あんな話 こんな話  96
 
小泉武夫著  サンケイ出版
『知恵の食事学』
より その9
 
第4章 調理をめぐる知恵のさまざま の2
 
 
● 匂いなくして野趣味なし
 
「香り松茸味シメジ」といわれるように、松茸の上品な香りと、シメジのうまみは日本料理では昔から常に優雅な話題のひとつとして君臨してきた。
 
松茸は赤松の林に生じる担子菌類のキシメジ科に属するキノコで、科学がこれほどまで発達した今日でも人工的な栽培が困難なため収穫量が少なく、大変に高価なものであることも話題のひとつになっている。
 
最近、韓国や北米産などの輸入ものも入ってきて、国内産よりも割安なものを食べられるようになったが、香りの点でやや劣るという話も耳にする。
 
旬が9月下旬から10月中旬までの短期間であることも、季節感をいっそう強く印象づけ、軸が太く短く、少し傘が開きかげんのうえに色の濃いものが良しとされる。
 
松茸は外国では韓国、中国、台湾、北アメリカなどにその分布を見るが、何といっても、日本のように春夏秋冬が明確に区別できる気候と風土のものは、最高の香りと味を着実に内蔵していて優れている。
そこに持ってきて、わが国には醤油、味醂、酒といった外国に例のない調味料があって、土瓶の中などで、松茸と意気投合しあい、いっそううま味を増した芳香を放ってくれる。
 
松茸の最大の価値は香りにある。
だから、日本の多くの研究者達はあの憧れの香気は何だろうと、長い間その追求を重ねたところ、松茸特有の芳香は、このキノコだけに存在する松茸オールと呼ばれる成分であることを突き止めた。
 
この匂いの本体がわかってから、今日では多くの香料会社がその成分を合成し、「松茸フレーバー」を調合して、松茸に近い匂いを人工的に作り出し、「松茸風味」と称したインスタントの吸い物やお茶漬けなどに使われている。
 
ところで、日本の料理には、材料の持つ香りを生かして、その季節感を、匂いもろとも食べてしまおうといううれしい工夫が実に多い。
春の蕗のとう、たらの芽、独活、芹、三葉、夏の茗荷や生姜、秋の松茸、柚子などは、それぞれに季節感を満々とたたえる芳香を持った代表的な素材である。
 
だから、松茸料理一つを例にとっても、その真髄たる香りを食べようとする工夫が随所に見られる。
 
代表的な土瓶蒸しも香りを大切にした料理で、もともとは、松茸に酒を少々ふりかけて土瓶に入れて蒸した素朴なものであったのが、今日では松茸のほかに鶏肉、ハモ、車海老、銀杏などを入れて、大変豪華なものになった。
これらの具も、松茸の香りを第一に考え、なるべくくせのないものを用い、湯でさっと茹でておいたものを土瓶に入れ、これに厚めに縦切りした松茸を入れて、ダシ汁を加えてから火にかけて、松茸の香りがほのかにもれてくる沸騰直前に火からおろしてできあがり。
これに酸味を絞って土瓶に合った猪口を添える。
猪口に熱いものを静かに注いで飲むとき、微笑を浮かべぬ日本人はいない。
 
一方、素朴ながら松茸の最も堪能できる食べ方のひとつは焼き松茸。
採ったその場で丸のままの松茸を、これを覆っていた落ち葉で焼いて食べたり、炭火でさっと焼いて、酢橘と醤油で食べるなどは、野焼き松茸として格別の風格がある。
 
また、焙烙の底に塩と松の葉を敷き、この中で蒸し焼きにする焙烙蒸しは、香味を失うことなく野趣に富んだ食べ方として、これを第一とする通人も多い。
 
松茸がいかに香りを大切にする食べものであるかを示す一つの料理例は、まず、清水で濡らした腰の強い和紙に松茸を包み、これを落ち松葉で蒸し焼きにするという簡単なものだが、香りも味も見事にキノコの肉に残り、和紙を広げる時の芳香は人を興奮させずにはおかない。
 
