山ちゃんの食べもの考

 

 

その225
 



食は生命なり
「生命なきは食にあらず」とも云われますが、
人は多くの生命を頂く事で生かされている。
植物の生命も動物の生命も微生物の生命も、
土の生命も水の生命も空気の生命も、
すべての生命がつながって生かされている。
そんな「共生」の世界で生かされている。
「人は何を食べるのかによって決まる」とも云う。
肉体的な健康、長寿のみならず、
知性、思想、性格までをも決すると。
その食べ物の作り方、その食べ物の商いほう、
その食べ物の選び方、買い方、食べ方は、
その人の生き方、その考え方そのものであると。

                                   
(山ちゃん)
『食は生命なり』 【82】
 
南清貴著   講談社インターナショナル刊
『究極の食』  より その4
 
 
第1章 体の良くできたシステム  の3
――本能を呼び覚ませ
 
 
● 砂糖とビタミンCの関係
 
次に砂糖とビタミンCの関係について考えてみたいと思います。
日本では特に、という限定つきですけれども、私たちの食生活は今、大変な量の糖にあふれています。
おそらくこれほど多量の糖を取っている民族というのは人類史上でも類を見ないのではないでしょうか。
 
糖だけでなく、たんぱく質も脂肪も、ものすごい量を摂っています。
全般的に摂り過ぎであるにもかかわらず、身体にとっていちばん必要なものは摂っていない。
 
たんぱく質で言うなら、肉や乳製品などの動物性たんぱく質は食べ過ぎているけれども、本当に必要な、アミノ酸バランスの取れた食品は摂っていないということです。
ですからどんどん欲求が過剰になっていってしまう。
油でも本当に必要なオメガ3がきちんと摂られていないために、脂っこい食品への欲求が高まっていってしまうのです。
 
糖は、私達の細胞のエネルギー源です。
糖を酸化させてエネルギーを生み出しているのですから、絶対的に必要なものです。
が、それにしても摂りすぎている。
 
スポーツドリンク、缶コーヒー、ジュースなど、コンビニやいたるところにある自動販売機で簡単に安価に買えてしまいます。
となると消費は伸びて当たり前です。
 
普段何気なく飲んでいるかもしれませんけれども、こういった飲料には大変な量の糖が入っていることにもっと注意するべきです。
私たちはそれでなくても糖を摂り過ぎているのに、まだまだ摂ろうとしているのです。
 
「疲れたから甘いものが食べたい」ということがよくありますが、これは自然に起きる当たり前の欲求ですから否定してはいけません。
私達の身体は、シュークリーム一つ、大福一つくらいですぐに壊れるほどやわではありませんので、ある程度食べても問題にはなりません。
 
しかし、継続的に糖を摂りすぎてしまうと、困った状況に追いやられてしまいます。
なぜ、甘いものが欲しくなるのか。
そこが明確になると、やたらと糖を摂る行為がいかに愚かかということがわかると思います。
 
現代社会に生きる私達が甘いものを食べたいと思ったとき、何を思い浮かべるでしょうか。
好みにもよるでしょうが、だいたいシュークリームやショートケーキ、チョコレートだったり、大福やまんじゅう、羊羹だったりするのではないでしょうか。
 
しかし、ほんの100年ほど遡って考えてみてください。
明治時代でも甘いものが食べたいという欲求は必ず起きました。
でもその時代はまだ砂糖が大変貴重なものだったので、そう簡単にまんじゅうは食べられなかったのです。
 
では、どうしていたのか。
あるいはもっと昔にさかのぼって、砂糖がない時代にはどうしていたのか、と考えるとわかりやすい。
私達の甘いものへの欲求をかなえてくれていたのは、木になっている果物だったのです。
 
私達の脳の深い部分は、現代社会に対応するべくシフトしていませんので、太古の、極めて動物的・原始的な欲求に基づいて信号を発しています。
太古には、完熟した果物が唯一の甘い食べ物だったはずですので、甘いものが欲しいと信号を発する時、身体が期待しているものは果物なのです。
 
ところが今は、その欲求を現代社会で作られたもので満たそうとしていますので、ミスマッチを起こすのです。
甘いものが食べたい=大福、と食べてしまうと、少しは満足するのですが、本来的な欲求を満たしていないのでまたすぐ甘いものが食べたくなる。
 
