山ちゃんの食べもの考

 

 

その145
 
『食は生命なり』 【3】




食は生命なり
「生命なきは食にあらず」とも云われますが、
人は多くの生命を頂く事で生かされている。
植物の生命も動物の生命も微生物の生命も、
土の生命も水の生命も空気の生命も、
すべての生命がつながって生かされている。
そんな「共生」の世界で生かされている。
「人は何を食べるのかによって決まる」とも云う。
肉体的な健康、長寿のみならず、
知性、思想、性格までをも決すると。
その食べ物の作り方、その食べ物の商いほう、
その食べ物の選び方、買い方、食べ方は、
その人の生き方、その考え方そのものであると。

                                   
(山ちゃん)
『食は生命なり』と「石塚左玄」 その2

私が「食は生命なり」を考える上で大きく感銘し影響を受けた、農山漁村文化協会発行の 「食医 石塚左玄『食物養生法』現代語 『食べもの健康法』 (丸山博 解題 ・ 橋本政憲訳)」があります。
同級生6人という超田舎の山から出てきて、肉食の旨さに感動し、のれん街の焼肉屋さんで一杯やりながらのホルモン焼きなどが大好きだった私にとって、同書の「人類は穀食動物なり」との主張には驚嘆しました。
これが大きなきっかけとなり、「食は生命なり」を、私なりに勉強を始めました。
今回は、同書から改めて学んでみたいと思います。

■ はじめに

石塚左玄は、『食物養生法』の緒論で次のように述べています。

『論語』に「物事の根本が確立してこそ道理が成り立つ」とあるように、「食事が確立してこそ人間が成り立つ」。ことわざに「土地柄によって違った人間ができる」というが、実は、「食べものが人を左右する」のである。

つまり、食事の摂り方によって、人の身長も高くなったり低くなったり、太ったり、やせたりする。
また、人を健康にしたり病弱にしたり、勇敢にしたり臆病にしたり、判断力の優れた人にしたり才気走った人にしたり、長寿させたり若死にさせたりするだけでなく、精神的にも柔軟にしたり粗剛にしたりする。
つまり、高尚・静粛・穏和・優美になり、あるいは、野卑・喧騒・強情・卑劣になるのも、無論、食べものが原因なのである。


人はその住んでいるところの位置・地形、暑いか寒いか、湿気が多いか乾燥しているかとか、そこにできる食べ物に応じてそれぞれに違えなければならないが、一言でいえば、郷に入りては郷にしたがい。俗に入りては俗にしたがう食養法を実行すべきである。

日本のような海国に住んでいれば、環境にも体にも、ナトロン塩が多いのに、ヨーロッパ大陸のような、カリ塩の多い国の人間のまねをして、肉を多く野菜を少なく食べるという心得で栄養を摂っていると、次第にナトロン塩の摂取過剰になって、ナトロン塩の性質である、組織が縮まり硬くなる作用が強くなり、食養のバランスが不良となり、国民の体は小さく丸くなり、才気の方は発達するが、判断力はかえって減退し、こうして肉体も精神も次第に変わってしまう。 
(注)ナトロン塩とは、ナトリュウム。食塩のほかに、海、川などの魚類・貝類やすべての鳥・獣の肉類および卵類の、いわゆる動物性食品類の異名。
カリ塩とは、穀類、菜類、果実類など、また、海藻類、藻、苔類など、すべて、土および海・川に生じる、いわゆる植物性食品類の異名。

それぞれの地域に合った食養法を正しく守れば、体格も大きく優秀になり、判断力も才気も備わるだけでなく、一生、病気もせずに健康で、精神的にも健全であり、大自然が万物を産み育てる道にかなうであろう。

人間が摂る食べ物の種類、範囲はきわめて広く、しかも人工的な加工をしている。今日では食べ物が何千種となっているが、そのことに疑問を持つ人もなく、食べ物にますます人工の手を加えて、食養の本来の道が忘れられている。

