初夏の味わい
びわ(枇杷)
![]() ● ビワの歴史
ビワの原産は中国(China)地方で、6世紀にはすでに栽培が行われていました。
日本にも野生種があったという説がありますが、現在栽培されているのは中国からもたらされた品種です。
ビワに関する文献は奈良時代に記述された書物が最も古いものです。
日本で栽培が始まったのは江戸時代の中期頃で、千葉の富浦には宝暦初年(1751年頃)の栽培記録が残っています。
そのころの果実は小ぶりだったそうですが、そこで栽培されたビワは江戸に出荷されていたようです。
その後、江戸時代の末期(天保から弘化の頃)に中国の品種が日本に入ってきて、現在のような大玉のビワが本格的に栽培されるようになりました。
びわ(枇杷)は、中国南西部が原産で、バラ科の常緑高木です。
中国系移民がハワイに持ち込んだ他、日本からイスラエルやブラジルに広まった。
トルコ、レバノン、ギリシア、イタリア南部、スペイン、フランス南部、アフリカ北部などでも栽培されています。
● ビワの種類
■ 茂木(もぎ)
西日本におけるビワの代表はこの「茂木」です。
江戸時代に長崎の代官屋敷で奉公していた女性(三浦シオさん)が、中国商船から持ち込まれた「唐枇杷(中国原産の枇杷)」の種子を茂木町の自宅の庭にまき、そこから広まったといわれています。
果重は40?50g程度と小ぶりですが、甘みはやや強めで酸味は控えめ。
主な産地は長崎や鹿児島、香川などで5月?6月頃がシーズンです。
■ 長崎早生(ながさきわせ)
早いものは1月頃に出荷されるという「長崎早生」。
寒さに弱いためハウス栽培されることが多く、露地ものに比べると2ヶ月ほど早く店頭に並びます。
果重は 40?60g程度で糖度は比較的高く、みずみずしく上品な味わいです。
この品種は「茂木」と「本田早生」の交配で、1976年(昭和51年)に登録されています。
なおハウス栽培のものは、箱に「茂木ビワ」と書かれていることがあります。
■ 田中
1879年(明治12年)頃に植物学者である田中氏が、長崎で食べたビワの種を東京に持ち帰り、自宅にまいて育成したのが始まりとされています。
果実は釣り鐘形で、果重は60?80g程度と茂木に比べるとやや大きめ。
甘味は強く、酸味も適度にありバランスのとれた品種といえるでしょう。
シーズンは6月頃です。
主に愛媛県や千葉県、香川県や兵庫県などで栽培されています。
■ 大房(おおぶさ/たいぶさ)
ビワ栽培が盛んな千葉の富浦町で多く生産されている品種で、大きいものは100g前後もあります。
「田中」×「楠」として誕生し1967年(昭和42年)に命名されました。
寒さにも強く、「ビワ栽培の北限」といわれている千葉でもよく育ちます。
酸味が少なくほどよい甘みで果汁も豊富です。
旬は6月で、「房総びわ」としても流通します。
■ 瑞穂(みずほ)
1936年(昭和11年)に「田中」×「楠」として誕生した品種。
ほどよい甘みと適度な酸味があり、食味の良いびわです。
サイズは100g前後と大きく、果皮は淡いオレンジ色で、薄い緑色の小さな斑点が出ることもあります。
主産地は千葉県です。
■ 白茂木(しろもぎ)
果皮と果肉がやや白っぽい黄白色をした品種です。
長崎県果樹試験場で「茂木」の種子に放射線を照射し、突然変異を誘発して作らたもので、1982年(昭和 57年)に品種登録されました。
果形は卵形で果重は40?60g。
肉質はやわらかく多汁で、糖度と酸味のバランスもよく調和されています。
6月中旬頃から出回ります。
■ 土肥(とい)
静岡県土肥地域の特産の白いビワ。
1877年(明治10年)に中国から持ち帰ったビワの種から誕生しました。
果重は30?40gと小粒で食べられる部分は少なめですが、白く繊細な果実は香りがよく美味といわれています。
収穫時期は5月下旬頃から。
ただし風雨に弱く傷つきやすいため、市場にはあまり出回らず、お酒やゼリー、ジャムなどに加工されることが多いようです。
■ 涼風(すずかぜ)
「楠」と「茂木」を交配して誕生し、1999年(平成11年)に登録された新しい品種です。
糖度が高く酸味が少ないのが特徴。
果重は50?60g前後で6 上旬頃に出荷されます。
また、同時に品種登録された「陽玉(ようぎょく)」は「涼風」よりも一回りほど大きく、甘さと酸味がほどよく調和した品種で、こちらも6月上旬頃に出荷されます。
このほか、やや大きめで早熟な新品種「涼峰(りょうほう)」や、やわらかくて甘酸適和の「麗月(れいげつ)」なども登場しています。
■ 希房(きぼう)
2004年(平成16年)に千葉県農業総合研究センターで誕生した新品種の「種なしビワ」です。
ビワといえば大きな種がゴロリと入っているのが当たり前ですが、この「希房」は邪魔な種がなく、実の多くを食べることができます。
ただし生産数が少ないので、あまり見かけることはありません。
親は「田中」と「長崎早生」です。
● ビワの利用
?食用として?
