山ちゃんの食べもの考

 

 

その106
 

 街角にあるコンビやファーストフードには、朝の登校時間と塾帰り、部活動帰りの宵の口ともなると子供たちで大賑わい。その子供たちは何を買い、何を飲み食いしているのだろうか。私にはその子供たちの朝ごはんや夕ごはんがどうなっているのか、不思議でなりません。 
 子供たちが好んで買い食いするそれらの食べものは、一体どのような質の原材料が使われているでしょう。それらのほとんどが大工場で大量生産されるものでしょう。どのような食品添加物がどの程度に使われ、どのように加工しているのでしょう。
 心も体も盛んに育とうとするこの時期に、毎日これでいいのでしょうか。そのうえに、家で食べる食事までもが、大工場でつくられた袋入りの「お袋の味」ではたまったものではありません。
 今の子どもたちは、こうした人工的に作られた食べものに慣らされ、その味が刷り込まれて習慣化していきます。そして、新鮮な素材で作った無添加の家庭料理が物足りなくなり、まずく感じるようになります。
 食品添加物を使って、色や甘味はもとより、香り、口当たり、風味、旨味も人工的に味付けされたものでないと飽き足りなくなり、添加物中毒になる危険性があります。それが生涯の味覚形成につながっていくのです。


 地元で出来る旬のものを食べさせましょう。味も香りも十分に乗って一番美味しく、栄養分などの内容が一番充実しています。旬のものはその土地その季節に合ったものですから、無理なく栽培ができて、化学肥料や農薬などをあまり使わなくても出来るので、一番安全で、その時期に必要な栄養も豊かな食べものです。そして大量に出回るから時期だから値段も手頃。こんな地場で出来る旬の農産物は、その地に住む人々にとっては「身土不二」の原則から、健康な食生活にとっては最高の食べものといえます。
 「旬がなくなった」といいますが、年がら年中なんでも沢山あるということは、健全な食生活を考えるという点からいって、決して豊かなことでもいいことでもありません。野菜や果物が肝心の旬になると消費量が逆に減ったりすることがあるのです。施設園芸が盛んになり、旬を外した早出しや遅出しが多くなってきました。旬がくる前に食べ飽きるのですね。旬が過ぎるとまた食べたくなるなどというおかしな現象になっています。
 夏のミカン、冬のイチゴ、スイカ、メロンなど旬を外れたものが貴重がられます。野菜では冬でもトマトやキュウリが消費量のトップ。それに、日本の季節とは全く合わない旬を外れたものが、わざわざ海外からドンドン輸入され消費されています。私たちは、自分の住む土地の気候風土、自然のリズムとは全く違う狂った食べ物を平然と食べていませんか。


 子供たちは冷え切っています。低体温障害が広がっているといいます。野菜といえば、年がら年中サラダ、サラダで、キュウリやトマトのほか、体を冷やす夏野菜を、しかも生で食べているのですから。果物も国産の旬のものものはあまり食べず、もっとも体を冷やすバナナや、パイナップル、オレンジ、グレープフルーツ、パパイヤやマンゴーなど暑い土地の人たちが暑気払いのために食べるものを、年がら年中自分も食べ、子供たちにも食べさせているのです。その上に冷たいジュースや炭酸飲料のガブ飲み。
 自然のリズムと体のリズムとは一体なのですから、春夏秋冬、季節に応じたその土地でとれた食材を食べることこそが、最も理想的な食のあり方なのです。
 子どもたちの食べものが、健康な生命を育むための原則を逸脱して、デタラメなものになっていないでしょうか。大人もそうですが、発育盛りの子供たちの日頃口にしている食べものや食べ方が、いかにアンバランスでメチャクチャなものになっているかを省みるべきだと思います


 私は「身土不二」「地産地消」「旬産旬消」「自産自消」こそ、健康な生命、健全な国民のための食の大原則だと思います。
 「身土不二」――私達の心身の健康は、住む土地の自然環境や気候風土と切り離せないものであり、あらゆる存在と一体となってバランスしているものであるから、その土地に合わないものをあまり食べてはいけない。
 人が健康であるためには、その土地で採れる食べ物こそが、切っても切り離すことのできないものなのです。三谷歯科医院の三谷亨医師は、「身土不二とは人の体とその人の住む環境とは密接な関係があるので、健康を保つ為には、その人が住んでいる土地で採れた旬の食べ物を食べなさいという仏の教えなのです。例えば、南国の果物は甘くて美味しいのですが、水分を補給して体を冷やす働きがあるので、我々日本人には夏の暑い時期以外は食べ過ぎると体を冷やし過ぎて良くないということです。特に小さな子どもは、南国の果物が大好きなのでついつい食べ過ぎておなかをこわしてしまうのです。」
 私は、食べ物を選ぶには、生鮮食品はもとより、加工食品であっても、その原材料が、「先ず国産のもの」を選べ、と言っています。私たち日本人には、先ず自分の生まれ育った日本で出来たものを食べることが、自分の体にはもっともふさわしいのです。


 世界には、どの地域どの国にも行っても、それぞれその気候風土に合った固有の食体系・食文化があります。その土地に住む人々がその土地に出来る食べものと食べ方を数百年、数千年食べ続けてきて、その上にその民族の食生活があり健康があり、繁栄があるのです。それが「身土不二」なのです。
 ところが、いま、世界の発展途上国では、先進国の文明と共に、食においてもグローバル化が進み、欧米風の飲食物が入り込んで急激な食の変化をもたらしています。そしてその国の伝統食が損なわれて先進国病に悩む人たちが多くなっていると聞きます。
 日本の食糧自給率は40%、世界178ヶ国の中で136番目という危機的状況にあるのです。つまり私たち日本人は、その食べ物の60%が外国に依存するという「身土不二」とはほど遠い全く哀れな食生活を余儀なくされているのです。このままでは日本人の健康長寿がいつまでも保てるとはとても思えません。


