あんな話 こんな話  87
 
食品添加物のトップセールスマンが明かす
食品製造の舞台裏
知れば怖くて食べられない!
安部司著
『食品の裏側』
より その12
 
 
6章 未来をどう生きるか
 
◆「舌」は必ず取り戻せる
 
添加物をなるべく避け、手づくりの食生活を心がけていくと、不思議なことに子どもは変わっていくものです。
前章で子供たちの味覚を麻痺させる「3点セット」の話をしましたが、一度「舌」が麻痺したらもう一生治らない、ということでは決してありません。
「舌」は必ず取り戻せます。
 
うちには3人の子どもがいますが、成人したいまでもインスタントラーメンやスナック菓子はほとんど口にしません。
昔はそういったものを沢山食べていましたが、いま食べると「おかしな後味が口に残って気持ち悪い」というのです。
「頭」ではなく「舌」が、「化学調味料」や「たんぱく加水分解物」を嫌がっているのです。
 
しかし、うちの子供たちも、幼少時は例の添加物で固めたミートボールに代表される加工食品もスナック菓子も、普通に食べていました。
 
ところが、私が添加物の会社を辞めてから、徐々に家の食事が変わってきたのです。
出来合いのものや加工食品は食卓に並ばなくなってきたし、先にあげたような、野菜中心の日本古来の田舎料理みたいなものが中心になりました。
そしてそれと同時に、子ども達も自然と和食志向になっていったのです。
何も特別に教育したとか、うるさく言ったことはありません。
親が代われば子どもも変わるのです。
 
 
◆お父さんも家事をする
 
20年前、会社を辞めたとき、我が家には大きな変化が訪れました。
それは、父親の私が、子どもと一緒に台所に立つようになったこと、そしてそれと同時に家族とのコミュニケーションが増えたことです。
 
加工食品になるべく頼らずに手作りするとなると、手間も時間も相当かかります。
食事を担当するのがお母さんだとしたら、お父さんももっと家事に参加しなければいけないと思うのです。
 
お母さん一人で掃除も選択もこなして、それで食事は手づくりしなさいというのでは、負担が大きすぎます。
「食」を大切にするならば、男性も共同で家事をこなしていくという意識を持たないといけません。
 
我が家の経験から言いますと、父親が掃除をすると、子ども達は不思議と散らかさなくなります。
むしろ率先して片づけをするようになる。
それまでは母親が掃除をするのが当たり前だったせいか、父親が掃除をするとなんだか勝手が違うというか、居住まいを正したくなるようです。
 
 
◆「まごころ基準」を持って
 
業界を離れて久しくなりますが、今でも私のところには、添加物の使い方について訪ねてくる業者がいます。
「増量がうまくいかない」
「この添加物はどうやって使うのか」
 
昔は添加物の相談なら何でもござれ、使い方でも選び方でも事細かに教えましたが、今はもう「添加物アドバイザー」は廃業しました。
 
「教えてもいいですよ」
私は訪ねてくる業者に、こう答えることにしています。
「でもそれと引き換えに、魂を売ることになるのですよ。
職人としての魂、食を作る人間としての魂――それを売ることになるのですよ。
その前にあなたの“まごころ基準”にもう一度問いかけてみてください」
 
またこんな風に答えることもあります。
「あなたは製造業者として、添加物を駆使して食品を作ります。
しかしあなたも消費者なのです。
そして、あなたの愛する人や大切な人も消費者なのです。
あなたの年老いた両親に、自分の作っている食品を食べさせられますか?
初めての孫の離乳食に、添加物でできあがった食品をすりつぶしてあげられますか?
ウソやごまかしではなく、家族に安心して食べさせることのできるものを作りましょうよ」
 
添加物を使えば面白いようにごまかしがききます。
値段も安く抑えることができ、コンスタントに一定水準のものを楽に作ることができます。
それは会社に利益をもたらします。し
かも、きちんと法律にのっとった基準を満たしているかぎり、それは違法でもなんでもない。
 
