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『食は生命なり』 【76】
『食は生命なり』と「新谷弘実」 その43
新谷弘実著 『病気にならない生き方』 3 若返り編 9
《心の若さとみずみずしい体を手に入れる法》
第4章 心が若返れば、体も若返る 1
●開業2年目、マフィアのボスがやってきた
1972年2月、その人は、私がクリニックを開業した2日目に来院、通算22人目の患者さんでした。
フィラデルファイアからやってきたというその人の服装は黒ずくめ、本人はにっこり笑っていましたが、一緒にいらっしゃった奥様はにこりともしません。
その後には、やはり黒づくめのいかつい顔をした男たちが10人ほど従っていました。
その姿は、まるで映画「ゴッドファーザー」から抜け出してきたかのようでした。
そう、見るからにマファイアなのです。
さほど広くない待合室に、黒づくめの男たち10人もいたのでは他の方に迷惑なので、お付の方には外で待っていただき、奥様と本人、2人だけで診察室に入ってもらいました。
「どうかなさいましたか?」
私が聞くと、その人アンジェロ・ブルーノ氏は悪びれもせず、淡々と答えました。
「刑務所に服役していたあいだに、下血が何十回も続いたんだ。出血量が多く、そのたびに5ユニットも6ユニットも輸血をしなくてはならなくてね」
1ユニットは500ミリリットルですから、1回の輸血量が2.5リットルから3リットルにも及んだということです。
これは相当な輸血量です。
「大学病院で見てもらったが、大腸にいくつも憩室があるということだけで、どこから出血しているのかわからない。医者は腸を全部切り取るしかないというんだが、どうも信用できない。で、君の噂を聞いてね。君はおなかを切らずに腸の中を診ることができるそうじゃないか。どこから出血しているのか、診て確かめてくれないか?」
私がコロノスコープにスネヤー・ワイヤーを組み込むことを考案し、世界で始めて開腹せずにポリープの切除手術(ポリペクトミー)に成功したのは1969年7月のことです。
その後、私の技術を教えて欲しいというドクターには、できるだけ時間を作って教えましたが、腸の中を内視鏡で見るのは、じつはかなりの熟練技術が必要なのです。
ましてや、憩室ができているような腸は、硬く狭く、癒着しているケースも多いので、技術が未熟だと腸全体を検査することが難しいし、また腸の選考をしてしまう恐れさえあります。
当時、どんな腸でも診られる技術を持っていたのは、全米でもまだ私しかいませんでした。
だからこそ、マファイアの親分がわざわざフィラデルフィアから足を運んでやってきたのです。
ナースの中には、「あの人はマファイアの親分で、何かあると後が大変だから、適当な理由をつけて断ったほうがいい」という人もいましたが、私は医師になるときに、患者を選ぶことだけは絶対にしないと決めていたので、本当はちょっと怖かったのですが、彼の検査を引き受けました。
数日後、彼の腸を診た私はびっくりしました。
憩室があることは本人からも聞いていましたし、出血も多かったので、ある程度の状態は予想していたのですが、実際に見た腸相は予想をはるかに上回る悪さだったのです。
S状結腸から下行結腸、上行結腸、横行結腸、そして盲腸に至るまで、憩室が無数に点在しているのです。
これでは、出血箇所が特定できなければ、大腸のほとんどを取らなければなりません。
私は慎重に診察をしていきました。
すると、大腸の右側にある上行結腸、肛門から1メートルほど入ったところにかすかな出血のあとがみつかりました。
私は出血箇所が特定できたことを告げ、その上で、やはり開腹手術を行い、出血している右側の腸を約30センチ切除することを勧めました。
それは肉体的にはダメージを与えますが、大腸すべてをとることを考えたら、はるかに小さくてすむこともきちんと説明しました。
私の説明を聞いていたブルーの夫妻は、翌日また来るといってその日は帰っていきました。
●幻に終わった「3つの夢」
当時、私は36歳、コロノスコープを使ったポリペクトミーで医学会でも認められたとはいえ、クリニックを開業したばかりのまだまだ若手の医者でした。
しかも相手はアメリカでは名の知れたマファイアのボスです。
当然、手術は名のある大物外科医に依頼するものだと思い、その日は手術に必要な診断書を用意するなどして翌日に備えました。
ところが、翌日ブルーの夫妻の口から出たのは、「私たちは、ドクター・シンヤに外科手術をお願いしたい」というひと言でした。
