山ちゃんの食べもの考

 

 

その147
 
『食は生命なり』 【5】




食は生命なり
「生命なきは食にあらず」とも云われますが、
人は多くの生命を頂く事で生かされている。
植物の生命も動物の生命も微生物の生命も、
土の生命も水の生命も空気の生命も、
すべての生命がつながって生かされている。
そんな「共生」の世界で生かされている。
「人は何を食べるのかによって決まる」とも云う。
肉体的な健康、長寿のみならず、
知性、思想、性格までをも決すると。
その食べ物の作り方、その食べ物の商いほう、
その食べ物の選び方、買い方、食べ方は、
その人の生き方、その考え方そのものであると。

                                   
(山ちゃん)
『食は生命なり』と「石塚左玄」 その4
「食医 石塚左玄『食物養生法』現代語 『食べもの健康法』 (丸山博 解題 ・ 橋本政憲訳)」より のつづき。

■ 温浴および発汗は人体の脱塩法なり


夏良心は「生命をよく保つものは、自ら害するものを去る」と言っている。
温浴は、身体の健康法である。
温浴の目的は、身体を清潔にして気分をさっぱりさせるだけでなく、十分に入浴して血液の循環をよくし、食物の消化を助け吸収をうながし発汗を盛んにし、体内にとどこおったナトロン塩、つまり身体内の塩を排泄させることにある。

入浴が必要であるかないかは、その人が住む土地の位置と気候と、その人が摂る食物の種類による。
入浴が必要なのは、都会に住む人々、特に美食贅沢家と、塩辛い物を食べている労働者であって、たいして必要でないのは、北方の寒地の山中に住む人々、ことに鳥や獣の肉や魚、塩辛い物をあまり食べてない人々である。


酒や肉をあまり食べず運動量が少ない人とか、禅宗の僧侶のように、肉魚を食べない人、それから塩気の少ない野菜類を食べている人などは、身体にたまる塩気が少ないので、毎日入浴したいと思わず、また、風呂の温度についても海近くに住む労働者が好むような高温の風呂でなく、ぬるめの風呂でよい、というのは、身体を発汗、脱塩する必要がないからである。

入浴した場合に抜ける身塩の量は、その人の住む土地により、人種・職業により、入浴度数により、それぞれ多い少ないの差がある。
つまり壮年期は少年期老年期よりも太って肉の厚い人は、痩せて肉の軟らかい人よりも方々駆けずり回る才子は、沈着冷静な識者よりも、よけいに脱塩する必要がある。

入浴して脱塩する量は、その人が健康か病気か強いか弱いか、体をよく動かすかどうか、天候が暑いか寒いか、湿度が高いか乾燥しているか、晴れの日が多かったか雨の日が多かったか、住んでいるところが山地か海浜地か、高いところか低いところか、食物が穀物・野菜を主にしているか、肉魚が多いか、その調理の塩加減がどうかによってそれぞれ違う。


わが国の関東から大阪・中国・九州などの海沿いの都市には、昔から、入浴する施設のほかに、蒸し風呂という脱塩法があって、西南に行くに従って数が多くなるのは、気候が温暖になるためであろう。
そして石風呂の蒸気法は、弘法大師が安芸の厳島、讃岐の水主に創設されたものであって、海に近いところ、湿気の多いところに次第に普及し、千数百年来、そのおかげを受けた者は幾千万人になるかもしれない。
ところが、明治維新後は、ヨーロッパという内陸・山国の医学がしきりに導入され、彼らの、涼しい寒い気候が多いために脱塩療法が少ない衛生法を取り入れた結果、石風呂をやめてしまったのである。

ところが、魚塩の豊富なわが国では、偽健康人の身体から十分に発汗させて脱塩させるには、この方法が最も良いのであって、食塩がとどこおって、身体の中で平均を欠くために起こる難病は、入浴治療すれば、皆、元の健康に戻るのである。

