山ちゃんの食べもの考

 

 

その229
 



食は生命なり
「生命なきは食にあらず」とも云われますが、
人は多くの生命を頂く事で生かされている。
植物の生命も動物の生命も微生物の生命も、
土の生命も水の生命も空気の生命も、
すべての生命がつながって生かされている。
そんな「共生」の世界で生かされている。
「人は何を食べるのかによって決まる」とも云う。
肉体的な健康、長寿のみならず、
知性、思想、性格までをも決すると。
その食べ物の作り方、その食べ物の商いほう、
その食べ物の選び方、買い方、食べ方は、
その人の生き方、その考え方そのものであると。

                                   
(山ちゃん)
『食は生命なり』 【86】
 
南清貴著   講談社インターナショナル刊
『究極の食』  より その8
 
 
第3章 効率一辺倒の「食」の危険性 の1
 
 
● 学校給食に見る「食」の貧困
 
食に関する分野での私の究極の目標は学校給食。
どうしてかというと、学校給食が実にでたらめだからです。
一部ではまじめに取り組まれていますが、概ね学校給食はめちゃくちゃです。
 
まず、献立が変です。
一緒には食べたくないようなものが組み合わさって出てきます。
それに、ほとんど必ず牛乳が付く。
中華丼と牛乳、たけのこご飯と牛乳、ちらし寿司と牛乳・・・・・・。
いくら好きな人でも、この組み合わせで牛乳か、という疑問は抱くのではないか。
 
どうしてそんな組み合わせができてしまうのかというと、栄養学を機械的に当てはめようとするからです。
 
栄養学先行で献立を立ててしまうと、食事の楽しさとか、組み合わせの妙というものは一切無視されてしまいます。
主食とおかずと牛乳とが全部合わさってこれだけの栄養素になるというのがわかるだけですから、そうなるともはや餌です。
豚のえさなど、配合飼料はそうやって作られているのですから。
 
子供達の無知をいいことに、大人はひどいことをしているのではないでしょうか。
そこを正さないかぎり、子供達が、牛丼と牛乳を一緒にとって栄養は完全だと安心する大人に育ってもしようがない。
その一方で食育なんて、どこかがおかしい。
 
それでもきちんとした食事が家庭でできるならまだいいと思います。
しかしいまや、包丁もまな板もない、ご飯も炊かないという家がたくさんあります。
実際、三食全部買ってきて済ましている家が結構あるのです。
それで子どもにまともな人間に育ってくれといったって、そうは問屋がおろさないと私は思っています。
 
しかもその学校給食の内容たるや、お寒いなんていうものではありません。
わが国が輸入でまかなう食料の中には、野菜が相当あります。
2003年の統計では、その野菜のうちの52%が、中国野菜でした。
今はもっと増えているでしょう。
 
中国からの野菜が全部悪いというつもりはありませんけれども、かなり質の悪いものが入ってきていることは事実です。
一時、冷凍のほうれん草にものすごい残留農薬があったことで騒がれたりもしましたが、スーパーなどでは中国野菜はこのごろあまり見なくなりました。
中国野菜が入ってこなくなったのではなく、加工食品の業者や、学校給食に回っているのです。
由々しき事態です。
 
惣菜や加工食品業者が中国野菜を使うのは、ひとえにコストを抑えるためです。
消費者はとにかく安いものを要求しますので、同じ野菜の煮物でも、一方は国産の有機野菜を使い、もう一方は出所がわからないけれども断然安い野菜を使って並べておくと、圧倒的に安いほうが売れるのです。
材料が何かなんていうことは問われない。
 
ましてや学校給食で、誰が原材料の質や出所を追及するのでしょうか。
最近では、米を中心に地場の野菜を使った給食を提供する学校も一部で出てきましたが、そうでないところでは、親が一度きちんと原材料まで興味を持って確認したほうがよい。
学校給食は、安ければよいというものではないと思いますので、輸入野菜は使うべきではないというのが私の主張です。
 
そもそも学校給食というのは、戦後、国が非常に貧しかった時に、子供達に差別があってはいけないということでできた制度です。
飛躍的に豊かになった今、その質は、学校給食が始まった当時とは比べものにならないくらい程よくなっているはずではないでしょうか。
 
本当に子供達のことが大切で、満足な食事をしてもらいたい、ということならば、戦後10年を経た辺りで給食をご飯と味噌汁にすることも可能だったはずです。
なぜかそういう選択はされず、その後もパンと牛乳。
私達のころまでは脱脂粉乳という、特別にまずいものが供されました。
加えてマーガリン。
こんなに恐ろしい組み合わせで給食が成立してきたのです。
 
今学校で大きく取り上げられている問題の一つに、アレルギーがあります。
統計を取ってみると、1970(昭和45年)ごろから急激にアレルギーの発症率が上がってきています。
1960年ごろはまだ、届出の数も少なかったり、症状がアレルギーと診断されなかったりということもあってゼロでしたが、それが1962、3年ぐらいからボツボツと出てきて、1970年には急激に増加するのです。
 
