もも 桃
 
 
 
モモはバラ科モモ属の落葉小高木。
また、その果実のこと。春には五弁または多重弁の花を咲かせ、夏には水分が多く甘い球形の果実を実らせる。
中国原産。食用・観賞用として世界各地で栽培されている。
 
 
■ 桃の歴史
 
◆ 桃の原産国は中国
桃の原産国は、中国と言われています。
中国では3000年以上前から食用として栽培されていたといわれます。
 
誕生したてのときは“毛毛(モモ)”という名のとおり、硬い果肉の表面がたくさんの毛で覆われているものでした。
 
桃は『西遊記』の主人公、孫悟空が食べたことでも有名です。
昔、中国で桃はただの果物ではなく、特別なものとして見なされていたのです。
それは、桃源郷の不老不死の“仙果(せんか)”として考えられていたのです。
 
『西遊記』の中で、孫悟空が任された仕事は3600本の桃の木が植えられている桃園の管理。
手前にある1200本の木になった桃を食べると、3000年に一度仙人になれて、真ん中の1200本の木の桃を食べると、今度はずっと年をとらずに、命を落とすこともない…。
そして、一番奥の1200本の木の桃を食べると、天地があらんかぎり生き長らえる、と言い伝えられていました。
また、中国では、このモモから“桃の節句”が誕生しました。
 
◆ シルクロードをたどり西域へ
中国で誕生した桃は、シルクロードをたどり西域へへと伝わっていきました。
ヨーロッパには紀元前にすでに伝わっており、ローマ帝国の書物にはいくつかの品種についても記されています。
 
17世紀にはアメリカ大陸にまできたと言われています。
中国からヨーロッパへと伝わった桃の果肉は品種改良が重ねられて、黄色に変化していきました。
私たちにもお馴染みの黄桃の缶詰…あれは今、おもにアメリカのカリフォルニア州で生産されているものです。
アメリカで作られた黄桃の缶詰は日本だけでなく、世界中に輸出されています。
 
ちなみに、缶詰に加工されるモモは、日本の白桃とアメリカの黄桃をかけ合わせて作った、缶詰専用のものです。
海外では白桃よりも黄桃のほうが、生で食べる果物としてはよく食べられています。とくに欧米ではモモといえば、黄桃のイメージが強いのではないでしょうか。
 
◆ 日本への伝来
日本に伝わった時期は定かではありませんが、全国各地の遺跡から桃の種が発見されており、縄文時代末期から弥生時代にはすでに食べられていたようです。
古事記や日本書紀などの記録によると、弥生時代に伝わり、平安時代にはすでに水菓子として食べられていました。
しかし、当時のモモは今のようにそれほど甘いものではなかったため、観賞用または薬用のものとして使うことのほうが多かった…とも言われています。
 
本格的な栽培が行われるようになったのは、海外の品種が導入された明治時代になってからのことです。
明治時代に入って、強い甘さが特徴の水蜜桃が輸入されるようになり、多くの人が口にするようになりました。
 
明治32年には桃作りに情熱を注いでいた大久保重五郎氏が新種の“白桃”を発見し、それが岡山特産の白桃のルーツとなりました。
彼は“明治の桃太郎”とも呼ばれていました。
それ以来、次々と新種のモモが誕生しました。
 
大久保重五郎氏は、自分で見つけた新種のモモを“大久保”と名付けました。
これが、日本の白桃の歴史を大きく発展させたといっても過言ではありません。
この“大久保白桃”をはじめ、白桃の多くはやわらかい果肉が特徴的といえます。
このことは、日本のモモ独自の特徴とも言えます。
“大久保白桃”は、ほかの白桃に比べて早く熟し、たくさんの実をつけます。
さらに、とても甘く、果汁が多い品種です。
種離れの良さから、最近はゼリーなどの加工品もよく作られています。
 
ただ、
ネクタリンについてはあまりよく分かっていませんが、17世紀のイングランドにはすでにいくつかの品種があったようです。
 
 
 
■ 桃の主力産地
 
◆ 日本一の桃の里 山梨県
国内の内陸側に位置する山梨県は、南側には富士山、西側には南アルプス、北側には八ヶ岳、東側には奥秩父山地…というように、周囲を山々に囲まれています。
そんな山梨県はたくさんのおいしい果物の産地としても知られています。
そのことから「フルーツ王国」とか「果実の郷」などと呼ばれているんですよ。
 
土地の水はけのよさや気候条件など、果物の生産には最適な環境と言われています。
このため、昔から果物栽培は、とても盛んに行われてきました。
なかでも、桃の産地としてとても有名で、日本一の生産量を誇っています。
 
数多くの桃の品種のなかでも、とくに最近は“日川白鳳”、“浅間白桃”などの優良品種の栽培に力を入れています。
また、山梨県の桃は県内だけでなく、全国各地に出荷され、多くの人に親しまれています。
 
そのほか、桃以外に、ブドウとスモモも全国第1位の生産量となっています。
さらに、さくらんぼ、柿、りんご、なし、梅などの本当に様々な種類の果物が生産されて、その品質は高い評価を受けています。
まさに山梨県は「フルーツ王国」という名にふさわしい場所と言えるでしょう。
 
◆ 極上の桃がとれる 福島県
福島県は東北地方の南部に位置し、太平洋に面しています。
たくさんの山や盆地がある緑豊かなところです。
この福島県もまた、「フルーツ王国」として知られています。
 
福島市の北西部には「フルーツライン」と呼ばれる、広大な果物畑の中を通る道路が続いています。
そこを通ると、あちこちから色々な果物の甘〜い香りが漂ってきます。
環境条件がいいことから、とくに盆地で桃の栽培が盛んに行われています。
 
そんな福島県は、なんとローヤルピーチの産地でもあることを忘れてはいけません。
そう、この高品質の桃は、福島県伊達郡で生産されている献上桃なんです。
こうした品質の良さが話題を呼び、テレビでも紹介されました。
福島県といえば桃!というくらい有名になりましたが、ほかにもさくらんぼ、柿、りんご、なし、いちご、イチジクなどの果物が採れます。
桃に負けず劣らず、おいしいです。
 
◆ 川中島白桃が有名 長野県
長野県は日本の内陸部に位置し、山や盆地の多さが特徴的と言えます。
この長野県、群馬県や埼玉県、山梨県、静岡県、愛知県、岐阜県、富山県、新潟県とそれぞれ接していて「日本で一番多くの都道府県と隣接する県」とも言われています。
 
