山ちゃんの食べもの考

 

 

その136
 

 1989年EC(欧州共同体)が域内での肉牛へのステロイド系成長ホルモン剤の使用を禁止し、また89年には乳牛への遺伝子組み換え技術を用いて製造した成長ホルモン剤の使用中止を計画して、いわゆるECとアメリカの「牛のホルモン剤戦争」が勃発しました。
 市民団体「安全な食と環境を考えるネット・ワーク」の伊庭みか子事務局長によれば、「この戦争は『疑わしきは使用せず』とするECと、科学的証明がない限り『疑わしきは罰せず』とするアメリカとの戦争だ。その契機は、1980年代に入り、欧米やオーストラリアなどで成長を促進させる目的で肉牛生産にステロイド系ホルモンが使用されだし、80年代なかばにイタリアで男児と女児に異常な性発育が認められたことにあり、これを契機にヨーロッパで、“健全な未来のための基準”を重視する新しい消費者運動が生まれたのだ」という。
 「どんなに安全で環境に優しい方法で栽培された農畜産物でも、2万キロメートル先で収穫されたものを空輸で翌日手に入れるような食べ方は健全とはいえない」(伊庭みか子)。
 この「安全な食と環境を考えるネット・ワーク」運動の新しい基準とは、生産者を過度に搾取したり森林などを破壊たりして生産された生産物や、囚人強制労働・不法就労・児童労働など不当な労働力を使って生産された生産物、人種差別など人権を抑圧する国の生産物などは、それがどれほど安全・安価・環境保全的であっても買わない(投票しない)、という価値基準を示すものです。
 「この40年近く毎年生産可能な水田の3割を減反してきた日本。世界最大の食料輸入国なのに一年のコメの消費量と同じ量の「食べられる」食品を捨てている日本。日本の消費者は大量生産でしか提供できない「安さ」と、大量生産では不可能な“100%の安全と安心”を求めている」(伊庭みか子)。


 フード・マイルという言葉は、1992年、ハワイで開催された「21世紀の食の選択」と題する会議で、イギリスのテームズ・バレー大学教授のティム・ラング教授と日本の伊庭みか子氏が発案した概念で文字通り「食べもの(フード)の移動距離(マイル)」を指すものです。この新しい概念ができたときの様子を、伊庭氏は次のように語っています。
 「会議の有機食品セッションで、司会者が『いくら有機栽培でも数千マイルを飛んできた果物は購入するのを遠慮したい』という意味のことを言った。本人は特に強い意図があって発言したようでもなかったが、『安全なら生産国は問わない』という消費者に対して、『国産を重視すべきだ』ということを説明するための論理を真剣に議論していたティム・ラング教授と私には、司会者の言葉が強く印象に残った。
 アメリカのロドニー・レオナルド(食料・環境政策の専門家)と消費者問題の専門家も同席していたと思うが、セッション後に議論し、私たちは『食品+移動距離』を『食の健全性を判断する物差し』にすることを思いついた」
 「帰国後、ティム・ラング教授はイギリスの輸入・国産食料のフード・マイルを計算し、『フード・マイルが長くなるほど環境負荷(大気汚染量)が増大する』ことを論文にまとめて、後にIFG(経済などのグローバル化に反対する国際フォーラム)となるNGOネット・ワークに配布し、ことあるごとにこの概念の意義を紹介した。その結果、1996年ころには、フード・マイルの考え方は世界中の多くの農業・食料運動家たちの口をついて出ることになった」


 フード・マイルとは、農産物が生産者から消費者に届くまでの距離のことです。山下惣一氏によると、アメリカのフード・マイルは平均して1600キロといわれています。1600キロも運ばないと消費者に届かず、換金できないということであり、また消費者はそのようなものしか手にできないということです。
 アメリカ大陸をはじめオーストラリア、ニュージランド、カナダなどでは広大な土地があり、農作物も果樹もよく収穫されます。広大な土地の周辺に人が住んでいないから大規模農業ができるわけです。すなわち生産者にとっては近くにマーケットがないのと同義なのです。ですから収穫した農産物は、数百キロも離れた港まで運び、さらに海の向こうや地球の裏側まで輸送しなければお金にならないのです。
 ところが日本では、すぐ近くに消費者がいるのです。すぐ周りに生産者がいるのです。今収穫したばかりのものが今食べられるというすばらしい条件に恵まれているのです。湿潤温暖な気候、肥沃な土壌、四季を通じて豊富な農産物が収穫できる日本です。「地産地消」「旬産旬消」「地域自給」は直ぐにもできて、私たちのフード・マイルは限りなくゼロに近づくのです。顔の見える安全・安心な生産と消費の一貫システムが可能なのです。生産者にとっても消費者にとっても、こんなに恵まれた条件はないのです。
 

