お盆です。 |
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8月15日は月遅れのお盆です。 ● 7月盆とと8月盆があるのはどうして?、 伝統的には、旧暦7月15日に盆行事がとり行われてきました。 石川県でも、金沢市では7月15日がお盆でしたが、他の地域では月遅れの8月15日に行われます。 現在、日本の暦には、7月15日が盆とはっきり定められています。従って、7月15日が盆の正日、7月16日が盆明けでした。 どうしてこのようになったのでしょうか? もともと盆は旧暦の7月15日を指していましたが、明治になっれこよ実を太陽暦に切り替えたとき、太陽暦の7月15日を盆と定めたのです。これは、旧暦の1月1日が元日であったのを、太陽暦に変更しても、1月1日を正月元日と定めたのと同じことなのです。 ところが、都会では新暦(太陽暦)の7月15日を盆とすることが定着しましたが、日本の80%を占める農村部では、新暦7月15日は農繁期で、とてもおち着いて先祖供養が出来ずに困りました。 そこで、それまでと同じに旧暦の7月15日にの相当する日程で盆行事をする方法が取られました。沖縄県などは今もそうです。 それに従えば、今年の旧暦7月15日は9月3日ですから、盆の入りは2日前の9月1日、盆明けは9月4日になります。 旧暦は平年が354日で太陽暦より11日短く、閏年には最長384日になりますから、毎年太陽暦では日が変わってしまします。これでは日が定まらず困るということで、新しく定められた盆である7月15日から、丸一ヶ月後にずらした8月15日なら、農閑期にはいるし、子供たちも学校が夏休みでちょうど良いということから、明治中頃から農村で始まったのが月遅れ盆となりました。 それで8月13日が盆の入り、8月16日が盆明けになります。 なお、日本全国に多くの犠牲者を出した第二次大戦後、8月15日は終戦記念日として戦没者慰霊の日となりました。 それまで旧暦で盆をしていた地域の多くが、戦没者慰霊をかねて、8月15日に盆行事をする月遅れ盆に移行したのです。 ● お盆の由来 お盆は正式には、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といいます。 盂蘭盆会の語源は、梵語のウランバナ(逆さ吊り)で、「逆さ吊りにされるような苦しみにあっている人を救う法要」という意味です。 お釈迦様は、自分の弟子の亡き母が、餓鬼道に落ちて逆さ吊りにされて苦しんでいるのを知り、7月15日に多くの供物を供えて供養するよう弟子に伝え、弟子がその教え通りに供養したら、母親は極楽往生が遂げられたという故事が、お盆の起こりです。 それ以来、(旧暦)7月15日は、先祖に報恩感謝をささげ、供養をする日になりました。 ● 祖先を供養する心・ 日本では、仏教伝来以前から「御霊(魂)祭り」など、祖先の霊を迎える儀式が存在しました。 推古天皇(606年)の時代、僧と尼を招き食事や様々な仏事を行う"斎会〔さいえ〕"が設けられ、この様式が現在の「お盆」の原型になったと考えられています。 朝廷で始まったお盆はその後、武家・貴族・僧侶・宮廷などの上層階級で主に催され、一般庶民に広まったのは江戸時代になってからのようです。 江戸時代に入り町人がある程度の財政力をもってきたため、仏壇の普及や盆提灯に使われるロウソクの大量生産とともにお盆行事が広く根付きました。 元々日本人が持ち合わせていた「祖先を供養する心」とお盆行事は固く結びつき、「お盆」は今日まで受け継がれてきています お盆の行事は、東京など都市部では、7月13日〜16日に、地方では、8月13日〜16日に行うことが多いようです。 ●日本のお盆 お盆中お寺では、施餓鬼供養が行われますが、地獄の責め苦を救うという目的より、一般的には、先祖の霊が帰ってくる日として考えられています。 また、帰ってくる祖霊にさまざまな農作物を供えるしきたりから、豊作儀礼としての意味もあります。 お盆の行事は、各地域や宗派によっても様々なものがありますが、家庭では、先祖の霊が帰ってくる日ということで、家族や一族が集まって、ご先祖様をお迎えし、供養します。 このような機会に皆で故人の思い出話をしたり、子供に直接知らないおじいさん、ひいおじいさんの話を聞かせたりということも意義のあることではないでしょうか。 ●お盆の準備をして祖霊を迎えるます お盆は、地域や宗派によってさまざまな習慣がありますが、一例を紹介しますと、仏壇のある家庭では仏壇の掃除をして、祖霊を迎えるための盆棚を作ります。盆棚に仏壇から位牌を移し、盆の間仏壇の扉を閉めておきます。盆棚には季節の野菜や果物、キキョウ、萩、ホオズキ等のお盆につきものの花、白玉だんごなどを供え、先祖の霊が乗るといわれるきゅうりやなすびで作った馬や牛を並べます。 