山ちゃんの食べもの考

 

 

その176
 



食は生命なり
「生命なきは食にあらず」とも云われますが、
人は多くの生命を頂く事で生かされている。
植物の生命も動物の生命も微生物の生命も、
土の生命も水の生命も空気の生命も、
すべての生命がつながって生かされている。
そんな「共生」の世界で生かされている。
「人は何を食べるのかによって決まる」とも云う。
肉体的な健康、長寿のみならず、
知性、思想、性格までをも決すると。
その食べ物の作り方、その食べ物の商いほう、
その食べ物の選び方、買い方、食べ方は、
その人の生き方、その考え方そのものであると。

                                   
(山ちゃん)
『食は生命なり』 【33】
『食は生命なり』と「永山久夫」 その27
永山久夫 「百歳までの健康ライフ 健康食・健康百科」 より
★★★★★長生き食歴・健康歳時記★★★★★
■ 9月(長月・菊開月・寝覚月・紅葉月・色どり月)
●9月9日・・・菊花の酒
9月9日は、「重陽の節供」。
陰陽五行説では、奇数を陽数といい、偶数を陰数と呼びました。
9月9日は、9が重なるので、「重九の節句」と呼び、古くから、とくにおめでたい日とされてきました。この日は「菊花酒」を飲んで、長寿を願う風習が古くからあります。
「重陽」というのは、陽数の9と9が重なるからです。この行事が、中国から入ってきたのは平安時代の初期ですが、江戸時代になると庶民の間にも全国的に広がり、秋祭りとして菊花酒を飲み、栗ご飯を食べて大々的に祝うようになりました。
菊は「千代見草」とか「翁草」「齢草」とも呼ばれています。菊花酒の作り方は、酒に菊の花を浮かべ、その香気を楽しみながら飲むもので、「老いを流して、若返る効果がある」と伝えられています。
『歌林四季物語』に次のような「薬酒」の作り方が出ています。
長月の九日とて けふ八日 宮の中務のつかさびと それこれなにくれと きそい走りて 足をそらしに 品々の薬ととのへ 菊を包みて 今日より お酒に入れて置く おほかたもろみの酒に 似かよひたるべし
これを見ると、菊花を薄布で包み酒の中に浸して作っています。
 
●9月・・・さんま
「天高く馬肥ゆる秋」といっても、ぴんとこない時代になってしまいました。
天が低くたって、日本人は一年中食べ過ぎて太っているからです。年中、ハンバーガーとかフライドチキン、ドーナッツなどのコンビニエンス食品ばかり食べていないで、旬のものに目を向けたらいかがでしょうか。
男あり  晩き名飯の  さんま焼く    寛産
秋の男は、こうあるべきです。男は黙ってサンマを焼く。煙がもうもうと出ても、女房に文句を言わせない。
さんまは北海道の北部に生息する回遊魚ですが、秋になると産卵のため、いったん南下。秋たけなわのころに関東沖を通ります。この頃のサンマが脂肪ののりも良く、味も最高。
さんまの呼び名は全国どこへ行っても大体通用しますが、伊勢から紀州、讃岐と南下するたびに、サイソ、サイレ、サイロ、サエラ、ノソザヨリなどと、語尾が「らりるれろ」と固まり、頭が「さ」の字ずくめとなります。
北海度沖をスタートしたときには、10%くらいしかなかった脂肪分が、関東沖にさしかかる頃には20%にも増えています。
江戸時代、「初ものを食べると75日長生きする」ということわざがありましたが、江戸っ子の血を躍らせた魚の二大初物が初夏のカツオを初秋のサンマでした。
 
 
■ 10月(神無月・栗名月・時雨月・初霜月・小春)
●10月・・・神無月は「餅月」
10月は「神無月」。やおろずの神々が出雲の大社に出張するため、全国各地の神社は、神様不在になってしまいます。
神様が何のために出雲に集合なさるかというと、縁結び相談というのが一般的ですがそうではありません。各地の新米を持ち寄って、酒造りをするためとか、あるいは、新米で餅つきをするためだとか、いろいろな説があります。
もちは、神様ばかりでなく、人間も大好物です。「もちに百味あり」といって、もちは神仏に供えるさお香の九部つであると同時に、人間にとっても一番のご馳走でした。
最近では昔ほどもちを食べなくなりましたが、「餅は百味」ではありませんが、楽しい食べ物であることに変わりはありません。
もちをベースにして、いろんな食べ方ができるのが、もちの良いところ。例えば、黄な粉をまぶす、あるいはごまでもよい、くるみもちなどなかなかうまいものです。
宮城県の「ずんだもち」なら彩りも美しい。枝豆の青豆をゆでてすりつぶし、甘みをつけたもので、さっぱりしていてうまいのです
納豆もちは脳の老化防止に役立つし、大根おろしの辛みもちは消化も良い。もちろん本命はあんころもちです。
 