ローマ建国百年前にギボン氏は「浴湯があれば医師はいらない」と言った。
確かにローマの国は、わが国に似た海国であったからである。


入浴は、わが国の地形・気候に適し、自然の成り行きにそった人為的な必要からきた衛生法であって、昔、日本の医療法には、発汗法を第一としたことがもとになっている。

わが国の人々は、熱い湯に入って発汗・脱塩しなくてはならないが、これは、普段食べている食物が原因なのであるから、北緯40度、50度という欧州に住む人々よりも、比較的、副食物の塩気を強くしなければ、新陳代謝が不良となり、その結果、心身ともに不健康になってしまう。

入浴して身体から脱塩を促すためには、浴室にカリ塩を含むものを入れるとよい。
大根を陰干ししたものの腰湯を、痔嫉とか、産婦が分娩後に用いることがそうである。
あるいは菖蒲湯を、毎年5月の節句などに立てるのは、この晩春・初夏の候は、もっとも温疫が発生しやすいので、普通の入浴では抜けないと、とどこおった身塩を穏やかに脱出させれば、いわゆる邪気払い、暑気払い(実は、体の塩払い)となっていろいろな病気を未然に予防できるからである。


カゼという物にはもともと、虚生のカゼと実性のカゼの2種がある。
虚性のカゼは脂肪の少ない貧血の人に多く、カゼを引きやすいが、たいして重くはならない。
実性のカゼは、多血強壮の人に多く、身体に一時、ナトロン塩(すなわち食塩)がとどこおるところから起こる、といえる。
すなわち、患部の局所でカリ塩とナトロン塩の差数がバランスを失ったことが内部的な原因となり、その上、外部的な原因(外患)がおそった結果なのである。

わが国の位置・気候においては、いったいに塩気の強い、油気のある菜類を副食として少なく摂り、生食をしていれば感冒にかからず、また、かかっても軽くて、すぐに治すことができるが、もし、そうでなくて、塩気のうすい、脂肪の少ない肉菜類を多くして雑食していれば、時々感冒にかかり、しかもなかなか治らないのである。


感冒というものは必ず雑食者がかかるものであって、正食者がかかるものではないという食養の理法がある。
わが国の位置・気候を考えずに、ヨーロッパのような緯度の高い国々の人々と同じく雑食を多くすれば、感冒にかかりやすいばかりでなく、それが原因となって、あらゆる病気を必ず引き起こすようになる。

"米と塩"というような正食に安んじておれば、単に感冒にかからないというだけでなく、すでにかかっている者もよく治り、そしてまた、その他の病気にもかかりにくくなり、安心立命の健康で長寿することができる。

正食の穀類を水で煮れば、原型より2倍以上大きくなる。
つまり、穀類には肥大膨張し、しかも縮まず、弾力があるという性質があり、軟化成分と硬化成分のバランスが良い。
そこで、このようなものを常食していれば、それが体内に入っても同様の結果となるので、全身の毛穴から気が発散して、その人はカゼを引かない。
こういう人の皮膚、筋肉、その他の組織は弾力が強く、保護性があって、外邪の進入に対して反発するのである。

ところが正食ではなく、雑食を常食していたらどうか。
雑食とは、野菜類と肉類との配合食であって、野菜を水で煮ても大きくも小さくもならず、殆んど原型のままであり弾力はごく少ない。
野菜の皮肌を除いたものはなお弾力が弱くなり、塩のバランスで言っても、カリ塩が多くなる。
そこで、野菜というものは塩気と油気とを加えて煮るとはじめて穀食に準ずる、陰陽を兼ね備えた風味と弾力を生ずるものである。
だからそのように調理した野菜類を常食すればその発散力は、穀食者に比べて少ないが、肉食者よりは多いから、肉食者のように体に萎縮力がないので風邪を引かないのである。
もしカゼを引いても軽くすみ、肉食者のようには重くならないのは、身体に保護防風の抵抗力があるためである。

肉類はどうかというと、肉類は何種の動物であっても、水で煮れば原型よりも2,3割小さく縮まってしまう。
だから肉を食べたときも同様であって、こういう塩気の少ない肉類を多食すれば穀食者や菜食者よりは、かえって感冒にかかりやすい。
ことに、減食の時とか空腹の時などはそうである。
これは皮膚の蒸発気が閉塞しているためである。

