山ちゃんの食べもの考

 

 

その235
 



食は生命なり
「生命なきは食にあらず」とも云われますが、
人は多くの生命を頂く事で生かされている。
植物の生命も動物の生命も微生物の生命も、
土の生命も水の生命も空気の生命も、
すべての生命がつながって生かされている。
そんな「共生」の世界で生かされている。
「人は何を食べるのかによって決まる」とも云う。
肉体的な健康、長寿のみならず、
知性、思想、性格までをも決すると。
その食べ物の作り方、その食べ物の商いほう、
その食べ物の選び方、買い方、食べ方は、
その人の生き方、その考え方そのものであると。

                                   
(山ちゃん)
『食は生命なり』 【92】
 
南清貴著   講談社インターナショナル刊
『究極の食』  より その14
 
 
第5章 ナチュラルエイジング  1
 
 
● 年齢相応の健康
 
自然に抗うのではなく、自然に従って生きる――ナチュラルエイジングというのは、私が提案する理想的なライフスタイルを象徴するキーワードです。
では、アンチエイジングとナチュラルエイジングはどう違うのか。
 
一般的にアンチエイジングというのは、加齢を食い止めようとか、若返ろうとすることですから、根底には年齢を重ねることに対する否定的な考えがあります。
ホルモン治療やレーザー治療など、私の目から見ると危険なのでは、と疑問を感じるような医学的な処置・治療も同じアンチエイジングと冠しているものも中に含まれていたりもします。
 
私は日本で初めてのアンチエイジング・レストランをプロデュースした経験があるのですが、そういうつもりでアンチエイジングと銘打ったわけではなかったので、混同されないよう、いっそ、別の表現を探すことにしたのです。
そうして思いついたのが「ナチュラルエイジング」でした。
 
まず、年齢を重ねることは悪くない、という発想が基本にあります。
年をとることは、機能が衰えたり、病気に近付いたりと、とかくネガティブに捉えられがちです。
確かに20代の時と同じように100mを走れと言われたって、それは無理です。
しかし、人間というのは肉体だけで生きているのではありません。
 
年齢を重ねることで失っていくものもありますが、それ以上のものを積み重ね、獲得しているということを認識してもらいたいのです。
肉体的にできないことが少しずつ増えていったとしても、逆に20代でできなかったことが50代になって初めてできるということもたくさんあります。
 
それが本来のエイジングということ、年齢を重ねていくということですし、それを自然な形で許容して、そのときに一番相応しい自分でいることがナチュラルエイジングのあり方です。
 
ナチュラルエイジングのために大切なこととして、私は3つの柱を打ち立てています。
その1、賢明な食生活。
その2、適当なエクササイズ。
その3、自分らしい生き方の発見と実践。
この3つを心がけていれば、年齢相応の健康が維持でき、イキイキと暮らせるはずです。
 
まず、オブティマル・ヒューマン・ダイエットの実践こそが賢明な食生活の第一歩です。
「懸命な」としたのは、10代、20代の食事の内容と、40代、50代になってからの食事の内容は、違っていて当たり前、ということも強調したかったからです。
量的なこともそううですし、内容も違っていていいはずです。
 
よく、「昔みたいに食べられなくなっちゃって」ととても残念そうに言う人がありますけれども、当たり前です。
身体が成長して整ってきたら、ごく少ない量で満足しますし、少量でもエネルギー化が十分にできるようになるのです。
効率がよくなったということです。
 
お酒の飲み方にしても、若いころは浴びるように飲んでいた人が、極上のワインをほんの少し、おいしい料理と一緒に気の合った仲間と味わうのが至福、というように変化していくのはとても自然なことなのです。
私の考えを押し付けようという気はありませんが、賛同してくれる人も多いのではないでしょうか。
 
2つ目に大切なのは適度なエクササイズ。エクササイズは必要です。
人間には歩くということが非常に重要なエクササイズなのですが、都会の生活では、なかなか歩く時間も機会もありません。
そこで、代わりになるような基本のエクササイズを紹介しています。
 
例えば朝起きて着替えをするときに、裸になった状態で足踏みをします。
「その場歩き」と呼んでいますが、大きく手を振って足も高く上げ、5分ぐらい足踏みをする。
それだけでかなりエネルギーを使います。
 
