あんな話 こんな話  152
 
  日本抗加齢(アンチエイジング)医学会理事
医学博士・白澤卓二著
『寿命は30年延びる』
長寿遺伝子を鍛えれば、
みるみる若返るシンプル習慣術
           幻冬舎新書  より その4
 
 
 
■ 第4章 長寿者が実践する
長寿遺伝子をオンにする生活術
 
●100歳を超えて活躍するスーパー百寿者たち
 
デンマークのある研究では、日本などの平均寿命の長い国で2000年以降に生まれた人は、大多数が100歳の誕生日を迎えるだろうと予測しています。
つまり、日本の平均寿命は今後も延び続ける可能性があるということです。
 
今日本には100歳を超えたお年寄りが4万人以上います。
ところが、そのうち半分以上の方は寝たきりで、およそ8割が認知症だと考えられています。
心身ともに健康で、ボケることなく、身の回りのことは自分で何でもやれるという方はわずか15%ほどです。
 
医学の進歩、栄養状態や生活環境の向上は、たしかに日本人の寿命を伸ばしたものの、QOLが高い健康長寿を実現しているかといえば、とても満足のいくレベルとはいえません。
日本はすでに長寿大国ですが、これからアンチエイジング医学が果たすべき役割は大きいと重います。
 
私は東京都老人総合研究所(源・東京都健康長寿医療センター研究所)いたころから、たくさんの元気なお年寄りと面談してきました。
健康長寿の秘訣を探るため、検査や診察に協力してもらった方々もいます。
 
その中で、健康長寿について大変多くの示唆を与えてくれたのが三浦敬三さんです。
三浦さんは1904年(明治37年)生まれで、学生時代にはじめた山スキーを生涯かけて追及したプロスキーヤーです。
2006年に満101歳で亡くなられるまでスキーを愛し、90歳を超えても年間120日は雪山をすべり、健康を維持するために日ごろから食事にも気を配り、自分なりの工夫と努力を重ねていました。
 
100歳を超えて高いパフォーマンスを示した方々はほかにもいます。
日本舞踏の板橋光さんは、100歳を超えても坂東流師範として弟子に週2日の稽古をつけ、自らも週2回の稽古を欠かさない生活を送っていました。
 
101歳で世界最高齢指揮記録を作った声楽家で指揮者の中川牧三さん、今も現役医師として国内外を飛び回っている日野原重明さんなどのスーパー百寿者からも私たちが学ぶべきことはたくさんあります。
 
私は疫学統計や実験データも重視しますが、はっきりと目の前にある現実をより大切にします。
100歳を超えていながら、三浦さんがスキーを滑ったこと、板橋さんが日本舞踊を踊ったこと、日野原先生が多忙な毎日を送っていることのほうが、はるかに重大だと思えるのです。
信じがたいパフォーマンスを発揮するスーパー百寿者の存在は、どんな疫学統計や実験データよりも動かしがたい事実なのです。
 
スーパー長寿者の生き方や生活習慣には、健康長寿を支える共通の基盤があるはずです。
たとえ本人が意識していなくても、客観的に見て一般人とは違う独特の生活習慣を持っている可能性もあります。
だとすれば、私たちの生活に取り入れたときにも同じような効果をもたらしてくれるに違いありません。
 
100歳を超えて、何一つ病気がないことは考えられません。
年齢相応にいくつもの病気を抱えていながら、それでも元気に生活できる理由は何かというところが大きな謎であり、私たちの研究テーマなのです。
 
 
●スーパー百寿者は「老い」と「若さ」が共存した状態
 
100歳を超えてスキーを滑っていた三浦敬三さんと、日本舞踊の稽古を欠かさなかった板橋光さん。
私が知る中でも、この二人は肉体的な若さが驚くほど維持されていたスーパー百寿者です。
その肉体と生活習慣は、長寿遺伝子の働きについて考える多くのヒントを与えれくれます。
 
100歳を超えてスキーや日本舞踊ができるためには、多くの条件を満たす必要があります。
足腰が強いことはもちろん、心臓や肺などの機能が高いこと、思考力や記憶力、集中力が衰えていないこと・・・・・・などいくつもの条件が思い浮かびます。
極端に言えば、足の小指に怪我をすれば、それだけでスキーや踊りは思う通りにできないでしょう。
日々の鍛錬をつづける気力や向上心を考えると、メンタリティーも相当に強くなければ無理です。
 