果肉は甘く、生食されるほかに缶詰などに加工されますが、種子が大きく廃棄率が30%以上です。生食する場合の可食率は65〜70%でバナナとほぼ同等。
ゼリーなどの菓子、ジャム等にも加工されます。
果実は咳、嘔吐、喉の渇きなどに対して効能を発揮します。
?薬用として?
「大薬王樹」と呼ばれ、民間療薬として親しまれてもいます。
葉はアミグダリンやクエン酸などを多く含み、乾燥させてビワ茶とされる他、直接患部に貼るなど生薬(枇杷葉(びわよう))として用いられます。
葉の上にお灸を乗せる(温圧療法)とアミグダリンの鎮痛作用により神経痛に効果があるとされます。
ただし、アミグダリンは胃腸で分解されると猛毒である青酸を発生します。
そのため、葉などアミグダリンが多く含まれる部位を経口摂取する際は、取り扱いを間違えると健康を害し、最悪の場合は命を落とす危険性があります。
?果実酒として?
氷砂糖とホワイトリカーだけでも作れますが、ビワは酸味が非常に少ないので、皮むきレモンの輪切りを加えて漬け込むといでしょう。
また、果肉を用いずにビワの種子のみを使ったビワ種酒は、杏仁に共通する芳香を持ち、通の間で好まれています。
?木材として?
乾燥させると非常に硬い上に粘りが強く、昔から杖の材料として利用されていました。
現在でも上記の薬用効果にあやかり、乾燥させて磨いた物を縁起物の『長寿杖』と称して利用されています。
激しく打ち合わせても折れることがないことから、剣道・剣術用の高級な木刀として利用されています。
● ビワの見分け方
ヘタがしっかりしていていて、果皮にハリがあり、ビワ独特の鮮やかさがあるもの。
また、うぶ毛と白い粉(ブルーム)が残っているものが新鮮なビワです(ただし、ブルームは袋がけの段階で紙とこすれて落ちていることもあります)。
果皮に傷が付いていたり、うぶ毛がとれてテカテカと光っているものは収穫してから日が経っているので避けましょう。
● ビワの保存方法
ビワは常温保存でも大丈夫です。
直射日光を避け、風通しが良く涼しい場所で保存してください。
ビワは追熟せず長期間の保存もできないので、購入後はできるだけ早め(2〜3日以内)に食べるようにしましょう。
日持ちさせたいなら野菜室に入れてもOKですが、冷やしすぎると風味が落ちてしまいます。
冷たいほうが好きな人は、食べる2〜3時間前に冷やすとよいでしょう。
また、傷みやすいので強く押したりしないよう、取り扱いにも注意してください。
食べるときは、ヘタ(軸)を持ってヘソ(下)のほうから手で皮をむいて食べるのがおすすめです。
● びわ酒の作り方
【材 料】
・びわ・・・1kg(黄熟したもの) ・レモン・・・4個 ・氷砂糖・・・100g
・ホワイトリカー 1.8L(35度) ・貯蔵びん・・・1個 (4Lびんがよい)
【作り方】
@ 貯蔵びんの洗浄
貯蔵びんをきれいに洗って、キッチンペーパーに伏せて、乾かします。
気になる方は、洗った後、ホワイトリカーをしみこませたキッチンペーパーなどで拭いてから乾かしてもよいです。
A びわを洗う
びわをよく水洗いします。
実をつぶさないようにやさしく洗います。
B びわを乾かす
キッチンペーパーなどで、よく拭いて乾かします。
このときもやさしく拭いてください。
C レモンを輪切りにする
レモンの皮をむき、白いわたを取り除いて、実だけ輪切りにします。
3から4等分でいいと思います。
D びわとレモンと氷砂糖を交互に入れる
びんにびわと輪切りにしたレモンと氷砂糖を交互に入れます。
びわは皮をむいたり切ったりせず、丸ごと入れます。
このときびわを傷つけないように注意します。
E ホワイトリカー(ブランデー)を注ぐ
ホワイトリカー(またはブランデー)を静かに注ぎ、しっかり密閉します。
F 保存