1970年という年は、大阪で万博が開かれた年です。
その万博会場にケンタッキーフライドチキンがアメリカから上陸して出店しました。
たまたま同じ年、ファミリーレストランの草分けであるすかいらーくも開業。
ダンキンドーナツ、ミスタードーナツ、これらも揃ってこの年から国内で出店攻勢をかけています。
翌年、銀座三越の一回にマクドナルドができました。
 
こうして1970年を境にファーストフード文化が日本に定着していくのです。
たしかにファーストフードの食品を分析していくとアレルギーの原因になると思われるものもたくさん含まれていますし、良質な食事ではないわけですから、アレルギー発症に影響があることは間違いない。
 
ただ1970年から始まったファーストフードの歴史なのに、1970年からもうアレルギーの比率がぐんと高まっているということに疑問を感じて、私は次のような推論を試みました。
 
1970年から子供達にアレルギーの数が増えているということは、その前後にアレルギーになる子供達を産んだ母親たちがいるということです。
いろんな幅があるにせよ、あえて大括りに女性が子どもを産む年齢を平均して25歳ぐらいとしますと、1970年に25歳で子どもを生んだ母親は、1945年生まれ。
 
1945年といえば、敗戦の年です。
ほとんどの人たちが飢え死に寸前の状況でした。
そこに差し伸べられたアメリカからの無償の食料の援助は、小麦と牛乳から始まったのです。
 
それは安く大量に調達できたからです。
どちらも粉で来ましたが、粉になると猛烈に酸化が速いので、日本に着いた時点では相当劣化していたと思われます。
 
そもそも日本人は、それまでそんなに牛乳を飲んできていませんので、牛乳に対する消化の能力がないに等しい。
牛乳を分解するためには、ラクターゼという消化酵素が必要ですけれども、日本人の85%はラクターゼを持っていないといわれています。
そのことを医学的にはラクトース・イントレランス(乳頭不耐症)といいます。
ラクトース・イントレランスの人が牛乳を飲むと、たんぱく質が分解できないため下痢してしまうのです。
 
下痢して栄養として摂り込まれなければまだよかったのですけれども、何しろ他に食べられるものが少なかったので、劣化したひどい食品でも吸収してしまった人が多くいたのではないでしょうか。
その子供たちが長じて1970年前後に子供を生んだ。
アレルギーは、発症する子の食生活にももちろん原因がありますけれども、親の世代に何を食べていたかによるところが大きいというのが私の推論です。
 
必ずしも今原因物質を摂ったからすぐに発祥するというものばかりではありませんので、若い世代は、いつか子どもが生まれてから頑張ろうというのでは遅い。
まず何よりも、安い、ということは、すなわち品質が劣悪である、という原理について、よくよく考えてみる必要があると思うのです。
 
 
 
● 安さのマジックーーエンゲル係数の謎
 
エンゲル係数というのは、家計の消費支出に占める食費の割合のことです。
終戦直後のエンゲル係数は68%、約70%でした。
収入のほとんどが食べものに費やされた時代です。
それが徐々に下降線を辿って、1963年には38.7%まで落ちる。約40%。
そこから驚くなかれ、急降下を辿って、2005年には22.9%まで落ちます。
 
社会学では、生活が豊かになればエンゲル係数は下がるというのが常識的な見解です。
ところが年間平均所得金額を調べてみると驚くべきことがわかる。
1994年には1世帯当たり664万円だったのが、8年を経過した2002年には、589万円に落ち込んでいるのです。
不思議なことですが、誰もここに目を向けません。
生活が豊かになるとエンゲル係数が落ちるというのは誤りだったのです。
 
わが国はバブル崩壊後大変貧しくなっています。
新しいマンションも建ちますし、海外旅行に行く人も相変わらず多く、一見、豊かであるように錯覚させられていますけれども、所得額は落ちているのです。
 
私達がが今ここで真剣に考えなくてはならないのは、生活が豊かになったわけではないのに、なぜ、エンゲル係数が下がったかというところです。
答えは非常にシンプル。
安いものばかり買い求めるようになったからです。
ファーストフードをはじめとする安い商品群が町中にあふれだしたのです。
 
食に関する消費規模を示す食市場は、1996年に77兆円ありました。
ところが、2002年には71兆円に縮小したのです。
6年間で6兆円下がってしまった。
年間一兆円ずつ、食に投じる金額が下がってきているということです。
 
この数字が証明しているのは、こぞって安い食べものを買いあさってきたということです。
食のプライオリティが急激に低下したということでもあります。
それでよかったのではないか、と思う人も中にはいるのかもしれませんけれども、トータルに国の出費を見ていくと、下がった分、医療費が高騰しています。
 