本来的な欲求とは実は、ビタミンCへの欲求です。
甘いものを欲するとき、身体の細胞レベルでは、ビタミンCが足りないという信号を発していることが多いのです。
太古では、一番のビタミンC補給源は天然の果実だったわけで、人間のDNAは、甘いもの(果実)を摂るとビタミンCが補えることを記憶しているからです。
 
現代の私達は、そこに惑わされているのです。
大福やシュークリームにはビタミンCが入っていませんから、身体の本当に深いところから来ている欲求がかなえられないので、またすぐに甘いものが食べたいという欲求につながってしまうのです。
 
いくらなんでも、大福やシュークリームばかり3つも4つもひんぱんに食べることは出来ませんので、結果的に甘いものへの欲求は押さえつけることになってしまう。
でも、身体が欲する欲求ですから、かなえてやらなくてはならない。
それは、砂糖を食べることではなく、ビタミンCを取ることなのです。
 
後ほど詳しく述べますけれども、サプリメントについて軽く触れておきます。
基本的にサプリメントで不足する栄養素を補うという考えには私はあまり賛成していないのです。
ただ、ビタミンC単体のサプリメントならば、果物が食べられないときのセカンドチョイス、サードチョイスとしては消極的に賛成します。
 
ビタミンCは単体でとっても、余分であれば体外に放出することが出来るからです。
それでも本当に意味での欲求は満たしたことにならないので、緊急避難的という限定付きです。
 
やはり、身体のためにはきちんと果物を食べてやって欲しい。
私などは、もともと柑橘系の果物が好きだということもありますけれども、甘いものを食べたいと思う時、オーガニックのレモンを絞って、少し水で薄めて飲んでみたりします。
ものすごく美味しいです。
染み渡っていくという感じで、力が漲ります。
大変な充実感と幸福感があります。
 
私達の身体をよみがえらせるのに、果物に含まれる水分も重要なのです。
糖とは別の話になってしまいますけれども、果物が含んでいる水分というのは、単なる水分ではない。
野菜もそうですけれど、私達の身体の中で有機的に働いてくれる水分、吸収しやすい水分になっていて、水で取る水分とは違うのです。
 
ともかく甘いものが食べたいと思った時には、太古にいったん戻って好きな果物をまず食べてみてください。
それでも消えない欲求があるのならば、糖が本当に不足している可能性もありますので、そこで初めて糖を摂ればよいのです。
 
実感が湧かないと思う人は、今度風邪を引くのを楽しみにしておいてください。
熱が出たらもっけの幸い、出るだけ出してください。
身体は、体内に入ってきた毒物、不要なウイルスや細菌類といったものを時々大掃除したくなるのです。
 
風邪というのは、そういうときに身体が使う現象ですから大変よいこと。
しかも、熱を出したり、咳をしたりというようなことに耐えられる体力がある時しか風邪は引けませんから、風邪が引けるだけで万々歳なのです。
 
さて、出るだけ出しておいた熱は、必ず下がります。
この、熱が下がったときが重要。
平熱よりも低いところまでいきます。
 
低温期というのですが、35℃代、場合によっては35℃を切るケースもあります。
熱が高い間は活動的でいいのですが、低温期に入ったら出来るだけ安静にしている。
布団に入って休む、横にならないまでも座って身体を休める。
 
そのようにして、長くても2日、3日の低温期をきちんと過ごしている間に身体は復活していきます。
代謝が非常に落ちている時期ですので、この間は食べないほうがいい。
 
この低温期を過ごした後、何を食べたいと思うか。
これが本当の欲求なのです。
不思議でもあり、当たり前といえば当たり前なのですけれど、多くの場合、おいしい果物が食べたくなると思います。
 
子どもの頃に風邪を引いて、擦ってもらったりんごが無上のおいしさだったという経験はきっとあるでしょう。
治りかけのときに食べさせてもらうバナナもおいしい。
熱を出してのどがカラカラになった時のミカンなんて、信じられないほどおいしいと感じるのではないでしょうか。
 
低温気に代謝が落ちた後、果物を食べたいと欲するのは、ごく自然な身体の反応です。
果物は、新鮮であれば、また加工していないものであれば、身体にとっては最も消化しやすい食べものの一つなのです。
しかも、すぐにエネルギー化される部分、蓄えられる部分、身体を修復してくれる部分という要素をバランスよく多様に持っている。
 
