山ちゃんの食べもの考

 

 

その198
 



食は生命なり
「生命なきは食にあらず」とも云われますが、
人は多くの生命を頂く事で生かされている。
植物の生命も動物の生命も微生物の生命も、
土の生命も水の生命も空気の生命も、
すべての生命がつながって生かされている。
そんな「共生」の世界で生かされている。
「人は何を食べるのかによって決まる」とも云う。
肉体的な健康、長寿のみならず、
知性、思想、性格までをも決すると。
その食べ物の作り方、その食べ物の商いほう、
その食べ物の選び方、買い方、食べ方は、
その人の生き方、その考え方そのものであると。

                                   
(山ちゃん)
『食は生命なり』 【54】  『食は生命なり』と「新谷弘実」 その21
新谷弘実著
『病気にならない生き方』 2 実践編 より その2
 
 
第1章 天寿をまっとうする生き方 の1
●『野口英世のような医者になれ!』が母の口癖
 
「野口英世のような立派なお医者様になって、人様のお役に立ちなさい」
これは、私が幼いころの母の口癖です。
 
私が生まれたのは1935(昭和10)年、野口英世は当時すでに、国民の模範となるべき偉大な日本人のひとりとして、人々の記憶されていました。
貧しい農家に生まれ幼いころに左手に大やけどを負いながら、苦学を重ねて医師になり渡米。
そして、欧米の人がなしえなかったような業績を打ち立てながらも、研究の途中で黄熱病で倒れるという野口英世の物語を、母は幼い私に何度も何度も語って聞かせてくれました。
そして最後には必ず、「あなたも野口英世のような立派なお医者様になって、人様のお役に立ちなさい」といったものです。
 
物心ついたころからそういわれて育った私は、小学校に上がるころにはすっかり、「自分は将来、医者になって人助けするんだ」と思うようになっていました。
しかし、今にして思えば、これは少し不思議なことなのです。
なぜなら、私の実家は九州の柳川で布団屋を営む商家で、そこの長男として生まれた私は、家業を継ぐようにいわれてしかるべき立場だからです。
 
野口英世のように家が貧しく、私の出世に大きな期待がかけられていたわけではありません。
何しろ、母が私に「立派なお医者様になりなさい」と言い出したのは、私がまだ就学するずっと前、3〜5歳ぐらいのことなのです。
 
唯一考えられるのは、母の祖母の祖父が久留米藩の御殿医を務めていたということです。
母はきっと、そのご先祖を誇りに思っていたのでしょう。
ですから、1963年に外科医のレジデント(研修医)として私の渡米が決まったとき、いちばん喜んでくれたのは母でした。
 
渡米当初、アメリカでの生活はけっして楽なものではありませんでした。
1ドル360円という高い為替レート、ハードな仕事に安い給与。
人種的な差別を感じたこともありました。
そんなときも私の心の支えとなったのは、「野口英世のような立派なお医者様になりなさい」という母の言葉でした。
 
それに私は、母のおかげで他の日本人よりはるかに恵まれていました。
幼いころからアメリカ留学を視野に入れた英語を勉強してきたため、多くの日本人が真っ先に直面する言葉の苦労をほとんど苦労することなくすんだからです。
そしてこれは後から知ったことですが、実はアメリカという国は、言語能力(英語力)と社会評価(収入や社会的地位)との間に相関関係があります。
 
人種のるつぼであるアメリカ社会では、外国人はもちろん、ネイティブであっても、言語能力の低い人は高度な教育についていくことがむずかしいため、それが収入や社会的地位に直結してしまうのです。
 
アメリカ社会には、一部に強い人種的・階級的な差別が厳然としてあることも事実です。
しかし、仕事できちんとした結果を出した人に対しては、高い評価が下されるというフェアーな精神が生きていることもまた事実です。
 
