あんな話 こんな話  88
 
小泉武夫著  サンケイ出版
『知恵の食事学』
より その1
 
 
第1章 食べて体を作る知恵  の1
 
 
● 日本人を支えてきた“小さな赤いたま”
 
梅干しといえば、戦前派の人ならまず、「日の丸弁当」を思い起こすに違いない。
戦時中の苦難期や戦後の混乱期に、露営や勤労工場で、そして焼け跡の整地場で、四角い弁当箱の飯の中に梅干し1個を埋め込んだ質素な弁当を食べながら苦難と欠乏を耐え忍んだ日本人。
 
この赤い小さな玉こそ、粗衣粗食の日本人を支えてきた食生活の原点といってよいだろう。
 
梅は中国原産のバラ科サクラ属に分類される落葉小木で、中国文化とともに、薬木として奈良時代に渡来した。
 
平安時代の永観2年(984)に丹波康(たんばやすより)が著した「医心方(いしんほう)」には「鳥梅(うめぼし)」としてその薬効が説かれているから、大変古くから、日本人は梅干しを重宝してきたことが良くわかる。
 
禅僧は点心(てんじん)(茶請けや正食事の菜)として、武士は出陣や凱旋の兵糧として、また家庭では食べものというより常備品として、大切に食べ続けてきた。
 
梅は塩漬けにすると、食塩の作用で浸透圧が高くなり、細胞の原形質分離が起こって梅の実から浸出液が出る。
 
この液が梅酢(うめず)で、平安時代・承平年間(931〜938)の「和名抄(わっみょうしょう)」ではこれを「塩梅(えんばい)」とあり、この塩梅がやがて「あんばい」と呼ばれて味かげんを意味するようになった。
この梅酢は当時、よほど重要な調味料であったのだろう。
 
塩漬けにした梅には、途中、紫蘇の葉を加えて着色し、盛夏の晴天には梅酢から一度出して日干しし、再び戻してしばらく置いたあと、肉が柔らかくなったところで梅酢とわけ、容器内に密封貯蔵して味をならす。
 
梅干しの強い酸味(約4%)の主体はクエン酸で、ほかにリンゴ酸やフマール酸を含むが、これらの有機酸は現代医学でも整腸や食欲増進、殺菌作用などに効果あるものとされている。
 
そのことを体験的に知っていた日本人は、梅干しを実に上手に使ってきた。
 
疲れると、元気回復にと食され、風邪といえば湯に溶いてのみ、子供の食あたりには下痢どめに良しと飲ませ、夏まけの防止にとしゃぶり、ツワリによしと妊婦が好み、時にはこめかみに梅肉を張りつけて頭痛の特効薬ともした。
 
食べ物が腐りやすい時期には、弁当やおむすびに入れて防腐の効果も期待した。
まさに、梅干は日本人にとってオールマイティーの万能薬的存在であった。
 
梅干しに薬効があるのは、梅から溶出してきたさまざまな有機酸のほかに、種子の核や紫蘇の葉から溶出してきた快香を伴った薬効成分(芳香族アルデヒド類、テルペン系化合物、ペリラ化合物など)のためである。
 
これらの化合物は、前述したさまざまな症例のほかに、鎮咳、解熱、利尿、健胃、発汗、解毒、精神安定などに効果がある。
 
単に梅を塩につけただけでなく、そこに紫蘇を加えて着色させ、見た目を美しくさせようとした一方で、梅成分とともに紫蘇成分の薬理効果(鎮咳、健胃、解毒、防腐など)も併せて期待した日本人のこの知恵には驚かされる。
 
梅干しの都合の良いところは、何といっても長期間、保存のきく食品であることだろう。
いつ、どんな時でも即席ものとして梅干し1個で飯の2杯は食べられるから、”窮荒食品”としても重宝され、有事の際は常に日本人を守ってきた。
 
梅干しや庭にしたたる紫蘇の汁 (子規)
 
 
 
● 匂い草の意味するもの
 
アロマテラピイー(Aromatherapy)という、従来はほとんど耳にすることのなかった新しい療法(芳香療法)が最近しばしば聞かれるようになった。
 
一言でいえば、薬を飲ませず、匂いを嗅がせるだけで病を治そうというものである。
この方法だと副作用もなく、治療費も安くなるから夢のような話である。
 
この療法は現在、ソ連や西ドイツなどで活発に研究が行われているものだが、残念ながら日本での研究は数少ない。
さまざまな化学成分、薬草、香料を嗅がせることにより、呼吸器系、循環器系、消化器系、泌尿器系、神経系、精神活動系などが刺激され、これを繰り返しているうちに治癒するというものである。
 
