山ちゃんの食べもの考

 

 

その243
 



食は生命なり
「生命なきは食にあらず」とも云われますが、
人は多くの生命を頂く事で生かされている。
植物の生命も動物の生命も微生物の生命も、
土の生命も水の生命も空気の生命も、
すべての生命がつながって生かされている。
そんな「共生」の世界で生かされている。
「人は何を食べるのかによって決まる」とも云う。
肉体的な健康、長寿のみならず、
知性、思想、性格までをも決すると。
その食べ物の作り方、その食べ物の商いほう、
その食べ物の選び方、買い方、食べ方は、
その人の生き方、その考え方そのものであると。

                                   
(山ちゃん)
『食は生命なり』 【100】
 
日野原重明  劉影 著   青春出版刊
『病気なら15の食習慣』
楽しく生きる長寿の秘訣
  より その4
 
 
習慣4 楽しい食事が健康をつくる
 
栄養を身体のすみずみまでいきわたらせるには、
楽しんで食べることが第一です。
細胞も生き生きとして、これが”健康の貯金につながります。
人間が生まれ物”健康の貯金”は50歳ごろで使い切ると思われます。
その後も健康でいたいのなら、自分で”貯金”を増やす努力
ーー楽しんで食べるーーが特に重要です。
 
 
● 50歳からの健康は自分の責任
 
「若いときは多少食べ過ぎてもなんともなかったのに、最近はそうはいかない」
「やっぱり年には勝てないということでしょう」
中高年の間によく交わされる会話です。
 
過食に限らず、寝不足にも、ハードワークにもへこたれなかった身体が、最近は、思うようにならないという嘆きです。
もちろん、身体は老化していくわけですから、年を重ねるごとに弱まっていくのは当たり前ですが、それを認めたくないというのが現状のようです。
 
けれども、何も意識せずに、若さを保とうとしてもそれは無理なこと。
体力や機能の衰えについて私の考えを言うと、人間の身体は、もって生まれた遺伝子の影響ばかりでなく、その人の環境も大きく影響してくるのではないかということです。
 
私は、その境をだいたい50歳だと考えます。
一般的に見て、ちょうど老化が始まる年齢です。
50歳を過ぎたころから急に衰えの目立ってくる人もいますし、反対に50歳を過ぎても元気な人もいます。
同じように年を重ねたはずなのに、なぜ、このような違いが生じるのでしょうか。
 
それは、30代後半から40代の頃の習慣に関わっていると考えられます。
元気な人は、10年も前から健康維持に注意を払っています。
つまり、遺伝子に守られている間に、次なるステージを考えて行動した、いわば健康の貯金力に努力した結果なのです。
 
健康の預貯金を使い果たすことがないようにするのが理想的ですが、もちろん、50歳を過ぎてからでも手遅れということはありません。
 
アメリカの心臓病学の権威P・D・ホワイト教授は、こんなことをいっています。
「80歳より前に動脈硬化による心臓病や脳卒中を起こす人は人災である。80歳を過ぎてから起こすのは神の仕業かもしれない」
 
食事などの不摂生によって、遺伝子が持っている寿命を全うせずに死ぬ人が多いことを嘆いた言葉です。
この考えに私も同感ですが、日本の今の食生活を考えたとき、これから80歳まで生きられる人が何人いるでしょう。
 
子供たちが大きくなるころには、もしかすると、今のようには長寿を誇れなくなっているのではないでしょうか。
 
 
 
● 「成人病」を「生活習慣病」に変えた本当の理由
 
私が提案したいのは、50歳からの人生を見据えて、自分なりの遺伝子をつくろうということです。
本当にそんなことができるのかと思う人もいるでしょうが難しいことではありません。
要は習慣を変えればいいのです。
 
第二の遺伝子とは、習慣です。
このためには、毎日を生き生きと暮らすこと、人生を楽しむことが大前提です。
笑いは免疫力を上げるとして、がん患者などを対象に、笑いを奨励する治療法があると聞きますが、明るい気持ちが健康の礎であることは間違いないでしょう。
 
ですから、食に関しても、まず楽しんで食べることが重要です。
今の日本人、特に中高年の男性を見ていると、心から食事を楽しんでいる人は少ないように思います。
 
なんとなく義務的に食べている人もいますし、一番多く見かけるのは、健康診断の数値を気にしてからか、「これは食べてはいけない」とか、「これだけしか食べられない」と嘆いている人です。
折角の食事が台無しですし、食卓を囲む家族も楽しくありません。
 
