山ちゃんの食べもの考

 

 

その236
 



食は生命なり
「生命なきは食にあらず」とも云われますが、
人は多くの生命を頂く事で生かされている。
植物の生命も動物の生命も微生物の生命も、
土の生命も水の生命も空気の生命も、
すべての生命がつながって生かされている。
そんな「共生」の世界で生かされている。
「人は何を食べるのかによって決まる」とも云う。
肉体的な健康、長寿のみならず、
知性、思想、性格までをも決すると。
その食べ物の作り方、その食べ物の商いほう、
その食べ物の選び方、買い方、食べ方は、
その人の生き方、その考え方そのものであると。

                                   
(山ちゃん)
『食は生命なり』 【93】
 
南清貴著   講談社インターナショナル刊
『究極の食』  より その15
 
 
第5章 ナチュラルエイジング  2
 
 
● クエン酸サイクル
 
ピーク時には60兆個とされる人間の細胞の数ですが、
50歳ぐらいでは約50兆個、60歳ぐらいでは約40兆個になるといわれており、加齢とともに減少することは否めません。
そして、細胞の数が減少するとともに起きるのが、一日の総消費エネルギーの70%を占めるという基礎代謝機能の低下です。
 
そこで、効率よくエネルギー産出を行う必要が出てきます。
そのためには、ミトコンドリアの中で行われるエネルギー代謝「クエン酸サイクル」を円滑に機能させることが重要になるのです。
 
もともと人間の身体には、クエン酸サイクルと呼ばれるクエン酸を中心としたエネルギー代謝の機能があり、これが疲労の回復とも関わっています。
このエネルギーサイクルは、ドイツ生まれのイギリス人・生化学者クレブス博士が発表した学説で、クレブス回路とも呼ばれます。
この発見によってクレブス博士は1953年にノーベル医学・生理学賞を受賞しました。
 
クエン酸サイクルがうまく回っていると、筋肉を激しく使った時に発生する疲労物質の乳酸や、体脂肪として蓄えられてしまった糖質などを分解して再度エネルギーのサイクルの中に組み込むことができるのです。
逆に、クエン酸サイクルがうまく回らないと、筋肉に乳酸が溜まって身体はだるく疲れた状態になり、体脂肪も蓄積されてしまう。
体脂肪を落としたければ、クエン酸をクエン酸をきちんと摂り入れる食生活をすることも重要なのです。
 
キヨズキッチンの料理はサラダをはじめとして酸っぱいものが多い、とよく言われてきました。
酸っぱいもの嫌いの人には「なんでなの?」とよく訊かれたものですが、これには理由があって、テイクアウト用惣菜にも、防腐剤散布、ペーハー調整など化学的な処置を一切施しませんので、食品を保たせるために酢を使った料理が必然的に多くなるということと、もう一つは、食事で積極的にクエン酸をとることを意図していたから、ということもあったのです。
 
例えばサラダ。
サラダは、生の野菜が持つ酵素を身体の中に効率的に取り込むのに便利なメニューですけれども、酢で和えますから、同時にクエン酸も取り込むことができる、その意味も大きいのです。
 
酢には、いろいろな種類の有機酸が含まれており、そのうちの一種がクエン酸。
酸っぱさの成分であるクエン酸というのは、無色の結晶物質で、レモン、グレープフルーツ、ミカンなどの柑橘類、それから梅干しにもたっぷり含まれています。
有機酸とは、有機化合物としての酸で、一部は人間の体内でも作られています。
 
本来、生命活動の中で生み出されている酸ですので、変化もしていきます。
食品に混じると酸性度を上げてくれる。
異常な微生物、不必要な微生物の増殖を抑える働きもしているのです。
昔から、シメサバだとか、アジ、コハダなども酢でしめて日保ちさせてきました。
そういうような働きがあることを人は経験的に知っていたのです。
殺菌作用だけでなく、柑橘類、酢というのは、身体に非常によい作用を及ぼす食品なのです。
 
クエン酸は代謝の過程でどんどん変化して、8種類の酸を生み出しますが、また元に戻って同じサイクルを繰り返します。
酵素やビタミンが働いて、クエン酸はまずアコニット酸という酸になり、それからイソクエン酸に、次の段階ではアルファケトグルタル酸、更にコハク酸、フマール酸、リンゴ酸、7段階目でオキサロ酢酸というものになります。
代謝の産物として合成される活性酢酸というものが別にあるのですけれども、これが7段階目のオキサロ酢酸と結合して、もう一度クエン酸を作ります。
 
この工程を延々と繰り返すのです。
だから身体の中でもクエン酸は作り出せるのですが、それだけでは不足するので、体外からクエン酸を補う必要があるのです。
オキサロ酢酸と結びついてクエン酸を作る活性酢酸の原材料は、脂肪酸です。
脂肪酸はエネルギーを燃やす起爆剤にもなっているのです。
 
