あんな話 こんな話  77
 
 
食品添加物のトップセールスマンが明かす
食品製造の舞台裏
知れば怖くて食べられない!
安部司著
『食品の裏側』
より その2
 
 
◆食品添加物で新しい食文化を作るのだ
 
このように、私はどれほどの加工食品業者の「合理化」に暗躍してきたことでしょう。
私はよく「添加物は職人要らず」といいますが、添加物を使えば、技術がなくても簡単に一定レベルのものが作れてしまうのです。
しかし、それは職人にとって「魂」を売るのと同じだといってもいいでしょう。
 
合理化の「裏側」で、どれだけ大事なものを失っているか。
しかし、当時の私はそんなことはみじんも考えませんでした。
それどころか、添加物で新しい食文化を作るのだと意気込んでいました。
添加物のすばらしさを、それを知らない加工食品業者に教えてあげなくては・・・・・・そんな風にさえ考えていたのです。
 
もちろん仕事は順調そのものでした。
社内ではダントツのトップセールス。
売り上げはつねに右肩上がり。
倍々ゲームをやっているような感覚で、仕事が楽しくて仕方がありませんでした。
当時、勤めていた会社の支社を事実上、私一人でゼロから立ち上げたぐらいです。
 
開発から携わった商品も無数にありました。
添加物を納入しているうちに、「こういう商品を造りたいのだけど、そちらで開発してくれないか」という依頼まで来るようになったのです。
漬物、スナック菓子、ハンバーグ、ジュース、インスタントラーメン。
ありとあらゆる商品を開発したものです。
ヒットもずいぶん飛ばしました。
 
ある調味料(だしの素)を作ったときは、全国展開の大ヒット商品となってその会社は大躍進。
社長が涙を流さんばかりに感謝してくれたのはいいですが、「ウチにあんたの銅像を立てる!」と言い出したのには、さすがに困りました。
 
 
◆「食品添加物の神様」と呼ばれて
 
いつしか私は、「歩く添加物辞典」「食品添加物の神様」などと呼ばれるようになり、地元の加工食品業者や職人さんたちからは、「困ったときの安部頼み」と相談ごとがどんどん持ち込まれるようになりました。
 
仕事と関係あるなしにかかわらず、相談の電話はひっきりなし。
また私も、添加物のことならどんなことでも即座に答えることができました。
さしずめ「添加物アドバイザー」といったところです。
 
あるメーカーが、こんなことで泣きついてきたことがありました。
「中国から安いレンコンとごぼうを大量に仕入れたのですが、見た目が真っ黒でどうにもなりません。何とかならないでしょうか?」
 
そんなことは添加物を使えばなんでもないことです。
「漂白して、真空パックにして売ればいいんですよ」
そう勧めて「漂白剤」を納入し、その使い方や真空パックの滅菌法、変色防止の添加物などを教えました。
 
ところが、それからしばらく経ったある日の夜中。
すでに就寝していた私は、そのメーカーからの電話でたたき起こされました。
何ごとかと出てみると、「あのレンコンがえらいことになった!すぐに来てくれ!」と、慌てふためいた声。
 
「どうした?まさか漂白が失敗したの?」
「いや、漂白はきれいにできたんです。でも、それを真空パックして売ったところ、並べたそばから腐ってしまい、納品先のスーパーから大クレームが来て、大変なことになっているんです!」
 
その腐り方も、ドロドロに溶けたり、黄色く変色したり、あるいは真っ黒になったりとさまざまで、わけがわからない。
すべて一緒に製造したにもかかわらず、腐っていないものもあって、それはそれで不可解だというのです。
 
「なんだ、そんなの、行くまでもありませんよ」
私はほっと安心して、あくびまじりに答えました。
「加熱処理の仕方がまずかったんですよ」
 
こうした真空パックを殺菌するには、90度で30分というのが基本です。
ところが処理の仕方がうまくなかったため、熱ムラが起こって、90度まで温度が上がらないままに出荷されてしまったのでしょう。
 
中には90度まできちんと温度が上がったものもあってそれは腐っていないのです。
熱ムラの起きない加熱処理の仕方を教えましたが、以降はクレームもなく、売れ行きも上々だったようです。
残りのレンコンを廃棄せずに済んでよかったと、拝まんばかりに感謝されました。
 
