山ちゃんの食べもの考

 

 

その194
 



食は生命なり
「生命なきは食にあらず」とも云われますが、
人は多くの生命を頂く事で生かされている。
植物の生命も動物の生命も微生物の生命も、
土の生命も水の生命も空気の生命も、
すべての生命がつながって生かされている。
そんな「共生」の世界で生かされている。
「人は何を食べるのかによって決まる」とも云う。
肉体的な健康、長寿のみならず、
知性、思想、性格までをも決すると。
その食べ物の作り方、その食べ物の商いほう、
その食べ物の選び方、買い方、食べ方は、
その人の生き方、その考え方そのものであると。

                                   
(山ちゃん)
『食は生命なり』 【50】
『食は生命なり』と「新谷弘実」 その17
新谷弘実著 『病気にならない生き方』 より
■ 第4章 「命のシナリオ」に耳を傾ける の1
◆命のは寿命をまっとうできる仕組みがある
 
医学はここ100年の間に飛躍的な進歩を遂げたといわれています。
しかし、病気になる人の数は減るどころか年々増え続けています。
医学が本当に進歩しているのだとしたら、なぜ病人が減らないのでしょう。
 
それは現代の医学が、最初の入り口を間違えたからではないでしょうか。
 
現代医学は「治療」、すなわち病気を治すことからスタートしています。
それがそもそもの間違いだと私は思います。
病気から始まる医学ではなく、健康な状態から体を捉え、どうしたら健康を維持できるのかということを考えていかなけれが、「本当の医学」というのは成り立っていかないのではないでしょうか。
 
私が食と健康の関係について真剣に研究をし始めたのは、今から30年も前のことです。
当時、アメリカで多くの人の胃腸を診ていた私は、胃相・腸相が健康を知るうえでの非常によいバロメーターであり、胃相・腸相をよくすることが健康を手に入れる早道であることに気づきました。
そこで私は、今現在、病に苦しんでいる人を助けるためにコロノスコープ(大腸内視鏡)でのポリペクトミー(内視鏡を使ってのポリープ切除術)技術の開発・普及に努めるかたわら、人間が病気になる根本原因を探し続けました。
 
さまざまな論文を読み、患者さんに協力していただき、臨床データを集め、薬の影響を自らの体で検証し、野生の動物たちにも学びました。
その結果、私がたどり着いたのは、「この世をすべて包んでいる自然の摂理(これは神の意志と呼んでもいいのですが)に反することをすると人間は病気になる」ということでした。
 
野生の動物たちには、生活習慣病といえる病気はほとんど見当たりません。
もちろんそこには、医者や薬のない野生の世界で病気になることは死に直結してしまうからという一面もあります。
 
しかし、人間のように「未病」の状態の野生動物がほとんどいないことも事実です。
彼らはなぜ病気にならないのでしょう。
それは彼らが自然の摂理に則った生活を送っているからです。
 
命というのは本来、健康に命をまっとうできるような仕組みを持っているのではないでしょうか。
はじめから病気になることが運命づけられている命などないのです。
不幸にして先天的な疾患を持って生まれてくる命もありますが、それは命の発生段階において、遺伝的もしくは環境的に何らかの悪影響があったためと考えられます。
この世に原因のない結果は存在しません。
原因不明の先天的疾患も、原因不明の病気も、原因がないのではなく原因がまだわかっていないというだけのことです。
 
命は健康に生きるために必要な「シナリオ」を持って生まれてくるのではないだろうカーー私はそれを「命のシナリオ」と呼んでいます。
かんたんにいうと、動物たちは生きるために必要なことを「本能的に知っている」のです。つまり、野生動物は、本能的に命のシナリオを知り、それに従って生きているということです。
 
肉食動物の「歯」と草食動物の「歯」が違うのは、あなたたちの食べ物はこういうものですよという、自然の摂理の表れにほかなりません。
私たち人間の歯並びにも、そうした自然の摂理はちゃんと組み込まれています。
 
人間もちゃんと「命のシナリオ」を持っているということです。
傲慢にもそれを無視しているのは私たち自身といえます。
 
自然の摂理に則した「命のシナリオ」を無視してしまったのは、人間の限りない「欲」です。
「考える」という人間に与えられた神の恩寵を取り違え、自らを特別な存在だと思い込んできた人間は、他の動物よりも自分たちは高等な動物なのだと思い、彼らを家畜やペットとして自分たちの都合のよいように支配してきました。
 
