山ちゃんの食べもの考

 

 

その153
 
『食は生命なり』 【11】




食は生命なり
「生命なきは食にあらず」とも云われますが、
人は多くの生命を頂く事で生かされている。
植物の生命も動物の生命も微生物の生命も、
土の生命も水の生命も空気の生命も、
すべての生命がつながって生かされている。
そんな「共生」の世界で生かされている。
「人は何を食べるのかによって決まる」とも云う。
肉体的な健康、長寿のみならず、
知性、思想、性格までをも決すると。
その食べ物の作り方、その食べ物の商いほう、
その食べ物の選び方、買い方、食べ方は、
その人の生き方、その考え方そのものであると。

                                   
(山ちゃん)

『食は生命なり』と「永山久夫」 その4

■ 「伝統食で健やかな子供を育もう」

食文化史研究家 永山久夫さんのお話  

食品や産地の偽装問題、農畜産物価格の高騰、バイオ燃料の増産…。ここ数年間で、食を取り巻く環境が大きく変化しています。
食料自給率が約4割しかない日本にとって、生きるための食料を安全安心で、安定して手に入れることは、これからの大きな課題です。
子どもたちに食を選ぶ力、食べる力をつけさせるためにはどうすればよいのか。
食文化史研究家の永山久夫さんのお話です。


流通や食品加工技術が発達した今、スーパーマーケットでは一年中同じ野菜を買うことができます。そして家庭の食卓には、スーパーマーケットで売っている調理済みの総菜が並ぶようになりました。
合理的で簡便になる一方で、私たちの食に対する感性は薄れているといえるでしょう。
パッケージやブランドで食品を選び、賞味期限で食べごろをみる。
これでは食を選ぶ感性が低下しても仕方ありません。

そもそも人を含めた動物の食のプロセスは「観香触味食」を基本としています。
食べられそうなものかどうか、まず「観」て確認したら、
近づいて「香」りをかいでみる。
それから「触」ってみて少しだけ口に含み、「味」見してみる。
そこで食べられそうだと判断できたら、初めて「食」べ物と認識するわけです。
昔はこうした過程を、母親が乳離れする子どもに教えていました。

食を選ぶ過程を教えるのが母親の仕事なら、父親は生きるための食を教えるのが仕事でした。
私は福島県で生まれ育ちましたが、当時は草花が生い茂る季節に父親と連れ立ち、みそを持って土手に行ったものです。そこに生えている草を食べる「土手食い」という慣習を教えてもらうためです。

オオバコ、ペンペン草、ヨモギ、ゲンノショウコ、ノビル、十薬など、いろいろな草を食べましたね。
昔は凶作があったので「土手食い」は貧しかった時代の生き延びるすべでした。
そこで、草の持つ苦味、甘さ、酸っぱさなど、さまざまな味を知り、薬草類についても覚えます。
土に生えた状態の葉物は、ビタミンCやβ─カロテンが圧倒的に多く、免疫力を強くしてくれる効果もあるんですよ。健康にもいい慣習でしたね。



昔の子どもたちは、こうして食材の味と色、形を体で覚えていきましたが、今は食の地域性が薄れていると感じます。
特に、食が栄養重視型になっているのが気になります。
昔の離乳食といえば、おっぱいを卒業したらみそ汁、歯が生え始めたらたくあんの切れ端や乾燥にしんなどを食べさせたものです。
これらは天然のアミノ酸が多く含まれ、脳の発達にもいいんですよ。

それが現代の離乳食は、ペースト状の同じようなものが行き渡り、文化性がなくなっています。
「手前みそ」という言葉がありますが、家のみそが一番おいしいと感じるのは、幼いころからその味で育っているためです。
全国的に画一化された味では、家庭の味を覚える機会がなくなってしまいますよ。これは大きな問題です。
本来、食は土地のものを食べるのが望ましいのに、それらが食卓から減り、学校ではみんなに同じ給食を食べさせています。
近年「キレる子ども」が問題になっていますが、私はあらゆることの画一化・平均化が「キレる」という状態につながっていると思います。

食べるのが遅いのも、こんにゃくが苦手なのも個性です。
機能性や能率ばかり求めず、子どもの健康と潜在能力を伸ばす「右脳の教育」が、親や学校の仕事なのではないでしょうか。



子どもが食の良しあしを判断できるようになるためには、昔のように食材の形と味を知ることが大切だと思うのです。
都会のお母さんであれば、郊外に行ったら畑に何が植えられているかを、港の近くなら魚市場を訪れ、どんな魚が並んでいるかを、子どもに見せてあげてくださいね。

食育という観点においては、なるべく素材そのものの味を覚えさせてあげてください。ジャガイモをゆでただけ、サンマを焼いただけ、そんなシンプルな食べ方をインプットさせて育てた方がいいですね。これができれば食を選ぶ力がつきます。食を選ぶ力こそ命の質を向上させることになるのです。
そして家庭では「旬」を意識した素材グルメな食べ方をしてみましょう。
自然がはぐくんだ食材の食べごろには、それぞれ10日くらいずつ「走り・旬・名残」があります。
「走り」とは、市場に出始めたものをいいます。
細胞分裂が盛んなため、天然のサプリメントのようです。
「旬」は最も食べごろで、うま味が強くなりますから、食材のおいしさを知るには最適です。
そして「名残」を楽しんだら、翌年までもう口にしないでみてください。
これで季節の恵みのありがたみが分かります。

これらに加えて、梅干しや漬物、みそなど、一年中ある発酵食品を食べれば万全です。
こういう食べ方をしていると、自然を見る目が違ってくるはずです。そして、こうした伝統的な和食の食べ方を実践していれば、食卓で自然を感じることができるようになるでしょう。

私は東京の高尾山にある石像に刻まれた「山川草木悉皆仏性(さんせんそうぼくしっかいぶっしょう)」という言葉が好きです。
これはあらゆるものに仏様が宿るという意味で、とても日本的な考えだと思います。
すなわち、自然を粗末にすればしっぺ返しがくる。しかし大切にすれば自分に返ってくる。
このような自然と共存するコツが、伝統的な日本の食生活にも秘められていると思います。


 

ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。

 

生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
L ife A griculture F oods

FAX :076-223-2005
mail :m.ikeda@ninus.ocn.ne.jp

池田 優

 

 

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