あんな話 こんな話  93
 
小泉武夫著  サンケイ出版
『知恵の食事学』
より その6
 
 
第3章 微生物の巧みな応用  の1
 
 
● パスツールを超えた日本人
 
世界的に著名で偉大な微生物学者パスツールは、130年前の1850年代にブドウ酒の殺菌に低温加熱法を発明し、近代微生物学や近代食品学の基礎をつくった。
そのため、彼の名前は、「Paasturisationn(仏語)」「Pasteuyizatiomm(英語)」というように、「(低温)殺菌」を意味する名詞にまでなっている。
 
ブドウ酒を大量に消費するフランスやイタリアでは、それまでブドウ酒の腐敗や変質がしばしば起こり、ひどい年には生産量の半分も腐らせて、決定的な大打撃を受けたことすらあった。
その多くは、乳酸菌や酢酸金を主体とする細菌によって汚染され腐ったのである。
 
パスツールはその現象を防止するために、ブドウ酒の容器に入れた後、60℃の湯の中で30分ほど加熱したところ、ブドウ酒の腐敗を見事に抑えることの成功した。
一般の微生物は100℃近くの高温で煮沸することにより殺菌できるが、これではブドウ酒中のアルコールは飛散してしまい、酒は著しく劣化する。
 
このため、パスツールの殺菌法は、アルコールや酸がそこに存在していれば、必ずしも煮沸しなくても、低温の加熱でその目的は十分に果たせることを明らかにしたもので、当時としては、画期的手法の発明であった。
 
さて、日本酒の歴史は、「魏志倭人伝」(西暦3世紀)にすでに、その記述が見られるほど古く、奈良時代には、次第に組織化された酒造りが始まり、平安時代になると、今日の清酒よりももっと多くの種類の酒があったほど発展していた。
 
日本酒は、米を原料として、麹(こうじ)カビを応用した酒なので、微生物が生きていくための栄養素は豊富に含まれている。
そのため、西欧のブドウ酒の例のように、汚染菌による腐敗や変質はかなり多かったものと予想され、その現象に日本人も大いに悩まされていたようである。
 
しかし、日本人には、この腐敗や変質に対処するうえでの知恵があった。
ブドウ酒は、酵母という、ただ一種の微生物だけで酒を得ているが、日本酒の場合は、性質優良な細菌、酵母、カビという三大微生物を巧みにあやつって酒を酒をつくっている。
このような知恵は他の国にはほとんど見られないもので、微生物を巧みに使いこなしている日本人は、パスツールよりも実に300年前に、すでに酒の低温殺菌という、驚くべき手法を確立していたのである。
 
室町時代の永禄から元亀、天正にかけて奈良の興福寺の多聞院で書かれた『多聞院日記』(僧たち毎日の作業日誌と思ってよい)に寺の酒造りの覚書があり、そこには、永禄3年(1560)5月20日に「酒を煮させて樽に入れ了(おわ)る」と記されている。
そして、その時代以降は夏のさまざまな酒造り(夏は酒が最も腐りやすくなる時期)に火入れ(低温殺菌)の記録がたくさん出てくるのである。
 
当時の火入れの温度は大体50〜60℃で、5〜10分間ほど保ったと推定されており、今日の火入れとはそう変わりない驚くべき方法であった。
この火入れの目的は当然、殺菌にあったが、それとともに酒を早く熟させようとする調熟効果をも狙ったことも、さまざまの記述からうかがえるのである。
 
いずれにせよ、わが日本人は、偉大なるパスツールより約300年も前に”低音殺菌法”を発明し、実用化していたのであるから、その知恵袋ははかり知れぬ深さであったに違いない。
 
 
 
● 漬け物は“整腸剤”
 
日本人は漬物を大変古い時代から食べていた。
縄文時代には、蔬(そ)菜の皮を塩漬けにした簡単なものもすでにあったし、平安時代の『延喜式』第39巻を見ても、ナズナ、蕨(わらび)、芹(せり)、薊(あざみ)、イタドリ、蕗(ふき)など春菜漬け14種。
瓜(うり)、大根、ナス、茗荷(みょうが)など秋菜漬け35種(いずれも塩、味噌、醤油、酒粕などに漬け込んでいる)の記録がのっている。
 