長野県もこれまた、フルーツの恵みでいっぱいの場所です。
桃に関して言えば“川中島白桃”が有名。
山梨県、福島県に次いで全国第3位の生産量を誇るのが、長野県です。
 
犀川と千曲川の合流地点にある川中島…。
この地で“川中島白桃”が生産されています。
ちょっとかための果肉は長野県産の“川中島白桃”ならでは。
通(ツウ)のあいだでも、人気となっています。
この桃は長野県の地域ブランドとして、全国で注目を集めています。
このほか、果物ではりんご、ぶどう、なしなどが生産されています。
 
 
 
■ 桃の保存方法
 
かたい桃は追熟させるため、紙に包み風通りの良いところで常温保存しておきます。
かたい状態のまま冷やすと甘みが出ず、また冷やしすぎも甘みが落ちるので、食べる2〜3時間前に冷蔵庫の野菜室へ入れるとよいでしょう。
軽く指を当てて、やわらかみを感じれば食べ頃です。
なお熟した桃は傷みやすいので、早く食べきりましょう。
桃は枝に付いていた側よりも、お尻(果頂部)のほうが糖度が高くなる傾向にあります。
そのためナイフでカットするときは、縦にくし形に切り、枝側のほうから食べると最後まで甘味を感じられます。
 
 
■ 桃の栄養と効能
 
桃はおいしいだけでなく、健康にいい果物としても人気があります。
正直に言って、桃に含まれている成分には、これといって目立つようなものは残念ながらありません…。
というのは、桃の成分のほとんどが水分だからです。
そんな数少ないなかでも桃には、どんな栄養成分が含まれていて、どういった効果が期待できるのでしょうか。
 
●食物繊維
水分の多い桃には、水溶性食物繊維が含まれています。
この食物繊維には、整腸作用のあるペクチンが、とても豊富に入っています。
食物繊維は、便秘解消の効果があることで知られています。
便秘が解消されることで、さらに美肌効果にもつながり、大腸がんの予防にも効果的といわれています。
 
●ナイアシン
ナイアシンは、「水溶性ビタミン」の一種。
これは、特に肉、魚、レバーなどに多く含まれている栄養成分で、糖質、脂質、たんぱく質から、細胞でエネルギーを産生する際に酵素の働きを助けるという重要な役割をもっています。
皮膚や粘膜の健康を保つために欠かせないのが、ナイアシンです。
このナイアシンが、桃にも比較的多く含まれています。
また、冷え性にも効果を発揮するとされているので、冷え性で悩んでいる人は、桃を食べるのも一つの手かもしれませんね。
 
●カリウム
カリウムは、ミネラル成分の一種です。
ほうれん草やサツマイモ、豆類のほか、バナナやメロンといった果物類にも多く含まれています。
ナトリウムとのバランスをとりつつ、細胞を正常に保ったり、血圧を調整したりするのが、カリウムの働きです。
高血圧の人に、おすすめの栄養素です。
このカリウムのおかげで、私たちの体内は正常な状態の保たれているといっていいでしょう。
もちろん、桃にもカリウムがたっぷり入っていますよ。
生活習慣病の予防にも効果的なので、積極的に摂りましょう。
 
●カテキン
ここ数年、お茶に含まれているカテキンに注目が集まっていますよ。
カテキンはポリフェノールの一種とされています。
このカテキンには、動脈硬化や心臓病、抗がん作用、糖尿病、アンチエイジングなどに効果があると考えられています。
そんな良いことづくめのカテキンパワーが、桃にも秘められています。
桃のほかには、抹茶や煎茶など…お茶を中心に、カテキンが多く含まれています。
 
●桃の葉の効果
桃の効果は、実の部分だけにとどまりません。
実は、桃の葉にも様々な成分が含まれていて、体にいい効果があります。
桃の葉には、タンニンやマグネシウム・カリウムなどの成分があります。
昔から桃の葉の薬理作用が知られていて、江戸時代、人々は夏の土用の日に「桃湯(ももゆ)」に入ることを習慣としていました。
桃の葉はあせもや湿疹に効果的なことから、夏の暑いときに、桃湯に入ったというわけです。
桃の葉…といっても市販の桃には、葉が付いていません。
手軽に桃の葉の効果を試してみるには、桃の葉エキス配合の入浴剤などを使ってみるといいでしょう。
 
 
■ おいしい桃の選び方
 
桃の旬は夏で、9月上旬くらいまでがおいしい時季です。
特に、梅雨明けの7月中旬頃からは、甘くてジューシーな桃がたくさん出回るようになります。
 
おいしい桃の選び方のポイントを紹介することにしましょう。
★左右が対象で形のいいもの
★色がきれいなもの
★香りの強いもの
★皮全体にうぶげがあって、ツルツルしていないもの
★傷のないもの
★軸(枝)つきの部分まで色づいているもの
 
…などが、選び方のポイントです。
桃は指で一ヶ所を押すと、もうそこから傷み始めます。
なので、一度持ってみて、その感触でかたさを確認するといいですよ。
 
一般的に美味しい桃が出回るのは、梅雨が明ける7月中旬ころから。
みかんや柿などの秋果物は、何ヶ月もかけて糖分を果実に蓄えるのですが、
桃は、収穫の10日くらい前から収穫直前にかけて、急激に糖分を蓄え美味しくなります。
だから、桃の味は、収穫直前〜収穫期の天候で大きく左右されるのです。
梅雨時期に出る桃でも、空梅雨で雨が無ければ、美味しい桃ができますし、
梅雨明け後でも、台風などで、大雨ふれば、中生、晩生の桃でも、味が多少は落ちます。
ここが、栽培農家の一番苦労する点です。
桃の味は、20%の栽培技術、80%の気象条件で決まると言われる所以です。

 一般的に言われている美味しい桃の特徴は
色・・・桃全体が、赤色が濃く色づいて、艶があるもので(白桃は例外)、
お尻付近の着色してない部分の白色がはっきりしているものが美味しい。
しっかりと果硬がついているものが美味しいよ。
果実の表面に、細かいヒビ割れになっているものは、
見栄えは悪いが意外と美味しい(太陽光線がよくあたっている証拠)。
地色・・・お尻部分の、青みがとれて白くなっているもの(熟している)
形は・・・左右ほぼ、対称でふっくらとして形の良いもの。
大きさ・・・一般的には、大きいほど美味しいです。