医療費の内訳で圧倒的に多いのが、生活習慣病関連といわれるものです。
生活習慣病に一番大きくかかわっているのが食だというのは周知の事実です。
ということは、安いものを買いあさっても、決して安上がりには終わらないということで、結局は高いツケを払うことになる。
 
適正なエンゲル係数値というのが果たしてあるのかどうかわかりませんが、国全体として20%台になってしまうと、もしかしたら健全性は失われるのかもしれません。
経済が発展して、国民全員が本当に豊かになっているという実感を持つことができ、数字にもそれが表れてエンゲル係数が下がるとというのだったらいいと思います。
が、今の日本はそうではない。
安いもの買いあさった結果、結局何を招いているか。
 
農業が成り立たないという現実が起きているのです。
効率を追い求めれば、人件費にしても、土地代にしても、安いところで農作物を生産して輸送してくるのがよいことになります。
効率だけ考えればそうなのですけれども、食べものは生き物ですから、そう簡単な図式では割り切れないところに問題があります。
 
生きているものは腐らないようにするプロセスも必要です。
それも効率化するために非常に強力な薬剤を使わざるを得ないようになっています。
同時に、安い食材ですから、味もよろしくない、劣化も激しい、そこを補うために様々な添加物を使います。
 
輸入果物の燻蒸剤にはドイツがユダヤ人を殺すために使った青酸ガスなど、大変危険なものが使われているケースが多い。
米や麦といった穀物を燻蒸するためには、神経毒性があるといわれている臭化メチルが使われています。
 
なんだかんだいいながら国産を守ってきた米も、さらに安い米を求めて、中国、台湾、アメリカ、オーストラリアといったところで作って輸入するようになっている。
そうまでして我々は安いものを食べなくてはいけないのでしょうか。
 
本来、人間が生きていく上で中心に当るべきなのは生産活動だと思うのです。
物を作り出していく、ものではないにしても何かを生み出していくという活動が中心であるべきですし、ずっとそういう風にして人間の歴史は続いてきたと私は信じています。
 
それが近年、中心が消費活動に移ってきた。
生産と消費のバランスで、世の中はうまくいくのだと思うのですが、生産よりも消費が中心になったがために、消費するものを作り出す、というように順序が逆になってしまったのです。
そのことが一番の間違いの元のような気がしています。
そこに気付いたのは、飲食業に携わるようになってからです。
 
世のマジョリティの人たちは、消費を中心に生活を組み立てていますので、消費財としての食品にしかもう目が行かなくなっている。
そのために大変なことが起きていますし、そこを解決できないと、消費者として、消費する価値のあるものを手にすることすらできなくなるのではないでしょうか。
 
やはり根本に立ち返って、生産活動にきちんと目を向けないといけないのではないか、というのが私が途中で気づいたことです。
それが自分のやり方を大きく改革しようと思ったきっかけでもありました。
 
まっとうなもの、当たり前のものを作り出すためには、当たり前の生産費用がかかるということを消費者はきちんと理解する必要があると思います。
市場には食べ物があふれかえっていますし、どんどん買い求めて食べ、余ったら捨てるということが平気で行われています。
 
私はレストランでも、デリでも、生産者から仕入れたものを大根の尻尾まで無駄にしないように、カブの葉っぱまで全部使い切ろうと思いながら営んできましたけれども、そうするにはそれなりに原価がかかります。
ですから売価としては、スーパーの惣菜とか、コンビニの弁当よりも高くなってしまいます。
でも、それは比較ができないほど価値が高いはずなのです。
 
経済学的な見地からは、生産活動を中心に考えるのはいわゆるプロダクトアウトのような発想に近いですから、もっと消費者が求めるものにシフトして、マーケットインの発想になったらどうなんだ、という考え方も一方ではあります。
もちろん、自分の主張をした上で妥協できるところはしますが、しかし迎合はしたくなかった。
迎合してしまうと、安さのマジックに引っかかってしまうのです。
 
今市場に出回っている食品の大半は、この安さのマジックを使っています。
そこを解きほぐして突き進めて行くと、食料自給率の問題に行き着きます。
40%を切るといわれている日本の食料自給率は世界でも非常に低い。
 
輸入した食糧のまた大半は、人間が食べるものではなくて、家畜の飼料などに使われている。
当たり前のように牛肉を食べたり豚肉を食べたりしているけれども、背後にはそういうマジックがあって、それが価格として反映されている。
そこに消費者としては疑問を持つべきだと思います。
 
自分たちが食べているものがどのように扱われていて、どんな風に製品として手元に届いているのか、その流れを知っておかなければならないのではないでしょうか。
知っても本当の意味の解決にはならないかもしれないかもしれませんが、解決のヒントぐらいは見つかるのではないかと思うのは、日本が世界一の食糧輸入国だからです。
輸入額ではダントツで世界一なのです。
 
 
 

 

ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。

 

生命の農と食を考える
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池田 優

 

 

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