私は驚いて、「私では経験不足だとは思いませんか? ニューヨークには私などより立派で外科手術の腕前のすぐれた先生方が多くいらっしゃいます。そういう先生に執刀していただいたらいかがですか?」と尋ねました。
しかしご夫妻は、落ち着いた様子でこういうのです。
「ドクター・シンヤのことはすべて調べさせていただきました。レジテンド(研修医)のころから教授の下で教授の代わりに実際に執刀されていたそうですね。それに、自分はいろいろな医者に診てもらいましたが、先生のようなライトハンドは初めてです。家内とも充分話し合って決めたことです。ぜひ、手術をお願いしたい」
「ライトハンド」というのは、処置する手の辺りが非常にソフトでジェントルなことを表現する言葉です。
逆に不器用で荒々しいタッチのドクターは「ヘビーハンド」と呼ばれます。
私はこうして、独立してすぐにマファイアのボスの大手術を行うことになったのです。
ブルーノ氏の年齢は65歳、決して安心して臨める手術ではありませんでしたが、幸いにも手術はとてもうまくいき、彼は順調に回復していきました。
彼の私に対する信頼は厚く、術後のケアから、その後の体調管理まで、若い私の指示に実によく従ってくれました。
彼は診察のたびにいろいろな話をするようになり、退院して少したった頃からは、週末ごとに私を食事に誘うようになっていました。
私と2人でいるときの彼は、とても紳士的で、ユーモアのある魅力的な人物でした。
若い私は彼に自分の医学の夢を語り、彼はそれを応援したいとまで言ってくれました。
そんなつき合いが1年ほど続いたころでしょうか、いつものように食事をしながら、彼は私に言いました。
「先生のおかげで、私は命拾いをしました。体もすっかり良くなりました。
そこで仕事はすべて息子に譲り、自分は第二の人生を妻と穏やかに送ろうと思うのです。
これまでの人生を清算する意味でも、かねてから警察に頼まれていた犯罪証言を引き受ける決意もしました。
そう思えるようになったのも先生のおかげです」
私は心から彼の言葉を喜びました。
自分の担当した患者が、体をいつくしみ、自分の人生をよりよいものにしたいと思ってくれたのです。
「そこで、先生にはぜひお礼をさせて欲しい、世の中でよく言われる、何でも3つだけ願いがかなうとしたら、という『3つの夢』というのがあります。
先生は3つの願いがかなうとしたら何がほしいですか?」
聞かれた私は一瞬、「そんなことは結構です」と断りそうになりましたが、食事の席でもあり、彼の男としての面子も考え、ジョークとして彼に申し出を楽しむことにしました。
以前彼の奥様の指に、大きなダイヤモンドが輝いていたことを思い出し、
「では、10カラットのダイヤモンドと、フロリダに100エーカーの土地と・・・・・・」大きく出たものの3つ目が思いつきません。「3つ目は・・・・・、次に合うときまでに考えておきましょう」といって、2人で笑いました。
しかし、残念なことに、「次」はやってきませんでした。
それからまもなく、私は彼がフィラデルフィアの自宅の前で狙撃され、命を落としたことを新聞で知ったのです。
結局、ダイヤモンドも100エーカーの土地も楽しい夢のまま終わりましたが、彼はもっとすばらしいものを私に贈ってくれていました。
それは、心から私を信頼してくれた彼が、知り合いに私のことを話してくれていたことでした。
それほどのドクターならと、彼の死後も多くの人が私のクリニックに信頼を寄せ、来てくれるようになったのです。
せっかく健康になったところでの彼の死はとても残念でしたが、最後になって穏やかな心で天国へいけた彼は、幸せだったのかもしれないと今では思っています。
●心を開いてくれる人、閉じてしまう人
その女性が私のクリニックを訪れたのは、数年前のことです。
彼女は42歳、自分はロスアンジェルスから来た、内科と栄養学を専門とするドクターだと名乗りました。
身なりのきちんとした女性でしたが、年齢よりも少し老け、にこりともしない顔に冷たい印象を受けました。
彼女が私のところへ来たのは、手術不可能な乳ガンを患ってしまったので、私の勧めるサプリメントの処方と、腸の検査をしてもらいたいと思ってのことでした。
女性の乳ガン、男性の前立腺ガンを患う人は、腸相が悪いことが多く、場合によっては、腸にガンができることもあるので、早期の検査を受けることを私が勧めていたのを、彼女は知っていたのです。
幸いなことに、彼女の場合には、まだ深刻な問題は起きていませんでした。
しかし、かたくて痙攣の強い大腸は、お世辞にもきれいといえるような腸相でないことも事実でした。
このまま放っておけばさらに悪化するのは確実だと思われました。
