素が減ってしまうんです。
 
四番目は、食物繊維の極端な減少です。
ダイエタリーファイバーという言葉が出て、植物繊維を歌った商品が売れたり、整腸作用のあるドクダミ茶が売れたりしていますが、これらは大体下剤のようなものなんです。じつは、健康食品といわれて出回っているものの7割は下剤なんです。
米糠健康法や紅茶きのこなど、少し昔に流行ったものもそうだったんですね。
 
紅茶キノコなんて、あれはただの雑菌だったんですよ。それを飲んでいたんです。
あれで調子がよくなった人は、便秘の人だけだったんです。
雑菌ですから、下痢してちょうどよかったんでしょうね。
 
そして五番目が、化学物質の増加です。
農薬や食品添加物の化学物質があまりにも増えたことが、五番目の問題です。
 
健康問題を熱心に考えている人は、欧米化されたことの二つについては、かなり認識していると思います。でも、やはり5つの問題すべてが現代の食生活における問題点だと、総合的に考えるべきです。
もう一度いいますが、決して個別的な問題ではありません。だから、何かを食べれば解決するという話しではなくて、食生活全体をどうするかかんがえなければいけないのです。
 
● 「バランスの取れた食事」は、
その土地によって違います!
 
現代の食生活について、さまざまな情報が氾濫し、混乱していますが、決して部分的な問題ではなく、生活全体の問題です。
 
健康問題を考えることは、本当は食生活を含めたライフスタイル、生活全体を考えることだということです。
 
それでは、混乱している中で、私たちはどういうふうに食生活を考えればいいのか・・・・・・その指針となる考え方、大きな物差しをこれからお話しようと思います。
何を指針にするかということですが、現代の日本では、食についての情報が本当に混乱しています。
 
例えば、名古屋へ仕事に行ったときに泊まったホテルで、「朝、希望の方には玄米粥を用意します」なんてエレベータの中に張り出してあるんですね。
それに、ホテルの中華料理屋さんのメニューに、いわゆる薬膳というものが載っていました。
そこに「中国医学の先生が、あなたにあったメニューを特別アレンジします」と書いてあるんです。
 
玄米粥もあれば、薬膳もある。
一体どちらを食べればいいのか、客のほうは迷うだけです。
一言で言えば、これは新型グルメだと思います。
 
情報が氾濫している中で、一体何を指針にすればいいかが、わかりにくくなっています。
私は、オーソドックスな考え方とは違う考え方をしているわけですが、その背景にあるのは、若いころの体験なんです。
 
乗り物に乗らない徒歩の旅行で、農家に泊めてもらったり、一緒に食事をしたりという経験をしたんです。
ヒッチハイクではなく歩くわけですから、歩けるところまで歩いて、疲れたらそのまま眠るという旅行でした。
 
ですから、ときには海岸で一服していたら、歩き疲れでそのまま熟睡してしまい、目を覚ましたら朝になっていたということもありました。
 
1日60キロも歩けば、疲れ果てて、不眠症にならないものですね。
それから、徒歩での能登半島一周、四国横断もやったことがありますから、今まで少なくとも日本中を何千キロかは歩いているわけです。
 
そこでつくづく思ったのが、食生活はその地方によってみんな違う、ということだったんです。
 
そして、数多く何でも食べることがバランスの取れている食事だというのは、どうも腑に落ちないと思うようになったわけです。
もし、1日30品目何でも食べることがバランスのよい食事ならば、それが普及しますから、鹿児島に行っても沖縄に行っても、みんな同じようなものを食べるようになるわけです。
でも、それが理想だというのはあまりにも寂しい話です。
 
私は沖縄に何度か行っていますが、沖縄の食事はさすがに脂っこく豚肉が多いと感じます。うんざりしてきて、3日もたつとお茶漬けを食べたくなるくらいのくどさです。
でも、「ああ、沖縄に来てるんだな」という気分になります。それで、バランスのよい食事という概念に疑問を持ったわけです。
 
それぞれの地方には、それぞれの食事があるわけです。そこで、「フードは風土が決めるのではないか」と、よくこんな冗談を言っているんです。
 
 
● 土産土法・・・野菜を食べない
「アラブの砂漠民」が元気な理由
 
私は外国には、何度も行っているわけではありませんが、海外のさまざまな地方の食事について、読んだり食べたりしてみました。すると、それぞれ地方ごとに食べているものがまるで違うということに気がついたのです。
 
たとえば、砂漠地方などでは、食事のバランスが取れているどころではない、それどころか、中近東の砂漠地方に多いイスラム教の人だと、そんな食生活なのに、奥さんが30人もいるという元気な人までいるんです。
 
なぜ、そんな食生活でこんなに元気なんだろう、食事のバランスとは、果たしてなんだろうと、考え込まざるを得なくなるんです。
 
ところが、いろいろ調べていくと、一見すると食べているものが地方によってみんな違うようでも、その根底には共通性があるんです。
 
私たちの伝統的な食事も、他の民族の食事も含めて、健康にいいといわれてきた食事には、ある法則、共通性があったんです。
それが今の日本ではあまりにも損なわれてしまったんです。
 
その共通性は何かというと、「土産土法」ということです。
 
言い方はそれぞれ国によって違いますが、意味はどれも同じです。
これが私たちが食生活を考えるときの大きな指針であり、ぜひ皆さんに覚えていただきことなんです。しかも、これを覚えれば、本当に食生活の改善は簡単になります。
 
先にも言ったように、カルシウムがどう、過酸化脂質がどうといって悩むよりは、「土産土法」という物差しを持つほうが、食生活に大きな間違いが起こらないのです。
 
 
● いい食生活は「水・米・芋・野菜の順」
と考えてください!
 
