あんな話 こんな話  95
 
小泉武夫著  サンケイ出版
『知恵の食事学』
より その8
 
第3章 微生物の巧みな応用  の3
 
 
● 焼酎造りに妙技あり
 
鹿児島県大口市にある大口郡山八幡神社は、鎌倉時代の1194年に建立された古い神社で、その後365年を経た永禄2年(1559)に社屋の改築が行われた。
その改築のとき、工事にかり出された地元の大工・作次郎と助太郎は。棟を上げる際、木の板に次のような落書きをして神社の屋根裏にはめ込んだ。
 
「其時(そのとき」座主(ざす)は大キナこすでをやちりて、一度も焼酎を不被下候(ふるまわず)、何ともめいわくな事哉(ことなり)」(日ごろからけちな神主は、神社改修の間、一度も焼酎をふるまわなかった。なんとも迷惑なことである)
 
この落書きは、その後ちょうど400年起った昭和34年に同神社が改修された際、偶然に発見された。
さて、この落書きは大変に貴重な発見であった。
それは、日本の酒の歴史上、初めて焼酎という字がここに登場してくるためで、この落書きは、日本の焼酎が今から430年も前に、すでにつくられていたことを意味しているからである、
焼酎の伝統の古さに改めて驚かされるものである。
 
焼酎は大別して甲類と乙類の2種がある。
前者は連続式蒸留機(エチルアルコールしか蒸留されない)で蒸留。
そこで得られた純粋のエチルアルコールを水で薄めたものと考えてよく、新式焼酎とも呼ぶ。
 
この焼酎はたいへんに新しく戦後のものであるが、これに対して後者は、単式蒸留器で蒸留した焼酎であって、前述のように400年以上の伝統を持った本格焼酎である。
そしてこの焼酎には、エチルアルコールとともに香りの主体となる高級アルコール類、エステル類、カルボニル化合物などが蒸留されてくるから、複雑な香気を持った個性豊かな製品となる。
 
またこの乙類焼酎には、いりいろな原料が使われるから、バラエティに富んだ酒が楽しむことができる。
薩摩のイモ焼酎、米、蕎麦、アワなどを原料とした大分県や宮崎県の焼酎、また米を原料とした沖縄県の泡盛や熊本県の球磨(くま)焼酎、長崎県壱岐の麦焼酎、黒糖を使った奄美諸島の黒糖焼酎、山形県や福島県以南に点在する粕取焼酎などその数は多い。
「焼酎」という一固有名を持った一つの蒸留酒に、これだけの種類があるのはたいへんに珍しい。
 
さて、日本の多種の焼酎に共通するところは麹菌の使用であって、そこには世界中のいかなる蒸留酒にも例を見ない、実に巧妙な知恵が潜んでいる。
 
それは、ここに使う焼酎用の麹菌が、日本酒(清酒)の醸造に使用するものとはまったく別種のもので、驚くべき能力を持った麹菌を応用しているところにある。
その能力とは、この焼酎用麹菌はデンプン分解酵素やタンパク質分解酵素という麹菌本来の酵素を強力に生産するほか、清酒用麹菌にはまったく例を見ない、多量の有機酸を生産することにある。
 
ここに生産される有機酸はクエン酸(梅干しやレモンの酸味の主体となる酸)であるから、出来上がった麹はびっくりするほど酸味が強い。
仕込みにこの麹を使うと、発酵液は強い酸性となって、なめてみると相当に酸っぱく、水素イオン濃度(pH)は大幅に低くなる。
 
ところがアルコール発酵を行ってくれる酵母は、そのような低い酸性下でも旺盛に発酵を行うが、腐造を引き起こす有害な細菌群は、pHがそんなに低くなると生きていくことができず(梅干しが腐らないのと同じ理由)死滅してしまう。
すなわち酵母だけで安全にアルコール発酵を行うことができるのであるから、暖かい地方でも、安心して焼酎ができるのである。
 