日のあたらない涼しい場所で保存します。
たまにびんを廻して、氷砂糖を溶かします。
2ヶ月でレモンを取り出し、1年でびわを取り出します。
それぞれ実を取り出すときに、実のかすや種をこします。
3ヶ月ぐらいでよい香りがでてきますが、1年以上置くとまろやかになります。
● びわの葉療法のいろいろ
引用 www.h2.dion.ne.jp/~biwa-ha/
仏教医学としてインドからわが国に伝えられたビワの葉療法は、おそらく生のビワの葉で体の痛い所をなでたり、患部に貼っておいたことと思われます。
これが徐々に寺々に広がり、後述する全地院療法のように、ビワの葉に墨で「南無阿弥陀仏」と経文を書いて患部に貼ったり、患部をなでたりして祈りを込めたのでしょう。
これが病人の心に安らぎと希望を与え宗教的にも信仰を芽ばえさせたのではないかと思われます。
これと同時に体温によってビワの葉が温められ、葉効成分が少しずつ皮膚から浸透していき関節の痛みや腫れがとれたのです。
現在でも西洋医学では体と精神を切りはなして考えがちですが、東洋医学や古代の医師ヒポクラテスなどが述べているように、精神と体は密接な関係があります。
それが証拠に病気をプラス思考にとるか、マイナス思考にとるかで治癒効果は大きく異なってきます。
金地院療法というのは、静岡県引佐郡細江町にある金地院という臨済宗の寺で、定光山金地院の河野大圭禅師が、大正時代の中ごろから第二次世界大戦のころにかけて祖先からの口伝えによって伝えられたものを、宗教的に慈悲と知恵によって完成させたのが、金地院のビワの葉療法です。
この金地院がビワの葉療法の効果を庶民に広めた元祖ともいわれています。
山田無文師(元花園大学学長元妙心寺派管長)の著書『わが精神のふるさと』(雄澤社)によると、老師が金地院をたずね、河野大圭師とお会いしたのが老師が青年僧であった二十二歳の十一月二十六日のことです。
本には、肺結核のため、のどにルイレキ(リンパ節が腫れ、ぐりぐりができたもの)ができて東京や名古屋の大学病院などでも見放され途方にくれていたところ、魚問屋の女将に金地院のことを聞き、金地院で河野大圭師にビワの葉療法の仕方をおそわり、五力月ほどで全快したことが記されています。
天明八年(一七八八年)に建立されたという歴史のある山門をくぐると、本堂に向かって左手には、大きなビワの木と河野大圭禅師の銅像があり、参詣者を見守っているように感じられました。
寺の内に入ると、ビワの葉療法を行っている絵や額、また河野大圭禅師、山田無文老師の写真などが展示されていました。
さらに両老師にまつわるお話も聞くことができました。
山田老師が大圭禅師へのお札として、昭和十六年八月に、大圭禅師に寄せられた感謝状を整理して〃碩札集〃としてまとめた文書もありました。
その文書の序で山田老師は次のように述べています。
「…此等の感謝状は実際は一つひとつが禅師によって救われた重患者の偽らざる歓喜の告自であり、同時に禅師の神力と高徳を讃頌する真実な記録でもある…,略」
大圭禅師は金地院だけではなく、名古屋のいくつかの臨済宗の寺で、弟子の松村入次郎氏とともにビワの葉療法で病人を癒されたとのことです。
当時、寺にくる病人は一日に百二、三十人で、なかにはただ一回の治療で全快した人も多くいたとのことです。
ビワの葉の薬効について、科学的に研究し論文を発表された福島鐡雄博士が金地院を訪ねられたのもこのころです。
ここで福島博士について少しお話ししたいと思います。
福島博士は東大医学都を卒業されたエリートでありながら、当時の西洋医学の理論偏重と治療の軽視に失望され、真の医療を求めて漢方薬や民間療法に注目し、ビワの葉の薬効といった地味な仕事に打ち込まれたわけです。
