■ 野菜・果物と健康 (72)
 
河名秀郎著 日本経済新聞出版社発行
『ほんとの野菜は緑が薄い』その5
 
 
● 土がちがえばできる野菜もちがう
 
土が生まれるストーリーは壮大なものです。
地球が誕生した約46億年前、土はなかったといいます。
すべて石だったのです。
 
その石に、光、水という要素が加わり、太陽や月という地球の外からのエネルギーを取り込む条件が整備されたとき、石の上に生物が生まれました。
それは、灰色のコケの一種である地衣類だったそうです。
 
このような微生物が生まれては死に、それらが朽ちていく過程で石が進化して植物が住めるような状態になりました。
そしてまた、その植物が枯れて地面に吸収され、土ができていったそうです。
土が誕生したのは約4億年前といいますから、それはものすごいプロセスだと思います。
 
そして、今日存在する山々も、年間1ヘクタール当たり6〜8トンの草や木、葉が朽ちて地面に落ち、土を作っています。
枝や葉などは土を柔らかく、温かく、そして保水するためにあります。
そんな土になることで、草木は次世代に命をつなぐことができるのです。
山ではこれらの枝や葉は、生態系の循環のプロセスに必要だということがわかります。
 
養分を補給する肥料ではなく、土と植物が生きていくための、自然の堆肥としての役割を果たすのです。
ただしこれはあくまでも山における循環です。
野原のあり方と山のあり方とはちがう。
そのことも念のため申し上げておきます。
 
また野原が進化して出来上がった土であっても、どんな野菜にも適しているというわけではありません。
土の性質で育ちやすい野菜ももちろん変わってきます。
そのため、自然栽培では土壌診断を行い、粘土質なのか、石灰質なのか、砂地なのかなど、その性質を診断して植える野菜の種類を見直すこともします。
 
そもそも野菜を育てるには、土だけでなく、その土地の気候・風土、自然環境の全てが関わっています。
 
沖縄や奄美大島などではマンゴーやパイナップルが特産だとか、三浦半島などでキャベツが特産など、日本狭しと言えども、地域によって栽培される野菜や果物は異なります。
 
これは、その野菜がもともとどんな土地で生まれてきたかという、原産地の環境に由来しています。
マンゴーやパイナップルは熱帯気候の国が原産なので、日本国内でも年間の平均気温が高い南の地域でよく栽培されています。
また、キャベツは地中海沿岸で生まれた野菜です。
そのため、三浦半島のように、海に近い土地ではキャベツが適合し、病気になりにくいようです。
 
まさに「適材適所」です。
土地や環境にあった野菜を育てていれば、野菜にも無理は生じません。
ということは、収穫量が確保できますし、長く作り続けることもできるということです。
 
そのほうが、野菜にとってだけでなく、収穫する人にとってお好都合。
最近ではビニールハウスなどを使用してその土地に合わない作物を作っているケースもあるようですが、自然栽培では当然、その野菜がのびのびと育つことのできる環境での栽培を第一とします。
 
 
● 同じ畑で同じ野菜をつくり続ける
 
同じ畑で毎年同じ野菜を作る。
こう書くと、当たり前じゃないかと思われそうですが、農業の世界では必ずしも当然のことではありません。
一般栽培や有機栽培では、畑の1カ所で特定の野菜を作り続ける連作を行っていると病気が出やすいといわれています。
 
この現象は、たとえば大根やジャガイモなど、特にねもの野菜に見られます。
そのため、この「連作障害」を避けるため、畑の場所を変えて栽培することが一般的に行われています。
 
でも、野や山の草木は毎年同じ場所に姿を現します。
もし本当に連作が植物にとって良くないことなのであれば、野山の草木が同じ場所に育つのは、ちょっとおかしいことだと思いませんか。
 
同じ植物なのに、なぜ連作障害は野菜だけに起こるのか。
これも今までお話したことと同じところに理由がある、僕らは見ています。
たくさんの農薬や肥料を畑に入れているために、土壌の生態系、自然界のバランスが崩れてしまい、連作することで1カ所の畑でその状態が長く続くことによって、病気が出てしまうというわけです。
 
自然界では、同じ世界が繰り広げられていくことになり、植物の生態がその環境に適合していきます。
ごく当たり前な自然な現象です。
 
野菜も同じ場所で育ち続けることで、土壌にどんどん馴染んでいきます。
そのような理由から、土が出来上がっていくにつれ、連作をしなければならなくなります。
事実、連作した方が収穫量が上がり、野菜の質も良くなっていくという結果が出ています。
 