 
 
● 「焼く」ほどに恋い焦がれるのは日本人
 
「目黒のサンマ」と言う落語がある。
あまりにも有名な落語なので、いまさら話の筋を語るつもりはない。
要するに、殿様があのようにまで恋い焦がれた焼きたてのサンマの匂いと味。
ここではまずこれについて考察してみよう。
 
カンカンと炭火の起こった七輪の上に、丸々とした生のサンマを乗せると、「ジュージューブップッ」と鳴きながら、まず表面が焼ける。
だが表面だけが早く焼けるようでは焦げついてしまうので、中までうまく火が通るようにしなければならない。
そこは炭火のよいところで、火に適当な加減を加えれば、十分にうまくいく。
 
殿様を最初に喜ばせた煙の匂いは、魚の表面の皮のや皮下層に重なっている脂肪が焼けて、炭化する時のもので、多数の化合物が複雑に加熱反応しあって生じたものである。
 
サンマには30%近いタンパク質と、7〜6%もの脂肪があるから、これが炭火で焙(あぶ)られると、脂肪が溶け出し、これが炭火に落ちて燻(いぶ)られる。
その煙の匂いには、魚の生臭みに成分(トリメチルアミン、エチラミンなど)をはじめ、加熱反応で生じたカルボニル化合物や、脂肪とタンパク質が炭化の際に生じたフェノール化合物などがあって、それらが特有の匂いを発するのである。
 
「焼く」と「煮る」のとでは、加熱するという共通の調理法でありながら、まったくの大違いで、サンマを湯で煮ただけでは、目黒には遠く足元にも及ばないが、、焼くことによって容易に目黒に至る。
似ることはせいぜい100℃以下で進む加熱であるのに、焼くとなると、渡し金の上でさえ200〜300℃という高温。
火の表面では、1000℃という灼熱の状態にある。
魚から出る匂いや味が、煮ると焼くので異なるのは当然なのである。
 
ところで、この「焼く」と言う調理法は、ごく一部の例外を除いて、地球上のほとんどの民族が最初に行った手法である。
その後、長い食の歴史を経て、世界各国には「焼きの食文化」が明確な差を生じて盛衰し、今日に至ってきた。
 
その中で、食生活に独自に焼きの手法を取り入れバラエティに富ませ発展させたのが日本人である。
もちろん、外国には、肉を串に刺して焼いたり、鉄板の上で野菜もろとも肉を焼く料理、魚を燻蒸したりする方法など、焼きの料理は多数ある。
しかし日本人ほど材料の持ち味を生かして焼く手法を確立した民族は珍しいのである。
 
塩焼き、照焼き、付け焼き、串焼き、蒸し焼き、包み焼き、焙烙(ほうろう)焼、埋火(うずめび)焼・・・・・・。
そして街には炉ばた焼屋、焼鳥屋、串焼屋、鰻蒲焼屋、焼トウモロコシ屋、たこ焼屋、お好み焼屋、焼いも屋、鯛焼屋・・・・・・。
 
日本で焼く料理がこれほど独自に発展した理由はいくつかある。
まず、魚介類や肉、野菜など、焼かれてうまい新鮮な材料が豊富であったこと。
そして、焼いたものへの味付けとして、醤油、味醂、日本酒などわが国特有の調味料を持っていること。
さらに備長(びんちょう)に代表されるような堅炭(かたすみ)や七輪、金網など焼く用具を調理に合わせてあみだしたことなどだろう。
 
このような条件が揃っているのだから、焼いた料理を食べてまずいはずはなく、日本人はますますこの調理法での料理を好む民族となった。
 
話は再び目黒に戻る。
焼いた魚から出る匂いは、魚好きの日本人をたちまち魅了してしまうが、焼かれてうまい魚は多くの場合、日本近海のもので、脂肪の乗った魚である。
キンキン(キチジ)サンマ、イワシ、ホッケ、ニシンなどはその代表格で、目黒組の優等生。
 