当時、札幌鉄道病院に勤務されていた博士は大正未期から昭和初期のころ、漢方薬の大家である中山思直先生の『漢方医学復異論』とその巻未の井箆筋三先生の「どんな病もビワの葉で」を読んですっかり共鳴し、その運動に参加するとともに、中山先生の論文のなかにあったビワの葉療法の治療的価値について深く関心をもつようになり、金地院を訪れて大圭禅師と論争を繰り返し行い、科科学的に研究をはじめられたのです。
その研究成果を当時の総合月刊誌「日本及日本人」(昭和二年十月五日発行)に「皮膚を通して行う青酸療法」と題する論文を発表しました。
そのなかに「今日の西洋医学が其の清療的方面に於て頗る無力にして、到底救世の具に非ず、今や全く行詰まりの状態にあるのは、心ある者の等しく知れる所なり、即ち西洋医学は唯徒らに診断のみにとらわれ、治療的方面を殆ど顧みず、景高学府の教える医学は煩雑極まる空理空論のみにして、真の医学とは頗る縁遠きものと云わざるべからず、これ西洋医学が本質的に治療的方面に不適当なるを示す証左に非ずして何ぞや(事略)吾人斯る偉大なる治療法が、長く民間に埋もれて充分に其偉力と恩恵とを発揮するの機会無かりしは、人類の幸福より之を見て、頗る遣憾の事と為し、一日も早く世に之を紹介し且つ科学的にして最も合理的なる方法たるを知らしむるは、吾人の義務なりと信ずる者なり…(以下略)と述べており、理論と実駄の両面から検討を行ったのです。
現在でも日本の医療機構では西洋医学が主流をしめており、治療よりも診断が重視され、患者さんが検査に追われているといっても過言ではない状況は、七十年ほど前とあまり変わっていないように思われます。
また、治療にしても病人を診ているのではなく局所の病巣を診ている点でも同じです。
たしかに西洋医学のように局所の病巣を詳しく検査し病気の原因を知ることも大切ですが、私たち人間の体には自然治癒力が備わっており、それを高める方法も大切なのです。
私が現在いだいているのと同様に、現在以上に西洋医学が万能だった昭和初期に西洋医学の限界を福島博士は見ぬかれ、一見原始的にみえる素朴なビワの葉療法に注目し研究されていたことは、つい最近はずかしながら資料を読んではじめて知りました。
また、東洋医学の権威としてよく知られている大塚敬節先生も、金地院のビワの葉療法の評判を聞き、実際を確かめるため金地院を訪れています。
さて、話を戻しますが、金地院療法とは、緑の濃い厚手のビワの葉の光沢のある表面を焦げない程度に火であぶりご一枚合わせて十回ほどすり合わせ、これを一枚ずつ両手に持って、熱いうちに皮膚に直接なでるやり方です。
はじめはお腹のへソの下に当て十回強く押した後、押し撫むようになでます。
場所を変えて同様に行い、お腹全体を行います。
腹部だけで六、七分、特にヘソの下の丹田とみぞおちを入念に行います
葉は腹部だけで五、六枚取り換え、そのつど二枚をあぶって、すり合わせます。
腹部の次は背部を同様に背骨の上とその両側、肩、腰、尻まで行います。
時間は約十分です。
全体の後に局所を行います。
例えば肝炎や肝ガンならば肝臓部の腹部、背部を、肺の疾息なら胸部と背部といったように行います。
関節炎や関節痛、捻挫の場合は局所だけでもよいでしょう。
また湿疹などの皮膚病も局所だけで十分ほど入念に行います。
このようにして河野大圭師は、難病に悩む二十万人以上の人々を救ったと文献に記ざれています
この方法もたしかに広い範囲が温められて気持ちよく効果があると思います。
しかし、一回行うのに葉を十枚ほど使わなければならず、手ぎわよくやらないと時間もかかり、葉を温めて皮膚に押し当てるまでに、葉の有効成分が逃げてしまうといった、いくつかの欠点があるようです。
その欠点を補いもっと筒単にできるいくつかの方法を次に紹介していきましょう。
生のビワ葉に温灸と指圧を組み合わせた方法で、ツボをビンポイント攻撃するため、ダイレクトな効果が期待できます。