これまで人間が培ってきた文化は、ある意味で「欲」の文化でした。
よりおいしいものを食べたいという欲を満足させるために、自然の摂理に則した食の範疇からはみ出し、より便利な生活をしたいという欲を満足させるために、さまざまな文明の利器を生み出すとともに、自然環境を破壊してきました。
もっと楽に作物を育てたいという欲は、農薬を作り出し、もっと土地やお金がほしいという欲が、争いを生んできました。
 
いまの人間社会は、そうした自分たちの拡大させ続けてきた「欲」と「便利さ」の代償を、病気という形で支払っているのかもしれません。
 
でも、そろそろ現代の医学の延長線上に本当の健康はないだろうということに気づいてもよいころです。
私たち人間も自然の一部です。
自然の一部が健康に生きるには、自然の摂理に身をゆだねなければなりません。
自然の摂理に身をゆだねるというのは、自らに備わった「命のシナリオ」に耳を傾けるということです。
太っているのに飢餓感を感じるのは、必要な栄養素が足りないからです。
下痢をしたり便秘をしたりするのは、体に適さないものを食べているからです。
そして病気になるのは、命のシナリオを無視しているからです。
 
ですから、これからの医学は、これまでのように病気を力でねじ伏せていくような医学ではなく、自然の摂理に立ち返り、命のシナリオに耳を傾け、自らに備わった自然治癒力を目覚めさせ、命を養っていく医学にシフトしていくべきだと私は思います。
 
 
◆臓器別医学は医者をダメにする
 
自然の摂理に学ぶなら、まず現在の臓器別医療をやめることが求められます。
臓器別医療は、「木を見て森を見ない医療」だからです。
自然には単独で成立しているものなどありません。
すべては互いに影響しあい、バランスを保っているのです。
 
最近、「海を育てる森作り」というのが話題になっているのをご存知でしょうか。
これは、急に海から魚がいなくなったのを不思議に思った猟師たちが原因を調べたところ、数年前に開発のために山の木が広範囲にわたって伐採されていたことが原因とわかり、魚を呼び戻すために山に植林をするというプロジェクトです。
一見しただけでは関係のなさそうに見えるこの伐採と海の魚ですが、自然のサイクルのなかでは密接につながっていたのです。
 
人間の体も同じです。
60兆個の細胞それぞれの個別の活動が、血液・リンパの流れ、胃腸の流れ、尿の流れ、空気の流れ、そして気の流れという5つの流れを媒体に、密接に関係しあいながら生命活動が行われているのです。
 
そうした流れを無視して、胃だ腸だと単独の臓器だけで問題を解決しようとすることに、もともと無理があるのです。
このまま臓器別医療が進んだら、その先にあるのは、もはや医師ではありません。
自分の専門があったとしても、それ以外の臓器のことも、その患者の健康状態をトータルに診ることができるのが本当の医師というものです。
 
見るからに顔色の悪い患者を目の当たりにしても、自分は胃腸の専門だからと、ただ腸コロノスコープを入れて、ポリープはないか、ポリープはないかとただそれだけを見て、「ポリープもガンもなかったですよ、よかったですね」と帰すのでは、あまりにもお粗末です。
 
わたしのことを「全米ナンバーワンの胃腸内視鏡外科医」と呼んでくださる方もいらっしゃいますが、私は自分が特別な才能を持っているとは思っていません。
私はただ、患者の体の声に耳を傾けながら日々診療に当たっているだけです。
 
現在アメリカでは乳がん患者の大腸検診が定着していますが、そのことを最初に発表したのは私でした。
そのときも、これはドクター新谷の素晴しい発見だとほめていただきましたが、私に言わせれば、それぞれの患者の体全体を診ていれば、他のドクターにもわかることだったと思っています。
 
私はガンを持っている人に会うと、体の中を見なくてもそのことがわかります
なぜなら、言葉ではうまく表現できないのですが、自分に「気」がサーッと吸い取られるような感じを受けるからです。
私がこういう話をすると、ドクターの多くは苦笑します。
でも、これは単なる「カン」ではなく、私の膨大な臨床経験に裏打ちされた「直感」なのだと思います。
 