 
◆危険性など頭になかった
 
食品添加物はまさに「魔法の粉」です。
「食品を長持ちさせる」「色形を美しく仕上げる」「品質を向上させる」「味をよくする」「コストを下げる」
 
すべて食品添加物を使えば簡単なこと。
面倒な工程・技術など不要で、実に簡単に一定の品質のものができてしまうのです。それが食品添加物の光の部分です。
 
しかし「光」があれば、必ず「影」があります。
便利なものを使うのであれば、その後ろにある「影」も一緒に引き受けなければならないのです。
 
その「影」の部分――それは食品添加物の人体への害悪・毒性であったり、それ以上に恐ろしい問題として、添加物が食卓を崩壊させるといったこともあります。
 
これらについては後述しますが、とにかく当時の私は、そんな危険性については全く頭にありませんでした。
つまり、添加物の「陰」の部分など見ようともしていなかったのです。
 
ただし、誤解のないようにいっておきますと、その当時、添加物の毒性・危険性を知らなかったかといえば、そうではありません。
 
当時すでに1500種類以上の添加物(ほとんどすべてといっていいでしょう)が頭に入っていましたし、その危険性や使用基準も、試験でもあれば満点を取れるほど、詳細に答えることができました。
 
しかし、それはあくまでも「机上の理論」に過ぎず、現実の問題として考えたことはありませんでした。
それどころか、添加物は世の中に必要不可欠なものであり、メーカーや職人の悩みを解決する自分は「救世主」であるとさえ思っていました。
食品産業の発展に貢献しているという自負さえ持っていたくらいです。
 
そんなある日。
私にとって人生のターニングポイントともなるべく、あの事件が起こったのです。
 
 
◆私の人生を変えたミートボール事件
 
その日は長女の3回目の誕生日でした。
当時の私は絵に描いたようなモーレツサラリーマン。
午前様が当たり前で、家で食事をすることもめったになく、だからこそ娘の誕生日ぐらいは日ごろの埋め合わせをしなければならないと、仕事を早々と切り上げて帰宅しました。
 
食卓には妻が用意したご馳走が、所狭しと並んでいます。
その中にミートボールの皿がありました。
かわいらしいミッキーマウスの楊枝が刺さったそれを、何気なく口に放り込んだ瞬間、私は凍りつきました。
それはほかならぬ、私が開発したミートボールだったのです。
 
私は純品の添加物ならほぼすべて、食品に混じりこんでいるものでも100種類ほどの添加物を、舌で見分けることができます。
いわば「添加物の味きき」「添加物のソムリエ」といったところでしょうか(ただ、ワインのソムリエと違い、あんまりなりたいという人はいないでしょうが・・・・・・)。
 
コンビニの弁当などを食べるときも、「このハムはちょっと「リン酸塩」が強すぎるな」「どうしてこんなに「グリシン」を使わなくてはいけないんだ」などと、ついつい「採点をしてしまうくらいです。
 
そのミートボールは、たしかに私が投入した「化学調味料」「結着剤」「乳化剤」の味がしました。
「これはどうした? 買ったのか? ××のものか? 袋を見せて」
あわてて効くと、妻はこともなげに「ええ、そうよ。××食品のよ」と答え、袋を出してきました。
 
間違いありません、自分の開発した商品でありながら、うかつにもミッキーマウスの楊枝と、妻がひと手間かけてからめたソースのために、一見わからなかったのです。
 
「このミートボール、安いし、○○(娘の名前)が好きだからよく買うのよ。これを出すと子供たち、取り合いになるのよ」
見れば娘も息子たちも、実においしそうにそのミートボールをほおばっています。
 
「ちょ、ちょ、ちょっと、待て待て!」
私は慌ててミートボールの皿を両手で覆いました。
父親の慌てぶりに家族は皆きょとんとしていました。
 
 
◆ドロドロのクズ肉が
30種類の添加物でミートボールに甦る!
 
そのミートボールは、スーパーの特売用商品として、あるメーカーから依頼されて開発したものでした。
発端はそのメーカーが、「端肉」を安く大量に仕入れてきたことでした。
端肉というのは、牛の骨から削り取る、肉ともいえない部分。
現在ではペットフードに利用されているものです。
 
このままではミンチにもならないし、味もない。
しかしとにかく「牛肉であることには間違いない。しかも安い。
この「端肉」で何か作れないか、と私に相談が来たのです。
元の状態では形はドロドロ。
水っぽく味もなくとても食べられる代物ではありません。
 
これを食べられるものにするにはどうすればいいか――そこが発想の原点でした。まず、安い廃鶏(卵を産まなくなった鶏)のミンチ肉を加え、さらに増量し、ソフト感を出すために、「組織状大豆たんぱく」というものを加えます。
これは「人造肉」ともいって、今でも安いハンバーグなどには必ず使われています。
 