彼女の腸相は、かたく、狭く、停滞便があり、粘膜も潤いがなく、色も黒くなっていました。
私の経験からいうと、こうした腸相は、カッテージチーズのように脂肪分の少ない乳製品を10年以上食べている人によく見られるものでした。
おそらく彼女の食生活もそうしたものではないかと思いましたが、一応、「普段はどんなものをよく食べていますか?」といつも患者さんにするように質問しました。
すると彼女が突然怒り出したのです。
「私は一般の患者さんとは違います。食歴まで答える必要はありません。それに、こういっては何ですが、私は栄養学が専門ですから、あなたより栄養学の勉強をしています」
あまりの剣幕にびっくりしましたが、彼女をなだめるように、「それは失礼しました、でも、私は私のところへいらした患者さん全員に食歴をお聞きしているので、あなたももっと気軽な気持ちで答えてくれませんか?」と、やさしく言葉を継ぎました。
しかし彼女は最後まで答えようとはしませんでした。
そして、一度も笑顔を見せないまま、サプリメントだけを購入して帰っていきました。その後、彼女が私のクリニックを訪ねてくることはありませんでした。
おそらく、彼女は一人ですべてを抱え込み、医者なのに病気になった自分を責め、自分で自分を不幸だと思いながら闘病し、天国にいったのではないかと思います。
あの時、食生活や生活習慣病の必要性を理解してもらえれば、その後の彼女の闘病生活は大きく変わったことでしょう。
そう思うと残念ですが、心を閉ざしている人を助けることは、医者にもできないのです。
本当に病気を治そうと思うなら、心をオープンにすることが絶対に必要です。
でも、心は自分から開かなければ、けっして開きません。
他人が無理にこじ開けることはできないのです。
心を開いてくれたマフィアのボスと、心を閉ざしてしまった女医さん。
二人に対する私の対応が違っていたわけではありません。
違っていたのは本人の心です。
●治癒力と免疫力を高める問診術
私のところへは、ドクターや患者さんの紹介で、どうも調子がおかしいので診てほしいという新規の患者さんがよくいらっしゃいます。
検査の結果、ガンなど深刻な病気が見つかったとき、そうした患者さんに私は必ず次のようのお訪ねします。
「あなたが病気になった原因は、なんだと思いますか?」
医者が病気の原因を患者さんに聞くなんておかしいと思いますか?
でも、これは患者さんが病気と向き合うために、とても重要なステップなのです。
病気には必ず原因があります。
まずそれを自分自身の問題として、きちんと受け止めることが必要です。
このとき、病気の原因が、酒やたばこの飲みすぎ、不規則な生活やハードな仕事による過労だと感じている人は、比較的素直に自分の口から原因を語ってくれます。
「毎日お酒を飲んでいましたからね」
「いやア、どうしてもたばこがやめられなくって」
「ここ数年、仕事がハードでしたから、無理がたたったのかもしれません」等々。
でも、もしかしたら精神的な問題が病気を招いてしまったのではないかと感じている人は、すぐには口を開こうとはしません。
そうしたものはプライベートな問題に関わることも多いので、他人である私に話すのがはばかれるのでしょう。
そういうときには、「どんなことでもいいんですよ。思い切って全部話すときが楽になることもあります。もし私でよければ時間をとりますから、話してみてください」と、少しでも心を開いてもらえるようにアプローチします。
医者と患者さんとの間には信頼関係が何よりも大切ですが、信頼し合うには、互いに心を開くことが必要です。
ですから私は、普段から患者さんとはできるだけいろいろな話をするように心がけています。
私のところに長年かよっていらっしゃる方の多くは、治療ではなく検診が目的ですが、ただコロノスコープで検査をして、その結果を「ポリープもガンもありませんでしたよ。ではまた2年後に検査を受けに来てください」と伝えるだけの診療は、私は絶対にしたくないと思っているからです。
医者は体だけ見ればいいというものではないというのが、私のポリシーです。
体は半分、後の半分は、問診を通して心を見ているのです。
それは心が体に大きく影響していることを、知っているからです。
検査結果も、ただ事務的に伝えたのでは、相手の心には響きません。
今日診た腸の様子はどうだったのか、それは前回と比べてよい変化だったのか、悪い変化だったのか。
よければ相手の改善努力を聞き出して褒め、悪ければ何が原因になっているのか、会話の中から探っていきます。
「今日診たところ。腸が少し乾いていましたね。 お顔を見ると、肌も少し乾燥しているようですが、毎日お水はどのくらい飲んでいますか?
