あんな話 こんな話  98
 
小泉武夫著  サンケイ出版
『知恵の食事学』
より その11
 
第4章 調理をめぐる知恵のさまざま の4
 
 
● 「巻き」の妙味
 
「伊達巻き」。
溶いた卵に白身魚のすり身を加え、砂糖、味醂、酒、塩などで味付けし、卵焼きの鍋で厚焼きにしてから、簀子(すのこ)巻きで渦巻状に巻いたのをいう。
伊達とは「粋(いき)」=「派手に振舞うこと」「人目を引くこと」「外見を飾ること」といったような意味を持っているから、伊達巻は、これらの意味を兼ね備えた「粋で外観の派手」な料理なのであろう。
 
昆布巻きも粋だ。
質の良い昆布を水につけてからやわらげ、これを焼き干しした鮒(ふな)、モロコ、身欠き鰊(にしん)など好みの材料を巻き込んで乾瓢(かんぴょう)で帯に締め、深鍋に笊(ざる)か竹の皮を敷いた中に並べ、そこにかぶるくらいの水を加えてから落し蓋をし、とろ火で気ながに煮込む。
魚の頭や骨までやわらかになったら、酒、塩、味醂、砂糖、醤油を入れ、煮詰めていく。
 
巻きものといえば、忘れてならのが巻きずし。
酢飯をのりに巻く時、関東では煮付けた乾瓢だけを芯に入れて巻き締めるのに対し、関西では乾瓢のほかにソボロ、卵焼き、煮込み椎茸や高野豆腐の煮染め、アナゴの蒲焼を、京都では沢庵や菜漬けまで入れて、巻き上げる。
 
巻き方も、関東ではのりの香味を主体とするから、細巻きにして長く切るのに対し、京阪では、飯と具を主体とするから、太巻きにして短く切るのが対照的である。
握りずしのほかかっぱ巻き、なかおち巻き、納豆巻き、アナゴ巻き、いくらを巣飯の上にのせ、のりで鉢巻にした軍艦巻きなども人気がある。
 
このように日本には、巻いた食べ物や料理が実に多い。
鳴門巻き、磯部まき、笹巻きずし、しのだ巻き、紫蘇巻き、巻き漬け(大根漬けの一種。具として紫蘇の実、生姜、茗荷、唐辛子、人参などを用い、中を抜いた大根の中に形や配色を考えて詰め込み、これを漬け込んだもの)、キュウリの渦巻き漬け、巻き煎餅、小田巻き(蒸し菓子の一種)、巻き柿(種を抜いた干し柿を集めて紡錘状に縄で固めた柿羊羹)、巻きブリ(古くから能登地方の名産品で、寒ブリを塩干しして縄で巻き上げた保存食品)など、まだまだ、日本にはいくらでも巻きものは点在する。
 
日本人が、巻くという行為を食の場に持ち込んで、世界一の「巻き食文化」をつくった背景には、日本人特有の巧妙な知恵が潜んでいる。
 
その第一は、まったく別種の食材を一体にして食べるという妙味である。
昆布まきでは、昆布のだし汁で身欠き鰊(にしん)の味を丸くしながら、鰊のうま味や油味を昆布に付ける。
また、巻きずしでは、のりの香りを持たせながら酢飯にさまざまな具の味を相乗させて、得がたい風味を味わうことにある。
昔から、ドジョウやアナゴには牛蒡がよく合うといわれていたのを一体化した「やわた巻き」もその例である。
 
第二は、巻くことによる視覚へのアピールである。
巻き模様は粋な感覚を伴った力強さを表現し、食べるものへの痛快さを与えるし、巻きずしを例にとっても、のりの黒紫色に飯の純白、卵の黄身、そして乾瓢の飴色、そぼろの桃色。これを一本の棒にするのだから色彩感覚に訴えないはずはない。
 
さまざまな材料の持つ色調を考えて漬け込んだ巻き漬けや、真っ白い魚のすり身を背景に赤く渦巻き模様をつけた鳴門巻きなども、粋な色彩感覚を与える。
 
巻くことによる第三の知恵は、巻くというより巻きつけることによる材料の濃縮・硬質化と、それに伴う保存食の製造である。
この方法はハムやベーコンをつくる時と共通することであるから、何も日本人だけの発想ではない。
しかし巻きブリや巻き柿のように藁縄や、藤の皮、桑の皮など日本特有の材料で巻き締めるところに、日本人の独創性がある。
 
 
 