安全に発酵の終えたもろみは蒸留されるが、大変都合の良いことにクエン酸は不揮発性の酸であるため、蒸留されず残り、焼酎に酸味のつくことはまったくない。
九州や沖縄のような温暖な地方で、季節を問わずに、一年中腐らせることなく焼酎が醸しだされる秘密は、実はここにあったわけである。
 
この方法による蒸留酒造りの妙法は、中国や韓国、そして、世界中のどこを見てもまったくなく、日本民族のあみだした驚くべき高度の知恵ということができる。
 
 
 
● 糠みそ漬けに潜む知恵
 
「糠(ぬか)みそ」などとばかにしてはならない。
漬け物の漬け床になっているあの糠みそのほんの1片、そう2g程度だから親指のツメほどの中に、なんと日本の人口より多い数の微生物がひしめきあっているといったら、きっと驚くだろう。
 
そこには約2億匹もの乳酸菌や酵母、酢酸菌などが生活しあっているのである。
杯(さかづき)に1杯も取れば、もうその中には地球の人口をはるかに超える数の微細な生きものたちが生息しているのである。
 
その糠みそ漬けは日本だけの漬物である。
一名「どぶ漬け」ともいい、大根、キュウリ、カブ、ナスなどの野菜を糠みそ(米糠を食塩と水でねり合わせたもの)に漬け込んだ、誠に日本的な漬け物である。
そこには乳酸菌や酵母が猛烈な数で繁殖しているから、米糠の成分は発酵されて乳酸やアルコールなどの風味物となり、また、タンパク質や含硫アミノ酸なども分解されて、特有の匂いを発することになる。
 
この糠みその原料となる米糠には、極めて豊富な栄養源が含まれている。
炭水化物やタンパク質はいうに及ばず、脂質、無機質、ビタミンなども驚くほど多く存在しているから、そのような栄養素のかたまりに、微生物が繁殖しないはずはない。
乳酸菌や酵母はそこで極めて満足に発酵し、糠みそという、あの特有の漬け床ができるのである。
 
この漬け床は、日本の漬物の特徴のひとつで、外国では酢漬け(ピクルス)やワイン漬けのような液体漬けであるのに対し、わが国の漬物は糠みそ漬け、麹漬け、酒粕漬け、味噌漬け、もろみ漬け、べったら漬けなど固体の漬け床である。
そして必ずそこには微生物が関与した発酵漬け床がある。
 
米糠を微生物の力で発酵させ、そこに根菜を漬け込むという糠みそ漬けの発想は、日本人の知恵の深さの一端を実によく示してくれる。
それは、この糠みそ漬けの中には、巧妙な知恵がいくつも潜んでいるからである。
 
まずその第一は、発酵した糠に根菜を漬け込むことにより、微生物によって分解された糠のさまざまな成分が漬け込んだ材料に浸透していき、実に風味豊かな野菜に変えることができることである。
生大根と沢庵(たくあん)漬けを比べてみればそれはよくわかるだろう。
 
第二は、糠にあった豊富な微量成分、とりわけ無機質やビタミン群が、漬け物に移行されるうえ、発酵の際に微生物によって新たに生成されたビタミン類も根菜に吸収されるから、漬け上がったものは、栄養的には相当の価値を持ったものとすることができるのである。
それでなくとも質素な昔の食生活の中にあっては、この糠漬けは多くの日本人にとって、貴重なビタミンの補給剤になっていたに違いない。
 
糠みその知恵の第三は、この漬け床は連続発酵が可能であるから、実に便利な方法であったことである。
糠味噌の糠床を、上手に手入れして発酵をうまく管理さえしておけば、その床には絶えず材料を漬け込むことができるから、食べて減った分の材料を漬け込むことにより毎日食べることができる。
 
その上手な手入れ方とは、
@、野菜の出し入れの時、必ず糠床を上下混合して空気を抱き込ませる。
A、野菜から出た水分で糠床がゆるくなったら、ざるを床に押し込んでおいて上がってきた汁を汲み取り、そこに新しい糠と食塩を補給して適当な硬さに戻す。
B、時々ビールや酒の飲み残し、料理で余った酒粕や昆布、唐辛子などを入れて風味をよくする。
 