ここまで知ると、我々の身体がどれほど複雑なことを、代謝という形で一秒の休みもなく続けているか、身体を守りつつ更に成長させようとしているかが実感できるのではないでしょうか。
 
クエン酸はもちろんですが、この回路をうまく回すためにどうしても必要な物質がビタミンC、ビタミンB1、それと水です。
「水分ではなく、水を摂ってください」と私はよく言うのですが、お茶ではだめで、純粋な水が必要なのです。
 
本来は、加熱処理をしたミネラルウォーターでもなく、湧き水が何より一番です。
しかも不思議なことに、自分が生まれた土地近くの水が一番よい。
でも、そこまで追求できませんので、都会で生活している私たちは、きちんと毒物を処理してくれる高性能の浄水器を活用して、水道水を摂ればよい。
空気が乾燥して身体から蒸発する水分が多くなる冬こそ特に、水をたっぷり取るべきです。
 
それから補酵素(コエンザイム)、体内調整物質として働くある種のホルモンも必要になります。
補酵素を取り入れるためには生の食品をとらなければなりませんし、ホルモンを形成するためには、これまで何度も触れてきました必須脂肪酸のオメガ3、オメガ6を摂っておかないとダメなのです。
 
ウエイトロスにオイルが必要だといっていた意味がわかっていただけると思うのですけれども、そういうものが適正に摂られていないと、クエン酸サイクルがうまく回らないがゆえに、脂肪を蓄える方向にしか働かず、どんなにカロリーを低く抑えても無駄な努力になるのです。
 
カロリーの問題よりもクエン酸サイクルのメカニズムを知ることのほうが有効です。
これを知らないと正しい食生活はできませんし、正しい食生活を送らないと身体は思わぬ方向に勝手に動いてしまいます。
 
我々は食べ物を食べるとその中からエネルギーに変わる糖質を取り出します。
それを肝臓、一部は消化器系でもブドウ糖という形に変換して、血液を通して全身に行き渡らせ、エネルギ化しています。
その段階で、ブドウ糖は肝臓や筋肉組織に貯め込まれますが、貯め込める量は決まっていますので、グリコーゲンという形に合成し直して蓄えたりします。
 
それでも使いこなされなかったものが代謝によってアセチルCOAという補酵素により、アセチルCOAがクエン酸サイクルの中に入るという複雑な工程をとります。
つまり、食べ物の中から糖質を分解してエネルギーとして使うという工程が最初にないと何も始まらない。
ですから、食べるものはとても大事なのです。
 
繰り返しになりますが、その一番のベースになるのが炭水化物を含む穀類と豆類なのです。
炭水化物の中から糖質をエネルギー代謝に使えるような形にしていく工程が複雑であれば、一気に糖質を消費することはありません。
そのほうが私たちの身体はうまく回るのです。
 
少しずつ血液の中に取り込み、少しずつエネルギーを取り出していくことができる。
そこを白い砂糖のような形で取ってしまうと急激に血糖値が上がって処理の使用がなくなってしまいます。
エネルギー化のサイクルをうまく穏やかにするためには、精製されていないものを取る必要があるのです。
 
クエン酸サイクルがうまく回らないとどうなるのでしょうか。
生きている限り完全にストップすることはないのですが、それに近い状態になると、サイクルの途中で発生して活用されるはずの中間物質、ビルビン酸とか、アセチルCAOというものがどんどん溜まってしまいます。
溜まりすぎると、ビルビン酸は嫌気性分解といって無酸素状態で分解を始め、乳酸を作ります。
 
肩こりとか、ふくらはぎがかちんかちんになったりするのも、乳酸が筋肉の中に溜まって硬直した状態なのです。
局部的に乳酸が溜まった段階で、マッサージなどで血流をよくしたり、クエン酸サイクルでうまく処理することができればよいのですけれども、乳酸が筋肉の部分だけでなく、全身に行き渡ってしまうと、身体が重く感じ、倦怠感に襲われ、無気力な状態になったり、実際に身体が動かなくなってしまうこともあります。
 
整体の観点から言うと、疲労を感じる時というのは、肉体を偏って使ってしまったときです。
偏り疲労といって、アンバランスにある部分だけ使うと強い疲労感を感じるのが人間の身体なのです。
 
全身を隈なく、バランスよく使っている時に感じる疲労感は快感です。
子どもの頃、運動会や遠足の後くたくたになったけれど気持ちよかった、という経験があるのではないでしょうか。
 
ですので、日常的に不快な疲労を感じる場合は、偏りを取るためのエクササイズを勧めます。
伸びをするなどして身体のバランスを取り、使っていなかったところもうまく動かしておくと、偏り疲労はかなりのところまで防げます。
「その場歩き」というのも本当に単純な体操ですが、ほぼ全身をバランスよく使う運動です。
 
