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「山ちゃんの食べもの考」では、『食は生命なり』を基本的な考えの下に勉強を続けていますが、この後しばらくは、この、『食は生命なり』をテーマに、先達の知恵から学びを続けたいと思います。 『食は生命なり』と「水野南北」 「食は生命なり」を考えるとき、先ず、江戸中期の観相学の大家といわれる水野南北 (1760〜1834)の言葉を上げざるを得ない。 江戸中期の観相学の大家といわれる水野南北 (1760〜1834)は、「食は命なり」と断言し、「人間は飲食により、その運命が変わる」と唱えた人物です。 幕末の名医として知られる石塚左玄にも影響を与えたと言われている人物です。 南北の教えで特徴的なのは「食べ物が人の運命に影響する」という点です。 ![]() 「衣食が充分で、したいことを充分にして、そのうえ立身出世を望む者は愚か者である。モノ(食べ物)を欠くことによってコト(立身出世)が足る(叶う)のであって、モノが足ればコトは定まらない。モノが足りたうえでコトが足りたものは、世の中に存在しない。満つれば欠けるというのがこの世の真理である」と述べています。 ![]() 幼い頃に両親を失い孤児となった南北は、鍛冶屋をやっていた叔父に引き取られましたが、大変な性格のすさんだ性格で、10歳の頃から飲酒を始め、盗み、喧嘩、博打に明け暮れいたそうで。18歳頃、酒代欲しさに押し込み強盗をはたらき牢屋に入れらます。しかし南北は、その入牢生活を通じて、人相について興味深い事実を発見し、観相学への第一歩となったのです。 南北は、牢の中にいる罪人の顔をまじまじと観察して、「人の顔にはそれぞれ相がある」、入牢している罪人たちの相と、娑婆で普通の生活を送っている一般人の相には、明らかな違いがあることに気づき、これがきっかけで観相家というものに関心を持つようになりました。 天下稀に見るほどの悪相・凶相の持ち主だった南北は、出牢後、町を歩いているとき、当時大阪で名高い易者から「剣難の相が出ている、後一年の命」と言われ、命惜しさに禅寺へ行き、出家を願い出ました。 が、住職から「1年間、米飯を口にせず、麦と大豆のみで過せたら入門を許す」と断られ、南北は、てします。仕方なく、麦と豆を常食にし、堂島川で川仲仕(人夫)をして暮らすことにしました。 助かりたい一心の南北は、好きな酒も絶ち、麦と大豆だけを常食し、川仲仕をして暮らしました。 そうして一年が経ち、禅寺に行く途中に、かの易者を訪ねて見ると、易者は南北の顔を見るなり驚いて、「不思議だ。あれほどの剣難の相が消えている。何か大きな功徳を積まなかったか」と聞かれた。南北は、別に何もしなかったが、一年間食事を麦と豆だけにしたことを言うと、「食を節することは天地に陰徳を積むことであり、それにより知らず知らずに天録が書き換えられ、相まで変わったのだ」と教えられました。 いよいよ観相に興味を持ち、「もう禅寺に行く必要はない、自分も観相家の道を志そう」と決意し、諸国遍歴の旅に出ました。水野南北21歳の時である。 南北は、まず髪結い床屋の弟子となって3年間人相を研究しました。 続いて風呂屋の三助をして3年間、人の身体つき・体型など全身の相について研鑽を深めました。 次いで火葬場の死体を処理する作業員・隠亡となって3年間、死人の骨格や体格などを詳しく調べ、人の運命との関連について研究を重ねました。 その後も研究に研究を積み重ね、神道・仏教から始まり、儒教、史書、易まで網羅し、南北相法を完成しました。 しかし、従来の観相法では、どうしても百発百中とはいえず、悩んだ末に一念発起、伊勢神宮へ赴き、五十鈴川で50日間の断食水行の荒行を続けるさなかに、豊受大神の祀られている外宮で啓示を受けました。 『食は命なり!』 『人の運命はすべて食にあり』 という悟りを得た。 運のいい人に共通している特色がある。死体を切り開くと、運の悪い人は内臓とくに胃や腸の中の色やツヤ、残存物が悪い。食べるものが偏っている人は運も悪い。 食事量の少ない人は、たとえ人相が悪く見えても福相で長命型が多い。欲望の中でいちばん強いものは「食べる」という欲望をどのようにコントロールするかが、大切だ。 「我れ衆人のために食を節す」という決意のもと南北は、美味大食を戒め、麦飯・一汁一菜の粗食を貫き、「慎食延命法」 を説くに至りました。 以後、観相にあたり、全裸にして身体の隅々まで調べた上で、詳細にその人の食生活を聞くことによって、百発百中だったと言われています。 また凶相の者でも、食生活を改善することにより運を変えることが出来るという、それまでにない、画期的な長命開運法を唱え、その開運法を『南北 相法極意』として執筆し、後『相法修身録』と改題し刊行され、広く世に知られました。 南北はひどい凶相で、短命の相であり、長生きしたり成功する相などは持ち合わせていなかったが、食を慎んだことで運が開け、健康のまま78歳まで生き、大きな財を成しました。 