山ちゃんの食べもの考

 

 

その144
 
『食は生命なり』 【2】




食は生命なり
「生命なきは食にあらず」とも云われますが、
人は多くの生命を頂く事で生かされている。
植物の生命も動物の生命も微生物の生命も、
土の生命も水の生命も空気の生命も、
すべての生命がつながって生かされている。
そんな「共生」の世界で生かされている。
「人は何を食べるのかによって決まる」とも云う。
肉体的な健康、長寿のみならず、
知性、思想、性格までをも決すると。
その食べ物の作り方、その食べ物の商いほう、
その食べ物の選び方、買い方、食べ方は、
その人の生き方、その考え方そのものであると。

                                   
(山ちゃん)


『食は生命なり』と「石塚左玄」 その1

福井県出身で明治の日本の軍医・医師・薬剤師。玄米・食養の元祖で、食養会をつくり普及活動を行った石塚左玄(1851年-1909年)。
陸軍で薬剤監となった後、食事の指導によって病気を治しました。

食養―栄養学がまだ学問として確立されていない時代に食物と心身の関係を理論にし、医食同源としての食養を提唱しました。

食育―食育が一般的な言葉になったのは21世紀にはいってからですが、(当時の小泉首相が国会で使って広まりました) 最初にこの言葉を提唱したのは石塚左玄です。「体育智育才育は即ち食育なり」として食育を提唱し、「食育食養」を国民に普及することに努めました。

石塚左玄は、歴史や地理、気候風土、環境、食養、経済、文化、文明、医学等を学び、生命の問題を生物学的に、民族的に、風土的にと広い視野で思索しました。
 明治29年、「化学的食養長寿論」を著し、日本で初めて「食育」という言葉を記しました。また。食事も修行である。食事で人格形成ができる。食を道楽の対象にしてはならない。食養(食物修養)は食育の原点であることを説きました。
 また、カロリー重視の食の評価を疑い、カロリーゼロの塩や水の大切さを訴えました。


左玄は、世の中の根本は食であり、人の心身は食によって作られると、食と食育の重要性を訴えました。
食育を「学童を有する民は、体育・智育・才育は、すなわち食育なりと観念せざるべけんや」「神様と思われん人つくるには親の親より食を正して」といって子供にとって食育がすべての根幹で教育の中で最も重要であり、その食育は家庭教育であり、親自らが襟を正すことが大事と説いています。
このことが、100年たった今よみがえり、平成17年に国が施行した「食育基本法」の前文の一部に生かされており、 下記のとおりです
* 「生きる上での基本であって、智育、徳育、才育、体育の基礎となるべきもの」
* 「様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てること」

食育については次のように述べています。
智と才は食養に関係する。 智と才は表裏の関係だが、「智は本にして才は末なり」と智を軽視しないようにして、カリウムが多くナトリウムが少ない食事によって智と才の中庸を得て、穀食動物の資質を発揮するとしました。
 幼い頃はカリウムの多い食事をとることで、智と体を養成し、思慮や忍耐力や根気を養う。 また道徳心や思慮を必要とする場合もカリウムの多い食事にする。
社会人に近づくにつれ、ナトリウムの多い食事にしていくことで、才と力を養成する。
ただし、ナトリウムが多すぎれば、命ばかりか身も智恵も短くなってしまう。バランスが崩れすぎれば病気にもなるので中庸を保つように食養すると。

明治の末に白米食の見直しと玄米食の復活を訴え、食養の指導により、「食医」として多くの病人を救いました。
石塚左玄は、自然食・玄米食の開祖として「食養道」の普及に大変活躍した人物で、今、世界中で脚光をあびている食養(玄米植物食)の元祖であります。

石塚左玄翁は、当時の栄養学が蛋白・澱粉・脂肪のカロリーによって説明されていることに反対し、日本人は次の五つの原理に基づいた食べ方をしなければならないことを明らかにしました。 
その五つの原理とは、
1、食物至上論 
2、陰陽調和論 
3、穀物動物論 
4、一物全体食論 
5、身土不二論 です。

