帯津良一・幕内秀夫 著   三笠書房
「なぜ「粗食」が体にいいのか」  より その11
■この食べ方が「あなたの自然治癒力」をさらに高める!
帯津良一先生のお話
 
● 新しい食生活を
「続けられる人」「一カ月続けられない人」
 
食事というのは大切な分野です。
ただ決めてかかると、いろいろと体が抵抗してくるのです。
 
たとえば、ゲルソン療法のときなども、しっかりやっている人に限って、突然体が受け付けなくなるんです。
家族も患者さん本人も病気をわきまえて、「これを乗り切るためにはこういう食事も仕方がないんだ」と思って一生懸命やっているんです。
だから、はじめのころは、非常に目が輝いているんですが、1カ月ぐらい経ってくると、だんだん元気がなくなってくるんです。
 
やはり、野菜ばかりで塩分なしの食事だけを毎日続けるわけですから、食事の楽しみはなくなってくるんですね。
楽しみ抜きの食事を続けていると、だんだん顔が険しくなってきて、最後にバンと爆発して、体が何も受けつけなくなってしまうんです。
 
そういう患者さんの例をいくつか経験して、私には前もって「そろそろ危ないな」ということがわかるようになったんです。
 
患者さんが険しくなってきたなという兆候は、眉間の当たりが白くなってきて、しわがよってくることなんですね。
 
この辺にしわを寄せている患者さんがいると、私はその人の眉間に気を入れるために、「しわ伸びろ」と言ってあげるんです。
それでも、そういう患者さんは、眉間のしわが日に日に深くなってくるんです。
 
いよいよ危ないな、というころになると、私は患者さんに必ずこういうんです。
「あんた、ちょっと胃のほうが疲れているんじゃないか」と。
そして、川越に丸広というデパートがあるんですが、「今度の日曜日、丸広に行って寿司でもステーキでも食べてきたら」といってあげるんです。
 
すると、今までまじめにゲルソン療法をやってきた人が、ゲルソン療法に反した、こんなとんでもないことをいわれても、怒ったりしないんですよ。
それどころか、ぱっと顔が明るくなって、「本当ですか」というんです。
「本当だよ、言ってきなさいよ」というと、喜んで行ってくるわけですね。
行って何か毒になるようなものを食べてくるんですが、その後はものすごく調子がよくなるんです。
機嫌がいいし、気功なども溌剌として始めるわけですね。
 
この例を見てもわかるように、食事療法はむずかしいものなんです。
これは相当に意思の力が要ります。
大体、うまいものがないんですよ。
うまいものがないというと失礼ですが、食事療法にはいろいろな制限がありますから、どうしてもおいしさというものが欠けてくるわけですね。
 
そういう経験を経て先にふれたように、食事療法というのは誰にでも通用する万人向きのものではなく、あくまでも個人個人で違うものだという考えが固まってきました。
そこで、今では食事療法より食事の指導ということに重きを置くようになったわけです。
その理由には、病院でできる食事の限界ということもあるんです。
 
たとえば、経済的な問題がありますね。
いくら体にいいからといっても、患者さんからいただくお金は決まっているわけですから、費用をあまりかけるわけにもいきません。
それに、基準給食という法律もありますから、あまりとっぴなものも出せません。
これでいいんだとこちらがいくらがんばってみても、役所から見ると、へんなものを食わせているということになってしまうんです。
 
このように、経済的、法律的な限界が、病院での食事療法にはあるわけです。
だから、病院での食事療法はできる範囲で努力することにして、指導のほうに重点を置いているわけです。
 
うちの病院の場合、幕内さんが食事の指導をしています。
入院患者さんだけではなく、外来患者さんに対しても、希望者には食事の指導をしています。
これは一人1時間ぐらいかけますから、1日に何人もできません。
予約制になっていて、ゆっくりと幕内さんと話をしてもらいます。
1回だけではなくて、たとえば3ヶ月に1度といったふうに、繰り返していくわけです。
 
 
● 「物事を公平に見ている」――
だから「幕内秀夫理論」は効果がある!
 
