山ちゃんの食べもの考

 

 

その24
 

 

  「飲用乳の再利用中止で大量の牛乳が産業廃棄物に」というニュースがあって、その関連から「山ちゃんの食べもの考」その22、その23でいくつかの考えを述べてきました。 今回は話を若干戻して「山ちゃんの食べもの考」その21に引き続いて話を進めていきたいと思います。

  「山ちゃんの食べもの考」その21では、高野武平氏の指摘する「野菜に含有される高濃度の硝酸塩が糖尿病の起因になっており、現代農法の先端を行く畑作園芸地帯、特にビニールハウス等施設栽培の盛んな地帯には透析患者が多い」というデータ分析による話。あまりにも化学物質に依存した経済性優先の現代農法は一日も早く改め、自然の摂理に順応した環境にやさしい生命産業としての農業を復活させ、安心して食べることのできる健康な食べ物にしていかなければならないということ。そして河野氏の「スーパーマーケットは有機野菜が嫌い」として、有機野菜を扱っていても積極的に販売していこうという姿勢が無く、消費者のウケを狙った儀礼的なものであり、健康な農業や消費者の健康を考えた改善は期待できない、と痛烈に批判していること。

  しかし私は、全国には有機野菜や特別栽培の野菜を積極的に販売している素晴らしいスーパーも沢山ある。「地域の人々の尊い命と健康をお預かりしているのだ」という自覚を再認識し、「作り手」と「食べ手」の間に立つ「つなぎ手」として「よい農業、よい食べ物、よい食生活」を推進するよう強い使命感を持って全力投球して欲しい。そしてそれを実現していくには私たちが見栄えや外観ばかりに囚われることなく、真によい食べ物を生産してくださる生産者や販売に努力する店を支援していく実践的な消費行動が必要なのだということを述べました。続いてスーパー業界の全国売上高が31ヶ月連続前年比を割り込んでいる中で、生協やデパート、通信販売による食料品の販売が好調だというニュースについてもお伝えしました。

  今回は、食品販売専門店としてのスーパーマーケットにこそ「よい農業、よい食べ物、よい食生活」を推し進める担い手として大いに期待するものとして「なぜこうなったのか」「どうあって欲しいか」の私見を述べたいと思います。

 

  スーパーの全国売上高が連続31ヶ月も昨年割れという状況の中で、なぜデパートや生協、通信販売の食料品売上高が好調に転じたのだろう。まずデパートついて考えてみます。

  従来のデパートの食品売り場といえば、特権階級的な高所得者対象とまで言わずとも、かなり裕福な家庭でもない限り一般の人々にとっては普段の食生活の食材を買い求める場として適切ではなかったと思います。デパートにしても意識的に顧客を選択する考えがあったとも考えられます。それがスーパーマーケットが猛烈な勢いで台頭してくる中、差別化戦略として一層商品の高級化志向が進められていったように思います。時あたかもグルメ、高級、本物志向ブームの到来と相まって、日本国内はもとより世界中の美味珍品が並べられ食通を唸らせいつも賑わっていたようです。一般の人もハレの時には背伸びしてデパートの食品売り場を利用し、それがステータスになるという具合でした。贈り物もスーパーマーケットの包装紙では格好が悪く、やはりデパートの贈り物だと箔がついたのです。

  高級品とはいうものの食品に関する限り目的や用途に照らして考えればその内容や高価格には疑問を感じるものが多くありました(当時スーパーマーケットに勤務していた私のひがみ根性?)。確かに全国から選り抜かれた素晴らしい生鮮食品や加工食品、超一流の職人の技による逸品、世界の一級品が揃い、それが飛ぶように売れている。生産者もメーカーもデパートに納品していることが誇りであり自慢の種で「スーパーなんかには」と軽くあしらわれ苦い経験をしたものです。

 

  大衆路線に的を絞り、人々の普段の食生活を考えるスーパーマーケットとは明確に一線を隔していたデパートでした。しかし成り上がり者の素人集団と軽視されたスーパーマーケットでしたが、品質、鮮度、品揃えの面でぐんぐんレベルを上げ価格も適正値ごろとあって、特別な場合でない限りかなりハイレベルな商品まで安心して買えるスーパーマーケットに客は流れました。それまでデパートを利用していた高所得者やグルメ志向の人たちにとっても、充分満足できる食材を幅広く揃えるスーパーも増え、ギフト面でも利用者が増えるなど、一面では食品専門店やデパートを凌ぐことが多くなって、その分デパートの食品売り場は大きく侵食されることとなりました。