しかし、物を作る基準には「法」の基準だけでなく、もう一つの基準があるべきではないカ――私はそう思うのです。
それを私は「まごころ基準」と呼んでいます。
自分の年老いた両親に、初めての子どもの離乳食に、自分の作っているものを自信をもって食べさせることができる――そんな「まごころ基準」が今求められているのではないでしょうか。
 
このままでは日本の食文化は滅びます。
今こそ、加工食品メーカーは「真心基準」を持って、もう一度食べもの作りの原点に立ち返ってほしいのです。
添加物を使うものと使わないもの――その違いをきちんと説明すれば、わかってくれる消費者は必ずいます。
そんな消費者こそ、メーカーにとって本当に大事なお客様ではないでしょうか。
 
 
◆心ある消費者は、きっといる
メーカーにとって、添加物を使わず加工食品を作るには、大変な努力が必要です。
添加物を使えば即座に解決できるような問題が、逆に添加物を使わないと、手間が何倍もかかるのです。
添加物を一つ抜くということは、それだけ解決しなければならない問題が増えるということなのです。
 
「日持ちをさせること」
「食感をよくすること」
「少しでも材料の色を生かすこと」
「熟成させてうまみを出すこと」
添加物を使えばすぐに解決するような問題でも、添加物を使わずに食品を作るとなると、そんな多くの課題を智恵と手間をかけて乗り越えていかなければならないのです。
そしてその努力を、消費者の人にわかってほしいのです。
 
無添加でつくるとなると、当然、原材料もいいものを使わざるを得ませんし、手間もかかります。
職人の技も必要です。
その結果、どうしても添加物入りの加工食品よりは、値段は高くなってしまいます。
色や形が悪くなるかもしれない。
味も薄くなるかもしれない。
添加物を使わないことによる物足りなさ・不便さがあるかもしれない。
 
だけど、手間隙かけてまごころ込めておいしいものをつくっている――そのことが消費者に伝わるように、メーカーはきちんと説明すればいいのです。
きっと心ある消費者には伝わるはずです。
 
こんなエピソードもあります。
私は、「最進の塩」という会社で塩づくりに携わっていたことがあるのですが、そのつくり方は、玄界灘につづく下関の港から海水を汲み上げ、平釜でトコトコ炊くというきわめてシンプルなものです。
電解イオン交換幕や、輸入塩にミネラルを強引に添加したりは一切しません。
ただ昔ながらの方法で塩を作っているのです。
 
美味しくて、体に良く、マスコミでは血圧の下がる塩として紹介されましたが、国内で作ったり24時間体制で作業しなければならないなどで、どうしても値段が高くなってしまいます。
残念ながら、このような塩は、値段最優先のメーカーではコストアップになるのでなかなか使ってもらえませんが、あるとき、アジの開きをつくっている会社の社長さんが、この塩のよさとおいしさをわかってくれ、いま使っている塩を全部「最進の塩」に切り替えるとおっしゃってくれたのです。
 
ところが、いざ、今の塩[輸入天日塩]から「最進の塩」に切り替えるとなると、塩だけでも年間1000万円のコストアップになり、その結果、アジの開きが1枚当たり15円も値上げせざるを得なくなるというのです。
社内でも反対の声が多く、スーパーの仕入れ担当者も「15円も上がると、主婦はとにかくやすいものがいいから、絶対に売れませんよ」と断言するほどでした。
 
しかし、社長は決断しました。
いい塩を使うのだから、これを機会に無添加にしよう。
他社と同じように「化学調味料」「酸化防止剤」「PH調整剤」「甘味料」などを使うのはもう辞めよう。
そう決めたのです。
 
その結果、色が悪くなるかもしれない。
値段が高くなるかもしれない。
でも、それは無添加ゆえのこと。
だから、それをきちんと明記・説明すれば、わかってくれる消費者はきっといるはずだ。
 