動物は、あまり人手の加わらない自然の食物をとっているので病気も少ないが、万物の長といわれる人類が病気の問屋のようになっているのは、食養の道に一定の標準がないことと食物に人手をますます加えてきたことが原因である。


西洋文化とともに肉食文化がなだれこんできた明治時代において、石塚左玄は、人間は本来、肉食動物でも草食動物でもない、「人類は穀食(粒食)動物なり」と主張しました。

大自然の中にあって人間はもともと何を食べるべきなのかということについて、左玄翁は次の点に着目しました。

すなわち、歯の形と数、歯とあごの形、噛む時の動き、腸の長さなどです。
これらによって、明かに人間は穀物つまりデンプンを主食とする動物である確信を得ました。
人間の歯とその動きの構造は臼歯中心である。臼歯を噛み合わせると、粒が入るような自然の形状でへこんでいて、臼歯は穀物を一粒ずつ潰すのにぴったりと合います。

人間の歯は、穀物を噛む臼歯20本、菜類を噛みきる門歯8本、肉を噛む犬歯4本なので、人類はまさに穀食動物である。

■ 人類は穀食動物なり――「人間穀物動物論」
西洋文化とともに肉食文化がなだれこんできた明治時代において、石塚左玄は、人間は本来、肉食動物でも草食動物でもない、「人類は穀食(粒食)動物なり」と主張しました。


人間はもともと何を食べるべきなのかということについて、石塚左玄は次の点に着目しました。すなわち、歯の形と数、歯とあごの形、噛む時の動き、腸の長さなどです。
これらによって、明かに人間は穀物つまりデンプンを主食とする動物である確信をを得ました。

人類の歯で、いちばん多いのはいわゆる臼歯であって隙間なく並んでいる。
下顎は前後左右に少し動く。臼歯の構造は、縁が高くて中が少し窪んでいる、いわゆる菊座形であり、上下の歯を合わせると、中に、大小さまざまな粒状の空間ができる。
これは、まさに穀類の粒を噛みこなすのに適した自然の形を持っている、といわねばならない。人類の顎は、ほかの動物とは全く違った独特の形と機能を持っている。

人には穀物が最良である。歯と顎の形と機能からして、生まれつき穀類を食べるべき穀食動物である。
穀類は、口の中で臼歯によって細かくされ、唾液が混ぜられ、ここで若干の消化作用があり、次に胃腸に送られて、さらに化学的変化が行われ、消化吸収されるのである。
その成分は、有機質・無機質ともに配合の比率もよく、身体を養うのに適しているために、古今東西どこの国でも穀類を何千年もの間決して変わることのない、必須で最も重要な主食としてきた。

すなわち、国々の位置と気候とに従って生産される穀類一種だけで、十分に体を養うことができることは明白であり、穀類は、病気なく健康で、体を保ち長寿する道にかなった成分と、その比率を持っていることも明らかである。


その国土・気候に適さない穀物食をする。玄米として食べるべきなのに搗いて白米にして食べる。そうするとバランスの取れた穀物の天然の成分を壊してを食べることになる。穀物が不足するので、その代用に、薯類、乳類、または魚・肉類などを食べる。

上記のような場合には、その食事内容の成分と比率がいろいろ変わってくるので、その補いのために、カリ塩の多い豆類・野菜・果物など、または塩辛い植物性食品を摂ったり、あるいは、ナトロン塩の多い魚・鳥・獣の肉や卵のような塩の薄い動物性食品を適度にとらねばならなくなるのである。


それは、日本の国土はナトロン塩の多い土地柄だからである。

ヨーロッパ大陸のように涼しく寒く、米も作らず魚もとらない国々の住民とは違って、天気が穏やかで暖かい国に住むわれわれは、自然の土地柄カリ塩が少なくナトロン塩が多いのだから、肉類を食べなくても健康上差し支えないばかりでなく、むしろ、肉など食べない方が良いというべきである。