晩年は皇室のひいきも受け、光格天皇の時代に、従五位出羽之介に叙せられ、「大日本」および「日本中祖」の号を贈られたといわれています。 ![]() ● 人間にとって、本当の良薬とは食である。 人間の生命の根本は食であり、たとえどのような良薬をもちいても、 食べなければ生命をたもつことはできないのである。 ● 食を節することは、天地に陰徳を積むことであり それにより天録が書き換えられ相まで変わる。 ● 食事量の多少によって、人間の貧富や寿命や未来の運命を予知できる。 人には、その身ほどによって天より与えられた一定の食事量がある。 みだりにむさぼり食う者は、天の戒律を破る者である。 生命の存在するところに必ず食べ物があり、 逆にいえば食べ物あるところに必ず生命が発生する。 食べ物は生命の源であり、生命は食べ物に随うものである。 そして人間の生涯の吉凶は、ことごとく食によって決まるのである。 ● 常々粗食をする者は、どのようにこの上ない悪相であれ、貧相であっても、 金持ちになり、子孫に財産や名誉をのこし、幸福と長寿をおさめることができる。 ● だが、たとえ粗食であっても、時々大食するとというのは大凶になる。 ● 貧しくして身のほどをもわけまえず美食をしている者は、 たとえ人相が吉でも運勢は凶になる。 美食を慎まなければ家を没落させ、出世もおぼつかない。 貧乏人の美食家は、働いても働いても楽にならず、一生苦労する。 ● 酒肉を多飲多食する者は、生涯にわたって出世栄達しない。 食を慎まなければ、晩年は凶である。 ● 食は天からの授かり者、それをみだりに食いつぶす者は、 その禄を軽んじ、主君不敬に通じる ● 常に自分の生活水準より低い程度の粗食をしている者は、 少々不吉な相であっても、それなりに恵まれた人生を送り、 いずれは財産を形成して長寿を得、晩年は吉となる。 ● 常に食事が自分の分限・適量を超えている者は、 たとえ人相が吉相であり、その身に備わるべきものがいろいろあっても、 もつれることが多く、生涯を通して心労が絶えず、晩年は凶となる。 ● 常に分限を超えて美味贅沢を好む美食家は、 たとえ生まれつきの相が吉であっても、全体の運命は非常な凶である。 ● 常に大飲大食、暴食の者は、たとえ人相がよくても、 身分や地位の確立はむずかしくに運勢は一定しない。 もしその人が貧しければますます困窮し、 相応の福ある人、豊かな財産家でもやがて家を傾ける。 ● 大食、暴食して人相が凶であれば、 死後に入るべき棺もないほど落ちぶれる。 ● 食事時間が不規則な者は、吉相でも凶である。 ● 食を厳しく定めている人は、正しく誠意の心があるようにみえるが、 これは自然の徳といえる。 ● また、食を厳しく定めるという心が在れば、それは偏に心が厳重と言うことである。 したがって、外形もも表も知らず知らずのうちに厳重になる。 しかし、食を厳しく定めるという心がなくて、顔ばかりが厳しい、というのであれば、 これは表面のみを飾る人であるといえる。 ● 骨相、手相には吉凶は無い、飲食を厳正に定める事によって善相となる。 命の長短は相で定まらず。50歳より若い人で患い病んでいる者で、 もし死相があるといっても、常に小食を定めていれ必ずや生命が復してくる。 ● 貧しいものでも粗食をもっぱらとして一飯一菜を常食とすれば良く、 その上慎みがあり、粗食を小食に定めるというのであれば、 家運が長く続くということの兆しであり、自然と家の食録をのばしていく。 一生涯に一つの功をたてて、子々孫々にこの功を残していく。 さらに長寿であり、病を患うと言うこともない。 ● 少食の者には死病の苦しみや長患いがない。 ● 食を楽しむという根性では、成功、発展は望めない ● たとえ成功・発展の相があっても、怠け者でずるく、美食・酒肉を楽しみ、 自分の本業に精を出さない者には成功・発展はない。 ● 子供の相が貧相で悪かったとしても、その親が食に慎しみをもつならば、 みだりに貧相悪相というべきではない。 子供は、その親のなすところによって悪相から善相に一変することがある。 子に対して親は本であるから、その本が正しければ 子もおのずから正しくなる道理である。 ● 福禄寿は食に従う ● 人の貴くなること、また賤(いや)しくなることは、みな飲食の慎みにある。 人格は飲食の慎みによって決まる。 ● 相は誠をもって本とする。心が誠実でないなら善き相も悪く変わってしまう。 相は生き物であるからだ。福相であっても慎みが悪ければ貧相と変わらない。 ● 命の長さは相を見ただけでは判らない。 食で判断することで万に一つの間違いは無い。 ● 「人の運命は全く飲食の如何に拠る、是を以って予が相法の極意とする。 大食を為す者は必ず運、宜しからず、不意の災禍損失多かるべし」
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