私の病院に幕内さんが来てくれるようになったきっかけは、そもそも2人とも、日本ホリスティック医学協会のメンバーだったということから始まっています。
 
日本ホリスティック医学協会というのは、昭和62年にできています。
私が川越に病院を開いたのは、協会ができるかなり前でしたから、病院を始めた当時の私の中には、ホリスティック医学という考えはなかったんです。
 
けれど、そのホリスティック医学協会ができる少し前、そのシンポジウムに冷やかし半分に出てみて、その考え方に共鳴したんです。
そして、協会ができるときに参画し、そこで幕内さんとで知り合ったわけです。
 
もっとも、知り合ったといっても、そんなにじっくりと話し合ったわけでもなかったんです。
 
ただ、ホリスティック医学教会には、食事についての専門家や関心の高い人がかなりいるんですが、はたから見ていて、幕内さんの考え方が私の考えに一番合うと思っていたんです。
 
幕内さんの考え方には、物事を公平に見ているところがあるんですね。
要するに、教条主義的でないというところに好感を持っていたんです。
 
そう思っていたある日、幕内さんが「一度先生の病院を見学させてくださいよ」というので「どうぞ」と承知しました。
そして、私の部屋で幕内さんが、「実は、今日は見学のつもりで来たんですけれど、一つお願いがあるんです」と言い出したんです。
何だろうと思ったら、「ここで雇ってもらえないでしょうか」ということだったんです。
 
私は、幕内さんのことをどうしても欲しい人材だと思っていましたから、事務長に相談というよりも、「どうしても必要だから、何とかしてくれ」と、頼み込んだんです。
こうして私の病院に幕内さんが来るようになったんですね。
それ以来、一緒に仕事をしているわけなんです。
 
 
● なぜ、外科医という人種は
「患者さんの心がわからない」のか
 
ホリスティック医学は、もちろん食事だけの問題ではありません。
特に重要なのは、漢方薬、鍼灸、気功です。
 
また心の問題というのが、非常に大切だということが次第にわかってきました。
こんな当然なことを、いまさら「わかった」というのも妙なものですが、私自身、外科の医師としての生活が長かったものですから、昔は、形がなく目に見えない心なんて、非常に頼りないものに見えていたんですね。
「心でガンが治るなんて、ふざけちゃいけない」なんて言っていたほどなんです。
そして、「ガンを治すのは外科なんだ」と信じ込んでいたんです。
 
今思えば、恥ずかしい話なんですが、しかたがない面もあるんです。
というのは、外科医として患者さんに対すると、どうしても高いところから見てしまうのです。
これは意識するとしないとにかかわらず、誰でもそうなってしまうんです。
 
なぜかというと、こちらは患者さんのすべてを任されていますし、自分の腕次第という部分があるからなんです。
 
たとえば、麻酔がかかった人などは、手術中に何も言えないわけですから、どうしても外科医は患者さんよりも高い位置から見てしまうんです。
なまじ知識と技術があるものですから、
「私の言うことを、どうして聞けないんだ。素人がそんなことを言ってはダメだ」
というおごった気持ちが、外科医には多かれ少なかれあるわけですね。
だから、患者さんの心という問題は、本当のところ、よくわかっていないんです。
 
ところが、自分で病院を始めて、漢方薬だ、鍼灸だ、食事だ、気功だと、外科医とはまったく違った視点から治療を行っていると、高いところからではなく、患者さんと同じ目線に立つようになってきたわけです。
 
同じ高さに立って接していると、患者さんの心の重要性というものがよくわかってくるんですね。
患者さんの心の持ち方によって、病状がずいぶん変わってくることを実感できるんです。
そこで、精神腫瘍学や精神神経免疫学の重要さを、非常に切実だと感じ出したわけです。
 
そこで、患者さんの心の問題を総合的に扱う「心のチーム」というものを作ろうと考えました。
ホリスティック医学協会の仲間に頼んで、心療内科の医師、心理療法士などでチームつくり、今まで続けてきています。
 
西洋医学、中国医学の結合に、心の治療が加わって、やっと、「ホリスティック医学らしくなったかな」と思えるような形が整ったわけです。
 
 
● 「1+1」は2ではなく3にも4にもなる!
――ホリスティック医学の基本
 
ホリスティック医学という考え方は、アメリカで起こりました。
今の西洋医学が疾患の部分を見ることだけに神経を使い、人間全体を見るのを忘れたという反省と反発と批判から起こったんです。
 
これが起こったのは1960年代ぐらいだと思います。
それから78年にアメリカのホリスティック医学協会ができ、日本ホリスティック医学協会が87年にできたんです。
 
ところで、アメリカから日本にこの考え方が上陸してかなり経っているのに、いまだにホリスティックという言葉をうまい日本語に訳せないのです。
「全人的」といっても、「包括的」といっても、「総合的」といっても、何かピッタリとこない。
それで、いまだに「ホリスティック」という言葉を使っています。
 