 わが国が経済大国である限り世界中の農産物は押し寄せてくるだろうし、グローバルな流通は止められるわけではありません。しかし、相手は遠方から、あるいは遠い地球の裏側から輸送コストをかけ、環境を汚染しながらはるばる運んでくるのに対して、こちらは自分の庭先勝負なのです。安全・安心・新鮮さが求められる食べ物にとって最大の条件に恵まれているのです。
 ところが、自分たちの有利な条件に目を向けないで、わざわざ国際基準という欧米スタンダードに合わせて生産規模の拡大、大量生産大量販売式の低コスト路線を無理に推進する農業政策は、日本の生産者にとっても消費者にとっても不幸な状況を招いています。
 このことで、安全・安心・美味しさを求める消費者は、地元の農業生産とは無縁の状態におかれ、農業生産者は地元の消費者と乖離した生産を強いられているのです。その証拠に、あなたのお近くのスーパーで豊富に品揃えされた売り場の中から、地場産の農産物をどれだけ発見することができるかを考えてみれば明らかです。そして日本国民は自国の風土や地域の農業生産から程遠く離れていっているという、「身土不二」の観点から見れば、とんでもない本末転倒な状況になっているのです。
 このように、山下惣一氏は述べ、「地元優位」の生産と消費の大切さを説きます。環境に優しい、より安全性の確保、持続性のある生産と消費のシステム、という視点に立って、日本は“直ぐ近くにいるたくさんの消費者がいる”、“直ぐ目の前に生産者がいる”という稀有な恵まれた条件が、宝の持ち腐れにならないように活かされなければならないのです。
 

 農業生産者は地元の消費者と乖離し、消費者は地元の農業生産とは無縁の状態に置かれる。このような「農業の地域離れ」はなぜ、いかにして起こったのか? これも理由があってのことであり、決して自然の成り行きではないと、山下惣一氏は以下のように述べています。
 工業生産力増強に農村から労働力を調達するため、農業の近代化を推し進め、工業製品の輸出先から代替として輸入する農産物の国内生産を放棄させる「農業基本法」が、1961年に制定され、その路線に沿って国内の農業にさまざまな法整備が進められました。
 そのひとつに、1966年に制定された「野菜生産出荷安定法」があります。急増する都市人口に野菜を安定供給するため、主要野菜について単品目を大規模な農地で大量に生産する工業的な思考による“単品大量生産システム”のことで、生産地は国の指定産地の認定が受けられ、価格保証や補助金などの優遇措置がうけられるという制度です。それまでの多品種少量生産の百姓的生産方式は放棄され、全国各地に続々と指定産地が誕生しました。群馬県や愛知県渥美半島のキャベツ、長野県のレタスなどは有名ですが、1996年で見ると、全国の指定産地は1186産地となりました。たとえばキュウリが177産地、トマト143産地、キャベツ128産地、ダイコン113産地、レタス93産地、タマネギ80産地などです。
 これら指定産地で生産された野菜は、農協の共同出荷によって国が指定する都市の中央卸売市場にその2分の1以上を出荷することが義務付けられています。このシステムによって都市の消費者は全国各地の野菜や果物を安定的に食べられるようになりましたが、同時に生産者の顔が見えなくなりました。
 このことで、生産者は販売(消費者)とは無縁となり、生産と消費の間に≪農協―経済連―全農―中央卸売市場―仲卸業者―小売店≫という「流通段階」が介在して、狭い国土の日本にもかかわらず、農産物のフード・マイルは、限りなく遠くなってしまったのです。