空腹時に果物を食べる喜びが感得できた人は、朝食べるものも果物になっていきます。
実際に何日間か続けてみると、その効果に驚くと思います。
結果的に、朝は果物だけで十分なのだということがわかってくるでしょう。
朝を果物で過ごすと、その後、非常にスムーズに身体のエネルギーが流れていきますので、余計なものを食べなくなり、多食をしなくなるのです。
 
必要なのは、すり替えられてしまった情報を元に戻して、身体が求めているものをきちんと食べるということです。
太るから、と甘い物への欲求を無視するのではなくて、正しい方法でその欲求を満たしてやる。
そうすることで、身体のレベルを上げていってもらいたいのです。
 
 
● 満腹感と満足感の違い
 
満腹感とは、必要な栄養素は満ち足りていないのに、分量によって胃が膨らんでしまってそれ以上食べられない状態。
満足感とは、必要な栄養素が満ち足りて充実感があり、活力が漲っている状態。
言葉で定義するのは本当は難しいのですが、私はこのようにそれぞれを捉えています。
 
キヨズキッチンを運営してきた10年の間、お客様が愛情を込めて言ってくださるご意見の中に「キヨズのご飯はおいしいし体にいいのはわかるけれど、腹持ちがしないんだよね」というのが結構ありました。
それこそ私が望んでいることですので、「ありがとうございます」とお答えするのですが、だいたいキョトンとされてしまいます。
どういう意味なのかよくわからないからでしょう。
こういうことなのです。
 
外食では、揚げ物が中心だったり、揚げ物でなくても質の悪い油が使われていたり、添加物だらけという事態がなかなか避けられません。
が、そういう食品は、われわれの消化液では基本的に消化しきれないのです。
消化しきれないまま、撹拌してある程度ドロドロになったら自動的に腸へ流れていってしまう。
腸に送り込みたくなくても、いつまでも胃に置いておくわけに行きませんから。
でも、それは身体としては不本意なこと。
つまり、もたれている。
時間がかかるということです。
 
身体に適した食事であれば、食後3時間から4時間で消化しきってしまいます。
それが望ましい状態で、長くても5時間後ぐらいには空腹感が訪れます。
キヨズのご飯はまさしくそれで、3、4時間するとお腹が空いてきてしまうのです。
食べたものすべてが見事に消化され、栄養素として使われているからなのです。
 
その空腹時、もたなくてヘナヘナになるのかというと、そんなことはない。
満足感のある食事をしたあとの空腹というのは最高に気持ちがいいものです。
他では味わえないほどの快感です。
これはどんな動物にも公平に与えられた快感。
 
野生動物は、お腹が空いた状態をしばらく保ったあとにつぎの餌を取ります。
ライオンは、空腹の状態でないと絶対に次の獲物を狩りにいかない。
これは鉄則なのです。
草食動物も同じです。
そこらじゅうに草があるのに、きちんと空腹になってからでないと次の餌は食べないものなのです。
この掟によって生命を保つことが、生物の自然なあり方です。
 
人間も同じはずですが、このサイクルを崩して、本当の意味で空腹になっていないにもかかわらず次の食事を詰め込むようになってしまった。
その結果、さまざまな病気が出てきたと考えてもいいくらいです。
満足感とは違う。
不必要な満腹感を私達は日々感じて暮らしているのではないか、という問題を提起しておきたいと思います。
 
基本的に、食べたものはいったん壊さなければなりません。
壊した食べ物から得られた栄養素を再合成して自分にするそのプロセスが必要で、プロセスを順調に回すためには消化の能力が重要になります。
 
消化能力をフルに活躍させるためには、前に食べた食べ物がまだ胃に残っている状態で次の食べ物を入れてはいけないのです。
また、空腹になってから一定の時間は栄養素を取り込む作業をしなくてもよく、身体の修復をしたり、新たな自分を作ることに当てられる重要な時間でもあります。
 
空腹という状態がいかに大切かということ、そして、充実した空腹感を味わうためにはその前の食事で必要な栄養素を摂っておかないとかなわないこと、を認識しておいてください。
 