  スーパーマーケットに追い上げられ苦戦を強いられる中では、特別な用途向けや超一流の高級品による差別化戦略ばかりではすみません。顧客の奪回作戦で売り場は二転三転していたようですが、バブルの崩壊も重なりデパートの食品売り場の大繁盛はそう長くは続きませんでした。

 

  昨今「デパートの食品売り場が良くなった」「デパートの食品が好調だ」というニュースが盛んに飛び込んでくる。近くに住んでいるなら利用したい。知人に勧めたい良い物がたくさんあり、私にも大いに納得がいきました。何人かの方から聞いた話も交えて好調であろうわけを考えてみます。

  「客の目線に合わせた」商売に変貌しました。高慢で独断的な印象が強かった品揃えや売り方には差別化された抵抗を感じ、とても普段の食材を買える場ではないと思っていたのですが「良い食べ物、美味しい食べ物ならデパートへ」といいたくなる親しみを感じます。客に顔を向け客の目線に合わせた品揃えと売り方です。

  デパートはグレードを落したという人もいますが私は決してそうは思いません。適切になったのです。もともと一流の物を扱ってきた商品を見分けるプロの人たちです。お客の普段の食生活にデパートならではの良い食材を、となればその選択眼は確かなものがあります。劣悪な低価格品ばかり前面に出して、安いよ安いよと売っているスーパーマーケットにへきえきしている消費者には、このデパートの変身は大歓迎するところでしょう。

  お高くとまった高級高額イメージから高品質高価値イメージへチェンジが図られています。有機栽培や低農薬の農産物、無添加食品、生産者の顔が見える商品など健康安全志向への本格的な取り組みが見られます。それに手軽に手にとって見ることができ、買い回りがしやすく配慮されるなどスーパーマーケットの長所も積極的に取り入れています。玄人だからこそ逆に商品管理のずさんな面もみられましたが、これも改善の跡が見えます。

  あるスーパーマーケットの社長さんはデパートの好調さについて「結局は人だ、彼らには物を見る目がある、最終的には良い食べ物でないとダメだ」と。続いて次のように話されました。「デパートは家賃が高すぎる、その分だけ高く売らざるを得ない、もう少し家賃が下がったら今のデパート方向だとまだまだ伸びる」。

 

 

  「スーと出てパーと消える」と悪口を浴びたスーパーマーケットが今日の隆盛を見るに至るにはいくつかの理由があります。昭和28年東京青山に「紀の国屋」がオープンしたのが、日本におけるセルフサービスシステムのスーパーマーケット第一号店です。30年代に入るや雨後の竹の子の如く全国に誕生しました。近代的なセルフサービスシステムやチェーン経営システムを学ぶため、多くの小売業界の経営者や幹部によるアメリカ研修が盛んに行われました。

  スーパーマーケットが飛躍的な発展を遂げた第一の要因は、このアメリカに学んだ新しい小売システムの導入にあるといえます。ツケはきかないが豊富な品揃えの中から、自分の手でさわり自分の目で確かめ自由に気軽に欲しいものが一ヶ所で、しかも安く買える。これまで想像だにしなかったインスタント食品をはじめ簡単で便利な加工食品、見たことのない遠隔地の食べ物、次から次へと出てくる新製品等々が顧客の目を引き付けました。

  ようやく経済的豊かさが実感され始めた私たちにとって、これまでの商店とは違い「自由に気軽に安くモノの豊かさを提供してくれる」街のスーパーマーケットはなくてはならない存在となって繁昌していったのです。

 

  時あたかも高度成長の道を驀進中。「マスプロ」「マスコミ」「マスセール」時代の始まりです。食品製造業界も手作業中心の労働集約的家内経営から、近代的設備や機械、化学的知識・科学的技術の導入による工業化された資本集約的な企業経営へと大きく変貌を遂げていく。それまで「地産地消」「旬産旬消」「地域特性」の伝統食であった食べ物が、工業生産による画一化された加工食品に全国津々浦々までとって代わられることになったのです。

