高知県 四万十川源流の十和村から
野生派のトマト
野中さんの
狼桃とまと
 
 
● 野生派 「狼桃トマト」とは
 
トマト属のリコペリシオンという学名は、リコス(オオカミ)と、ペリシコン(モモ)という2語からなっています。
すなわち、オオカミのように粗野で、モモのような果実の意味に由来しています
 
場所は高知県の西部、四万十川の源流が流れる十和村です。
高知市中心部からは約3時間、自然がとても美しい村です。
 
 
高知市中心部からは約3時間、四万十川源流の十和村で、野中さん夫妻が栽培している完熟トマトです。
 
毎年、徹底した土壌分析をし、徹底した独自の土壌管理の徹底などにより、農薬の使用を最低限抑え、高糖度・高品質のトマトを栽培しています。
 
一般に見る、通常の完熟トマトとは違い、野生的で、いびつな外観ですが、トマト本来の酸味・香り・うまみのある驚きの高糖度トマトです。
 
生産者の野中勝さんは大阪出身。
夫妻で平成5年に高知県四万十町にIターンし、平成6年から究極の高糖度トマト栽培に挑戦してきました。
 
当初は泣きながら仕事をする日々も続いたようですが、今ではノウハウも固まり37アールハウスで究極のトマト作りに挑戦しています。
 
無農薬有機栽培とは言えませんが、農薬も化学肥料も必要最小限に抑えています。
 
必要な栄養をちゃんと与え、必要ならば薬も与えます。
農薬を全く与えない年もあります。
その見極めをするのが一番難しいのです。
子供と同じように大切に育てた健康なトマトです。
 
 
● トマトの原産地を思いを馳せて
 
トマトの原産地はインカ帝国が栄えたアンデス山脈の高冷地帯(ペルー、エクアドル、ボリビヤ地方)です。
 
生まれ育った南米ペルー・アンデスの高地を思い出し、たくましい力を発揮した野性味あふれるトマトです。
 
現在市場に流通しているトマトは、この日本の気候(ジメジメした梅雨や、湿度の高い夏)で作りやすいように品種改良されたものばかりです。
しかし、それはトマトの本当の姿ではありません。
 
野中さんは、就農以来、トマトの原産地を思いを馳せ、トマト本来の野性的な生命力を持った、たくましい野性味あふれるトマト作りに目指してきました。
 
トマトはカラカラに乾燥したアンデスの高地で生まれ、サボテンも育たないほどの悪条件の中で育ちました。
その本来の環境にできるだけ近づけて育てたのがこの「野生派トマト 狼桃」です。
 
野生の本能を思い出しながら育つため、たくましく、病気も寄せ付けません。
人間の手を最小限に抑えることで、トマトが本来持つ野生の力を引き出し、トマト自身の吸肥力や吸水力が高まり、無駄のない、充実した実を作り出すのです。
 
 
● あえて、厳しい環境でトマトを育る
 
土壌分析し、健全な土壌作りした土を、タンパ(土を固める機械)で踏み固め、コンクリートのように硬くし、ドリルで穴をあけてそこに苗を植えるほどです。
土を固めることによってトマトが生きようとその間を掻き分けて根を広げる、そうすることによって強い木ができるのだそうです。
 
そして最低限の水だけしか与えません。
そうすると、そのトマトは、必死に水を探し、硬い土の中を、力強く根を広げ、水分を得ようとする。
成長していくには、土から吸水するの水分だけでは足りないので、大気中の水分を得ようとしして果実の表面に、ぎっしりと産毛を蓄えて、その産毛から水分を吸収します。
 
あえて、こうした厳しい環境で育てるからこそ、生命力にあふれた本物トマトが実るのです。
 
 
● 単に甘いだけではない「狼桃トマト」
 
甘いだけではない、旨さと食感と酸味とのバランスがよい
 
狼桃は空中からも僅かな水分を吸収しようとする為、ゴツゴツとしたトマトの肌に産毛が生えているのが見えます。
 
昼夜の激しい寒暖差が皮を硬く鍛え上げ、実がギュッとつまり、ずっしりと重く、水に沈むほど密度が濃いのが特徴です。
 
切ってみると、ほとんど空洞がなく、全てが果肉状態なのです。
黒っぽいほど真っ赤に熟れた頃が最も美味しい食べ頃です。
 
トマトには、大量のうまみ成分・グルタミン酸が含まれていますが、とことんまで完熟したこの狼桃トマトは、たくましい野生の味を持つトマトです。
 
かぶりついた時、口中に広がるトマトの香り・甘み・酸味のバランスがよく、トマト自体の旨味ぎっしり詰まって非常に濃厚ですから、そのまま何もつけないで食べるのが一番です。
 
 
 
■ トマトの話
 
トマトは、南アメリカのアンデス山脈高原地帯、ペルー、エクアドル原産のナス価ナス属の植物です。
多年生植物で、緑黄色野菜に一種です。
日本語では唐柿(とうし)、赤茄子(あかなす)、蕃茄(ばんか)、小金瓜(こがねうり)などの異称もあります。
 
● トマトの植物的特性
 
日本では冬に枯死するため一年生植物ですが、熱帯地方などでは多年生であり適切な環境の下では長年月にわたって生育し続け、延々と開花と結実を続けることができます。
1本仕立てで1年間の長期栽培を行うとその生長量は8m〜10mにも達します。
 
通常の品種(支柱に誘引するタイプ)では発芽後、本葉8葉から9葉目に最初の花房(第一花房)が付き、その後は3葉おきに花房を付ける性質をもちます。
地這栽培用の品種では2葉おきに花房をつける品種も多い。
 