上手なぬかみその作り方
米糠1kgに対し、食塩80g、水70mlの割合でねり合わせ、容器に入れてしっかり蓋をし、1日1回かくはんして1週間くらい発酵させる。
米糠は新しいものほどよく、また米糠の半量は焙烙(ほうろく)などで煎(い)ると風味がよくなる。
 
 
第4章 調理をめぐる知恵のさまざま の1
 
● 灰汁(あく)をもってアクを制す
 
日本は山紫水明に地なので山菜の種類は多く、またそれが大変美味なのである。
そのため日本人は新芽の萌え立つ時期ともなると、蕨(わらび)、?(たら)の芽、独活(うど)、薇(ぜんまい)、筍(たけのこ)、山牛蒡(山ごぼう)などを採ってきて、これを食卓に乗せ、季節感を満喫してきた。
 
ところで、山菜には一般にアクの強いものが多く、それが不快な味覚感を与えることから、「アクを抜く」ことが行われ、調理の重要な一手法となっている。
アクの持つ味に「えぐ味」「苦味」「渋味」があるが、代表的な「えぐ味」は金属的な重みのあるくどく鈍い不快味を与え、その主成分はホモゲンチジン酸や蓚酸塩類だといわれている。
 
アク抜きの方法にはいろいろあるが、最も一般的なものは、灰汁(あく)(草木灰を水で溶いた上澄(うわずみ)液)を用いる方法である。
アクはアルカリ性であるから、アクを持つ材料をこの液に漬けたり、これで煮たりすると、繊維が軟らかく膨潤し、その周辺に付着していた水溶性のアク成分が、簡単に外に溶け出すのである。
したがって、あまり長く灰汁を作用させると、組織が崩れすぎて、むしろ味や歯ごたえを損なうから注意しなければならない。
 
灰汁でアク抜きをすると、緑色植物を、いっそう鮮やかな緑色に冴えさせることができる。
これは緑色の成分であるクロロフィル(葉緑素)が、灰汁の持つアルカリ性の作用のために、より鮮やかなクロロフィリンに変化するために起こるもので、ここに灰汁を用いたアク抜きのもうひとつの効果を見ることができる。
 
アク抜きというこの手法は、繊細で見た目も美しい日本料理の真髄を出すのに、重要な調理法である。
中国料理や西欧料理にもアク抜きの方法はあるが、灰汁や米のとぎ汁を使い、理にかなった手法で巧みにアクを抜くのは日本人だけの知恵である。
 
その理にかなった知恵とは、例えば筍を風味豊かに茹でるのに、皮つきのままで、たっぷりの米のとぎ汁や、米糠を入れたもので茹でる方法に見られる。
皮のままの筍は、温度が一定に高まり、早く繊維質が軟らかくなるため、水溶性のアクの成分が容易に溶け出すことと、米のとぎ汁や糠に含まれるタンパク質やコロイド状物質がアクの成分と結合して水に不溶性となり、抜き出すことができるのである。
 
また、鰊(にしん)や鱈(たら)の干物は、市場に出てから、長期間空気にさらされていると、脂肪の一部が酸化されて、干物特有の渋みが出る。
これを灰汁や米のとぎ汁に漬けたり、煮たりすると、灰汁中の炭酸カリウムが、この脂肪酸を容易に中和して渋味を抜き、米のとぎ汁の成分は干魚のアクを包括して不溶性のアクに変え、取り除くことができるのである。
 
蕨を例に、上手なあく抜き方を次に記す。
木や木の葉の灰を作り、これを水に溶いて濃いめの灰汁をつくる。
この上澄液を10倍の熱湯で薄め、これを鍋に半量ほど入れた後、蕨が灰汁にちょうど浸るほど入れ、数時間から一夜放置すると、ほぼアクを抜くことができる。
これでも蕨が固めであったら、重石を載せるか、そのまま灰汁で軽く茹でる。
そして、ちょうど食べごろの軟らかさになったら灰汁から引き上げ、手早く水洗いする。
洗った後、水につけておくと、味と色が急速に低下するから、水洗い後はすぐに料理に使うのが秘けつである。
 
