山ちゃんの食べもの考

 

 

その133
 

 「食性」について、島田彰夫先生は以下のように解説しています。
 食性とは、ある動物が何を食べるようにできているかを表す言葉である。ライオンやヒョウが肉を食べ、ウサギや牛は草を食べる。肉食性と草食性である。自然な状態ではライオンが草を食べ、ウサギが肉を食べることではない。
 食性は、その動物の口器や歯、爪などの形態と、腕力や脚力、味覚、視覚、触覚、聴覚などの感覚器、消化酵素の種類や活性の程度などを含む機能とによって違ってくる。
 ゴリラ、サル類の犬歯は肉を切り裂くためのものではなく、武器として身を守るためであり、ウサギの爪は走るときのスパイクや、穴を掘るときのレーキとしての役割である。
 ヒトの食性は生物学的には植物食に適合しているが、現実の食生活は、肉類を含む動物性食品も摂取しているために雑食性と言われている。これは食性と食生活とを混同しているために生まれたものである。
 道具も武器も持たない裸のヒトが、自分の全身を使って手に入れることができるものだけが、食の対象となることを改めて認識しなければならない。


 あらゆる動物の食性があります。愛嬌があって人気のパンダは笹の葉しか食べません。コアラはユーカリの葉でいきています。牛や馬は草だけを食べて大きな体をつくっています。あらゆる動物にはそれぞれに最も適した決まった食べものがあり、それによって健康な生命活動を維持するという性質があります。そして、その性質に合わないものを食べるということはありません。
 しかし、人間が自分の欲望を満たす目的のために、家畜に肉骨粉などを与えて、自然の法則に逆らった飼育をするなどということはありますが、これはまったくの例外です。
 人間にも当然ヒトとしての食性があります。現代の混乱した食のあり方をどのように改めるか。ヒトとしての食性を正しく理解し、その食性に合った食生活を取り戻さなければならないのです。
 人間には3種類、上下合わせて32本の歯がありますが、それぞれの歯がどんな役割・働きをもった歯であるか、また、その割合はどうかを見てみると、人間本来の食性というものを簡単に理解することができます。
 先ず、前歯ともよばれる門歯が上下4本ずつ計8本(25%)で、野菜類や果物などを噛み切る働きをします。次に犬歯が上下2本ずつ計4本(12.5%)あり、肉類を食いちぎる働きをします。そして最も多いのが臼歯で20本(62.5%)あり、穀物類を臼のように砕く働きをします


 臼歯:門歯:犬歯=62.5:25.0:12.5。この歯の構成と働きがヒトとしての食性を明確に現しています。穀物を6割強、野菜類を4分の1、肉類はわずか1割強です。人間の食性は穀菜類であります。そしてごく僅かな動物食を摂るものであるということがわかります。しかし、この犬歯にしても、猿類にから見て判断するところ、肉類を食べるものではなく、敵を威嚇し闘うためのものであったともいわれています。
 私たち日本人は何千年もの長い間、人間本来の食性に適合した米と野菜で生きてきた農耕民族なのです。
 しかし、日本人が半世紀たらずで急変させてしまった今日の食生活は、私たちの食性に適っていると言えるでしょうか。ガンやアレルギーその他諸々の現代病など、日本人の身体に何らかの異変があっておかしくはありません。
 長い歴史の中で止むを得ない自然状況・環境状況に制約されて狩猟民族となり、動物食化を進めてきて、腸の長さや酵素の働きが変わってしまった欧米の人たちも、基本的には穀菜食が本来の食性であるわけです。その欧米の人たちの中では、肉を中心とする動物性食品過剰摂取の食生活に積極的な見直しが行われ、従来の日本的な食生活こそが理想であるとして切り替えが奨められています。
 