ただし、肉食の消化吸収は、正食よりも、かえって速すぎるので、それに合わせて野菜類を配合してたべなければならい。
もし肉類に野菜類を配合しなければ、一定時間よりはやく空腹になってしまうが、これを我慢すると感冒にかかりやすくなる。
これは身体から発散の気の力が最も少ないためであろう。

わが国での飯の決まりは、夏麦冬米であって、副食として野菜が多く、これに肉や野菜を少なく配合して食べるが、その調理に一定の塩気と油気が加わっていれば感冒にかかる恐れはないが、もし、その塩気と油気が一定度よりも少なければ、ひどい感冒にはかからなくとも、軽い感冒には時々かかりやすい身体になってしまう。

その反対に、肉多く野菜が少ない食べ方で、一定度より塩気が強く脂肪分が多ければ、湿気の強い暑さに見舞われたりすると、激しい感冒にかかることが多い。

洋食であっても、白パンよりも黒パンとか、グラハム・パンなどにバターを多くつけて、これを主食とし、野菜と肉類の副食を少なく食べる場合は、白パンばかり食べる人とか、白パンに野菜・肉類・果物を多く食べる人のようには感冒にかかることはない。


穀食の多い人の身体は、内部が温かく外部が冷たく、皮膚はきめが、細かく、汗の穴が開くことが少なく、ことさらに厚着をしなくとも、気候の変動にあっても、感冒はもとより、その他の病気にもかかりにくく、もし、かかっても経過はよくて治りやすい。
ところが、雑食の多い内部が冷たく外部が温かい身体であると、皮膚のきめは粗く、汗の穴は開きっぱなしで、締まることが少ない。
だから、襟巻きや外套を厚く着ても、冷たい風に吹かれると感冒はもとより、虚性・実性、寒性・熱性の、あらゆる病気にかかりやすく、もしかかかれば経過が不良で長引きやすい。
まして暑いとき、または暖かい土地に居て、きわめて冷たいものを飲食して、内部が冷たく外部が温かい身体になると、いわゆる邪気を引き込み、つまり、身体の表層のナトロン塩を、かえって内部に押し込んでしまうので、ナトロン塩の作用が強まり、また、血行障害をきたして、ついには、激しい病気にかかりやすくなってしまうのである。

いわゆる運動というものは、つまり脱塩法の一つであって、身体の新陳代謝を助けて、血液の循環と食物の吸収をよくするものである。
そればかりでなく、食事に飯・パンを多く食べ、さらに、塩気の強い魚・鳥・獣肉や卵の類からナトロン塩を摂りすぎ、あるいは、カリ塩の乏しい酒類・菓子類などを間食したために身体にとどこおったナトロン塩を排出するためには、入浴して脱塩するほかに、運動すれば気分が爽快になり、体が軽く感じられるようになる。
これは、身体のアルカリのバランスが取れるからである。
ただし、穀物・肉類・野菜・果物などの摂り方を、何を主とし副とするかを知らずに、食べたいものを食べる、というように雑食している場合には、運動したために、かえって大害を招くことがある。
これは大人よりも未成年の若者に、そのような例が多い。


第一は、ただ入浴して身体を清潔にすることで、気温や土地・気候によってもちがうとはいっても、各人の体質に応じて、冷水・ぬるま湯、あるいは適当な温度の温浴をするものである。

第二は、第一の目的を兼ねて、その上、運動不足による血行の不良を直し、新陳代謝を盛んにする目的を持つもので、この場合には、適度の温かいお湯に入り、そして、食物の消化と吸収を助けるために、第一の場合よりも熱い湯に入るのが良い。
労働したあとの発汗による脱塩を洗うのもこれに入る。

第三は、第二の目的を兼ねて、その上、身体にとどこおっているナトロン塩を脱除しようとするものであって、これは、第二の場合の温度よりも、なお高温の湯に入り、十分に発汗して脱塩すれば、もろもろの多くの病気は減退消失し、健康保全の効果がある。
                                       (つづく)





 

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生命の農と食を考える
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池田 優

 

 

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