値段が高くなるけれども、そのことを、問屋やスーパーにもわかってもらい、みんなで消費者にきちんと伝えよう。
社長はそう決心して、無添加のアジの開きを作り始めたのです。
 
それは、思いのほか売れました。
食べると昔の素朴な味がするというのです。
もちろん、すべての消費者に支持されたわけではありません。
値段・外見しか見ない消費者には見向きもされませんでしたし、また、ビルが建つほど大ヒットしたというわけではありません。
 
それでも、それを支持してくれる消費者は確実にいたのです。
「少量でもいいものを」という安心本物志向の消費者は、きちんと私事してくれたのです。
心ある消費者は、いつの時代もきっといるのです。
 
 
◆無添加に甘えてはいけない
一方、だからといって、つくっている人には「無添加」に甘えないでといいたい。
「無添加だから味はまずくてもいい」
「すぐに腐ってもいい」
そんな食品に、私は我慢なりません。
 
体にいいからといって、鼻をつまんででも食べるのが無添加食品なのでしょうか。
無添加だからといって、無理して食べることがいいことなのでしょうか。
そうではなく、やはり食品のつくり手であれば、おいしいものを作らなければいけないと私は思うのです。
無添加ということに甘えてはいけない。
そこに無添加の難しさがあるのです。
 
 
どこかの雑誌の記者が、こんなことを言ってきたことがありました。
壱岐で本物の「塩ウニ」を見つけたというのです。
 
「どういうところがほんものなの?」
そういうと、彼はこう答えました。
「塩だけで作っているから、ビンのふたを開けると、中で発酵が進んでいて、吹き上がるんですよ」
それは本物ということじゃない、単に腐っているのです。
 
発酵が進んでしまうのは、塩の量が足りないからです。
もう少し塩を足して発酵を止めなくてはいけないのです。
塩辛くなってしまうというなら、もっとよく混ぜるとか、熟成期間を長くするとか、温度を変えるなどといった工夫をすればいい。
そうして塩辛さを取って奄美を出し、保存に耐えられるようにしたのがほんものの「塩ウニ」なのです。
間違えてはいけません。
 
 
「アンチ添加物=無添加=いいもの」そういった図式が世間にはありますが、無添加ゆえにおいしくないものや腐ったものまで「いいもの」になってしまっています。
しかし、それは違います。
食品であるからには、やはりおいしくなければいけない。
 
添加物をはずすなら、はずした分だけ、手間と工夫と智恵が必要になります。
添加物を使わずに食品を作れば、手のかけ方、熟練した経験、職人としてのカンなどによって、まちまちな味になります。
それをおいしいものに仕上げていく。
いわば無添加は「料理の世界」と同じだと私は思うのです。
 
 
◆みんな食品添加物が大好き
食品をつくる人すべてに「まごころ基準」を持ってほしい。
それが私の切なる願いですが、その一方で消費者の側にも問いたいことがあります。
 
メーカー側はこう言います。
「消費者は値段で買うから、安くするためには、添加物を使わざるを得ないんですよ」
「色の悪いタラコなんて誰も買ってくれません。だから、着色料や発色剤を使わざるをえないんです。うちだけがはずすわけにはいかないんですよ」
 
私自身、「着色料」も発色財」も「化学調味料」も使わない完全無添加の明太子を作ったとき身をもって体験しましたが、色が鮮やかでないタラコ、化学調味料の入っていない明太子は嫌がられるのです。
「この明太子は腐っているじゃないか!」
「味がおかしい」
そんな抗議をどれだけ受けたことでしょう。
みんな、タラコや明太子はきれいなピンク色で化学調味料の味がするのが当たり前だと思っているのです。
 
色がくすんだたくあん――そんなの誰も見向きもしません。
店においても売れ残ってしまう。
だから「着色料」を使って黄色くツヤツヤに染めざるをえないのです。
ハムも同じ、無添加で作った、チャーシューみたいな色をしたものは売れない。
色がよくて安くないとだめなのです。
 