私がそのことを実感したのは、渡米してから8年後の1971年のことでした。
1969年にそれまで研究と試行錯誤を重ねてきた、スネヤー・ワイヤーを使用したコロノスコープでポリープを切除するポリペクトリーに世界で初めて成功した私は、その成果をまとめ、71年に胃腸内視鏡学会において発表したのです。
 
この術式のよさが認められれば、ポリープ切除のために開腹する必要がなくなり、患者の負担を大幅に軽減することができる。
しかし、それは今まで開腹手術しかやったことのない医師たちに対して大きな変革を迫ることでもあります。
自分が開発した器具と術式が、アメリカの医学会でどこまで認めてもらえるのか、期待と不安がありました。
 
発表を終えたとき、私に送られたのは、満場のスタンディングオペレーションという最大級の賛辞でした。
そしてこの瞬間、「内視鏡外科」という新たな外科分野が生まれたのです。
鳴り止まぬ拍手を聞きながら、私は、憧れの野口英世に一歩近づいたような気がしていました。
 
 
●『太く短い人生』ではなく、「太く長い人生」を生きる
 
医師としての技術が認められたことにより、医学会のさまざまな人に出会う機会も増えていきました。
そんな中で、私は一人の老医師に出会いました。
話を聞くと、その老医師は若いころ、野口英世に会ったことがあるというのです。
 
幼いころから憧れつづけた野口英世です。
私はその医師の口から、賞賛の言葉が聞かれるのを期待して、野口英世のことをいろいろと尋ねました。
しかし、彼の口から語られたのは、私が期待したような賞賛の言葉ではありませんでした。
 
「ドクターのグチの業績自体は、じつをいうと、みんなが手をつけようとしなかっただけで、彼でなければできなかったというものではない、むしろ私は、君のポリペクトリーのほうがすばらしい貢献をしていると思っているよ」というのです。
 
私はびっくりしてしまいました。
なぜ、ノーベル賞候補にまでなった野口英世の業績を、彼は高く評価しないのか。
それは、彼の研究分野が、誰もやりたがらない危険なものだったからだというのです。
 
野口英世がアメリカで最初に手がけたのは、毒蛇の研究でした。
当時のアメリカではガラガラ蛇にかまれて命を落とす人が多く、その毒の解明と血清の開発は急務でした。
しかし、生きたガラガラ蛇の毒がから毒液を採取し、それを研究するのですから、当然危険が伴います。
そもそも蛇毒に対する血清を作るための研究なのですから、この時点でガラガラ蛇にかまれることは死を意味します。
 
何とかアメリカに渡ったものの仕事の見つからなかった野口は、唯一与えられたこの危険な仕事を成功させることに自らの命運をかけたのでした。
彼はこの賭けにみごとに勝ちました。
しかし大きな評価は得たものの、その後も彼のもとに舞い込む仕事は危険なものばかりでした。
 
次に彼が取り組んだのは「梅毒スピロヘータ」の研究、その次は「オロヤ熱」に「トラコーマ」、そして遂に「黄熱病」の研究途上で、黄熱病に侵されて命を落としたのです。
 
医学者としての野口英世の業績は、輝かしいものです。
他に選択肢がなかったとはいえ、だれも恐れて手をつけようとしなかった研究に命を賭して取り組み、結果を出していったのはとても立派だと思います。
 
たった一つだけ、彼の素顔を知って残念に感じたことがありました。
それは、彼が医師でありながら、あまりにも自分の体を顧みなかったということです。
野口英世の生活態度は、けっして良いものとはいえません。
子供向けの伝記などには書かれていませんが、野口英世はかなり放蕩な人物だったのです。
人一倍に熱心に、寝る間も惜しんで研究していた反面、ひんぱんに酒を飲んでは騒ぐといった無茶な生活をしていたのです。
 
アメリカに来てあこがれていた野口英世のそんな素顔を知った私は、一つの決心をしました。
それは、「野口英世のような立派な医師を目指すが、野口英世のような自らの命を縮める不摂生な生活はしない」ということです。
 