そもそも、食物の成分には有機質と無機質の2つがある。

カリ塩の多い食品(豆とか里芋のような)は煮ると常に軟らかく大きくなり、ナトロン塩の多い食品(肉とか卵のような)は煮ると常に硬く小さくなる性質があるので、料理においては、硬くなり縮むものと軟らかくなり伸びるものとを適度に配合する。

食物に、有機成分と共に、灰分である無機塩類が適量にあれば、身体にも精神にも弾力があって、根の強い、腰の強い、たくましい優勢な体質となって、常に便秘せず、下痢もせず、毎日軟便[硬すぎない、ほどほどの便]の快便があり、智才兼備、無病壮健で、大自然が万物を作り育てる道にかなうであろう。

人間を養う食物としては、澱粉と脂肪と蛋白質という有機成分と、カリ塩とナトロン塩という無機成分とを共に摂らなければならない。

カリ塩は主として身体の実質、すなわち血球・筋肉に多く含まれ、ナトロン塩は体液に多く含まれている。ただ、血液だけについて言えば、カリ塩が多くナトロン塩が少ない。

この二つの塩類が適度の比例の量であれば、血液は粘りすぎることもなく、また、薄すぎる恐れもなく、春夏秋冬、どの季節でも中庸のバランスを失わず、空気中の酸素をよく吸収して体内を循環し、新陳代謝の働きを営むことによって、強健・長寿となることができる。


もし、血液の中にナトロン塩すなわち食塩が一定の量より多すぎれば、その血液は粘ってしまう。

たとえば、比較的幅の広い短顔の人がそうなると、さらに太って肉が厚くなり、体が重く、動作が鈍くなる。そして季節の変わり目には、晴れた日はよいが、曇天であると気分が悪い。
そういう人の食事は、常に大食であって、いつも魚や肉類、塩気の強い食事、あるいはカリ塩の乏しい美食を摂りすぎていたのである。

わが国のような地形・気候のところで、ことに海に近い、塩気の多い土地の都会人が、無病健康で、智と才を兼ね備えようと思うならば、魚や肉を食べるのは、味噌や醤油と同じように、肉醤と見て、食の味付け程度にすべきと心得るべきである。


家康公が酒宴の席で、『食物の中で一番うまい物は何か』という質問したとき、大久保彦左衛門は『一番美味な物は塩でございます』と答えた。
『では、一番まずい物はどうか』という問いに『それもまた塩でございます』と答えたという。


戒賢論師[インドの高僧、526〜638]に、「血、血に入れば、すなわち濁り、浄物は入れば、すなわち清し。清濁おのずから分れ、利鈍おのずから別る。衆生みな濁れば、すなわちおのずから濁る。浄物は入らざるがゆえに、その気耗し、その能、そがる」と、達観された知恵の言葉がある。

これは、不浄な肉を塩甘く食えば、身体にナトロン塩が多くなり、かえって貧血症の身体になって、陰性の膀胱炎、腎臓炎のように、血液も尿も濁るようなことがある。
反対に、カリ塩の多い、穀物・野菜のような清浄物を塩辛くして食べていれば、かえって多血の体質となって、血液も尿もまた、清くなるものである。 

[肉食が多ければ多いほど、人心は硬化して荒っぽくなり、とどのつまりは人面獣心となる。
しかし、穀物や菜食が多ければ多いほど、人心は柔軟かつ精密となり、ついには大慈悲心となる。
『大智度論』に「血肉は性を損じ、気を粗くす。浄食は気加え、性を調う」とある。

血液にカリ塩が多過ぎると、粘り方が薄くなってしまい、体が虚弱になったり、やせてしまうだけでなく、体力も気力も衰え、体が締まりなく膨れて、虚弱体質となる。

カリ塩とナトロン塩のバランスが適当であれば、顔の長い人のように、やせて肉が軟らかい体になるが、たいてい無病健康である。

普段の食事にカリ塩が多ければ、陰性すなわち寒性の諸病が生じ、ナトロン塩が多ければ、陽性すなわち熱性の諸病が発するものである。だから、塩類のバランスが適当でないと、必ず病気の害が起こってくるのは当然のことである。