  高度成長の波を押し上げる「大量生産」「大量宣伝」「大量販売」の経済的な社会の仕組みは、ようやく戦後の「ヒモジさ」から脱却した私たちに、食べ物のみならず衣服、家電製品、住宅関連、車社会等々多くの物的豊かさ便利さをもたらしました。大量生産される膨大な商品はメーカーやスーパーマーケットから膨大に繰り出される巧みな宣伝によって、モノの豊かさを求める人々の欲求を一層煽り立て、「消費は美徳」とまでいわれる大量消費時代を招来しました。

  「大量生産→大量宣伝→大量流通→大量販売→大量消費→大量生産→……」という流れは、経済成長を優先する社会の拡大型循環システムです。チェーン経営システムを展開し大量流通・大量販売システムをとる大型スーパーマーケットは、食べ物を中心に最寄品といわれる生活関連商品を売りまくりました。スーパーマーケットの発展は経済活動拡大型循環システムの輪の中で、大量消費を促進する大きな役割を果たしてきたことにあります。まさにスーパーマーケットは高度経済成長社会の要請に応えられる唯一のものであり、これに代わるものはなかったといえます。

 

  スーパーマーケットは飛ぶ鳥をも落とす勢いで急速発展を続け、全国各地で覇を争う競争が展開されてきた。大量の広告がバラ撒かれ、喰うか喰われるかの激烈な価格競争が繰り広げられ今日もなお熾烈な戦いとなっています。

  「流通革命」「価格破壊」「問屋無用論」などの言葉が飛び交い本気で論じられ、モノの生産から流通、消費に至るまで、旧来の仕組みを激変させるごとき流通革新の波が吹き荒れた。低価格志向と大量発想により生産から販売までのあらゆる段階で合理化、効率化、コストダウンのメスが加えられました。規格化され画一化された工業的大量生産の商品が、全国津々浦々まで主流となって安く大量に販売されるようになったのです。

  この発想は生鮮食品にまで波及し、自然相手の零細な家族経営による農産物にまで大きな変化をもたらしたのです。販売に都合の良い規格化し画一化された外観重視の野菜や果物が要求され、その上価格競争の渦に巻き込まれて大量生産による低コスト低価格が強いられることになる。生産効率を求める工業的な考え方は現代農業に、組織主導による単品大量生産システムの大型産地形成と大量流通販売システムを導入し、それが化学肥料や農薬を多用する農法へ拍車をかけることになったのです。

  スーパーで大量に売れるものこそが消費者のニーズに合致するものであり、「スーパ―の声は消費者の声である。消費者の要求する“売れるモノ”を大量に売ることが正義である」という暴言まで飛び出す始末となった。全国どこのスーパーにおいても大量に売れるモノをいかに安く作るか。“大量に売れるモノ”を作ることがモノづくりにとっても、企業の使命となり正義と化した感がある。生産も販売も命懸けの厳しい競争が繰り広げられることになりました。

  「良い品をどんどん安く売る店」というキャッチフレーズで全国に展開しているビッグ小売企業があるが、大衆路線を突っ走るスーパーマーケットは流通革命の旗手として国民大多数に「モノのある豊かさと楽しさ便利さをより安く」を提供し続けてきたことがまた大きな発展の理由であります。

 

  スーパーマーケットの発展は時代の波に乗っただけと一言で片付ける人もいるがそんな甘いものではなく、これまで述べてきたように時代の要請に応え高度成長社会に大きな貢献を果たしてきました。

  私がここで申し上げたいスーパーマーケット発展の最大の理由があります。「店は客のためにあり、店員と共に栄える」という商業界精神の言葉です。結論から申し上げますと真剣に、本気で“お客様の健康で豊かな生活実現”を願い顧客第一主義を徹底してきたということです。それもこの業界には“談合”など一切なく、仁義なき戦いといわれるほどの厳しい競争の中で切磋琢磨し、消費者の豊かな生活実現への使命に燃えて粉骨砕身勉強努力に励んできたからです。だからこそ国民大多数の支持を得ることもでき、飛躍的な躍進を見たのです。

 

