山ちゃんの食べもの考

 

 

その172
 



食は生命なり
「生命なきは食にあらず」とも云われますが、
人は多くの生命を頂く事で生かされている。
植物の生命も動物の生命も微生物の生命も、
土の生命も水の生命も空気の生命も、
すべての生命がつながって生かされている。
そんな「共生」の世界で生かされている。
「人は何を食べるのかによって決まる」とも云う。
肉体的な健康、長寿のみならず、
知性、思想、性格までをも決すると。
その食べ物の作り方、その食べ物の商いほう、
その食べ物の選び方、買い方、食べ方は、
その人の生き方、その考え方そのものであると。

                                   
(山ちゃん)
『食は生命なり』 【30】
『食は生命なり』と「永山久夫」 その23
永山久夫 「百歳までの健康ライフ 健康食・健康百科」 より
★★★★★史実に学ぶ健康食、長寿食★★★★★
 
■武士の顔が精悍なわけ
●玄米は能力を向上させる
武士の顔つきは、実に精悍です。
戦うことが職業なので、野獣と同じように表情が鋭くなるのは自然なことなのです。加えて、武士独特の噛み方が顎を発達させ、面構えを一層精悍なもののしていたのです。「玄米」という噛み応えのある主食を常食している武士に比べ、柔らかく炊いた白米飯などの軟食文化を見につけた貴族たちの顔は、いかにものっぺりとしていて、女性的です。
鹿や馬などの草食動物は、食べるときに、顎を左右にしか動かしません。肉食動物の虎や豹などは、顎を上下に動かし、鋭い歯で肉を噛み切ってしまいます。
 
●軟食は脳をダメにする
人間の場合はどうかというと左右は言うに及ばず、上下にも前後にも動かせる。人間の顎は、三つの複雑な動きができるから、固いものでも、あるいは、粘っこいものなど、何でも食べることができるのです。
つまり、人間の食性は、非常に雑食性が高い。雑食性が高いということは、味覚ばかりでなく、脳も発達していることを意味するのです。
ところが、現代の若者のように、ハンバーグやカレー、スパゲッティのように柔らかいものばかり食べていると、顎を上下にしか動かさなくなり、顎自体が細くなってしまうのです。
噛むという行為は、単に消化をよくしたり、味を楽しむだけでなく、頭脳の中の古い血液を心臓に戻し、新しい血液を送り込む、ポンプの役目も果たしているのです。
特に知的活動をつかさどる前頭葉から、古い血液をかき出し、入れ替わりに、脳の働きに欠かせない酸素をたっぷり含んだ新鮮な血液を送り込む、重要な役目を果たしているのです。
 
●武士の戦勝法の知恵
頭の機能を、他の人よりも良くしたかったら、よく噛むことです。噛むことによって、能力でライバルに差をつけ、仕事の成果を上げることができるのです。
噛む習慣をつけること、座禅や瞑想をしているときと同じで、脳波がアルファ波になり非常に冷静な精神状態になります。それと反対なのが、ストレスを感じていたり、緊張状態のときのベータ波。
アルファ波は、たいへん創造性の高まる脳波であり、仕事のアイデアなども、次々と出しやすくなります。上司が感嘆するくらいの優秀な業績を上げるためには、まずアルファ波にすべきでしょう。
噛みごたえがあって、しかも脳力強化成分をたっぷり含んでいる「玄米」は優れたブレイン・フードなのです。
「玄米」を一日に五合も、じっくりと時間をかけて食べながら、戦国武士たちは、直観力を強化し、洞察力、知力を養っていたのです。「玄米食」は、現代にも活用できる、武士の戦勝法の知恵なのです。
 
 
■ 戦国武将の長生きのコツ
●2倍以上も長生きした戦国武将
戦国武将は、たいへんに長生きだった――。意外に思うかもしれませんが、事実なのです。あの乱世に60歳以上まで長生きして、しかも、何度も出陣して敵と戦いながら、寿命を全うしている場合が少なくないのです。
平均寿命が30歳代の戦国時代としては、これは驚くべきことです。もちろん戦士してしまえばそれまでですが、生き残った武将や大名は実に長生きしているのです。
なぜ、一般人の二倍以上も長生きできたのでしょう。その理由は、世界一の高齢化社会を迎えつつある日本にとって、大いに参考になるのではないでしょうか。
 