 佐賀産のタマネギが大阪に送られ、佐賀市には北海道産のタマネギが来る。関東産のネギが北陸のスーパーに、北陸のネギが東京のスーパーにという様なことはよくあることです。あるいは、佐賀さんのタマネギがいったん大阪に送られ、それが佐賀に戻ってきてスーパーで売られる。山形のりんごが東京市場に行って、それが山形の業者に買われ山形のスーパーで売られるなどという戻り商品はあらゆる田舎産地の市場やスーパーで見かけられることであり、決して珍しいことではありません。
 産地にとっては評価してくれる大市場の青果市場こそがお客さまなのであって、地元の小さい消費者ではないのです。集中的に大量生産される指定産地の青果物は、特に評価の高い商品は地元に残されることなく、根こそぎ指定消費地の市場へ共同出荷されます。そして、地元消費者は産地の近くに住みながらも、いったん大都市の市場へ出荷されたものが逆転送されて初めて口にできるのです。そればかりか、農産物の産地に住みながら、食べる青果物の多くが他産地のものであることが日本の現状であります。
 産地表示が義務付けられるようになりましたが、作り手にとっても食べ手にとっても、相手の顔も心情も分からないという情けない状況です。


 ブラジルでは成牛1頭の値段が日本円でおよそ3万円程度。金がかけられないので放任に近い放牧でやるしかないのです。そのため牛1頭を飼育するのに1ヘクタールの牧草地が必要で、2万頭の牧場を作るために、2万ヘクタールの森林が伐採されているのです。その安い牛肉はハンバーガー用にアメリカに輸出されていきます。そして濃厚飼料で肥育されたアメリカの牛肉が脂肪分も多く付加価値の高い高級肉として日本に送られるのです。
 1991年の牛肉自由化以来、日本の牛肉の輸入量は増加を続け、1980年には72%であった牛肉の自給率は、1995年には37%まで落ち込んでしまいました。
 国内におけるBSE問題で一騒動があり、食の安全安心が論議されました。今また、米国産牛肉の輸入停止によって日本の業界のいくつかは困惑しております。しかしこの際に、肉牛の育てられ方、安全安心の基準、輸入牛肉の仕組み、加工品や外食産業に使われる牛肉の素性、国産牛における繁殖や飼育方法、飼料や薬剤使用状況などについて、納得のいくまで正しい情報を求めるべきときだと思います。
 国産牛といっても飼料のほとんどが輸入に依存している現状です。飼料の自給率も含めて健康な牛の飼われ方がしているのか。少々高くても真に信頼できる安全安心なものなのか、目に確かめることのできるものの選択からはじめるのが賢明といえましょう。


 「フード・マイル」は「ローカル・フード(地域でとれた食べ物)」とセットで使用される言葉である。と足立恭一郎氏はいう。
 WWF(世界自然保護基金)やグリーンピースとともに世界3大環境保護団体と呼ばれる「地球の友」(本部・オランダのアルステルダム、66カ国に支部)のイングランド支部では、
 フード・マイルの短いローカル・フードは
 @生産者のために良い、
 A消費者のために良い、
 B地域経済のために良い、そして何より
 C地球環境のために良い
 と解説し、積極的に運動を展開しています。
 ローカル・フードが生産者や地域経済のためによいのは説明を要しませんが、消費者のためにもよいというのは、たとえばファーマーズ・マーケット(朝市・日曜市など)のように地域の生産者と生活者が直に対面する場において、≪触れ合い⇒学習⇒信頼≫という真理的紐帯形成の階段を上ることが容易であります。それによって消費者はローカル・フードへの支持と引き換えに生産者の@農薬使用削減努力を引き出し、A味(完熟の美味しさ)、B栄養価(輸送に伴う低下がない)、B鮮度(その日の朝に収穫)、C安全性(長距離移動に伴う病虫害発生を防止するためのポスト・ハーベスト農薬処理は不要)など、食べもの本来の質を有する生産物を適正な価格で確保しやすくなるからです。
 他方、輸入農畜産物、たとえばロンドンの食卓に届くスペイン産タマネギは約800マイル、アメリカ産リンゴは約4700マイル、南アフリカ産ニンジンは約6000マイル、オーストラリア産やニュージランド産タマネギは約1万2000マイルもの長距離を移動します。そして移動中に枯渇資源である化石燃料を大量に消費し、航空機やトラックの排気ガスに含まれるさまざまな化学物質によって大気汚染やオゾン層破壊などを引き起こして、地球環境に大きな負荷を与えます。
 フード・マイルの短いローカル・フードでは、こうした問題は生じることはありません。



 

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生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
L ife A griculture F oods

FAX :076-223-2005
mail :m.ikeda@ninus.ocn.ne.jp

池田 優

 

 

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