現状を嘆くより、なぜ、食事制限をしなければならないのかを考えてみてください。
多くの場合、その原因は自分自身にあります。
健康な身体を長い間の不摂生によってだめにしてきたのです。
食習慣を見直す努力を怠ってきた結果なのです。
 
これに気付いたら、気持ちをきりかえることは難しくないと思います。
食事制限は、これからの人生を楽しく生きるためのもの。
「これしか食べられない」のではなく、「どのように食べたら、健康な細胞、よい遺伝子を育めるだろうか」と工夫することです。
 
かつて、心臓病や肝臓病、糖尿病などの病気は「成人病」という言葉でくくられていました。
それを「生活習慣病」という言葉に変えようという私の提唱が政府に受け入れられたのは1996年、今から10年ほど前のことです。
 
私がどうしてそこにこだわったのか。
それは、多くの人を悩ませていた病が、生活習慣から起こるものだと知らせたかったと同時に、生活習慣によっていかようにも防ぐことができるということを伝えたかったのです。
 
「人生の4分の1は人生の効用を知らないうちに過ぎてしまう。最後の4分の1はまた人生の喜びが感じられなくなってから過ぎていく」
18世紀のフランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーが、教育論「エミール」に記した言葉です。
 
ルソーは、人間の晩年は、目や耳などが変化し、身体が思うように動かなくなって、楽しみを感じられないままに死んでいくのだと憂いています。
 
しかし、老いゆくなか、最後まで楽しめる感覚があります。
それが、味覚です。
病気などで失われる場合は別として、味覚だけは最後まで残されるのです。
楽しい食習慣を持っている人は、ルソーのように憂える必要はありません。
人生の最後の4分の1までもバラ色に違いないからです。
 
素敵なことだと思いませんか?
こんなことを考えながら、時々は食習慣についても見直してみてください。
 
 
 
劉影の養生ガイド
未病のうちに直す5つの習慣術
 
● 遺伝子を傷つけるような生活をしていませんか?
 
「人間は親から遺伝子をもらって、50歳まではそれで生きられる。でも50歳を過ぎたら第二の遺伝子をつくらなければならず、それがよき習慣です」
 
日野原先生は、多くの著書や講演で、心に残る言葉をたくさん語ってこられましたが、中でも、この言葉は強く印象に残りました。
というのも、私は、東洋医学から、「食習慣はその人の生き方、人生そのものである」と教えられ、その考え方と先生の言葉が合致したからです。
 
どのように食べるかが人生を決める。
そこが日野原先生のおっしゃる”新しい遺伝子をつくる“に重なったのです。
 
現在では、メタボリックシンドロームなどという言葉が盛んに使われ、内臓脂肪の蓄積が問題視されていますが、これは、悪しき習慣、ことに食習慣が招いたものです。
 
なぜこのようになってしまうのかというと、日本人の場合は、どうやら働きすぎに原因があるようです。
特に40代後半から50代の男性にはワーカホリックの人が多く、健康だけでなく、家族とのコミュニケーションまで犠牲にして仕事に打ち込んでいるというのが現状。
これでは、第二の遺伝子を育てるどころか、持って生まれた遺伝子まで傷つけてしまうことになりかねません。
 
私は、文化人や著名人と健康について対談する機会が多く、先日もテレビ番組の打ち合わせで、ある男性タレントとお会いしました。
司会、声優、俳優など、多方面で活躍し、芝居の演出や脚本なども手がける多彩な方ですが、それだけに寝る時間がありません。
 
脚本の執筆でホテルに缶詰になったときは、ふとんの上に横になることはないといいます。
机に向かってひたすら書き続け、気がついたら、二〜3時間、そのままの状態で仮眠をとっていたという程度。
疲れがたまっていますから、ふとんの上に横になったら、際限なく寝てしまいそうで怖いというのです。
 