美味しくないと思われるものは、
赤い色が薄くてはっきりしていない。
果硬が、無い。
お尻付近の地色の白色が、鮮やかな色でない。
 
 
■ 桃の上手な食べ方
せっかくおいしい桃を買ってきても、上手な食べ方を知らずに台無しにしてしまってはもったいないですね。
やわらかい感触のモモは手に持つと潰れてしまいそうで、皮もむきにくいかもしれません。
桃は常温に置いておいて、食べる2〜3時間前から冷蔵庫で冷やしておくと、多少果肉も引き締まり、皮もむきやすくなります。
 
手を汚さずに、きれいに食べる方法は
桃は枝がついていた部分と反対のほうから、下(枝付きの部分)に向かって皮をむくと、きれいにむけます。
まずは、モモを冷やすことから始めましょう。
食べる2時間くらい前に冷蔵庫に入れます。
そして食べる15分くらい前になったら、冷水に入れましょう。
水気を拭き取ってから、包丁を入れていきます。
桃の真ん中にある割れ目に沿って、静かに包丁を入れます。
包丁が種にあたったら、そのまま桃をくるっとまわします。
そっと包丁を抜き、両手で桃を包み込むように持ちます。
そうしたら、桃をビンのふたを開けるようにしてひねってください。
すると、モモが真っ二つに割れます
種はスプーンで取り除きましょう。
よく熟しているモモなら、切った面を下にしてまな板の上に置き、指で軽く皮をつまむだけできれいに皮がむけますよ。
包丁を使う場合は、包丁に皮をかけ、ゆっくり引きましょう。
 
●桃の保存法
桃は、基本的に常温で保存しましょう。
それから、食べる2時間前になったら冷蔵庫で冷やすことをおすすめします。
あまり冷やしすぎると、桃の甘みが落ちてしまうので注意してください。
また、皮をむいたあとすぐに食べないときは、レモン汁をかけておくと、変色を防ぐことができます。
このほか、長期保存はできません。
モモは熟したものから順に、早めに食べてしまいましょう。
もし、もらい物などで食べきれないと思ったら、そのまま食べるだけでなく、デザートなどに使うと飽きずにおいしく食べることができます。
 
 
■ 桃の種類
 
● 白鳳
「白桃」×「橘早生」として神奈川で育成され1933年(昭和8年)に登場した人気種です。
果肉は白くやわらかな口当たりで果重は250?300g程度。
酸味は少なく多汁で、上品な甘さを持っています。
収穫時期は7月中旬?8月上旬頃。
 
● あかつき
糖度が高く、果肉は緻密で溶質ながら歯ごたえのある桃です。
収穫時期は7月下旬頃で、サイズは250?300gくらいになります。
「白桃」と「白鳳」を交配させた品種で、1979年(昭和54年)に登録されました。
現在では「白鳳」に次いで出荷されています。
 
● 川中島白桃
長野市の川中島で偶然誕生した品種で1977年(昭和52年)に命名されました。
大きさは約250?350グラムと大きめで、果肉がややかたく歯ごたえがあり、日持ちが良いのが特徴。
糖度が高いので、甘くてかための桃が好きな人におすすめです。
8月上旬頃から収穫されます。
 
● 日川白鳳
7月上旬から収穫される早生種。
1973年に山梨で発見され、1981年(昭和56年)に登録されました。
果汁が多く糖度も11?12%と高め。
果肉はほどよいかたさを持ち、大きさは250g前後です。
 
● 浅間白桃
「高陽白桃」の枝変わりとして山梨で誕生し、1974年(昭和49年)に登録された品種です。
果肉が緻密でやわらかく、果汁も豊富で甘いのが特徴。
300g前後と比較的大玉で、大きいものは400g以上にもなります。
出回るのは7月下旬?8月上旬頃。
 
● 清水白桃
岡山や和歌山で生産されている品種で、果皮も果肉も白っぽいのが特徴です。
1932年(昭和7年)に岡山の桃園で偶然に発見されたといわれています。
果肉はやわらかく多汁で甘みも十分。
果重は250?300gくらいで7月下旬?8月上旬頃に収穫されます。
 
● 一宮白桃
8月上旬頃から出回る品種で、果肉は白くて締まっていて、果汁、甘みとも多めです。
来歴は不詳ですが、かつて山梨県の一宮町に優れた系統の白桃を導入した際、品質がよいことから定着し、この名前が付けられたそうです。
 
● 加納岩白桃
7月上旬頃から出回る早生品種。
果汁が多く糖度が高く、繊維が少な目でとろけるような歯触りをしています。
「浅間白桃」の枝変りとして発見され、1983年(昭和58年)に加納岩農業協同組合によって品種登録されました。
 
● みさか白鳳
「白鳳」の枝変わりで山梨県の御坂町で育成され、1989年(平成元年)に品種登録されました。
重さは250g前後で、甘くてジューシーな桃です。
収穫時期は7月上旬頃から。
 
● ゆうぞら
「白桃」と「あかつき」を交配した品種で、1983年(昭和58年)に登録されました。
果肉は緻密で糖度が高く、日持ちにも優れています。
果重は250?300g程度で、黄金桃と同じ晩生種で8月下旬頃から出荷されます。
 
● 長沢白鳳
締まりのよいややかための果肉で、甘みはたっぷり。
サイズは300g前後で日持ちが良いのが特徴です。
果皮の色付きは濃いめで8月上旬頃から出回ります。
山梨で「白鳳」の枝変わりとして発見され、長沢猪四重氏によって1985年(昭和60年)に登録されました。
 
● 黄金桃
「川中島白桃」から偶然誕生した品種で、果皮・果肉ともに黄色い桃です(無袋栽培のものは果皮がピンク色になります)。
果肉は溶質で、強い甘味とほどよい酸味があります。
旬は8月上旬頃からで、サイズは300g前後。
なお、黄色い桃にはほかに「ゴールデンピーチ」や「黄美娘(きみこ)」などがあります。
 
● 暁星(ぎょうせい)
「あかつき」の枝変わりで、7月下旬頃から食べられる品種です。
福島県で誕生し、1986年(昭和61年)に品種登録されました。
サイズは200g程度と小さめですが甘みは強く、酸味は少なめ。
果肉はあかつき同様やや硬めです。
 