栄養素が満ち足りていなくて空腹感が訪れると、快感にならず、飢餓感が生まれてしまいます。
飢餓感というのは、人間にとっては苦手な感覚です。
現代の日本では、普通に生きていれば餓死することはまずありません。
にもかかわらず、我々の多くは飢餓感を感じているのです。
全うな食事をしていないからです。
 
満ち足りていたら、空腹感が訪れても絶対に飢餓感には?がらない。
空腹を気持ちよいと思えなくなった現代人――ここにも大きな問題があると思っています。
 
 
● 永遠の欲求・・・・・・塩
 
本来摂取しなければならない栄養素を摂取できないと、どこまでも欲求が続くのは生物の基本的な機構です。
頭でどんなにわかっても、その欲求を抑えつけることは出来ません。
本能ですから、止めることが出来ないのです。
 
ですから、糖、炭水化物の摂取は少なければ少ないほどいいといったような説は、とんでもない間違いです。
エネルギー化できるものは常に摂り続けていなければなりません。
何もしないでただ横になっていたとしても、生きているだけで消費してしまう熱量=基礎代謝があるのです。
 
基礎代謝がきちんとまかなえるエネルギー源は食事で摂っておかないと、間違いなく次の欲求が生まれてきますし、欲求はどんどん過剰になります。
結果として、その飢餓感を埋めるかのように夢中になっていろんなものを食べ、身体に溜め込むということが起きてしまう。
ウエイトロスに失敗した人がリバウンドしてしまうのは、多くは飢餓感によってなのです。
 
つまり、自分の基礎代謝に見合った熱量は常に摂り続けなければ、身体が間違いを起こしてしまう。
しかもその量が多過ぎても少な過ぎてもいけません。
 
では、適正な基礎代謝の量はどうやって計ればよいのか。
そこでバロメーターとなるのが満足感なのです。
満足感を得た食事のあと、空腹を感じるところまでが一つのサイクル。
食後3、4時間、長くても5時間で気持ちよく空腹になるような食事をするのが理想です。
 
満たさないと続いてしまう欲求というのは、様々なものに対してあります。
私達が生きていく上では、塩、油、水の3つは絶対に満たしておかなければならないものですし、これに炭水化物だとか野菜や果物に含まれる栄養素が加わっていくのですが、特に注意しなければならないのは、塩に対する欲求です。
 
現代生活では塩の摂り方が間違っているためにいろんな弊害が起きています。
間違いの最たるものは化学精製塩です。
塩と化学精製塩とは別のものと捉えてください。
 
食塩の容器の裏を見ると、99%塩化ナトリウムと書いてあるはずです。
体の中に入るとイオン化されて、ナトリウムイオンと塩素イオンに分かれるのですけれども、これを大量に取り込むことによって、塩に対する依存性、不必要な欲求が生み出されています。
 
ミネラル(ナトリウム、カルシウム、カリウム、マグネシウムなど多種)も、あるバランスをとって存在していて初めて我々の健康を守ることが出来るのですが、塩化ナトリウムを多く摂り過ぎると、ナトリウムの濃度だけが体内で異常に高くなってしまうのです。
 
ミネラルはミネラル同士で拮抗関係を作っていますから、あるミネラル一に対して、こちらのミネラル2が適正であるというようなことがきちんと身体の中ではバランスされている。
ナトリウムと拮抗関係を作るミネラルもたくさんあるのですが、ナトリウムだけが多くなると、バランスが崩れてしまいます。
 
すると身体は本能レベルで、ナトリウム以外の、ナトリウムとバランスをとってくれるミネラルが欲しいと信号を発します。
そういうものは、キュウリ、カボチャ、レタスにも入っているかもしれない。
けれど、塩がいちばん手っ取り早く、バランスよく、求めているミネラル分を与えてくれる。
だから塩が食べたい、しょっぱいものが食べたいという欲求になるのです。
 
ところがそこでまた塩ではなく塩化ナトリウムを摂ってしまうと、求めていた他のミネラルが含まれていない上に、さらにナトリウムが増えてしまう。
それでどんどん過剰な欲求が生み出されていって、ものすごくしょっぱいものを平気で食べる習慣を持つ人になってしまうのです。
 
本来、私達、特に日本人は海塩で塩を摂るのがいいのです。
岩塩はどうかというと、ミネラルが結晶化していく順番が決まっている関係で、いちばん外側の層にはナトリウムが多く、やはりナトリウムの含有量が多くなってしまいます。
ですので、出来れば海水から作った塩を摂取するのが一番いいでしょう。
 