こんな調子ですから、もちろん食事も不規則です。
身体のサイズは、メタボリックシンドロームの条件を十分に満たしているように見えました。
 
「あなたは、いつ病気ななってもおかしくないと、自分で自覚されていますね」という私に、身体のことは半ば諦めているかのような返事。
仕事中毒ですからね、仕方ないんですよ」
けれども、折角これだけの才能を持っているのですから、もっと身体を大切にしてほしいと思います。歩に原先生をご覧になればわかりますよね。長寿には大きな意味があります。長寿で元気な人は、周囲に希望を与えます。そして、人間は長生きすればするほど、よい仕事にめぐり合えると信じています。
 
 
● 未病息災でいきましょう
 
日野原先生が、「生活習慣病」と言う言葉に、大きな意義と自信を感じていらっしゃるように、私にも大事にしている言葉があります。
それが「未病」です。
 
未病とは、まだ病気ではないが、病気の芽を持っていて、いつ発病してもおかしくない状態を指します。
この表現は、いまや多くの日本人が知るところとなりましたが、これを広めようとしたのは、私が最初だと自負しています。
 
今から、10年前、「未病」は、日本ではなじみのない言葉でした。
私が、なぜ、この考えを普及させようとしたかというと、当時、多くの習慣病患者の治療に悩んでいたからでした。
 
一度発病すると、どんな漢方薬を用いても、完治させることが難しいのです。
一体、どうしたらいいのだろう・・・・・・。
しかし、糖尿病患者は、毎年、ものすごい勢いで増え続けていました。
 
そんな時思い浮かんだのが、「未病」と言う考え方でした。
発病してから治療したのでは遅いのですが、未病の段階だったら何とかなります。
 
人間は、いきなり病気になるわけではなく、病気の前段階を経て発病します。
検査の盛んな日本でなら、未病を察知し、発病を食い止めることができるのではと思ったわけです。
 
昔は一病息災という言葉を聞きましたが、現在は未病息災で行くのが望ましい。
そして、これを貫くのに必要なことは、やはり習慣を整えるということなのです。
 
まず気をつけることは、楽しく美味しく食べて、よく眠り、朗らかに過ごすことです。
具体的には、
@ 少食多菜(肉を少なくして、野菜をたっぷり摂ること)
A 少酒多茶(お酒はほどほどにして、お茶を飲むこと)
B 少糖多果(砂糖を少なくして果物を多くとること)
C 少塩多酢(塩分を少なくして、肝臓の働きをよくする酢で味付けをすること)
D 少食多嚼(食事の量を少なくして、よく噛むこと)
となります。
 
多少無理したにもかかわらず、50歳を過ぎても健康な人は、発病しなかったことに感謝。
この幸運が続いてほしいなら、すぐに改善策を考えることです。
 
 
● 良い食材が健康な細胞をつくる
 
健康な細胞をつくるために、私が実践していることを紹介しておきたいと思います。
まず、よい食材を選ぶことです。
 
野菜や果物は、どこでどんなふうに作られたか、卵については鶏の飼育環境や餌をチェックし、肉や魚の産地や飼育地にも注意します。
本来なら自分の目で確認するのがベストなのですが、なかなかそこまでは行きません。
しかし、少しでもよいものを選ぼうとする意識は大切だと思います。
 
素材にこだわると、金額的に高いものを選ばざるを得ない場合もあり、食べ盛りの子供を抱える家庭では難しいかもしれません。
家計をやりくりする大変さはよくわかります。
量よりも質を考えようというゆとりが生まれたのは、私も子供が大学生になってからでした。
子供も大きくなったし、今度は自分の身体のために素材を選ぼう。
そんな時期が訪れるのが、50歳ごろなのではないでしょうか。
 
食材にお金をかけるのは決して贅沢ではないと思います。
健康な細胞をつくるには、よい環境で育ったものを口に入れることが必要。
 
東洋医学では、人間の身体を構成する要素として、気、血(血液)、水を重視しますが、よい環境で育った生物は、よい気で満たされています。
ですから人間の身体にもよい影響を与えてくれる。
食事は、命と命の出会いであるといっても過言ではないと思います。
 
また、気、血、水といった観点から、私は水にもこだわっています。
質のよい水もまた体内の環境を整え、健康な細胞を育んでくれるでしょう。
その成分について細かくチェックすることはできませんが、一つの目安として、天然水で、水質は軟水と硬水の中間ぐらいのものを選ぶようにしています。
 
 
 
 

 

ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。

 

生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
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池田 優

 

 

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