● 早ずし
 
前にも述べたように熟鮓(なれずし)は、大変に古い時代からの伝承法によってつくられるもので、乳酸菌による乳酸発酵を行わせるから、飯に酢の添加は必要ない。
だから熟鮓をつくるには、発酵と熟成を行う必要があり、数ヶ月という長い期間費やすことになる。
これに対し「早ずし」は、熟鮓に比べて非常に早く食べることができる。
 
早ずし(「当座ずし」ともいう)の代表的な例の一つは、富山名産の「マスずし」だ。
解体したマスを3枚におろし、皮、骨などを取り除いた後、肉身を幅約4〜5cm、厚さ3mmほどに切る。
この薄切り肉に特上質の食塩を振りかけて2時間ほど放置したあと、米酢に調味した漬け汁でよく洗っておく。
一方、酢飯は、精白米を硬めに炊くが、はじめから酢を加えて味付けして炊く場合と、炊いた後に酢を混ぜる場合がある。
 
次に、曲物(まげもの)の底に放射状に敷いた青笹の上に、酢洗いした切り身をすき間なく並べ、その上に冷やした酢飯をおさえながら詰め、そこに敷いた笹を折り曲げて蓋をする。
この曲げ物をいくつか重ねた後、15〜20kgほどの重石をのせて数時間熟(な)れさせてできあがる。
 
この種の早ずしは他にも多くある。
京都の「サバずし」や「コノシロずし」、また全国各地に見られる「鮎の押しずし」「山女ずし」「小鯛の笹ずし」「鮭ずし」「小鯵(こあじ)の押しずし」など一連の押しずしものである。
これらは1600年代の初め(慶長年間)、上方(かみかた)で生まれた知恵の賜物である。
 
さて、早いものが好きの日本人は、この押しずしよりさらに早く食べられるすしを次々に考え出した。
 
酢飯にさまざまな具を体裁よく盛り、その上にのりをあぶりもみしてふりかける「五目ずし」(「ちらしずし」)。
竹簀(すのこ)の上で鮓飯の芯に煮付けた乾瓢やそぼろを置いて、のりや卵焼きを巻く「巻きずし」。
味付けして煮た油揚げに、酢飯や具入りの酢飯を詰めた「稲荷ずし」など、すしはどんどん早ずし化の方向に人気を呼んで発展していった。
 
そしてついに江戸末期の文政から天保にいたって、江戸前のにぎりずしが普及する。
 
目の前で、酢飯に新鮮な魚介をのせ、それをその場で食べてしまうのであるから、なんともスピーディーで、粋な感覚のすしが登場したわけである。
 
だが、すしは歴史も伝統もはるかに先輩格の関西では、その後も押しずし、箱ずし、巻きずしといった、昔からのすしが中心となって、今日に伝わっている。
 
ところで、日本人が「熟鮓」よりも「早ずし」を大好物としたのには、いくつかの理に適った理由と知恵がある。
 
その第一は、熟鮓では食べるまでに時間がかかりすぎる欠点を、早ずしでは解決してくれたこと。
第二に、熟鮓には特有の強烈な匂いがあって、これを敬遠する日本人がけっこう多いが、早ずしにはこの嗜好性の問題がないこと。
そして第三は、早ずしは常に新鮮な魚介や食材を、野趣あるままに味わうことができること。
第四には、すしはすしでも熟鮓はどちらかというと、惣菜的であるのに対し、早ずしは主食的であること。
第五に、早ずしは、味の点ばかりでなく、盛り付けや色合い、巻き方の工夫などで、視覚からの美味感をも引き立てることができることなどである。
そして何といっても早ずしには、家族中が一体となって楽しめる利点がある。
 
ところで、早ずしで一番大切な基本は、すし飯の炊き方である。
すしのおいしさまずさは、これで大方決まる。
その米の炊き方に苦労した心を社会風刺にかけて、次のような面白い歌が残っている。
 
三度炊く 米さえかたしややわらかし
思うママに ならぬ世の中
 
 
 
● うまみのパイオニア
 
明治41年、東京帝国大学理学部の池田菊苗博士は、昆布にある特有のうま味を解明し、その成分の本体はグルタミン酸であることをつきとめた。
その5年後の大正2年、池田博士の高弟に当たる小玉新太郎理学博士は、かねがね興味を抱いていた鰹節特有のうま味成分の本体は、イノシン酸であることを解明することに成功した。
 
一方。比較的近年の昭和35年、国中明博士は椎茸のうま味の正体がグアニル酸であることをつきとめ、これにより、日本人が昔から重宝してきた「ダシ」の御三家、すなわち、昆布、鰹節、椎茸のうま味の秘密は科学的に証明されたのである。
 