最近、血圧も少し高めではないですか? 水が不足すると、血圧も高くなってしまうんですよ。 毎日これくらいは飲むようにしてくださいね」
肉体的な原因がなさそうなときには、相手の近況や、生活に変化がなかったかを聞きます。
そのときも、たとえば、ゴルフが好きな人なら、自分が最近回ったコースの話をするなどして、自分のことを語りやすいような雰囲気作りを心がけます。
そうしていると、最初は多く語らない人も、2度目3度目となるごとに、笑みがよく出るようになり、心の中の思いを素直に語ってくれるようになります。
心を開いてくれた患者さんは、治療がしやすいだけでなく、治療の効果もとても早く表れます。
これは人を信じる心、一つのものを人と分かち合おうとする心が、エンザイムを活性化させ、結果として免疫力を高めているからだと思います。
●医者は絶対に余命宣言をしてはならない
検査結果がどれほど深刻なものだったとしても、私は、けっして患者さんにウソをいいません。
たまに家族の方から「本人には本当のことをいわないで下さい」といわれることもありますが、そういうときには家族の方を説得し、真実をみんなで分かち合うことの大切さを理解してもらうようにしています。
それに、不思議なことに、ガンなどの場合、自分の病のことを知り、自分が死ぬかもしれないというところまで含めて、自分の現状を受け入れた人のほうが治癒することが多いのです。
日本語でふさわしい言葉が見つからないのですが、英語ではこの感覚をアクセプト(accept)と表現します。
自分の状況や運命をあきらめるのではなく、前向きな心で自分の状態を納得して受け入れるという感覚です。
私が、患者さん自身に病気になった原因を語ってもらうようにしているのも、本人が病気をアクセプトしやすくするためのです。
ですから私は、どんな病気でも、必ず「告知」します。
告知をすると、患者さんの中には「先生、私の余命は後どのくらいですか」という質問をされる人もいます。
でもそのときは、はっきりと「私は知りません」と答えます。
余命3ヶ月とか、半年と、医者が患者に告げるシーンがドラマなどでよく見られますすが、医者がそういうことをいうのは大きな間違いだと私は考えています。
「あなたの命は、神様から与えられたものです。
ですからそれは、神様があなたをいつ天国に呼ぶかという問題であって、私が言及するような問題ではありません」
これが私のいつもの答です。
私が「告知」するのは、それが、患者さんがそれからの人生をよりよく生きるために役立つからです。
しかし、「余命宣言」は違います。
医者が余命を宣言すると、患者さんは「生」ではなく、「死」を受け入れてしまいます。
これはとても大きな違いです。
患者さんと医者の間に信頼関係があればあるほど、患者さんは医者の言葉の影響を受けます。
医者の語った余命が的中すると、さすが医者の見立てどおりだったといわれますが、もしかしたら、それは患者さんが、医者がいった「3ヶ月」という言葉で、自己暗示をかけてしまった結果かもしれないのです。
人はいつか必ず死にます。
病気になったのは、単にその人が自分の体をきちんといたわってこなかった結果に過ぎません。
病気になってしまったのなら、過去を嘆いたりごまかしたりするのではなく、事実を受け入れ、それからの人生をより充実したものにすることのほうが大切です。
前述のマフィアのボス、ブルーノ氏は病と向き合い、健康を回復しましたが、その後まもなく銃で撃たれて亡くなりました。
それでも、最後に自分の体をいたわり、新たな人生を歩みだす決意をしたことは、彼の人生にとって大きな意味をもっていたと私は思います。
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