●戦国武将が長生きだった理由
その1・・・主食か玄米に近いクロマイ。
玄米は栄養のバランスがよく、ほぼ完全色です
その2・・・よく噛んでいました。
じっくり噛む習慣をつけると脳の中の血液の循環がよくなり、
記憶力が向上して集中力が強くなります。
その3・・・よく歩き、武道の修行を日課にしていたので、運動不足にならず、
エネルギー消耗が早いから、脂肪が細胞や血管につかない。
その4・・・常に早寝、早起きを守っていました。
その5・・・酒を上手に活用。
適量の酒は、血行を良くして疲れをとり、血栓などの解消に役立つために、
成人病の予防によい。
その6・・・ほとんどの武将は茶の湯を趣味としていたが、
茶にはビタミンCが多く、感染症やガンの予防に効果があります。
またタンニンも多いのですが、これは毒消しの成分で、
体によくない薬物や毒などを吸着して、体外に排出します。
その7・・・鷹狩りの好きな武将が多く、
鳥肉を通して動物性たんぱく質も摂取していました。
その8・・・戦国は国盗りの時代であり、領土拡張など明確な目的を持って
生活している場合が多く、目的があればせいに対する執着心が強くなり、
自然と健康に気を配るようになります。
その9・・・ごまや大豆、海藻、イワシなどカルシウムの多いものを常食しており、
ストレスの解消にも役立っていました
その10・・・当時は冷蔵庫などないので、野菜や魚はすべて旬のもの。
もちろんすべて自然食だから野菜や山菜の場合だったら、
ビタミンC、酵素がはちきれそうに含まれていたのです。・
 
●素晴しい戦国武将の寿命
北条早雲・・・・・88歳   北条幻庵・・・・・97歳   尼子経久・・・・・84歳
竜造寺家兼・・・93歳   荒木田守武・・・77歳   朝倉宗滴・・・・・81歳
毛利元就・・・・・75歳   生駒親正・・・・・78歳   村上義清・・・・・75歳
柳生宗厳・・・・・80歳   細川幽斎・・・・・77歳   今川氏真・・・・・77歳
徳川家康・・・・・75歳   本田正信・・・・・79歳   島津義弘・・・・・85歳
豊臣秀吉・・・・・63歳   織田有楽斎・・・75歳   上杉景勝・・・・・69歳
板倉勝重・・・・・80歳   毛利輝元・・・・・73歳   脇坂安治・・・・・73歳
片桐貞隆・・・・・69歳   酒井忠利・・・・・69歳   大久保忠隣・・・76歳
織田信雄・・・・・73歳   藤堂高虎・・・・・75歳   加藤嘉明・・・・・69歳
森 忠政・・・・・・65歳   伊達政宗・・・・・72歳   伊達成実・・・・・79歳
本田正純・・・・・73歳   丹波長重・・・・・67歳   大久保彦左衛門・・・・・81歳
蜂須賀家政・・・81歳   細川忠興・・・・・83歳   土井利勝・・・・・72歳
柳生宗矩・・・・・76歳   鍋島直茂・・・・・81歳   天野康景・・・・・77歳
阿部正次・・・・・79歳   増田長盛・・・・・81歳   戸田氏鉄・・・・・81歳
真田信之・・・・・91歳   酒井忠勝・・・・・76歳   松平定行・・・・・82歳
本田正信・・・・・79歳
 
 
■ 家康の「好色」長寿法
●英雄色を好む
後世に名を残すような武将や政治家は、たいがい好色です。まさに「英雄色を好む」で、特に戦国時代の武将たちは、国盗りと平行して、子作りにもエネルギーを傾注しています。
脳は、人間が人間であるための中枢となる器官ですが、あらゆる行動のすべての指令を発信しています。従って、病気や老化によって、脳の機能が低下すると、人間的な活動ができなくなります。典型的な例が“ボケ老人”でしょう。脳の働きが低下したために、運動や言語神経のネットワークがショートし、肉体が不自由になってしまったのです。
脳は何歳になっても、常に刺激し続けないと、どんどん老化し、その極限時に発生するのが、神経系統のショートであり、ボケといってもよいでしょう。
その反対に「英雄色を好む」といわれるように、戦国武将たちが、何歳になっても、旺盛な性欲や活動意欲を持っていたのは、常に頭と体を使って、脳を働かせていたためで、脳を刺激し続けることによって、結果的に、その老化を防いでいたのでしょう。
 
