山ちゃんの食べもの考

 

 

その103
 

 日本の穀物自給率は低下の一途をたどり、危機的状況にあることを認識しなければなりません。1992年度にわが国に輸入された主な農産物を生産するために使われた必要な外国の作付面積を試算すると、約1,200万ヘクタールとなり、これは、この1992年における我が国の農作物作付延べ面積(521万ヘクタール)の2倍以上に相当するといいます。
 輸入農産物の、ほとんどの輸入先がアメリカなど限られた少数の国に集中しており、私たちの食生活が限られた国の農地や労働に大きく依存していることになります。このことは輸出国の気象条件や生産事情、または政治的・経済的変化などに影響されやすく、極めて不安定な構造であるということです。
 農林水産省「食料需給表」によると1970年に40%であった穀物自給率が、年を追うことに下降し、1980年には31%、1999年には27%にまで落ち込んでいます。
 世界各国の自給率を見て見ると、オーストラリアが344%、アルゼンチンが201%、フランス194%、カナダ163%、タイ144%、アメリカ134%、ドイツ123%、インド109%、中国101%、イギリス100%、ナイジェリア91%、イタリア86%などとなっています。自給率の窮めて低い国にはイラクが30%、韓国29%、サウジアラビア23%、日本が23%というデータもあります。
 穀物自給率が日本より低い国は、コスタリカが21%、フィージーが10%、パブアニューギニア2%などがありますが、日本の自給率は、世界178か国中の130番目だといいます。


 一般にいわれる食料自給率(カロリーベース=国民消費カロリーに対する国内生産カロリーの割合)も、平成12年度におけるわが国では、わずか40%です。この数字も、主要先進国の中で最低水準にあります。カナダの152%、フランスの132%、アメリカの125%は別格としても、ドイツの96%、イギリス、イタリアの74%、スイス61%に比べ、格段の低さなのです。
 食べなくなって消費が半分になった米の自給率はほぼ100%の自給ですが、増えているパンやうどんに使われる小麦の90%以上、油・みそ・しょうゆ・納豆・とうふなどに使われる大豆の95%以上が輸入に依存しているのです。そればかりでなく、果物60%、肉や魚の半分が輸入されたものです。最近では野菜の輸入も急速に増加しており、自給率80%を切る勢いです。鶏卵の自給率が96%、牛乳・乳製品の68%と比較的高い自給率を示していますが、その飼料のほとんどが外国からの輸入依存です。


 中村三郎氏は、この危機に瀕したわが国の食料自給率の低さをもたらしたものは戦後の農業政策の失政にあるとし、次のように記している。
 「今日本人は平均して1人当り2600カロリーを摂取している。カロリーベースが39%ということは、摂取カロリーのうち1014カロリーしか日本国内で供給されていないことを意味する。これは成人が生きていくのに最低必要なカロリー(約1300カロリー)をはるかに下回っている。そして、カロリーベース39%ということは、別の言い方をすれば、日本の総人口1億2000万人のうち、約7300万人分の食糧は輸入で賄っていることになる。コメ、麦、大豆などの穀物類(自給率24%)に限るとさらに上回り、9000万人を超える分を輸入に頼っていることになるのである。」
 「日本の食料自給率が衰退してきた原因は、戦後一貫してとってきた農業政策が、“異常”だったからだ。日米安保体制というアメリカ主導の政治的枠組みの中で、日本は減反と輸入自由化を盲信し、他国の食料を買い漁り、食いつぶしてきた。地球の裏側で何億人もの人間が飢えているのにも目をつぶって、ひたすら工業国への道を突っ走ってきた。その結果、潜在的に高い生産力を秘めている日本農業をボロボロにし、自給体制を瀕死の状態へと追いやったのだ。そして、この愚作のプロセスの中で、日本はアメリカの巨大アグリビジネスに首根っこをおさえられ、いいように操られてきたのである。」と。


 昨日、久し振りにサツマイモのつるの煮物を食べ、戦中戦後の食生活を思い起こしました。日本の食が大きく変わりだした昭和30年代から食品販売業に携わってきて、凄まじい食の変貌に驚異の日々であった。目まぐるしい新製品の出現と動物性食品、欧風の食生活、新しい飲料、菓子、グルメ。
 自然に合わせてゆっくり小規模で、手づくり的に作られていた食べものが工業製品化していった。それを支えたものは化学肥料や農薬、食品添加物、化学薬品の多用であった。
 食べものが壊れていく。食べものが体を蝕んでいく。「食べもの」というイメージから「商品」「食品」という無機的な感性に代わり、「危ない!食べものから心と生命が消えて行く!」と危機感を覚えたのは、昭和50年代も後半になってからのことである。
 産地やメーカーを訪問する。第一次産業である農業、畜産、漁業にも、素朴に描いていたものとは全く様相が違う。伝統的な味噌・醤油・豆腐・うどん・練り物・せんべいなどが有名メーカーの近代的工場で大量生産される。「何かが違う」。いわんや新しく誕生した諸々の食品については、疑問が高まるばかりであった。
 よい食品を求めて訪ね歩き聞き歩く中で、日本の食べものがとんでもない方向に来てしまった。「まともな食べもの」と呼べるものが殆んどなくなって来ている。まともに「食べもの」とも呼べないようなものが日本人の食生活をねじ曲げ健康を破壊する。
 食の本質、食の原点とは何なのか。日本人の食生活を大きく変貌させたものは何なのか。