  日本一のコンサルタント会社・船井総研の船井幸雄先生は、スーパーマーケット発展の原動力は、「とにかくよく働き、夜を徹してまで大変勉強したことにある」と語っています。“お客様のため”という社会貢献への純粋にして高邁な思想哲学と遠大な目的目標を掲げるスーパーマーケット経営者の下に集う若者達は、燃え上がる強烈な使命感に身も心も震わせて「真面目に考え、よく働き、よく勉強」した。

  一般商店から比べると数倍大きいといっても、歴史のないまだ零細なスーパーマーケットです。人材は中学校、高等学校を出たばかりの素人集団ですから右も左もわかりません。近所の食料品店からは「素人のぼんぼんに何ができるもんか」「安かろう悪かろう」と揶揄されつつも、毎日大勢のお客様と接する中で褒められたり叱られたり教えられたり、充実した仕事に夜も昼もなく猛烈に働き勉強してきた。企業内教育訓練の徹底はもとより国内研修、海外研修へと若者達は派遣され、貪欲に新しい知識技術を学んで商売に反映していきました。恩師から教わった「学んで行わざれば罔し、行いて学ばざれば危し」という道元禅師の言葉を思い出しますが、社内外を問わずスーパー業界は「よく仕事をして大いに学び、真剣に学んで果敢に実践する」気鋭の集団であったと思います。

 

  商品の裏表もわからない、魚の3枚おろしもできない若造たちだ。しかし純粋素朴な素人集団だからこそできたことがある。それが繁昌の大きなポイントの一つでもある。「本気でお客様のためを考え、お客様に顔を向けた正直な商売」をしてきたことである。

  この頃のお客様とは違って(大変失礼)当時のお客様は物を見分ける料理のプロである。若造のゴマカシなど通るものではない。真面目に正直に甲斐甲斐しく働く若者達は多くのお客様から愛され励まされ教えられたのです。お客様とは親切なもの、ありがたいものです。スーパーマーケットも働く従業員も、お客様から学びお客様によって育てられ、地域のお客様の暮らしになくてはならないお店へと発展していったのです。

 

  商売にとって「信用第一」はいうまでもないことです。いつまでもお客様に甘えているわけにはいきません。「どうせ安かろう悪かろう」のイメージを払拭して「良かろう安かろう」を実現するための研究開発、システムの構築が急ピッチで進められたのです。恥も外聞もなく誰彼なく教えを乞う姿勢には多くの師や先輩が現われました。同業者同士の教えあい学びあいの場も多く持たれ、商品を見る目、扱う技も急速に培われていきました。

  仕入れが変わりました。「スーパーの社員はよう頑張るわ」とよくいわれたものですが、商品知識を身につけた担当者は早朝いち早く市場に出かけます。自らの目で最も品質レベルの高い商品群を選択し買い付けるようになっていたのです。そればかりでなく、より良い生産者や商品を求めて全国を東奔西走しました。そして高い品質鮮度を保持するために多くの冷凍冷蔵設備の導入をはじめ科学的な知識技術が導入され「良い品を豊富に安く」が具現化され、多くのお客様の支持を高めることになりました。

  スーパーマーケットの店舗も増え「いかにお客様の信頼を勝ち得るか」という真面目な競争は、いよいよ品質や鮮度の良さ、品揃えの豊富さ、サービスの良さを高めるものとなり、生鮮食料品においてもスーパーマーケットが市場の大半を占めるようになってきました。「食べ物はスーパーマーケットで」の地位を完全に確立したのです。

  スーパーマーケットが飛躍的な大発展を遂げてきたにはそのほか多くの要因がありますが、店は客があってはじめて成り立つものです。利用する消費者の立場から店を選ぶ際の参考としても、発展の理由となったいくつかのポイントを上げてきました。スーパーマーケットの良い点ばかり述べてきたようですが、スーパーマーケット発祥の当初から優秀なお店をご覧になってこられた方々には頷いていただけるのではないかと思います。

  では熾烈な低価格競争を展開しながらもなぜスーパーマーケットは現在長期の苦戦に喘いでいるのでしょう。不景気の中だからこそ利用が増えて伸びるということがあってもよさそうに思いますが。その原因とスーパーマーケットへの期待を、次回に独断と偏見をもって述べてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 


 

ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。

 

 

 


生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
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池田 優

 

 

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