この療法は大変に古い歴史があり、すでに古代エジプト、古代中国などで盛んに行われていたものが、現代に復活したものといわれている。
 
当時は、木の香りや芳香性植物の匂いを嗅がせたり(聞香法)、嘗めさせたり(ハーブの例)、匂いに触れさせたり(森林浴の例)などさまざまな方法が行われていたようだが、これを医学的に確立しようとしたのがこのアロマテラピーである。
 
過密化、複雑化した現代社会に生きるものにとって、ストレスの発現は当たり前のようになった今日、不定愁訴に悩む半健康人が大変多くなってきた。
それらの治療にこの療法が大変効果があるとして、注目されだしてきたのである。
 
アロマテラピーの原理を説明するのにちょうど良い身近な例では、疲労した時に香の優雅な匂いを嗅ぐと精神的にその疲れが癒されたり(精神の安定)、鰻(うなぎ)屋や焼き鳥屋の前でうまそうな匂いを嗅ぐと、消化器系が刺激されて空腹感を覚える(食欲の高揚)などがそれである。
 
正月には七草というのがある。
この日は昔から、芹やナジナなど七種の若葉を粥に煮込んで食べる日である。
これらの七草は、全て越冬性の強い植物で、冬枯れの季節に青物を補給できるという、栄養的に森にかなった行事である。
 
これを食せば万病に効くと信じられてきた。
中でも芳香性の高い芹は珍重されるが、その匂いの成分はピネン系やフェノール系化合物で、これは心身ともにハツラツとさせる薬効をもっている。
 
また日本には、餅に蓬(よもみ)草を入れた草餅や草団子がある。
蓬はキク科の多年草で、キク科に共通する特有の強い快香がある。
この匂いの本体は、テルペン系のテルピノール、クリザンテノン、カンファーなどだが、これらの成分は山間の森林浴にも共通して見られる匂い成分で、やはり、気持ちを快適にする作用を有している。
 
『延喜式』(平安時代)の「典薬寮」の中に、菊や蓬が薬餌としてすでに用いられていたことからみても、日本人の知恵は賢い。
 
貝原益軒は『養生訓』(江戸時代)の中で、「香は正気を助け、邪気を払い、悪臭を消し、けがれを去る。たまには植物の匂いや香を薫(た)いてそれを味わい、心を養え」と訓じている。
 
5月5日の端午の節句に、家々の屋根の軒に蓬や菖蒲をさしたり、湯に入れたりするのも、また秋に菊湯に入ったり、菊酒を飲んだりするのも、それらの植物から出る匂いには、邪気をはらう神秘的な力があって、これを体にとり入れることにより、病気にかからず、延命になるという昔からの知恵が教えた習慣であって、これはまた、日本版のアロマテラピーなのである。
 
 
 
● たまには骨まで愛して欲しい
 
松の内を過ぎてしばらくすると、正月の諸材も大半を使い尽くす。
そこで台所の方便として、骨までしゃぶる意味の「骨正月」というのがあった。
今はほとんど行われなくなった、昔からの新年行事の一つである。
 
この日はまず、魚と鳥のあらを水から入れて、中火以下でゆっくり煮熟し、あらが柔らかくなったところで、少々の塩と酒で調味して食べる。
 
ところで、日本には、骨を材料にした料理が、昔からずいぶん多い。
その代表格が、鮭の頭の氷頭(ひず)料理。
軟骨で、氷のように透き通るからこの名が付いた。
薄く切って刻み、酢の物にしたのが氷頭鱠(ひずなます)で、氷頭、人参、おろし大根、煮豆などを酢で仕上げたのが酢憤(すむつかり)。
また頭をとろ火で煮込んだものは、膾で食べるほか、さまざまな煮込み料理に珍重される。
 
昔は鮭の代用として鯨(くじら)、サメ、アカエイなどの軟骨もこのようにして食べられてきた。
薩摩のつけ揚げ、四国の雑魚(じゃこ)のてんぷらなども、本来は魚肉を骨ごとたたいて油で揚げた叩揚げ(たたきあげ)であり、つくねや摘入(つみれ)も同様に骨ごとが本式である。
 
野鳥もそうである。
ツグミやキジも肉とを骨ごとよくたたいて丸め、これを煮たり、焼いたり、揚げたりして食べたが、中でも、小鳥の肉骨の団子を使ったジブ煮やジブ汁は、格別の野趣味を持っている。
 
骨を料理の材料とするのは、決して日本人だけのことではなく、肉を食べる民族の共通した方法である。
だが、日本人ほどその仕方に手間をかけ、そしてきめ細かく緻密な手法を織り込んだ、さまざまな調理法や料理を持っている民族は珍しい。
 
単に肉を骨ごとたたいて、そのまま加熱して食べるというものではなく、日本酒、醤油、味醂といった調味料を材料として、煮ても、揚げても、焼いても十分に満足できる味につくり変えてしまう。
 