私も若いころは、野口英世のように「いったい君はいつ寝ているんだ」といわれるほどハードな仕事の仕方をしていましたが、この決心があったおかげで、短時間でも体を休め、体力を回復させる方法をいろいろ工夫し、健康を維持し続けることができました。
 
ですから私は、最近つくづく思うのです。
もし、野口英世が自分の体をきちんといたわり、ミラクル・エンザイムを消耗しない生活をしていたなら、あのとき黄熱病にかからなくてすんだのではないかと。
事実、彼とともに研究していた研究所の別の博士は黄熱病にかかっていません。
長年の不摂生でミラクル・エンザイムを消耗してしまっていたから、野口英世は黄熱病の感染を防ぐことができなかったのでしょう。
 
私にとって野口英世は若いころからの憧れの人であると同時に、医師であるならば自らの健康に人一倍留意し、患者の見本となるべき生活を送らなければならない、ということを教えてくれた反面教師でもあります。
 
私が内視鏡外科という新しい分野を切り開くことができたのは、「野口英世のような立派な医師になりたい」という思いがあったからです。
そして、ハードな仕事をこなしながらいまも健康でいられるのは、「野口英世のような不摂生な生活はしない」という決意があったからです。
 
私が憧れた野口英世は51歳という若さでなくなりました。
それは「太くて短い人生」だったといえると思います。
でも、野口英世も本当はもっと長生きして、より多くの人を助けたかったと思います。
偉大な業績を残した野口英世が果たせなかった「太く長い人生」を送ること、それが彼に憧れて医師になった私がいま目指している道なのです。
 
 
●平均寿命のからくりにだまされてはいけない
 
野口英世が51歳で亡くなったとき、多くの人がその早すぎる死を惜しみました。
でも、当時(1928年)の日本人の平均寿命は、50歳に達していません。
つまり野口英世は、平均寿命より長生きしていたのです。
 
現在の感覚だと、「長生き」かどうかを判断する一つの目安として、平均寿命を超えているかどうかということがいわれますが、平均寿命を基準に寿命の長短を考えるという感覚は、実は最近のものなのです。
 
日本人が平均寿命を意識するようになったのは、日本人の平均寿命が世界のトップになった20年ほど前からです。
それまでは、家族や親戚、近所の人など、身近な人々の寿命だ目安になっていました。
 
ですから、そのような中で51歳の野口英世の死が惜しまれたということは、当時も健康な人は長生きしていたということです。
もちろん長生きしていたといっても、100歳を超えるような人は今ほど多くなかったでしょう。でも、80歳くらいは珍しくなかったのです。
 
いま無昔もそれなりに長生きした人がいたのなら、なぜ日本人の平均寿命は、これほどまでに延びたといわれるのでしょう。
 
数字だけを見ると、たしかに日本人の平均寿命は大幅に延びています。
終戦後間もない1947年の平均寿命は、男性が50.06歳、女性は53.96歳でした。
それが2005年には、男性が78.53歳、女性が85.49歳になっているのですから、この60年間で約30年も寿命が延びたことになります。
 
しかしこの数字は、必ずしも以前は50歳で亡くなっていた人が80歳まで生きられるようになったということではありません。
ここに平均寿命のからくりがあります。
 
平均寿命というのは、別の言い方をすれば、現在0歳の人の平均余命のことです。
もう少し詳しく言うと、その年に生まれた0歳児が、あと何年生きられるのかをその年の年齢別死亡率をもとに算出した「平均余命」なのです。
 
厚生労働省が毎年発表する簡易生命表には、平均寿命とともに、主な年齢の平均余命が記載されていますが、それを詳しく見るととても面白いことが分かります。
 
先ほど述べた1947年と2005年の0歳児の平均余命(=平均寿命)の差は、男性が28.47歳、女性では31.53歳もあるのですが、同じ条件で80歳の人の平均余命を比べてみると、男性が3.61歳、女性でも6.02歳の差しかないのです。
 