陰性の病気が増加してきた。
食パンのような、カリ塩が最も多い雑穀である小麦から作ったものと肉類・魚類・卵・果物などを常食することが多いため、昔の人のいう頭寒足熱であるべきものが、頭温足冷となったり、その他季節に応じていろいろな病気になる人が多い。

ところが、肉食に不便な山野の地方では、かえって今もなお頭寒足熱で、いつまでも若々しく長寿の人を多く見ることができる。

カリ塩は動物性食品よりも常に植物性食品に多く含まれるので、植物性食品を主として栄養を摂るには、動物性食品よりも塩味を強くして、食用油を加えなければならない。


米飯を主食とし、塩味のきいた菜類を副食として少なく摂る場合には、身体の弾力を生ずる硬化成分の量が最も少ないので、大豆、豌豆、人参、ごぼう、こんにゃく、蓮根、大根や菜っ葉などを副食として、食べる時には、なるべく皮付きのままで食べるのがよい。

また、麦・きび・トウモロコシやイモ類を常食する海から遠く離れたところの住む人々は、カリ塩の量が常に多いので、調和をとるためには、鳥類・肉類や塩味の強い食品を比較的多く食べなければならない。


わが国の多くの志士や大器晩成の儒者、学者などは、みな米飯菜食が主で、塩辛いおかずを食べていたのであって、魚類・肉類の食べ方は、徳より才の勝った勇猛な豪傑の武将などが贅沢をして肉を食べていたのよりも、その量ははるかに少ないものであった。

ことに徳が高く学問をつんだ名僧などは、全く肉食をせず、豆腐・豆類・菜類・海藻類などのカリ塩の多い食品を多食している。
これは才より徳のすぐれた、君子のような良将が、質素でつつましい食事で、そのような食品をとるよりもなお多いものである。
したがって、豆茶・かゆ・豆飯・味噌・納豆・座禅豆・金山寺味噌など、こういったものは殆んどみな僧侶が発明したものである。


子供たちを知恵も才気もある人物に育てるには、わが国では、なるべく穀物の多いのがよい。
そして、学業を終えるころから、次第に活動的な肉類・魚類、あるいは塩味の強い美食品を副食として食養すれば、知恵も才気もますます上達し、社会の競走場に立って行ける大人物になることができる。


副食物の中で植物性食品と動物性食品との配合のバランスを注意しなければならない。
植物性食品にはカリ塩が多く含まれ、これは軟化力と膨張力があり、動物性食品にはナトロン塩が多く含まれ、これは収縮力と硬化力がある。

体を育てる時期、知育の時期には穀類を多くして野菜類を少なくし、塩辛いもの、肉・魚類は、なお少なくしなければならない。


この牛馬に穀物を与えるにいたっては、ちょうど、穀食動物であるわれわれ人類が、虎、狼の食物である肉類を食べるようなもので、天地大自然の理に反したことである。

牛馬を穀物で飼うと、荷物を負ったり長距離を行く力が衰え、長いこと働けないようになる。その上、馬に元気をつけようと、飼料に食塩や糠味噌汁などを混ぜれば、性質は機敏になって近距離は速く走るが、長距離を走る持久力、荷物の負担力には欠けるようになる。

これは、肉食の多い人間が、機敏さはあって一時は活発であるが、長期の活動を得意としないのと同じである。


以上述べてきたことを総合すると、歯の構造からみて、人類類は肉食よりも穀食すべきものであり、牛馬は穀食すべきものではなく、草食すべきものであるということが明らかである。

しかし、人類が肉食したり、牛馬が穀食するということもある。
それは、その国々の地形、位置、暑いあるいは寒い季節の長短、地質が肥えているか、やせているか、体をどれだけ動かすかに関係があり、別に化学的な理由がある。

                                      (つづく)





 

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生命の農と食を考える
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池田 優

 

 

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