日本は火山灰土ですから、土中にも、水にもミネラル分が豊富ではありません。
土中のミネラルをたっぷり含む農産物を食べ、ミネラルを多く含む硬水を飲むヨーロッパ人などと違って、日本人には海塩が必要なのです。
 
海塩にはナトリウム以外にも、いわゆる微量元素、ミネラルといわれるものがほとんど含まれています。
もともと海の中にはほとんどのミネラルが含まれているのですから。
そして海塩を適正に摂っているかぎり、塩に対する異常な欲求は生まれません。
 
一昔前、二昔前に東北地方で高血圧の人が多いことが問題視されましたが、ナトリウムが問題だったのです。
それを間違った知識で、塩を摂り過ぎると高血圧になる、と摩り替えてしまった。
ここに大変な問題がありました。
我々の身体には絶対に塩は必要です。
ただし適正な量。
 
どうやったら自分が適正な量の塩を摂っているかを計れるでしょうか。
人によって適正量は違いますが、自分で計ることが出来ます。
海水から作った良質な塩を嘗めてみればいいのです。
甘い、うまいと感じるようであれば塩はまだ摂ってよい。
食事などできちんと塩を摂り、満ち足りている状態で嘗めてみると、今度は同じ塩がものすごく塩辛く感じて、もう要らない、と思う。
 
風邪の終わりかけ、まだ胃腸の調子までは完璧に整っていない時に、お粥を梅干しと一緒に食べることがあります。
風邪の後はピュアになっているのでわかりやすいのですが、そういう時の梅干しはしょっぱい、酸っぱいじゃなくて、うまい。
 
それは塩分とクエン酸を身体が必要としているのでおいしいと感じられるのですが、別の時に食べると、しょっぱくて一個も食べられない、ということがありませんか。
つまり塩が満ち足りていない時は、2つ、3つでも塩でつけた梅干をおいしいと食べられるのですが、食事で塩を十分摂った後ではさらに梅干を食べたいとは思わない。
もし食べたとしても、しょっぱくてとても2つ、3つなんて食べられない。
 
そのくらい身体の欲求というのは、正確なものなのです。
ですから、塩の量はどのくらいが適正なのかといえば、自分の身体が知っています、というのが正解です。
 
私は自分の店の若いスタッフに、塩の適正量をわからせるためによくこういう実験をしました。
少量のお湯を沸かして、そこに海塩を溶いていく。
そうすると、ある分量のところまではそれをスプーンですくって飲んでも塩が入っている感じがしないのです。
ところが、ある限界値に突入すると、突然、塩の味がしてくる。
 
料理人によって判断基準は変わるでしょうけれども、料理として完成度が高いのは、この限界値ぎりぎりのところに塩分濃度が調整されているもの、それが一番おいしい料理だと私は思っています。
 
特に汁物はそうです。
それ以上入れ続けてある幅を超えると、今度は塩辛くて不快な感じがする。
適正な塩の量というのは、その人によっても、その人の身体の状態によっても変わってきますが、ある幅の中に入っていれば、だいたいおいしいと感じるのです。
 
まとめますと、海の塩も精製塩同様、身体の中でナトリウムイオンと塩素イオンに分解されますが、他にマグネシウムイオンもあれが、カリウムイオンもカルシウムイオンもあって、ミネラルがバランスよく入っています。
精製塩にはナトリウムイオンと塩素イオンしか含まれない。
そこが大きな違いです。
 
精製塩を摂り続けているとただナトリウムの値がどんどん上がっていきますので塩への依存症が起きますが、本当に純粋に海水から作った塩に替えると、依存症はぴたりと治まります。
そうすると、摂る塩の総量が少なくなって結果的には体に良い。
最低限必要な量以上、塩を摂らなくても済むようになるのです。
 
世間を見渡すと、ポテトチップスやハンバーガーショップのフライドポテトを夢中になって食べている人がいます。
油中毒、塩中毒の人がどれほど多いことか、いちいち肩をたたいて、油と塩の説明をするわけにもいきませんが、身体の本当の欲求のことをもっと多くの人に知ってもらいたいと切実に思っています。
 
 
 
 

 

ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。

 

生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
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池田 優

 

 

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