ビワ葉二、三枚を十分ほど水につけておき、その間に棒モグサ四本を回しながらライターか ローソクでしっかり火をつける。
火のついた棒モグサを回し、五分枕金に並べて置き、燃えかたが安定するのを待つ。
待つ間にビワ葉の水分をぺ−パーかタオルでぷき取る。葉の表面(ツルツルしたほう)を皮膚に当て、その上に熱さを和らげる目的と葉の薬効成分を効率よく浸透させるため、布、紙を重ね、その上から火のついた棒モグサを、経穴(ツポ)や圧痛点に指庄するように少し力を入れて当てます。
熱くなったら離し、次のツボに移動します。
そのとき、モグサは紙に密着して押し当てられますから、火の勢いが弱まり、棒モグサの熱はやわらかい快い熱となって、体の深部まで浸透していきビワの葉の成分も皮膚から少しずつ体内に浸透していきます。
一本のモグサでは火が消えてしまうまで四本つけておいたのを交互に使い、次々とツボに移動させて使用します。
このとき葉も熱くなっているので当てる位置を少しずつ移動させます。
一つのツポに三、四回施行すると効果的です。
全部のツボが終わったら棒モグサを四本そろえて、火のついたほうを下にして消納筒に入れ、用其をかたづけて治療終了となります
葉と紙は 捨てますが紙はまだ便えそうだったら次回使ってもかまいません。
このようにビワの葉温圧療法は、ビワの葉の薬理効果と棒モグサの温熱の効果、それに指圧つぽの経穴刺激の効果を組み合わせたものです。
この三つの効果が、それぞれの働きに加え、お互いに相乗効果を発揮することになるので、非常に効果的です。
病気の治療を目的に行う場合は一日に一、二回行ったほうがよい でしょう。
健康な人でも予防を目的に毎日行ってください。
古来から伝統ある自然療法と、現代のハイテクノロジーを合体させてできたのが、この治療器です。
原理的にはビワの葉温圧療法と同しですので、ツポをダイレクトに刺激する効果的療法といえます。
生葉をエキスにし、棒モグサの熱源を遠赤外線放射に変化させたものです。治療器の吸収盤にエキスを注入し、遠赤外線の熱で蒸気化して、ビワのエキスを皮膚から体内に浸透させます。
その結果、血液が浄化され、体質をアルカロージス(弱アルカリ性体質)に変えるため諸器官の働きや自然治癒力を活性化します。
また、赤外線の特徴である深達力によって、体内から温めて生体物質を分子レベルで活性化するとともに温熱療法も行われるわけです。
遠赤外線を利用した治療器は、エキス成分を多く吸収ざせ、他の熱源より深達力も強いといえます。
この療法は、灰や火の粉が飛ぷことがなく、布や布団、畳などをこがす恐れもありません。
火の取り扱いを禁止されている病院などでベッドで横になりながら、手の届く部位は片手で可能です。
背中もくふうしだいでは一人でできます。
また煙やにおいが気になる方にむいており、他の人に気兼ねすることなく行うことができます。
旅行に行くときなども小さいので、持ち運ぴが極めて簡単です。
また、生葉がなかなか手に入りにくい人にもよいでしょう。
ビワの葉の表面を皮膚の患部に当て、その上にゆでたコンニャクか焼き塩をのせて三、四十分湿布します。
芯までよく熱したコンニャクを乾いたタオルで水気をふき取り、タオルに包んでおきます。
このとき包むタオルの枚数によって温度を調節します。
動かないようご三角布などで固定しておきます。
その上、熱を逃がさないように、上から毛布をかけておくと効果的です。
この方法なら、温熱効果を持続させることも可能ですし、ビワの葉をあぷって皮膚に押し当てる間に、有効成分が逃げてしまうこともありません。
ゆでたコンニャクの代わりに、二合ほどの温めた焼き塩を布袋に入れて使用してもよいでしょう。