 
● 地元でも大きな収穫量を上げる
自然栽培の田んぼ
 
「肥料をやらなければ、収穫量が減るんじゃないの」
「無農薬・無肥料で、ほんとに毎年安定して収穫できるのかなあ」
生産者さんからは、よくこんな質問を受けます。
 
実際、無農薬・無肥料に魅力を感じつつも、農業経営が成り立つだけの収穫量が安定するかどうか、と不安を感じる生産者さんは少なくありません。
しかしその不安とは裏腹に、自然栽培では普通は肥料を使う場合の7〜8割かそれ以上、ほとんど変わらないくらいの収量を上げる生産者さんもいます。
 
実際に、20数年続けた有機栽培から少しずつ切り替えて、全面積を自然栽培に移行した生産者さんもいます。
こちらは畑ではなく田んぼでしたが、今では20町歩という広大な面積のすべてで自然栽培米をつくっていて、その20町歩の田んぼの中であたり一帯では平均を上回る収穫量を上げている田んぼも出てきました。
秋田県大潟村の石山範夫さんの田んぼです。
 
大潟村は、日本でも有数の米の産地であり、有機農業での米作りが盛んな地域です。
有機農業の生産者さんに囲まれる中、一人自然栽培に移行することは決して楽なことではなかったはずです。
 
農業は、その地域のコミュニティにうまく属さないとやっていけない世界。
しかも、いきなり肥料をやらなくなるなんて、「あの人、いったいどうしちゃったのかな」と思われかねません。
「肥料をやらなければ、植物が土の養分を搾取するばかりで、いつか養分がなくなっちゃうよ」と考えるのがふつうですから。
 
しかし石山さんは自然栽培への移行を見事成功させました。
おいしい米がたわわと穂をつける、美しい田んぼです。
もともとのリーダー気質もあって、今ではほかの農家さんも巻き込んで自然栽培の輪を広げていってくれています。
 
それは、石山さんが自分の田んぼで、きちんと収量を確保できることを示してくれた結果です。
全国でも少しずつですが、石山さんのような生産者さんが増えてきています。
 
「農薬も肥料もやらないのに、なぜ収穫量を確保できるの?」というのは生産者さんだけではなく、誰もが持つ疑問のようです。
しかし、その理由を理解し、無肥料でも野菜が育つこと、さらには虫も病気も寄らなくなり、栄養価も格段にアップするという事実に触れると、「じゃあ肥料って、一体なんだったんだ」といってくださるようになります。
 
とはいえ、それを実践していくのは正直、並大抵の努力ではありませんし、かなりの精神力を要します。
 
肥料などの成分が土から抜けるまでの間は、虫や病気が今まで以上に寄ってくることもありますし、安定したかと思うとまた被害を被ることもある。
 
しかしそのプロセスを「困ったこと」と捉えず、「これは土が浄化していくプロセスだ」という原理を信じる。
この理解があればこそ、過ぎていく時間を待つことができるのではないかと僕は思います。
 
ちょっと観念的な話になりますが、人間は大自然の中ではちっぽけな存在です。
いくら頑張ってみたところで所詮自然を思い通りにできるわけがない。
虫が寄ってきても、草が生えても、農作物がかれてしまっても、それと闘おうとはせず、受け入れる。
そして、自然界の動態や形態から新しいやり方を学ぶほうが、賢い。
 
そしてまた僕達は、その自然の仕組みの中で生かしてもらっているのも事実です。
野菜や動物がいなければ、僕たちの命はつないでこられませんでした。
このことを常に忘れないでいると、自然から恵みを受け取ることができます。
土が生き返れば農作物はよりおいしくなり、僕たち人間はそれをいただくことができます。
 
この気持ちを農業技術として具現化することが、農薬も肥料も使わずに野菜を育てるもうひとつの、そして最大のポイントでもあります。
 
僕を含め、農業に従事する人間は、自然界に存在するものたちと直接関わり合います(もちろん僕達も自然界の一員ですが)。
 
そのため、自然や土の存在があまりに身近で当たり前になってしまいがちですが、そこから命を生み出し、人間の日々の糧を育む、すなわち人の命を育む生命産業だということを常に忘れないことが大切だと僕は思います。
そうすれば、自然の存在、土の価値を再認識することができると思うのです。
 
 
● 「不耕起栽培」とのちがいは
 
「自然農とは違うのか?」「不耕起栽培とはどう違うのか?」
最近では、そんなことを訪ねられる機会が増えてきました。
自然農は、自然を模範とした農業の大きなくくりで、一つの農法ではあります。
また、不耕起栽培は読んで字の如く、耕すことを一切しない農法です。
農薬や肥料を使用しない点は同じですが、耕さないことが自然栽培との大きな違いです。
 