●10ち月31日・・・栗名月
旧暦の8月15日が「中秋の名月」で、芋名月とも呼びます。
これに対して旧暦に9月十三夜が「栗名月」、または「栗の名月」といって古来から親しまれてきました。新暦に直しますと、中秋の名月が10月の3日で、十三夜が10月の31日にあたります。
中秋の名月には、里イモやだんごを満月にお供えして祝い、十三夜には栗をお供えします。栗は弥生時代になって稲作農業が普及する前は、里イモやトチの実などと並んで主食に近い食料であり、「栗名月」の行事は、縄文時代から行われていた祭事といってもよいでしょう。
この日、栗を食べると「やりくり」が上手になるといって、親しい方に「栗」を送ります。また、最近はあまり聞かなくなりましたが、「十五夜」と「十三夜」を合わせて「二夜の月」といい、両方見えるのが良いとされます。
 
 
■ 11月(霜月・神楽月・雪待月・子月・神帰月)
●11月15日・・・七五三
11月は「霜月」。雪待月。神帰月ともいいます。
15日は「七五三」です。
三歳の男女と五歳の男児、七歳の女の子たちが氏神様に、無事に成長できたことを感謝すると同時に、これからの守護を祈願するために参詣する行事が「七五三」なのです。
現在のように、決まった日にお宮参りをするようになったのは近世になってからで、それ以前は誕生日やお正月などの吉日を選び、年齢ごとに別の日に行っていました。
ここで骨休めをして冬を乗り切る11月15日に決まったのは江戸時代で、五代将軍綱吉の子である徳松君の祝儀がこの日に行われたためで、江戸末期から明治の初めにかけ、まとめて「七五三」と呼ぶようになり、行事としてほぼ定着しました。
昔は幼児の死亡率が高く、「七歳前は神の子」といって死亡しても本葬は行わず、七歳になって初めて一人前の生存権が認められたのです。
「七五三」はいってみれば通過儀礼であり、この行事を迎えることによって、村の中での待遇も、赤ん坊や幼児から子供の扱いに変わりました。当時は七歳未満で死んだ場合は届出も出さず、また「人別長」への登録も七歳からというのが一般的だったのです。
 
●11月・・・女の神ごと
昔は15日のことを「女の神ごと」と呼んで、女天下公認の日でした。この日は、男が台所に立って炊事をし、女性はふところ手でのんびりと過ごします。
当日は「油祝い」ともいって、油気の多い料理を食べますが、主として里イモヤ大根、ニンジン、コンニャクなど、野菜のどっさり入った「けんちんじる」にするのがならわし。
囲炉裏にかけた大鍋で、けんちん汁を作り、「霜先の薬喰い」と言いながら汗をかきかき食べます。実だくさんのけんちん汁の中には、「年中働きずくめの女房殿に、ここで骨休みをして冬をのりきる精気を養ってもらおう」という、やさしい夫の思いやりがこもっています。
どの地方も稲の取入れを終えたばかり、イモや大豆、キノコなど、食べものは豊富なときであり、昔はドブロクを大々的に仕込み、女性を上座にして、大いに飲み食いしたものです。
 
●11月・・・「秋」は豊かな季節
「秋」は「あき」と読み、五穀を初め、あらゆる豊作物が「あきるほど豊富な季節」からきています。収穫物が豊かににぎわい、満ちあきるという意味で、ここから「あき」というわけです。
今年も稲を初め畑作物も豊年万作。ミズホの国の秋です。秋の行事のほとんどは、豊作を神様に報告してはお礼を述べ、お祝いする祭りが中心になっています。
里の幸、山の幸を山盛りにして、御神酒(おみき)を添えて紙に供え、その後で、新米の炊きたてご飯を満腹するまで食べます。
白いおまんまを好きなだけ食べられる、年に一度の秋。楽しみな季節。まさに「あきれるほど腹いっぱいになるまで食べられるとき」なのです。
 