石塚左玄によって、世界に通ずる「マクロビオティッ」クの基礎となる概念がまとめられたのでした。



「食よく人を養い、食よく病いをいやす」。
「命は食にあり」と「病は口にあり」。
「食は本なり、体は末なり、心はまたその末なり」。
と、心身の病気の原因は食にあるとしました。
人の心を清浄にするには血液を清浄に、血液を清浄にするには食物を清浄にすることである。

現代では、一般に栄養価値が高く、消化の良いものは、食べるのが楽ですからおいしいと感じ、不消化物は無用と考えて取り除いて白砂糖で甘味をつけ、化学調味料をたっぷり使ったりします。これでは消化も楽になりますが、歯は抜け、胃腸はその機能を失い、内臓は退化が進みます。
「食事は楽しく食べなければならない」とよくいわれますが、汗を流して働けばうまいものもまずいものもありません。空腹でもないのに食べるのでは美味しいはずもありません。それを無理して楽しもうと味付けを工夫し、消化吸収のよいものにする。
こうしたことが健康に良いわけはなく、病気の元凶となるのです。

また、「よく噛む」という当たり前のことすら軽視されるのは大きな問題です。
石塚左玄は「粉砕し、唾液と混じえて飲み砕かせる穀物が最良である」といっています。提唱する玄米食では、先ず、よく噛むことが要求されますし、食べ過ぎることはありません。おかずもわずかの野菜や海草、豆類、油、味噌、醤油で足りるし、小魚などで現在の栄養学者がいうところの標準栄養構成は十分に可能です。



漢方に精通していた石塚左玄は、西洋医学を学ぶなかで、漢方で陽性と呼ばれているものにナトリウムが多く、陰性と呼ばれているものにカリウムが多いことを発見しました。そして玄米のバランスであるカリウム:ナトリウムが5:1のところに中庸(理想的なバランスポイント)を見出したのです。

陰陽は、漢方(中医学)の考え方の一つで、これは世の中全てのものは陰陽のバランスで成り立つという考えです。例えば天と地、火と水、光と影、熱と寒、男と女等です。

漢方でいう正食には、食物にも陰性(身体を冷やす)食物と陽性(身体を温める)食物とに分けることが出来ます。
一般的に動物性のものは陽性で、植物性では地下に伸びていくものは陽性で、地上に伸びていくものは陰性です。
この中で玄米は、陰陽のバランスが最もよい食べ物になっているのです。

さらに調理法によっても陰陽が変わります。一般的に煮炊きをする、太陽光線に当てて乾燥させるなど、熱を加えると陽性になります。
この際太陽エネルギーをよく吸収したものほど強い陽性になります。たとえば、シイタケは生の時は陰性ですが、干し椎茸になりますと、陽性に変わって身体を温めます。
逆に陽性のものでも塩漬けにすると陰性に変わります。

陰性食品で特に気を付けたいものに、強陰性の白砂糖があります。最近の食物には、砂糖を多く使ったものが多く、折角温めた食事をとっても砂糖をたくさん使ったものでは、その効果は半減してしまいます。
お年寄りにとって甘いジュースやアイスクリームがよくないと言われるわけはここにあります。

またサラダや果物が体にいいからを沢山取り過ぎると体を冷やしかえって体を壊すことになります。一般に取りたての穀物や野菜は、体を冷やす傾向にあります。新米もその一つで、風邪で寒気がするときは古米のお粥が適しています。
 
夏が旬の食べものは身体を冷やす働きがあり、逆に冬の食べものは身体を温めるといわれています。
熱帯で採れるフルーツなどは、暑い時期に食べると身体の熱をとって過ごしやすくなるわけです。しかし熱帯の食べものを冬に食べ過ぎれば身体は冷えてしまうことになります。

