山ちゃんの食べもの考

 

 

その25
 

 

 発展に発展を重ね、競って「モノの豊かさ便利さ安さ」を提供してきたスーパーマーケットの食品がここに来て、なぜ3年間にも及ぶ低迷を余儀なくされているのでしょう。私の独断と偏見でその原因と今後への期待を忌憚なく述べさせていただきます、と申しますのも、国民の大多数が食を依存するスーパーマーケットの手によってこそ、日本の良い農業と良い食べものが広がり、自給率が他の先進国並みに高まって、真に身土不二の豊かな食生活が推進されること、そして次世代へつなぐ日本の食文化の伝承とより良き発展を構築して欲しいと強く願うが故です。

 原因についていろいろ言われますが「不景気で余分なものを買わなくなったから」「インフレで物価が下がったから」というのが言い分の大筋です。しかし(店にもよるが)デパート、生協、通信販売の食料品販売高は伸びています。私たちはかなり余分なものを買い過ぎ食べ過ぎ廃棄しているのですから、この際本当に必要な物なのか、真に値打ちのある良いものなのか、店の選び方買い方食べ方を見直し余分なものを買わないことは大いに結構なことだと思います。それにしても不景気だからといって食べずにはいられないわけですから、低価格を前面に打ち出すスーパーは今こそもっと大繁盛してよさそうなものです。

また不景気で困っているのですから質を落さないで物価が下がることも、買う立場からすれば歓迎するところです(参考=世界主要都市生計費調査によると東京は世界一の物価高でニューヨークの1.34倍、大阪は5位、ちなみに2位モスクワ、3位香港、4位北京、ニューヨークは8位、ロンドンは12位)。しかし好調といわれるデパートも生協も通信販売も、決して安く売れる仕組みではありません。むしろ割高になる商品群を扱っています。

不景気のせいにしていては何も見えてきません。身を削ってまで安売りしているのにお客がついてこないのはなぜでしょう。私は景気が良くなっても今までの体質ではもっと嫌われることになると思います。大量生産、大量浪費(消費ではない)、大量不健康、大量廃棄のモノ優先時代、無責任時代はもう終りなのです。お客に目を合わせ、健康な暮らしに本当に必要なものは何なのかを吟味してしっかり販売して欲しいと思います。

 

「最近のお客さんは安いものしか買わない」などというスーパー経営者に会いましたが、とんでもない失礼千万な言い草だと怒りさえ覚えました。「それじゃ安い物ばかり集めて良さそうに見せ、安売りしているあなたの店は大繁盛ですか」はっきり申します、あなたの店には買うに値するものがないから苦戦するのです。「安かろう悪かろう」では困るのです。人々の尊い命に直結する食べもの販売の専門店として自覚を持って本気で「お客様のために良い食べものを豊富に品揃えして安く便利に」提供して下さい。「店は客のためにある」のであって、「店のために客がある」のとは違います。自分の店の不振を客のせいにするなどハキチガイもはなはだしいものです。今多くの消費者は目先の欲求を追いかける浪費生活から健康な価値ある消費生活へ「考え改め」「買い改め」「食べ改め」をはじめているのです。あなたの店のあり方に対して地域の人々は「どうも自分の命や台所を預けるに値する所ではない」と気付きはじめているのです。

 

お客は感じ始め知り始めたのです。本当にこの食べものでいいのか、この食べ方で大丈夫なのか、こんな店で買っていて間違いないのか、ちょっと立ち止まって見直すと直ぐ解ることです。もうモノ本意の時代からココロの大切さを思う時代に大きく意識の転換が図られつつあるのです。作る人や売る人の心の姿勢が敏感に伝わらないわけがありません。

尊敬するスーパーマーケットの社長さんが「最終的には良い食べものでないとダメだ」と話されたことを前回記しましたが「最近良い調味料の売れ行きが伸びている」とも話されました。良い食に変えていくには「まず基礎調味料と野菜と基礎食材を良いものに変える」ことを自説とする私には大変うれしいことでした。ついでながらお土産にいただいた社長直々の仕入開発だという豆腐と大根の漬け物の美味しさには感動しました。お客様に良い食べものをなんとしてもお伝いしたいと、先頭に立って努力されるお姿に敬服しました。

