山ちゃんの食べもの考

 

 

その16
 

 

 美食・飽食・偏食、そして化学肥料や農薬、化学物質に汚染された農産物や加工食品等で、幼児から高齢者に至るまで日本人の健康が蝕まれている。数年前、日本総合医学会の会場で甲田先生の講演を聴き強い感銘を受けました。 私たちは欲望の赴くままに食べ過ぎをし、それが原因で健康を阻害して現代病と呼ばれる多くの疾病に苦しんでいますが、食と健康についての正しい知識を持ち、その考え方を正し、食べ物を正し、食べ方を正さねばならないと思います。少し長くなりますが、前回に続いて先生の著書『少食が健康の原点』から一部をご紹介し、ご参考に供したいと思います。

健康法とは、いのちを大切のすること

 ものが豊かになり、現代医学が長足の進歩を遂げ、医者の多くいる社会になったにもかかわらず、病人はますます増えております。1億総半病人といわれることについて、甲田先生は「自然から逸脱した現代社会」の仕組みに要因があり、「いのちを粗末にした報いである」と述べています。そして人間にとって幸せとは、なんといっても“健康である”ということであり、「健康法とは、いのちを大事にすることと同意語」である。

 では「いのち」を大事にするとはどういうことなのか、次のように述べています。

(1)自分の命を大事にすること――誰しも自分の命が一番可愛い。

(2) 他人の命を大事にすること――自分の命だけを大事にしても、それだけでは健康になれない。公害問題や命よりも金を優先する企業、農薬や化学物質で汚染された有害な多くの食品など「自分の命さえよかったらそれでよい、他人の命などどうなっても構わぬ」という自己中心的な行為によって、今度は自分の命までも危ないというのが現代社会の実体である。自分が健康になろうと思えば、自分の命だけでなく、他人のいのちをも大事にしなければならないのです。

(3) 動植物の命を大事にすること――さらに一歩すすめて、動植物の命も大 切にしなければ本当の健康は得られない。1個の卵や一匹のイワシも単なる「もの」ではなく、やはりこの世に生存する命であり、一粒の米、一枚の菜っ葉といえども、天から与えられた大切な命として、感謝合掌していただき、決してこれを無駄にしないという考え方で食事をすることが、健康法の最も大切な基本となってくるのです。

 少食が守られず、過食を続けている限り、他にどのような健康法を実行し、一時的に健康になるように見えても、結局は病に倒れ、長寿を全うすることができません。

(4) 微生物の命を大事にすること――釈尊は「この地球上に生存するすべ ての生物は平等に生きる資格が与えられているのであって、すべての生物がお互いに共存共栄(共存共与)をはかることにより、天命を全うすることができる」と教えています。この思想は即ち細菌、微生物の命といえども無駄に殺してはならないということになります。

 ところが現在、日本農業にしても、医学にしても、微生物、細菌の命をいかに無慈悲に殺しまくっていることでしょうか。“邪魔者は殺せ”式に病害虫を皆殺しにせんものと、畑いっぱいに農薬をばら撒き「死んだ土」にしてしまった。 メダカもタニシも死に絶えて、荒廃しきった土の上に、健全なる身体を養う作物が育つとはだれが考えられますか!

 できるだけ楽をして、おいしいものを腹いっぱい食べ、いろいろな欲望をなんでも満足させようとして地球の貴重な資源を乱費して来た。人類はいかに他の「生き物」の「いのち」を粗末にしてきたことか。肉類の過食から心筋梗塞やガン、糖尿病、通風等の成人病が増えています。贅沢をして「命」を粗末にしてきた報いであり、1億総半病人といわれる日本人にとって、健康への道は、この飽食・美食を反省し、“懺悔の食生活”に入ることだと強調しています。

 

少食に病なし――その医学的評価

 甲田先生は、現代医学でも難治とされているような疾患、たとえば膠原病(多発性硬化症、多発性筋炎、強皮症、全身性エリテマトーデスなど)、重症筋無力症、慢性腎炎、慢性甲状腺炎、気管支喘息、それにアトピー性皮膚炎などを克服して健康になる患者さんは、そのほとんどが厳しい少食の道を一歩一歩真面目に歩み続けてこられた方々であると述べ、そしていろいろな研究や実験研究から総合して、次のような少食の効果をあげています。