このように、日本が長い歴史に育まれた漬物の伝統国になった理由は、味噌、醤油、酒粕、米糠、麹など変化に富んだ漬け床の材料が多種あったこと。
それに漬け床に合った野菜が実に多種にわたって栽培されていたためである。
 
漬物が風味豊かに漬け上がる原理は、塩分の作用によって野菜の細胞から、水分が出て脱水される(これを浸透圧作用と呼ぶ)ことにより、細胞の生理作用が止まって保存のきく状態になり、脱水された水に代わってつけ床の味や香り、そして栄養成分が野菜に入っていくことにある。
 
さて、日本の漬物には日本人の知恵が数多く盛り込まれている。
糠漬けを例にしても、糠はビタミン郡の宝庫であるから、脚気や体力の衰え、疲労といったB郡欠乏症の予防をこの漬物で補っていた。
これは米を搗いて出た副産物の糠から、漬物の風味を高めるとともに栄養素まで摂取しようとした生活の知恵である。
 
また、味噌や醤油もろみに野菜を漬けておきさえすれば、食べたいときにいつでも食べられる即席の便利さは、質素でそのうえ食事に時間をかけたがらない日本人にぴったりの知恵であった。
 
知恵者の日本人はまた、日本の漬物が、腸内で体に良い働きをする微生物、とりわけ乳酸菌をその腸内で増やすのに大いに役立つものであることを、体験的に知っていた。
野菜には、もともと乳酸菌が付いているが、これを漬け物にすると、食塩に対して抵抗力の強い乳酸菌はその漬け床で盛んに繁殖する。
 
人がこれを食べると、漬け物から入った乳酸菌の一部は腸に到達し、そこで活発に増殖する。
そのため、腸内は、体に良い乳酸菌で占められるようになり、腐敗菌や異常発酵菌などが腸内に侵入しても、その繁殖を抑えることができるのである。
 
そのうえ、有益な乳酸菌が腸内で多くなると、彼らはそこで多種のビタミンを合成してくれるから、日本人はこれを腸から吸収し、体の働きのために役立ててきたのである。
 
だから昔の人は、漬け物を食べる時、漬け上がった野菜だけを食べたのではなく、2日に1度は漬け床をぬるま湯に解いて飲んだという。
糠味噌などはまさに乳酸菌の宝庫であり、あたかも、西欧人がヨーグルトや乳酸菌飲料を飲むのと、そう変わらぬことを知っていたかのようである。
 
そういえば「腹の具合が悪くなったら、くさやの漬け汁をぬるま湯に解いて飲む」と語ってくれた伊豆七島・新島の古老の話や、東北の山間で聞いた、キノコの塩漬け汁をやはりぬるま湯で割って飲む風習は、いずれも有益な腸内細菌を体内に送り込む、整腸剤としての知恵だったのだろう。
 
 
 
● 世界一硬い食べもの「鰹節」
 
日本でいちばん硬い食べものは何かと問われれば、たいていの日本人はおそらく、鰹節と答えるだろう。
まさにその通りで、日本にはこれに勝る堅強な食品はほかに見当たらない。
いや、世界中星の数ほどある食べものの中でも、鰹節を超える硬さをもつものは、そうめったにあるはずはなく、鰹節は「日本人が作った世界一の硬い食品」とみてさしつかえあるまい。
 
その鰹節には、日本人が考え出したすばらしい知恵が数多く盛り込まれており、そこからにじみ出てくる味と香りには、日本食文化の原点さえ感じる。
 
鰹節の原形は『延喜式』(平安時代の法典)にみられる「鰹魚(かたうお)」という素干品の保存食に当たるが、今のようなくん製品が考案されたのは延宝2年(1674)といわれる。
 
製法は原料鰹を3枚におろし、そのおろし身を煮籠に入れて、1時間半ほど煮た後冷やし、骨抜きしてから底を簀(す)の子張りした木の箱に四、五枚重ね入れ、焙乾室(ばいかんしつ)で堅い薪材を燃やしていぶし、乾燥する。
 
この焙乾のやり方はまず、85℃で約1時間、5日間続けてする。
この後火を弱めて、さらに数回繰り返す。
そして、最後に、3、4日間、日光で乾燥すると荒節(あらぶし)が得られる。
 