以前、38歳の女性で、上腹部を指差しながら「先生、私のこのあたりにガンがあるんですよ」と訴えた方がいました。確かにそんな気がしました。
 
ところが、彼女は私のところに来る以前に、いくつもの病院へ行き、検査も受けたが、どこへ行っても検査結果は「異常なし」だったそうです。
私も内視鏡を入れて丹念に診ましたが、どこにもガンは認められません。
年齢も若いし、それほど心配はないと思ったのですが、あまりにその女性が違和感を訴えるので、私は十二指腸から胆管に造影剤を入れてレントゲン検査をしてみました。
胆管は非常に細いので、内視鏡では見ることができません。胆管に造影剤を入れる検査なども、通常ではまず行わない検査です。
 
ところが、この検査で短観に小指の先ほどの大きさのガンが見つかったのです。
 
また、自分肺がんに違いないといって私のところに受信に来た患者さんもいました。
この方も通常の内視鏡検査では異常は見られませんでした。
でも、この場合も患者がこれほど訴えるのだから何かあるはずだと思い、私は2ヶ月ほど空けて、もう一度内視鏡検査をすることにしました。
すると2ヵ月後、胃には小さな潰瘍ができていました。
そこで組織をとって検査したところ、胃粘膜の下にスキルスガンが広がっていることがわかったのです。
スキルスガンは進行が早く早期発見が難しいうえ、粘膜の下にできてしまうと内視鏡検査ではほとんどわからないため、非常に恐ろしい病気です。
もし、あの時2ヵ月後の再検査を約束していなかったら、がんは致命的なものになってしまっていたでしょう。
 
一人の医師が一人の患者と向き合える時間は、それほど長いものではありません。
その短い時間の間に、医者は全神経を集中して、患者の体が発しているSOS信号を受け取らなければなりません。
それはまさに剣豪同士の真剣勝負に引けをとらないほどの「気合」の世界です。
 
しかし残念なことに、患者の体の声を聞こうとする医師は減ってきています。
それは臓器別医療が徹底されてきているからです。
 
皆さんも経験あると思いますが、患者は診察を受ける前に、自分が診療を受ける科を自分で決めなければなりません。
そのうえ、診療室で医師から「今日はどうしましたか?」と聞かれるのです。
そこで患者が「胃が痛い」といえば、胃の検査をし、病気があるかないかを調べますが、胃に何も問題が見つからないと、「よかったですね、なんともありませんよ」と帰してしまいます。
患者のほうから「もっと検査を」と言い出さない限り、診察はそこで終わりです。
ひどい医者になると、患者の声を無視して「気のせいですよ、そんな検査は必要ありません」と追い返してしまうケースさえあります。
 
でも先ほどの私の体験からもわかるように、医師はもっと患者の声に真剣に取り組むことが必要だと思います。
 
私はこうした臓器別医療の現状が悲しくて仕方がありません。
こんなことをしていて本当の医師が育つわけがないからです。
 
さらに悪いことに、今ではインター制度まで廃止され、医師免許を取った時点で、その医師は自分の専門を決めることになります。
これは、専門以外の臓器のことを学ぶ機会すら与えられないということです。
 
ニューヨークにある私のクリニックでは、検査をするときには、患者さんの不安や負担を最小限にするためにも、他の臓器の検査も同時に行うサービスをしています。
まずい胃腸の内視鏡検査の前に、全身の検査を一通り行います。
全身の皮膚の状態、血圧、脈拍、血中酸素レベル、甲状腺、リンパ腺、関節・筋肉の異常の有無、そして、女性だったら乳ガンの検査(もちろん患者本人の許可を取ってから行います)なども行います。
 
それから大腸内視鏡検査の前に、女性だったら「子宮脛管ガンの検査もできますが一緒にやりましょうか?」と聞くのです。
お願いしますといわれれば、肛門に内視鏡を入れる前に大腸内視鏡で子宮を診てあげるのです。
膣の中に5〜8cmほど挿入し子宮を見ても見なくても検査時間は1分も変わりません。
でも、患者さんにとって見れば、産婦人科に行ってスペクトルを入れて検査を受ける必要がなくなるので、とても喜んでいただいています。
 
私の専門は胃腸ですが、このように子宮の検査もすれば、前立腺の検査も乳ガンの検査もします。
そしてこうした検査内容は、患者に喜んでいただきながら、私自身にとっても、医師としてとてもよい学びになっているのです。
 
 
◆「今夜の焼肉」より「10年後の健康」を選べ!
 