 「ご飯は残してもいいからおかずを食べなさい」という。ご飯は主食を指し、おかずは副食を指します。いろいろたくさんの種類のものを食べないと駄目。1日32品目以上を食べてバランスよく栄養摂らないといけないなどといい、主食をなくしても副食を食べなさいといいます。ご飯でお腹がふくれては、いろんなものをたくさん食べることができないからでしょう。
 これも人間本来の食性から見たとき、木を見て森を見ず的な分析的栄養学にとらわれた誤った考え方だといえます。日本人は米を主食とし、一汁一菜(あるいは二菜)といわれるように、長い間、食性に合った簡素な食生活を送ってきたのです。
 歯の構成から見ても分かるように、第一に重要なのは穀物こそが主なる食べものであり、その穀物を主食としてしっかり食べることこそが大切なわけであります。動物にとって主食とは、それだけでじゅうぶんにその動物が生きてゆけるための栄養が摂れるものであり、おかずはあくまでも「副食」のであり、主食を補うものでしかないのです。動物は何を主として食べて生きているのか。つまりその主食をしっかり食べて健康な命をつなぐ生き方が食性であります。
 人間の食性に最も適った穀物、コメ(玄米)・ムギ・アワ・ヒエ・キビ・マメ類などの穀物には、人間のからだに最も適合する炭水化物、蛋白質、脂肪、ビタミン、ミネラル、アミノ酸など、必要な栄養素がすべて含まれおり、世界的に見ても、米、大麦、サツマイモ、タロイモ、トウモロコシ等の穀類を主食としてしっかり食べている民族には、健康で長寿者が多いといいます。
 あまり精白しすぎない穀類を主食とし、地域に取れる折々の野菜や海藻を食べ、僅かの魚介類を食べる日本の伝統的な食を大切に守っていかなければなりません。


 人間の食性について島田彰夫氏の話を続けます。
 人間と家畜やペット以外のすべての動物は、自分の全身の力を使って食べものを手に入れています。動物にとって、自らの手で入手できないものは食べものではありません。
 人間の場合、自分の身から文明や文化をすべて取り除いて、他の動物と同じレベル、すなわち、一切の道具も武器もなく、火も使わないスズメやネズミ、クマなどと対等の身体になった動物としてのヒトの段階で考えたとき、この状態で入手できるものだけが、本来の食べものであったはずであります。
 ヒトは猫やのように鋭い爪も持っていません。猛獣のような発達した牙も持っていません。走ってもペットの犬にも追いつけない足です。こんな頼りない動物であるヒトが手に入れることができた食べものはどんなものであったのでしょう。
 人間がヒトであった頃、入手できる食べものは決して豚や牛の肉ではなく、牛乳でもありません。ヒトには器用な指と感覚の鋭い指先で手に入れられるものであったはずです。嗅覚や聴覚はそれほどよくありませんが、よく見えて、しかも立体視できる視力がありました。陸上に棲む動物であるこうした条件のヒトが、自ら努力し探して手に入れることのできる食べものは何であったでしょうか。


 鋭い爪も牙も持っていなければ走る力も弱いが、ヒトは視力と器用なて指を持っている。こうした条件の動物としてのヒトが確実に手に入れることが出来たのは、逃げていく心配のない植物でした。もちろん植物なら何でもよいというわけではありませんが、ヒトには非常に珍しいことに、唾液の中に澱粉を分解するアミラーゼという消化酵素を分泌していることです。
 珍しいといったのは、哺乳動物の中で唾液の中にアミラーゼ活性の高いのは、ヒト、ブタ、ネズミなどで、植物性動物であってもウシにはごく少し、馬はまったく分泌していないからです。もちろん肉食動物は澱粉を食べることがないので、アミラーゼを必要としませんし、分泌もしていません。
 こうしてみるとヒトやブタにとって、澱粉がどれほど大切かわかります。澱粉を多量に含んでいるのは穀類と芋類です。人々は自らの体質的条件と環境的条件のなかで適応するヒトの食性が形成されてきたのです。


 先にも述べたように、私たちの先祖が大事にしてきた米、粟、麦、ソバなどの穀物は、澱粉の供給源として非常に優れたものであります。これによって人々は十分な炭水化物と若干の蛋白質が確保できたのです。あとは蛋白質と脂肪の供給源があれば三大栄養素は大丈夫です。大豆はこの両方を満足させる食品でした。日本人が穀類(米とは限らない)と大豆を核とした食生活を営んできたことは理に適ったことでありました。他にいくらかの野菜があればビタミンもミネラルも必要な量は確保できたのです。
 他の民族を見ても、熱帯から温帯の、気温が高くて、ある程度の降水量が確保できるところでは、何らかの穀類と豆類、あるいは芋類と豆類の組み合わせが食生活の核になっていることが多いのです。
 ヒトは逃げてゆくことがない植物を何種類か組み合わせることによって、食性に従った食べ方ができていました。ヒトはスズメやネズミや他の動物と同じように、何を食べればよいか心得ていたから、量的に悩むことがあったとしても、食生活の営みに迷いがなかったということができます。
 頑丈な臼歯は、穀類や豆類を咀嚼することができました。噛むことは、口の中に留まる時間が長いことによって、アミラーゼと接触している時間も長く、消化を助けることができました。
 文明や文化がなく、ヒトがその起源の地を離れなかった頃、裸のヒトは何を食べればよいのかを知っていて、自信を持って食べていたに違いありません。こうした時代があったからこそ、現代の私たちがあるのです。