この合理的な知恵の発想には、理にかなったいくつかの理由がある。
まず、栄養的には骨から直接、カルシウムやリンなどを主体とした無機物の吸収。
そして骨の髄から、さまざまな微量栄養分の供給がある。
 
また、ズイから溶出してくるゼラチンやコラーゲンのようなタンパク質は、特有のうま味やコクを出すのに強力な役目を果たす。
さらに、何といっても微妙な骨の歯ごたえは、肉身の軟らかさにない独特の感覚を呼び、野趣味をわき立たせるのに絶妙な役割を演じてくれる。
 
だから日本には、さまざまな骨入り料理がある。
前述したもののほかに、豚骨を油で炒めてから焼酎で煮、それを味噌で炊き込む鹿児島の豚骨料理、鰹を骨ごとたたいて油で揚げ、別にこしらえた汁につけて食べる鰹料理、鯛の骨部を煮込んでダシ汁をとり、これに炒り胡麻と焼き味噌を加えて濃汁をつくり、これを温かい飯のおかずにしたり、お茶漬けのもととしたり。
鯨軟骨の粕漬け、フナやワカサギの雀焼き、蟹のがん漬けなど。
 
家庭でも昔から、煮魚や焼き魚の骨を器に入れて熱湯を注ぎ、軽く塩か醤油で味付けした骨湯を飲めば健康によいといわれ、行われてきた。
また、焼いた鯛や甘鯛の骨を火にかけて焦がし、これに熱燗を注いだ骨酒は、酒客にたいそう喜ばれた。
 
だが、今では、食物の豊かな時代になって、骨は邪魔な存在に落ちぶれてしまった。
 
しかし、どんな世の中になっても、骨の持つ独特の風味に変わりはない。
この日本人好みの奥深い味の神髄を、たまには味わっておくことも、大切なことだと思えてならない。
 
 
 
● 無駄も方便
 
ゴボウは日本人だけが食べる根菜である。
ヨーロッパ、シベリア、中国北西部にその野生原種が見られるが、日本にはない。
わが国には、平安時代の初期に薬物のひとつとして大陸から渡来して来た。
中国では、漢方薬の原料に使われる程度で食用としての例はほとんどない。
 
ゴボウは難消化性多糖類の繊維素が主体であるので、食べても消化せず、胃腸を通過するだけなので栄養源にはならない。
 
ところが、その牛蒡の繊維素は、白米や肉などに比べ20〜30倍もの水を吸収して膨潤し、腸官を通過する際に腸内を清掃し、お通じが良くなることは、昔からいわれているところである。
 
そのうえ、繊維素は体にとって、有益な腸内細菌を多く増殖させる場ともなるから、腸に侵入した腐敗菌や異常発酵菌の増殖を抑えるとともに、そこでさまざまなビタミンを生合成するから、体はそれを吸収し利用していることもわかった。
 
さらに、繊維素は胆汁酸の分泌を多くして、脂肪の分解やコレステロールの過剰を抑えるのに効果ありとされるなど、栄養価ゼロの食品が、実は体にとってたいへんに役立つものであることがわかってきた。
 
日本には、この牛蒡の例のように栄養的には無駄な食べものでありながら、実は貴重な価値を持っているものがずいぶん多い。
薊(あざみ)の根、薇(ぜんまい)、蕨(わらび)、土筆(つくし)、筍(たけのこ)、蓮根(れんこん)、糸瓜(へちま)、萌(もやし)、蕗(ふき)などは、いずれもその仲間である。
中でも、蒟蒻(こんにゃく)は、多くの話題を持っている。
 
主成分が多糖類の一種マンナンで、人間はこの成分を消化吸収できないから、低カロリー食品の代表格とされている。
そのうえ、このマンナンは水にあうと、みるみる膨潤して膨れ上がり、蒟蒻となってからはその97%が水分という水ぶくれ状態。
 
カロリーはゼロに等しい。
その性質を利用して、古来から「砂払い」といって、腸官の掃除役に重宝した。
家の大掃除の後、体に吸い込んだ埃(ほこり)を取り出そうと、本気で蒟蒻を食べさせられた記憶も古くはない。
 
日本人がこのように、一見無用と思われる食べものを好んで食してきた背景をよく物語るものとして、江戸時代に食べられていた極めて珍妙な料理を一例あげてみよう。
この料理の驚くところは、なんと栄養などまるでない和紙を食べてしまうところにある。
 
「奉書紙を3日ほど水に漬(つけ)、成(なる)ほど能(よく)たたきつぶし、葛(くず)を合(あわせ)て味噌にてこね、能程(よくほど)に切(きり)て味噌汁にて煮る此餅を食する者は、年中悪病を除く也」
 