また、酢を飲むと疲れが取れるといいますが、酢は陰性で陰証(冷える体質)のひとは飲み過ぎに注意しなくてはなりません。

一般的に、暑い時期には身体を冷ますもの、寒い時期には身体を温めるものを食べることが身体の調子を整え、また季節に採れる旬の食べものをとることが身体のバランスを保つことになるのです。
季節感のある旬の食べものを食卓にのせることが身体にもあっているという、自然の摂理にかなった考えです。



人間は本来、肉食動物でも草食動物でもないということ。
大自然の中にあって人間はもともと何を食べるべきなのかということについて、左玄は次の点に着目しました。

すなわち、 歯の形と数、歯とあごの形、 噛む時の動き、腸の長さなどです。
人間の歯は、穀物を噛む臼歯20本、菜類を噛みきる門歯8本、肉を噛む犬歯4本なので、人類は穀食動物である。
これらによって、明かに人間は穀物、つまりでんぷんを主食とする動物である確信をを得ました。

穀物といっても精製されたものではありません。米でいうなら玄米です。自然に調和すべく人間の《規格》がここにあります。



食物は、なるべく全体を丸ごと食べよということ。
皮をむいたり、骨やはらわたを除いたりしないで、生きているもの全部を食べる。

食品には陰陽の別はあっても、生きているものはすべてそれなりに陰陽の調和が保たれているものだから、取り除いたり調理したりせず、自然界の動物がそうしているように全体をまるごと食べるのが理想なのである。
生物がすこやかに成長発育するためには、生体内における酸性とアルカリ性のバランスが保たれていなければならない。
野菜や果物、その他のあらゆる食物についても同じことが言える。

牛でも豚でも全体を食べれば何の害もないのだが、このような大動物になるとそうもいかず、骨も内臓も捨ててしまうのでその害もたちどころに出ることになる。
あらゆる小魚は小魚でこのバランスを保って生きているのであるから、丸ごと食べれば、それを食べた人体もバランスを崩されることはない。
もっとも全体食と言っても中には毒の部分があって、それを取り除かなければならないものもあります。 

しかし、日本では私達の祖先が、長い間主食にしまた好んで食べてきた穀物、野菜、海草、魚、貝は全体食としてなんら支障がありません。
それどころか、祖先が選び残してくれたこれらの食物は、全体食によってより効果的で合理的なものとなるのです。

一つの食品を丸ごと食べることで陰陽のバランスが保たれる理想的な穀物。
「白い米は粕である」ととして、玄米を主食とすることをすすめました。

このように唱える左玄に賛同した弟子や学者たちからやがて一物全体論として呼ばれるようになりました。



その土地、その季節のものを食べよということ。
体とそのおかれている風土とが、一体(不二)であるという意味です。

左玄は、それぞれの地域にはそれぞれ違った気候、風土、地形があり、それぞれその条件にあった作物がとれ、その地域にあった食物と文化で人々は生活しているのである。

人間は自分が居住する土地の自然環境に適合している主産物を主食に、副産物を副食にすることで、心身ともに健康で環境に調和することができる。
みだりに他国の食習慣をまねたり、外国の食品を食べてはいけない。
その土地、その地方に先祖代々伝わってきた伝統的食生活には、それぞれ意味があるのだからその土地に行ったらその土地の食生活を学ぶべきである。

左玄は、「郷に入れば郷に従え」を訓として、自身が推しすすめる食養に郷土食を取り込んでいきました。

現代では、ありとあらゆるものが四季を通じて豊富にあり、季節感というものはほとんどなくなり、何の疑いもなく、自然のリズムを無視した食生活当たり前のように蔓延しております
人類は高度に進歩しましたが、自然との調和に後退の一途をたどり、新たなる諸々の食源病で健康を犯され苦しんでいるのです。

                               (つづく)





 

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生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
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池田 優

 

 

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