 ヒトの起源には、アフリカ説、オーストラリア説、アジア説などがありますが、いずれにしろ熱帯が起源だということは常識となっています。
 南限、北限という言葉があるように、一般に生物の世界を貫く法則として、植物にも動物にも生活圏としてある一定の範囲があります。そして特別な事情がない限り、生涯を通じてそこから離れることはありません。
 人間もヒトであった時代には、その生活圏に留まっていたでしょうが、やがて道具を発明し火を使うようになると、それを武器として生活圏を拡大させていったのです。――もう動物のヒトとしてだけの存在ではなくなりました――。その結果として、人間は異なる(新たな)自然環境のもとで暮らさねばならなかった。動物も植物も、普通はある狭い生活圏の中で、その地域の自然環境に適応して生存しています。人間だけが生活圏を拡大させていったとしても、自然環境を道連れにすることはできないから、新たな土地が、ヒトの起源の地から離れれば離れるほど、環境が変わってきます。生えている植物、棲んでいる動物の種類や量が違ってきます。これは食べ物が違ってくること、食生活に変化をもたらすことを意味しています。


 明治の文明開化以降、日本がモデルと考えてきた欧米の食生活は、温暖な日本の気候風土、自然環境とはまったく違った夏でも寒い地域の異質のものなのです。日本よりもはるかに北に位置する北欧地域のものです。それは、もともとヒトが住んでいなかったところへ人々が生活圏を拡大して行った地域の厳しい寒冷な自然環境の制約を受けて生き残った人々が成立した異質な食体系であることを理解しなければなりません。
 世界地図を広げて見ると、日本の北端に位置する稚内はイタリアのヴェネツィアとほぼ同緯度です。フランスの南部が日本の北端にかかる程度です。東京と同じ緯度は、もはやヨーロッパにはなく、アフリカ大陸のサハラ砂漠にかかりそうなところにあるのです。明治以降、特に日本に大きな影響を与えたドイツは東京よりも緯度で15度も北にあります。
 もともと熱帯に生まれたヒトなのでありますから、ヒトの食性に近い、最も無理のない食生活のモデルを求めるとすれば、日本より南にあったはずなのです。反対の北側をモデルにしたときから日本人の食生活の悲劇が始まったということでしょう。


 熱帯を起源とするヒトにとって最も重要な食べものである澱粉を多量に含む穀類や芋類は、熱帯地方を起源とするものが多いのです。だから、熱帯から離れれば離れてゆくほどそれらの種類も量も少なくなっていきます。現在では北海道にまで普及したイネも熱帯を起源としています。穀類ばかりでなく、ヒトとして食していた他の食用植物も熱帯から離れれば離れてゆくほど少なくなっていきます。
 生活圏を拡大しても、自然環境をも持っていくことはできません。熱帯から離れていった人々は、移動した地域の自然環境の制約の中で得られるものを代用の食物として「食生活」を営まざるを得なくなりました。北欧に移動した人々にとっての代用食、それがヒトの動物食をするようになったきっかけであると考えられます。
 もちろん熱帯地方の人々や日本人も韓国人も、冠婚葬祭や何かの儀礼がある何か特別なハレの時には、肉類を食べる機会をもっていました。しかし現在の食生活では毎日がお祭りです。

 日本人は恵まれた自然環境のもとで、穀類と豆類を中心とした食生活を営んでいた。ところが前にも触れたように、明治維新のときに、指導者として選ばれたのがヨーロッパ人やアメリカ人でありました。特に医学や栄養学の指導者はドイツ人でした。寒冷で自然環境に恵まれないドイツで育った人々にとって、牛乳や肉類のない食生活は考えることはできなかったでありましょう。
 こうした思想、ドイツ人の生活感覚は、明治維新から120年以上たった現在でも、残念なことに亡霊のようにつきまとっているのです。あれほど「栄養豊富」であった肉類は、癌や心疾患との関連が指摘されるようになって、いくらかは見直されてきましたが、世界のほとんどの人々にとって、食品としての意味が疑わしい牛乳は、いまだに「完全食品」などといわれ、毎日飲むことが推奨されているのです。しかし、進化の面から見ても、わたしたち日本人にとって大切なことは、滋養豊富な肉類も、なぜか完全食品とされている牛乳もいらない、もっと完全な植物食であるはずであります。




 

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生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
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池田 優

 

 

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