それから、みんな買うときには値段しか見ないから、安いものほど売れる。
高いものはなかなか売れない。
しかし、手作りしようとするとどうしても高くなってしまう。
だから加工食品業者は、安い輸入原料にせっせと添加物を使って安く作り、安く売るのです。
 
ゼリーで増量したハム、大豆たんぱくで増量したハンバーグも、安いからと喜ばれる。
○○の素、○○のタレも、簡単・便利だからどんどん売れる。
どのように作られているか、何が入っているか、「裏」なんて誰も見ていない。
なんてことは無い、消費者も食品添加物がすく名のです。
 
 
◆4人に3人が食品添加物を支持している
ここに面白い調査結果があります。
財団法人福岡郡市科学研究所という団体が行った調査で、それは農業や食に関する安全性の意識と実際に買物をする行動とを調べたものです。
その団体は、15歳以上の男女1700人に、以下の4つのような消費者のタイプを設定し、「自分はどれに当てはまると思うか」といった質問をしました。
あなたもどのタイプに入るか、少し考えてみてください。
 
@積極型消費者
「食と農」は生命の源なので、安全なものなら多少高くても買うし、虫がついていても平気。
また、援農などの農水産家を支援する活動にもなるべく参加している。
 
A健康志向型消費者
家族の健康や食の安全性を守るために食生活に注意しているし、盛況の購入活動や青空市場などもよく利用している。
 
B無関心型消費者
日々忙しく食のことは大事だと思うが、安くておいしいものが食べられればそれで満足。
 
C分裂型消費者
食の安全性や家族の健康には注意しているが、特別なことはやっていない。
 
いかがですか?そして舌が、自分に当てはまると回答したグループの割合です。
@積極型消費者・・・・・・・・・・5.5%
A健康志向型消費者・・・・・・15.6%
B無関心型消費者・・・・・・・・23.0%
C分裂型消費者・・・・・・・・・・52.4%
 
この調査で見逃せないのは、食の安全のためなら少々高いお金を出すという「@積極型消費者」「A健康志向型消費者」の2つを合わせても、22.1%しかないのに対して、食の安全性に注意はするものの特別なことはやっていないという「C分裂型消費者」が全体の半分以上いるということです。
 
つまり半分以上の人が、食の安全に関して意識と行動が一致していない。
確かに、農薬や添加物は体によくないと思いつつも、安かったり面倒くさかったりしたらそれを選んでしまう。
 
そんな「分裂型消費者」にあわせて、そもそも食の安全性にあまり興味の無い「B無関心型消費者」を足すと、75.4%にも上ります。
 
いってしまえば、国民の75%が安全性に無関心だということです。
それは逆の味方をすれば、4人に4人の消費者が農薬や添加物を指示しているということなのです。
 
 
◆あなたの小さな選択が食と心を変える
消費者も添加物を支持しているという現状がある以上、
「メーカー=加害者」vs「消費者=被害者」
という図式は成り立ちません。
消費者もまた、添加物蔓延の片棒を担いでいるといってもいいからです。
 
しかしそれは、逆にいえば、一人ひとりの消費者行動こそが、メーカーや販売者を動かす機動力となりうる、ということでもあります。
 
10種類以上の「白い粉」をバサバサと混ぜ込んで、赤ちゃんみたいなツヤツヤの肌にして、不自然なほど鮮やかなピンクに染めたタラコが本当に必要でしょうか。
いくら色がきれいだからといって、虫をすりつぶして抽出した物質で染めた、そんな飲み物やハムがどうしても必要でしょうか。
イオウ化合物の漂白剤のプールでこれでもかというほど真っ白に漂白した漬物や野菜が本当に必要でしょうか。
 