 私たちは、日本の農業、日本にできる食べ物をこそ、大事にしていかなければならないのです。その土地の気候風土に合った農産物や海産物を新鮮なうちに食べることは、健康で充実した生活の基礎であり一番いいに決まっています。
 しかも、生産者と消費者は、作る人と食べる人が、お互いに顔が見え、信頼できる人によって安心できるものが作られ、安全・安心を信頼して美味しく食べられる。
 「作る人は食べる人の健康と幸せを願い愛情を込めて丹精する、食べる人は作る人のことを思い感謝の心で食べ、決して粗末にしない。」という相互信頼関係で結ばれます。
 「地産地消」――その土地その土地には、長い歴史の中で培われて来た食べものと食べ方があり、その土地の食文化が人々の生命を育んできました。それは、その土地に住む人々にとってもっとも理に適ったものであり、食生活はその土地での生産を大切にし、それを食の基本におくことが最も大切なのです。
 熱帯には熱帯の、寒帯には寒帯の、フランスにはフランスの、ドイツにはドイツの、イタリアにはイタリアの、中国には中国の、日本には日本の、それぞれ侵したり軽視してはならない食の「生産即消費」という原理原則と文化が有ると思います。
 その土地で産したものでないもの、その土地に合わないものは、基本的にはその土地に住む人々の体にも合わないものでありますから、あまり食べないほうがよいのです。今、私たち日本人が、いかに日本人の体質に合わないものを食べ、合わない食べ方をしているかを考えてみる必要があります。


 「旬産旬消」――その土地のその季節にとれるものには、その栽培においても最も無理がありません。その土地の条件や気候にマッチし、環境とも適合しているので、化学肥料や農薬をあまり必要としませんし、施設栽培などのように余分なエネルギーも必要とはしません。しかも、それはもっとも栄養成分が充実しております。そしてそれは、その土地に住む人々のその時期にとってもっとも必要とする生命要素を服も理想的な食べ物なのです。
 自然の一員、その環境の一員である人間が、その土地のその季節に合わないものを食べることは、体のリズムを狂わせ健康を損なうことになるのは必定でしょう。
 季節をいただく、旬をいただくことは、自然の生命力をいただく最も理に適った食の有り方なのだということを大事にしたいものです。
 旬を重んじた食べ方をすることが一番いいのは、自然のリズムと私たちの体のリズムとが一体だからです。その時期の体に一番いいものを自然が与えてくれているのですね。そして最盛期の作物にしろ山菜その他の収穫物にしろ、あるいは魚介類などにしても、その時が最も美味しくて栄養も豊富ですから大いに食べるべきでしょう。
 そして、それら最も内容の充実した旬のものを、「一物全体」という考えから、食べられるところは全部をいただくというのが最も理想的食べ方なのです。野菜や果物も安全に作っていただいたもの選び、出来るだけ丸ごと全部を食べものとして生かしましょう。魚でも頭から尻尾まで、骨も皮も内臓なども食べることで、一つの生命体が持っているバランスの取れた全ての栄養や生命力を丸ごと吸収して、自分の生命に活かすということになるわけです。精白しすぎた米や小麦粉と同じで、せっかく食べた良い食べものであっても部分食は栄養の偏りを生じることのなるわけです。


 私たちは大変豊かな食に恵まれています。飽食日本では世界中から多くの食べ物を買い漁りながらも、1000万トン以上の食べ残しが廃棄さてているといいます。しかし、食糧自給率は40%で、穀物自給率は20数%でしかない。生鮮野菜や果物までもがドンドン輸入されていて、食べることに何一つ不自由を感じることも危機感を抱くこともなくなっていますが、果たしてこんなことでいいのでしょうか。
 自分たちの食べるものは自分たちの手で生産して食べる、という基本的な考え方を失っては、真の先進国、文明国、自立国家とはいえないでしょう。
 私たちの体の半分以上が外国産になってしまっているのです。生命の源である食の生産を放棄することは、健康な食の有り方からいって、自滅への道を歩んでいると言っても過言ではないと思うのですが。
 「自産自消」――日本は、まず「自分の食べるものは自分で作る」を先ず原則にしないと、子供たちの未来はなくなります。日本の農業は非生産的だとか過保護だと非難されますが、WTO交渉などの推移でも見られるように、グローバル化の波は、日本にとって深刻化を増すばかりです。このままではお米さえもが危くなってきています。安心安全な農業とは、そもそも効率の悪いものなのです。真に体に良い食べものは生産性本意、経済性優先で得られるものではありません。食べる人に思いを馳せ、手間ひまかけて良心的なものを作る人がいてくれてこそ、私達は安心な食生活が出来るのです。
 日本の農業就業者は380万人。その過半数が65歳以上の高齢者です。また過半数が女性です。このままではますます日本の農業は崩壊の道をたどります。自給率の向上どころではありません。生命の素を作る人がどんどん減っているのです。
 農産物は農業者によってのみ作られるものではありません。日本人口の内97%の人たちがその消費者なのです。その消費者が自分達の国で作るか、それとも外国に委ねるか、どう考えるかによって決まるのです。
先ずは国産を選びましょう。そのことが最も理に適っているからです。



 

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生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
L ife A griculture F oods

FAX :076-223-2005
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池田 優

 

 

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