あるいは、寝る前にとことんまで大きく息を吐き出すといういうことをやってから寝る。
活元運動(後述のコラム5を参照)をするのが一番よいのですけれども、整体の指導を受けていないとできませんので、同様の身体の動きを誘発する目的で、布団の上で勝手な格好をして伸びをし、息を吐きながらフーッと力を込めてぱっと力を抜く、というのを30ポーズぐらいやるのです。
そうするとあくびが出てきますので、それから寝る。こういうことをきちんとやっておくと、身体はいい状態を保ってくれます。
 
私が言う適当なエクササイズとはこの程度のものです。
皇居を何周走るとか、ジムに行って重たいものを持ち上げるとか、そんなことではありません。道具なんか何一つ要らないのです。
 
3つ目の自分らしい生き方というのは、何も自分勝手にわがままに生きるといるのではありません。
本当に自分らしい生き方ができると人というのは、他人と協調することにも喜びを見出すのではないでしょうか。
他人と、あるいは一緒に暮らす人と、お互いの主張を認め合い、微妙な接点を見出し、依存し合うのでも、押し付け合うのでもなく、それぞれがきちんと自立しながら、一人ではできないことを仲良く一緒にやっていく。
 
人間というのは社会的な動物なのだというところにこの考えの元があります。
そこを理解できないと、わがまま勝手に振る舞って自分のいいように人を支配したり、ひどい場合だと脅して従属させるというような関係が発生してしまうのです。
それはお互いに決して気持ちのいいことではない、ということに気付いていくプロセス自体がもうナチュラルエイジングなのです。
 
もちろん年齢に関係なく深い認識を持っている人も沢山いますが、多くの場合、若いときにはそういうことに気づかないもので、男女にかかわらず自分のパワーで人を支配しようと振る舞うことがままあります。
年齢を重ねると、そういうことから自然に脱却して、本当の自分というものが表現できるようになり、それが他人との協調を生み出していく。
 
このプロセスが成熟するということだと思いますし、個人と個人だけでなく、個人と社会、社会と社会の関係性も、そのようになっていくのが望ましいありようなのではないでしょうか。
 
年齢を重ねていくと、解釈できる範囲も、できることも広がりますが、やらなくていいことも増えます。
不必要なことには手を染めない、手出しをしないと思えるようになることも理想的な歳の取り方ではないかと思っています。
ナチュラルエイジングの根本思想はこういったところにあります。
 
コラム(5) 活元運動とは

身体運動には、錐体路系の動きと錐体外路系の動きがあるといわれています。

随意的な、意識して行われる運動が錐体路系の動きで、無意識的な、本能的な動きが錐体外路系の動きです。

整体では、錐体外路系の運動能力を高めることによって、その人の身体能力全般を向上させることを一つの目的としています。
その訓練方法の一つが活元運動なのです。

具体的な運動の方法については、野口晴哉先生の「整体入門」(ちくま文庫)に詳しいですから、興味のある人は参照してみてください。

塾達すると、いつでも活元運動が自然に出て、細かいレベルの身体の不調和を瞬時に解決する方向に働き出す、と考えられています。
 
 
 
● 更年期の意味
 
「更に年を重ねるために必要な時期」、これが私の考える更年期という言葉の意味です。
更年期についてまず認識していただきたいのは、歳を重ねること同様、まったく悪いことではないということです。
 
生物にはみな、熟れる前の青々とした美しさももちろんあるのですが、年齢を重ねることで成熟する美しさというのもあります。
成熟の度合いによって、少しずつ余計なものが削ぎ落とされ。不純なものがどんどんなくなってゆくきれいさ、美しさ。
 
そこに至るプロセスとして、どうしても経なければいけない時期が更年期であって、それが、身体が持っている自然の流れであり欲求ですから、そういうものに逆らおうとすると苦しくなってきます。
 
それもあって私はアンチという言葉を排除したいと思いました。
アンチというのは何かに抗う、抵抗するというような意味ですから。身体の自然な流れに任せておくと、変化の時期ゆえ、いろいろな症状が出てくるのは確かです。
 
ただ、その一つひとつを、「自分が変わって更に人間として素敵な時期を迎えるのに必要な通過点」と捉えることができれば、同じ症状でも感じ方がまったく変わってくるのではないでしょうか。
 