これで何とかベースはできました。
しかしこのままでは味がありませんから、「ビーフエキス」「化学調味料」などを大量に使用して味をつけます。
歯ざわりを滑らかにするために、「ラード」や「加工でんぷん」も投入。
さらに「決着剤」「乳化剤」も入れます。
機械で大量生産しますから、作業性をよくするためです。
これに色をよくするために「着色料」、保存性を上げるために「保存料」「pH調整剤」、色あせを防ぐために「酸化防止剤」も使用。
 
これでミートボール本体ができました。
これにソースとケチャップをからませれば出来上がりなのですが、このソースとケチャップも、いわゆる市販のものは使いません。
そんなことをしていたら採算が合わず値段を安くすることができないからです。
コストを抑えるために添加物を駆使して「それらしいもの」をつくり上げるのです。
 
まず氷酢酸を薄め、カラメルで黒くします。
それに化学調味料を加えて「ソースもどき」を作るのです。
ケチャップのほうは、トマトペーストに「着色料」で色をつけ、「酸味料」を加え、「増粘多糖類」でとろみをつけ、「ケチャップもどき」をつくりあげます。
このソースをミートボールにからめて真空パックにつめ、加熱殺菌すれば「商品」の完成です。
 
添加物は、種類にして20〜30種類使っているでしょう。
もはや「添加物のかたまり」といっていいぐらいのものです。
本来なら産業廃棄物となるべきクズ肉を、添加物を大量に投入して「食品」に仕立て上げた――それがこのミートボールだったのです。
 
 
◆「添加物のかたまり」でビルが建った
 
この私の開発したミートボールは、売値が1パックたったの100円弱。
そこまで安い値段設定ができた理由は、原価が20円か30円だったからです。
それは、発売を開始するやいなや、たちまち大ヒット商品となりました。
もう笑いが止まらないほど売れ行きがよく、そのメーカーにはこの商品だけでビルが建ったといわれたほどです。
 
ヒットの理由は子供と主婦に受けたこと。
それは開発当時からの狙いでした。
使った肉はまずくて食べられたものではないけれども、添加物を駆使して子供の大好きな味を作り出したのです、
 
柔らかさも子供が2口、3口噛んだら飲み込めるようなソフトなものを作りました。
また、真空パックで「チン」すれば食べられる「便利さ」も主婦に受けた要因です。
 
売り方にもコツがあります。
スーパーで試食販売をするときは、子供に人気のキャラクターの楊枝をさし、しゃがんで子供の目線と同じ高さにして勧めること。
お母さんに必ず「(お子さんに上げて)いいですか?」と確認をとることも指示しました。
 
子供は大喜びで大喜びでミートボールをほおばり、「おいしい」といいます。
子供が「おいしい」といえば、親は8割方、買ってくれます。
 
「そうだろう、おいしいだろう。この味は俺にしか出せない。ほかのメーカーじゃあちょっとまねのできない味だからな」
嬉しそうにミートボールを買っていく親子の後姿を見送りながら、私は得意満面だったのです。
 
 
◆自分も家族も消費者だった
 
「パパ、何でそのミートボール、食べちゃいけないの?」
ミートボールの製造経緯について思いをはせていた私は、子供たちの無邪気な声にハッとわれに返りました。
 
「とにかくこれは食べちゃダメ、食べたらいかん!」
皿を取り上げ、説明にもならない説明をしながら、胸がつぶれる思いでした。
ドロドロのクズ肉に添加物をじゃぶじゃぶ投入して作ったミートボールを、わが子が大喜びで食べていたという現実。
 
「ポリ燐酸ナトリウム」「グリセリン脂肪酸エステル」「リン酸カルシウム」「赤色3号」「赤色102号」「ソルビン酸」「カラメル色素」・・・・・・。
 
このミートボールは、それまでの私にとっては誇りでした。
本来なら使い道がなく廃棄されるようなものが食品として生き返るのですから、環境にも優しいし、1円でも安いものを求める主婦にとっては救いの紙だとさえ思っていました。
 
私が使った添加物は、国が認可したものばかりですから、食品産業の発展にも役立っているという自負もありました。
 
しかし、今はっきりわかったのは、このミートボールは自分の子供たちには食べてほしくないものだったということです。
 
――そうだ、自分も、自分の家族も消費者だったのだ。
いままで私は「作る側」「売る側」の認識しかなかったけれども、自分は「買う側」の人間でもあるのだ。
いまさらながらそう気づいたのです。
その夜、私は一睡もできませんでした。
 