●できる男は女性にもてる
性欲というのは、生命力の一つの表れであり、性欲が強いということは、それだけ生命エネルギーも横溢しているということになります。
脳をコンピューターにたとえますと、ハードウエアの部分とソフトウエアの部分があり、この両方とも刺激しないと、脳は活発に行動してくれません。
ハード面というのは、勉強で言ったら基礎的な学問、原則論で、これだけ研究していたら、脳は疲れて発想も固定化してしまいます。
重要なのはソフト面で、ソフトウエアは額の部分の前頭葉にあります。ソフト面で何をするかといいますと、考える、創造する、判断する、やる気を起こす、異性に対して関心を持つ。以上の5つの重要な働きをしています。好奇心、やる気、異性に対する関心――。これが年齢を感じさせないで「できる男」の条件といってよいでしょう。
男でも女でも、異性に対する関心の薄い方は、老化が早いといわれていますし、ボケてしまう場合の多いこともよく知られています。逆に、常に好奇心と行動力で体を鍛え、脳を活性化させている人はいくつになっても仕事を続行できるし、セックスを楽しむこともできます。
大脳の外側にある新皮質では思考や判断力の中枢になっているだけでなく、性欲や自律神経ホルモンの分泌などとも密接な関係があるといわれています。
従って、恋愛で大脳皮質が刺激されれば、ホルモンも増えて性的能力が高まり、思考力や創造力も強くなるわけです。男も女も、健康で長生きしたかったら、大いに恋をすべきなのです。
 
●家康は66歳で16人目の子を作った
年をとるのが実に上手な人がいます。70歳になっても80歳になっても、顔の色つやもいいし、ハツラツとしている。行動的でどこへでも出かけていくし、めったに病気もしません。それくらいですから、女性にはたいへん持てる。女性も同じです。好奇心が旺盛で、心が若いからです。体力的にも、若い者には負けないスタミナがあります。
どうして年をとっても、体や心が老化しないのか。食べ方が上手なのです。「食べ方名人」なのです。
今から400年ほど前、この「ヤング・シルバー」を実行して、ついに天下をとってしまった男がいます。徳川家康です。
まさに高齢化社会を先取りしたような行動で思う存分に生き、75歳という長寿を全うしてこの世にサヨナラしています。当時の日本人の平均寿命は37,8歳ぐらいですから、その倍、たいしたものです。
豊臣政権を倒して江戸幕府を樹立し、以来260年という、日本史上まれに見る平和な時代の土台を築きあげたのです。家康が人並み以上に体力があったからこそ達成できた天下取りといってもよいでしょう。家康は、まさにスーパーシルバーでした。何しろ66歳のときに、「おろく」という側室に16人目の子を生ませているのです。
家康は、妻妾合わせて17人の女性を、生涯に愛しています。16歳で結婚し、23歳のときに早くも側室を置き、その後も次々と女性に食指を伸ばし、好色にかけても大ベテランであることを示しました。
最も、天下取りくらいの大事業を成し遂げるような人物は、また旺盛なセックスバイタリティの持ち主でもあるのです。最後の側室をそばに置いたのは68歳のとき。まさに若者顔負けです。
家康の先祖の松平信光は48人、11代将軍の徳川家斉は55人、本能寺で焼死した織田信長でさえ49歳の生涯で22人の子をもうけています。
性欲というのは生命力そのものであり、70歳になって、なお女性への愛着を持続できたというのは、体全体が若々しく、体力にも自身があった証拠です。では、そのスタミナ源は何か。
これがいたって平凡で、実だくさんのみそ汁と麦めし。みそ汁というのは、実は上手に作れば、たいへんな“体力強化食”“強精食”になるのです。
みその原料の大豆には、アルギニンというアミノ酸が含まれているのですが、この成分こそ人間の精子のもとなのです。このアルギニンは麦飯にも多く含まれています。しかも、みそ汁には旬の野菜や小魚類が豊富に入っています。野菜にはビタミンやミネラル、小魚類にはたんぱく質やカルシウムが。
つまりみそ汁は家康にとっても“スタミナ強化食”であり、“ビタミン・スープ”だったのです。家康は麦飯とみそ汁を毎日とりながら、70歳になっても子作りの可能な体力を維持し、ついには、天下までも手中にしてしまいました。
 