@ 少食で長寿が得られる
A 少食で放射能にも強くなる
B 少食はガンの予防になる
C 少食で自己免疫疾患も延命できる
D 腹八分でも延命効果は確実
E 少食にすれば血圧も下がる
F 低蛋白・低カロリーでも病気が治り、感染に対する抵抗力は強くなる
G 少食が骨粗鬆症の予防になる

 

少食になるほど質が大事

 甲田先生は、1日1食を抜いて2食にする、また2食を抜いて1食にすることについても述べられていますが、素人考えで断食や少食を試みることは大変に危険だとして、少食を実行する上での注意点を次のように述べています。

@ 少食になるほど質が大事――少食であれば、菓子パン1個とかラーメン1杯でも良いということではない。これは非常に危険である。少食になるほど質の良い食品を選ぶ必要があり、栄養を完全に備えた全体食を選ぶこと。たとえば、白米よりは玄米、白パンよりは黒パン、白砂糖よりは黒砂糖かハチミツ、マグロのサシミよりはイワシの丸干しとかメザシなどの小魚類、野菜類も大根やにんじんなどは葉も根も共に料理に用いるなど。

A 無理な少食は失敗のもと――「腹八分に医者いらず、腹六分に疲れを知らず、腹四分に老いを知らず」という言葉があるそうです。腹六分に挑戦しようとして少食をすすめていって2ヶ月、3ヶ月経ってくると確かに体調はよくなってくる。しかしそこで、好きなものを腹いっぱい食べてみたいという強烈な食欲が起こってくる。一度戒めを破るとずるずる後退するばかりで、「少食」どころかあきれるほどの過食・飽食となってしまう。それを何度か繰り返しているうちに自信喪失、自己嫌悪に陥ってしまう人は少なくない。

B 神経性食思不振症――最初はスマートになりたいという安易な気持ちで、厳しいダイエットに挑戦した人たちの敗北した姿。反動で爆発する猛烈な食欲に耐えられず、好きなものを腹いっぱい食べてしまう。食べては吐き食べては吐きし、胃腸の処理能力が衰え、肝臓機能も低下する。次第に衰弱の度がひどくなり、ついに骨皮筋子のような哀れな姿になってしまう。

C 自分の力量を超えた断食や厳しい少食を我流でするな。

D 「想い」は少食を成功させる原動力。

E 少食とお祈り――食事をいただくということは、動物・植物の「いのち」を天(神)から戴くことです。動物・植物でも、できればこの世でより長く生きたいという本能を全うしたいところですが、その命をいま私たちに捧げてくれるのです。本来は私たちと同じ命を、私たちのために捧げてくれたこの動物・植物に対して、深い感謝の念を表わすのが食事に際して行うお祈りです。

 これからいただくこの命はまた6時間後には私たちの命に変わっているのです。してみると、犠牲になってくれた動物・植物が成仏できるように、私たちの命をよりよく生かせるような生き方を私たちはしなくてはなりますまい、それゆえ、ここでまた私たちは「自分の天命が全うされますように」という神へのお祈りが必要になってくると思うのですがいかがでしょうか。

F少食への道はゆっくりと――厳しい少食を無理に実行することは失敗のもとで、5年、10年と長い時間をかけて精進していくもの。

 

少食の効用――少食の四愛

 少食の効用の中で、先生はまず少食は愛と慈悲の行為であり、「少食の四愛」ということを説いています。

@腸内細菌叢への愛――少食は腸内細菌叢に健全な生存の場を与える役割を果たしています。人間の腸内には約100種類、100兆個もの腸内細菌が常在しており、それらがバランスを保って生存し、人間と共存共栄の関係にある。健全な腸内細菌叢はビタミンやミネラル等を産生して人間に提供してくれている。

 過食・飽食を続けると、腸内で食物が腐敗し、病原菌や有害菌が繁殖する。過食は腸内細菌叢の環境を汚染していろいろな病気の芽生えとなる。したがって少食は有益な腸内細菌叢を生かす愛の行為である。

A60兆の人体細胞への愛――過剰な栄養摂取は血液を汚濁させ、全身の細胞に負担をかける。少食は血液を清浄にして体細胞が生き生きと機能を発揮できるようにする愛の行為である。

B一食献上の供養――少食によって節約された食料で、世界各地で飢餓に瀕している人々を救ってあげることができる。

C少食で財政面を豊かにし、福祉に回す。――たとえば1億人の国民が朝食を抜くと1年間で12兆8千億円もの金額が節約できる。

 