添加物のセールスこそが自分の生涯の仕事と決め、日本一の添加物屋になって見せると意気込んでここまでやってきた。
添加物で日本の新しい食文化を築こうと本気で考えていた。
 
しかし、自分の「生涯の仕事」は何かがおかしい。
何のためらいもなく、添加物を売りさばくことしか頭になかった自分。
営業成績が上がることをゲームのように楽しんでいた自分。
職人の魂を売らせることに得意気になっていた自分・・・・・。
 
たとえは適切ではないかもしれないが、軍事産業と同じだと思いました。
人を殺傷する武器を売って懐を肥やす、あの「死の商人」たちと「同じあなのむじな」ではないか。
このままでは畳の上では死ねない――そう思いました。
 
 
◆「俺のところのハムは食べるなよ」
自分の工場でつくったものを食べない人たち
 
そんなふうに考えはじめると、それまで聞き流していたさまざまな人の言葉が脳裏に浮かんできました。
ある工場の工場長Aさんは、いつも「俺のところの特売用ハムはダメ。とても食べられたものじゃない」と言っていました。
 
漬物工場の経営者Bさんもよく「「価格破壊」の商品とはいえ、うちの漬物は買うなよ」と言っていました。
塩漬けされた輸入品の黒ずんだ野菜を使い、それを漂白したあげく、合成着色料で色をつけてごまかしているからです。
 
先ほど紹介したレンコン会社の社長Cさんも、「あのレンコンは自分では食べない」といっていました。
それも当然です。
あの真っ黒な「廃材」みたいな色をしていたレンコンが真っ白になる過程を見れば、まともな神経を持った人間ならとても口にできないでしょう。
 
ギョウザ屋のDさん、豆腐屋のEさんも、同じ。
そういいきる人がどれだけいたことでしょう。
 
アジの干物を作っている工場のパートのおばちゃんの話も思い出しました。
あるとき割引で買える社内販売カタログが回ってきた。
そこには自分のところで作っているアジの干物と、こだわりのスーパーのアジの干物が並んでいる。
パートのおばちゃんは全員、こだわりスーパーの味の干物を選んだというのです。
 
自分の工場のものは、次々と「白い粉」を大量に流し込んで作った添加物の液体に、アジをつけてつくる。
中には刺激臭のものもあり、ゴボゴボとむせこみながら作業をするのです。
それに引き換え、こだわりスーパーのアジは無添加です。
 
おばちゃんたちには専門的な知識はないけれど、わけのわからない粉を大量に溶かし込んで作った干物は、本能的に気持ち悪い、だから自分たちは食べない、というのです。
 
 
◆会社をすっぱり辞めた
 
添加物については誰よりも詳しいと自認していた自分が、添加物の最も重要な「安全性」という問題を全く無視して今日まで来てしまった。
 
うわさに聞けば私の住む町は、ほかの都市と比べてアトピー性皮膚炎の子供が多いといいます。
その何千分の1かは自分の責任ではないか――そこまで考え、罪悪感にさいなまされました。
 
子供には、自分の食べるものを選ぶ権利がありません。
親の出したものをそのまま、何の疑いもなく口に入れるのです。
 
ただし、それでも、私は法を犯してきたわけではないのです。
国の定める基準にきちんと従って添加物を使用してきました、
使い方も量も基準を守ったし、ラベルにも正当に表示をしてきました。
そう考えてもやはり、罪悪感はぬぐいえませんでした。
 
気づくのは遅かったかもしれませんが、「目覚めて」しまった以上、もう仕事を続けることはできませんでした。
 
トップセールスマンとしてそれなりの高級をもらっていたこともあり、家族の生活を考えると葛藤はありましたが、やはり自分の良心には背けませんでした。
翌日、私は会社を辞めました。
 
 
◆食品添加物の講演依頼が殺到
 
その後私は無添加明太子をつくりはじめました。
市販の明太子は、添加物を大量に使って作っているので、子供に絶対与えたくない食品のひとつです。
 
そもそも明太子は、「無添加明太子など存在しない」と断言するメーカーがあるほど、添加物なしで作るのが困難な食品なのです。
だからこそ、どうせ作るなら、その明太子を完全無添加で作ってやろうと考えたのです。
 
しかしながら意気込んではじめては見たものの、無添加の明太子は非常に困難な作業でした。
 
明太子に限らず、添加物に頼らず加工食品を作るということは、なんと大変なのだということをそのとき改めて痛感しました。
その事実に向かい合ったときに始めて、職人の魂を簡単に売らせてきた自分の過去の行いを、私は心から恥じたのです。
 