ちなみに、疲労感と睡眠時間とはあまり関係がありませんので付け加えておきます。
疲れているなら、いい状態で眠れるような身体になってから眠ればいいのです。
本当は活元運動をするのが一番よいのですが、伸びを繰り返すことでも十分効果が得られます。
 
活元運動してから寝ると睡眠時間は短くて住みます。
私には5時間ぐらいが適正で、それ以上寝ると逆に体調が悪くなります。
人によって違いますが、きちんと身体が整ってくると、そんなに長い睡眠は必要なくなります。
野口先生の睡眠時間は3時間ぐらいだったようです。
一番いけないのは二度寝です。
 
もう一つ、疲労感には、メンタルティの影響が大きい。
例えば、引越しをしたとします。
自分の理想の部屋に理想の形が作れるような引越しができた人は、どんなに大変な引越しをしても疲れません。
ところが、気が進まない引越しをした人は、荷造りをするのも運ぶのもいやだし、新しい部屋に荷物を収めるのもいやとなって、ものすごく疲労を感じる。
それで、「引越しをしたので疲れてしまった」という話になるのです。
 
メンタリティの問題はとても大切です。
我々は結局、やりたいことを洗濯してやっているわけですから、本当に自分がやりたいことをやっているという認識がきちんとあると、疲労感から脱却することができる。
そういうことも少し考えてみていただきたいと思います。
 
 
 
第6章 カラダからのメッセージ 1
 
 
● 身体は本能に基づいてサインを出している
 
私たちの行動のうち、95%ぐらいは無意識下で行われているといっても過言ではありません。
100%自分の意思だ、と豪語する人もあるでしょうが、自分の意志が働く部分は実は数%に過ぎません。
 
前章のコラムでも述べたように、整体では、このような本能的な無意識下の動きを「錐体外路系」の動きと呼んでいます。
例えば、どこかに向かって歩こうとするとき、平衡感覚、距離感、そこまでの速度、歩幅などを無意識に自分で調整してそのとおりに動くので、いちいち3歩半などとカウントしたりはしません。
 
何かを食べるという行為にしても、食べたいと思って実際に食べるところまでは確かに自分の意志で動きますが、その後、何回噛もうとか、いつ呑み下そうとか、胃の中にどの程度の時間止めておこうとか、いつ排便しようとか、そんなことは意思ではどうにもなりません。
 
自覚的に見える部分も、茶碗蒸しはもういい、でもから揚げだったらもう少し食べよう、などと、絶えず無意識レベルで判断しています。
つまり我々の行動の95%以上は無意識かで行われているということが前提です。
 
本能に基づいた行動、無意識下の行動が多いということは、とりもなおさず敏感な身体でいることのほうが有利だということです。
私たちの身体の内部では、一瞬たりとも休みなく激しい変化が起きていますし、外部でも、これまた激しい変化が常に起きています。
そうした変化にきちんと反応できる身体が敏感な身体です。
体感が明確なこと、と言い換えてもよいかもしれませんが、その感覚は、身体が整うほど研ぎ澄まされるのです。
 
変化の少ない環境を作って過ごせばよいのではないか、と思うかもしれません。
しかし、自然な環境の中で産声をあげた赤ちゃんと、湿度・温度が完全にコントロールされた快適な病院の中で生まれた赤ちゃんを比べると、自然な環境の赤ちゃんのほうが丈夫に育ちます。
 
生まれたばかりの赤ちゃんがエアコンで制御された環境下にあると、毛穴の8割は閉じてしまうと言われており、新生児の段階でそうなってしまうと、その後も開きにくい。
毛穴が残りの2割だけの鈍い身体で体温調整をしていかなければならないようなことが起きるのです。
一生涯エアコンの下にいられるならそれでもよいでしょうけれども、そんなわけにはいきません。
だとすると、環境の変化にしっかりと適応できるようにしておく必要があります。
 
そもそも生物というのは、生きていること自体が快感だから生をまっとうしているので、常に気持ちよくいられる方向に動いています。
そのために必ずきちんとサインを発します。
サインというのは身体から自分へのメッセージなのですから、それを見逃さないような生活のスタイルが、まず必要になるのです。
 
そのためにも、手始めにオブティマル・ヒューマン・ダイエットを実践してみていただきたいと主います。
身体が整うと、自分の身体がどういうメッセージを発しているのかということがより明確にわかるようになるはずですし、そのメッセージに基づいて欲求を満たしてやると、身体は喜んで次なるメッセージを出してくれますので、相互作用でどんどんレベルアップします。
 
メッセージには「今、気持ちいいよ」というポジティブなものもあれば、「不快だから変えてくれない?」というネガティブなものもありますし、あいまいなものからはっきりしたものまで、様々です。
そこを聞き分けられるようになって、メッセージに添った行動を取って欲しいのです。
 