殿様が「サンマは目黒に限る」といったのは、実は、お城に帰ってきて食べた憧れのサンマが、お毒見を経て、冷たくなっていたから、まずかったためである。
目黒のムラで食して実にうまかったのは、焼きたてのアツアツだったから、熱いうちに食べると舌にうま味が残り、魚本来の生臭みを燻し匂いが隠してくれる。
やはり、サンマは焼きたてに限る。
 
 
 
● 華麗なる“手抜き”の発想
 
「丼」に、日本人は深い愛着と親しみを持っている。
いつでも手の届くところにあって、これに飯を盛り、上に何かをのせただけで、もううまそうになってしまう。
いや、「天丼」とか「親子丼」といった言葉を耳から入れただけで、もうその語調にまいってしまう。
 
江戸・元禄時代の少し前、寛文年間(1661〜73)に、江戸には「けんどん屋」というのがあった。
盛りきりの飯や蕎麦切り、うどんなどを、立ち売りする店で、「けんどん」という名は、その盛りきりの1杯の食べものを客に出す時、たいていの店はつっけんどんに出すので、この名がついたという。
 
当時、「丼」と言う語はなく、食べものを盛る器を「鉢」といって、けんどん屋のそれは「けんどん振りの鉢」と呼んでいたのが「どんぶり鉢」となり、「丼」になったらしい。
だから「丼」と言う字は、中国固有の「丼(セイ)」と言う字とは関係なく、容器の中に食べ物が入った姿からの象形文字という説。
また一説には、井戸の中に、小石を落とすと、その音は「丼」だから「丼」としたというのである。
しかし、これはどうもうまくできすぎている。
 
「風呂屋の財布のことを「丼」と言う地方もあるくらいだから、「口の広い入れ物」の意を持っているのであろう。
17世紀にはもう、広く見られた器のひとつで、江戸時代の天明元年(1781)の献立書には、平鉢、大鉢にまじり「染付丼(そめつけどんぶり)」の名が見える。
 
丼ができると、次にはこの器に入れた丼物が考え出された。まず鰻丼である。
江戸時代の文化年間(1804〜17)の『俗事百工起源(ぞくじひゃっこうきげん)』には、日本橋の芝居経営者、大久保今助という男が、ことのほか鰻が好きで、焼き冷ましになるのを嫌って、大きな丼の中の温かい飯と飯の間に鰻を入れ、これに蓋をして持ち歩き、まだ温かいうちに食べたのが始まり、とある。
 
ところで丼物は、飯とその上にのる具との調和で迫力あるほど美味に見え、その温かさからは湯気に乗って食欲をそそる匂いが立ち上がってきて、日本人を夢中にさせてしまう。
 
丼はまた、その大きさが日本人にぴったりにできている。
これ以上大きすぎては、手にあまって重すぎるし、かといってこれより小さければ量に不満が残る。
丼に山盛りもって、手にずっしりくる感覚と、ほのかな温かさは、手のひらからもそのうまさを感じることができる。
 
そして、何といってもその簡便さは、庶民の愛好するところであったから、江戸の町では大流行していった。
 
丼物の発明はまた、それでなくても食事時間の短い日本人を、世界一の”早飯民族”に育て上げた。
丼に持った蕎麦やうどんをいっきにそそぎ込み、茶漬けでサラサラと流し込み、飯の上のおかずとともにあっという間にかっ込む。
 
こんな一軒簡便すぎて、情緒のあまりない丼物を、客に喜ばれるものに持っていった日本人の知恵と発想はおもしろい。
天ぷらを上に乗せた天丼、鶏肉と卵の親子丼、牛肉に込みの牛丼、トンカツと卵のカツ丼、マグロの刺身をのせた鉄火丼など枚挙にいとまがない。
 
これらの丼物一品だけを客に出しても何らの失礼はない。
仮に、これを丼に飯だけ盛り、別に少量の天ぷらを添えただけでは、なんとなく様にならない。
また鶏肉を卵でとじたもの一品を皿に入れ、これに丼飯をつけて出してもおかしなものである。
 