これは明和元年〈1764)の『料理珍味集』に記載されている一説である。
奉書氏の原料は楮〈こうぞ)の繊維であるから、すでに日本人はこの頃から、最近重要視されるようになった食物繊維〈ダイエタリー・ファイバー)を意識的にとり入れ、腸官への刺激による便秘の防止や、腸内細菌のコントロールをしていたことが推察されるのである、
便秘の薬や整腸剤などのなかった時代での、まさに理にかなった知恵である。
 
このように牛蒡も蓮根も筍も蕨も薇も、そのほとんどが繊維素を食べることの共通を見るが、いまひとつ大切な共通点を持つのが歯ごたえである。
 
日本人は昔から、歯ごたえのある堅さもひとつの風味の要素として重宝してきたから、これらの食物が口に入ってからの物理的感覚〈テクスチャー〉は日本人にピッタリの好みともなって、大いに食されるところとなった。
 
だから、牛蒡ではキンピラ、蓮根では胡麻和えといったように、なるべく繊維をいためることなく、そっとしておいた調理法が、これらの根菜には共通してとられているのである。
 
 
 
● 豆の萌(もやし)、米の?(もやし)
 
植物が芽を出し、もやもやとした状態になるのを萌(もやし)といい、穀類にカビが生えてもやもやとしたのもやはり?(もやし)という。
 
日本人には、このような萌(も)映ずる芽を食したり、利用する習慣がよく見られる。
その第一の例が、豆に芽を出させ、その芽を食の目的とするもやし。
韓国や中国でも食するが、近年日本人の消費量には目を見はるものがある。
大都市近郊で、年間を通じて最も多く消費されている野菜のひとつであり、その食べ方にもさまざまある。
 
そもそも日本人には、これぞという理にかなった食べものがあると、あたかも集団行動の如く伝播し、たちまちのうちに全国的に波及する傾向がある。
今日、これほどまでにもやしが普及したのも、安価で、簡単に料理ができ、そしていつも求めやすく、そのうえ、健康志向を持った食べものだからだろう。
それを日本人は見逃すはずはない。
 
今日、私たちが食しているもやしは大豆、小豆、ブラックマッペなどの豆類を発芽させたものであるが、市販されているもののほとんどはブラックマッペという豆である。
 
この豆は発芽しやすく、短時間のうちに急成長して収穫も多いから、栽培には最適とされているもので、さっと火を通してさまざまな料理に使われる。
 
植物の芽は著しく成長力があるから、昔から神秘的にさえ思われてきたが、事実、豆類のもやしにはカルシウム、リン、鉄分などのミネラルのほか、ビタミンB群、C、E、コリンなどのビタミン群も豊富である。
 
それも、豆だけのときより2倍近くもそれらの微量要素が増加するから、発芽させてから食するということは栄養的に見て大変理にかなった知恵なのである。
出芽させて食べる豆類にはほかに緑豆、落花生、レンズ豆がある。
 
大豆以外のもやしも昔から、日本ではさまざまに食されてきた。
中でも貝割はその代表的なものである。
貝割りとは、種子から発芽したばかりのよう植物の総称で、子葉が二枚貝を開いた形に似ているところからこの名称がある。
 
大根の種子が発芽したものは、ピリッとした特有の辛さと緑と白の調和を持った薬味となるほか、蕎麦に芽を出させたものや、胡麻、ヒマワリに出芽させたものなどは、いずれもタンパク質や脂質が多く、何よりもビタミン群が豊富であるから滋養食のひとつとされている。
 
ほかに、日本人がことのほか好む薇、蕨、たらの芽、筍、山うど、シドキ、つくし、茗荷なども、いずれもその若芽を食べてうれしい山菜なのである。
 
同じもやしでも、日本人は目にも見えにくいもやしも大昔から実に巧みに利用して、この国の食文化の原点に位置する嗜好物を次々に作り上げてきた。
 
奈良時代の「播磨風土記」には、「米飯にカビの生えたもの(よねのもやし〉で酒を醸もさしむ」とある。
そんな古い時代、米に麹カビを増殖させて米麹を得、それで酒をつくったのであるから、その知恵袋の深さには驚かされる。
 
彼らは、麹カビの胞子を集めて、それを「(よねの)もやし」と称し、次に米麹をつくるときの種〈スターター)とした。
 
この歴史を持つもやし〈種麹)は、日本酒のみならず味噌、醤油、焼酎、味醂、米酢など日本の代表的な嗜好物を作り出すのに、不可欠な役割を果たしてきたのである。
 
そして今日、この目にも見えにくい麹カビのもやしを応用した産業は、醸造産業、食品製造業、化学工業、医薬品の製造など多岐にわたって発展し、年間総生産学派1兆円にものぼると見られている。
「たかがもやし」などと、軽く見るのは大間違いなのである。

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001