三浦敬三さんと板橋光さんの検査には、幾つかの共通点がありました。
私が注目したのは骨密度が高いことです。
 
高齢になるほど増えてくるのが骨粗しょう症です。
骨に小さな穴がたくさん空き、スカスカの状態になって骨が変形して痛みを伴ったり、骨折しやすくなったりする病気です。
とくに女性に多く、転んで大たい骨や股関節を骨折すると、それから寝たきりになるケースが多く見られます。
骨密度がピーク時の70%以下になると、骨粗しょう症と診断されます。
 
三浦さんと板橋さんの手、腰、股関節部の大たい部で骨密度を測定したところ、興味深い結果が出ました。
板橋さんの腰の骨で80代、三浦さんは股関節部の大たい骨で60代の相当する骨の強さがありました。
 
宇宙飛行士が無重力空間に長期間いると、骨密度が低下することはよく知られています。
骨は負荷をかけないとどんどん弱くなるからですが、三浦さんはスキーによって、板橋さんは踊りによって骨に負荷をかけていたから骨密度が高かったということが分かります。
 
もちろん、全身くまなく若さを保っていたわけではありません。
同じ骨密度でも、三浦さんは下半身が強かった半面、上半身は年齢相応の数値を示していました。
つまり身体の部位によって、老化の進み具合は違ってくるのです。
 
そのことを端的に示していたのが血管です。
三浦さんも板橋さんも、動脈硬化は100歳相応に進んでいました。
動脈硬化というのは、動脈の壁にコレステロールが溜まっていく症状です。
弾力性を失った血管は、採血の注射針が刺さらないほどカチカチに硬くなっていました。
 
通常はそこまで動脈硬化が進めば、血管の壁はかなり分厚くなり、血量が細くなっています。
ボロボロに傷んだ血管が破れると、血液がもれ出て、血流が止まったり血栓ができたりします。
それが原因で、心筋梗塞や脳卒中を引き起こすことがあります。
また、血流が悪いと脳の認知機能も落ちます。
検査したとき、三浦さんと板橋さんにそのような症状が見られなかったのは不思議なくらいです。
 
動脈硬化は年齢相応に進んでいたんも関わらず、二人の肉体は重大な病気を引き起こすことなく、100歳とは思えないパフォーマンスを発揮していました。
高齢者が心筋梗塞や脳卒中を起こせば、ほとんどの場合そこで寿命がつきます。
三浦さんと板橋さんの健康長寿は、その裏側をのぞくと瀬戸際ぎりぎりのところで維持されていたことがわかります。
最後の決定的なイベントが起こらなかったから、元気に100歳を迎えていたということです。
 
三浦さんと板橋さんには、もう一つ重大な共通点がありました。
アディポネクチンというホルモンの血中濃度が高かったことです。
 
アディポネクチンは、脂肪細胞が分泌する生理活性物質(サイトカイン)で「善玉ホルモン」の一種とされています。
アディポネクチンは、血管が破れて血液が漏れ出たり、血栓ができたりすることを防ぐ働きがあります。
血管内に異常が発生すると、アディポネクチンが出動し、悪い部分を修復することから、「血管の修理やさん」と呼ばれることもあります。
二人ともその数値が年齢に比べて高かったのです。
それは偶然ではなく、二人に共通する生活習慣のためです。
 
アディポネクチンは小さな脂肪細胞からしか分泌されません。
脂肪細胞が大きくなった状況、つまり肥満になると分泌されないのです。
 
山スキーとそのための鍛錬に励んでいた三浦さんと、踊りの稽古を欠かさなかった板橋光さんは、肥満とはまるで無縁の体型でした。
脂肪細胞が小さく、アディポネクチンがよく分泌されていたおかげで、動脈が破裂するなどの重大なイベントが起きなかった、と考えられます。
血管の老化は進む一方で、欠陥を修復する働きも活発だったから、健康長寿が実現していたということです。
 
二人の体内で起きていたことは、長寿遺伝子の働きを考える上でも重要です。
同じような加齢と抗加齢のせめぎあいは、血管意外でも起きていたと推測できるからです。
細胞レベルで言えば、老化と修復、加齢と抗加齢のせめぎあい、最終的には抗加齢が勝ち続けていた、ということです。
三浦さんも板橋さんも、見た目には大変元気な百寿者でしたが、体内をよく調べれば、診断書に20や30の病名が並んだはずです。
健康長寿はそのようにして実現されるという一つの見方が成り立ちます。
 