私はさまざまな病気の検査をさせていただくことで、いろいろなことを学ばせていただきました。
 
例えば乳ガンの検査でも、その人の食歴を聞くと、食と病気の因果関係が見えてきます。
乳ガンになる人は、コーヒーが好きで、牛乳、チーズ、ヨーグルトといった乳製品をひんぱんにとり、肉食をしていることがわかりました。
そして、このような食事をしている人の多くには、乳ガンを発病していなくてもオッパイの感触がゴリゴリとする「乳腺症」の症状が出ていることもわかりました。
 
つまり、コーヒー、乳製品、肉食という組み合わせが乳腺症を招き、そのまま食生活を改善しないでいると、乳ガンを発病する可能性が高くなるということがわかったのです。
 
ですからそれ以後は、乳腺症の方には必ず、食生活の改善を指導しています。
乳腺症のある人に、「あなたはコーヒーと乳製品とお肉が隙でしょう?」と聞くと、「なんでわかるのですか」と、みんな目を丸くして驚きます。
そしてこれまでの臨床データを教え、種明かしをするとほとんどの人が素直に食生活の改善を受け入れてくれます。
 
このように私の場合は、患者の体に教えてもらったことが、医療の基本となっています。
生活習慣の指導も基本は同じです。
乳ガンの予防には、食事を改めることとともに乳房を毎日5分間くらいマッサージすることがとても有効なのですが、これも臨床で学んだことです。
 
私の臨床データでは、この30年間、血流やリンパの流れが滞りやすい乳房を毎日1、2回マッサージしていた人で乳がんを発症した人は一人もいません。
 
こうした乳ガンを予防するためのアドバイスを、乳がん専門の医師たちがしているのかどうか私は知りません。
でも、私がアドバイスした人に一年後ぐらいに会うと、もちろん乳ガンになっていませんし、それどころかオッパイの組織がとても柔らかくなって乳腺症までもが治っていることは事実です。
 
医師である私にとって心からうれしいのは、病気を治すことでもなく、名医と呼ばれることでもなく、このように発病の可能性をもった未病の人に的確なアドバイスをし、健康になってもらう手伝いができたときです。
 
こうした経験を積んでいると、「食」の大切さを日々痛感せずにはいられません。
 
しかし、いまの日本は、体にとって害になる食物が、「よいもの」としてまかり通っているのが現状です。
 
私はこの30年間、機会を得るごとに「食と健康の関係」、そして「危険な食物」について述べてきましたが、まだ社会通念を改革するには至っていません。
しかもこのまま臓器別医療が徹底されていったら、若い医師が、私のように臨床まで学ぶことはますます難しくなっていきます。
 
これからに医学に必要なのは、予防医学です。
そして、正しい予防医学を確立するためには、正しい食の知識が不可欠です。
すでに既存の常識に凝り固まった大人の意識を改革するのはなかなか大変です。
本人が病気になれば別ですが、未病の段階では「10年後の健康」より「今夜の焼肉」という人のほうが多いのです。
 
本書をここまで読んでくださったあなたには、是非「今夜の焼肉」より「10年後の健康」を選んでほしいと思っています。
 
いま私が期待しているのは、次世代の教育です。
よく知育、体育、徳育の3つが教育の柱として掲げられるのを耳にしますが、これからはぜひもう一つ、「食育」を組み入れて、正しい食の知識を多くの人に知っていただく機会を教育や医療の場で作り出してほしいと思っているのです。
 
現在の、カロリー計算と間違った理論に基づく学校給食はとても危険です。
そうした意味でも、学校給食の改革と子供たちを対象とした食育がこれからの急務だと思っているのです。
 
 

 

ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。

 

生命の農と食を考える
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池田 優

 

 

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