● 白桃
「本白桃」ともいわれ、明治時代から岡山で生産されている日本の桃の元祖。
果皮と果肉はオフホワイトで甘みが多くなめらかな食感です。
甘みの中にわずかに渋みもあり上品な味わい。
サイズは250?300gくらいで8月上旬から出荷されます。
なお、果皮がピンク色の白桃(無袋栽培)もあります。
 
● なつっこ
「川中島白桃」l×「あかつき」として長野県で誕生し、2000年(平成12年)に品種登録されました。
サイズは300g前後と大きく、果肉はやや硬め。
酸味は少なめで糖度の高い甘い桃です。
8月上旬頃から出回ります。
 
● 蟠桃(ばんとう)
中国が原産の桃で、平べったく扁平な形をしているのが特徴です。
サイズは100?200gくらいで、果皮の色は比較的濃いめ。
糖度は高めで特有の甘みがあります。
おもな品種に「大紅蟠桃」や「フェルジャル」などがあります。
 
● ネクタリン
桃の変種で、表面にうぶ毛がなくツルツルしているのが特徴。
果皮は真っ赤で果肉は黄色く、しっかりした食感で甘酸っぱい味がします。
現在国内で栽培される主な品種では「秀峰」、「ファンタジア」、「フレーバートップ」などが有名です。
主産地は長野県で収穫は8月中旬頃から。
 
 
■ 漢方薬としての桃
 
桃は、漢方薬としても利用されることがあります。
おいしく食べて、しかも無駄なく、種や花まで漢方薬として使うことができるモモには、嬉しい効果をたくさん期待できます。
 
●桃の種
桃の種にも、たくさんの栄養が含まれてます。
一度モモの種を割ると中から更にいくつかの種が出てきます。
出てきたこれらの種は「桃仁(とうにん)」と呼ばれるものなんですよ。
脂肪油、アミグダリンなどの成分を含んでいて、漢方薬としてよく知られています。
この桃仁には、消炎・鎮痛や血のめぐりを良くする作用があって、便秘、肩こり、頭痛、そして高血圧や脳梗塞の予防にも効果的だと言われています。
さらにもう一つ、桃仁の注目すべき効果として、婦人病の漢方薬としての役割が挙げられます。
生理不順や生理痛、更年期障害など、女性特有の症状の緩和に役立つことから、人気となっています。
けれど、桃仁はとても効果が強いので、使う際には十分な注意が必要です。
 
●桃の花
桃は、果実が実る前に咲く花にも効果があると考えられています。
漢方では、桃の花は「白桃花(はくとうか)」と呼ばれる生薬として使われています。
日本では半開きの花を白桃花と呼びますが、中国では完全に開花した花をそう呼びます。
白桃花には、ケンフェロールという成分が含まれているため、利尿、緩下の作用があります。
このため利尿剤や下剤に多く用いられていますね。
また、むくみの解消や便秘改善、生理不順にも効果的です。
漢方薬としてよく用いられる白桃花ですが、桃仁と同じようにとても強い効果を持っています。
 
 
■ 部位と利用法
◆ 花
3月下旬から4月上旬頃に薄桃色の花をつける。
「桃の花」は春の季語。
桃が咲き始める時期は七十二候において、中国では桃始華、日本は桃始笑と呼ばれ、それぞれ啓蟄(驚蟄)の初候、次候にあたる。
淡い紅色であるものが多いが、白色から濃紅色まで様々な色のものがある。
五弁または多重弁で、多くの雄しべを持つ。
花柄は非常に短く、枝に直接着生しているように見える。
観賞用の品種(花桃)は源平桃(げんぺいもも)・枝垂れ桃(しだれもも)など。
庭木として、あるいは華道で切り花として用いられる。
 
◆ 葉
葉は花よりやや遅れて茂る。
幅5cm、長さ15cm程度の細長い形で互生し、縁は粗い鋸歯状。
湯に入れた桃葉湯は、あせもなど皮膚の炎症に効くとされる。
ただし、乾燥していない葉は青酸化合物を含むので換気に十分注意しなければならない。
 
◆ 実
7月 - 8月に実る。
「桃の実」は秋の季語。
球形で縦に割れているのが特徴的。
果実は赤みがかった白色の薄い皮に包まれている。
果肉は水分を多く含んで柔らかい。
水分や糖分、カリウムなどを多く含んでいる。
栽培中、病害虫に侵されやすい果物であるため、袋をかけて保護しなければならない手間の掛かる作物である。
また、痛みやすく収穫後すぐに軟らかくなるため、賞味期間も短い。
生食する他、ジュース(ネクター)や、シロップ漬けにした缶詰も良く見られる。
食用の品種(実桃)の分類を以下に示す。
 
◆ 種子・つぼみ
種子の内核は「桃核(とうかく)」あるいは「桃仁(とうにん)」と呼ばれる。
漢方においては血行を改善する薬として婦人病などに用いられる。
また、つぼみは「白桃花(はくとうか)」と呼ばれ、利尿薬、便秘薬に使われる。
 
◆ 樹木
割れにくく丈夫であるため、箸などに利用される。
 
◆ 樹皮
樹皮の煎汁は染料として用いられる。
 
 
■ 桃の栽培と利用史
原産地は中国西北部の黄河上流の高山地帯。
欧州へは1世紀頃にシルクロードを通り、ペルシア経由で伝わった。
英名ピーチ(Peach)は“ペルシア”が語源で、ラテン語のpersicum malum(ペルシアの林檎)から来ている。
種小名persica(ペルシアの)も同様の理由による。
 
日本列島では桃の存在を示す桃核の出土事例が縄文時代後期からあり、弥生時代後期には大陸から栽培種が伝来し桃核が大型化し、各時代を通じて出土事例がある。
桃は食用のほか祭祀用途にも用いられ、斎串など祭祀遺物と伴出することもある。
平安時代〜鎌倉時代には水菓子と呼ばれ珍重されていたが、当時の品種はそれほど甘くなく主に薬用・観賞用として用いられていたとする説もある。
江戸時代にさらに広まり、全国で用いられた。
明治時代には、甘味の強い水蜜桃系(品種名:上海水蜜桃など)が輸入され、食用として広まった。
現在日本で食用に栽培されている品種は、この水蜜桃系を品種改良したものがほとんどである。
 