きゅうりに割り箸を刺した馬は、お盆に少しでも早くこちらに着けるようにとの思いを表現したもので、なすびに割り箸をさした牛は、お盆が終わって帰るときはゆっくりと、という思いがこめられているといわれています。 13日の迎え盆には、お墓が近ければ先に家族揃ってお墓参りし、夕方暗くなったら門口で「迎え火」をたいて祖霊を迎えます。これは、祖霊が迎え火を目印に帰ってくるといわれているためです。 盆提灯に電気をつけるのも同じように目印であり、また家の中に祖霊が滞在しているしるしであるとされています。 16日の送り盆には、夕方暗くなったら、祖霊があの世に無事につくようにとの願いをこめて、家の門口で「送り火」をたいて祖霊を送ります。 ● お盆は精進料理で 現在では、様式も大きく変わってきましたが、祖霊がいらっしゃる間は三度の食事も家族と同じものを供えまました。この間、家族も本来は生臭さを避けた精進料理をいただきます。 なすやきゅうり、かぼちゃ、さやいんげんなどの夏野菜、豆腐やがんもどきなどの大豆製品、寒天やこんにゃくなどを利用して、旬の味を満喫してはいかがでしょうか。 16日の送り盆には、夕方暗くなったら、祖霊があの世に無事につくようにとの願いをこめて、家の門口で「送り火」をたいて祖霊を送ります。 たとえば、<切り干し大根ときゅうりの炒め物>、 <ナスの揚げびたし>、<カボチャの含め煮>、<高野豆腐の炊き合わせ>、<豆腐のあんかけ>など。 ● 盆踊りについて 盆踊りは、元々は仏教行事であって、平安時代、空也上人によって始められた念仏踊りが、盂蘭盆の行事と結びつき、精霊を迎え、死者を供養するための行事という意識になっていったようです。室町時代の初めには、太鼓などをたたいて踊るようになったといわれています。 現在も、初盆の供養を目的の盆踊りも地域によっては催されている。 太鼓と「口説き」と呼ばれる唄に合わせて踊る。口説きは、地区の伝統でもある。初盆の家を各戸を回って踊る所もある。 昔は旧暦の7月15日に行われていた。故に盆踊りはいつも満月であった。 15日の盆の翌日、16日の晩に、寺社の境内に老若男女が集まって踊るのを盆踊り。これは地獄での受苦を免れた亡者たちが、喜んで踊る状態を模したといわれています。 夏祭りのクライマックスで、旧暦7月15日は十五夜、翌16日は十六夜(いざよい)すなわち、どちらかの日に月は望(望月=満月)になる。 したがって、晴れていれば16日の晩は月明かりで明るく、夜どおし踊ることができました。 近年では、場所は「寺社の境内」とは限らなくなっており、また、特別に宗教性を帯びたものではなく、町や村の人々、帰省した親族などが一体となって親睦を図る楽しみの行事として執り行われることも多くなっています。 人が多く集まれる広場なに櫓(やぐら)を組み、露天なども出て、大人も子供も一緒になって地域の親睦などを主たる目的として行われるものとなっています。 地方では、この盆の時期に合わせて帰郷する人も多く、大きな楽しみの一つとなっていることから、それぞれの町や村ではその出身者が久しぶりに顔をあわせる大切な機会としても、お盆の行事は地域上げてのものとなっています。 ● 初盆・新盆について 人が亡くなり49日法要が終わってから最初に迎えるお盆を特に初盆(はつぼん)または新盆(しんぼん、にいぼん、あらぼん)と呼び、特に厚く供養する風習があります。 これも地方によって違いますが、初盆の家の人は門口や、お墓に白一色の提灯を立てて、初盆以外のお墓には白と赤の色が入った提灯を立てるなど、特別の儀礼を行います。 ● お盆休みについて お盆は、旧暦・新暦・月遅れいずれにしても、祝祭日や国民の祝日になったことがありませんが、月遅れお盆が行われる暦8月15日前後は、平日であってもかなりの人が休日になることが多いのです。また、学校の児童・生徒であれば大多数は夏休み期間となります。 この「お盆」には、祖先の霊を祭る宗教行事行事だけではなく、日本の国民的な休暇であり、多くの民族移動の時期として、定着しているような側面があります。このお盆(旧盆)休みが単なる夏休みになっているひともありますが、日本人にとっては、全国的に大多数の人が墓参りをするのが恒例です。 したがって、この時期は、春の大型連休(ゴールデンウイーク)や年末年始とともに、帰省や行楽に出かける人が多く、道路や公共交通機関が大変混雑する為、帰省ラッシュと呼ばれています。 ただし、大型連休や年末年始と異なり、このお盆が、カレンダー上では月曜日から金曜日に当たる場合はは通常の平日であるため、官公庁や金融機関は通常通りの業務を行っており、一般企業でも平日という建前から、非生産部門を中心に業務を行っているところも少なくありません。 |
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![]() 石川県認定 |