つまり、日本人の平均寿命を大きく伸ばした要因は、乳幼児の死亡率が低下したことであり、高齢者の平均余命はそれほど大きくは伸びていないということです。
 
たとえ数年ではあっても、寿命が延びていることは事実だという人もいるでしょう。
でも大切なのは、単なる年数ではなくその中身だと私は思います。
 
ここで皆さんに考えていただきたいことがあります。
昔の80歳といまの80歳、病院通いしている人の割合はどちらが多いと思いますか?
答は、いまの80歳なのです。
皆さんの周りを見ても、病院のお世話になっていない80台の人は、ほとんどいないのではないでしょうか?
 
じつは、日本人の60歳以上の人のうち、何らかの病気を持ち、入院したり、定期的に病院に通院している人の割合は60%を超えているのです。
つまり、確かに長生きにはなったが、その分、病院のベッドの上で過ごす時間も増えているということです。
 
これで本当の、寿命が延びたと喜ぶことができるのでしょうか。
 
 
●豚肉をよく食べる沖縄の人が長生きする理由
 
動物食の摂りすぎは胃相・腸相を悪くし、健康を損ねるもととになります。
これは、私の数多くの臨床データが物語る事実です。
 
しかし、こうした話をすると、「沖縄の長寿の人たちには、豚肉を食べることが健康・長寿の秘訣だという人もいますが?」という質問も受けることがあります。
 
たしかに、沖縄の伝統食には豚肉が良く使われています。
しかし、だからといってそれが長寿の秘訣なのかというと、そうではないと私は考えています。
 
動物食を常食していると、体は酸性に傾きます。
本来人間の体は、pH7.4という弱アルカリ性をしています。
それが酸性に傾くと、体は体内の骨や歯に含まれるカルシウムやマグネシウムといったミネラル分を使って、pHバランスを元に戻そうとします。
動物食の多い人が骨粗しょう症になりやすいのはこのためです。
 
また動物食は食物繊維を含まないため便の量が減り、その少ない便を排出するために過度の蠕動運動を繰り返すため、腸の壁の中の筋肉である輪状筋(腸をぐるっと取り巻いている筋肉)と縦走筋(縦に長く走っている筋肉)が肥厚し、腸がかたく短くなっていきます。
 
かたくなり強く収縮すると腸内の圧力が高くなるため、憩室と呼ばれるポケット状のくぼみが左側の大腸にできやすくなります。
その憩室や厚くなったひだの間に便がたまり停滞すると、腸内に多量の毒素を生み出します。
この毒素が腸内環境を悪玉細菌優位に変え、ポリープやガンといった深刻な病気を作り出していくのです。
 
さらに動物食に含まれる脂は酸化しやすく、体内に大量のフリーラジカル(活性酸素)を作り出します。
フリーラジカルがさまざまな健康被害をもたらすことは広く知られている通りです。
 
では、なぜ豚肉をたくさん食べているのに、沖縄の人は長生きなのでしょう。
一つには、沖縄の「水」が大きく関与していると思われます。
 
沖縄の島はサンゴ礁の上に乗っかっているようなもので地質は石灰分が多いため、沖縄の水には本土の何倍ものカルシウム、マグネシウムなどのミネラル分が含まれています。
調理や普段の飲料水にこうしたミネラル分の多い水を使っているため、動物食を多くとっても体内のpHバランスが崩れにくいのだと思います。
 
さらに、腸内環境についても、沖縄の伝統的な食生活を全国平均と比べると、面白いことがわかります。
 
沖縄の伝統食は、豚肉の摂取量が全国平均の1.6倍とたしかに多いのですが、じつは、海藻類が1.5倍、豆腐は2.1倍、緑黄色野菜も1.6倍と植物食が非常に多いのです。
 