消費者の「考え改め」「買い改め」「食べ改め」は静かな波ですが、近い将来には必ずや大きなうねりとなって現れてくることでしょう。いい加減な物づくりや商いは当然の報いとして払拭され致命的な痛手を被ることでしょう。

 友人の紹介でお目にかかった長野県松本市で三代続く醤油醸造会社の専務さんは「現在の食の乱れが青少年の犯罪や不登校など子どもたちの身心を犠牲にする一大要因である。農業や食べものを早く良い物にしなければならない」と話され、その上で正しい商品知識も持たず安売りだけに走っている昨今のスーパー商法を嘆かれ「よい食べものをしっかり売ってくれるスーパーが数少ない」「店を見、相手と話し、企業の姿勢や食べものについての考え方取り組み方に納得しない限り取引しない」と明言されていました。

 いま一度「店は客のためにあり」に立ちかえり、わが店の務めは何なのかを考えて欲しい。わが店の利益や繁昌を祈る前に、お客様の健康と幸せを祈る心をわが心としなければならない時です。地域の人々の健康な命を育み良い食生活に役立つ良いものなのかどうか、本気で商品と売り方の一つひとつを洗い直すべき時だと思います。コンピュータからはじき出される数字に振り回されないで下さい。その膨大な情報の中には、これからの時代にお客が求める「考え改め」「買い改め」「食べ改め」る情報は入っていないのですから。

 

 私は毎日のようにスーパーの新聞折り込み広告を見ています。買い物のためではありません。チラシ広告はその店その企業の出前看板です。お客や社会に対する姿勢や考え方が如実に表現されています。お客様のために今どのお店がどのような努力をし、どんな変化をしているかを見るためです。

全体にどうしたらこんなに安く作られるのか不審に思う加工食品などが大きく価格訴求されています(有名ブランドだからといって安易に納得しないで下さい)。農産物もこれじゃ百姓はやり切れんという安値で売られる物が多いのです。あの手この手のサービス企画も組まれています。どのようにして客を集め売上や利益を稼ごうかと策を講じることは当然としても、見ていて感動するものが伝わって来ず、とても客本位に考えたものと思えないものが多い。

大変込み合っているスーパーに行った折「お忙しくて結構ですね」と申し上げたら「最近のお客は目玉だけしか買っていかん」と店長さんはこぼしていました。私は客集めに誰でも知っているあまり感心できない(全てとはいいませんが)食品を羅列してバカ安値で売れば売るほど、そのような品の安売りを求める特売ハンターが集まり、良い食べものを求める客は敬遠し、その店から良い商品が非売れ筋品として姿を消していくことになると思います。

チラシ広告にお客の健康な食生活を考えた良心的な商品や、氏素性のわかる真面目に作られた食べものが訴求されているのを見るとうれしくなります。広告とは本来良きことを広く社会にお伝えすることであると思います。広告に嘘偽りありとは申しませんが、自分に都合の良いことだけでなく、消費者に正しい本当のところを伝えていただきたいと思います。社長さんのお客に対する心の内がそのままチラシ広告に現れているものであることを、広告作成に携わる方は忘れないで下さい。

 

 「どこで買っても一緒、だったら安い方がいいに決まっている」。小さい子供を抱えて共稼ぎする元気な若者夫婦と食べものについて話したときのことです。無理もありません、食している食品のほとんどは有名ブランドの売れ筋調味料・加工食品・飲料水・菓子。生鮮食品についてもある程度の鮮度は気にするがそれ以上のこだわりは持たない。お惣菜類についても口に旨ければ文句はない。昨日まで親から与えられたものやコンビニ食を食べてきた若者には、自分で料理するよりも味のわかっている口当りのいいものを、簡単便利に少しでも安く食べられればいいのです。