さて、では土産土法とはどういうことか、説明していきます。
土産というのは、その土地で、その季節に取れるものを食べるという意味です。
もっとも自然な考え方は、たくさん取れるものはたくさん食べて、めったに取れないものはめったに食べないということです。
これは食生活の当たり前の基本です。
 
非常にシンプルな考え方です。
たくさん取れるものをたくさん食べれば、お金もかかりません。
めったに取れないものをみんなで食べようとするから、高くなってしまうということです。
 
たくさん取れるものをたくさん食べることは、大切なことなんです。たとえば、イヌイットの人たちのように、氷の上に住んでいる人たちは、もともとアザラシやシロクマなどの肉だけの食生活で、野菜も果物も穀類もイモ類も食べなかったんです。
それでも何千年、何万年と生きているんですから、それがあの地方で生活する人々にとって、バランスの取れた食生活なんだということです。
 
ちなみに、世界の食生活の中でもっとも変則的だと思われるのは、イヌイットの人たちの食生活だと思います。赤ちゃんのときから死ぬまで、肉100%の食生活なんですから、これほど変則的な食生活はありません。
 
でも、考えてみれば、イヌイットが暮らしてきた零下40度から50度という環境の中で、何を食べたらいいのかと私に聞かれても、「そういうところで生活したことがないから、わかりません」というしかありません。
「そういうところに生活している人に聞いた見たらどうですか」としか答えようがないわけです。
 
しっかり密閉した冷蔵庫でさえ、冷凍室が零下18度ですから、零下40度というのは、それよりもっと寒いわけです。
ですから、おそらくご飯なんか食べていたんでは体温を保てないから、高脂肪な肉を食べているのではないかと、私の浅知恵でも想像できます。
この例からも、その土地でとれるものを食べることが、いいのではないかとわかるわけです。
 
日本人の話に戻れば、一番たくさん取れるものとは、具体的になんでしょうか?
それは水です。
だから、水が一番大事だと思えばいいんですね。
二番目に多く取れる米がその次に大切で、その後は、イモ、野菜などになってくると思えばいいんです。
 
これはきわめてシンプルな目安になります。
野菜の選び方もそれでいいんです。
ベータカロチンだビタミンCだと悩むよりは、季節の野菜を食べていれば、それで大丈夫だし安上がりなわけです。
 
 
● 「赤ちゃんが嫌いなものは大人も控えるべき」
という便利な目安
 
また、「赤ちゃんが食べるものの順番は、私たちにとっても大切な順番」という言葉も目安になります。
 
つまり赤ちゃんが食べないようなものは、大人も控えなければならないものだということです。
赤ちゃんはウイスキーを飲みませんし、ビールも飲みません。だから、これらは大人も控えたほうがいいということになります。こう考えれば、非常にわかりやすくなります。
 
赤ちゃんの食べものは、おっぱいが終わったら離乳食になって、次に食べるものは、ジャガイモとかサツマイモを裏ごししたものです。
そのあとにかぼちゃなどの野菜になるわけです。
おっぱいは別にして、この順番が大人になっても大切なものの順番だということなんです。
 
若いお母さんはみんな、「うちの子供は野菜が嫌いだ」というのですが、嫌いではないんです。まだ食べなくていいから、食べたがらないだけなんです。
たとえば、子供はミョウガは食べませんし、ラッキョウも食べません。
ミョウガやラッキョウは、オオバとかネギと同様に薬味みたいなものですから、命には関係ないんです。
 
赤ちゃんは、命に大切なものから順々に食べ始めて、やがて野菜、肉、魚などを食べるようになります。さらに生長するに従い、まんじゅうとかケーキといったお菓子の類も食べるようになり、大人になると、ウイスキーとか、焼酎のようなお酒を飲むようになります。
 
そして、年齢を重ねて老いてくると、言いにくいことですが、赤ちゃんのころの食事に戻ってくるようです。最後は病院に入院して、お粥か重湯を食べて、重湯も食べられなくなると、もう水しか飲めなくなります。そうすると、普通の病院の場合では、そこらじゅうに管を入れられて、点滴されてしまうというわけです。
 
赤ちゃんが食べられないものは、大人にとってもおおよそ控えたほうがいいというのは、食生活の大きな目安になります。
 
次に、赤ちゃんにとって、何が一番いい飲み物なのかを考えてみると、それはまず水です。
では、お茶はどうでしょう? 赤ちゃんは緑茶を飲まないですね。
緑茶が健康にいいなどというのは、ビタミンCが云々といった単純な発想です。
一番いいお茶は何かといったら、赤ちゃんが飲める番茶に決まっています。
これは、お年寄りにも体にやさしい飲み物なのです。
 
食生活の目安になるのは、まず、赤ちゃんが好みそうもないものは、大人も控えておいたほうがいいということと、もうひとつは、その土地、その季節に取れるものを食べるということです。
全部こう考えれば、大きな間違いにはなりません。
 
下手な考えよりもよほど単純明快だし、現実的です。
ただ、野菜や果物がわかりにくいなどということはありますが、おおよそのことはわかるはずです。
 

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001