残念なことに私が見た資料には果物の摂取量は書かれていませんでしたが、地域的な特色を考えれば、果物の摂取量も多いと考えられます。
 
野菜や海藻類が多いということは、それだけこれらに含まれるファイトケミカル(植物が紫外線や無視などの害から自らを守るために作り出した物質、第7の栄養素とも呼ばれている)や食物繊維も多く摂っているということです。
 
また、伝統的な調理法では、豚肉はゆでこぼしなどの下処理が行われており、余分な脂肪がきれいに取り除かれていることもわかりました。
余分な脂肪がなければ、脂質に含まれるコラーゲンなどを摂取しながらフリーラジカルの発生を低く抑えることができます。
 
以上のことから私は、豚肉をたくさん食べていることが長寿の秘訣なのではなく、良質のミネラルを多く含む水や海藻類、ビタミンやエンザイム、ファイトケミカルを多く含む野菜・果物類も同時にたくさん取っているから、肉による弊害が現れにくいのではないかと考えます。
 
 
●90歳まで長生きする愛煙家がいるのはなぜ?
 
豚肉を常食していても長生きの人がいるように、愛煙家の中にも90歳まで元気で生きたという人もいます。
90歳というと一般的には長生きとされますが、人間の寿命の限界は120歳前後です。
そう考えると、その人は限界年齢よりも30年も短命だったということになります。
 
もちろん、タバコによる健康被害のみで30年も短命になったとはいえませんが、もしその人がタバコを吸わなければ、もっと長生きできていたことは確かだと思います。
タバコを吸っていて90歳まで健康に生きられた人は、タバコを吸わなければ少なくとも100歳まで健康に生きられたかもしれないということです。
 
タバコは体にさまざまな健康被害をもたらしますが、それ以外の生活習慣や食事・水が体によいものであれば、体の免疫機能が働くため、健康被害を最小限に抑えることができると考えられます。
 
また、タバコに含まれるニコチンには、副交感神経を刺激する働きがあるので、仕事などで興奮した体をリラックスさせるという良い働きも少しはあります。
ですから非常にストレスの多い仕事をし、常に交感神経優位になっているような人であれば、少量の喫煙がストレス解消につながり、体によい作用をもたらす場合もあります。
 
とはいえ、タバコにはニコチンやタール以外にも、カドミウム、ニトロソミアン、ホルムアルデヒドなど多くの有害物質が含まれているので、ある程度の本数を継続的に吸うことは、確実に健康被害をもたらします。
 
事実、肺がんの原因の85%は能動的喫煙、3%は受動的喫煙(他人が吸ったタバコの副流煙を吸わされること)によるものだというデータを国際肺癌学会は出しています。
 
ここで喫煙者の方に知っていただきたいのは、喫煙者が吸う「主流煙」よりも、喫煙者の身近にいる人が吸わされる「副流煙」のほうが、毒性が何倍も高いということです。
 
人間の体には「個人差」というものがあります。
タバコの毒に弱い人もいれば、比較的解毒力に長けた人もいます。
喫煙している当人は、比較的タバコの毒に強く病気にならなかったとしても、周囲には毒に対する体制のない人もいます。
 
喫煙する人は、自らの健康だけではなく、家族など周囲の人の健康にも多大な悪影響を与えていることをもっと自覚して行動していただきたいと思います。
 
 
●『うちはガンの家系』は運命ではない
 
タバコの吸いすぎでは肺ガンになる、お酒の飲みすぎが原因で肝臓ガンになる、肉食のし過ぎで大腸ガンになるとよく言われます。
このこと自体は事実ですが、どのくらいの量をどのくらいの頻度でとると「摂りすぎ」になり発病にいたるのかというと、個人差がとても大きく、一概に量や頻度を明言することはできません。
 
たとえば、現在原因不明といわれている潰瘍性大腸炎やクローン病も、私は臨床データから牛乳や乳製品が原因だと考えています。
しかし実際には、比較的少量の牛乳や乳製品で発病してしまう人もいれば、毎日牛乳を飲んでいても発病しない人もいるのも事実です。
 