 
●メタボの人は長寿遺伝子のスイッチが入らない
 
二人の検査データは、肉体の老化が部分的に進んでも、健康長寿は実現できることを示していました。
遺伝子の話に置き換えれば、「老化をもたらす遺伝子」と「寿命を伸ばそうとする遺伝子」は別々に存在し、その両者が細胞内で同時に働いて、せめぎあっているという仮説も成り立ちます。
年齢相応に老化が進んだ部分があっても、寿命を伸ばそうとする長寿遺伝子の働きが強ければ、肉体は年齢以上のパフォーマンスが出せるということです。
長寿遺伝子の働きは、そのようなものだとイメージすることができます。
 
これまでの研究では、線虫で見つかったdaf2のように「老化を促進する遺伝子」と、サーツー遺伝子のように「寿命を伸ばそうとする遺伝子」があることはわかっていました。
ところが、その両者がどのようにかかわりあって、最終的に寿命が決まるかという部分はまだ研究段階です。
プラスとマイナスが相殺される接点がまだ見つかっていないのです。
 
マウスの実験では、ガンや糖尿病など、老化に伴う病気が発病しやすいマウスを遺伝子操作でつくることができます。
カロリー制限で長寿遺伝子を活性化させると、健康なマウスが長生きするだけでなく、病気になりやすくしたマウスの寿命も延びるという結果が出ています。
マウスの体内では、老化を促進する遺伝子と、寿命を伸ばす遺伝子がせめぎあい、長寿遺伝子のほうが勝った結果、マウスが長生きしたと考えられるでしょう。
 
三浦さんと板橋さんは、動脈硬化が進んでいながらも、血管の破裂や血栓が起こらなかったという点で、まさしく同じような相殺の関係があったと考えられます。
抗加齢に働くアディポネクチンが多く分泌されていたために、重大なイベントが起きなかったわけです。
そのようなせめぎあいの結果が、100歳でもスキーや踊りができる健康長寿をもたらしたと考えられます。
 
長寿遺伝子が勝って遺たケースはそのように考えられますが、反対に長生きできなかった人は長寿遺伝子だけが負けていたことになるのでしょうか。
そこはなかなか証明しづらいところです。
ただしメタボ体型の人は、長寿遺伝子がオンにならないのですから、そもそもせめぎあいが起こりません。
それだけはたしかにいえそうです。
 
 
●スーパー百寿者たちの食習慣
 
昨年100歳を迎えた日野原先生は、自分の体型や活動を考慮して、1日の摂取カロリーを決めています。
基礎代謝が1200カロリー、運動量が200カロリーとして、1日の摂取量をおよそ1400カロリーにしているそうです。
 
1日1400キロカロリーは、100歳とはいえ、国内外を飛び回っている日野原先生の活動量から羅漢が得るとちょっと不足気味という気もします。
各種指針が示す健康な高齢者の消費カロリーは、70歳から75歳を平均年齢として1日2000キロカロリーです。
 
日野原先生のメニューを見ると、通常の感覚では腹7分目以下という分量です。
朝食は、100%天然果汁のジュースにオリーブオイルをスプーン一杯入れたもの、牛乳、レシチンを加えたミルクコーヒーという3種類の飲み物だけです。
昼食はクッキー2枚か3枚と牛乳。
夕食は魚、肉、野菜、豆腐、汁物、漬物、ご飯半膳など品数を増やして栄養のバランスをとっています。
魚は毎日食べて、肉は週2回、ヒレ肉を100gほど食べるそうです。
 
日野原先生は、若い頃結核をわずらっていたせいで栄養失調に近い状態で過ごし、戦時中は食糧不足の時代ですから粗食だったのは当然です。
戦後日本が豊になってからも、食習慣は若い頃と変わらなかったようです。
日野原先生の身長は若いころの168センチから160センチに縮んでいますが、体重は30歳のころとほとんど変わっていません。
 
私がお会いした多くの健康百寿者は、腹7分目の食事をつづけてきたようです。
長寿遺伝子を活性化する食習慣が、意識しなくても身に備わっていたのです。
 
 
●インスリンを少なくする食事
 
食事にこだわった点では三浦敬三さんも同じです。
三浦さんは奥さんをなくされてから10年以上も一軒家で一人暮らしを続けていました。
食事はほとんど自炊です。
自分で買い物に出かけ、健康を意識した仕入れをしてきて調理する。
そうやって毎日どんな料理を食べたかを記録するほど食生活に気を使っていたのです。
 