春先の温度が低い時期に雨が良く降ると縮葉病に掛かりやすく、実桃の栽培には病害虫の防除が必要である。
また果実の収穫前には袋掛けを行わないと蟻やアケビコノハ等の虫や鳥の食害に合うなど(商品価値の高い果実を栽培しようとするならば)手間暇が掛かり難易度が高い果樹である。
 
なお、“もも”の語源には諸説あり、「真実(まみ)」より転じたとする説、実の色から「燃実(もえみ)」より転じたとする説、多くの実をつけることから「百(もも)」とする説などがある。
 
◆ 変わり種の品種
● 源平桃
  1本の木に白花と紅花を咲かせる品種(観賞用花桃)。
環境によっては白と紅の混ざった花も咲く。
● 照手水密
枝垂れ性の花桃だが小さいながら果実も食用とする事が出来る
(一般的な花桃は果肉が固く食べられない)。
 
 
■ 主な生産地
日本国内では福島県、山梨県、長野県、岡山県など盆地で栽培される。
日本最北端の生産地は北海道札幌市であり、出荷数は極僅かだが南区の農園で栽培される。
他は、和歌山県も栽培されている。
外国の主な生産国は、中国、アメリカ、イタリアなど。
 
 
■ 桃に関する風習・伝説・年中行事など
 
桃饅頭
中国において桃は仙木・仙果(神仙に力を与える樹木・果実の意)と呼ばれ、昔から邪気を祓い不老長寿を与える植物として親しまれている。
桃で作られた弓矢を射ることは悪鬼除けの、桃の枝を畑に挿すことは虫除けのまじないとなる。
桃の実は長寿を示す吉祥図案であり、祝い事の際には桃の実をかたどった練り餡入りの饅頭菓子・壽桃(ショウタオ、shòutáo)を食べる習慣がある。
壽桃は日本でも桃饅頭(ももまんじゅう)の名で知られており、中華料理店で食べることができる。
 
日本においても中国と同様、古くから桃には邪気を祓う力があると考えられている。
『古事記』では、伊弉諸尊(いざなぎのみこと)が桃を投げつけることによって鬼女、黄泉醜女(よもつしこめ)を退散させた。
伊弉諸尊はその功を称え、桃に大神実命(おおかむづみのみこと)の名を与えたという。
 
また、『桃太郎』は桃から生まれた男児が長じて鬼を退治する民話である。
 
3月3日の桃の節句は、桃の加護によって女児の健やかな成長を祈る行事である。
 
英語圏においては、傷みやすいが美しく美味しい果物から古い俗語で「若く魅力的な娘」を表し、そこから「ふしだら女」「(複数形で)乳房」などの意味にも転じている。
 
 
 
■ 花桃について
 
 
“花桃”というのは、花を楽しむために品種改良された園芸種です。
ひな祭りのときに、ひな人形と一緒に飾りますよ。
日本には、「花桃の里」と呼ばれているところもあるんです。
 
◆ 花桃とは
桃というと、すぐ果物のモモを思い浮かべますが、モモの木は大きく、食用の実桃と、花を楽しむための園芸種の花桃…この2種類に分けられます。
花桃にも一応、実はなるのですが、とても小さくて食べることはできません。
 
実桃の花はその名の通り桃色(ピンク色)で桜や梅に似ていますが、花桃の花はそれよりも大きくて八重桜に似たものが多く、色は、桃色の他に白・赤などがあります。
また、立性と枝垂れ性に分けられます。
 
品種も様々なものがあって、本当に楽しませてくれます。
 
◆ 花桃の里
国内には“花桃の里”と呼ばれる場所がいくつかあります。
そのうちの一つが、長野県の南部にある清内路村(せいないじむら)…。
人口約700人の小さな村です。
実は、この清内路村は日本での花桃発祥の地ともいえるんです。
 
ドイツから運ばれてきた花桃を清内路村の人たちが徐々に増やしていき、“花桃の里”だけでなく、全国へと広めていきました。
この“花桃の里”での花桃の歴史は大正時代に始まったと言われていて、本格的に植樹され始めたのは、昭和に入ってからのことです。
 
清内路村の花桃は、ピンクと白のまだら模様が特徴として挙げられます。
清内路村の国道沿いには何千本もの花桃の木が植えられ、『花桃街道』とも呼ばれています。
一本の枝で赤、ピンク、白と咲き分けるものもあって、車で通る人の目を引いています。
 
“花桃の里”清内路村では、毎年53日頃から1週間くらいまでのあいだが見頃なので、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
 
 
 
■ 桃の節句
 
女の子のお祭りとして知られている、3月3日の「桃の節句」。
そもそも、なぜ「桃の節句」というのか、ご存じですか?
一般的には「ひな祭り」といって、昔から親しまれている伝統行事と桃の関係をお話します。
 
◆ 『ひな祭り』について
3月3日の「ひな祭り」は日本の伝統的な行事で、女の子の健やかな成長を祝うものですね。
一般的には「ひな人形」を飾って、桃の花や菱餅を供えてお祝いします。
このような「ひな祭り」をお祝いするようになったのは、江戸時代の中期頃からだと言われています。
この頃から一般庶民のあいだで、さまざまな文化が繁栄していきました。
 
そんな中、「ひな祭り」も日本文化の一つとして普及していったのです。
もともと「ひな祭り」の日は、赤ちゃんが初節句を迎える日にあたります。
正式には“上巳(じょうし)の節句”といって、古来中国から伝わった3月の初めの巳(み)の日という意味をもっています。
ところで、“節句”という言葉…よく聞きますが、いったい何を意味しているのでしょうか?
 
 
◆ 五節句とは
“節句”って、よく耳にする言葉だけど何のことなのかよく知らない…という人もいるでしょう。
“節”は、中国の暦法で定められている「季節の変わり目」のことをいいます。
昔は、奇数の数字が重なる月には、良くないことが起きると考えられていたことから、その邪気払いの意味を込めて、宴会をするようになりました。
その良くない日というのは…1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日となります。
 
●1月7日 人日(じんじつ)の節句
●3月3日 上巳(じょうし)の節句
●5月5日 端午(たんご)の節句
●7月7日 七夕(たなばた)の節句
●9月9日 重陽(ちょうよう)の節句
 
ただ、1月1日は元旦ということで特別でした。
なので、1月7日を人日の節句にして、七草粥を食べることでその年の無病息災を祈ったというわけです。
 
◆ なぜ「ひな祭り』を『桃の節句』と言うのか
中国では古くから、“桃の木には体の中の悪いものを取り除く力がある”と考えられていました。
桃に対するその考え方が日本に伝わったことで、「ひな祭り」のときに桃が使われるようになったと言われています。
また、3月上旬は、旧暦では桃の花が咲く時期とも重なります。
桃の花の可憐な美しさが、女の子のイメージにつながったのでしょうか。
「ひな祭り」が「桃の節句」と呼ばれる理由は、ここにあったんですね!
 