しかし、コンニャグのほうが水分があり、その湿気がビワの葉の薬効成分を引き出し、体内に浸透させるのに役立ちます。
この療法は肝臓、腎臓など内臓疾患全般と、血流の悪さから起こった冷えや痛み、生理痛、神経痛、腰痛などの治療に多く使われ、せきや気管支炎などの炎症にも効果的です。
痛み止め薬の効かないガン患者の痛みに有効なこともあります。
この方法は、三、四十分はど温めたあと、すぐに冷たいタオルでその部分をふいて終わりにします。
特に肝臓と腎臓は体内でできた老廃物や毒素を体外に出し、血液を浄化させる大切な臓器ですので、肝臓病、腎臓病はもとより、ガン、膠原病などの慢性化した難病に欠かせない治療法です。
漢方でいう「ビワ葉湯」はビワの葉、莪じゅつを各四g、呉茱萸三g、カッ香、木香桂枝各二gを六百tの水で三百tまで煎じたものをいいますが、家庭ではビワの葉だけで作ってもよいでしょう。
ビワの葉だけのほうが飲みやすいと思います。
また、他に入れたい方は、ヨモギ、スギナ、オオバコなど身近にあるものを適当に混ぜてもよいと思います
作り方は、ヤカンにビワの葉十五、六枚を、葉の両面をタワシでよく洗い、二、二cmの幅に切って入れ、水2リットルで、よく煎じてできあがりです。
これをポットに入れておき、お茶代わりに召し上がればよいのです。
ビワの葉が簡単に手に入らない人や時間のない人は、スーパーや薬局、ビワの葉温熱療法普及協会といったところでティーバッグになったものがありますので、利用してもよいでしょう。
このティーバッグビワ茶のよい点は、麦茶よりも香りや風味はなく淡泊ですが、上品な自然の甘味があることです。
そのためいちど飲みはじめた人は、続けて愛飲しているようです。
また丁入りやかんに七、八分目ほどの水を入れ、煮たってからティーバッグを一つ入れて五、六分でできあがりですから、時間もかかりません。
あとは欲むだけで少しも手間がかかりません。
味としては熱いものがいちぱんおいしいのですが、夏や暑いときは冷やして欲むとおいしくいただけます。
子供にも無理なく飲めます。
私も毎日のように欲んでいますが、以前便秘がちだったのが三週間ほど飲み続けたら便通がよくなりました。
またご一日酔いのときの胸のむかつきや胃もたれが改善します。
昔から「ビワ葉湯」は清涼剤として、夏まけや暑気あたり、食中毒や大腸カタルの予防に一種の保健薬として庶民に親しまれていたようです。
昔むかし、京都の街のあちこちに、夏の夕涼みの床机が見られるころになると、決まって、「京都鳥丸のビワ葉湯はいらんか−」とこんな物売りの声が間かれたそうです。
これを売る者は、その由来を語ることを義務づけられていたといわれます。
また和歌山県出身の民俗学者、南方熊楠は当時ビワの葉湯が、多くの人々に飲まれていたことを克明に伝えています。
このように、昔はビワの葉を煎じたお茶(ビワ葉湯)が庶民の間で愛飲されていたものですが、最近では忘れられてしまったようです。
ビワ茶は胃腸の弱い人、ぜんそく、慢性気管支炎、皮膚炎の人によく、尿の出が悪く浮腫のある場合にも利尿効果を発揮します。
また風邪で熱があったり、咽喉が痛いときには、ビワ茶に塩を入れてうがいをすると治ります。
飲用するだけでなく、水が半量になるまでゆっくりと濃く煮出した煎じ汁は殺菌力があり、切り傷、虫ざざれ、かぶれ、アトビー性度膚炎などにも効果があります。
また、ひどい日焼けや火傷のときにも効果があり、このときはカット綿に含ませて、軽くたたくように一日何回かつけるとよいでしょう。
ガン患者さんで、子宮ガンからほぼ全身に転移し腹水や下肢の浮腫が著しく、食事はほとんどとれず、病院から出ている漢方の煎じ葉や少しにおいのあるお茶さえも飲めないという人がいました。
咽喉が乾いたときは少量の水を飲み込む程度だったので、ビワ茶を勧めたら「おいしくいただける」と喜ぱれ、尿の出も少しよくなり腹水や腹部の膨満感が軽減していきました。