ご飯はいつも発芽玄米でした。
朝食には納豆、おクラ、長いもなどのネバネバ食品を必ず食べました。
味噌汁の具にはきのこや根菜をたっぷり入れます。
 
食事だけでなく、飲みものにもこだわりました。
食後には、牛乳、きな粉、黒ごま、酢卵などを混ぜた特性ドリンクを飲みます。
巣卵というのは、生卵を5日ほど酢につけて卵の空を溶かしたものです。
お茶も柿、イチョウ、イチジクなどの葉を集めてつくる手作り健康茶でした。
 
こうした食生活の工夫は、検査データにしっかり現れていました。
三浦さんは空腹時のインスリン血中濃度が極めて低かったのです。
 
インスリンは膵臓で作られるペプチドホルモンの一種です。
血液中の糖分を筋肉や細胞に取り込む働きや、糖分が肝臓や筋肉でグリコーゲンに合成され、エネルギーとして保存される働きを助けます。
 
インスリンの働きがよいと、筋肉中で糖分を燃やす(白筋)の働きが活発になり、瞬発力の優れた強い筋肉ができます。
逆にインスリンの作用が弱まると、血液中の糖分が増えて糖尿病になります。
 
三浦さんが食べていた発芽玄米は、時間をかけて吸収されるため、白米に比べて血糖値の上昇は穏やかです。
ネバネバ食品に含まれるムチンも、糖分の吸収を遅らせる効果があります。
三浦さんの食事は、血糖値の上昇を防いでいたので、インスリンをたくさん分泌する必要がなかったのです。
また運動によってアディポネクチンが増えると、インスリンの分泌を抑える効果があります。
 
板橋さんと日野原先生も、血中のインスリン濃度は低い点で共通しています。
100歳以上の人で糖尿病の人はいないので、インスリン濃度が長生きに深く関わっていることは確かです。
 
これは「ポルチモア長期縦断研究」と言う有名な調査でも明らかになっています。
アメリカのポルチモアに住む65歳以上の男性700人を対象に、25年間かけて長寿の秘訣を探った調査です。
 
その調査から分かった長生きする人の三大特徴は@低体温、A低インスリン濃度、B高いDHEA−Sでした。
 
DHEA−Sは主に副腎皮質から分泌され、50種類以上のホルモンがこのDHEA−Sを原料としてつくられます。
「万能ホルモン」と呼ばれ、免疫力やストレスへの抵抗を高め、糖尿病、高脂血症、高血圧、骨粗しょう症などを予防する作用があります。
DHEA−Sは20代をピークに、加齢によって低下していきます。
 
三浦さん、板橋さん、日野原先生はこのDHEA−Sも高い数値を示しました。
スーパー百寿者の食生活や生活習慣は、このように医学的にも納得いくものです。
健康長寿は、本人の努力があってはじめて実現できるということを証明していてくれるのでしょう。
 
 
●長生き家系で受け継がれている環境要因
 
「あの人は祖父母も親も長生きしたから、きっと長寿の家系なんだよ」
このような言い方はよくされるものですが、たしかに代々長生きした人が多い家系はあります。
世界でもっとも長生きしたフランスのジャンヌ・カルマンサンも父が93歳、母が86歳まで生きたそうですから、いわゆる長生き家系に当てはまるでしょう。
 
そのように聞くと、人間には長生きする特別な遺伝子があって、その家系に受け継がれているようにも考えられます。
あるいは、ガンや脳卒中などの重大な病気になりやすい遺伝子が受け継がれていなくて、結果として長生きする人が多い家系とも考えられます。
 
ヒトノゲムの解読は2003年に完了し、遺伝子の推定値は2万1787個とされています。
遺伝子数は個人差で多少の変動はあるものの、一部の家系に特別な遺伝子が伝わり、他の家系にはそれがないとは考えにくいところです。
 
長寿遺伝子がオンになる状況とオフになる状況があるように、むしろ同じ遺伝子を持つ人がある中で、それが活発に働いている人と、働いていない人がいると考えたほうがいいようです。
長生きする人が多い家系に受け継がれているのは、寿命を伸ばそうとする遺伝子が活発に働く「状況」だろうというのが私の考え方です。
 