スーパーで買物をするとき、今日の献立を考えるとき、私たちは常に小さな選択を迫られ手います。
どうか、自分のために、子どもの未来のために、価値ある選択をしてください。
あなたの小さな選択のひとつひとつが、日本の豊かな食文化と日本人の心を取り戻す大きな流れにつながるのだと信じています。
 
 
 
おわりに
 
繰り返し述べてきたように、現在、これほど情報公開が進んでいない業界も珍しいといえるほど、食品業界では情報公開がなされていません。
食品がどのように作られ、どの添加物が何のためにどれほど使われているのか――それを私たち消費者はなかなか知ることができないのです。
 
もちろん、作る人、売る人、食べる人が、みんな「知人」だったら、情報公開などわざわざ必要ないでしょう。
作る人は食べる人の顔を思い浮かべ、あの人が食べるならと、無添加で安心・安全でおいしいものを作るはずです。
食べる人も作った人の顔を思い浮かべ、色が少々悪く、味が薄くても気にしないでしょう。
売る人もそれをきちんと説明するはずです。
 
しかし、この「つくる人、売る人、食べる人」という「つながり」が、社会が発展し、産業が大きくなるにつれ、徐々に失われていきます。
仕事の分業化・専業化が進むと、つくる人の顔、食べる人の顔がどんどん見えにくくなるのです。
 
そのためつくる人の思いが、それを口にする消費者に伝わらなかったり、反対に、消費者の求める声も、販売者、製造者にはなかなか届かなかったりします。
その結果、無添加の食品を作っても、消費者には支持されなかったり、逆に消費者を無視した、売らんかな主義の違法農薬、違法添加物、産地偽証があとを絶たなかったりするのです。
 
つくる人、売る人、食べる人――その三者の「つながり」を取り戻したい。
それが私の切なる願いですが、そのためにもまず必要なのは情報公開です。
食品の「裏側」、食品添加物の「現状」を明らかにし、消費者に取捨選択してもらうことです。
そして、つくる人、売る人、食べる人が、それぞれ本当はどんな食品を求めているのか、それに真摯に向き合うことです。
 
私たちの社会は、戦後、驚くほど豊かになり、便利・快適になりました。
しかし、今日の便利で快適な生活の「裏側」には、多くの化学物質があることを忘れてはいけません。
プラスチックには不可欠な「フタル酸化合物」などの環境ホルモン物質。安くきれいな輸入建材に使われる「ホルマリン」などの防腐剤――私たちの豊かな生活を支える一つが化学物質であることは否定できない事実です。
 
食品においてもそれは同じです。
今のように、楽に簡単に食事ができるのは、それは添加物のおかげです。
いつでもどこでも、手軽に空腹を満たすことができるのは、添加物あってのこと。
この世から添加物が無くなれば、食事を作る時間と手間は何倍にもなるでしょう。
それにほとんどの食品が、値段が高くなり、見掛けも悪くなり、長持ちもしなくなるはずです。
 
しかし、そんな便利さ・豊かさを支えるものには、「光」とともに「影」もあります。
毒性・危険性もさることながら、食や文化、そして心までをも壊してしまう力が添加物にはあるのです。
添加物の「光」を享受するのであれば、そんな「影」の部分からも逃れることはできないのです。
 
たしかに私たちは豊かになりました。
しかし、あまりにも急に豊かになりすぎて、その快適さも薄氷の上にあるような気がしてなりません。
「夢の物質」とまで言われ、何十年も使われていたものが、ある日突然「発がん性があるから」という理由で使用禁止になったりするのです。
 
日々の生活は、便利、快適、豊かになっていき、得るの野も多いのも事実です。
しかし、その「裏側」で、人間として、日本人として、失ってはいけない大切な何かを確実に失いつつあるのではないか――私にはそのように思えてなりません。
一体私たちは、何を得て、何を失っているのか。
本書が、それを考えるささやかな契機になることを願ってやみません。
阿部 司
 

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001