また、各節位からは側枝が発生します。
側枝では5葉目と6葉目に花房が付き、その後は3葉おきに花房を付けますが、側枝は栽培管理上、除去される事が多いです。
株がストレスを受けると正常な位置に花が付かない(花飛び)現象が発生するため、株が適切に生育しているかどうかを示す指針となります。
 
適温は昼温20〜25度、夜温15〜20度とされます。
気温が30度を超えた環境では花粉稔性の低下により着果障害や不良果が増加し、最低気温が5〜10度を下回ると障害を受けます。
適湿度は65〜85%でありこれ以下では生育が劣り、これ以上では病気が発生しやすくなります。
 
潅水量が多すぎると果実が割れ、少ないと障害果が発生するため、高品質な果実を作るためには潅水量の細かい制御を必要とする作物です。
潅水量を減らすことで高糖度な果実を生産することができますが、収量は減少します。
水耕栽培では養液の浸透圧を制御する事で高糖度化を行うことができます。
 
トマトにはアルカロイド配糖体(トマチン)が含まれます。
その含量は品種や栽培方法によって異なります。
 
 
● トマトの品種
 
色による分類ではピンク系と赤系と緑系に大別されます。
ピンク系トマトの果実はピンク色を呈し、赤系トマトの果実は濃い赤やオレンジ色を呈します。
 
日本ではピンク系トマト(‘桃’系)が生食用として広く人気を博し、赤系トマトはもっぱら加工用とされました。
しかし近年になって赤系トマトには、抗酸化作用を持つとされる成分リコピンが多量に含まれていることから利用が見直されています。
その他に白、黄、緑色、褐色、複色で縞模様のものがあります。
 
果実にはゼリー状物質が満たされていますが、一部の品種ではピーマンのように中空であるものもあります。
他に、実が細長いイタリアントマトや、実が極めて小ぶりで凹凸の少ないミニトマトがあります。
 
葉の形は、ニンジン葉(葉の切れ込みが特に深い)やジャガイモ葉(切れ込みが少なく、浅い)の葉を付ける品種では、トマトと気づかれない事も多いです。
 
海外では多くの品種が赤系トマトですが、国産の品種は生食用として栽培されるものはピンク系のものが殆どであり、加工用品種、台木用品種やミニトマトに赤系のものが見られます。
 
世界では、8000種を超える品種があるとされ、日本では農林水産省の品種登録情報ページによれば、120種を超えるトマトが登録されています。
これは、野菜類の登録品種数の中でも、目立って多く、一方で一代雑種のF1品種は登録されないことが多く、桃太郎などの有名な品種の登録はありません。
 
果実の大きさによる分類では大玉トマト、中玉トマト(ミディトマト)、ミニトマトに分類されるます。
大玉トマトの果重は200g以上、ミニトマトの果重は20〜30g程度となり、この中間的な果重となるものは中玉トマトと称されます。
 
ただし、栽培方法によって果重は変化し、水を極力与えず高糖度化をはかると大玉の品種も果実が小さくなります。
 
小さく甘みの強いフルーツトマトとは、高糖度化をはかったトマトの事であり、品種名を示すものではありません。
例えばフルーツトマトの代表的なものに高知県高知市一宮(いっく)地区の徳谷トマトがありますが、これは一宮の特に徳谷地区の土壌が塩分を含んでいるために成長が遅く、また小ぶりであるが糖度が高いものを指しますが、この地区のトマトはほぼ糖度が6以上あるため該当しないものはあまりありません。
 
また、塩トマトがありますが、これは熊本八代地域の干拓地など塩分の多い土壌で育成されたトマトの内、特別に糖度が高いものを指します。
品種は主に「桃太郎」です。
ミニトマトの一品種としてパキーノ地方原産のパキーノトマト(チェリートマト)も生産されています。
 
 
● トマト栽培の歴史
 
ヨーロッパへは、1519年にメキシコへ上陸したエルナン・コルテスがその種を持ち帰ったのが始まりであるとされています。
当時トマトは有毒植物であるベラドンナに似ていたため、毒であると信じる人も多く最初は観賞用とされなしたが、イタリアの貧困層で食用にしようと考える人が現れ、200年にも及ぶ開発を経て現在のかたちとなったとのこと。
 
これがヨーロッパへと広まり、一般的に食用となったのは18世紀のことであす。
一方北アメリカではその後もしばらくは食用としては認知されませんでした。
1820年、ニュージャージー州のロバート・ギポン・ジョンソンは、町の裁判所前の階段でトマトを食べて人々に毒がないことを証明したとされますが、詳しい資料は残っていません。
 
1793年当時アメリカは輸入の際、果物には関税がかからず、野菜には関税が課せられていました。
このため、トマトの輸入業者は、税金がかからないようにと「果物」と主張。
これに対して農務省の役人は「野菜」だと言い張りました。
 
両者は一歩も譲らず、さらに果物派には植物学者も加わり、論争はエスカレート。
とうとう、1893年に米国最高裁判所の判決を仰ぐことになってしまいました。
判決は「野菜」。
 
裁判長はずいぶん悩んだと思われ、判決文には「トマトはキュウリやカボチャと同じように野菜畑で育てられている野菜である。また、食事中に出されるが、デザートにはならない」と書かれていました。
 
日本には江戸時代の寛文年間頃に長崎へ伝わったのが最初とされます。
青臭く、また真っ赤な色が敬遠され、当時は観賞用で「唐柿」と呼ばれていました。
 
中国では、現在も「西紅柿」と呼んでいます。
日本で食用として利用されるようになったのは明治以降で、さらに日本人の味覚にあった品種の育成が盛んになったのは昭和に入ってからです。
 
 

石川県認定
有機農産物小分け業者石川県認定番号 No.1001