つまり、環境や生活習慣です。
デンマークのクリスチャンセン教授が実施した調査は、そのことをとても分かりやすく伝えています。
 
クリスチャンセン教授は、一卵性双生児がそれぞれ何歳まで生きたかを調査しました。一卵性双生児は同じ遺伝子を持っていますから、寿命が遺伝要因で決まるなら、二人は近い年齢で亡くなることになります。
 
100歳を超えて元気だった一卵性双生児といえば、きんさんぎんさんの二人が思い出されます。
姉の成田きんさんは107歳、妹の蟹江ぎんさんは108歳でなくなりました。
このように亡くなった年齢が年齢が1歳しか違わないと、二人がもともと長生きする遺伝子が親から受け継いだと考えたくなります。
最近ではぎんさんの娘さんたちも長女が100歳近い長生きであることが注目さていています。
 
ところが、クリスチャンセン教授の調査では、このように寿命がほとんど同じだった一覧双生児はそれほど多くありません、
亡くなった年齢に開きがある一卵性双生児のほうが多いのです。
そのデータから、コンピュータがはじき出した数字は、寿命に影響する遺伝要因が25%、環境要因が75%というものでした。
同じ遺伝子を持つ一覧双生児でも、環境や生活習慣が違えば、寿命も違ってくるということです。
たとえば一方がタバコを吸い、もう一方がタバコを吸わなければ、それだけ肺がんなどの病気になるリスクは大きく違ってきます。
 
このデータが正しいとすれば、きんさんぎんさんが1歳だけの違いで亡くなった理由が、遺伝要因だけだとは言い切れません。
二人が生きた環境や生活習慣もかなり近かっただろうと考えることができます。
 
 
●三浦家に見る環境要因の強さ
 
三浦敬三さんの息子さんは、プロスキーヤーで登山家の三浦雄一郎さんですが、70歳7か月エベレスト登頂に成功し、当時の世界最高記録を更新しました。
孫の三浦豪太さんも元オリンピックモーグル代表選手で、エベレスト登頂に成功した登山家です。
このように見ると、三浦家の人たちは皆さんが、同世代では群を抜いたパフォーマンスを発揮する肉体の持ち主という印象を受けます。
 
しかしその遺伝要因も25%ぐらいだというのが私の見解です。
三浦家に代々続くパフォーマンスの高さは、多くは環境要因がもたらしていると思われるのです。
 
食事、運動、睡眠などの生活習慣は、家庭内で受け継がれていきます。
親から子へ、子から孫へと伝わっていく生活習慣、しつけや教育のほうが、DNAで受け継がれるものよりも大きいでしょう。
それはクリスチャンセン教授の研究から理解できるだけではありません。
 
私が三浦雄一郎さん、息子の豪太さん、娘の恵美里さんたちの富士山登山に同行したことがあります。
雄一郎さんがエベレスト登山に挑むためのトレーニングを兼ねていましたが、私は医師として参加したサポートスタッフの一人だったのです。
 
三浦家の方々と身近に接して感じるのは、敬三さんの教えが脈々と受け継がれていることです。
スキー、登山の技術もさることながら、深く印象付けられたのは、むしろメンタリティーの部分です。
人生の節目に高い目標を掲げ、それに向けて全力を注いで挑戦していくチャレンジ精神と呼んでもいいでしょう
 
三浦雄一郎さんのエベレスト登頂は、三浦敬三さんの生き方と重ね合わせることができます。
敬三さんも人生の節目に高い目標を掲げ、果敢に挑戦してきました。
還暦(60歳)で始めてアルプスを滑り、古希(70歳)でヒマラヤを、喜寿(77歳)でキリマンジャロを滑走しています。
傘寿(80歳)の翌年はアルプスのシャモニーからツェルマットを踏破を宣言し、見事に達成します。
白寿(99歳)には、モンブラン山系のバレーブランシュ氷河を滑っています。
このときは雄一郎さん、豪太さんと親子三代で滑ったことも話題になりました。
そして100歳では4歳の粗孫さんと一緒に、親子4代でアメリカのユタ州で滑りました。
 
こうした高い目標に次々と挑戦できたのは、敬三さんがスキーを生き甲斐とし、日ごろから鍛錬を怠らなかった賜物です。
敬三さんのスキーはリフトで登り整備されたゲレンデを滑るのとは違います。
山の斜面を自分の足で歩いて登り、スキーで下りてくる山スキーです。
90歳を過ぎても年間120日はそうやって雪山を滑っていたのですから、驚異的といわざるを得ません。
こうした生き方が息子さんにも受け継がれたのだと私は考えます。
 