◆ 「ひな人形』の由来
昔は「桃の節句」に、草木や紙でヒトの形を作って、それで自分の体をなでて、川などに流すことで厄払いをしていました。
このときに使われたヒトの形をしたものは「人形(ひとがた)」と呼ばれ、これが現在の「ひな人形」の始まりではないかと考えられています。
 
また、平安時代、女の子の遊び道具として親しまれていた紙製の人形は“ひいな”と言われていました。
この“ひいな”と“ひとがた”が混ざり合い、「ひな人形」が誕生したという説もあります。
 
江戸時代に入ると「ひな飾り」は一気に豪華になって、やがて華やかな「ひな祭り」へと発展していきました。
「ひな人形」は「桃の節句」に飾ることから、桃雛(ももびな)とも呼ばれています。
奈良県や兵庫県、鳥取県、岡山県など、いくつかの地域では「ひな人形」を川や海に流す“流し雛”が行われています。
 
 
■ “モモ”の名を持つ植物
地方によっては甘い果実の総称として“もも”の語を用いることもあり、別種でありながら名前に“モモ”と付けられている植物も多い。
 
● スモモ(李/酸桃):バラ科サクラ属
● ヤマモモ(山桃):ヤマモモ科
● コケモモ(苔桃):ツツジ科
● クルミ(胡桃):クルミ科クルミ属
● フトモモ(蒲桃):フトモモ科
● ハナモモ(花桃):バラ科サクラ属
● キウイフルーツ(?猴桃、びこうとう):マタタビ科マタタビ属
● ゴレンシ(楊桃、ようとう):カタバミ科
 
 
◆桃割れ(ももわれ)
日本髪の髪型。丸くまとめた髷(まげ)の部分が二つに分かれていて、割った桃のように見える。
明治期に考案され、大正期までは未婚女性の髪型として盛んに結われていた。
 
◆桃尻
モモの実はすわりが悪い事から、馬に乗るのが下手で鞍に尻が落ち着かないことを指す言葉。
この語源以外に、(専ら女性の)モモのように美しい形をした尻を表現する際に使われている。
 
◆桃源郷
俗世間を離れた、素晴らしいところ。理想郷。ユートピア。
 
◆花言葉
天下無敵・チャーミング・私はあなたのとりこ
 
 
 
 
■ 桃のミニ知識
 
● 3月3日の「桃の節句(ひなまつり)」に桃をひな人形のとなりに添えるが、これは温室内で育てた桃で、屋外の桃の開花はもう少しあとになってから。
また、早咲きと遅咲きがある。
 
● 枝に沿ってびっしりと花をつける。
  幹には桜のような横線が入っている。
 
● いろいろ種類がある。
ふつう、町でみかけるのは、花桃(花を鑑賞する目的の園芸品種)。
 
● 縄文時代から栽培されている。
 
● 実が赤いところから「もえみ(燃実)」が変化して「もも」になったらしい。
  杏の実ともそっくり。
  花のときによく見きわめておかないと間違えちゃいます。
 
● 「桃」の字は中国から伝わった。
桃の字の「兆」は”妊娠の兆し”を意味しており、桃が「女性」や「ひな祭り」と関係があるのはこの理由かららしい。
 
● 桃の花の色から「桃色」という色名が生まれた。
 
● 日本昔話の「桃太郎」も有名。
  桃太郎は桃から生まれた強い男の子。
  この話自体、相当昔からあり、桃の木は万葉の頃から霊力のある木とされてきた。
 
● 「桃 栗 3年、柿8年、梅は酸い酸い13年、
  柚子は大馬鹿18年、林檎ニコニコ25年」。
  実を結ぶ時期のこと。
  何事も、時期が来なくてはできないというたとえ。
 
● 3月3日の誕生花(桃)
 
● 3月27日の誕生花(枝垂桃)
 
● 花言葉は「チャーミング」(桃)
 
● 花言葉は「私はあなたのとりこです」(枝垂桃)
 
● 岡山県の県花(桃)→「桃太郎」伝説
 
● 「春の苑 紅(くれない)匂ふ 桃の花
  下照る道に 出(い)で立つ少女(をとめ)」
             大伴家持(おおとものやかもち)
●  「白桃や 莟(つぼみ)うるめる 枝の反り」
             芥川龍之介
 
 
 
 
■ 『桃源郷』について
Wikipedia より
 
● 桃源郷の由来
桃源郷の初出は六朝時代の東晋末から南朝宋にかけて
活躍した詩人・陶淵明(365年?427年)が著した詩『桃花源記 ならびに詩』である。(詩集では、『桃花源詩 ならびに序』という名前で,採録されることが多い。)
現在では『桃花源紀』(詩)よりは、その序文のほうがよく読まれている。
 
晋の太元年間(376?396年)、武陵(湖南省)に漁師の男がいた。
ある日、山奥へ谷川に沿って船を漕いで遡ったとき、どこまで行ったか分からないくらい上流で、突如、桃の木だけが生え、桃の花が一面に咲き乱れる林が両岸に広がった。
その香ばしさ、美しさ、花びらや花粉の舞い落ちる様に心を魅かれた男は、その源を探ろうとしてさらに桃の花の中を遡り、ついに水源に行き当たった。
そこは山になっており、山腹に人が一人通り抜けられるだけの穴があったが、奥から光が見えたので男は穴の中に入っていった。
 
穴を抜けると、驚いたことに山の反対側は広い平野になっていたのだった。
そこは立ち並ぶ農家も田畑も池も、桑畑もみな立派で美しいところだった。
行き交う人々は外の世界の人と同じような衣服を着て、みな微笑みを絶やさず働いていた。
 