さて、日本人の驚くべき知恵はここから先である。
荒節を舟形に整形削りをし(これを裸節という)、これを4、五日間日光に乾かしてから、常に使用しているカビ付け用の樽、または箱に入れて密閉する。
 
この容器内には、麹カビの一種、アスペルギルス・グラウカスの胞子が多数生息しているから、裸節を2週間もその中に入れておくと、その表面にはカビが密生する(一番カビ)。
 
これを取り出して白乾し、カビをはけでこすりとり、再びカビ付け容器に詰める。
 
2週間ほどして、またカビが密生する(二番カビ)から、前と同様の操作を繰り返し、こうして三番カビ、四番カビをつけ、最後に十分乾燥して製品ができる。
 
さて、あの石のように硬い鰹節の秘密はこのカビの威力によるもので、世界中がまだ微生物の知識をほとんど持たなかった延宝時代に、わが日本人は実に巧妙にカビを利用して堅強な保存食品を作り出していたのである。
 
単に焙乾しただけでは、生節(なまりぶし)の表面は乾燥するものの、内部までは硬くはならない。
また焙乾しただけの鰹節では、乾燥にムラが出て、削っているうちに表面からボロボロと崩れてしまう。
 
だが、ここにカビを付けてやると、節の表面に生息しようとするカビは、その繁殖にかなりの量の水分を必要とするから、その水分を節の内部から表面に吸い上げ、その水を生きる糧として利用することとなる。
おかげで、節は内部から理想的な形で水分が除かれ、堅く乾燥するわけである。
 
そのうえ、カビが生成した脂肪分解酵素は、節の脂肪を分解して、脂肪の酸化による品質上の劣化を防ぐ。
また、タンパク質分解酵素は、節のたんぱく質を分解して、うま味のもととなるアミノ酸をつくりだし、同時にカビがつくってくれたイノシン酸は、そのアミノ酸と相乗して、鰹節特有のうま味を私たちに与えてくれる。
 
カビは湿度の多い環境を好むから、乾燥気候方の西欧にカビ食文化はない(例外として、カマンベールのようなカビ付けしたチーズは見られるが)。
だが、湿度の多い日本に生きてきた日本人は、目にも見えにくいそのカビを実に巧みに利用して、驚くべき知恵の結晶ともいえる日本酒、焼酎、味噌、醤油、味醂、米酢など、さまざまな麹カビの食文化をつくりあげたのである。
 
 
 
● 臭くてうまい不思議な話
 
日本人の食べものの中には、西欧人がまったくといってよいほど、これを敬遠し、日本人以外の東洋人でもまず、嫌いだという代物がある。
 
くさやの干物、古味噌漬け、塩魚汁(しょっつる)、納豆、鰒(ふぐ)や鰯(いわし)の糠漬け、そしてその極めつけが鮒鮓(ふなずし)。
これらの食べものには、共通した特有の匂いがあって、その匂いを「不精香(ぶしょか)」と呼んでいる。
「不精(ぶしょう)」とは、めんどうがってなまけることとか、ものぐさという意味を持つ語句。
だから、この匂いを「不精香」などと名づけた日本人としては、これを良い匂いとは評価しなかったようである。
 
とにかく日本人以外(日本人の中にもこの匂いを嫌う人も多い)の人は、この変な匂いに敏感で、この種の匂いをかすかに持っている味噌汁でさえ敬遠がちである。
 
この匂いの本体は、微生物、とりわけ細菌(バクテリア)の作用を受けることによって生じたプロピオン酸、酢酸、酪酸、吉草酸、カプロン酸などを主体とする揮発性有機酸に起因する。
 
不精香の中でも最も強烈なものは、何といっても、くさやの干物だろう。
ほとんどの外国人は、この匂いに近づこうとはしない。
くさやは、ムロアジやトビウオを「くさや汁」に漬けてから乾燥する。
 
その汁こそ秘伝中の秘伝で、良い汁ほど多年にわたり使い古され、中には70年もの間、漬け続けられて今日に至っているものもある。
欠減したつけ汁の分は、そのつど塩水が補給される。
その汁の中では、さまざまな微生物が、長年にわたり活動しあい、あの特有の匂いを持つことになる。
 