かくのごとく、日本人は丼という容器ひとつにさえ、これを単なる食べ物を入れる容器だけにとどめず、それを実に合理的に利用する、目に見えない巧妙な知恵を持っていたのである。
 
そして、この丼物こそ、誰もが損をしない、華麗なる手抜きの発想が上手に織り込められていたのである。
 
 
 
● 灰も小石も美味を生む
 
熱い灰の中に生栗を入れ、時として栗が大きな音とともに破裂して、灰もろともに囲炉裏に飛び散る破裂音にこわごわしながらも、ほんのりと甘い焼き栗の味を楽しんだ思い出。
ナスの採り立てを熱灰に埋めて焼き、熱いうちにふうふうといいながら、灰を払って生姜醤油で食べたうれしさ。
これらの体験は、多々私たちにとってたまらぬ“なつかしき”の味である。
 
さて昔から、日本人は物を燃やした後に出る灰を極めて巧みに、そして広範囲にわたり応用してきた民族である。
 
昔は家々から出る灰を、灰買い人夫が買いまわり、街には灰の市が立ち、その灰は各地の需要地(和紙製造、焼き物、染色、織物、土壌改良、酸味酒の中和用、染料、灰干しわかめ用など)へと送られていった。
 
灰を、これほど広い範囲に使いこなしていた民族は、世界中いかなる国々をみわたしても存在せず、そこに、日本人の生活に即応した創造性の豊かさと、知恵の深さを感じることができる。
 
その灰にまつわるさまざまな話は、筆者の既書(『灰の文化史』リブローポート刊)に譲ることにして、ここでは灰の物理的性状を巧みに応用した調理法についてみてみることにしよう。
 
以前、山奥の村々で見られた「茶の子」と呼ばれた団子は、粟、稗を挽いて水でこね、これを握りこぶし大にしたものを、前の晩から囲炉裏の灰中に埋めておく。
翌朝には、温灰の熱により、ちょうど食べ加減に焼きあがっているから、朝食前に野良仕事に行く人は、これを出がけや道すがらに食べていくことができる。
つまり、早く起きて朝食の準備をする手間が省けるという即席性を持っていたわけだ。
 
また、関東地方の山奥で食べられていた「稗餅(へーもち)」は、稗にもち草を加えて搗いたものを蒸し、囲炉裏の灰の中に埋めてやはり翌朝食べるものであった。
 
このような灰を使う調理法について民俗学者の柳田國男は、日本人の主食である米は、焼き物〈鍋や釜〉の技術が十分でなかった古代においては、水に浸した米を木の葉に包み、これを熱灰の中に埋めて、いわゆる「ホド蒸し」のような方法で調理していたのであろうと述べている。
 
さて、灰に埋めて焼くイモや栗がなぜうまいのか、その科学的根拠を次にお教えしよう。
 
それは、灰の中で焼くという加熱法の一大特徴が、焼かれる材料の表面と内部との温度差にあり、表面温度が200度以上の高温にさらされても、中心の温度はめったに100度を越えることはない、という点にある。
 
というのは、イモや栗のようなデンプン質の多い食品を焼こうとする時は、人間が消化できるアルファー型デンプンになるまで内部に十分火を通すことを必要とする。
しかし、灰で覆うことにより、内と外の温度差を小さくすることができ、そのため、表面を焦がすことなく、ゆっくりと熱が内部まで伝導していって、ちょうど良い具合に焼けるわけである。
 
そのうえ、このようにして少しずつ加熱していくことにより、イモの中にあるデンプン分解酵素(イモや栗の主成分であるデンプンを分解して甘みの強いブドウ糖とする酵素〉が作用してイモや栗に糖を増やす効果もある。
 
ひとくちに焼きいもといっても、このように灰の中で焼く古流のものから、細かい石の中で焼く石焼きいも、壺で焼く壺焼きいもなど、さまざまだが、その上手に焼き上げる原理はみな同じである。
 