◆ 「アズキご飯で厄払い」・・・ことわざ
昔は、月の1日と15日にはアズキご飯を食べる習慣がありました。普段の食生活に不足しがちなビタミンやたんぱく質を補給して疲労を取るためです。
これが、「アズキご飯で厄払い」。疲れがたまって体が重くなることを厄と見て、これをアズキご飯で追い払ったのです。
定期的に食べるアズキご飯には、日本人に多い便秘を解消して、心臓や腎臓を強化する目的もあります。アズキには繊維質が多いから通じをよくするのです。江戸時代の『本朝食鑑』という書物には、アズキの効用について、「気分を穏やかにして、尿の出をよくし腫れをおさめ、いっさいの熱毒、風邪からくるむくみ、はれものをとり去る」と出ています。
アズキはたんぱく質を約20%も含み、ビタミンB1やB2も米ぬかと同じくらい豊富で、カルシウムや鉄分の多いアルカリ食品です。でんぷん質がカロリー化するとき、ビタミン、ミネラル、繊維質を補給する上で、理想的な食べ物といってよいでしょう。
 
■ 12月(師走・弟月・親子月・春待月・梅初月)
●12月31日・・・年越しそば
12月31日、つまり大晦日の晩に、家族みんなが揃ってそばを食べる習慣があります。いわゆる「年越しそば」で、この風習がおこったのは、江戸時代からです。この時代になりますと、経済力を身につけた町人の勢力が目立ってきますが、町人にとって、一番頼りになるのはお金。それだけ町人は金を大切にしました。
「かざり屋」といって、金銀細工をする人たちは、年末に細工場をきちんと整理して、掃除をする習慣がありました。その時に飛び散って、畳の目や隅などにまぎれ込んだ金や銀粉を、そば粉で作っただんごに吸いつかせて集めるという方法を考え出しました。この金銀を吸着しただんごをほうろくの上で焼いて炭にすると金銀だけが残るので、「そば」は「金」を集めるということになりました。
縁起を担ぐのが好きな町人たちは、早速、金銀細工職人の「そば」を見習い、大晦日になると「来年もまた金がたくさん集まる益すように」と願いながら、「年越しそば」を食べる習慣が出来上がったのです。
そばの食べ方は、初めのうちは、そば粉を熱湯で練って食べる「そばがき」でした。元禄の前から、うどんや素麺にヒントを得て、「そばきり」という現在と同じような食べ方になりました。
そば切りが普及すると、今度はそばの長さに引っ掛けて、「除夜にそばを食べると、寿命や家運、金運を延ばす」と縁起をかつぐようになりました。そばを食べるだけで金あつまったり、寿命が延びたりしたら、日本国中金満家だらけになってしまいますが、「縁起食品」というのはそういうものなのです。新しい年への願望をこめて食べるところに意義があり、商売の活力につながっていくわけです。
関西では「運そば」という言い方もあり、また「運どん」といって、うどんにする場合もあります。江戸の大商店では、大勢の店員たちが、かけそばをいっせいにつるつるやるのがならわしだったらしく、その情景を示したのが、次の川柳。
百人のそば食う音や大晦日
町人の間で広まったこの習慣は武家にも伝わり、明治、大正、昭和、平成と、今では全国各地に見られる歳末行事となっています。
「そばは、五臓六腑の疲れを取る」といわれ、歳末の忙しさで疲れの蓄積した体に活力をとり戻す意味がありました。
そばは、毛細血管を丈夫にするルチンやたんぱく質が多く、不老長寿に結びつき、縁起のよい食べ物です。そばには薬味として、刻みネギは欠かせません。ネギは禰宜(ねぎ)」につうじ、神職のことですが、古語の「ねぐ」から来た言葉で、「祈る」という意味もあります。
とくに、「年越しそば」に「ネギ」が欠かせないのは、「祈る」に通じるためで、新年の長寿と、無病、金運を祈る気持ちをこのネギに込めるのです。
 
 

 

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生命の農と食を考える
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池田 優

 

 

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