くさやが不精香の東の横綱なら西の横綱は鮒鮓だろう。
4〜五月ごろの産卵前の鮒を塩蔵し、7月土用に鮓桶に飯(麹も使う)と鮒を交互に漬け込み、強く重石をしてそのまま漬け続け、正月ごろから食べる。
 
漬け込まれている間、乳酸菌が飯に作用して乳酸をつくり、その酸味は水素イオン濃度を下げて防腐効果をもたらす。
また、最近の分解作用で、魚のタンパク質の一部がアミノ酸に変化するから、うま味も増すのである。
 
この乳酸発酵の初期には、プロピオン酸菌や酪酸菌も活動し、そこに特有の不精香を蓄積することになる。
このように塩魚汁も納豆も糠漬けも全て細菌の作った匂いである。
 
昔から「腐りかけたものが最も旨い」などという、ぶっそうないわれもあるが、これらの不精香食品製造の原理は、危険な「腐敗」ではなく、安全な「発酵」である。
発酵によって実にうまい味と特有の匂いを出す妙味がここに見られる。
 
ところで、西欧の食べものにはこの種の匂いを持ったものがないかというと、そうではない。
チーズはまさしく、この不精香を持った立派な仲間で、とりわけロックフォールチーズやリングルガーチーズなどは強烈そのものである。
なのに今度は、たいていに日本人が不思議なことに、この手のチーズの匂いを敬遠する。
 
おそらく、魚料理に慣れ、乳製品とはほとんど接しなかった日本人の長い間の食の習慣が、そのようにさせたのだろう。
 
 
 
● 幻の吟香
 
江戸時代の『三養雑記』によると、「燗酒は重陽節(陰暦9月9日の菊の節句)から、翌年3月3日の桃の節句の間に行う」とあり、それ以外の期間は間をせず、そのまま飲むか、夏は一升徳利に入れた酒を冷たい井戸水に冷やして飲んだ。
 
これが現代では、冷蔵庫がほとんどの家庭に普及し、日本酒を気軽に冷やして一年中楽しむ家庭も多くなり、燗の仕方も良くわからない人の方が多くなってきた。
 
ところで、年間を通して、冷やして飲んだほうがうまいという日本酒がある。
その名を「吟醸酒」という。
この酒は、ちょうどメロンやバナナ、デリシャスリンゴの匂いに極似した、極めて高い芳香を最大特徴とするから、その香りのすばらしいバランスを崩さないために燗をしない。
 
さて、吟醸香を出そうとするには、まず酒造りの目的のために栽培された、高価な酒造好適米を、精米に精米を重ねて、その半量まで磨き上げる。
われわれが食卓で食べている米は、玄米から約10%程度の糠を精米により除いたものだ。
しかし、吟醸酒を作る場合の米は、50〜60%もの糠を除いた高精白米なので、本来、長卵形の米は透明に近い丸い粒となる。
 
そして、麹づくりにも丹精を込め、さらに10度以下という発酵理論上からも極限に近い低い温度で、吟醸酒用の清酒酵母で発酵させなければ、この香りは出ない。
その上、吟醸酒造りを指揮する杜氏の腕によっても、香りの出かたに差が生じる。
 
このため、吟醸香をいつも高く起たせることのできる名杜氏が、南部(岩手県)や越後(新潟県)、三内(秋田県)、能登(石川県)などに誕生することになる。
 
そして杜氏は、この吟醸香を起てることのできる高度の職人業を重要なノウハウとして、他に伝授することはまれである。
米という穀物を使って、そこから吟醸香という香物風の香りを発生させる技術を持った日本人の知恵は実に深い。
 
この吟醸酒作りの目的は、最初はその香りや味を競うための品評会用であった。
全ての酒造家がこれをつくるわけでもないから、はなはだ僅かな量に過ぎず、とうてい庶民の口に入る酒ではなかった。
 
しかし、わが民族の酒として、長い伝統と歴史に培われ、これまでに限りない憧れを抱いて愛されてきた日本酒が、ビール、ウイスキー、ワインなどの洋酒に押され、最近では焼酎にまでその土台が揺さぶられている今日の現状において、日本酒業界が「それでは!」と、とっておきの逸品、吟醸酒や純米酒、生酒をもって、それらに対抗しようとする機運が、このところ急激に出始めたのは、誠にうれしいことである。
 