さて、日本人はこのように、旨味を科学的に証明した世界最初の民族である。
西欧を中心とする料理や調理の伝統国では昔から、味は酸味、塩味=鹹味、甘味、苦味の4つの味を基本として分類し、このほかに渋み、辛味、アルカリ味(えぐ味)なども味を構成するものとしてきた。
 
ところが日本では、「ダシ」の科学的研究の成果によって、この4つの基本味に、うま味を加えた5つの味を基本味としている。
これが大きな特徴である。
 
日本うまみ調味料協会の資料によると、食べものの総合的な「おいしさ」は次のような組み合わせた5つから成り立つとしている。
すなわち甘、酸、鹹、苦、うま味の5つが基本味で、これに辛味と渋味を含めて「味」(みかく)が構成され、ここに、こく味、広がり、厚みなど、口の中での特有の感覚と香り(嗅覚)が加われば風味となる。
 
そして、風味にテクスチャー(食べものの硬軟や粘土)、温度といった物理的感覚(触覚)や、色、光沢、形状(視覚)、そして音(そしゃくする音とか、すする音などの感覚)が加われば「食味」が生まれる。
 
さらに、食味に3つの環境、すなわち、外部環境(雰囲気、湿度、気温、気圧など)、食環境(食習慣、食文化など)、生体内部環境(健康、歯、心理などの状態)が加わると、最終的に「おいしさ」が決まるとしている。
 
この「おいしさ」の定義づけは、これまで世界のいかなる民族でもなし得なかったものであり、味わう人の生理的、肉体的、精神的状態を考慮した、実に繊細な理論づけもあって、日本人ならではの感覚と知恵の賜物である。
 
ところで、この「おいしさ感覚」が決められた背景には、伝統的な日本料理に多くのヒントが宿っていた。
例えば今、ここにもっとも日本的な料理の一つである「松茸のどびん蒸し」があったとする。
まず特有の「うま味」(味覚)を引き出すダシには、うまみの証明材ともなった鰹節、昆布、椎茸が使われている。
 
そして、松茸の芳香(嗅覚)と口に入れてからの広がりは「風味」をつくりだす。
また、ギンナンの黄緑、エビの赤、松茸の白といった色のコントラスト(視覚)や、エビ肉、松茸の硬さとギンナン・白身魚の軟のコントラストは、歯ごたえ(触覚)として、微妙な快さを与えて「食味」となる。
 
そして、秋という「食環境」の感覚は、旬の味を一段と濃く思わせて、「おいしさ」が成立するのである。
このように、どびん蒸しひとつを例にしても、そこには日本人が決めた「おいしさ」の定義が、すっぽりと詰まっていて、実に妙味がある。
 
「うま味」という、食べものの最も重要な基本となる具備条件を、世界の民族に先がけて見つけ出した日本人の民族の知恵には、ほとほと感心させられる。
 
 
 
● 和えて一体
 
日本料理には、「和(あ)えもの」がやたらと多い。
魚介類や野菜などに味噌や胡麻、豆腐、酢などを混ぜて調理した料理である。
 
西欧ではサラダが和え物の代表といった感がある。
中華料理でも和えるものもあるが、むしろそれより、水溶き片栗粉を調味した熱汁に流しいれて適宜にねった餡(あん)を料理にかける「餡かけ」の方がずっと多い。
 
その点、日本には、200種を超える和えもの料理があるほどだから、やはり世界一の和えもの国なのであろう。
 
和える目的は、料理材料と加味料との分布状態を均一化し、互いの持つ味や香りの相性を融合させて、調和のとれた混合物にすることにある。
単に「和える」といっても、このような目的で行うのであるから、和えるための芸の細かさと繊細さは、日本料理の基本のひとつとされるほどである。
 
例えば「酢和え」という酢のもの料理ひとつを取り上げてみても、塩をふって脱水させ、しなやかにしたり(きゅうり、大根、人参など)、塩をしてから酢洗いしたり(コハダ、サヨリ、貝類、鰯、大根、人参など)、湯ぶりにしたり(イカ、タコ、鶏肉など)という下ごしらえをしてから、そこに和える酢も別に調合するものである。
 
このあわせ酢にも二杯酢、三杯酢、酢醤油、ポン酢、ポン酢醤油、甘酢、辛子酢、胡麻酢など、和える材料に応じて実に多くの種類を持っている。
 
二杯酢は、酢と醤油を同量に合わせたもの、三杯酢はこれに酒を加えたもの、胡麻酢は酢10に対して醤油8、砂糖5、胡麻5などと合わせ酢の種類によって、その配合は細かく決められている。
 