例えば、保育園とか幼稚園の年代の子どもを毎日抱っこしていると、すごく軽く感じる日があります。
そういう時は大体怪我をしたり、突然熱を出したりお腹を壊したりする。
変化の前触れなのです。
というのは単なる感覚ですから、気のせいかと思うようなあいまいなものです。
 
身体の中に本当は満ちているはずの気が分散していたり、あるいは密度が薄くなってしまっていたりということでそう感じるので、体重計に乗せてわかるようなことではありません。
そのように、軽い、というメッセージを受け取ったときには、しばらくじっと抱きしめていると、ある瞬間にズンと、なんとも表現のしようもないような重みが出てきます。
 
気が分散していたなら、それをきゅんと集中して、心地よい重みがふうっとくるようにする。
そこで、「はい、いってらっしゃい」と送り出すとよい。
だから、毎日軽く抱き締めてやることが必要なのです。
 
大人だと、指先など身体の末端を怪我したり、やたらと物を壊すようになったら気が分散しているのかな、と思えばよい。
重心が上がってしまうと精神的に不安定になったりもします。
このようなときには、正座をして臍の下(丹田といわれる箇所)に手を当てて、そこにグッと気を集める、というようなことをしておくと、よい状態に保っておくことができる。
 
自分で自分のことがわからなくても、夫婦であれば抱きしめ合ったりというようなことでお互いに確認できることは沢山あると思います。
なんだかいつもと相手の様子が違うと感じることはよくあるはずで、それがメッセージを発している、ということなのです。
 
いつも好きだったはずの食べ物が急にいやだと感じるなど、メッセージは必ずしも論理的な整合性があるとも限りません。
そこに論理性はなくとも、やはりメッセージを重視して、その時は食べないようにして欲しい。
メッセージの一つひとつにきちんと耳を傾けて、ていねいに反応するということが大事で、そうすることで身体はいっそう整う方向に変化していきます。
 
私の言うレベルというのはこういうことです。
何か身体に悪いものを食べて死を招いてしまっても、これはやむを得ません。
自分で食べたものですし、それほどに鈍い反応しかできなかった身体だったのですから。
 
でも、少し敏感だと、食べても中毒症になって、吸収してしまった毒物をとにかく身体の外へ出そうとします。
苦しくても死ぬよりはいいのかもしれない。
もう少しレベルが上たと、食べた後でひどいものだと身体が判断して、吸収せずに下痢をします。
お腹は痛いかもしれませんが、血液中に毒物が入らないので、頭痛にもなりません。
 
次のレベルだと、食べた途端に吐きます。
吐くのは苦しいかもしれないけれども、毒物は腸まで行かずに済みます。
次にもう少しいいレベルだと、食べはしても、これはおかしいと感じて飲み込む前に口から出してしまいます。
 
更に上のレベルだと、食べようと思って箸をもっていっただけで食べません。
もっと上のレベルだと、商品を見たとたんに、絶対に自分が食べるものではないと感じて買わない。
最上級のレベルだと、売っているところにも行かない。
 
究極は、自分にとって悪いものを売っている店に近付かないようになれることが一番よいわけです。
そのようなメッセージを直感というのです。
 
直感には根拠がないと思われるかもしれませんが、そうではありません。
それまでの経験や得てきた情報が総合されて自分の中である一つの結論に至ったものが直感なのですから、雑念の中で非常に確立の悪い選択をしてあたるあてずっぽうとは、似て非なるもの、本質もまったく違います。
直感は本当にそれしかなく、自然にそこに収斂されていくものですから失敗がありません。
そして、本当にすばらしい直感というのは、整った身体に生まれるのです。
 
身体が整えば更にメッセージを発しますし、もっと敏感にメッセージを受け取ります。
それに答え続けることでより敏感になって、身体が欲しているものがますます明確になる、というような好循環が繰り返されていくのです。
いつも整った身体でいることの重要性というのは、病気をしないでいることだけではなく、危険を察知したり、自分にとってよいことを無意識に選び取る能力を高めるところにもあるのです。
 
人間ですから不調だと感じたり、エネルギーが沸き起こってこない、と感じることもあります。
往々にしてそういう時は、身体の中で何らかの調整作用が始まったときです。
暖かくなったり寒くなったり、環境はどんどん変わりますので、身体は変化に対応しなければなりません。
 
そのための調整作用のほうが身体にとって優先順位が高い時というのは、そちらにエネルギーが費やされるため、不調だと感じられてもしかたがない。
ただ、そのことを無視しないで、「いつもと違う」ときちんと認識することが大事です。
それも身体からのある種のメッセージですから、答えは返せなくても、最低限、メッセージを受け止めるところまでは私たちの、自分への義務なのです。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。

 

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池田 優

 

 

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