現にこのごろでは、吟醸酒を作る酒造家が増加の一途をたどり、またデパートや、日本酒の品揃えの良い街の酒屋さんでも吟醸酒を手に入れやすくなったことは、日本酒の良さが今ここで再認識される機会の始まりであり、日本酒を愛する者の何よりの喜びである。
 
 
 
● 酵素礼賛
 
酒やパンを作るには、目に見えない微生物の一種・酵母菌(イースト菌)の働きが必要である。
その生き物の「酵母」と混同して間違われやすいのが生き物ではない「酵素」である。
 
酵素とは、生体内で作られるたんぱく質の一種で、さまざまな化学反応を進行させる物質なのであって、生き物ではない。
 
酵素の働きの一例を身近な食事に見れば、日本人の主食である込めは炊かれてご飯になるが、ご飯はその主体がデンプンである。
しかし、人間はデンプンのままでは消化吸収ができないから、食べたご飯のデンプンを分解してブドウ糖にしなければならない。
その作用をするのが唾液や胃液にある酵素の一種・デンプン分解酵素(糖化酵素)で、ご飯をいつまでも口でかんでいると口中が甘くなるのは、この酵素の働きでブドウ糖ができたためである。
 
ご飯のみならず、ジャガイモやうどんなども、ことごとくこの酵素によって分解され、ブドウ糖として吸収される。
 
酵素には、タンパク質を分解するものや油脂、アルコール、繊維などを分解させてしまうものなど、極めて多種にわたっており、その種類は幾百にも及ぶ。
 
さて、日本伝統の嗜好食品の中には、酵素によって生まれたものが実に多く、わが国は世界一の酵素応用国といってよい。
酵素というものが明らかにされたのは、1800年代に入ってからであるから、その歴史は比較的新しい。
だが、それ以前にも酵素を無意識のうちに経験によって上手に使い、さまざまな嗜好食品をつくりあげてきた。
 
その原点が「口噛み酒」である。
デンプンのままでは酵母が働きかけられず酒ができないが、炊いた米を口に入れて噛み、これを壺に吐きためると、唾液中の糖化酵素が米のデンプンを糖化してブドウ糖になるから、空気中にいる酵母がこれに侵入してアルコール発酵を起こし、酒ができる。
 
その後しばらくして、知恵者の日本人はこの唾液と同じデンプン分解作用が、目にも見えにくい麹カビにあることを自然現象の中から体験的に知ると、今度は麹カビを使っての酒造りが始まった。
これが今日の日本酒の誕生であり、今からなんと1300年も前のことである。
 
味噌や醤油をつくるのに麹カビを使うのも、酵素の応用である。
原料の大豆や麦のタンパク質を分解して、うま味の成分であるアミノ酸を引き出すタンパク質分解酵素がその主役をつとめるから、特有うま味を豊富に持つた調味料ができあがる。
また、煮た大豆だけでは味気ないのに、納豆にすると美味なのも、納豆菌の精製した酵素のためであり、鰹節が上品なうま味を持つのも、酵素の作用に負うところが大きいのである。
 
塩辛からにも酵素の作用を存分に受けたうま味がある。
鰹やイカ、鮎などの腸(わた)や臓器には、うま味を作り出す酵素が存在するから、これに目をつけ、うれしい珍味を作り出した。
 
日本料理のかくし味に不可欠な味醂は、濃厚な甘味とうま味、そしてとろみと照りを合わせ持った世界でも珍しい調味料であるが、これもまさに、麹カビが生産した酵素の作用だけでつくりあげられた傑作である。
 
ほかにもわが国には、酵素を応用した嗜好品が昔から数多くつくられてきた。
今日、話題となっているバイオテクノロジーの原点が、この酵素群にあることをみても、日本人の賢さには驚嘆させられる。
 
その酵素が、今日では純粋に微生物や動植物から取り出され、食品工業(食品加工、醸造食品など)や化学工業(化学薬品製造、製糖、洗剤など)、医薬品の製造(胃腸薬を代表とするさまざまな治療剤、臨床検査剤など)に、極めて広い範囲に利用されるに至った。
今日、この酵素関連産業は優に1兆円台を超えているといわれる。
今や毎日の生活の中で、酵素にかかわる製品と接しない日本人はいなくなったのである。

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001