さらにこの胡麻酢を例にしてみると、調理の時に、酢と同様に扱った場合には、この胡麻のことを「和え衣」と呼び、その衣が、黒和えであれば黒胡麻を、白和えであれば白胡麻を使う。
 
衣には胡麻のほかに味噌、豆腐(白和えの代表格)、納豆、ウニ、タラコ、てっか、くるみ、落花生などがあり、誠に多彩である。
 
和え物はまた、互いの食材が持つ味や香りの調和だけでは許されない。
調和の取れた配色も不可欠の要素であるから料理に対して繊細な日本人は、その点でも得意の知恵を発揮した。
 
豆腐や白ゴマの「白和え」に対して「青和え」とは、青豆を茹(ゆ)でてすりつぶし、裏ごしにかけてから塩、砂糖、味醂で調味したもので、煎(いり)ナマコなどを和える。
 
「黒和えに」は黒豆を茹でてつぶしたものを裏ごしして調味したり、黒酢を使う。
「紅葉(もみじ)和え」とは鱈(たら)の卵を使ったり、紅唐辛子の種をとって、これを刻んでつぶしたものに白味噌を混ぜたもので、「山吹和え」とは、カレイや鮒(ふな)などの抱卵巣やウニを和え衣にしたものである。
いずれも、実に巧みに自然のままの色を生かしきっている。
 
なお、酢味噌和えのイカ、マグロ、貝、ネギ、ワカメ、コイなどを「ぬた」ともいうが。このいわれは、沼田(ぬた)の泥のようにどろりぬたりとした感じからつけられたという。
その「ぬた」を食べるとき、この種の名前のつけ方に限ってはどうも感心できないといつも思っている。
酢味噌を「ドロ酢」、胡麻和えを「胡麻汚し(よごし)」ともいう人がいるが、あまりいい感じはしない。
 
 
 
● 憧れの惣菜、天ぷら
 
江戸時代、天ぷらは実体を異にする2つの食べものであった。
そのひつは上方文化圏の天ぷら、他方は江戸文化圏の天ぷらである。
前者は魚のすり身をまんじゅう型やもち型にして油で素揚げしたもので、今でいう薩摩揚げ。
後者の江戸はイカやイモ、牛蒡、エビ、蓮根などに溶いた小麦粉をからめて、油で揚げた衣揚げである。
ここで述べるのは後者の衣揚げの天ぷらのことである。
 
天ぷら(天ぷら)の名の由来はさまざまある。
スペイン語のテンペロ(料理)説のほか、「天」は揚げるの意、「麩」は小麦粉の意、「羅」は薄衣の意といった説などはその代表だが、それらを説明するに足りる文献的証明は見当たらず、明確には何もわかっていない。
 
文献上、初めててんぷらの名が登場するのは、江戸時代の寛文9年(1669)の『食道記』である。
「小鳥をたたきて・・・・・・」とあるから、これはどちらかというとすり身揚げのことのようだ。
 
江戸流の衣揚げの所見は寛延元年〈1748〉の『料理歌仙組系』で、ここには「魚や菊の葉、牛蒡、蓮根、長芋を饂飩粉(うどんこ)にまぶして油に揚げる也」と見える。
 
天明年間(1781〜1798)には、てんぷらの屋台が登場し、庶民の味として人気を博し。嘉永(1845〜1854)ごろからは、江戸の町には、てんぷらの看板を上げた専門店が現れ、そして著名な料亭にも、趣向を凝らしたてんぷらを高級料理として出すところが出てきた。
 
今日、日本人をこれほどまでにてんぷら好きにしたのはには理由がある。
その第一はご飯という主食に、副食としてこの総菜は誠にぴったりと合うことにあった。
ご飯の風味にこの天ぷらの食味は実に相性がよく、それでなくとも質素で油気の不足な日本の素朴食にあって、ひときわ異彩を放つ副食であった。
 
第二は、醤油の存在である。
てんぷらは、はじめは塩をふって食べたらしいが、油のしつこさを醤油は実によくなじませてくれるから、この美しいほどの惣菜を、いっそう日本人の心に焼き付けた。
そしてこの醤油は、日本酒やダシ、おろし大根と一体になった「てんつゆ」にも変身して、さらに日本人を憧れさせた。
 