男を見た村人たちは驚き話しかけてきた。
男が自分は武陵から来た漁師だというとみなびっくりして、家に迎え入れてたいそうなご馳走を振舞った。
村人たちは男にあれこれと「外の世界」の事を尋ねた。
そして村人たちが言うには、彼らは秦の時代の戦乱を避け、家族や村ごと逃げた末、この山奥の誰も来ない地を探し当て、以来そこを開拓した一方、決して外に出ず、当時の風俗のまま一切の外界との関わりを絶って暮らしていると言う。
彼らは「今は誰の時代なのですか」と質問してきた。
驚いたことに、ここの人たちは秦が滅んで漢ができたことすら知らなかったのだ。
ましてやその後の三国時代の戦乱や晋のことも知らなかった。
 
数日間にわたって村の家々を回り、ごちそうされながら外の世界のあれこれ知る限りを話し、感嘆された男だったが、いよいよ自分の家に帰ることにして暇を告げた。
村人たちは「ここのことはあまり外の世界では話さないでほしい」と言って男を見送った。
穴から出た男は自分の船を見つけ、目印をつけながら川を下って家に戻り、村人を裏切ってこの話を役人に伝えた。
役人は捜索隊を出し、目印に沿って川を遡らせたが、ついにあの村の入り口である水源も桃の林も見付けることはできなかった。
その後多くの文人・学者らが行こうとしたが、誰もたどり着くことはできなかった。
 
● 思想
この話は後に道教の思想や伝承と結びつき、とりわけ仙人思想と結びついた。
山で迷って仙人に逢うという類の伝説や、仙人になるために食べる霊力のある桃の実や、西王母伝説の不老不死の仙桃などとの関連から、桃の林の奥にある桃源郷は仙人の住まう地とも看做されるようになった。
しかし、北宋の蘇軾は、「もし仙郷であるならば、どうして鶏をつぶして、漁師をもてなしたりするものか?」と言っている。
唐代の李白などは、桃源郷=仙郷とかんがえていたようだが、宋の蘇軾、王安石は,あくまでも搾取や戦乱のない人間の世界だとかんがえていたようだ。
 
● 関連地域
『桃花源記』は創作であるが、現在の湖南省常徳市の数十キロ郊外に位置する桃源県に「桃花源」という農村があり、桃源郷のモデルとして観光地になっている。
1994年、雲南省広南県の洞窟にある峰岩洞村という村が、偶然訪れたテレビ取材班に由って発見される。
それまで広南県政府はこの村の存在に気付いていなかった。
住民は全て漢族で、最も早く住み着いた家族の祖先は300年前に江西省から移住したという。
 
 
 
■ 桃花源記 :陶淵明のユートピア物語
壺 齋 閑 話 より
陶淵明の作品「桃花源記」は中国の古代の詩人が描いたユートピア物語として、千数百年の長きにわたって人口に膾炙してきた。
日本人にとっても親しみ深い作品である。
そこに描かれた「桃源郷」は、理想の安楽世界を意味する東洋流の表現として、いまや世界的な規模で定着しているといえる。
 
ところでユートピアといえば、誰もがまずトーマス・モアを思い浮かべるであろう。
トーマス・モアのユートピアは「ノー・ホェア」つまりどこにもない土地という意味の、ギリシャ語に由来している。
それはこの世には存在しない架空の土地であり、この世のアンチテーゼである。
トーマス・モアはアンチテーゼを語ることによって、この世の矛盾と住みがたさを解き、そのことによってこの世の批判をなそうとした。
 
これに対して、陶淵明のユートピアは「桃源郷」つまり桃の花咲く水源の奥の密かな土地である。
だからこの世とは別の世界ではなく、この世に対して入り口を開いている。
だがそこに住む住民は、この世の束縛から解放された自由な生活を楽しんでいる。
この世に連続しながら、しかもどこかで断絶している両義的な土地なのである。
 
陶淵明は、桃源郷を舞台に人間の究極の自由を描く事によって、モア同様この世の批判を行ったのではないか、そう筆者は解釈している。
モアのように架空の土地を描かなかったのは、陶淵明の中にある儒教的な合理精神がそれを許さなかったからに他ならない。
 
儒教には「怪力乱神を語らず」という言葉がある。
怪とは怪異、力とは超能力、乱とは無秩序、神とは鬼神すなわち亡霊の類である。
これらを語らぬとは、人たるもの秩序を重んじ、空想や情念を排する姿勢をいう。
中国のインテリは2000年以上にもわたって、このような合理的精神を以て自らを律してきた。
陶淵明も基本的にはその例に漏れなかったのである。
こうしたことを踏まえたうえでこの作品を読むと、そこには儒教的合理精神が許すギリギリのフィクションの世界と、この世の秩序に対する強烈な批判が感じ取れる。

―桃花源記
   晉太元中,武陵人捕魚爲業,
   縁溪行,忘路之遠近,忽逢桃花林。
   夾岸數百歩,中無雜樹。
   芳草鮮美,落英繽紛。
   漁人甚異之,復前行,欲窮其林。
   林盡水源,便得一山。
   山有小口。髣髴若有光。
便舎船從口入。
 
晉の太元中, 武陵の人 魚を捕ふるを 業と爲せり,
   溪に縁ひて行き, 路の遠近を忘る, 忽ち 桃花の林に逢ふ。
   岸を夾みて數百歩, 中に雜樹無し。
   芳草鮮美として,落英 繽紛たり。
   漁人甚だ之れを異とす, 復た前に行き, 其の林を窮めんと欲す。
   林 水源に盡き, 便ち一山を得。
   山に小口有り。 髣髴として光有るが若し。
   便ち船を舎てて口從り入る。
 
晉の太元中というから陶淵明の生きていた時代、武陵すなわち陶淵明の住む場所から遠からぬところに、ある漁師が住んでいた。
物語はこのように、淡々として始まる。
そこには人を驚かすような奇妙な仕掛けはまったくない。
漁師は渓谷に沿って船を漕ぐうちに方向を見失い、やがて桃の木の林が現れるのを見た。
林は両岸数百歩に渡って続き、雑樹がない。
葉の色は鮮やかで、落下芬芬と乱れ飛んでいる。
漁師は不思議な感に打たれ、船をこぎ続けて林を見極めようとした。
すると水源のあたりで林は尽き、山がそびえているところに行き着いた。
山には小さな入り口があって、奥から光がもれ出ている。
漁師は船を捨てて、入り口から中のほうへと入っていった。
 