 
 
● 刺し身のうまさは活(い)きと粋(いき)
 
日本人は世界有数の魚食民族である。
それは、四方を暖流と寒流の交差する海に囲まれた島国なので、昔から魚介類が豊富であったことと、その食の歴史の中で、長く獣肉を忌む風習があったため、動物性たんぱく質源を魚介類に求めたためである。
 
魚の扱いに慣れた日本人は、当然のこと、さまざまな魚料理をあみだしたが、その中でも、他の国の人々が到底まねのできないほど大胆で粋な料理といえば、生のまま食べてしまう「刺し身」である。
 
魚肉を生で食べる場合、昔は全て鱠(なます)(生魚の肉を細かに切り、酢で和えて食べる)であったが、醤油が発達してきた室町時代ごろから、刺し身が登場した。
当時は「指身」「指味」「差味」「刺躬」などと書かれていたが、その語原についてはさまざまで、生の魚を食べる際、調理した魚のヒレをその切り身に刺しておいたからだとか、「切り身」という言葉を忌んで「刺し身」と言い換えたなどとある。
 
江戸初期の『料理物語』によると、魚のほかに、キジ、ガン、カモなどの鳥類や、スッポン、筍、松露(しょうろ)なども刺し身にされたが、当時は醤油をつけて食べることはあまりなく、煎酒(いりざけ)(酒をなべに入れて煮つめて濃くし、これに梅干し、塩、鰹節、酢で調味したもの)や、生姜酢、辛子酢、山葵酢、酢味噌などが用いられていた。
 
室町時代の応永6年(1399)『鈴鹿家記」に「鯉の指身に煎酒と山葵」という記事があり、これが文献にみる刺し身の最も古い例とされている。
 
今日のように、醤油が一般的となったのは、それから200年もあと、関東醤油(野田、銚子)が台頭してきた江戸時代の元和や寛文年間(1600年代)以降である。
 
全ての新鮮な食べものは、加工するほど栄養素を失うのは常識だから、刺し身はまさに、最も理想的な栄養食法と言える。
また、生は調理したものより消化が良いとされ、ある研究では焼いた100gの鯛は、消化するのに、3時間15分を要したが、刺し身ならば2時間少々で消化したとの報告もある。
 
だが、刺し身は生食であるから、何が何でも新鮮さが第一である。
いや、新鮮だからこそ生で食べられるのであって、それが美味しくて、栄養が高く、料理が簡単であるとくれば、活きのいい魚が手に入ったらまず、刺し身にするのは当たり前。
だから、だから、新鮮な材料が手に入りやすい日本では、まずこの刺し身をもって料理の基準とする。
 
初めて入った料理屋の品定めに、刺し身と吸い物を試食すれば、その店の程度と板前の腕がおおよそわかるというのも、刺し身のうまさは材料の新鮮さと、魚のおろし方で決まるからである。
 
日本人が刺し身を好んで食べるのは、
まず第一に新鮮な魚が手に入りやすいこと。
近海ものは夜、沖に出て漁をし、朝には市場に立ち、昼前には魚屋の店頭に並ぶ。
 
第二は、醤油の存在で、これほど刺身に合った調味料はほかには見当たらない。
 
第三には、まな板は包丁など、刺身を作るのに長けたこと。
出刃で身をおろし、柳刃や蛸引きでこれを切る。
刺身の美しく、そして鋭利な切り口はうま味まで左右してしまう。
 
第四は、箸の使用。
刺身の味は繊細であるから、食べるのにも巧みな橋さばきはうまさをかき立てる。
ナイフとフォークで刺身を食べることを想像しただけでもうんざりするものだ。
 
第五は、何といっても日本人が持っている食べものへの粋さ。
おろされて盛られた、活きで威勢の良い姿や、刺身の切り口の鋭さなどに粋な意気を感じるのである。
 
その粋さはまた、さまざまなつくり方を生む。
皮作りに軽く熱湯をかけて湯びきし、軽く火にあぶっての焼霜(やきじも)作り。鯉やスズキは冷水にさらしての洗い。イカやサヨリの糸作り、フグやヒラメの薄作りなど。
 