三浦雄一郎さんがエベレストへの挑戦を決意したのは65歳のときでした。
当時はややメタボ状態になっていたそうですが、「地球の一番高いところに立つ」と一念発起して5年計画でトレーニングを始めます。
片方が2キロの靴を履き、足首にそれぞれ2キロの重りをつけ、背中には20キロの重りが入ったリックを背負って毎日歩くというものです。
 
三浦家で受け継がれる「人生へのチャレンジ」は、遺伝要因だけでは説明できないでしょう。
高い目標を掲げる有機、努力を継続する粘り強さ、さらなる目標への意欲などは、親という身近なモデルを見てきたことで育まれるのではないでしょうか。
敬三さんが成し遂げてきた数々の挑戦は、家族のサポートに支えられていましたが、その過程で孫の代、曾孫の代まで貴重な体験とノウハウ、生きていく知恵が直接的に伝えられたのだと想像できます。
息子の雄一郎さんも70歳で豪太さんと親子でエベレストの登頂に成功し、75歳で再登頂に成功しています。
敬三さんと同様に子の代、孫の代に人生の目標に挑むチャレンジ精神を伝えているのです。
 
三浦家の人々に接すると、クリスチャンセン教授の研究結果も具体的に理解できます。
いわゆる「長生きの家系」は、そのような環境要因が、縦の軸となって世代を超えて受け継がれることを指しているのだと思います。
 
ただ残念なことに、日本の社会では第二次世界大戦後のあたりから各家庭に伝わる各家庭に伝わる縦の軸が徐々に弱まってきました。
核家族化によって、お年寄りの体験や知恵が伝わりにくくなる一方、学校給食や外食化によって横の軸はますます強くなっています。
効率化や商業化によって、古くから日本の家庭に伝わる健康長寿の秘訣がどんどん失われていくことは、私たちにとって多大な損失です。
 
私が遺伝子レベルの研究や疫学統計を参考にする一方で、健康長寿の方々がどのような生活習慣を身につけているかに強い関心を持つのはそのためです。
親から子へ、子から孫へと受け継がれるメッセージがあるように、私たちがスーパー百寿者から学ぶべき健康長寿の秘訣はたくさんあるのだと思います。
 
 
●予防医学としての生活改善
 
スーパー百儒者たちは、見た目は健康で元気そのものですが、実際にはたくさんの病気を抱えているものです。
まさに「病気の巣」とも呼べるほどですが、それでもQOLに影響を及ぼす重大なイベントが起こらないのです。
 
私が東京都老人総合研究所で病理解剖も担当しましたが、亡くなった方を解剖すると、65歳以上では55%でガンが見つかります。
死亡原因は別であっても、半数以上の方がどこかでガンを抱えているということです。
 
体内にガン細胞があっても、すぐにQOLに影響を及ぼすとは限りません。
とくに高齢になるほど、ガンは恐ろしい病気ではなくなります。
ガンによる死亡率のデータを見ると、ピークは男性が60代後半、女性は50代後半です。
それ以降はなだらかに減少し、90歳を過ぎる頃には1割程度まで減ります。
 
三浦敬三さんと板橋光さんの動脈硬化でも分かるように、健康長寿は本当にぎりぎりのところで維持されているものです。
健康と病気の間を行ったりきたりしながら、QOLを維持しているというのが私のイメージです。
 
私が診察している群馬県の病院に、85歳になる女性の患者さんがいます。
血液のガンである悪性リンパ症にかかっていて、私は免疫療法と本人の希望でビタミンCの大量点滴を行っています。
 
この患者さんは大学病院でPET(陽電子放射断層撮影法)検査を受け、ガン細胞が見つかりました。
そのまま大学病院で治療を受けていましたが、医師は高齢のために化学療法を断念したそうです。
 
それで私が通う病院にいらしたのですが、免疫療法とビタミンCによってガン細胞は消えました。
ところが、しばらくして検査すると再発したことが分かったのです。
 
私は抹消血のリンパ球を見ていましたが、通常は少なくとも20%は確保されていなければいけないところ、再発時は15%まで落ちていました。
この数値から、ガンが再発したというより、患者さんの免疫力が低下したのではないかと私は考えました。
 