そんな無添加の明太子の製造・販売に関わりながら、お客さんを相手に添加物の話をボツボツとしていると、「添加物の話しをもっと聞きたい」「友人に聞かせたいから、うちのほうに来てくれ」
そう頼まれることが増えてきました。
頼まれるままに話をするうちに、いつしか全国各地からお呼びがかかるようになっていったのです。
 
添加物に関心を持ち、私の話を熱心に聞いてくれる人がこれほどいるのかと、全国を回ってみて私は驚きました。
そして、人前で添加物の話や自分の過去の「悪行」を語るうちに、一つの方向を提示されたような気がしたのです。
 
私はいまの日本の食品添加物の現状を、誰よりも知っている人間です。
添加物の毒性や使い方を研究している学者はたくさんいます。
個々の毒性や危険性について詳しい人は私以外にもいる。
だけど、現場に立ったことのある人はいない。
 
なぜ、その添加物を入れなけれがいけないのか、その添加物を抜くためには何を代わりにしなければならないのか――そこまで指摘できる人間はほかにはいません。
 
私は「白い粉」をドサドサ投げ込んで作る加工の現場を、この目で見てきた「生き証人」なのです。
だからこそ、私には添加物の現状を告発するという責任があるのではないか。
 
自分の過去の恥ずべき行いは消せないけれどそれも含め、自分の中に蓄積されたものや添加物の現状を一人でも多くの人に伝えることこそが、私の使命ではないか。
そして、それがが過去に対する、せめてもの罪滅ぼしになるのではないか。
そう思うにいたったのです。
 
 
◆消費者は被害者か
 
しかし、だからといって、「添加物は完全に悪か」というとそうではありません。
私たちは多かれ少なかれ、添加物の「恩恵」をきちんと受けているからです。
 
添加物を使ってコストを下げれば、製造メーカーの利益は上がります。
先ほども紹介したように、添加物を使えば、「職人技」も要らずに、安くて均一な「商品」をコンスタントに、しかも楽に作ることができます。
 
それを売る側のスーパーだって、「恩恵」を受けています。
そういう安価な食品を仕入れることができるからこそ、目玉商品として特売が打て、売り上げが伸びるのです。
 
消費者だって、それは同じ。
見た目がきれいで、おいしくて、便利なものが買える。
しかも一度買ったものは、なかなか腐らない。
忙しいときは、本来なら2時間かけて作る食事を5分で済ませることができる。
それはまぎれもなく、食品添加物のおかげです。
 
一見、誰も間違っていない、どんな法も犯していない正しい経済行動です。
しかし――と私は思うのです――そんな食品添加物にまつわる現状を消費者は全く知りません。
 
添加物がどの食品にどれくらい使われているか、その実態を消費者は知りようがない。
つまり、十分な「情報公開」がなされていない。
それこそが問題だと思うのです。
 
「ラベルに表示がされているではないか」
そういう人がいるかもしれませんが、次章以降を読んでいただければおわかりのように、ラベルだけでは読み取れない、見えない「裏側」がたくさんあるのです。
 
だからこそ、食品添加物をはじめとする「食についての情報公開」が必要なのです。
情報さえオープンにされていれば、何を選ぶかは消費者の自由です。
しかし、現状ではそれができない。
 
「一流メーカーが、危ない添加物を食品に使っているわけがない」
「変なものがコンビニで売られているはずがない」
そう信じて、膨大な添加物をとっている人がどれほど多いことでしょうか。
 
その「裏側」を知ると絶対に食べたくないと思う食品を何も知らずに食べている人が、いったいどれほどいるでしょうか。
そこを私は問題にしたいのです。
 
ただ、では何も知らされていない消費者は完全に被害者かというと、繰り返しになりますが、必ずしもそうではないのです。
安くて便利ならばと、何の問題意識も持たずに食品を買う消費者の側にも責任はあるのです。
 
消費者が少しでも「安いもの」「便利なもの」「見かけがきれいなもの」を求めるからこそ、作り手はそれに応じるしかないという現実もあるのです。
 
製造者、販売者、消費者――この三者は、立場は違っているけれども、じつはみんな添加物を容認し、支持しているのです。
 
しかし現状では、どの食品にどの添加物を使うかという判断が、つくる者、売る者、買う者という三者の「共通項」ではない。
そこに問題があると私はいっているのです。
 
だからいまこそ、食品添加物の情報や、食品がどのように作られているのかといった「裏側」まで、情報を公開していくべきなのです。
すべてを知ったうえで選ぶのは消費者です。
私はそのための「添加物の翻訳者」たるべく努力していくつもりです。
 
 
 

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001