   初極狹,纔通人。
   復行數十歩,豁然開焉B
   土地平曠,屋舍儼然,有良田美池桑竹之屬。
   阡陌交通,鷄犬相聞。
   其中往來種作,男女衣著,悉如外人。
   黄髮垂髫,並怡然自樂。
 
   初め極めて狹く, 纔かに人を通すのみ。
   復た行くこと數十歩, 豁然として開焉B
   土地平曠として, 屋舍儼然たり, 良田美池桑竹の屬有り。
   阡陌交も通じ, 鷄犬相ひ聞ゆ。
   其の中に往來して種作するもの, 男女の衣著, 悉く外人の如し,
   黄髮 髫を垂るも, 並に怡然として自ら樂しむ。
 
入り口は初めは極めて狭く、わずかに人が通れるほどだったが、数十歩いくと、からりと開けた。
眼前に広がった土地は広々としており、こざっぱりした家が並びたっている。
良田、美池、桑竹の類があちこちにあり、あぜ道が縦横に通じている。
そしてその中を、鶏や犬の鳴き声がのんびりと聞こえてくる。
この段は、漁師が始めて目にした桃源郷のイメージを描いている。
何も不思議なことは描かれていない。
桃源郷らしい長閑さは「鷄犬相ひ聞ゆ」という部分によく現れているが、これは老子の言葉「隣国相望み、鷄犬の声相ひ聞ゆ、民、老死に至るまで、相往来せず」よりとっている。
老子は理想郷のあり方を小国寡民に求め、その具体的な姿をこのような言葉で表したのであった。
陶淵明の理想郷も、老子のイメージを引き継いでいることを物語っている。
このなかを行き交い、或は耕作する人々といえば、男女の衣服は(外の)普通の世界の人々に異ならない、また黄ばんだ髪の老人と髫を垂れた子どもたちはみな怡然として屈託なさそうである。
 
見漁人,乃大驚,問所從來。
   具答之,便要還家。
設酒殺鷄作食。
   村中聞有此人,咸來問訊。
   自云:先世避秦時亂,
率妻子邑人來此絶境,不復出焉。
   遂與外人間隔。問今是何世,
乃不知有漢,無論魏晉。
   此人一一爲具言所聞,皆歎。
   餘人各復延至其家,皆出酒食。
   停數日,辭去。
此中人語云:不足爲外人道也。
 
漁人を見て, 乃ち大いに驚き, 從って來たる所を問ふ。
具に之に答ふれば, 便ち要(むか)へて家に還へる。
   酒を設け 鷄を殺して 食を作る。
   村中此の人有るを聞き, 咸な來りて問ひ訊ぬ。
   自ら云ふ:先の世 秦時に亂を避れ,
   妻子邑人を率ゐて此の絶境に來たりて, 復たとは焉を出ず。
   遂ひに外人と間隔つ。 今は是れ何れの世なるかを問ふ,
   乃ち漢有るを知らず, 無論魏晉をや。
   此の人一一 爲に具に聞かるる所を言へば, 皆歎す。
   餘人各の復た延ゐて其の家に至り, 皆出でて酒食す。
   停ること數日にして, 辭去す。
   此の中の人語りて云く:外人の爲に道ふに足らざる也と。
 
住人の一人は漁師を見ると大いに驚き、どこから来たのかと聞いた。
漁師がそれに応えると、一緒に家に連れて帰り、酒を設け、鶏をつぶしてもてなした。
村中の人々が漁師のことを聞きつけて集まってきた。
そしてさまざまなことを問いただした後、自分らのことについても話し出した。
自分らは秦の時代に乱を逃れ、一族郎党を率いてこの地にやってきた。
それ以来ここから外へ出たことがなく、外の世界とは断絶して暮らしてきた。
今がどんな時代か知らぬという。
かつて漢の時代があったことも知らなければ、魏や晉のこともさらさら知ることがない。漁師が聞かせてやると、みな一様に驚く次第であった。
他の住人たちもおのおの漁師を自分の家に招いてご馳走してくれた。
かくてとどまること数日にして辞去した。
住人たちは、漁師に向かって、この土地のことは外の世界の人々に語らないほうがよいと忠告し、漁師を送り出した。
 
以上が桃源郷での漁師の見聞の一切である。
ここでも不思議なことや、意外なことは何も描かれていない。
普通の世界と断絶して、自若として暮らす人々の様子が伺われるのみである。
だが、その自若とした住人の姿こそが、古代の中国人にとっては望ましい理想世界のあり方だったのではないか。
住人たちは権力によって税を取られたり、労役を課せられたりする恐れなく、自分らの意に従って悠然と暮らしている。
この悠然自若がこの世のあり方に対する強烈なアンチテーゼになっているのである。
 
   既出,得其船,便扶向路,處處誌之。
   及郡下,詣太守,説如此。
   太守即遣人隨其往,
尋向所誌, 遂迷不復得路。
   南陽劉子驥,高尚士也。
聞之欣然規往。
   未果,尋病終。後遂無問津者。
 
   既に出で, 其の船を得, 便ち 向の路に扶りて, 處處に之を誌す。
   郡下に及び, 太守に詣り, 此の如く説く。
   太守即ち人を遣りて其の往けるところに隨ひて,
   向に誌せる所を尋ねんとすも, 遂に迷ひて復たとは路を得ず。
   南陽の劉子驥, 高尚の士也。
   之を聞き欣然として往くを規つ。
   未だ果たせずして, 尋で病に終る。 後遂に津を問ふ者無し。
 
漁師は外の世界に舞い戻り、船にたどり着くと、先に来た道に沿ってところどころ徴をつけた。
再び来ることを期待してそうしたのである。
郡下に至ると太守に申し出、自分の体験したことを語った。
太守は人を遣わして、漁師の足取りを探したが、先に徴をつけたところは見つからず、ついにその道を探し出すことはできなかった。
南陽の劉子驥という人は高尚の人物であったが、この話を聞いて喜び、自分こそがそれを探し出そうとした。
しかし願いを成就できないまま病に倒れた。
それ以来、この道を探そうとするものは現れていない。
 
以上は、物語の後日談である。
外の世界に侵入されることを嫌った住人たちに口封じをされたにかかわらず、漁師は太守に話してこの土地を外の世界に紹介しようとした。
それに対して、桃源郷は道を閉ざして、来らんとするものを拒んだのである。
 
 


石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001