山ちゃんの食べもの考

 

 

その58
 

  小売価格に占める生産者の受け取り価格の割合が、最大で59%、最少で14%であることが農水省の食品流通段階別調査で明らかになったのは、この春3月のことである。ダイコンやミカンなど主要8品目で見ると、東京に比べ大阪が生産者受け取り価格の割合が高いこともわかった。
 調査は野菜14品目、果実3品目を対象に調べられた。小売価格に占める生産者の受け取り価格の割合を主要8品目で見たところ、生産者の受け取り価格が5割を超したのはネギで51%〜59%、トマトが56%、キュウリが54%、リンゴが54%の4品目であった。
 また同受け取り価格が5割を大きく下回ったものは、ダイコンの24%、ハクサイで14%、キャベツ22%〜28%と発表されている。
 これをキャベツの場合を東京の例で見ると、キャベツ1kg(中玉1個)当り小売価格が約105円、仲卸価格(小売りの仕入価格)が約56円、卸価格(仲卸が荷受からの買付価格)が約50円、そして生産者の手に入る価格が約21円となっている。それぞれの段階で占める価格の構成割合を見ると小売が47%、仲卸が10%、卸が21%、生産者が21%となる。
 ミカンの場合を同じく東京に例で見て見ると、ミカン10kg1箱が、小売価格が3545円、仲卸価格(小売りの仕入価格)約2328円、卸価格(仲卸が荷受からの買付価格)が1978円、そして生産者の手に入る価格が1270円となっている。それぞれの段階で占める価格の構成割合を見ると小売が34%、仲卸が10%、卸が20%、生産者が36%となる。
同じくミカンを大阪の例で見ると小売価格2694円、仲卸か各1870円、卸売価格1574円、生産者価格1099円となっており、価格構成の割合はそれぞれ31%、11%、18%、40%となっている。


 消費者の手に渡るまでにそれぞれの段階で多くの手間暇コストがかかりロスもある。だからどこの取り分が多いとか少ないということは一概にいえない。
 ただ、この調査報告から見ると、消費者の購買価格が100円に対して生産者の手取りが5割を超えるものは極めて少なく、低いものは2割台、多くは3割から4割台。見方を変えると、生産者価格100円のものが消費者の購入価格で300円から400円近くになるものが多いということである。
 このことは供給過剰などで商品相場が暴落するとその格差は拡大する。それは物流費をはじめ必要不可欠の諸経費は変ることなく一定だからである。そして価格低落による多くのシワ寄せは生産者に負荷されることになる。農家手取り1本30円の大根が倍の60円で小売販売されたとしても、その過程にある流通業者にとっては、誰も諸経費を補って且つ利益を得ることはできないでしょう。したがって農家が安値で泣いていても、安値であればあるほど消費者にわたる時は生産者の手にする価格の3倍にも4倍にもなるわけである。
 悲惨なのは生産者である。種苗代をはじめ肥料や農薬代、農作業器具機械代、燃料費、車両費、箱や袋などの包装費、出荷経費、パートなど雇っていれば人件費等々があり、農家には当然必要不可欠の生産費があるわけです。この経費も商品相場に関係なく一定率にかかってくるわけである。この価格低迷や収入不足による生産原価割れは、生産農家の持ち出しとなり、家族総出で一年間丹精込めた仕事も大変な赤字となる。天候異常や病虫害の異常発生、自然災害等による被害や不作、逆に豊作になればなったで価格の大暴落等など、常に予測できない大きなリスクと隣り合わせにある。そして少々高値に転ずるとなると、ものによっては海外から太刀打ちできない安価な農産物が大量に押し寄せてくる。