このような症例は、いくつもあります。
また、患者さんのなかには顔や手に塗ったら、すべすべになり毎日使っている方もいます。
ビワの葉二十枚ほどを、幅二、二cmに刻み、あみの袋に入れ、水のときからお風呂に入れておきます。
一日目はあまり色が出ませんが、三日くらいたつと、とてもきれいな紅茶色になってきて、ビワの葉に含まれている成分もよく出てきます。
一週間くらい葉と水を補給しながら入ってくだざい。
ビワの葉には殺菌力があるので、風呂の水はくさりません。
ビワ温圧で使った葉を洗って風呂に利用するのも一つの方法です。
また、ビワ茶を作るときのように、葉を二ご二制に刻み布袋に入れてよく煮出し、その煮出し湯と一緒に葉も風呂に入れれば、その日からビワの葉風呂を楽しむことができます。
温泉に入ったときのように体の芯から温まり湯ざめしにくく、入浴後、体が軽く感じられます。
皮膚病などの皮膚のトラプルや日焼け(特に、焼きすぎて小さな火ぷくれができたとき)によく効きます。
なんでもない方にも皮膚がすべすべしてきます。
漢方ではビワの果実は口の渇きを癒し、吐き気を止め、五臓をうるおすとされています。
ビワの実を種ごとハチミツに潰け込み、密封して一年くらいねかせておイと 自然発酵して、甘くおいしい飲み物となります。
種のなかにある重要成分のマミグダリンも出てくるので、慢性疾息の人によく、一日少量ずつ飲むとよいでしょう。
ごく最近までビワの葉の陰に隠れてあまり利用されていませんでしたが、その利用価値が見直されつつあります。
というのも種個に、ビワ葉百枚以上のマミグダリンが含まれているからなのです。
ビワの種はとても苦く食べにくいので、そのままではとても食べられません。
高温で焙煎したものを、表面の皮をむいて食べるとナッツのようにおいしくいただけます。
乾燥させて作った種は、固くてなかなかのみ込めませんでした。
胃腸や歯の悪い方は、焙煎したものを、コーヒー豆をひくように、ミルなどで粉にして食べてもよいでしょう。
また、種を後述するエキスの作り方、利用法で述べるようにエタノールやハチミツ、焼酎に潰け込み、
密封して半年ほどねかせておくと、やわらかく食べやすくなります。
そこから作られたエキスはエタノールなら外用薬として湿布葉や塗布薬として、ハチミツや焼酎で作ったものは飲んだり、うがい薬として利用できます
そのほかの種の利用法として、「ビワの葉療法のすべて」(神谷富堆著)には「ビワの種を煮豆のように、黒砂糖と塩少々でコトコトど煮ると食べやすく、むしろ黒豆よりもおいしい」という記述もあります。
また「家庭でできる自然療法』(東城百合子著)には「骨髄ガンの患者で、もう助からないといわれた人が、毎日朝晩一個ずつ(一日一個)ビワの種を生でかリガリかじって食べていたら、ー力月でガンが消えてしまったという事実があります。
もちろん、食物や手当、安静を心がけ、それらの相乗作用でもありました。この方はその後、ビワ種酒を作って盃半分ずつ毎日飲みました。
そのほかに食養生、肝臓、腎臓、脾臓の手当、しょうが湿布、コンニャク療法、ビワ葉温灸、生のビワ葉湿布などをしました。
ガンは治ってもガン体質は残りますので、一生懸命努力して、いまはとても元気で働いておられます。
また膵臓ガン、肝臓ガンなどの方も治ったという報告があります」
といった記述もあります。
ビワの種は刺激が強いので、一日に二,三個くらいで十分です。
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![]() 石川県認定 有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001 |