「だってどこへ行ったって皆おんなじじゃない」という。全くごもっとも、看板をはずせばどこのスーパーなのか分からないくらい皆同じようなもの。売っている商品も並べ方もやっていることもあまり変わりません。商品も並べ方も店舗の作りもお店の考え方までも、この高度成長の下で完全に画一化されてしまったのです。さらに恐るべきことは、同時に私たちの食べものや食べ方が全く画一化されてしまっていることを意味するのです。

皆さんはこれを極論だと言われるでしょう。いいえ極論ではなく人工的に調合されエサで飼育されている家畜と同じで、味も香りも色合い食感も防腐剤もコントロールされた食品というエサに飼いならされているのです。違うところは自らの意思で選んでいるように思わされているだけです。

納得されない方のためにもう少し詳しく説明します。かなり個性的であるはずの生鮮野菜・果物についても現代農法による栽培方法では販売しやすい外観本位に規格化されて大同小異です。家畜の飼われ方、その畜肉加工品、魚肉加工品・練り製品、漬物、基礎調味料、一般加工食品、パン・菓子、飲料水……やはり食品工場から送り出される大量生産物は似たり寄ったりです。「どこで何を買ったって同じようなものじゃない」ということになります。スーパーマーケットで見る買い物客の買い筋は、老いも若きも画一化された大量生産型の規格品に共通していて大差はありません。コンピューターからはじき出される売れ筋データはどこのスーパーでも同じようなもので、つまり「どこの家庭だって同じような食生活じゃないの」ということになるのです。

「売れるモノを売る」「売っているモノを買う」。このような売る方も買う方も「食はかくあるべし」という自主性を欠いた場当たり的な流され方をしていたのでは、いつまでたってもスーパーマーケットに良い食べものは育ちません。スーパーも消費者も共に食べものに使われている原材料の氏素性、生産加工方法、添加物使用の目的と程度などを確かめ、より良心的な食べものが育ち良い食生活が広がるよう手を携え合っていくようにならなければならないと思います。

 

商品知識があって説明してくれる店員もいなければ、担当部門が変わるとさっぱりわからず相談に応じてくれる人もいません。商品の良し悪しを見分ける目も持たない人たちが、自分で食べてみてもいないモノをただ売れ行きに合わせて注文し、販売機会を逸しないようセッセと陳列作業をしているのです。食べ方や料理のアドバイスもメニュー提案も出来ません。多くの店員は後方に姿を隠し、売場に立つ数少ない社員も陳列作業に追われるアルバイトか、安いよ安いよと喧しくがなりたてるだけで、できるだけお客と目が合わないよう話しかけられないようにする風でさえあります。

「店は客のためにあり」。お客様の豊かな食生活実現のために寝食を忘れて勉強し、品質鮮度管理のレベルも向上し、清潔衛生的で広い売り場に豊かな品揃えをし、顧客に親切で快適な買い場を提供してきた。だからこそ国民大多数の台所を委ねられるまでに至ったはずのスーパーマーケットが、経済効果と極端な合理化や効率追求のあまりに、最も大切な商いの基本的姿勢と食の本源を損なってしまったといわざるを得ません。

コンピューターが弾き出す数字と競合店ばかりに目を注ぎお客様に目をそむけた商いは、弱い生産者や仕入先を泣かせる安売り競争に明け暮れることになる。「最近のお客は安い物しか買わん」という暴言まで吐いて憚らない商人の凋落ぶりである。「悪貨が良貨を駆逐する」というが、恥も外聞もなく売れればいいという無責任な安売り競争は粗悪な商品をはびこらせ、真面目に良心的な商いをするスーパーまで巻き込んでいくことになる。

お客様とまともに向き合って「わが店の存在は、この地域に無くてはならない店なのか、それとも有っても無くてもいい店なのか、はたまた無い方がいい店なのか」「われわれは今、お客様のために何をなさねばならないのか」「わが店の使命は一体何なのか」真摯に再考すべき時でしょう。そこには為さねばならないあまりにも多くの基本的かつ重要なことが自ずと浮き彫りにされてくることでしょう。従業員が「わが人生を掛けて悔いなし」と燃え上がるような「わが店の役割・使命・哲学」を再構築して欲しいものです。

 