また、日本とアメリカのデータを比べてみると、乳製品の摂取量の多いアメリカ人のほうが、日本よりも潰瘍性大腸炎やクローン病の患者数が多いのですが、個人の食歴を調べると、乳製品を常食する歴史の浅い日本のほうが歴史の古いアメリカよりも、少ない摂取量でも発病しやすいという結果も出ています。
 
これは日本人のほうが、歴史が浅いため、牛乳や乳製品に対する「耐性」が少ないからだと思われます。
 
こうした病気に対する抵抗力の民族ごとの違い、個人ごとの違いは、何に由来しているのでしょうか。
 
現在の西洋医学では、親がなったと同じ病気を子供が発病する確率が高いことから、民族差、個人差を作り出している最大の原因は「体質遺伝」だと考えられています。
 
皆さんも健康診断で、「ご家族でガンで亡くなられた方はいますか?」「ご家族に糖尿病になられた方はいますか?」といった質問をされた経験があると思いますが、これは遺伝が発病に大きく関与しているとされているからなのです。
 
もちろん、遺伝による影響も絶対に無視することはできないでしょう。
しかし「遺伝」よりも、食生活・生活習慣の「継承」のほうが、要因としてははるかに大きいと私は思っています。
 
つまり、民族としての食歴、その個人が属する家の食歴が、発病に大きく関わっているということです。
 
そして、このことを立証するために、私はいま、さまざまなデータの収集に取り組んでいます。
 
もし本当に「体質遺伝」が発病の最大要因であるならば、まったく同じ遺伝子をもつ一卵性双生児が同じ病気を発病する確立は、親子以上に高いはずです。
そこで、異なる生活環境で暮らす一卵性双生児がどのくらいの頻度で同じ病気を発病するかというデータがあったので調べてみました。
 
条件に合う人の絶対数が少ないため、まだデータとしては不完全ですが、約1600人ほどのデータを集計した結果、まったく同じ病気(同質の病気を含む)を発症する確立はわずか2.5%しかなかったという研究発表があります。
 
現在、私が調査研究始めているのが、同じライフスタイルをもつ夫婦が同じ病気(同質の病気)を発病する確立です。
 
夫婦は他人ですから、同じ遺伝要素は持ちません。
にもかかわらず、生活をともにしていない一卵性双生児よりも生活を共にする夫婦のほうが、はるかに高い確立で同質の病気をしているという傾向が出ているのです。
 
とくに、仲の良い夫婦で30年近く生活をともにしているという夫婦では、一人が大腸ガンになったので調べてみると、もうひとりは大腸ポリープになっていたり、妻が乳ガンになったら、夫は前立腺ガンになるといったケースがとても多いのです。
 
もちろん、こちらもデータとしては収集途中なので、明確な確立を提示するにはもう少しデータを集めることが必要ですが、遺伝的要因よりも、食生活と生活習慣から生じる要因のほうが、同じ病気を発病する確立は高いということだけは明らかです。
 
これまでは親子・兄弟で同じ病気の人が出ると、その多くが「遺伝」のひと言で片付けられてきました。
そのため、一般の人々も、「うちはガンの家系だから」「うちは卒中の家系だから」といって、「仕方のない運命」として病を受け入れてきました。
 
でも、そうではないのです。
 
確かに色覚障害や血友病などもって生まれた遺伝子によって発病が決定付けられる病気もありますが、私たちが日常問題にしているガン・脳卒中・心筋梗塞といった主原因の明確ではないシリアスな病気のほとんどは、遺伝によってリスクが高まるものではありません。
 
たとえ親兄弟に発病した人がいたとしても、あきらめる必要はありません。
そうした病気は、自らの努力によって、いくらでも避けることができるのです。
 
 
 

 

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池田 優

 

 

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