 戦後日本の食体系を急激に変貌させた要因と経緯について、中村三郎氏は次のように述べています。
 日本の伝統的な食文化であった米と魚と味噌汁、漬物という食体系に代わって、パンと牛乳、乳製品、食肉類の摂取が増え、食事の洋風化が進んだ。1950年からパンと乳製品、60年代に入ると食肉の消費が急増。栄養の面からみて、戦前は70%が炭水化物だったのが、50%に低下、動物性蛋白質、脂肪が次第に増えた。主食である米の消費が著しく減少、1人あたり平均年間150キロの米消費量が、現在半分以下の70キロまで落ち込んでいる。
 敗戦とともに食糧不足におちいった。深刻な事態に、GHQ(連合軍司令部)のマッカーサー司令官は、アメリカに日本への食糧支援を要請し、1947年、アメリカから100万トンの大麦と小麦が送られる。
 アメリカからの麦の供給は、さらに増大する。日本の米の生産量は、年間1000万トンに上ったが、それでも三度の食事を全て米でまかなうには不足。麦の輸入量は300万トンに達した。そのころ日本人は3回に1回の割合で麦食を口にしていたことになる。この大量の輸入麦によって、敗戦直後の食糧難はとりあえず終結に向ったのである。


 翌50年になると、朝鮮戦争が勃発し、アメリカは軍隊のために食料を確保しなければならず、日本は小麦の大量輸入ができなくなった。小麦の供給が激減したにもかかわらず、日本政府は米食から麦食への転換を推奨した。時の大蔵大臣・池田勇人が「貧乏人は麦を食え」と発言し、国民の顰蹙を買った。
 翌51年、日本はサンフランシスコ講和条約の締結によって、再び独立国の地位を獲得した。以後、日本は金を払ってアメリカから麦を購入することになった。
アメリカは国内の穀物余りが深刻化し、余剰穀物を売りさばくはけ口として、日本に白羽の矢を立てた。アメリカ政府の注目を集めたのが学校給食だった。この学校給食がアメリカの対日食糧戦略の口火となる。
 54年、アメリカ政府は「余剰農産物処理法」という法律を導入。この法律は、国内の余った農産物を輸出によって処理することを目的としたものである。
まっ先に飛びついたのは学校給食が危機におちいっていた当時の文部省だった。
 各市町村に学校給食の実施を奨励する「学校給食法」が公布され、57年からは中学校でも給食が実施される。パンと脱脂粉乳が中心で、97年に文部省の通達で「週2回の米飯給食」が導入されるまで、そのメニューが続く。途中、65年に脱脂粉乳が牛乳に切り替えられるが、「パン+副食+ミルク」が基本メニューとして今日に至っている。


 中村三郎氏の話は続く。アメリカは、日本をより巨大な小麦の安定市場に育てるために、主食を米食から麦食に切り替えさせる必要があった。
 そこで、「食生活改善運動」と称するキャンペーンを計画。調理器具を乗せたバスを使って地域を巡回し、いろいろな料理法を紹介して小麦料理のPR。
 調理バスは「キッチンカー」と呼ばれ、日本津々浦々を走り回った。キャンペーンはしだいに効果を発揮していった。パンやスパゲッティを作って、いかに麦食が栄養に優れているかを盛んに売り込んだ。
 アメリカは、さらに攻撃をたたみかけ、61年、民放局で小麦料理の番組を放映する。スポンサーは「アメリカ小麦協会」である
 こうして小麦はパンと麺類だけでなく、ドーナツやホットケーキ、クッキー、ビスケットなど、さまざまな料理として家庭の中に浸透していく。
黙っていても、小麦の需要は伸びていく。この時期、インスタントラーメンが爆発的なブームとなり、63年には20億食が消費される。小麦が日本の食生活に根づいた象徴的な出来事だった。その年、日本の小麦輸入量は250万トン、敗戦直後の無償需給時代の数倍に達している。
 トーストと牛乳という朝食メニューは、日常的な光景になりつつあった。小麦食は、日本で完全に定着してしまったのだ。アメリカの対日小麦戦略は、ここに大成功をもって完了したのである。
 日本の小麦食の定着は、自国の余剰麦を日本人に食わせるアメリカの仕掛けである。しかし、自らの口に押し込んだのは、ほかならぬ日本人であることを忘れてはならない。そして、その先頭に立って活動したのが、アメリカに懐柔され、肝を抜かれた日本政府なのである。
 また一部の栄養学者は、パン食を中心とした肉食や乳製品の献立の優秀さをまことしやかに説き、「新しい食の時代」などと国民を啓発した。中でも、ベストセラーとなった『頭の良くなる本』などの著者、慶應義塾大学医学部の林髞教授は、「米を食べると頭が悪くなる」とか、「米を食べると早死する」などといってはばからなかった。製粉・製パン業界のイベントで小麦食奨励の講演を行い、その学説を業界PR誌に書き立てて喧伝したのである。
 パンの中にはさまざまな食品添加物が含まれていること、それが人体に何らかの影響をおよぼしかねないことなど、学者ならば当然言及すべき問題には、一切触れなかった。企業におもねたとしか思えない。



 

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生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
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池田 優

 

 

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