少食の効用――空腹時に老廃物の排泄が活発になる

 生体は飢えると排泄機能が高まり、農薬や食品添加物をはじめいろいろな老廃物が排泄され、血液が清浄になる。過食によって起こる老廃物の一種である宿便(胃腸の処理能力を超えて負担をかけ続けた場合に、腸管内に渋滞する食物残渣や細菌類などを含めた腸管内容物)は万病の元である。単に胃腸病や肝臓病のような消化器系の病気ばかりでなく、たとえば気管支喘息、パーキンソン氏病、関節リュウマチ、悪性脱毛症などの症例もあり、それらが断食・少食によって宿便を排泄することによって治癒している。

 

少食の効用――美容に

 断食・少食による効用として、自己融解による腸癒着症などの治癒例、高血圧症や動脈硬化症への治癒効果、アレルギー性疾患、アトピー性皮膚炎への関連についても詳しく述べています。さらに少食の効用について、

○ 少食で疲れない身体になる
○ 少食で頭脳も明晰になる
○ 少食は美容法である

など、過食飽食を改め、少食による健康への道を説き、実際に少食を実行する方法についても詳しく説明しています。

 

食事のお祈りのことば

 先生はこのご著書の中で、禅宗では食事に際に唱えられているお祈りのことば「五観の偈」を紹介しておりますので、転載させていただきます。

――― 五観の偈 ―――

 「長年の臨床経験から、次第に明らかになってきたのは、患者さんたちの病気を治し健康を増進させるキメ手となるのものはその「心」と「食」にあるということでした。筆者自身の体験からもこれを痛感させられてきたものですが、臨床体験が増えるほどますますその実感を深めることになったのであります。

1、1つには功の多少を計り、彼の来処を量る
  (これからいただく食事が、このお膳に乗せられるまでに、どれだけ大勢の人たちの手を経て来たかということを考え、その人たちの労苦に対し、心から感謝する。さらにこれらの食物を育んでくれた日光・空気・土・水などの自然の恩恵にも感謝する)

2、2つには己が徳行の全欠を忖って供に応ず   (この食物をいただく自分は、どれだけの人のお役に立つことをしてきたか、果たして本当にこの食物をお受けする資格があるだろうかと、よく反省をする)

3、3つには心を防ぎ過を離るるは貪欲を宗とす   (私たちは食事に際し、ついより好みし、おいしいものはもっと欲しいと貪り心をおこし、味ないものには愚痴をいったり、腹を立てたりする。この貪瞋痴の三毒でついに地獄、餓鬼、畜生の三悪道に落ちてしまうのであることをよく反省する)

4、4つには正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり   (これからいただく食事は、飢えや渇きをいやし、肉体が枯死しないための良薬として考えればよい。そうすれば貪りの心や愚痴、瞋りの心も起こるはずがない)

5、5つには成道の為の故に、今此の食を受く   (私たちが食事をいただく最終の目的は成道せんが為である。即ち、誠の道を成し遂げる為に食事をいただくのであって、決して食わんが為ではないのである)

 

普段の食べ物だからこそよい食べ物を

 「歳とったせいか、最近あんまり食べれんようになった」。先日、大変お世話になったあるお方がひょっこりお訪ね下さり、そのようにおっしゃいました。

「美味しい美味しい」といって、それもかなり早食いで、よくもまあそんなにも食べられるものだと感心したものでしたが、体格もよく活発に活動されていましたからどこが具合が悪いということを聞いたこともありません。最近では美食に対する欲望も抑えられ、体重も理想的なところまで落とし、食べ物の質についても随分と吟味されておられるようでまことに結構なことだと思いました。「食べられなくなって来たんじゃなくて丁度よくなってきつつあるんじゃないですか」と申し上げ、今日の食問題について語り合いました。

 一旦病気になってからの断食療法や、少食療法は大変厳しいものがあるようです。食はやはり美味しく、楽しく、感謝していただき、いただいた命を私たちの命として元気に生かしきっていくようでなければならないと思います。

 長寿社会を健康で幸せに暮らしていくには、美食や過食に溺れることなく、普段の食べ物だからこそ質の良いものをしっかりと選んで、正しい食べ方を心がけていくことが大切なのでしょう。

 


 

ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。

 

 


生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
L ife A griculture F oods

FAX :076-223-2005
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池田 優

 

 

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