 
■ 「そば」で戦った荒木又右衛門
●舞台となった「鍵屋の辻」
日本の「三大仇討ち」というのがあります。
その1、富士裾野の曽我兄弟の仇討ち。
その2、伊賀越え鍵屋の辻の仇討ち。
その3、四十七士の吉良邸への仇討ち。
二番目の鍵屋の辻は三重県の伊賀上野にあります。同地は四方を山に囲まれた小さな盆地。しかし、古代から交通の要衝であり、盆地の西側にある小田は、津に至る伊勢街道と、奈良へ抜けるなら街道の分岐点になっていました。どちらも伊賀越えの難所の出発点であり、辻のかどには「みぎいせみち」「ひだりならみち」と深々と刻まれた、大きな石の道標が立っています。
今でこそどちらに向かうにも車で簡単に越えることができますが、昔は、旅人泣かせの物騒で難儀な街道でした。このあたり一体が「鍵屋の辻」。
呼び名の由来は、旅人や商人が伊賀の難所越えをする前に、小休止した茶屋の屋号・鍵屋によります。しかし、荒木又右衛門の助太刀による仇討ちがあってからは「鍵屋の辻」は、近隣にまで鳴り響くほど有名になってしまいました。
 
●荒木又右衛門の助太刀
今から350年ほど前の寛永11年(1634)11月7日の早朝に決行された凄惨な仇討ちです。
事のおこりは寛永7年(1630)、岡山池田藩の家臣河合又五郎が、藩主忠雄候の小姓をしていた渡辺源太夫を斬り殺して、行方をくらましたことに始まります。
激怒した藩主は、兄の数馬に上意討ちの命令を下しました。数馬は直ちに、仇討ちに旅たちます。このとき、数馬の姉を妻にしていた柳生新陰流の使い手であった荒木又右衛門が若輩の数馬に同行して助太刀することになりました。
追われる立場になった河合又五郎の側ににも、強力なガードマンがついていました。伯父で剣術指南の河合甚右衛門と、槍の名人で妹婿の桜井半兵衛、他9人です。又右衛門一行は、さんざん苦労したあげく、河合たちが京都に抜けようとしていることをつきとめ、鍵屋の辻で待ち伏せていたのです。
 
●「そば」は必殺食
又右衛門たちは、戦いの前の腹ごしらいに、角の茶屋の萬屋(よろずや)に入りました。このとき注文したのが、そばと酒と伝えられています。そばは縁起のよい食べ物であり、大願成就をこめたのです。さらにそばには消化のよいでんぷん質が60%も含まれているから、即戦力になるのです。でんぷんをエネルギー化するためにはビタミンB1が欠かせませんが、このB1も豊富に含まれています。B1は知能力をパワーアップさせる作用もあるので、即時に決着のつく真剣勝負の場合、理想的なビタミンなのです。
ビタミンの知識がないのは当然ですが、そばの実戦時の効果を知っていて、又右衛門は、一同にそばで腹ごしらえをさせたのでしょう。そばは消化がよいので、瞬発力を要求される戦いには願ってもないバドル・フード(戦闘食)だったのです。酒は、いうまでもなく勇気づけのためです。
そばと酒のせいもあったのでしょうか。数馬は見事に又五郎の首をとることができました。敵の河合側は、主戦力の甚右衛門と半兵衛の両人が又右衛門に斬り倒されると、戦意を失ってしまいます。又右衛門の36人斬りなどと大げさに脚色されていますが、実際に斬ったのは二人だけです。
 
◆ 「“そば”は中気を防ぐ」・・・ことわざ
昔はそば粉を熱湯でゆるく溶き、中期の予防食として用いたものです。
そばは常食していると、血圧が下がると、よく言われるのは、毛細血管を丈夫にするルチンという物質が含まれているためです。
たんぱく質の含有量を見てみると、そばには約12%、米には約7%、そしてパンの原料となる小麦には10%ぐらいなものですから、たんぱく質が一番多いのです。しかも、米や小麦には不足している必須アミノ酸のリジンやトリプトファンなどが多いから、そばのたんぱく質は米や小麦よりも優れているのです。しかもそばの場合、たいがいカツオ節でとった汁をつけて食べますから、魚のアミノ酸が加わり、そばの栄養価はたいへんに高くなります。
さらに刻みネギや大根おろしも使用しますから、ビタミンCも供給できます。これに天ぷらのかき揚を添えれば、これでほぼ完全食になります。
そばは色の黒いもの程よいといわれるのは、繊維質の多い甘皮も含まれているためで、便通を整え老廃物の排泄促進に役立つからです。又、そばに含まれているコリンには強肝作用や脳の老化を防ぐ働きがあるといわれています。

 

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池田 優

 

 

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