言い換えれば、それだけホリスティック医学やホリスティックな考え方についての解釈が、人によって違うのです。
 
現在、ホリスティック医学協会には1500人くらいの会員がいますが、おそらくホリスティック医学に対してみんな違うイメージを持っていると思うんです。
最初のころのホリスティック医学協会には、アンチ西洋医学の空気が強かったんです。
だから、なんでも西洋医学のやることは嫌いという人が多かったわけです。
手術も嫌だ、抗ガン剤もダメだ、玄米菜食だけやっていればいい、という態度の人が多かったんです。
 
でも、私はそうではないだろうと考えています。
西洋医学もきちんとした体系医学だし、実績も持っているわけです。
だから、ホリスティック医学は、西洋医学も取り込んだ、幅の広い医学であるべきだと思っているんです。
 
また将来変わるかもしれませんが、ホリスティック医学というのは、「場」を考える医学であると、今のところ私は考えています。
 
私は、『あなたを健康に導く「生命場」の法則』(東洋健在新聞社)という本をしばらく前に出しているんですが、このタイトルにも使ったように、ホリスティック医学とは、「生命場」というものの関連する医学だと考えています。
 
ホリスティック医学の基本には、ホリズムという考え方があるわけです。
ホリズムというのは、全体論と訳されていますが、これは1920年代に出た思想です。
 
たとえば、私という体はいろんな要素からできています。
目、耳、口、胃、心臓、血管、筋肉など、いろいろな要素から、体は構成されているわけです。
全体論の考え方でいけば、私を構成するすべての構成要素を足し合わせたよりも、私という全体のほうが存在意義があるということになります。
つまり1+1が2になるのではなく、3にも4にも成るということです。
 
こう考えるのが全体論なんです。
全体になったがゆえに、各部分を寄せ集めた以上のプラスアルファがあるということなんです。
つまり、全体にこそ意味があり、各部分の和だけではないという全体論が、ホリスティックの基礎になっているんです。
 
 
● 「体の隙間=場のエネルギー」をどう利用するか
 
アルキメデスの原理ではありませんが、浴槽にぎりぎりまで水を張って、私がその風呂の中に入れば水があふれます。
その水の体積が、私という人間全体の少なくとも容積を表すことになりますよね。
 
そういうふうに考えると、私という容積、言い換えれば、私という容器の内側にあるものすべてが、私の全体だと言うことができます。
 
すると、私という容積の持っている「場のエネルギー」というものが、私の全体なのだろうという考えに、どうしても行き着くわけです。
そして、体の容積という視点から、外科の経験に照らして、私の体の中をもう一度とらえ直してみて、気づいたことがあるんです。
 
それは、体の中にはいたるところに隙間があるということなんです。
つまり、人間の体の中というのは隙間だらけだといっていいんです。
 
ところが、体の隙間は近代西洋医学の研究対象として、取り上げられたことがありません。
それなのに、外科の手術でも隙間を通して行われるわけです。
 
たとえば、食道がんの手術をするとき、胸をあけます。
胸を開けると肺が出てきます。
肺をよけて、食道を目に見える状態にして、やっと手術が始まるわけですね。
肺をよけられるのは、隙間があるからなんです。
 
病気をした人には、肺と助膜がくっついている人もいて、この場合には隙間がありません。
そうなると、まず隙間を作るために、肺と助膜を離すことから始めなければならなくなり、手術がとたんにむずかしくなるんです。
 
肺と助膜が強固な癒着を起こしていて、これを全部はがしていかなければいけません。
これはたいへんですよ。
出血はするし、はさみの切り込み方が悪いと、肺を切ってしまって空気が漏れてきます。
隙間をつくるだけで、1時間ぐらいかかってしまうこともあるんです。
 
このように、体の中の隙間を利用して手術というのは成り立っているわけなんです。
ところが、西洋医学では、隙間の恩恵にあずかりながら、隙間に思いが行っていないんです。
 
目にみえるものに外科医の目が行ってしまい、隙間なんて誰も考えていません。
おそらく外科医だけではなく、西洋医学の陣営にいる人の誰に聞いてみても、隙間を重要なものとして意識している人は、一人もいないだろうと思います。
きっと、そんな人間は、私一人だけだろうと思います。

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001