 食べもの販売の6割も7割も占めるスーパーマーケットは、私たちの普段の食生活を支えるものとなっています。スーパーマーケットがなかったとしたらどのようにしてこの豊かな食生活を維持していけるかを考えると、その果たしている役割は大きく、国民のほとんど大多数にとってなくてはならない存在なのです。広く明るく清潔な売り場で、豊富な品揃えの中から好きなものを自由に気軽に手にとって選び、日々の食を楽しむことができます。良い農業や良い食べものづくり安全健康な良い食を広めていくために一番大事なことは、私たち消費者が食についていかに「考え改め」「買い改め」「食い改め」るかにかかっています。

 しかし、残念なことに私たちには「考え改め」「買い改め」「食い改め」に必要な本当の情報が伝えられていません。食べ盛り育ち盛りの子どもたちにも正しい食教育はほとんどなされていません。昔「土産モノに旨いモノなし」といわれましたが、現在では「コマーシャルモノにいいモノなし」といわれます。

極端にいえば「売れ筋にいいモノなし」といってもいいでしょう。売らんかなの宣伝はうるさいほどあっても健康な食生活のための正しい情報が企業から発信されることは稀です。

 私たちが日頃スーパーマーケットで買い求める食べ物の多くは、40〜50年前とは似て非なる物や全く存在しなかった物で、その何たるかの事実も知らされずに食べているものが多いということです。地域の大多数が依存するスーパーマーケットには、私たちのあるべき健康な食生活の担い手として、食について本当のことを伝えて欲しいものです。そのことによって私たちの「考え改め」「買い改め」「食い改め」は大いに進められ、地域の人々の健康は促進され、いよいよ地域に無くてはならない店としてそのスーパーマーケットへの信頼は高まることでしょう。

 スーパーマーケットの意識によってまた食べもの作りは大いに転換されることでしょう。地域の消費者に代わって食べものの作られ方や加工方法、その過程で使われている物など、目に見えない部分までしっかり確認され、本当のことを教えてください。そして良いものを自信もってすすめてください。スーパーマーケットがお客様の健康を預かる食べ物のプロとして選択し、力を入れて販売するものが農家やメーカーの作るものに変わります。

 

 私たちは、本来健康な命を育むためのものであるはずの食べものによって、多くの人が健康への不安に怯え、病み苦しんでいるという皮肉な現代社会を招来してしまいました。世界に類を見ないモノ豊かな食べものに取り囲まれていながら、いざ良い食べものを探そうとするとこんなにスーパーマーケットがありながら大変です(信頼できる良い食べものを求めて通信販売や宅配を利用される方も大勢います)。

 「食べものは美味しくないとダメだ」と売る方も買う方もいいます。その前にもっと大事なことを大事とすべきです。くどいようですが食べものは「健康な命をいただき、健康な命を育むため」のものです。それが人工的に作られた味によって狂ってしまった味覚で口先の美味しさを追い求めがために、画一化された不自然な食べもので埋め尽くされるようになってしまったのです。

 「人間の本性は良心的な存在であり、誰しも真実を尊び、人のお役に立つことに汗することを喜びとする」ものと私は思います。大きな畜肉メーカーに働いていたが良心の呵責に耐えかねてその職を辞し、北海道に帰省して無添加のハム・ソーセージ作りに入った青年がいましたが、作り手も商い手も食べ手も可能な限り自然の摂理に順応した安全な本物の美味しさと健康を願うことには変わりないと思います。

 国民の大多数が支持し期待するスーパーマーケットには大きな力があるのです。「考え改め」「買い改め」「食い改め」を強力に推進し、日本の気候風土に適応した「地産地消」「旬産旬消」「自給自足」「身土不二」の確立と日本国民の健康な食生活実現のために、新しい時代における真の「流通革命」「消費革命」の旗手として躍進することを願うものです。

ごらんいただいたことを大変ありがたく感謝します。

 

 

 


生命の農と食を考える
L A F 健農健食研究所 ラフ
L ife A griculture F oods

FAX :076-223-2005
mail :m.ikeda@ninus.ocn.ne.jp

池田 優

 

 

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