 遠隔輸送されてくる大根が10kg入り1箱50円ということがあった。大根ばかりでなくキャベツやハクサイが1箱2〜300円ということはザラにある。箱代にも運賃にもならない。商品に特別問題があってのことではない。決してやすくはない経費をかけて懸命に作った自分の商品に自分で価格をつけられないのが農産物である。せっかく作ったものが売れば売るほど赤字になるから、泣く泣く畑で廃棄せざるを得ないということはザラにある。
 こうした実状から農村の若者が離農し村を捨てて行くことに歯止めがかからない。それどころではない。老齢化した親は将来に希望も夢も描けない農業に子供たちを引き継がせる気は毛頭なく、無理矢理にでも高等教育を受けさせ、先祖伝来の農業を自分の代で終止符を打とうとする農家は少なくない。
 このような日本の食糧生産、農業構造は自給率向上どころではない複雑な問題が絡み合っている。


 農家が農産物の価格低迷に泣くのは日本ばかりではないようである。10月6日の『日本農業新聞』によると、価格低迷に絶望感を抱いたイギリスの農民がロンドンに集結し、この9月に“消費者価格に比べて生産者価格が安すぎる”と訴えて、40万人を超えるデモ行進をしたという。
 イギリスではわずか4社の大手スーパーで国内食品の80%以上を販売し、そのバイイングパワーは強大であり、農業者食品加工業者の生き残りがかかっているにもかかわらず、それらスーパーの儲けは大きいと批判されているそうである。特に牛乳の価格低落が激しく欧州最低であるにもかかわらず、スーパーでの小売価格は農家の手取り価格の3倍にものぼる。他の農作物についても同様であると、農村軽視政策などに抗議してのデモである。
 英国においても農民の高齢化は進んでおり、英国農業者の平均年齢は55歳で、若者は農業離れが進んでいる。農家世帯は1日平均15時間働き、手取りは英国の最低賃金よりも低く、もう農業では生きられないと嘆いているという。そして、農業で生きてきた両親も子ども達も農業の将来に敗北感と絶望感を味わい、かつては子どもに農業を継ぐように仕向けていたが、今では農業以外の職につくよう、子ども達に高等教育を受けることを勧めている。


 一方で安全安心が求められ一方で低価格と規格基準・見栄えが要求される。可能な限り化学肥料や農薬を減らしたからと言って特別評価してくれるどころではなく、せっかく出来た物も小さ過ぎるとか大き過ぎるとか、形がどうの色がどう、粒揃いがどうの、傷が、サビが、糖度が、味がと言われ、畑で廃棄せざるを得ない物も2割、3割に及ぶこともある。化学肥料は使うな、もっと農薬を減らせと言ったからとて何の保障をしてくれるわけでもない。
 農家は汚い、自分の食べるものは無農薬、売る物には平気で農薬でも毒でも使う」とか、「自分の食べるものは只だから百姓はいいやね」、「百姓は人に縛られることも人に頭を下げることもないし、自分の好きなようにのんびりやれる、私も定年迎えたら田舎で百姓でもして悠々自適と行こうかな」などと、たわけたことを言う者もある。
 人類の長い歴史は多くの人々にとって「いかに食べるか、命をつなぐか」の闘いであった。皮肉なことに、その食べ物を自らの手で作る人ほど「食べられる」ということは生易しいことではなかった。しかしいつの時代にもどこの世界にも、栄耀栄華を極める贅沢三昧の限りを尽す権力層があり、不労の輩が弱者を酷使し、搾取して華やかなる文化を享楽してきた。そしていつの時代にも何処の世界でも、土に這いつくばる最大多数の農民は、自分の作った米もろくに食べられないなどの辛酸を嘗めてきたのである。又「百姓は生かさず殺さず、絞れば絞るほど出てくる」などと言われ、雑巾のように扱われ蔑視されてきた。
 時代が変り、世が変った現代においても、命の食べものを作る農民は決して大切にされ恵まれた存在とはいえない。「農は国の基」。農の崩壊は国の衰退につながる。人件費の安い途上国や安いところから買えばいいというものではない。



 

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生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
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池田 優

 

 

 

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