ちなみに、男性は更年期がないと思われがちですが、実際にはあります。
女性のように骨盤の開閉運動がそんなに大きくないので、あまり感じないか、症状が出ても振幅がそれほどないため女の人ほど話題にはなりませんけれども、女性の更年期同様、とてもよいことです。
 
整体の指導者として見てきた経験では、最初に更年期の変化が現れるのは肝臓です。
それから腎臓、そして骨盤、つまり腰へと続きます。
もちろん例外はありますけれども、ノーマルに更年期を迎えると、どうやら「肝心要(かんじんかなめ)」の順番で変化をしていくようです。
 
ご承知のように、肝臓というのは化学工場で、毒物を解毒したり本当にすごい働きをしている器官です。
けれども、栄養物質の貯蔵庫でもあります。
栄養を一時的に保管しておく場所が変化するということは、エネルギーの使い方がこの時期に変わってくるというわけです。
 
腎臓は、毒物や不要なものを排泄したり、きれいにしたものをまた血液の中に戻したり、という働きをしてくれる濾過装置のような場所で、この変化もすごく大事です。
 
加齢とともに消化・吸収の能力が変わってくると、結果的に血液の質自体や組成も変化します。
腎臓に流れ込む血液の質が変化するのですから、腎臓自体もその働きを変化させなければなりません。
 
この時期、肝臓や腎臓などに余計な負担をかけずに無理なく経過させるためには食べるものの質を考えなければならないのです。
食べ物の質を変えれば必然的に量も変わり、食べ方も変わります。
 
すると仕上げのように骨盤が変化してくる。
それは身体全体が省エネになるということで、若いときのように大きな振れ方で骨盤の開閉運動が起こることはなくなり、落ち着いてしっかり動き、がっしりした動きに変化していくのです。
 
骨盤の動きはよく、性エネルギ=生命エネルギーといわれ、生命活動そのものに喩えられますが、更年期をうまく過ごした人は適度に弾力のある骨盤のまま若々しさを保つことができます。
逆にこの時期の過ごし方がうまくいかないと、しまりのない骨盤になり、体型的にも恥骨が前に出て一気に老け込んでしまいます。
 
過剰な栄養を摂らずに更年期の時期をうまく過ごすと、その後、女性の場合はすごくきれいに、美しくなる。
男性だと逞しく、どっしりとした感じが出てきて、いかにも年齢に相応しい落ち着き、包容力、そういったものが出てくるのです。
 
そのため40代、50代ぐらいになって変えるべきことといえば朝食でしょうか。
朝食はそもそも摂らないほうがよいというのが私の持論ですが、若いうちはよくても、年齢を重ねてきてからは、朝食に動物性たんぱく質や炭水化物を取るのは負担が大きい。
更年期に向かう身体というのはエネルギーの効率がよくなっていくからです。
 
少量のものできちんと栄養を摂取し、きちんと使い切るという、無駄を排したエネルギーサイクルができるものです。
ただし自分の身体からのメッセージを聞くことがより大切ですので、目覚めた時にもう空腹だという人なら、その限りではありません。
 
更年期が何歳で来るかということは言えませんし、人によっても随分違います。
30代の後半から始まる人もあれば、60代になってからという人もいます。
ただ、いかなる変化がいつ訪れようとも、慌てずに、それが心地よいと思うようであって欲しいと思うのです。
 
今は若くても、一生何の変化もないなんてことはあり得ませんから、いつかは変化が訪れます。
その変化も突然起きるということはそうそうなくて、前兆があったり、少しずつ変化して、あるとき症状として出てくる。
そのときを楽しめるようにするためには、ある程度は前もって準備をしておいたほうがよいかもしれません。
 
身体が整っていればいるほど、更年期に現れる変化を楽しめます。
逆に乱れていればいるほど、あたふたしてしまい、それが自分の中の不安を呼び起こして症状の悪化に拍車がかかるということが往々にしてあります。
 
ですから、若いうちからきちんと自分の身体と対話をし、身体が何を求めているのかを察知してそれに添った行動をとっておく。
そうすることで身体を整えておくことが大事なのです。
 