自然栽培では、土を積極的に耕します。
適度な除草もします。
その意味で決して、人の手をかけない栽培法ではありません。
その点が、一切耕さず野菜を育てる不耕起栽培と大きく違う点です。
 
「耕さないほうが自然あるがままの状態だ」という人もいます。
それは確かに、間違いではないと思います。
その点に関する、僕の意見は以下のようなものです。
 
自然界は放っておくと無秩序になっていきます。
そしてまた長い時間をかけて無秩序を秩序立ったものに戻そうとする。
枝は放っておけば、がーっと伸び放題に伸びます。
そして限界が来ると余計な枝を枯らしていきます。
このサイクルを延々と繰り返し、果てていくことはありません。
 
野菜においても、そのスピードを待つだけだったら、僕達はなかなか食にありつくことができなくなってしまいます。
そこで、人間が手を添えるのですが、そのときに注意しなくてはいけないのが、自然界の秩序を崩さず、きちんとルールに則ったやり方であるということです。
 
たとえば、果実。
木々が一番エネルギーを使うのは、枯れ枝を落としたり、葉を落とすときです。
そのため、木々が自らの力で枝や葉を落とそうとすると、かなりのエネルギーを消費し、次へのエネルギーに転換しにくくなってしまう。
 
だから、ここで人間が不要であろう枝を切ってやると、木々はエネルギーを浪費せず蓄えることができるわけです。
そして葉を落とすエネルギーを使わずにすんだ木々は、そのエネルギーを実をならすことに使えるため、よりおいしい実をたくさんならしてくれるというわけです。
 
自然の性質を知り、その性質が生きるように手を添え、自分達もその恵みを受けることができる。
人間が自然のサイクルに入る意味が生まれます。
それが自然栽培です。
 
今までの農業なら、おいしくしよう、たくさん作ろう、とするときは肥料を入れました。
そうすれば、植物がどんな状態であってもある程度の実をならすことができました。
それは人間側から見た農業ですが、自然栽培はあくまで、自然側からの視点を持つ農業なので、今までとは方法論が全て逆になるのも当たり前です。
 
自給自足のための野菜づくりなら、耕さないのもひとつの手だと思います。
どちらが善い、悪いということではありません。
でも、営農家は作物を売ることで自分達の生計を立てていかなくてはなりません。
人に売れるだけの収穫量を上げてもらってはじめて、多くの人の口に入ります。
 
僕は大地からのエネルギーに満ち溢れた野菜を一人でも多くの人の食べてもらいたい。
だから、土の中から肥毒を取り除くために耕し、発芽エネルギがいくように草を抜いたりと、野菜が育ちやすい環境を作るために人が手を添えることが必要だと思っています。
 
 
● 一生懸命育った野菜はおいしい
 
「今まで食べたことがないくらいおいしかった」「びっくりした」
初めて自然栽培の野菜を食べたお客様からこんなありがたい声をいただくことも多いのですが、僕はそれについてこう考えています。
 
野菜だって、野生動物と同じ。
本来、餌は与えられるものではなく、自分で確保しないといけない環境で生きているため、いつも軽い飢餓状態です。
だから、獲物を見つけると必死に追いかけます。
そして、自分で生きる力を身につけ、たくましく育っていきます。
 
なぜ自然栽培の野菜が生命力に満ち溢れたおいしい野菜になるかというと、人為的に与えられた肥料ではなく、自分の根を一生懸命伸ばし、土本来が持ち合わせた養分を吸い上げて育っているからだと思います。
軽い飢餓状態だからこそ、自分で栄養を求めて地中深く深く根を下ろしていく。
そうすることで、野菜も強く育ちます。
 
これが自然界の法則であり、本来の野菜の姿であり、自然栽培において無肥料でも立派な野菜が育つ理由です。
本来であれば、何も与えない「土そのもの」が肥料の塊であるはずなのです。
 
根が元気に伸びれば、土壌微生物の動きも活発になって土を温め、やわらかくしてくれるため、植物はさらに根を伸ばせます。
根が伸びれば伸びるほど、しっかりと根を張るため、地上に出ている部分も元気に育ちます。
美味しい野菜が育つということです。
ここに、とてもいい循環が成り立つようになります。
 
自分の力で一生懸命育った野菜。
美味しくないはずはない、と思うのは僕だけでしょうか。