日本人をてんぷら好きに煮た第三の理由は、日本にはてんぷらの種にする材料が常に豊富であるということだろう。
エビ、キス、アナゴ、イカ、白魚、アジのような魚から、サツマイモ、牛蒡、蓮根、カボチャ、ナス、菊の葉、椎茸のような根菜まで、春夏秋冬、いつでも新鮮な具が周りにあるから、旬そのものをてんぷらで味わえる。
 
★ てんぷらの衣の上手なつくり方
衣に使う小麦は薄力粉(はくりきこ)(グルテン15%以下)を用い、鶏卵は黄身と白身をよく混ぜておく。
衣作りは、小麦粉35%、鶏卵15%、水50%の割合であらく混ぜ、水になじまぬ粉粒がある程度でよい。
粉は5人前で約180gが目安である。
 
 
 
● 煮染(にしめ)に日本の味の原点をみる
 
好みの材料にダシ、塩、酒、醤油、味醂または砂糖などを加えて、汁のなくなるまで煮つめ、からりと色よく仕上げたのが「うま煮」。
最初にダシだけで湯煮した材料に、味を付けて十分に汁を含ませたのが「ふくめ煮」。
そして最初から味加減した中で煮込み、多少汁気を残して煮上がりに照りを付けないのが「煮染」である。
 
日本料理にはこのように、煮ることを大切な基本調理法のひとつとして、さまざまな煮方の手法が昔から伝わっている。
中華料理や西洋料理のように、上げたり炒めたりすることが多い調理法にくらべ、煮ることによって、さまざまな料理を作り上げてしまうのは、日本料理の大きな特徴のひとつである。
 
先に述べたように、煮汁を多くしたり、少なくしたりして煮つめる煮付けや煮染、含め煮、うま煮、照り煮、煮込み(関東風)、などのほか、調味料の違いによっても味噌煮、佃煮、飴煮、醤油だき、酒煮、酢煮、梅酢煮などがある。
 
また、揚げたり炒めたものを煮る煮びたし、揚げ煮、炒め煮、そして煮上がったものの色であらわす白煮〈レンコンや大根など)、青煮(蕗やさやえんどう)、墨煮(イカ)、琥珀煮(かぶらや大根)、べっこう煮(サツマイモ)など煮方は実にさまざまである。
 
ほかにも、くず煮、おろし煮、やわらか煮、あら煮、いとこ煮、煮びたし、じぶ煮、するが煮、せんば煮、煮和えなどがあって、枚挙にいとまがない。
 
このおびただしいほどの料理例を見ても、煮る調理法は日本料理の原点のひとつといってよいだろう。
これはどこまで煮る方法を考案し、そしてさまざまな料理材料を、煮方ひとつで多彩な料理につくり分ける日本人の料理への執念と繊細さ、そして巧妙な知恵には、ほとほと感心させられる。
 
さらに日本では「茹でる」「せんじる」も煮る料理に入れることが多く、茹でタコ、茹で鳥、湯豆腐、湯引き、水炊き、煎酒(いりざけ)、いり鯛、煎(いり)豆腐なども、いずれも煮たり湯を通したりする料理である。
 
日本料理に煮物がこのように多い理由はいくつかある。
その第一は、煮物にぴったりと似合う日本独特の調味料を持っていることだろう。
とりわけ酒、醤油、味醂、味噌、ダシ(鰹節、昆布、椎茸)の5つの神器は、煮物を日本人に強く蒸し結びつけた張本人たちである。
 
そして第二は、日本には煮物に適した食材が実に多いことにある。
山紫水明のこの国には、海や川の魚貝、山や畑の根菜が四季にわたって変化に富んで食卓にのぼる。
季節に合った煮物からさえ、日本人は四季それぞれの情緒感を常に味わうことのできる民族なのである。
 
第三は実に多種にわたる鍋の発達にある。
粒食民族の日本人は、粒者を多量の水で煮る必要から、底が深くて丸い釜や鍋の発達が進み、その材質や用途によりさまざまな鍋がある。
そして、そのなべに応じた鍋料理ができたのである。
 
第四には、煮物に対する日本人の憧れや郷愁が、煮物大好き民族を育て上げてきたこと。
冠婚葬祭事あるごとに、煮物をつくっては客に出して接待し、煮物を重箱や角箱に詰めては芝居を見に行ったり、運動会に出かけたり、イモ煮会に持っていったり。そしてある時は、煮物を色よく盛って懐石料理の重要な位置に据える。
 
煮物ってただそこにあるだけで何となく落ち着く感じがしませんか。
牛蒡と人参とジャガイモの煮染をみて、昔の思い出のない方はおりますか。

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001