日本に滞在したことはあるが、刺身とはそれほど縁のないフランスの著名な作家エドモンド・ゴンクール(1822=1898年)でさえ「魚の好きな人は、全て繊細な好みを持っている」と書き残している。
 
 
 
● ダシ算では1+1=30である
 
ダシ(出汁)は日本料理の妙味のひとつである。
このダシという後がいつごろから登場したのかは明確ではないが、文献では鎌倉時代以降とされている。
しかし、ダシが実際に使われたのはさらに古く、鰹を煮て鰹魚(かたうお)という素干し品をつくる際の煮汁を煮つめて、鰹魚煎汁(かつおいろり)としたものをダシに使っていた。
 
今日では鰹節や煮干し、するめのような動物性のものから、昆布、干し椎茸、乾瓢(かんぴょう)などの植物性まで、ダシの材料は多種にわたっている。
 
日本のダシの材料の中で、最も代表的なものは鰹節である。
これでダシをとると、うま味成分だけでなく、日本食文化の原点に潜んでいるような芳香まで湧き出てくるところか大変良い。この点、外国の料理の出しの採り方が、肉やガラからうま味成分だけを抽出するのとは大違いである。
 
この鰹節のうま味成分の主成分はイノシン酸シスチジン塩で、この成分は熱湯には実によく溶ける。
だから、削った鰹節を湯に入れてすぐに火を止めるか、または煮立つ直前の湯に入れて、煮立ったらすぐに取り出す必要がある。
 
この方法で、鰹節のうま味の9割以上は出ているから安心してよい。
もし、必要以上に加熱を続けると、アク味や苦味、渋味などの不快味が出てくるうえに、大切な芳香はどんどん発散して空中へと逃げ去ってしまう。
 
また。少しの鰹節では安心できぬと、たくさん入れる人もいるが、これもその心配には及ばない。
むしろ、少な目のほうがうま味がよく溶けだすのであって、量が多すぎると、苦味を生んでアク味が出るうえ、不必要な魚臭を放つから不利である。
湯の量の1〜4%がせいぜいであろう。
 
このように、目的のうま味成分と香りが出れば、それでもう終わりであるという日本のダシの採り方に対し、西欧料理では鶏ガラダシを例に見ても、骨の隋まで長い時間かけて煮出すのを特徴とする。
 
何ヶ月も手間ひまかけてつくった鰹節を、わずか数分間という短時間でその役割を終わらせてしまう、この贅沢なダシのとり方は、なんとなく粋な感じがあり、そこに日本料理の真髄のようなものをかいまみることができる。
 
昆布も鰹節とともに古くから使われてきたダシの材料で、そのうま味の本体はグルタミン酸である。
この成分も湯によく溶けるから、そのダシの引き方は、鍋の大きさに合わせて適宜に切った昆布を、水から入れるか、湯の煮立つまぎわに入れ、一分間も煮立てたらすぐに引き上げてダシ汁とする。
1時間ほど、ただ水に浸しておくだけでも味は十分出るから、この方法を良しとする人も多い。
 
ところで、鰹節のイノシン酸と昆布のグルタミン酸とは、不思議なほど互いに相乗しあって味を高める効果をつくり出す。
グルタミン酸の味の強さ1に対し、イノシン酸の味の強さ1を混合すると、その味の強さは2であるはずだが、正しくは7.5となる。
 
干ししいたけも昔からダシの好材料として君臨してきたが、このうま味の主成分はイノシン酸によく似たグアルニン酸。
この酸とグルタミン酸との相乗効果はさらに高まり、この両者では1+1=30という驚くべき味の伸び方をする。
 
古い話、これらも化学成分を知るすべもなかった日本人が、経験的に味の相乗効果を知り、ダシの材料をうまく組み合わせて効果的にダシを得ていた知恵には驚かされる。
 

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001