すでに更年期を迎えているなら、それまでの自分の生活を見直してみて、その中の不調和を修正していくための時期だと捉えてもらいたいのです。
 
心臓がどきどきしたり、暑いと感じないのに汗がたくさん出たり、急に顔がほてったり、という症状が現れたら、身体が何かを変えようとしている信号だと認識してください。
あまりにもその症状が激しいときには、それまでの食を含めての自分の生活がかなり不調和で、歪みがあったために、それを修正しようと必死で身体が働いているのだと解釈していただきたい。
 
そして症状が出たことについて、自分と自分の身体とが情報のやり取りをするとてもよい機会と捉えるべきでなのです。
それまで、自分の身体ときちんと対話をし、身体の欲求に添って生きてきたのであれば、そんなに激しい症状は出ないはずですから。
 
激しい症状が出ることを、自分にとって相応しくないと思うなら、何かを変える必要があります。
更年期に限らず、自分を変えようとしてもなかなか変えられない人がいます。
変えられない人というのは、それまでの自分がとても好きだったり、強い執着を持っていたりするのです。
執着を持ってしまうと、自分を意識的に変える力が鈍くなります。
 
それでも人は自然に変わっていくのですけれども、大きくドラスティックに変えていくことは難しくなってしまう。
何かが思い通りにならないとき、環境や他人など、自分の外側のせいにしてしまいがちですが、まずは何物にも執着しない自分でいることが肝要です。
 
自分の思い通りになるように、思い通りのことが起こるように、過去に自分や、自分が所有していたものに執着しないで身軽になること。
そうして、最初に自分のほうから変わること。
そこを第一歩としない限りは、おそらく何が起きてもやはり思い通りではないと不満に感じてしまうと思います。
 
それまでの経験を踏まえて、この先なりたい自分になるために、今までの通りでいいのか、そうではない道を歩むべきかを選択し、必要ならばスパッと変える勇気を持ってほしいと思います。
更年期というのは、そういうことをするのにものすごくいい時期なのです。
 
生物である以上、必ず物質的な最後は来ます。
しかし、死という状態は大きな意味での生の一部分でしかありませんから、生の対極とか、あるいは生の外に死があるのではない。
生の中に死も包含していると考えるべきで、年齢を重ねた果てに死があるのではありません。
 
年齢を重ねるというのは、単に様々な経験を積んでいくことなので、それはつまり人間としての完成度を上げていくプロセスです。
完成度を上げるというのは、社会的に偉くなるとか、多くの人に実績を認めてもらうとか、そんなことではなく、もっと深い意味があると思っています。
 
そして生物は生きている以上表現をし続けていますから、その表現の中で自分の完成度がどこまでいったかということを、きちんと表明することは必要だと思います。
自分がしてきたことを誰かと共有する、お互いに分かち合う、それがとても重要なことなのです。
 
多様な価値観の中で生きている私達ですが、自分の価値観は変えていいのです。
価値観が変わるとは、アイデンティティを失うこととは違います。
価値観の多様性を認めて、自分の価値観を変えられるということは本当にすばらしいことで、それだけ他の人に対する許容量が広がったということでもあります。
 
日本の中だけでも、様々な宗教、様々な慣習・生活様式がありますから、結婚相手といえども、あまりにも習慣が違っていて驚いてしまうようなことが時々あります。
 
一軒家で暮らしたいという人もいれば、狭くてもいいから二部屋ぐらいでまとまって暮らしたいという人もいて、そんな二人が一緒に暮らすのはとても大変です。
ところが、価値観を変えることができるということに気が付くと、一番よいところで折り合いがついて、とても気持ちのよい、新しい暮らし方が出来上がったりするのです。
 
自分の価値観を帰ることに恐れを抱かずに、変わった後どれほどの気持ちよさが待っているかをイメージできる人であって欲しい。
 
こんなことは生きている間中続くのですから、80歳になっても、90歳になっても、変えたければ変えればよいのです。
ただ、更年期の時期というのは、身体も変化を求めていますから、特に思い切って変えてもいい時。
それに相応しい時だということを強調しておきたいと思います。
食べるものも、生活も、生き方自体も何もかも変わってくるかもしれません。
 
 
 
 
 

 

ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。

 

生命の農と食を考える
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池田 優

 

 

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