焼きいも屋の屋台に書いてある「八里半」は栗(九里)のうまさに近いとの意。
「十三里」は栗より(九里四里)うまいとの誇称である。
 
イモを焼く 藁火(わらび)明かりや 糸車  (癖三酔)
 
 
 
● 知恵は台所にあり
 
「煮物に使う蒟蒻を、包丁で切らずに手でちぎって使う方が良いのはなぜか」と言う問題があったとしたら、読者の皆さんは答えられますが。
その答えは「包丁で切った面よりも、手でちぎった方がデコボコができ、蒟蒻の表面積を広げることになり、熱の伝わり方をよくし、ちょうど良い具合に調味料の浸透がはかれるため」
 
したがって、ちぎらないときでも蒟蒻は「たずな切り」のように表面積を広くする切り方が、昔からの知恵として続いているのである。
 
では次にいくつかの知恵門答をしよう。
 
問題 筍を茹でるとき、米のとぎ汁を使うのはなぜか。
答  筍には、えぐ味の成分として、ホモゲンチジン酸や蓚酸があるが、筍をとぎ汁や糠とともに煮ると、水から茹でていく間に、糠に含まれている酵素が筍の繊維に作用して、軟らかくするとともに、多量のえぐ味成分をゆで汁に引き出すことができるため。
 
問題 干した椎茸を戻すとき、ぬるま湯に砂糖を少々加えた液で行うのはなぜか。
答  干した椎茸は、水温が高いほど早く吸水する。
低い水温で戻すのに時間が長くかかり、その間、うま味成分もかなり失うことになる
かといって、熱湯の中で戻すと、溶出が著しい。
そこでぬるま湯ということになる。
砂糖を少々加えるのは、真水より糖液の方が浸透圧が高く、うま味成分の溶出を抑えるためである。
 
問題 のりを焼くとき、2枚重ねで焼く理由は。
答  のりの主体は30〜35%も含まれているタンパク質だが、これを焼くと、そのタンパク質が熱変性して縮む。
両面から焼いたのでは、双方から縮むうえ、水分の揮散が多くなり、ボロボロと崩れやすくなってしまう。
だから、一方だけをさっとあぶるのが良く、2枚重ねで焼くと、双方の表面だけを焼くことになり、その上、熱によって揮散した香りの成分や水分を反対側ののりが吸収するから、逃げる成分を防ぐ知恵となっている。
従って1枚ののりを焼く時も、2つ折にして焼くのはそのためである。
 
問題 ワサビをすりおろす時、目の細かいおろし金で円を描くようにゆっくりおろし、また、すりおろしてからしばらくしてから使うのはなぜか。
答  ワサビの辛味はワサビの中に含まれているミロシナーゼという酵素の作用により、辛味の配糖体が分解されて生じる味である。
目の細かいおろし金でゆっくりとおろすのは、細胞組織を破砕して、酵素が作用しやすいようにするため。
おろしてからしばらくおくのは、おろしたては、まだ十分酵素が作用しないために辛味がないが、時間の経過とともに辛味が増していくからである。
大根、ニンニクなども同じ作用で辛くなる。
 
問題 保存のために塩でからめた魚から塩出しするとき、迎え塩、または呼び塩といって、真水でなく薄い食塩水〈0.5〜1%〉で行うのはなぜか。
答  真水でも薄い食塩水でも、魚からの塩出し速度はそう大差ない。
しかし、真水だけで行うより、塩水中のほうがうまみ成分の溶出が抑えられるため。
 
ここで上げたいくつかの例のほかに、日本の台所には、昔から体験に基づいた調理要領が多数ある。
そこには、料理を一段とおいしくするだけでなく、見た目を美しく、そして、材料の香りや栄養成分をも逃さないなどの理にかなった知恵を見ることができるのである。
日本料理を作るには、その手法のひとつひとつに、いつもこのような問いと答えが表裏しているのである。
 

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001