体内に遺伝子変異がある程度蓄積すると、一つのガン細胞ができます。
その1個が大きくなって発見されるまでには時間を要するので、それまでの間に免疫力によってガン細胞が退治されるこては十分にあります。
ガンという病気は、免疫力が低下したことによる免疫抑制病と考えることもできるのです。
 
私は患者さんに何か生活上に変化がなかったかと訪ねました。
いろいろ聞いていくうちに、患者さんから「いつも通っていた大型スーパーが閉店した」という話が出ました。
そのスーパーまでいつも長い距離を歩いて買い物に出かけていましたが、閉店してからは外出が減ったというのです。
その時期と、リンパ球が減り始めた時期はほぼ一致していました。
つまり、外を歩き回らなくなった結果、運動と日光を浴びる機会が極端に減ったということです。
 
私は患者さんに、日光を浴びること、運動すること、肉を週3回以上食べることを進めました。
この3つが悪性リンパ腫の再発に対する私の考え方です。
 
その患者さんはライフコーダ(生活習慣記録機)をつけて生データをとりながら、まじめに私の処方を守りました。
スーパーが閉店して1日の歩数が1000歩も歩かなかったのが3500歩前後になりました。
しばらく様子を見てから採血すると、15%まで落ちていたリンパ球が34%まで回復していました。
 
これならPET検査を受けてもガンは発見されないだろうと判断し、実際に検査を受けてもらったところ、予想通り悪性リンパ腫は見つかりませんでした。
 
私たちは健康と病気の間を常に行ったり来たりしているようなものです。
最も恐ろしい病気とされているガンでもそれは変わりません。
免疫力が低下すれば、病気の側へ引っ張られ、免疫力を高めると、健康の側へ引っ張られる。
そのような綱引きが繰り返されているとイメージしてもいいでしょう。
 
食事、運動、睡眠を中心とする生活習慣の改善は、そのように私たちの体内で効果を挙げます。
遺伝子レベルでいえば、「老化を促進する遺伝子」と「寿命を伸ばそうとする遺伝子」がせめぎあっているので、いくつもある長寿遺伝子のスイッチをできるだけオンにして、健康長寿を実現していくということです。
 
 
●予防医学と治療医学をつなぐ
 
このような予防医学は本来、治療医学と同一線上でつながっているべきです。
 
ガンでいえば、出来るだけ早期に発見し、外科手術や放射線療法、化学療法などを施すのが、治療医学の考え方です。
ガン細胞が大きくなる前に手を打つという発想はありません。
それが医学会の常識であり、私も治療医学を専門にしていた当時はそう考えていました。
「ここまでは予防医学」「ここからは治療医学」という境界線が引かれること自体に問題があるのでしょう。
 
予防医学の考え方を取り入れたら、治療医学の効果も高まります。
治療医学では病気患部を治すことに専念しますが、その病気を引き起こした原因までさかのぼることはなかなかありません。
病気の原因を絶てば、治療が早く成果を挙げるかもしれないのにです。
 
極端な例でいえば、肺ガンの治療を進めているのに、患者さんは相変わらずタバコを吸い続けているようなものです。
ガンの治療を進める一方で、ガンの原因を放置しているのです。
 
糖尿病の本を開けば、必ずはじめに食餌療法について詳しく書いてあります。
しかし生活習慣の改善は、患者さん本人に任せるしかないので、医師としては検査をして薬を処方するしかありません。
患者さんの生活を変えさせるより、「いつもの薬を出しておきます」というほうが診察時間も短くなります。
 
健康と病気が綱引きの状態であるなら、健康側に味方して綱を引くのも医師の役割です。
生活改善で免疫力を高め、病気の原因を叩くことに意識を向けるということです。
 
そのためには、現行の医療制度も見直す必要があるでしょう。
診療報酬の点数制に、予防医学は組み入れられていないからです。
医療のとらえ方を根本的に変えることになるので、かなり時間のかかる取り組みかもしれません。
 
今の私たちにできることは、スーパー百寿者を初めとする健康長寿の方々から多くを学び、食事、運動、睡眠を中心に生活習慣を改めていくことです。
そこには、まだ解明されていなくても、長寿遺伝子をオンにするメカニズムが働いているかもしれません。
科学の力は、まだそこまで追いついていないともいえます。
 
100歳でも元気に活躍している人たちが現に存在し、彼らは自分なりに生活の工夫を凝らしています。
そこには健康長寿を実現するための秘訣があるに違いありません。
 

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001